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『怒りをうたえ』は地平を切りひらけるか 反能力主義者 私が『怒りをうたえ』の映像に出会ったのは、ザ・スキャンがビデオ化し、それを入手したのが始まりであった。それ以来この映像を、何回も娯楽として見てきた。たしかに、この映像は、私のような心情的反体制にとっては娯楽作品である。具体的なシーンをあげると第一巻の沖縄からの代表団の派遣シーンや第二巻における東大全共闘山本義隆議長のアピールなどである。しかし、いつも思うことはそんなことではない。この映像が示す六〇年代後半から七〇年代初頭にかけての反体制運動の限界である。第一巻初頭の新宿駅での闘争シーンにおいて巨大なネオンサイン群をみたとき、私はやはりだめだと思った。同じく第一巻において一月一八・一九日の安田砦攻防戦をみたとき、その場面に出てくる主人公たちののんびりとした風景にびっくりしたものだ(当事者に対しては失礼であるが)。現代の資本の回転の速さはこんな風景を全く許しはしない。当時の反体制運動は、その旗を巨大ネオンサイン群に掲げることはできなかった。現代の資本の回転の速さは当時の闘争以上に、人間を心身共に破壊している。この状況をどのように打破するのか、この問いは、いつも私の心の底に潜んでいる。 (「情況」1993年8・9月号 読者のページ より)
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