不条理 反抗 実存 演劇人青年カミュ
カミュは思想家・小説家として、また劇作家としてもすぐれた作品をのこしています。青年時代から演劇に情熱をもやし、二一歳で共産党に入り労働座という劇団をつくりゴーリキイの「どん底」を上演。スペイン炭坑夫の反抗を描いた戯曲を書きましたが上演禁止となりました。一九三七年俳優としてアルジェリア各地を巡演したりしましたが、党と意見があわず、労働座を解散して仲間座をつくり上演をつづけながら戯曲「カリギュラ」(一九三八年)を執筆。カミュは劇作・演出・俳優・プロデューサーとして活躍しました。『誤解』は一九四三年に書かれ、小説「ペスト」、エッセイ「シジフォスの神話」と平行してます。
一九三九年第二次世界大戦がはじまったときにカミュは新聞記者として論陣を張っていましたが、官憲に追われてアルジェからパリへ。フランス降伏ドイツ軍占領とともに中部山岳地帯で暮すようになり、持病の結核とたたかい、レジスタンス運動に参加し、非合法新聞「闘争」の編集にたずさわりました。『誤解』が初演されたのは一九四四年、占領下のパリでした。マルタ役はマリヤ・カザレス、ジャンはマルセル・エラン、演出も。劇 作はこのあと『戒厳令』(一九四八年)『正義の人々』とつづきます。一九六〇年一月自動車事故で死去。
反抗の戯曲 以 下、カミュの古い記録の中に発見された、日付のない「序文」
「序文」
『誤解』は確かに暗い芝居である。これは一九四三年に、私の愛するものすべてから遠く離れ、包囲され占領された国の真中で書かれた。これには亡命の色合がある。しかし私は、これが絶望的な芝居であるとは思わない。不幸が自ら超克さるべき方法は一つしかない。それは悲劇型式による変貌である。「悲劇型式は、とローレンスは言う、不幸に対する強烈な足蹴のようなものに違いない」。『誤解』は現代の筋書の中に宿命という古代のテーマを再び取り上げようと試みるものである。この置換が成功したかどうかは観客の言をまつべきである。しかし、悲劇が終った時、この芝居が宿命への屈従を弁護していると信じては誤りであろう。これは反対に反抗の戯曲として、誠実の倫理を含み得るからである。もし人が自らを認めてほしいと望むならば、ただ自分が何者であるかを率直に言うべきなのである。黙っていたり嘘をついたりするならば、人は孤独の裡に死ぬのであり、周囲のすべては不幸に捧げられることになる。もし反対に、真実を言うならば、いずれは死ぬであろうが、しかしその前に、それは他人と自身が生きるのを助けることになるのである。 A ・C ・
(鬼頭哲人訳)