池袋小劇場機関紙  No.103
2006年9月 1日発行
発行所  池袋小劇場
発行責任者   関 きよし

編  集   池袋小劇場編集部

l71-0014東京都豊島区池袋2-3-5
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No.103






「本公演は五年ぶりですよ。『貧乏物語』以来なんで…」。
 舞台では、いつも明るくさわやかで、全力投球をしている姿が印象的でした。体調を悪くして舞台から離れた日々が続いていましたが、「第三帝国…」で本格的に復活です。今回は、ユダヤ人種の妻と豚に餌をやる農夫のおかみさん、の二役です。
 「どちらも初めての役です。これまでは子どもの方でした。実は子どもの方が面白い。この作品は、子どもや農夫、突撃隊員の若者など、弱い立場にある人物が主人公になっているからです」
 前回の上演は一九九九年。「第三帝国」のエピソードは毎回替えられています。全部やると三時間余りの超大作です。今回は、岩淵達治訳で十四本の構成。
 「岩淵さんの訳の特徴は、学者らしくて、紳士的だということ。男性の立場からなので、女性にとっては少し距離感があります。その距離感をメリットにしたいですね。訳そのものがきちんとされているので、役者には手かせ足かせになっているんです」
 ブレヒト作品はこれまで「セチュアンの善人」や「肝っ玉おっ母とその子どもたち」など五本を上演、すべてに出演しています。
 「ブレヒトは叙事的演劇、やっぱり異化なんですね。チェーホフとは表現手段が違っていると思いますね。『第三帝国』の魅力は、普遍性を持っていることですね。その時代、時代において、社会性を反映しているんですね。一過性でなく、そこで答えが出るものでなく、想像の力があるんです」
 演劇の世界に入ったきっかけは……
 「童話作家になりたくて、出版社に入ったんですよ。そこで紙芝居の本を届けにいったさきでしりあったのが、『スピカ』という劇団でした。たまたま、『銀河鉄道の夜』に出演させられてしまったのです。そのときのいごごちがよかったのだと思いますよ、あれよあれよという間に次の舞台にも役がついてしまって。私、ちいさいときからひとりでいるのが好きで、いじめらっれっ子だったの。だから、このとき、自分が表現するものを、無視しないで評価してくれるということにびっくりしたんです」
 その後、舞台芸術学院から池袋小劇場へ。俳優生活も長くなりました。
 「せりふの覚えかたですか? 黙読を特にするということ。作品によっては、読者として読む。役者としての読みはなかなかできない。そうそう、よく寝ることですね。前の晩、覚えられないと思っても、よく寝ると印画紙のように焼きついていますよ」
 かとうさんに俳優の道を選ばせたのが演出家・関きよしさんでした。関演出についてひとこと――
 「考え方が若いんですよ。ものごとのとらえ方、表現においても若さがみなぎっています。それに、洞察力がありますね」(z記)
第18回池袋演劇祭参加
9月28日〜10月3日  池袋小劇場
14のエピソード
作/ベルトルト・ブレヒト
訳/岩淵達治
演出/関きよし  音楽/安達元彦
照明/川崎ひろし 美術/伊藤寿一 
前売2500円 当日2800円
「第三帝国の悲惨と恐怖」に出演
  ――――― かとうみちよさん
第三帝国の恐怖と悲惨 


9/28 29   30   10/1 2   3 
14:00
19:00
美術/故・伊藤寿一 1978年プラン
人間のすることはすべて私と無縁ではない
岩淵達治(演出家)
 一九五四年に戦後最初の新劇常打ち小屋として俳優座劇場が開場したとき、入口の壁面を飾る仮面道化像のプレートが目に入った。その古典語で記された銘は「私は人間だから、人間のすることはすべて私と無縁ではない」という意味だそうだ。とすると出典はローマの作家テレンチウスの喜劇「自らを責める男」だろう。
 息子を辛く扱ったために家出された父が後悔して自分を責める話だが、この台詞を吐くのは彼を気遣う隣人である。この父親は喜劇的人物だから、自責の念に駆られる者というより自らを責め苛む自虐者と訳せるほど滑稽だが、隣人はそれを他人事とは思えず彼の面倒をみてやるのだ。
 自責と自虐が同じ現象の両面を捕らえていることを意識しだしたのはごく最近のことだ。私はドイツ演劇に関って過去の克服というテーマに関心をもつようになり、自分の戦争責任の問題との対決を迫られた。私個人が状況によっては潜在的に戦犯になる可能性もあったのではないかという疑問である。ところが、いわゆる自由主義史観に立つ人々には、それが自虐的と映るらしい。自責の念からの行為を滑稽化するために自虐と名付けた意図は見え透いている。それなら私は自由主義史観という立場は、実はすべてを宥(ゆる)してしまう自宥(じゆう)主義史観と命名したい。
 私が戯曲で、戦争責任などとは関係のない個人的な罪過について自責の念の激しさに打たれたのは、ストリンドベリの劇「ダマスクスへ」の主人公だ。壮年に達しても小学校時代に濡れ衣を着せた友人に深い罪の意識を感じて彼を恐れている。この私的な罪の責任の取り方は、過去の戦争責任に対する態度と全く同根のものだと思う。
 人間のすることはすべて自分に無縁とは思わない私は、自分自身のなかに、まさに自宥的な無責任さの根があることも承知している。だからこそ過去の克服と取り組むのだ。どうも自宥主義史観の人々は人間一般への関心も希薄なように思えてならない。
(序詞)  ドイツ軍の査閲    岩淵達治訳
 我々は第三帝国の五年目に、あの
 神からつかわされたと自称する男(ヒトラー)が
 わが戦争の準備は完了した、タンクも
 大砲も戦艦も完成し、格納庫には
 わが命が下れば大空を黒く覆いつくすほどの数で
 舞い上がる航空機が収められていると演説するのを聞いたとき、 彼が旗のもとに呼び集めるのが
 どんな国民か、どんな人間から成り立っているのか、
 どんな状態におかれどんな思想をもっているのかを
 各地で調査してみようと決心した。
そこで行なったのがこの査閲である。
★ 14のエピソード ★
   第一幕
◎プロローグ    全員
1 国民共同体
 士官1      武男
 士官2      遠藤祐明
 老人       川島柳一
2 背信
 夫      やまだたけし
 妻        前原礼子
3 箱
 突撃隊員1    大西恵介
 突撃隊員2    遠藤祐明
 女       野山みどり
 労働者      武男
 若い妻      松本夏海
 子ども      渡辺典子
        久保田ヒデ子
4 泥沼の兵士たち
 囚人1      武男
 囚人2      遠藤祐明
 囚人3      大西恵介
 親衛隊員    金子捨次郎
 聖書研究者    川島柳一
5 法の発見
 地裁判事   やまだたけし
 刑事       山内栄治
 検事         〃
 高裁判事       〃
 廷吏       川島柳一
 女中       前原礼子
6 冬期救援
 老婆      渡辺美英子
 若い女      伊礼妙子
 突撃隊員1    遠藤祐明
 突撃隊員2    大西恵介
第二幕
7 ユダヤ人種の妻
 妻      かとうみちよ
 夫        山内栄治
8 黒い靴
 母        田崎紀子
 娘        渡辺典子
9 勤労奉仕
 学生       大西恵介
 若い労働者    遠藤祐明
 班長       武男
10 二人のパン屋
 囚人1     金子捨次郎
 囚人2      川島柳一
11 釈放者
 夫        山内栄治
 妻        前原礼子
 釈放者    やまだたけし
12 勤労者の時間
 アナウンサー  渡辺美英子
 年取った労働者  川島柳一
 女性労働者    松本夏海
 労働者      武男
 事務所の組長 やまだたけし
13 国民投票
 女       野山みどり
 年上の労働者  金子捨次郎
 若い労働者    大西恵介
14 豚に餌をやる農夫
 農夫       川島柳一
 おかみさん  かとうみちよ
 子ども      渡辺典子
          伊礼妙子
          松本夏海
        久保田ヒデ子
「第三帝国の恐怖と悲惨」で勉強会
 
 七月下旬「第三帝国の恐怖と悲惨」の稽古がはじまった週、翻訳者岩淵達治氏を招いてスタッフ・キャストが勉強会をしました。出演者一六名の中にはブレヒト劇に初めて参加という俳優もいて、先生のお話は興味深く、第一次大戦後のドイツの状況とナチス支配の経過など、いろいろ学びました。おりしも、「ブリキの太鼓」の作者G・グラスが元親衛隊員だったの報に驚かされもしました。
そこで、今、考え方が問われている「戦後責任」と「過去の克服」のテーマについて先生の旧稿(「朝日新聞」01年3月21日付)のご意見を、許可いただいてここに再録する次第です。(編集部)

不安に満ちたスリリングな展開
『夢十夜――十一日の猫』を観て
秋葉裕一(早稲田大学教授)
 イギリスの劇作家トム・ストッパードに『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』という戯曲がある。『ハムレット』で端役に過ぎなかった二人が、ここでは主役である。二人はハムレットの代わりに処刑されてしまうわけだが、ギルデンスターンが劇中で次のように語っている。「間違いのもとは船に乗ったことだ。もちろん身動きも可能で方向も変えられるしおしゃべりもできる。だがどう動いてもわれわれは何かもっと大きな動きの中に閉じ込められている。風や海流のように情け容赦なくわれわれを運んでいくやつにね。」(一ノ瀬和夫・外岡尚美編著『たのしく読める英米演劇』一一七n参照 ミネルヴァ書房)
 池袋小劇場の公演『夢十夜――十一日の猫』を考えていて、妙にこの台詞が気に掛かってきた。直接には「夢の七」がきっかけである。「西へ行く大きな船に乗っている自分は異人に囲まれて孤独になり海に飛び込むが」、海に向かって落ちていく刹那、馬鹿なことをしたと悔いる話である。まさに「間違いのもとは船に乗ったことだ」。 だが、「船に乗った」という表現は、もっと広い意味に取ることができるのではないか。『夢十夜』の作家は、慶応三年(一八六七年)に生まれ、大正五年(一九一六年)に亡くなった。明治という時代をそっくりまるごと生きたことになる。文明開化の世の中、欧米列強の圧力のもとで富国強兵を強いられ、国民は自分ならざる自分を生きなければならなかった。正直卒直な漱石にとって、これは大変な苦痛であったろう。鋭敏な感受性と自己意識、倫理性と批評精神を合わせ持っていただけに、漱石は明治という船の中で呻吟せざるをえない。『夢十夜』は、空虚、不満と不安に苛まれる呻き声である。明治という船は、騒然とした政情、混乱した世相のもと、どこに行き着くか知れない。一つ一つの夢の不安に満ちたスリリングな展開は、私たちが「現実」と呼んでいる全体の奥底に潜むものを、不思議な形で見せてくれる。
 今回の上演も「21場のかたり芝居」と銘打っているが、「かたり」には語りだけではなく、騙り(イリュージョン)の意味があるのだろう。もとより芝居には、騙りだまして、観客を現実と違う次元に引き入れる力がある。観客は、だまされるために、芝居小屋に足を運んでいるようなものだ。皮肉なことに、だまされて逆に見えてくるものがある。図柄を巧妙に仕込んだ「騙し絵」のように、上辺の現実から隠れて見えない図柄が夢の中に示される。その発見は、ときに追憶や予感とも結びついている。池袋小劇場の舞台には前回(五年前)の上演にもまして、語りの印象が強い。台詞を聞く楽しみを感じた。これからも、漱石の「かたり芝居」を練り上げると同時に、他の作家の「かたり芝居」のレパートリーをさらに広げていって欲しい。
(2006・6・14観劇)
  漱石の「百年」を思う
   押川恵一(後援会員)
 
 今回、『夢十夜』の舞台に接する前後に、「今年は『坊っちゃん』『草枕』が発表されてからちょうど百年になる」という内容の二つの記事を別々に目にした。また、『夢十夜・第一夜』における「百年私の墓の傍に坐って待っていて下さい」という女性の言葉が、さらに『第三夜』における、主人公が背中におぶった子どもの「お前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」という言葉が、非常に印象的に感じられる。この「百年」に込められた漱石の思いをまともに受け止めようという気持ちで、観劇の感想を述べたい。
 この『夢』に登場する人物の中で生き生きしているのは何といっても女性である。『第一夜』に続いて、「裸馬の腹を蹴りながら恋人の死に間に合うように闇の中を飛んでくる」女性(『五夜』)、「よそよそしい外国人の中で唯一人主人公の共感を誘う、船の手すりによりかかって泣いている」女性(『七夜』)、「床屋の帳場で、たてひざのまま一生懸命に札の勘定をしている」女性(『八夜』)、「子どもを細帯で縛って拝殿の欄干につないでおいて、夫の無事を願って御百度を踏む」母(『九夜』)、「女性を果物のように鑑賞している好男子で善良な庄太郎に『豚に舐められますが好うござんすか』という女性(『十夜』)、これらのどの女性からも迫力が感じられた。
 一方、男性である主人公の登場する場面では、「さむらいが、悟りが得られないと言って自殺しようとする」(『二夜』)、「運慶が明治の世に現われ仁王を彫っているが、この人物を生んだ文化的雰囲気は消失している」(『六夜』)、「老人の謎めいた言動を子どもたちと一緒に注視する」(『四夜』)など、現実を打開しようとする主人公のもどかしさが伝わってくる。しかし、それが雑然とした日常との対比で、不思議なすがすがしさをも感じさせる。
 そのことは出演者のよどみないきびきびした演技力にもよるものであると思った。

四回目も新鮮に

成田英世(後援会員)

私の記録によれば、九二、九四、〇一年と三回拝見していますので、今回は四回目となりました。今回の公演に接し、まったく新しいもののように興味深く、かつ楽しい時間を過させていただきました。劇の筋立ては「夢」ということなので、それほど難しい内容であるはずのものではありませんが、映像としての「夢」が、現実的な立体像になると、このように表現されるのかと感じながら拝見いたしました。

劇の進行は、山内さんとやまださんによって、前引き後押しで順調に進められ、観客席もスムーズにその流れに乗ることができました。まず、山内さんの視線で実に適所にぴたりと決まり、この場面での目の置き場所はここしかないと思われる所に確実に定まっていたこと、次に、やまださんの「間」が非常に的確で、程度の高い芝居を見せてくれました。加えて、四人の若い新人が「あ・り・す」に続いて、この劇でも清新な気を吹き込んで、ともすれば、よどみがちな内容に、活気を入れる結果となりました。

欲をいえば、全体に今ひとつパンチ力が求められますが、これには「夢」の再現ということ自体が、壁となってしまうかも知れません。




 8月14・15の両日「BUGEI MIDSUMMER FESTIVAL」参加として池袋小劇場企画『あ・り・す』を舞台芸術学院TACホールで上演。出演は四・五月火曜しあたーのメンバー。在校生・卒業生にかこまれ、まさに真夏の二日間・四回の上演を好評裡に終えました。台本作者から感想をよせていただきました。
寸感――かわらぬ初心と演出の進化
          赤木三郎
 去年から今年にかけて、関演出家は、わたしのかかわった台本を五、六本も舞台にのせてくださった。感謝感激雨霰で、熱心に劇場にかよったが、とりわけ、なつかしい思いで見たのが「稽古のためのアンチゴネー」。おもいもかけない上演で欣喜雀躍したのは、「三人姉妹の思い出」。深い真剣さを舞台からかんじたのが、「夢十夜――十一日の猫」増補版だった。変ないいかたで感想をひとまとめにしておくと、関きよしさんの演出の充実ぶり、かわらぬ初心と〈演出の進化〉というものを、まざまざと見たと申しあげていい。印象的な演技も、たくさんみちびき出された。番兵の沼田恭枝、マーシャの前原礼子、ナターシャの加藤三千代、漱石とその影の山内栄治、どれも、すばらしい出来だった。
   *
 「あ・り・す」の舞台も、わたしにとっては、おどろくべきものだった。何回も拝見したが、みるたびに〈深化〉してゆく。〈変化〉ではない。野放図な快優快演快唱が、なんと、アンサンブルとして織りあげられてゆく。セリフはゆっくりと正確に発音され、そのために、ほかの挿話どうしの内容が、単語のなかでひびきあう。今回の最終公演となった、舞台芸術学院シアターTACでは、清潔でうつくしい劇場の空間さえもが、俳優たちに、いつもの小劇場空間の演技に別のちからをくわえていた。もちろん、これらのことは、初日があいたのちも、上演ということの一回性ごとに、演出の〈深化〉をつらぬいてゆこうとする、このところの関きよしさんの方法がもたらした、ひとつひとつの果実なのである。
 「あ・り・す」では、ひとりのわかき〈ありす役者〉を、生みだした。渡辺典子がそれである。わたしがそういうまでもなく、たぶん、舞台をみたたくさんのひとが、そう思ったことだろう。もうひとつの大きな特徴は、歌唱が自在になったことだ。ことに、羊の岡部ささらの歌唱と、セリフまわし。あるいは、やまだたけし、森脇アキラのそれぞれの、ドーナツ婆さんの歌。大橋真琴と全出演者による白騎士の「夢殺し」。あげれば、きりがない。演技では、清水あくたが、大きな進境をみせていて、将来性をかんじさせてくれていた。
 さて、この「歌芝居あ・り・す」の台本は、いってみれば、バランスがわるく、かなりの不備なものなのである。わたしの力不足のそうした点を、演出の関きよしさんは、逆手にとって、雑然とした旅芸人の村まわりの祭り芝居のように扱ってくださった。おどろくべきものだった、というのは、そのとき舞台にあらわれたものが、〈雑然〉などではなく、〈純粋〉というようなもの、だったことである。
 わたしのあわただしい感想は、こうしたものだが、みてくださったかたがたには、そのように、じゅうぶん、楽しんでいただけただろうか。恐ろしい不安、「せまりくる歯ぐき」である。

これからの上演予定作品について
 「夢十夜」上演中の六月から小劇場スタッフを中心に、月例会で07年度にむけての準備する作品を検討、候補演目が発表され、台本が作られ廻し読みされています。
 順不同で、カミユ作『誤解』、アトラン作『ムッシュー・フューグ、または陸(おか)酔い』、フィゲレド作『狐とぶどう』、ミラー作『るつぼ』……などです。すでに関きよし主宰の劇塾では、チムニク原作・赤木三郎台本『クレーンオトコ』の研究がすすめられています。
狐とぶどう 1986
記録 06年6月〜9月

6・6〜7 「夢十夜」上演 3回
  9 月例会
  13〜14 「夢十夜」上演 3回
  15・22 劇塾「クレーン男」をテクスト
  23〜25 「夢十夜」上演 4回 千秋楽
7・4 月例会「夢十夜」反省会
  13 「ありす」稽古はじめ(舞芸で)
  24 「第三帝国の恐怖と悲惨」稽古はじめ
26 岩淵達治氏を囲んで勉強会
8・8 月例会「誤解」その他のレパートリ  イテクスト準備など
  14・15 舞芸イベントに「ありす」上演  4回(TACホール)
17 劇塾「ありす」打上げ会
18 池袋演劇祭前夜祭
21 「第三帝国」稽古再開
24 劇塾「ありす」反省会
31 劇塾「クレーン男」とこれからのこと
9.5 月例会