池袋小劇場機関紙  No.104
2007年1月 1日発行
発行所  池袋小劇場
発行責任者   関 きよし

編  集   池袋小劇場編集部

l71-0014東京都豊島区池袋2-3-5
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FAX03-3986−1278

No.104
 07年新春 2月22日(木)〜27日(火)

      アルベール・カミュ作『誤解』 三幕 
第二次大戦末 レジスタンスの闘士青年カミュの反抗の劇

「これは一九四三年に、わたしの愛するものすべてから遠く離れ、包囲され占領された国の真ん中で書かれた。『誤解』は現代の筋書きの中に宿命という古代のテーマを再び取上げようと試みるものである。」
                    (カミュの「序文」)
稽古を楽しんでいます
             
              沼田恭枝

 07年小劇場の春の公演は、アルベール・カミュ作、「誤解」の上演です。この作品は一九四三年、フランスがナチスドイツに包囲され占領されていた真只中に書かれたものです。
 現在、稽古は始まったばかりで、演出家の“古典劇として上演したい。然し、古典が現代に生きているということは、作品の骨組みがしっかりしていて、人間にとっての普遍性がそこにあるから……”などの言葉をかすかな手がかりに手探りの状態が続いていますが、私自身は始めての作品の世界で、俳優として経験できるという幸せな時間を持っていると感じています。
 そして、いま私たちが生きている社会の中での不条理、日々“イエス”と“ノー”のはざまに立たされる人間の、「個」としての自分のあり方を見つめ直すメッセージを作品の中から感じとっていきたいと思っています。どこまで演じられるかはわかりませんが、一年ぶりに池袋小劇場の芝居づくりに参加出来ることを四人の出演者たちといっしょに楽しんでいます。
訳/鬼頭哲人 演出/関きよし

  美術/幡野寛 照明/川崎ひろし 
  
アルベール・カミュ(一九一三―一九六〇)

フランスの作家。アルジェリア生まれ。第二次大戦中、抵抗運動に参加。不条理の哲学を追求。小説「異邦人」「ペスト」戯曲「カリギュラ」など。ノーベル賞。

カミュは「誤解」を書いていた一九四三年ころ、妻とも故国とも別れ、フランス中部山岳地帯で病を癒していた。カミュは敗戦で散り散りになった人びと、親兄弟や恋人たちの姿を悲しく見ていた。別離の悲しみや再開への期待に戦争の影を見た。そして自身の故国の明るい海や太陽の光への願望が、フランス国民の心を象徴するものとして、この戯曲の中に移されているのだ。
マルタ 
前原礼子
マリア 
かとうみちよ
母親 
沼田恭枝
ジャン 
山内栄治
老召使 
やまだたけし
池袋小劇場
前売2500円 当日2800円
第三帝国についてのメモ
   
鈴木太郎(演劇ライター・詩人)

 岩淵達治訳によると(全二十四場)の構成。今回の上演をみると、プロローグ、1国民共同体、2背信、3箱、4泥沼の兵士たち、5法の発見、6冬期救援、(休憩)7ユダヤ人種の妻、8黒い靴、9勤労奉仕、10二人のパン屋、11釈放者、12勤労者の時間、13国民投票、14豚に餌をやる農夫――である。上演時間は1時間50分。客席でみる者にとってはちょうどいい時間であった。未来社刊『ブレヒト戯曲全集』によると、全143nあった。全篇上演すれば4時間近くはかかると予測できる。
 訳者によると、「この作品はナチスの恐怖政治のもとで生活するさまざまな階層の市民が登場し、環境、状況、身分などに応じた行動を示すが、劇的個性をもった人間はひとりも登場しないし、全体を通覧してみると『恐怖政治下に生きる人間』に共通した行動様式が抽出できるようになっているのだ」、そして、「少なくとも十場面くらいを見せることが、この作品の正しい上演法だと考えるべきだろう」ともいう。
 プロローグの女性による歌はこの作品の導入部にふさわしいものと思った。「いまや戦争準備は完了した/戦車も大砲も戦艦も鍛え終った/格納庫には航空機/目くばせひとつで舞いあがり/空を暗くしようと待機している」(安達元彦作曲)は、「序詞 ドイツ軍の査問」をうまくアレンジされていた。
 「解題」に即してみた場合、今回の14のエピソードでも十分であったといえる。しかし、問題は、まず、短いエピソードが単純に流されたという印象をもったことであった。「法の発見」にきて、やっと芝居の中味が濃くなったと感じることができたし、後半の「ユダヤ人種の妻」でも感じた。それは、山内栄治、やまだたけし、かとうみちよという俳優の演技力によるところも大きく作用していた。
 しかし、構成上の問題として、1幕「法の発見」(20n分)、2幕「ユダヤ人種の妻」(8・5n分)を中心としたことである。ここでの疑問としては2つの作品、「白墨の十字」と「スパイ」がカットされたということである。それが「単純さ」という印象を与え、「市民の恐怖」が主題に溶け込めなかったのではないか、と思わせた。
 しかし、逆の見方をすれば、「一幕物」の「完成度の高い」ものを、あえて、留保することによって、全体の流れを「恐怖政治下」におかれた、さまざまな階層の市民像を描くことに焦点が当てられたということにもなる。
 2度みたことによって感じたのは、第1幕の最後「冬期救援」と第2幕の最後「豚に餌をやる農夫」に共通するものがあったことだ。それは「ハイル・ヒトラー!」で終わっていたことである。一般的には「国民の投票」で終わるのだが、あえて、「豚に…」にこだわったことである。「ハイル・ヒトラー!」ということばが、権力への忠誠の誓いとしていわざるを得ない状況下で、否応なく意思表示していく市民たちの感情にこめられた意図を見逃すわけにはいかないだろう、と思った。それは日本においても、戦時下における天皇への誓いとなんら変わらないものであり、今日においてもなお時代の危機意識は持たざるを得ない状況に置かれている。そのなかから選ばれた構成であることの、演出の意図を汲み取るべきだ、と思った。
 短いエピソードのなかでも、面白い部分はあった。そのひとつが「二人のパン屋」であ
る。囚人1と2による9行のせりふだが、今回は、金子捨次郎と川島柳一が好演、笑いをさそっていた。このように、存在感のある場面に仕上げられると、「流され」たというような印象はぬぐわれるものだといえる。
 あと、解明できない部分として、半仮面をつける必要があったのか、声の使い分けが必要だったのか、ということがある。さらに、「冬期救援」での動きの不自然さなども気になった箇所であった。そうしたことへの意見は今後の課題としておきたいと思う。

ある種の切迫感                   渡辺礼一(後援会員)
 
「第三帝国の恐怖と悲惨」今回もある種の切迫感をもって観た。十四の挿話のうち比較的長いものはその内容・メッセージが十分に伝わったと思うが、短いものが問題なように思った。翻訳劇のもつ難解さである。一つの台詞、単語のなかにいろいろな意味が含まれている。言葉で表現された象徴的意味をしっかり受け止めないと、第三帝国の異常さ、恐怖、悲惨というものが十全には観客に伝わらない。個々の挿話についての感想は一部にとどめる。「ユダヤ人種の妻」や「釈放者」は緊迫感があってよかった。ただ面白く、笑いが出たのは「法の発見」「勤労者の時間」などである。最初の「国民共同体」はわかりにくかったと思う。
 今回良いと思ったのは、一部の挿話での仮面の着用である。これは芝居の理解に効果的だったと思う。他の挿話にも多用できるのではないか。仮面をつけることが、それこそ「異化」効果としてはたらくように思われる。

胸にささる絶唱
          成田英世(後援会員)
 「第三帝国の恐怖と悲惨」の公演、実に骨
太で見ごたえのある作品でした。この芝居は誠に時宜を得たものであったと思います。
 第一話から第十四話まで多くの場面が連続して提示され、一つの「恐怖と悲惨」を表現する困難な仕事が要求されました。特に注目したものを列挙すると次のようになります。
 第五話「法の発見」、やまださんと山内さんの掛け合いが見事でした。やまださんの気弱い判事としての苦悩、不安と焦燥、山内さんの一人三役の異なる立場、身分の演じ分けが、開廷間際の息詰まるような場面での演技は秀逸。第六話「冬期救援」、渡辺さんの老婆が突撃隊員になぶられて、無力感にさいなまれる姿を好演。最後のハイル・ヒトラーの絶唱は観客の胸に深く突きささりました。
 第七話「ユダヤ人種の妻」、かとうさんが華麗なる復活をされた場面。長期間のブランクを感じさせない演技、自分だけの稽古を積み重ねられたのでしょう。以前の語尾上げの台詞回しの悪い癖が消えて、聞きやすい話法を自分のものにされました。ユダヤ人迫害の危険を目前にして、逃避する妻の立場、不安を、夫、知人、友人にさとられまいとする心の葛藤を、大きな体の動きなしに、話術、目の動き、微妙な表情によって表現する困難な演技を、余裕をもって演じられました。これからの更なる飛躍を期待します。
 第十一話「釈放者」、当局に検挙された後、釈放された仲間の訪問を受けて、仲間を売ったのではないかと疑い、尾行がついて来たのではないかと不安になる夫婦。自分を前と同じように遇してくれるか疑心暗鬼になる訪問者。三人が互いに目を合わせて、相手の心を読みとろうとする状態を微妙な演技で、山内さん前原さんやまださんが好演。第十三話「国民投票」、巧みな朗読で観客を引き込み、野山さん好演。
 芸術の秋に相応しい内容の公演でした。

レパートリイ勉強会のこと

     創立35周年をむかえた小劇場はこれからの 活動をいきいきとつづけるため
 みんなで上演作品をえらびぬこうと
  いままでのレパートリイの中から
  とくにすぐれている台本を吟味し
 いまの状況にふかく思いをよせ
  小劇場の特色をよりよくいかし
  時代と自分自身にするどく問いかける
 創造活動をきりひらくための勉強会をつづ けます 
 ひろくみなさんのご意見もいただきたく
     よろしくおねがいいたします
□14のエピソードからなる芝居。なかには難しいテーマもあり面白いという芝居ではないけれど、2時間という時間のなかで14という舞台の設定を変え演技を変えるのはとても大変なことだろうと思いました。

□客席もライトアップされステージと遮断されていないせいもあるが、硬質でクラシカルな舞台なのにも関わらず、すんなりお芝居の世界に入り込めました。演技は安定してレベルが高かったですし、装置も工夫を感じられました。個人的にはブレヒトを初めて見ることが出来、良い体験をさせてもらいました。

□多場面構成での着眼は楽しいが、印象が散漫となってしまうので、3場面〜5場面くらいにしたら深いものになると思う。美術は良く工夫されていた。演技も高いものを感じた。

□私はブレヒトの作品をはじめて見ましたので、新鮮な感動を覚えました。今回は一部ということで、一度きちんとすべてを見たいと思います。「法の発見」における判事役のやまだたけしさんと、刑事役ほか三役の山内栄治さん、そして「ユダヤ人種の妻」役のかとうみちよさんの演技や語り口に魅かれました。私自身、良し悪しは判断できないのですが、感動が伝わるか? 解りやすいか? 訴えられているか? などの観点で見ることにしました。作り手、演じ手の訴えようとする意義は芝居のなかで感じることができました。今の時代と重なって(小泉さんや安倍さん)不安に思うことも多くなるような……。また次の機会に見てみたい劇団の一つです。

□大変見ごたえのある作品であった。ショートショートながら、一話一話がずしりと重い。昔の戯曲をここまで見せる演出の技量もなかなかだ。古臭さを逆手に取って時代の雰囲気を出すのに成功していた。なによりも、今回の演劇祭に限らず、お手軽な戦争賛美の作品が目白押しの現代にあって、敢えてこの作品を板に載せる気概に敬意を表したい。普遍性ある作品は、いつでも人の心を捉えるものだし、古典を上演する意義もそのあたりにあるのではと思う。久々に芝居らしい芝居を見た。

□この演劇祭で指定鑑賞にならなければ、ブレヒトとの出合いは更に先になるか、永遠になかったかも知れない。休憩をはさんで2時間、大変面白く観劇した。この作品はエピソードの積み重ねから成り、全部上演すると超大作だが、今回はそのなかから14本の構成。セットはエピソードごとに役者たちが動かし、小さな舞台上に効果的に作り上げられていく。そのなかで、ユダヤ人種の妻、農民、子ども、囚人など、弱い立場の人たちを主人公に、ナチス統治下のドイツ国内の日々の生活が淡々と演じられていく。静かさのなかに戦争の狂気、独裁の恐ろしさ、滑稽さがひしひしと伝わり、改めて平和の意味を考えさせられた。池袋小劇場ではエピソードを替え何回か上演しているそうで、次回、別のエピソードで上演される機会があったら是非見たいと思った。
池袋演劇祭 
  審査員感想から(抄)

 夢 空 間
 木下順二氏の訃報に接して(11月30日朝)、氏の著作を本棚からとりだした人は少なくないだろう。ぼくはまず『木下順二集』終わりの十六巻の頁をめくりはじめた。その巻は「わが師わが友」エッセイ集である。はじめのほうに岡倉士朗氏について二篇、没年一九五九年と三〇年後八九年のものにまず心ひかれた。その中で木下氏は「岡倉さんは、しばしば見事なそれぞれの舞台を作りあげつつ、一方いつも模索を飽きず続けている演出家だった」というところだ。
 演出者岡倉士朗は戦後すぐ、ぶどうの会、第一次民芸に参加して以降、『山脈』『夕鶴』『風浪』をはじめ一九五九年に没するまで、木下順二の作品のすべての演出者であった。そして四八年、舞台芸術学院創立時からの講師でもあった。その九月一五日付(創立三日目である)で「舞芸講義メモ」が遺されていて、その中に“教える人と教わる人(人間関係)(対人関係)、演出家と俳優(演技修業者)の卵が一つの部屋にいる”との書き出しで、つまり、戦後始まったばかりの本格的な演劇教育の困難さを率直に綴った、いかにも岡倉さんらしい人柄がしのばれるメモであった。お人柄にも惹かれたが、木下戯曲の演出者として、上演される舞台(オペラや歌舞伎などを除いて年譜による)をほとんど見てきたぼくは、先輩演出者としていつも模索を続けた岡倉さんには特別な親密感と尊敬を持ちつづけてきた。
 岡倉邸の近所になるのだとぼくが練馬に越してきたのは、氏の葬儀の日二月二五日だった。
 ところで、死ぬ日まで「演出者は俳優の中に死ぬ」といっていた岡倉さんの「模索」の目標は自立した演技者を成立させることだったにちがいない。道半ば倒れた岡倉さんの最良の演出は第一次民芸の『山脈』だった、とぼくは思う。それにしても、これまでの木下戯曲と岡倉演出、そして俳優たちとの関係をふくめて、どう舞台に実現されていたのかを検証してみたい気持ちがいまとても強くある。
 訃報はいまぼくの脳の中を混乱させ、戦後六〇年の年月の間を右往左往させる。だけど、ぼくにとって四九年三越劇場の『山脈』の舞台は、なんといってもたしかに、ぼくの戦後、そして演劇修業の出発点だったことに思いいたるのだ。木下作品は、世界には努力してもよくみえないものがあることを教えてくれた。
 ここで、ぼくはこれまで上演許可をいただいて演出としてかかわった、木下順二氏の作品の系列を木下順二集第十六巻の「著作年譜」によって列挙して、その一つひとつをかみしめてみることにしよう。そして、氏を偲ぶことにしよう。

 関きよし演出による
  木下順二作品リスト

*和尚さんと小僧さん、三年寝太郎(かもの会 一九五五年)
*彦市ばなし(舞芸みつばち座 移動教室 一九七〇年)
*山脈(舞芸本科19期 俳優座劇場 一九七〇年)
*阿詩瑪・二十二夜待ち・瓜子姫コとアマンジャク・山のせいくらべ・おもん藤太・聴耳頭巾・竜が本当に現れた話・木竜うるし(舞芸実習科 一九七五年〜七九年)
*瓜子姫とアマンジャク・二十二夜待ち・おんにょろ盛衰記・赤い陣羽織・花若(劇団スピカ 一九七六年〜七八年)
*でれすけほうほう・見るなのざしき・大工と鬼六・なら梨とり・たぬきと山伏・わらしべ長者・ガニガニコソコソ・天人女房・腰折れすずめ・豆コばなし・こぶとり・うばっ皮・みそ買い橋・ツブ息子・山のせいくらべ・あとかくしの雪・かにむかし(池袋小劇場一九八六年〜 )
*ジャックと豆のつる・ちびちびっと・怠けもんのジャック・三人のばか・おばあさん
と子ぶた・脳ミソを少々・ヘドレイの牛っ子・ジャックと黄金のたばこ入れ・世界の果ての井戸・だんなの中のだんなさま・巨人たいじのジャック・とうもろこしパン・ろばとテーブルとそれからこん棒・フォクス氏・さかなと指環・ノロウェイの黒い牡牛(イギリス民話選より)(池袋小劇場 一九八一年〜 )
*赤い陣羽織(池袋小劇場 一九九六年十月 ロシア・オムスクドラマ劇場)
*夕鶴(韓国・ソウル西京大学日本語学科 二〇〇三年八月 日本大使館文化院)


訃報と
   木下順二集第十六巻

 関きよし
07年上演候補作品(第一次 )

カミュ作   誤解 07年2月上演
フィゲレド作 狐とぶどう
アトラン作 ムッシュフューグ
         または陸酔い
ミラー作  るつぼ
記録(06年9月〜12月)

9・5 月例会 「第三帝国―― 」稽古つ    づく
  7 劇塾 「クレーンオトコ」即興演技
  9 としまアートキャンパス 関講師     (4回)
  28〜10・3 「第三帝国の恐怖と悲惨」
    池袋小劇場 4Fホール 9回
10・3 [第三帝国――]打上げ会
  7 宮岸泰冶さんを偲び「女優山本安英」    刊行の集い 東京芸術劇場
10 月例会 「第三帝国――」反省会
11 レパートリイ勉強会始まる
16・18 勉強会「誤解」
20 第18回池袋演劇祭打上げ会
23・25・30・31 勉強会「狐とぶどう」
11・7 月例会 07年スケジュールなど
  13・14 「ムッシュー・フューグ」勉強    会始め
27 勉強会「るつぼ」始め
12・5 月例会 07年予定・上演作品検討
    劇塾「クレーンオトコ」稽古
  19・20 夢空間を語る望年の集い
    劇塾「クレーンオトコ」楽隊付試演    4Fホール
  27 大掃除・納会