池袋小劇場機関紙  No.97
2005年1月1日発行
発行所  池袋小劇場
発行責任者   関 きよし

編  集   池袋小劇場編集部

l71-0014東京都豊島区池袋2-3-5
TEL03-3986−2040
FAX03-3986−1278


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No.97

ソクラテス
やまだたけし

ケファル
山内栄治

アギッリイー
金子捨次郎

フェドン
坂井浩

クサンチッペ
前原礼子

ゴールギー・牢番
川島柳一

ミレナ
大橋真琴
コーラス
神本十兵衛

ソクラテスの弟子渡辺典子


クサンチッペとあの男―
何と言ったっけ、ほら…」

に出演する

金子捨次郎さん――

池袋小劇場の創立メンバー。今日、現役で活躍しているのはこの人だけ。落ち着いた雰囲気のなかにある気迫は貴重な存在です。
「大学を卒業して、大企業の社員になってから、舞台芸術学院で学びました。
きっかけは企業内で挫折感をもったとき、ある劇団の舞台をみて、文化っていいなあと思ったことです」
舞芸を卒業すると同時に池袋小劇場を旗揚げ。1971年の春、14人で結成。秋にはゴーリキーの「どん底」を公演。これが初舞台。巡査のメドベージェフに。

「年齢以上の役だった」と振り返ります。「大きな舞台に立つこと自体はじめてだったし、我夢中でしたね」。この舞台が俳優修業の原点となりました。
「演劇にめざめたのは、やはり、舞芸で関きよしさんに出会い、劇団をつくってからでしょうね。演出に関さんを迎えて、プロをめざすためには、優れた作品を上演して、俳優修業の場にしていこうと思っていたんです」
「関さんの芝居にかける情熱に引っ張られてしまう。その魅力なんでしょうね。最近、稽古をしていて実感として解かるんですね。ある意味で関さんは芸術の鬼でしょうね」
昨年の「クサンチッペ…」では、体制側の人物アギッリーを演じました。「充実した貴重なときをもつことができました。生活のすべてを芝居=稽古・公演に向けて動いてきました。稽古は正直いって不安と緊張を抱いて迎えましたが、稽古の途中でふと感動することがありました。それは、新しい発見を教えられたときですね」大判のノート『何でも記』には、稽古場でのやりとりがすべて克明に記されています。そのことばを糧に、再演でも同じ役に挑みます。「前回は初日直前になってデッサンができたようなもので、本番でいろづけていく状態でした。楽日で終わりという気持ちにはなれなかった。再演は捲土重来で、前回できていないことに挑戦するつもりです。せりふを覚えるだけでなく、深い意味を読み取ることが重要です」住まいのある茨城県河内町からは二時間以上を費やして稽古場にかよっています。地元でも福祉と文化の活動を中心になってすすめています。水泳で体力づくりに励む61歳。「いまやっていることが、将来、いい芝居に参加できる準備だと思っています。」 (Z記)

サムイル・アリョーシン 作   五月女道子 訳

演出 関きよし/美術 幡野寛/照明 川崎ひろし/音響 松尾慧

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入場料 前売り:2500円/当日 :2800

「クサンチッペと…」の出演者

再演参加の弁        神本十兵衛

「再演」に、前回と違う役で参加するのは、かなり覚悟が要る。単純にいって、前回と同じ役で出る役者さんが、さらに深い演技をめざすなかで、初めてスタート台に立つのだから。おっと、これは予防線とちられるかな?
それでも今回与えられた「コーラス」という役は難しい。いったい何者なのだ、お前は? 劇中「私は三枚の皮がとれる牛だ」と自己紹介するセリフがある。「三枚の皮」? 普通一頭の牛からは一枚の皮しかとれないが、私は三回も皮をはぎとられるほど酷使されているという意味なのか?

それともお前は一人で三人分の役割を担っているんだぞという暗示だろうか? もしそうなら、一人は作者の、一人は観客の代弁者で、あとの一人はこの二人を監視する体制の代弁者なのか? そもそもコーラスはソクラテスの味方なのか敵なのか? いや、ひょっとすると作者アリョーシンは、自分がこの本で書けなかったセリフを彼にいってもらいたいんじゃないか? などと考えあぐねている。

「いや、役者は考えるな! 感じろ!」と演出家はいうのだが……。

クサンチッペとあの男ー
なんといったっけ、ほら…

「井上印★場面缶詰」

(9月25日〜10月3日上演)

池袋演劇祭で演劇祭賞受賞

(豊島区町会連合会会長賞)

16回池袋演劇祭で区民審査員が各公演を鑑賞し、採点及び感想を記入した採点表のコピーが送られてきた。氏名・採点については伏せてある。今後の劇団運営・活動の参考になればとのこと。前年度と同じく小劇場機関紙に感謝をこめて転載させていただく。(抜粋)

と二人で鑑賞しました。81歳になる父は「井上ひさし」さんファンで、長生きはするものだ…と感無量の思いだったようです。自然に大いに笑ってしまい、これはもう役者さんのうまさに他ならぬもので、最終的にはやはり役者だなと、改めて確認いたしました。今後も拝見したいと思いました。ありがとうございました

にかく面白い! の一言です。次から次へと場面が変わっていくのに違和感がなく、引っ張りこまれて、すっかり劇中に。今回は井上ひさし氏の作品のオムニバスということですが、17作品1作1作を観てみたいという気持ちがフツフツと湧き上がっています。本当に面白くて楽しく、友人、知人に「是非観て!」とすすめたい作品でした。


リフの洪水にまずびっくりしました。同じ役者さんが出てきて、あれ、先の内容のつづきかな? と思うと、また別の新しい物語だったりして、とても新鮮でおもしろい舞台でした。心が浮き立つような時間をもてました。心より芝居を楽しむことができました。

上、まさに言葉の機関銃である。次々と飛び交う言葉の弾は、観客を井上ひさしの世界に無理やり引き込んでしまう必殺の攻撃です。これに怯まず観客も一生懸命、一言も聞き漏らすまいと、前のめりになって聞き入っている姿は、格闘にも似たような雰囲気を醸し出しています。女座長の口上から始まって17作品のシーンはどこでつながりどこで切れているのかわからない、それほど早い展開です。オムニバス、映画やラジオ等でよくもちいられる手法。いくつかの短編を並べ、ひとつの主題を導く作品。これを約20年前に一人の作家の作品だけで作り上げたということは、本当に大変だと思います。井上ひさしという作家のキパ、才能、そして多様性を一挙にみせつけられた作品です。 

技力という点では今回の演劇祭の私が見たなかで、一番濃密だったように思う。今回、さまざまな舞台を見て思ったのは、芝居において身体の動作より、表情より、「声質」というものが本当に重要だと思った。あくまで私的な観点だが。このセリフの嵐あらしの芝居において、女性キャストの声の芝居がとてもよかった。男性キャストも個性的で見ていて面白かった。

「井上印★場面缶詰」拝見記

成田英世(後援会員)

題名とおりの「場面の缶詰」で、大変に忙しい芝居となりました。その観劇過程をちょっと角度を変えて表現すれば、ダリとかデルボーとかマグリットといったシュールレアリズム絵画を、井上ひさしというナイフで小片に切り裂き、元の一枚の絵画に復元するという困難な作業のようなものでした。苦心惨憺してようやくできた復元も、解釈が分かれるミステリアスなシュールというわけです。
 それにしても、以前にも難解なブレヒト物に敢えて挑戦したり、今回の「缶詰」にしても、演出家・関きよしさんのあくなき探究心には頼もしさを感じます。
 しかし、この芝居は大きな賭けといえましょう。復元できずにバラバラで終われば大失敗に終わり、見事復元できてもシュールの解釈をめぐって芝居の出来、不出来に見方が分かれる可能性があります。関さんは「再演にあたっての口上」で、「行きつくところは、やはり、『人間の未来に期待をもとう』」と述べられていますが、私自身は、結果として、そこまでは行きつけませんでした。
 とはいうものの、観劇後の印象は悪くありませんでした。主演者のいない、いわば全員が主演者のような構成でしたが、そのなかでも、当日の配役でキラリと光る演技をした人は、山内、前原、小川、小島、渡辺の諸氏でした。もちろん、全員の皆さんに惜しみなく喝采をおくります。

……小劇場のとりくみは、この井上戯曲の「ことば」を身に浴びながら「ことば」をはねかえし、身体表現とのぶ

つかりを通して、自分たちの「人間存在」を問うものと感じた。実験的であるとともに、それをつきぬけた舞台世界をつくろうとするねらいのようにも思われたのだけど――

……個々の人間の、社会での経験はあまりにも複雑すぎ個人的すぎて、認識することは困難だ。その総体をひとつのビジョンでとらえ認識するなんて出来っこない。それにすこしでも近づくにはいわゆる「叙事的演劇」によるしかないと考えるわけ。その手がかり、方法を探るには十八年前初演のこの台本がぴったりと信じて“叙事的に!”といいつづけて稽古をしていた。

……各場面の印象は、二〇場が三つのグループに分かれるように思う。@かなり長い場面(「たいこどんどん」「雨」「化粧」など)は観ていると、論理的な力が働いていて場面の展開に興味がわく。それだけでは欲求不満が生じる。A短い場面で作者そして上演者の工夫が加わって面白かったもの――「ことば」の設定、働きが端的にうけとられた(「乃木将軍」「ノミの仇討」など)。B1と2の中間で、理解が中途半端で終わってしまうもの。場面としてはまとまっているが、全体の流れとのつながりが

とられた(「乃木将軍」「ノミの仇討」など)。B1と2の中間で、理解が中途半端で終わってしまうもの。場面としてはまとまっているが、全体の流れとのつながりが把握されず、「ことば」だけの役割で流れていってしまう気がするのだが。

……たしかに役割は「ことば」にある。それぞれの場面は尻切れとんぼだったり結末を告げていない。大事なことは、すべての場面は静止しているのではなく、動きつづけて、何らかの変化が起こっているということだと思う。まさに世界は回っているのだ。せりふを語るだけでなく出来事・人物で示して見せる。そこで他のエピソードとのつながりを感じることができる。結論はいらない。

……役者の表現のレベルも高くアンサンブルも評価できる。ただ各場面の連鎖がひきおこすエピローグでいう「だからだれでもが小さな火花になるべきだ…」としっくり結びつかなかった印象だ。役者が火花として成り立っていたとはいえない。

……エピローグは観客へのメッセージと受け取らないでほしい。各場面をやりぬいた役者が結末まできた時点での「自己確認」というか、心の中でのつぶやきだ。前の場ときちんと切れる必要ありだな。難しい。

……演技について若干ふれると、短い場面でいくつもの役をやっている。その表現の面白さと同時にとりくんでいる「役者自身」の人間的ありようを感じとることになった。私の観た舞台では小川・小島・渡辺・野山に「人間存在」を感じ快かった。とくに山内・山田・前原などは「自分をこえる役割を期待したい。その他、@舞台にもっと金がかけられないか A他の劇場で上演する機会はつくらないのか B関さんにつづく演出者はどう用意されているのかどうかなど。

………………

よしだはじめ君(土の会)との
問答
 
 

関 きよし