池袋小劇場機関紙  No.98
2005年6月9日発行
発行所  池袋小劇場
発行責任者   関 きよし

編  集   池袋小劇場編集部

l71-0014東京都豊島区池袋2-3-5
TEL03-3986−2040
FAX03-3986−1278


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No.98

よしだはじめ君(土の会)との
問答
 
 

関 きよし

「稽古のためのアンティゴネー」に

出演する

―― 渡辺美英子さん

 アンティゴネーといえば、ギリシャ神話でテーベ王オイディプスの娘。今回の舞台はソポクレスが描いた悲劇をもとにした赤木三郎台本の「稽古のための…」というタイトルがつけられたものです。
「いま、思っていることは、コロスの芝居という約束が大前提としてある訳で、コロスがそれぞれの役にるのかということかもしれない。すべての場面で、つまり芝居全体を通して、コロスがどういう存在の仕方をするのかということが大切な問題のように思われます」

たしかに登場するのはコロスの長(演出家)と6人のコロス。渡辺さんはコロス2の役。 「コロス1と2はアンティゴネーとその妹イスメーネーの役という設定です。しかし、この二つの役が入れ替わって、同じせりふを違った形で表現する場面などが多くあります。一週間でせりふを棒暗記してこいといわれて、けいこで立つと感情が入りすぎだといわれたりして、アプローチの仕方がつかみきれなかった」
役者はせりふからはいるとか、形からはいるとか、よくきくことです。
「芝居をやるとき、自分なりの納得できる考え方をもたないと前にすすめないということがある。いつも、頭で考えるな体で 演じろ、といわれています。この芝居は『いま我らは病んでいる』ということを浮き彫りにするテーマを持っています。権力と愛は両立できるのか、人間とは何か、国とは何か、といったことを問いかけています」
社会福祉・児童福祉の仕事を捨てて、岩手から上京。役者になったのは40歳を過ぎてから。夫や子どもたちからも励まされての遅い出発でした。池袋小劇場へは「赤旗」の募集広告をみての応募でした。
「 芝居が好きで、文化座の鈴木光枝さんのようになりたいと思っていました。池袋小劇場にはいるとき、食べていけませんよ、といわれたが、私はやりたいことがやりたくて、とこたえました。それで採用。入団当初は、わけのわからん芝居をしていてお客が喜ぶのかと、なじめなかったですね。『むかしあるときあるところ』の巡演があって、けいこは辛かったですが、ここに腰を落ち着けるきっかけになりました。芝居の面白さがわかってきたんですね」
「貧乏物語」や「セチュアンの善人」などで存在感のある演技をみせていました。「ど素人で芝居をやりたいという夢みたいな青臭いことをしてきた人間」にとって、関演出は「芝居のなかに意外な面白さを創り出している数少ない存在」といいます。

いま、安保体制打破新劇人会議でも若い人たちとともに活動しています。「演劇人として、社会的、政治的な発言をきちんとしていかなければならない」と、意欲的です。             (Z記)

池袋小劇場6・7月試演   演出 関きよし/音楽 安達元彦/    2,000円

ソフォクレース作による赤木三郎台本

「アンティゴネー」の解説

*原作の登場人物

アンティゴネー テーバイの先王オイディブースの娘。ポリュネイケース、エテオクレースら二兄弟の妹。

イスメーネー   アンティゴネーの妹。

クレオーン   ポリュネイケースら四兄妹の叔父。テーバイ王となる。

エウリュディケー  クレオンの妻。

ハイモーン   クレオーンの息子。アンティゴネーのいいなずけ。

テイレシアース   めくらの予言者。

番兵   ポリュネイケースの遺骸の番人。

テーバイの長老たち。

クレオーンの家来たち。

オイディブースは神秘的な死をとげたが、これに先だって二人の息子ポリュネイケースとエテオクレースに対して、互いに相手の手で殺されるように呪いをかける。みずから二度までアテナイのために出陣した経験をもつ老劇作家ソフォクレースは、名誉のために決然と立ち、部下の士気をはげまし、自分を待つ運命を知りながら雄々しく死地におもむく武人ポリュネイケースを、悲劇的な英雄として描き出しているのである。
 さて、呪いは実現し、兄弟は相まみえて倒れた。この『アンティゴネー』の物語は、その翌朝の夜明けにはじまる。運命の手はクレオーンをテーバイの王としたが、かれは王者の器ではなく、即位とともに暴君と化した。ここで問題となるのは、テーバイには謀反人ポリュネイケースに対して、埋葬の礼を行うべきかどうかということだった。小人物クレオーンはこれを拒んだ。しかし、古代人の良心はこぞって、このような冒涜的な決定に対して、戦慄を感じたことであろう。アンティゴネーは完全と暴君の命にさからった。
 アンティゴネーはソフォクレースのすべての劇中の主人公同様、一つの「内なる光」に導かれている。この劇のかかげる問題は、個人の良心が危険をおかしてまでも権威への不服従を命ずるのは、いったいどんな場合か、ということである。これはすなわち、人生そのものの主題である。

 ソフォクレースはこの劇を書くにあたって、民主主義は個人の良心の総体的表現であって、独裁者のいかなる王権神授説よりも、信頼すべきものだというこ
とを信じて疑わなかった。


(H・Rジョリフ「ギリシャ悲劇物語」内村直也訳より)

7月「七人の俳優で演ずる二部100分のハムレット」

W・シェイクスピア作 小田島雄二訳 赤木三郎台本

15日7時16日2時7時17日2時7時18日2時

依田英助

沼田恭枝

前原礼子

山田たけし

渡辺典子

金子捨次郎

渡辺美英子

山内榮治

かとうみちよ

大橋真琴

岡部ささら

坂井浩

伊礼妙子

清水良太

森脇アキラ

大西恵介

6・7月試演の出演者たち

「ハムレット」について

なにを、またいかに異化すべきかは、その出来事全体に与えられる解釈に依存している。そしてこの解釈の際に演劇は、その時代の関心事をつよく認識することができるだろう。こうした解釈の一例として、『ハムレット』という古い脚本を選んでみよう。いま私がこれを書いている、この血なまぐさい陰惨な時代、犯罪人のような支配階級や、絶えず悪用される理性に対する疑惑の増大を考えあわせると、この脚本の筋は次のように解釈すべきだと私は信じている――時代は好戦的である。ハムレットの父デンマーク王は、勝ち進む侵略戦争でノールウェー王を殺した。その息子のフォーチンブラスが新しい戦争の準備をしている時、デンマーク王が殺されたが、その下手人は王の弟である。そこでこの殺された二人の王の弟たちがそれぞれ王位につき、ノールウェー軍隊がポーランドに対する侵略戦争のためにデンマークの領土通過することを許す協定を結んで、戦争を回避しようとする。ところが若いハムレットは、好戦的な父親から、自分に加えられた悪業の復讐をしろと迫られる。血なまぐさい行為に対して、もうひとつの血なまぐさい行為で答えることを何度か躊躇した後、そればかりか進んで流謫地に行こうとさえしていた時、ハムレットは、軍隊をひきいてポーランドに遠征しようとしている若いフォーチンブラスに海岸で出会う。その雄々しい例に圧倒されて、ハムレット王子は国にひっかえし、野蛮な決闘によって、その叔父、その母、自分自身を殺し、デンマークをノールウェー人の手にゆだねる。こうした出来事を通じて人々は、まだ若いとはいえ、もう一人まえになった人間が、ウィッテンブルグの大学で手に入れた新しい理性をきわめて不十分にしか利用できないでいるのを見る。理性は、ハムレットが、ふたたびそこへ戻って行く封建的な任務を処理するにはなんの役にもたたない。非理性的な実践にぶつかると、かれの理性はひどく非実践的なのである。こうした理性の追求と行動との矛盾の犠牲になって、ハムレットは悲劇的な最期をとげる。この脚本にはまだほかにもいろいろの読み方はあろうが、こうした読み方をすれば、きっと現代の観客の興味をひくだろうと、私は考える。

(ブレヒト「演劇のための小思考原理」 千田是也訳より)

コロスの長 (演出家)           依田英助

コロスの1 アンティゴネー イスメーネー  前原礼子

コロスの2 イスメーネー アンティゴネー  渡辺美英子

コロスの3 クレオーン ハイモーン     山内榮治

コロスの4 番兵 使者 エウリュディケー  沼田恭枝

コロスの5 テイレシアース 子ども     山田たけし

       金子捨次郎

コロスの6 子ども テイレシアース     渡辺典子

       かとうみちよ

『稽古のためのアンティゴネー』配役

試演「七人の俳優で演ずる二部100分のハムレット」の出演者たち

1 かとうみちよ
 2 大橋真琴・岡部ささら

 3 伊礼妙子・坂井浩

 4 山内榮治・清水良太

 5 森脇アキラ・金子捨次郎

 6 渡辺美英子・前原礼子

 7 大西恵介・山田たけし

       順不同ダブルキャスト

『クサンチッペあの男ーなんと言ったっけ、ほら・・・』 1月公演から

命を賭けるソクラテス

岡田恒雄(明星大学教授)

ソクラテスは紀元前399年、青年たちを腐敗堕落させているとの告発を受け、死刑判決を受けたが、彼は法を守り判決どおり毒杯を仰いで死んだ。彼の首尾一貫した言行は弟子のプラトンの著作『ソクラテスの弁明』などから知ることができる。死を前にしてなお揺るがぬ信念。それをロシアの劇作家アリョーシンは見事にドラマ化した。
 ストーリーは、ソクラテスとケファル、ミレナとクサンチッペ、ソクラテスとクサンチッペ、のように、ほぼ一対一の対話から成り立っている。これは、対話の哲学者ソクラテスのドラマにふさわしい。初演を見たとき、これは池袋小劇場の財産になると思った。
 池袋小劇場の「クサンチッペとあの男…」の魅力は、ソクラテス役のやまだたけしのひょうひょうたる演技にある。ソクラテスその人のような風貌、気負うことなくまるで他人ごとのように冷静に自分の死を語る語り口。今回の再演ではいっそう磨きがかけられた。対するクサンチッペ役は前原礼子、池袋小劇場の看板女優。ソクラテスへの愛情がひしひしと伝わってくる。ただもう少し怖さ、凄みがあれば、その奥にある夫への愛情がもっと鮮明に出てきたのではなかろうか。看板俳優山内榮治が、ソクラテスの敵ケファルを演じた。心のそこではソクラテスを尊敬しているという心理の綾をうまく出していた。一人だけのコロス(神本十兵衛)がソクラテスたちと我々現代人の橋渡しをしてくれる。この語りは重要だ。今後とも上演を重ねてほしいと思う。

クサンチッペに拍手
 成田英世(後援会員)

今回は再演、少し方法を変え、クサンチッペに焦点を当てて、じっくりと見させていただきました。二〇年も夫に連れ添い、三人の子どもをもうけたクサンチッペは、夫が信じるところに従って生きることへの全面的援助を与えて己きたし、夫もそれを認め感謝していたというところが、真の姿だったのではないでしょうか。
 演技上それがどのように表現されたかですが、前原さんのクサンチッペは前回の力みすぎて失速しかかった情況から完全に脱出して、肩の力をまったく抜いた緩急自在のやわらかい動きを発揮してくれました。大声や大きな身体の動きの中にそっと秘められた思いやり、愛情、自制、祈りといった心の動きが、小憎いほど、表情や動作に示されて、クサンチッペの本当の人格が浮き彫りになりました。その究極の場面は集会場に、夫の姿を見たとき、彼女は夫に立派な死に場所を与えてやることが、夫に真の愛を捧げることになると、心に決めているといった正に息詰るような高度の演技を見せてきれました。おおきな拍手をおくります。ソクラテスの山田さん、ケファルの山内さんも前回にも増して好演でした。ミレナの大橋さんが非常に素直な演技で、将来の可能性を大きく示唆しました。

Y……「クサンチッペ…」は、前回より前進した舞台で、作品のよさを再確認した。「対話」が簡潔で単純化されて、かえって豊かで多層なイメージをうみだしたと思う。

S……初演は04年4月、あれからいろいろなことがつづいた。教育基本法で愛国心や公共心が話題となり、イラク人質事件で自己責任が出てきたり、事件・災害・事故がめまぐるしく起きた。個人・集団の価値観、心のあり方を誰がどう決めるのかなど、観客も演じる方も意識せざるを得ない情況であった。

 Y……権力とはいかなるものか、愛のありようなども作品に内在させている。その力が役者のことばと行動を明確にした。1、コーラス役が観客に親しみを感じさせた。2、ソクラテスは自分を生かした自由さがあった。3、クサンチッペは自分の語る心の動きが伝わり表現の豊かさが生じた。4、ケファルは自分の思いを相手にきちんと伝えた。臆病さ傲慢さ愚かさ低俗さ孤独感などが無責任に露呈されてもいい。彼は複雑さをもって描かれており、権力の実態と恐ろしさを具体的に深く体現した。5、ミレナは適役で、役の流れをよく創っていたが、すべての人物にからむから、それぞれを納得させる強さがもう一歩というところか。簡単に印象的感想を述べたが、これは小劇場のすぐれたレパートリィだから、時間をかけて大事にしてほしい。

S……戦後六〇年、まるまる生きたぼくは、「戦中体験と戦後の出発」というエッセイ(『悲劇喜劇』4月号)を書いたことで、あなたとより深く立ち入った話をつづけているが、おかげでこれまで無自覚にやってきたことや狭い視野から偏った見方をしていることに気づかされている。

 Y……私も戦中戦後体験は決定的に重さをもっている。その時代を十五年戦争が始まった一九三一年、いわゆる満州事変から、一九六〇年安保闘争の時期まで約三十年と考えます。そして劇作家久保栄と木下順二に特別な関心をもっていて、関さんとの対話もそこから始まったはずです。これからは、ずばりテーマを「戦後演劇」としましょう。いきなりですが、関さんは木下順二の「山脈」や、特に実験作である「暗い火花」「蛙昇天」「東の国にて」を小劇場で上演する気はありますか?

S……木下作品は、舞台芸術学院の卒業公演で一九七〇年「山脈」をやったことがある。小劇場では創作民話の舞台化をつづけてきたが、いまやってみたいのは「瓜子姫とアマンジャク」、それと「おんにょろ盛衰記」というところ。

戦後六十年に


6月「稽古のためのアンティゴネー」

9日7時10日7時11日2時7時12日2時