第8日目 平成15年8月16日(金)
(地図)

積算計 7319KM
 金倉寺(76)(キンゾウジ)からスタートした。善通寺からは町中を通って約5キロでついた。
写真ご朱印 もともと道善寺といわれていたが、928年に醍醐天皇に勅命に寄り、金倉寺と変えた。明治31年から 3年間、乃木将軍が善通寺第十一師団長を務めたときは、金倉寺の客殿を仮住まいにした。数々の遺品が 保存されている。

道隆寺(77)(ドウリュウジ)まで約5キロ
写真写真 ご朱印 712年当時、この辺の領主であった和気道隆氏の名前から寺号となった。本尊の薬師如来は、胎内に もう一つの如来像があることから、「腹ごもり薬師」とか「二体薬師」とも呼ばれる。50年に一度しか 開帳されない。次回は2033年だそうだ。この寺は別名「眼なおし薬師」とも呼ばれている。

郷照寺(78)(ゴウショウジ)まで約8キロ
写真ご朱印 郷照寺は725年に行基によって創建。815年に大師が、尊像を彫って厄除け祈願をされた。 八十八箇所で唯一、宗派を超えた寺らしい。また大師の法灯を絶やすことなく続いている。本尊は 鎌倉時代の作といわれている。本堂は1999年に大修理を終え、また大師堂は大正時代に再建されたもの。

天皇寺(79)まで約8キロ
写真写真 ご朱印 810年、大師が薬師如来を彫って、寺を建立したと言われている。1156年に保元の乱に敗れた 崇徳天皇は讃岐の国に流されていたが、この寺にもよくこられたという。上皇はこの地で崩御、 棺はこの寺に安置された。崇徳上皇社を建立し、この寺は神宮寺となった。天皇ゆかりの深い寺として 天皇寺とも呼ばれるようになったのだという。

国分寺(80)まで約7キロ
写真ご朱印 741年に聖武天皇の勅願により、諸国に建立された国分寺の一つ。讃岐国分寺である。かっては広大な 寺域を持つ大寺院であったという。現在、堂跡の礎石が沢山境内に残っている。本尊の十一面千手観世音菩薩 は開帳されない秘仏である。本尊には落書きがあり、室町時代に遍路がきていた証拠が残っているとか。また 梵鐘は創建当時のもので、四国最古級とされ、重文指定。

白峯寺(81)(シロミネジ)まで約14キロ
写真写真 ご朱印 五色台の一つ、白峯の中腹にある札所。本尊の千手観音は「身代わり観音」として人々を災難から救うものとして 信仰を集めている。本堂と大師堂は百段以上あろうかという急な石段を登った山腹にある。石段の途中には 阿弥陀堂、行者堂などがある。

根香寺(82)(ネゴロジ)まで約8キロ
写真写真 ご朱印 入唐まえの大師が、五大明王をまつり、花蔵院を建立した。また832年に智証大師が不思議な香りを持つ 霊木を刻んで千手観音をつくり、千手院を創建した。この二つの院を総称して根香寺とした。本尊の千手観音像 は桜の一木造りで国の重文である。33年に一度しか開帳されない秘仏である。

一宮寺(83)(イチノミヤジ)まで約15キロ
写真ご朱印 一宮寺は当初、隣接する田村神社の別当寺だった模様。明治の神仏分離で分かれた。いまでも 山門は田村神社の鳥居と向かい合っている。参道には薬師如来の小さな祠がある。「地獄の釜」と呼ばれ、 ここに頭を突っ込むと、ゴーという地獄の釜の音が聞こえるという。心がけの悪い人が頭を入れると、 頭が抜けなくなるといわれている。

屋島寺(84)まで約17キロ
写真写真 ご朱印 屋島寺に至るドライブウエー(430円)からは壇ノ浦が一望できる。景色の良いところである。 香川県を代表する景勝地という。屋島は約800年前に源平合戦の舞台となったところ。合戦に まつわる品物が多数保存されている。境内にある「蓑山大明神」は日本三大名狸の一つ、「太三郎狸」 を祀る神社もある。家庭円満、縁結び、水商売の守り神として信仰を集める。

八栗寺(85)(ヤクリジ)まで約8キロ
写真写真写真 写真 ご朱印 ふもとからケーブル(800円)で五剣山の中腹にある八栗寺に向かう。大師の当時、ここから八ケ国 が望めたため、八国寺と呼ばれていた。大師は入唐前に、八つの焼き栗を山中に埋めた。帰国して 栗が無事に育っているのを見て八栗寺と名を改めたという。大師作の歓喜天は高さ15センチの 黄金の像で、50年に一度見られる秘仏である。

ではケーブル¥900払う。 志度寺(86)(シドジ)まで約7キロ
写真写真 ご朱印 志度寺は625年創建といわれ、札所の中でも古い。尼が浜に流れ着いた霊木で本尊を彫りお堂を 建てて開いた。また3000坪の庭園があり、京都竜安寺の石庭をつくった細川勝元が完成させた 枯山水の庭がある。

長尾寺(87)まで約7キロ
写真写真 ご朱印 長尾寺は739年に行基が道端の柳の木で聖観音を彫り、安置したのが始まり、高松藩主の松平頼重に 庇護され、松平家の祈願寺となった。現在の本堂は彼が再建したものである。本尊は度重なる火災にも 残り、秘仏として祭られている。また源義経の側室の静御前が得度した寺とも言われ、遺品が残っている。

大窪寺(88)まで約18キロ
写真写真 写真写真 ご朱印 大窪寺は遍路の最終地点で、結願時である。海抜787メートルの矢筈山の山腹にある。本尊の薬師如来は ホラ貝を持っていて珍しい。このホラ貝は全ての厄難諸病を吹き払うとされる。大師堂の横には、八十八箇所 を巡りおえた遍路が奉納した金剛杖を納めた寶杖堂がある。この大窪寺には、原爆の火とか 変わったものがおかれていた。

 今回いろいろ苦行難行もあった。何度も土砂降りにあった。バイクでの土砂降りはきつい。気持ちが 萎えてくる。寂しい山中行もあった。しかしこれで念願を達成することが出来た。 なんとも晴れやかな、そしてほっとした気持ちになった。この達成感は経験した人でないと分かって もらえないと思う。今回のお参りで、何回もお遍路している人にあったが、その気持ちが 分かるような気がしてきた。多分この気持ちが、次もお遍路に行こうという原動力になるのだと思った。
(給油 高橋石油 12.6L @101 ¥1337 オド246.4KM)

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