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由緒記

今宮神社(元今宮坊・八大宮)略記

一 役行者、八大龍王を祀る

 当社には古代より龍神池と言われる霊泉があり、ここに伊邪那岐・伊邪那美の二神が祀られていました。大宝年間(701~704)、役行者(えんのぎょうじゃ)が飛来し、神仏混淆を旨とする修験の教えを広めるとともに、この地に宮中八神と、観音菩薩の守護神である八大龍王を合祀し、以後、明治維新まで『八大宮』と称するようになりました。  八大龍王神は『水』をつかさどる偉大な神であり、生きとし生けるものすべてに『生命のおおもと』(生きる力)を授けるという素晴らしい御神徳をお持ちです。当社において毎年4月4日に執り行われる水分(みくまり)神事では、今宮神社から秩父神社に『水幣(みずぬさ)』が授与されますが、この『お水』によって育った稲が秋になって無事収穫されたことの喜びとともに、感謝の気持ちを込めてこの『お水』を再び武甲山に戻すお祭り、これが12月3日の秩父神社の『秩父夜祭』なのです。


二 観音堂及び八大権現社の建立

 役行者に続いて、825年には弘法大師が来遊して大日如来を奉斎。次いで大宮山満光寺、長岳山正覚院金剛寺が建てられ、長歴二年(1038)には、二つの観音堂(現在の札所十四番今宮坊観音堂及び札所二十八番橋立寺観音堂)も建立されました。12世紀には熊野権現を勧請。宮中八神と大日如来の習合である八大権現社が建立され、寺院、神社、観音堂、祠と併せて百をゆうに越える一大修験道場となりました。


三 『今宮神社』『今宮坊』の創建

 16世紀初め全国的に疫病が蔓延したため、八大権現社では、天文4年(1535)、京都今宮神社より須佐之男命(樹木神・健康神)を勧請して『今宮神社』を創建しました。このころ満光寺の弁天堂も再建され、翌年には札所も34カ所整えられて未曾有の宗教ブームが到来し、秩父は日本に冠たる霊場となりました。永禄12年(1569)には、これらの寺・社を総称して、一山を『長岳山今宮坊』と称し、組下49寺を擁する本山派修験聖護院直末として隆盛を極め、諸国先達29寺の一つにも数えられました。  天正19年(1591)には、徳川家康より御朱印地十石、除地七石を賜り、松平大炊頭(初代は水戸藩主の弟。明治維新まで7代続いた。)の祈願所としても栄え、およそ百年後の元禄14年(1701)、今宮坊は真っ先に江戸開帳を行い、組下の力を結集して秩父札所の紹介と発展に寄与したといわれています。


四 今宮神社と今宮坊観音堂の分離

 明治元年、明治政府の神仏分離令により修験道は廃止、今宮坊もその解体を余儀なくされ、今宮神社・八大宮と今宮観音堂(現札所14番)、橋立観音堂(現札所28番)に分離され、28番は昭和8年に石竜山橋立寺として、14番は昭和27年に長岳山今宮坊観音堂として、それぞれ今宮神社から独立して管理されるようになりました。しかし、御神体、御朱印、社宝、古図、古文書、今宮坊歴代別当・宮司の墓所、それに今宮の由緒とその精神は、当神社に継承されて今日に至っております。  御神意と時代の要請に則り、昭和20年代より平成5年まで凡そ50年間、御神域を児童公園に開放。秩父市と協力し、地域住民の健やかな心身の拠りどころとして、福祉事業に専念いたしました。かつてここに遊び育った子どもたちも立派に成人して、現在は、郷土社会の力強い担い手となっております。


五 神社活動の再開

五 神社活動の再開  御神慮の成就に感謝し、平成4年を以て神社活動を再開。神域並びに神社の活動を本来の姿に復す努力を続けております。  往古の由緒をふまえて平成6年には130年ぶりに龍神祭が復活、平成8年には全国の篤志家の浄財により役尊神祠(行者堂)が建立され、龍神祭、行者祭も年毎に盛大に行われるようになり、改めて今宮坊・今宮神社は、水の神、観音様の守護神、秩父霊場発祥の地、番外霊場としてにわかにクローズアップされるところとなりました。その中でも特に、神仏合わせた力を備えられ「きれいな水」と「正しい教え(仏法・真理)」をもって道なき道を切り開かれる八大龍王様は、観音様と一体となられ、万物を生かし育まれるという利他の業をされながら新しい時代を拓いて下さる神様として、多くの崇敬者たちの信仰を集めております。  現在は仮社殿となっておりますが、八大龍王宮社殿や手水舎の新築、また参集所建立の企画も出され、復興の足音の一段と高まりつつある昨今に新たな決意を持って歩みを進めております。

平成十年一月

秩父 今宮神社  宮司  塩 谷 治 子



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