| ミス慶応候補のAV女優と慶応義塾は、どちらがハレンチ? |
最近、若い人の活字離れが激しいと言われますが、若い人に限らず,私など中高年でさえも、本をじっくり読む根気も時間もありません。疲れてゴロンと寝転んでいるだけです。(勿論お年を召しても、また若い方でも、読書好きな方や勉強家の方も多いのですが・・・。性格なのでしょう)
私など書物どころか、新聞などもタイトルをざっと見るだけです。
聞くところによれば、雑誌や週刊誌も売り上げが減少しているそうです。広告費も大分インターネットの方に流れているようです。
前にも書いたことがあるように思いますが、若い人の中には新聞も取っていない方が少なからずおられるようです。
そのかわりにパソコンを使用してインターネットから情報を得られるのだそうです。
私はパソコンを使用する時間は少ない上に、画面で見る説明は頭に残らないような気がします。
いい加減な読者である私でさえも、新聞はちょっと止める気にはなれません。
またインターネット上で、ある決まった場所を地図で調べたり、不明の意味を調べるのは確かに辞書代わりに便利ですが、知らない情報を得るのは苦手です。
なおパソコン関係の機器の説明書も以前のように本が付属しているものが少なくて、モニター上で見なければならないものが多くなりました。読んでも頭を素通りして、ほとんど理解できません。プリントアウトしなければ理解出来ないように思うのですが、それもじゃまくさいので、ほとんど読まずじまいのままです。
このHPを立ち上げた直後、私自身も知らないうちに黒田ゼミの掲示板に、読者の方が問い合わせをして下さっていたり、その問い合わせに掲示板運営者は答えるどころか、問い合わせ自体が削除されてしまっていたりということがあり、それが「2ちゃんねる」で話題になっていたということを、私自身は後になって知ったという有様で正直、驚いたものでした。立ち上げた直後のHPが検索できるということが信じられないことでした。
そんな私のHPのアクセス数も現在これを書いている時点で、約136000ぐらいに達しました。これは多分表紙をクリックして開けた回数でしょうから、ほとんど読まなかった人も、最後まで読んで下さった人も、時々訪問して下さっている人も含めた数でしょう。 まだ更新していないと表紙を開けただけの人も多かったことでしょう。(更新が遅くなって申し訳ありません)
また例えば西村和雄を検索した人が「正体見たり、西村和雄京都大学教授」というタイトルにつられて、クリックした人が「TOP]に行ってくれて初めてカウントされるわけなのでしょう。
勿論西村氏は気分を悪くしているでしょうが、ウソを書いているわけではありません。訴えられることもないでしょう。
訴えられるぐらいのほうがHPが知られるという意味ではうれしいのですが・・・。訴えられるほど強烈なネタを知っているわけではありません。
また西村氏に限らず経済学会の会長などというのは、煮え切らない、チャランポランな官僚のような人が多いということも理解していただけたとすれば有り難いのですが・・・。
胡散臭いと書いておいた「家庭教師のトライ」もやはり、相も変わらず胡散臭い商売をしていたということで去年の年末に、公正取引委員会から警告を受けています。
なんでもトライ・グループは全国に58の支店があり、去年の3月に新聞の折込広告で「お子様にピッタリの家庭教師に出会えるまで、何度でも [無料] で授業を受けることができます」と表示していたのですが、実際には25の支店では、実際に授業を体験する人との間で、「会員になるための契約」をした上で、登録費などとして最大でおよそ4万円の支払いを受けていたということです。
トライ・グループは契約解除の申し出があった場合には登録費などを返していたということですが、公正取引委員会は”広告の内容は消費者に誤解を与えるおそれがある”として、景品表示法に基づき、今後こうした広告をしないように警告をしたということです。
トライ・グループは今後は消費者にわかりやすい広告の表示に努めていきたいとしているそうです。言わんこっちゃないですね。
この折込広告は「3月限り」という触込みでしたが、私が西村和雄によるトライの全面広告を茶化したのが、2003年の3月16日の朝日新聞でしたのに、3年後でも同じような広告をしているわけです。
3年前の広告に対して私は
この広告では3月31日までにお申し込みの方に限り、入会金30000円のところを0円に全額免除するなどという、イカサマ羽毛布団の販売のような、ていたらくです。
と書いています。
懲りない連中です。
こういう胡散臭い「学習塾」の広告塔になっている西村和雄などという京都大学教授などという男の品格などというのは「言わずもがな」ということでしょうか。
科学として経済学を処理できないので、教科書を書くだけで行き詰まり、学力低下などを言い立てて自分の存在感を高めようとする人間か、それも出来ず、自分が習ったままを教科書に書くだけで終ってしまう人、役人に良いように使われる御用学者の方に進む者、学問とは離れて公害などの問題を社会学のように研究する者など、いわゆる経済学者なるものはこうしたパターンに分類ができそうです。
懲りないと言えば、あの牧厚志先生はどうしておられるのでしょうかね。
いつだったか、一人の女性と思われる方からメールを頂きました(調べてみると2005年4月24日のことでした)
牧先生とは、面識があります、先生の悪口いわないで
先生を尊敬しています。
というものでしたが、何を尊敬しておられるのか、まったく書いていないので、返事の仕様もありませんでした。
例えば、こっそりと家の近くの公園のトイレを掃除をしておられるとかということを、「確認できるように」教えていただいたのでしたら、とりあげて誉めることもできるのですが・・・・。
何度も書きますが、私は牧厚志氏には、何の面識も無く、(だから上の彼女は面識がありますと書いてきたのでしょうか)、本編でも書きましたように、日本消費者連盟が91年9月、当時の理論計量経済学会会長(当時)の斉藤光雄氏に対して行った問い合わせに、斉藤氏は、悪党「辻村江太郎」と同じ学説を発表している、弟子の慶応大商学部の牧厚志氏を紹介するから直接照会してみては、というお勧めをしてくださったわけです。
自分で問い合わせに答えて、騒動に巻き込まれるのが嫌なので、辻村と同じ立場をとり、博士号まで取っている牧厚志氏に丸投げしたのでしょう。
日消連の照会に対して、牧氏は返事をよこさず、催促の末、「お受け致しかねます」の回答です。
ただ悪党「辻村江太郎」の弟子だからといって、茶化したのでは勿論ありません。
そういうことであるなら、自分の先生の学説の間違いを指摘しにくいということで、理解できないわけではないのですが、同じハナクソ学説を自分自身も発表しているのに、返事もしないとは、学者として「アカンやっちゃあ」と思っていたところ、このHPの冒頭にも書きましたように、「分数ができない大学生」なる書物の中で、現在の大学生は数学の出来が悪いし、論理的思考力に欠け、独創力も無いと言っていたので、このHPのマクラとして利用したのでした。
ところが、それには懲りないで、このHPが開設されてから、約半年後に出版された「応用計量経済学入門」(日本評論社)という本で傲慢にも
現在の経済学者を見たときに、どれくらい本気で理論の現実妥当性をテストしようとしているのか疑問を感じることもある。
経済学がもう一度社会から認知されるためには、薄っぺらな分析ではなく、思想あるいは信念に裏付けされ、かつデータとの整合性を持った実証結果を社会に提出しなければならない。
などと書いているものですから、「懲りない牧厚志先生」 なるページを追加したのでした。
しかし私は公平な人間ですから、誉めるところは誉めています。
牧厚志氏は「経済学が社会から認知されていない」ということは賢明にも、ご理解なさっておられるようです。
という具合です。
ハナクソ学説が間違っていると認めるか、反論でもしてくるのなら普通の男ですが、本当に牧厚志という男もハナクソ学者です。
「何を尊敬してるのですか、お嬢ちゃん」と言いたくなりました。
また牧厚志に丸投げしたと言っても、斉藤光雄会長の場合はまだ筋が通っています。
牧厚志を紹介して下さったのですから・・・。
しかし天野明弘会長は最悪でした。
日消連が92年、天野会長宛に「学会員の倫理違反行為に対する処分について」なる手紙を出した時、「学会東部常任理事会で検討され、お尋ねの件に関して学会は何の判断も下さない、したがって処分を行う考えはないとの結論に達しましたので、その旨お伝え申し上げます。」なるふざけた回答をよこしたのは前に、本編で詳しくお話しましたが、本当に常任理事会が東部と西部とかに分れて存在したのであろうか、その当時は知る由もなかったのですが、現在学会の当時の常任理事をネット上から知ることができます。常任理事は日本でたったの7人だけだったのです。東も西もないだろうに。
「学会東部常任理事会」なるものがなかったであろうことはは明らかです。
石川経夫、猪木武徳、今井晴雄、長名寛明、岸本哲也、西村和雄、山崎昭がその当時の常任理事の七名です。
長名寛明、今初めて聞いた名前ですが慶応の人間です。西村を除いて名前を見たことがあるがあるのは、最初の3人のみです。西村は本HPを書くまでは、名前すら知らなかったのですが、誰の本も見たことも読んだこともありません。除籍されて以来、経済の本など読んだこともありませんのは前にお話した通りです。
東部と敢えて分ければ、長名、石川、山崎でしょう。西村は「千葉大教授西村和雄」なるHPがあるので、ひょっとすれば当時千葉大に属していたのかもしれません。
やはり天野明弘が、日消連の竹内代表が頼りないのをよいことにして、でたらめを言ったのでしょう。この東部というのはただ「慶応」のことを言っているのではないでしょうか。天野は神戸大学だから、ワシは知らんよ、と逃げたのでしょう。
なお猪木武徳は中学の1年か2年かは忘れましたが、私の後輩です。
現在彼は学会の会長のようです。勿論彼は私のことは知りません。
何故私が彼を知っているのかと言えば、彼の父親が猪木正道といって、元京都大学教授で当時防衛大学校長で、有名だったからです。
普通、中学生が防衛大学校長と称する男になど何の興味もないはずなのですが、この中学はやけに京都大学教授を父親に持つ生徒が多く、そうした生徒が親の影響で話をしていたからでしょう。
小柄で自転車の荷台に鞄をくくり付けて、通学していたのを覚えています。いかつい顔の父親に反して可愛らしい男の子という記憶があります。しかし男でも女でもそうですが、子供の時には、やたら可愛いのに、成人すると美形とは言い難い人がいますが、彼も現在写真などで知るところでは、そのようです。しかし昔の面影は残っており、感じは悪くはありません。
この学校は中学、高校一貫校のカトリック系の男子学校で私は5期生、兄は3期生で、中学に私が入学した時は高校3年生はまだいませんでした。
優秀と思えるような教師もあまりいないのに、どうして短期の間に、教授の息子が多く来るような学校にできたのかという理由がよくわかりませんでした。
これは子供の頃は知る由もなかったのですが、父親が京大教授である友人のお母さんに大きくなってから聞いたのですが、この学校は京大教授の子供は無試験で入学できたそうです。名前が売れるまでは積極的に集めたのでしょう。大学教授の息子などは学校の授業などとは関係なく、家庭で勉強させるので大学合格率が良くなり、経営的にうまみがあったのでしょう。
お爺さんが京大総長、お父さんも京大教授、という同級生がいましたが、彼が放課後校庭の砂場で幅跳びか何かをして、友人達と遊んでいたところ、お婆さんがタクシーに乗って、勉強の時間だと言って迎えに来たのを目撃したことがありました。何でも、父親の教え子である大学助手などが家庭教師として毎日教えに来るんだそうでした。
こりゃ、勉強できても当然だと納得したのを覚えています。反面、可哀相な奴と同情しました。しかし逆に、今考えれば初等教育をバッチリ理解し、私などには知り得ない学問の楽しさ、面白さを経験しているのかもしれません。
教師の質も私が思うよりもマシだったのかもしれません。そうでないと無試験で入学できるというだけで、子供をわけのわからない学校に入れるとも思えませんですからね。
しかし同じカトリック系の上智大学の卒業したての頼りない教師も沢山いて、当時上智大学というのはカス大学だと思っていましたので、余計馬鹿にしていて勉強など全くしなくなってしまいました。あんな男にでもできるのだから本当に必要になれば勉強すればよいと考えていたわけです。
私は自分の都合の良いように考えて勉強しないのはこのころからです。いつでも一夜漬けでした。というよりテスト前もほとんど勉強しませんでした。
もっとも上智大学卒業の教師には悪い人はいなかったように記憶しています。
それにしても今でも思い出しますが、世界史のMという教師、授業といえば時間中、大学ノートに書いてきたものを黒板に書き写すだけで、それを生徒は、また書き写すだけなのです。
こういう退屈な授業には私は誰よりも耐えられず、一切勉強しなくなりました。中学、高校と通常なら6年かかるところを5年で終るのですから余計余裕がありません。私がゆとり教育に賛成なのは、自分のこうした体験に基づくからなのでしょう。
もっとも、ゆとり教育が良いか悪いかというのは良い設問ではありません。要は授業の内容によるわけです。
小学校の先生に恵まれていたので、余計そのように感じたのでしょう。
なお以前「探偵ナイト・スクープ」に登場していた、日本史にメチャ詳しい小学生の双子兄弟が先日、また登場していました。「信長の野望」というゲームで日本史に興味を持ち、大学教授もタジタジというほどの博識を披露してくれたので、「ゆとり教育」の輝かしい成果としてご紹介しておいたのでしたが、今回彼らは凡人として登場していました。正確には、あれ以来知識が全く増えていないのでした。そのわけは進学の準備で日本史を勉強する暇がなかったからということでした。やはり受験などというものは子供の向学心を削いでしまうのでしょう。残念です。
あのままで止まっていても、立派なものですが・・・。
またHという数学の教師、確か、父親は元京大総長だったように記憶していますが、中学生の記憶だから怪しいですが、奇人で、皆が授業中騒いでいたら、いきなり黒板拭きの板の部分で自分の顔を叩き、皆びっくりして静かになりました。同志社大学の創立者である新島襄の故事「自責の杖」に因んで、した行動のつもりであったらしいのですが、皆はキ○○イと思ったのでした。私も呆気にとられ、気色悪いことでした。
この教師は本当に奇人で、プリント地のズボンを穿いていたこともあるのを覚えています。顔は野口英雄系の顔でした。
授業は興味なく、聞いていなかったのですが、子供心にも根性あると思った教師もいました。Mという生物の教師で、夏休みが終って、最初の授業に現れた時の顔は、それこそ真っ黒で、日焼けしているのでした。
何でも、自分で家を建てたのだと言うのです。一人の大工さんには、基礎工事を手伝って貰ったそうですが、驚きました。
理由はと言えば、多分借家に住んでいたとかで、自分の子供と大家の子供が喧嘩をした時、自分の子供が悪くなくても、相手を叱れず、自分の子供を我慢させるのが本意ではなかったからというのです。
この教師は京大の元全学連の委員長か、それに類するトップだったそうです。熊襲の系統か髭は濃かったのですが、物腰はやさしく、女性的な感じがしたぐらいです。よく叱られましたが、彼は私の名前を別人の名前と間違って覚えており、私を叱る時はいつも別人の名前を呼んでいましたから、私は気が楽で得をしました。
後で聞いたところでは、彼は京都の宇治のあたりで悪ガキを教えるための学校を創ったそうです。
やはり他の教師とは少し違いました。
その他漢文や古文、理科などなどの授業もあり、時間がたつのが遅く、本当に退屈でした。
一人気になる先生がおられました。Yという先生で多分京大の大学院生か研究生だったのではなかったかと記憶していますが、日本史の先生でした。例によって授業はまったく聞いておらず、やじったりするのみでしたが、いつも黒い風呂敷きに教材を包んで持参し、長い髪で、モソモソ話しておられました。極く短期間だけおられたようで、勿論話をしたこともないのですが、何となく学究肌の先生で憧れるような雰囲気がありました。俗っぽいところが全くない人でした。当時の同級生に聞いてもほとんど誰も覚えていません。
学校を辞められる時、この学校に来て一番印象に残ったのは彼だと私を指差して言ってくれました。話をしたこともないのに何か相通ずるものがあったのかもしれません。
あるいは、いたずらが過ぎたのかもしれません。
10年ほど前に当時からの友人に名簿を見せて貰ったら、この先生は広島か岡山あたりの高校の先生をなさっていました。(その時偶然後輩の中に「吉岡完治」なる名前を見つけました。慶応商学部に確かこんな名前の教師がいたなあと気づきました。今の時代あまりこんなモッサリした名前は他にはいないだろうから、この学校の後輩でもあったのです。京都の人間だったのですね)
それ以外、懐かしく思い出されるような教師はいませんでした。
外人の神父は大勢おり、ある時グラウンドで体育の授業の後、校舎に戻る際、着ていたブルーのTシャツの胸のところにボールを2つ入れて歩いていたら、大男である外人神父に耳がちぎれるかと思うぐらいの強い力で引っ張られ、思いっきり叱られ、立たされました。勿論誉められるようなことをしていないのは事実ですが、こちらも悪いことをしたという認識もなく、けったいな奴だと思いました。神父は独身なので、そういうことも関係していたのかもしれません。
生徒のほうも毎回当り前の、どうでもよい、無理に質問しているような質問ばかりするY君などのおかげで、ますます勉強が嫌いになり、3年生の夏には、このままでは高校に上がれないと、母は二人の先輩を家庭教師につけるように学校から言われてきました。
二人はその年に卒業して大学生になったばかりの一期生の高畠久、杉本良夫氏でした。
高畠氏は早稲田で演劇関係の勉強をしておられたようです。東京に行ってすぐの夏休みのことなのに、東京弁を話して、ちょっとキザだなあと子供心にも思ったものでした。
その後しばらくして、兄が大阪に勤務している時に、梅田あたりのビルの看板に高畠氏の名前を見たと言っておりました。西郷輝彦の「どてらい男」の映画か芝居の監督をしておられたようです。私も随分昔のことですが、高畠氏の監督になる「三億円事件」を題材にしたような、多分白黒の喜劇映画をテレビで見た記憶があります。あまり印象には残っていません。映画はカラーで家のテレビが白黒だったのかもしれません。
また杉本氏は、見るからに賢そうな秀才で、人格者で子供心にも、学校の先生とは大分違うなあと思ったものです。京大生である、若き日の杉本氏は、若き日の小泉信三を凌駕するような美青年でした。杉本氏は、この学校から京大に入った最初の学生だったわけです。
何しろ、私は
もわからないような、と言うより知らないというような子供だったので、杉本氏には因数分解から教えていただきました。因数分解そのものは別に難しくもないのですが、何のためにわざわざ因数に分解するのか不思議でした。2次方程式の根を見つけるためだったのですね。しかし因数を0にする
以外にも根があるような気がしてなりませんでした。しかし根を求める公式を導けばそれが危惧であったことがわかりました。
判別式を使ったり、図形を使ったりして懸命に教えていただきました。
英語に関しても同じで、品詞の種類から教えていただきました。何にも知らなかったのでした。英語には5つの文型しかないということをその時初めて知りました。2年半も全く勉強していないわけですから、家庭教師も大変です。
なお杉本良夫氏は京大を卒業して、毎日新聞入社後、会社からアメリカに留学させてもらったのでしたが、結局新聞社を辞めて、アメリカで勉強を続けられオーストラリアはメルボルンにあるラトローブ大学で社会学の教授になっておられます。今の正確な所属、地位は知りませんが、「NHK」のラジオ深夜便に現地からレポートされているというような記事を読んだことがあります。
オーストラリアにいて日本のことを勉強するというのは、ズッコイと思ったりもしました。オーストラリアの人は一般的に言えば、日本人のようには日本語を読めないのですから・・・。
人格者ではあったのですが、目先も利いたのでしょう。
しかし会社や学校から留学させてもらうのではなく、新聞社を辞めた後の杉本氏は、個人の資格で当時留学しようとなさったのですから大変なことだったと思います。
アメリカの大学に奨学金を貰って勉強できるようにしようと思えば本当に大変なことだったと思えます。本人からお聞きしたのではなく何かで読んだのですが、いくつもの大学に勿論英語で、依頼の手紙を書いて、受け入れてくれる大学を探し、杉本氏の場合は多分奥さんやお子さんも連れて行き、アルバイトをしながら勉強なさったようですから立派なことです。(しかし学問は奥が深いと言いますが「日本人」論などというのは飽きてこないかと他人事ながら気になります。勿論長く勉強すればするほど博識になりますが・・・。杉本氏のことですから研究対象も広げられておられるとは思います)
しかし逆に新聞社の側から見れば、どのような契約になっていたかは知りませんが、立派な記者になってもらおうと留学させたのに、戻ってこないのですからガックンですね。
NHKにしても立派なアナウンサーや記者になってもらおうと教育したのに、なんとかモノになるようになれば、民放に移ってしまうのですから、イカレコレです。防衛大でもパイロットを養成したのに、資格さえとれれば民間会社の機長になってしまう人が多いのではないでしょうか。
最近介護保険制度を悪用して国をだまして話題になった折口雅博も、学費などを免除され、給料までを貰いながら、教育を受けた陸上少年工科学校や防衛大学を卒業すると「任官拒否」して日商岩井などに入社しています。これ自体は法律には触れないのでしょうが、ちょっと引っ掛りを感じます。
しかし勿論家庭の事情で大学に進めないということの方に問題があるのでしょうが・・・。
福澤は「門閥制度は親の敵」といっていましたが、今の慶応は二代目、三代目ばかりで親の七光りみたいな人間の集まりのようで、実際独立自尊などと縁のないものが多いように思われます(勿論親の七光りが悪いとは言っていませんよ)。
私のようなアホボンで貧乏でも、極端に貧乏でなかったので、慶応というアホ大学にでも進学できましたが、優秀な折口少年は家庭の事情でそれが叶わなかったのですから、お金儲けに普通ではない意欲が湧くのは当然と言えば当然かもしれません。しかし貧しい家庭で育った人間で立派な人は少なくありません。自分が苦労した分、弱者に優しいような人になっていただきたいですね。
介護施設で老人の世話をするのは本当に大変なことです。そうしたお仕事に従事なさっている若い人たちに対する待遇が非常に悪いようです。
それで心ならずも辞めていく方が多いそうです。どうして「美しい国、日本」なのでしょうね。
やはり自分の遊びのためにジェット機を買ったり、外車を何台も購入するような人は介護になどに手を出すべきではありません。
介護事業から手を引くコムスンの後釜を狙っているのがニチイ学館のようですが、ここも介護報酬の過大請求をしていたのではないでしょうか。有価証券虚偽記載事件や老人を怪我させても無届けにしていたなどの事件も過去にありましたからねぇ、悪さの程度は違うかもしれませんが・・・。
さらにワタミという居酒屋チェーンも特に金持ち老人の介護施設を欲しがっているような気配です。ここの社長は最近よくテレビで見かけますが、どうなんでしょうかねぇ。
また、以前よく問題になったのが看護婦さんのお礼奉公です。病院が看護婦さんの卵を少し働いてもらうが時間を割いて、看護学校に行かせているのに、資格を取ったらバイバイして別の待遇の良い病院に移ってしまうのですから、病院もイカレコレです。雇用契約をきちんと結ばないと気まずい思いをすることになります。
看護婦になるために援助してやったからというので、低賃金で働かせたり、雑用をさせたり、サービス残業させたりすれば当然いけないのは自明ですが、難しい話です。
結局、私は最良の家庭教師に恵まれましたのに、短期間だったのと、科目数が多いのと、何より私に勉強しようという意欲がなかったので高校に進学できませんでした。仕方なく公立の高校に行くことになりました。
この中学は、一学年は150人ぐらいの人数でしたが、1割位の生徒は高校に進学できませんでした。どうしても劣等生というのは生じるものです。
それでも私ほど勉強しない者は珍しかったのですが、元京都市長の息子であるT君は、元は1学年上級だったのですが、落第して同級になったのですが、落第しても全く懲りず、勉強しないで、私でさえも驚いた位で、やはり高校には進学できませんでした。付き合いはほとんどなかったのですが、背は高く、男前で、何よりもあっけらかんとして朗らかな人でしたが、その後どうなさったのでしょうか、たまに思い出します。
また私とは別の公立高校に行った役者の息子で男前のK君は軟派でも、硬派でもありましたが、そこもしばらくして何故か退学になり、バイトをしていましたが再度試験を受けて、その学校に戻りました。人格者というわけではなかったと思いますが、私たちと違って大人で、皆から頼りにされていました。
私はとりたてて悪いこともしないが、いたずらっ子ではある中学生でした。勉強は本当に嫌いでした。
しかし高校の時に福翁自伝を読んで、慶応に行くつもりになりました。楽し気に勉強しているように思えました。
しかし本件で他大学の教師に会うと、福岡正夫先生も多分そうだったと思いますが、どうして阪大に行かなかったのかと、ほとんど皆に言われました。
高校生が阪大の経済が良いなど、どうしてわかるのかい?
阪大と言えば、緒方洪庵の適塾の流れなのですから、相性が良かったかもしれませんが・・・。実際はわかりません。
なお高校に入ると、煙草を吸い初め、煙草とは相性が良いのか、だんだん本数も増えてきて、大学のころは「いこい」を4箱吸っていましたから、1日80本は吸っていました。
こちらはケチっていて、短くなるまで吸うわけではないのですが、つい短くなるまで吸ってしまい、友人から「稲垣、代わりをやるから、その煙草捨てちまえよ」などとよく言われたものです。
一緒に旅行した時も、朝、目を覚ましたら、即、手を伸ばして煙草をとるや、吸い始めるので、皆にびっくりされました。友人達は朝ご飯を食べてから、ゆったりとした気分で煙草を吸うのが好みだったようです。
私は、空き腹で吸うほうが好みでした(もっとも、食後も当然吸いました)。
当時友人たちはハイライトを吸うのが普通で、私はこれを貰うと、「いこい」とは違い、フィルターが根っこに付いているものですから、その抵抗のため、吸う力が強くいるため、いつもの量の煙を吸おうとすると力が要り、「稲垣、敵討ちのような顔をして煙草を吸うな」とよく言われました。
後に大腸がんになった時も、看護婦さんに、煙草は手術前は止めなさいと言われるのですが、私は平気で無視して手術当日までプカプカやっておりました。手術から戻った時は麻酔が効いているためか、心配して来てくれた友人に礼を言ったり、執刀医に人工肛門にしなくても良かったのか、輸血はしていないのか尋ねたところ、両方ともOKだというので喜んでいたのですが、麻酔が効かなくなると、それこそ今まで経験したことのない痛みでした。この時点でもう助からないと覚悟しました。
それでも10日ほどして、歩行器を使用すれば、なんとか歩けるようになると、懐に煙草を隠して、内科の方に行き、早速煙草を吸ってみました。身体が全く受け付けないのでした。それ以来煙草は1本も吸っていません。意志が強くて禁煙したのではなく、吸えなくなってしまったのです。
そうなると勝手なもので、今まで他人の迷惑など考えもしないで、プカプカやっていたのに、今度は他人の煙草の煙がエゲツなく、臭く感じるようになりました。むこうの方で、くすぶっているバス停留所の灰皿の煙がガマンできないのでした。最近は、そうしたことはなくなりましたが、煙草を吸う気にはなれません。
思い起こせば、大学時代はお金がなくなると、住んでいたアパートの近くの「きくや」さんという万屋さんで、煙草をカートン単位でツケで売っていただいていました。また今と違って、当時は煙草の自動販売機もなく、夜中に煙草が無くなると、最初は灰皿からシケモクを探しては、吸っていたのでしたが、我慢できず、煙草を買うために、近くのスナックに出掛けました。ビール1本ぐらいのつもりが、へべれけになって朝帰りということが何度もありました。随分高い煙草につきました。
ところで私はと言えば、高校に行っても相変わらず授業は退屈で、中学時代は退屈ではありましたが家に帰るということはなかったのですが、高校では出欠をとるホームルームの時間が終れば、すぐ帰宅するという有様でした。
2次方程式
の解は
の図と
、つまり
軸との交点の
の値なのですが、2点で交わるか、接するか、あるいは交わらないというのを判別式が正、ゼロ、負となることで区別できるというように理解したつもりになっていたのでしたが、判別式が負になっても虚数というものを考えると、方程式が解けるというではありませんか。数学の授業を聞いた記憶はありませんので、学校の授業でどのように教えていたのかを知る由もないのですが、たしかにその根を方程式に代入すれば左辺は0になりますが、2乗してー1になるものを
とすれば以後便利である、覚えておきましょうということで複素数の計算をさせるのですから、ふざけた教科書でした。
計算は誰でも出来ますが、意味がわからないので舐めるなと腹が立ちました。交点の無いグラフをどちらの式をも満足させる
とは一体なんのことであろうか。
ちゃんと説明するのでなければ計算させるな、教科書に書くなと腹が立ち、またまた数学など教科書を試験の前でさえも勉強しなくなりました。
虚数なるものをこんな場面で教えても何の意味も無いことでしょう。
学力低下を唱える岡部恒治先生、「中高生のための、漫画でわかる虚数」なるものを書いて下さいね。商売に熱心で、多分劣等生に教えるのも好きな先生ですから、もう既に出版なさっているかもしれませんが・・・。
また、われわれはπ=3.14と習ったのでしたが、最近では授業時間が短くなり、π=3としか教えないと一時大騒ぎになっていたようですが、どちらでもよい話ではないでしょうか。約3であるとしたほうが暗算が楽になるとも言えますし、3.14のほうが多少計算力がつくとも言えるのです。
あまり学力低下と関係ないのではないでしょうか。
むしろギネス・ブックに登録されるのに挑戦して、何千桁も何万桁も暗記する人の方が奇妙に思えます。勿論学力とは何の関係もありません。遊びなのです。必要に応じて必要な桁数を使えばよいのです。
私も中学の時、兄に「身一つ、世一つ、生くに無意味、医薬無く、御文や読むに、虫さんさん闇に鳴く」という唄のような無意味な文章を自慢気に教えられたことがありますが、使ったことなど一度もありません。
勉強はちょっともしなかったのにつまらないことは良くおぼえています。例えば上から読んでも、下から読んでも同じ「回文」というもの、誰でも「たけやぶやけた」ぐらいはご存知でしょうが、私は小学校の教科書に載っていた「なかきよの、とおのねふりの、みなめさめ、なみのりふねの、おとのよきかな」(長き夜の、とおの寝ふりの皆目覚め、波乗り舟の音の良きかな)をまだ覚えています。意味はよくわからないのですが、正月に、良い初夢を見るためにということで、七福神の乗った宝船の絵にこの歌が書いてある紙が昔は売られていたそうで、これを枕の下に敷いて寝たそうです。
大学生の頃、読んだ雑誌にやはりこの歌について書いてある記事を見た記憶がありますが、それによりますと、ちょっとエッチな意味があるようなことでした。
敢えて考えれば、「波乗り舟の音の良きかな」などという部分は、そう言われればそうかな、と思えなくはありませんが、わかりません。回文に凝っている人ならもっと長い歌もご存知でしょうが、普通の人にとってはこれで充分長い歌です。なおエッチな意味があるのなら、小学校の教科書には載らないでしょうから、この説はちょっと怪しいです。
考えてみれば、「いろは歌」もなかなかの大作です。作者は自分の知っている字を一字ずつカードを作り、色々並び替えて歌を作ったのでしょう。
猪木武徳氏の話から大きく逸れてしまいました。
なお登場してもらったついでに書きますと、「分数ができない大学生」の主著者である岡部恒治氏は数学者であるにかかわらず、たまたま本屋で立ち読みした
「入門ビジュアル・サイエンス微分・積分のしくみ
」(岡部恒治著・日本実業出版社)
において経済学で中心的な役割を果たすと、自ら書いている「効用関数」、「限界効用」をまったく理解していないので以前、嫌味を書いておいたことがありました。勿論正しくない書き方をしているからというだけで、そのように書いたわけではありません。
この本では、予備校の有名講師の編集するある参考書において「実際に出題された大学入試問題の解き方」が適切ではないとケチをつけ、結果的には同じ答えが出るが、計算は面倒だ。出題者が意図したであろう曲線の形状の把握は、このような解き方からは出てこない。
これは生徒にとっても、数学にとっても不幸なことです、などと嫌味で傲慢な書き方をしていたからです。
それならその著者に、そのように教えてあげるか、自分の著書の中でこういう解き方の方が良いのではないでしょうか、というような書き方をしているのであれば、私もあんな書き方はしなかったでしょう。しかも決して有名講師が間違っているわけではないのですから。これについては既に書きました。
また、同じ本の中で、
放物線は左右対称なグラフであることはだれでも気づくでしょうが、「どんな放物線も相似だ」ということは、一目ではわかりにくいものです。ある本でそのことを書いたら、有名な化学者から「明らかに
と
では形がちがうではないか」との手紙をいただきました。
確かに、見た目には違います。しかし、「微分・積分は拡大縮小を自在に操って曲線を分析する」という本文に立ち戻ると、すぐに相似であることがわかります。
などと書いています。一目ではわかりにくかったら、わかるように書いておけば良いのです。いちいち「有名な」人を持ち出して、馬鹿にすることはないのです。
それで彼らに対して、同情し、素材として使用したわけです。
今度、機会があれば、有名人ではない、無名のおっさんに「限界効用」がわかってないと、ネット上で笑われたと書いておけと思ったことでした。
しかし岡部氏は慶応の人間とは違って、少しは恥を知る人のようですから、自らのホームページの自分の写真を削除し、代わりに漫画の似顔絵を載せたわけですから、可愛いところもあります。それで、それ風のことを以前、書いておきました。
ところが「算数ができない大学教授」というHPで笑われたことが、頭の片隅にあったのか、朝日新聞の「直言」で自分は「算数のできない数学者」だと自称して、またまた私に笑われる結果となったのでした。
こういう人たちのお陰で、やっと6年半でアクセス数が136000になったのですが、これは多いのでしょうか、少ないのでしょうか。よくわかりません。慶応の在学生の数からすれば少ないような感じもします。
インターネットの時代がもっと早く到来していれば、もう少し数は伸びたことと思います。HPを作る前は数年で35万ぐらいはいくのかなと全く根拠の無い予想をしていましたが、その時には既にお墓の中にいることでしょう。
しかしHPを作らず、ビラを配ったりしても、慶応のこの不祥事を正確に知っていただくことは不可能だったことでしょう。
私の記憶にある一日あたりの最大アクセス数は1700ぐらいでしたが、何が原因だったのかは不明です。
またHPを始めようと思ったのは、「東芝サービス」の対応の悪さを消費者が自らネットで暴露し、世間に訴えたことがマスコミで話題になったことがキッカケでした。しかし実際に始めたのはずっと後になってからです。
誰もがパソコンを使用し、インターネットを楽しむようになって初めて、重い腰を上げました。誰もが見るようにならないと意味がないのです。
自分でもHPを作っていますのに、前にも述べましたようにネットから情報を見つけるのが苦手なのです。
前に取り上げました「NHKのさくらちゃん事件」もそうですし、今回タイトルに使用しました「ミス慶応」候補の「AV出演疑惑」もネットからは何も知ることは出来ませんでした。パソコンを触る時間が少ないのが一番の原因でしょうが、面倒なのでしょう。
こういう出来事があったのは「週刊ポスト」の去年の12月8日号の「ミス慶応候補にAV出演疑惑噴出で三田祭は大騒ぎ!」で知ったのでした。
ネットで調べてみると、これを取り上げている多くのHPが存在します。
ご丁寧にも、たいてい噂の女性と、彼女と同じ女性だと指摘されている、二つの芸名「夕樹ミチル」と「美濃浬」を持つAV女優を並べ、ホクロの位置や数、までを検証しているという有様でした。
毛むくじゃらの男とセックスしているような写真を見て、嫌な時代だなあと情けなくなりました。私がずっと若くても、彼女と付き合いをするのも嫌なことだった思います。
私が小学生の頃には、道端で犬が交尾をしているのを3回ぐらい見たことがあります。まさに犬畜生です。
しかし犬も近頃、人前で交尾をするのが恥ずかしいものだと悟ったのでしょうか、あれ以来1度も見たことがありません。
その点人間のほうが人畜生とでもいうのでしょうか、行儀が悪いです。青森でお医者さんをなさっているというご両親がお気の毒です。もっとも、ご両親の教育が至らなかったからなのでしょうけれど・・・。
犬が行儀良くなったのは、飼い主の管理が行き届くようになったからなのかもしれませんね。
子供の頃は野良犬が多かったので、つきまとわれると駆け出して逃げるわけにもいかず、平気を装ってシズシズと歩いたものです。最近はつきまとう犬にも出会わなくなりました。
しかしこのAVが判明したのも、慶応の男子学生が彼女の出演しているAVを見ていたからでしょうから、それほど、むきになって糾弾することもないと思います。見せる阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら見せなきゃソンソン」というところで打ち止めにしたら、どうでしょう。(既にこの話はもう過去の話になってしまっていますよね。私の更新速度があまりにも遅いので・・・。そもそもこのタイトルに決めたのは内田耕一について書いている時に、ミス慶応に少し触れた時なのです)
ややこしい店でアルバイトをしている女生徒も、金持ちのおっさんの愛人になっている女生徒もいることでしょう。
開き直ってコンテストに出れば良かったと思いますが、こうした事実を隠したいという普通の神経の持ち主だということがわかり、ほっとしているのも事実です。
しかしながら”降って湧いた今回の騒動に、A子さん(このAV女優)は何を思うのか。A子さんの友人によれば「疑惑を完全に否定しています、ネット上で書かれていることは、学校側から呼び出されて始めて知ったそうです。学校は、むしろ心配してくれたといってました」(週刊ポスト)”ということです。
もし週刊ポストが本当で、彼女が疑惑を否定するのなら、いくら廻りに騒がれても当然辞退する必要はなかったでしょう。
あの慶応がこの女性を心配するわけがありません。慶応の女生徒が本番ポルノ女優だということで、慶応のイメージが落ちるのが嫌なだけです。彼らは商売のことしか頭にないのです。
彼女がコンテストを辞退してしまったということは塾生新聞の「三田祭を彩る女神たち」という写真には登場しているのですから明らかです。
「女神たち」ですって。恥ずかしくなります。
あの子、可愛いな、などと思うのは勝手ですが、こんな大層なコンテストをする学生も、出場する学生も少し異常でしょう。
慶応義塾ニューヨーク学院(高等部)の入試の小論文問題において、「美人コンテストについて、賛成か反対かの立場から意見を書く」というものもあったといいますが、セックス女優でなければ賛成というのが正解なのでしょうか。
それはともかく、こうした記事、出来事は週刊誌などの助けがなければ知りえないところでした。(勿論知る必要もあまりありませんが・・・)
ネット社会の情報は、砂浜の砂粒のように、あるいは大宇宙の星のようにほとんど無限の数だけあるわけですから、検索するのも難しいことです。
例えば素朴に「限界効用」というのを調べたいと思ったとしましょう。
5月21日現在MSNサーチで「限界効用」を検索しますと、2119件中の1ペーシで4番目に、わがHPの「やさしい限界効用」が表示されます。
(ちなみに「消費選好場と相対性」は2ページめの6番目に、つまり2119件中の16番目に登場します)
またエキサイトで検索しますと、3410件中のやはり1ページの4番目に「やさしい限界効用」が、2ページの4番目に、つまり3410件中の14番目に「消費選好場と相対性」が登場します。
インフォシークはグーグルとのハイブリッド検索になっています。インフォシークでは316件中4件目に「消費選好場と相対性」が登場します。
私が普段、一番使用するグーグルでは434000件中5ページの8番目、つまり434000件中の48番目に「限界効用も理解していない鳥居泰彦慶応大塾長」が、9ページの7番目に、つまり総合で87番目に「やさしい限界効用」が表示されます。
このように同じキーワードで検索しても、結果は大分異なります。
学校で「限界効用」を習ったが、なんだか良くわからないというという人は、この場合、前の二つの検索を利用した方が役立ったかもしれません。結局は同じものを見ることになるわけですが・・・。
グーグルは今のところ、的確に情報を選んでくれるように思いますので、私は一番利用していますが、どの検索でもどのように操作されてしまうのか、どのように順位を決定するのか不明です。
「ロボットが選んでいます」と言われてしまうと、反論出来ないわけですから、普段から注意することが大事でしょう。
注意すると言ってもどうしようもありませんが・・・。もう既に政治的に、経済的に手が加えられているかもしれませんね。知る由もありません。
中国では天安門事件をグーグルで検索しても、何も表示されないそうです。
日本でも、きな臭い世の中になってくると同様のことが露骨に起こることでしょう。
また「闇の職業安定所」などというような恐ろしい犯罪がらみのサイトが増えてくると、それを口実にして国が介入してくることでしょう。明確に犯罪行為につながっているというようなサイトは警察が取り締まればとも思いますが、そのような口実で、内部告発などが取り締まられることにもつながるようにも思え、難しいことです。
徴兵制でも採用されるようになると、反対意見などネットでは発表できなくなるでしょう。
BIGLOBEの検索など最悪で、「黒田昌裕」で検索すると本HPがまったくでてきません。BIGLOBEはGOOGLEを下敷きにしているようですが、GOOGLEでは一番最初に登場するのです。
BIGLOBEのような検索ばかりになると辻村や慶応の不祥事など、権力などに都合の悪い情報などほとんど完璧に隠蔽されてしまいます。(6月15日現在これを読みかえしていて、再度確認してみると一番最初に登場していました。BIGLOBEさん、ご免なさい。やっぱりロボットですね、まあ仕方ないですね)
やっぱり謝るのは止しておきます。6月19日念のため確認すると、やはり黒田昌裕では本件はまったく検索されません。やはり商売がらみ、政治がらみで隠蔽しているのでしょう。BIGLOBEはNECがやっているのでしょうし、慶応と商売関係もありましょう、社長も慶応出身だったような気もします。
なお今だに、限界効用逓減法則などを習っている学生さん、そんな授業を受けない方がいいですよ。(勿論学説史の一頁として教わるのは差し支えありませんが・・・)
また無差別曲線を習っても、所得と価格が与えられたら、そこから需要曲線が導出されるということで終ってしまうような授業は受ける意味がありません。
たまにこのHPの経済に関する問題について、検索をいじくっていると、2ちゃんねるなどで話題になっているのに出くわすことがあります。
まったくピントのはずれたことを吠えている人もいますが、冷静に「やさしい限界効用」を読めばわかるよと、なだめて下さっている人などがいらっしゃって面白いものです。
既に辻村が効用は序数的効用を前提にしていると、述べているのを聞いていただいていますよね。その辻村の著書を初めて読んだ時、限界効用を直線で描いたりしているのにはびっくりしてしまいました。しかも限界効用の「食い合い」が起こるなどというので、本当に驚き、戸惑いました。
私が辻村に最初に質問したのは、「パンティガードルにマジックインクで直線を描きますね。しかしグイーっと引っ張り、伸ばしたら、もう直線ではなくなるでしょう?」というものでしたが結局、よくわからないようでした。序数の定義もよくわかっていないようでしたから・・・。
大学2年生の時、「ヘンダーソンとクオント」の教科書を初めて見た時、限界効用とはこういうものだったのかと頭の中で理解したのが、あの説明に利用した望遠鏡の絵だったのでした。自然に望遠鏡が頭に浮かんだのでした。これのほうがパンティガードルよりも正確な説明ができます。
それまで日吉で習っていた授業や教科書がいかに程度の悪い、低いものであるかがわかりました。
三田に行っても相変わらずでした。
もっとも「ヘンダーソンとクオント」の本も実際に検証できるようなものにはなっていませんでした。経済学などというのは所詮「絵に描いた餅」というものでしょう。
ところで良くも悪くも、多くの方がリンクをはってくださったりしたので、なんとかここまでやって来れました。
大学院の実態を知らない人には、元院生の内部告発を読むようにと、このHPを含むサイトを、以前から紹介して下さっている「末は博士かホームレスか」という永井俊哉氏のページ
http://www.nagaitosiya.com/a/doctor.html
がありますが、これとは少し違った視点から、私も特に慶応の大学なり、大学院に進むのを考慮なさっている方には「慶応義塾の実態」と「塾長を初めとする組織のいかさま振り」を、お伝えしてきました。
ゴロツキ大学ですよ、「慶応義塾」というところは、というご忠告をしてきたわけです。
また読者の方より多くのメールをいただき、前にも引用させていただいたことがありますが、
”貴兄のような聡明な方が、大学ごと悪徳というのはどうでしょうか。
トーンを少し変えると、共鳴する人も増え、また貴兄のサイトから学ぶこともあるのではないでしょうか”
というような意見をお持ちの方も少なからず、いらっしゃいますが果たして、本当にそうでしょうか?
わかりやすく、ご説明いたしましょう。
例えば、先日琵琶湖に沿って走る、JRの特急の中で、一人の若い女性が、見も知らぬ男性から長時間にわたって、わいせつ行為を受け、挙げ句の果てにはトイレにつれ込まれ強姦されました。
泣きながら連れて行かれる女性を見ていた乗客も、男に「何を見ているのか」と一喝されて、見て見ぬふりを決め込み、何もしなかったということです。
勿論同じ客車に乗り合わせた人で、これに気づかなかった人もいらっしゃったでしょうが、知っていて何の行動も取らなかった人はとんでもない人です。
直接、制止しようとするのは、怖いことですし、危険でもあります。しかしせめて車掌に知らせることぐらいできなかったのでしょうか。恥じてもらわなければなりません。
これと同様に同じ学校の学生が被害にあっているのに黙っているのは、年齢は違っているといっても、少しおかしいことだと思います。卒業した方も、現在学生の方も怒るべきではないでしょうか。こうした不祥事は現在でも、常に起こっていることでしょう。しかし一応学問が絡んでいるような問題では、はぐらかされたり、ごまかされたりしてしまうでしょう。
その点、本件では序数の定義のみの問題ですから、そうした困難はありません。それゆえ本件で告発することは他の被害者に対しても役立つことと思います。また今後、同様の被害者を出さないためにも有用だと思います。
そういう使命感を持って本HPを運営しているつもりです。本HPの質問を牧厚志などに尋ねてみるのは如何でしょうか。
(慶応創立150年などと言って、浮かれている時ではありません。創立時の精神に立ち返るべきで、そのためにも大学に寄付などするべきではありません。しないことが「福澤精神」に適うことでしょう。
評判の悪い日本政府ですが、最近やっと大手のコムソンに補助金を返還させ、事業を認可しないようになりましたし、駅前留学で有名な「NOVA」での英会話を履修する人への補助金を打ち切りました。
ゴロツキ慶応に対しても、遅れ馳せながら私学助成金を中止すべきでしょう。なお慶応はあのグッドウイルの折口雅博から5000万円もの寄付金を受け取っていることが最近明らかになりました。息子が慶応高校に在学中だそうですが、それにしても額が半端ではありません。つるんで両者は何をしようとしたのでしょうね。なんでも眼科の坪田一男教授がグッドウイル・グループの社外取締役に就任しているそうです。坪田教授は月に一度の役員会に出るだけで年500万円以上の報酬を得ていたというのですが、困ったものです。慶応義塾は内田耕一の時は、医師と社長の兼務に関しては就業規則に抵触するとしていたのですが、社外取締役は兼務にあたらないのでしょうか。そう言えばヴェリタスという薬品会社のHPに辻村江太郎が顧問として、掲載されていたので、辻村を顧問としていたら、会社の信用にかかわりますよ。私のHPをお読みなさいよと教えたのに、いまだに顧問になったままです)
ところで本件は、上で述べました、実際のJR事件より、えげつないのです。
まず、強姦をしたのは、乗客ではなく、JRの車掌で、数人の鉄道公安官も乗り合わせていて、この車掌の強姦を知っているのです。それどころか公安官も強姦に加わっているのです。
たまたま総裁、JRだと社長と言うのでしょうかも乗り合わせていたのに、揃いも揃って、このゴロツキ車掌を取り押さえるどころか、乗車券を購入していただいた、お客様である被害者の女性を、乱暴されている間に、持っている切符の乗車区間を乗り越してしまった、それを無賃乗車だと言って、列車の外に放り出してしまったというようなことなのです。勿論謝罪も償いもしないままです。(鉄道公安官なんて最近聞きませんね。JRになってから変わったのでしょうか)
この場合JRごと悪徳と言っても当然なのではないでしょうか。
それどころか、ここにいなかったJRの人でさえ全員恥入って、謝罪ぐらいするべきではないでしょうか。辻村や黒田はこの強姦車掌と同類の野郎なのです。私などは無力なので国家相手に闘うなどということはなかなか出来ないのですが、本件は慶応という小さな組織の中の話なのです。ゴロツキ大学、強姦大学の実態を大きな声でお知らせするぐらいは出来ます。
こういう野郎と比べれば、ミス慶応候補がAV女優であったとしても、慶応義塾のように悪くもなければ、ハレンチでもないのです。(しかし自分が性交している姿を撮影させて、販売をすることを了解していながら、ミス慶応の候補者となっているのですから、かわった女性ではあります)
気の毒にもウラの画像も撮られているでしょうが、(本人が望んだことですので、気の毒なのかどうか分かりませんが)それが出回ったら警察が動きます。公然ワイセツ罪にでもなるのでしょうか。
そのようなことにならなければ、取り敢えずは一応、AVというジャンルではありますが女優なのです。よほど個性的で魅力的であれば、芸能の世界で生きていけるでしょうが、難しいでしょう。
私たちより二廻りほど年上の人たちは「また逢う日まで」という映画で、久我美子と岡田英次の窓ガラス越しの接吻というものを見たことでしょう。当時の映画ではそれが限界だったのでしょう。
このような基準は時とともに変化するものなので気にすることはないでしょう。もっとも私は嫌ですが・・・。
今は「できちゃった結婚」もあまり珍しくなくなりましたが、以前なら親は相当肩身の狭い思いをしなければならなかったと思います。
ペントハウスという雑誌で熟女のセミヌードを披露して世間を驚かせ、眉をひそめさせたのは池坊保子氏でありましたが、今では「美しい国、日本」の文科省の副大臣という有様です。(多分現在もそうだと思います)
この方は京都の六角堂こと頂法寺の住職、あるいは貫主の奥さんなのに、どうして公明党なのでしょうか。
多分公明党は創価学会とは独立した政党だからなのでしょうね。
また「フェミニズム」を研究している方に叱られると嫌なので、私にとっては同類に見える男性の例も示しておきましょう。
セミヌードで同様に、びっくりしたのは、作家の志茂田影樹氏の時で、(多分こんな字をあてる名前だったと思いますが)、髪は白髪に紫や黄やピンクで染めたような按配で、たまげましたが、これらは別に悪いことではありません。どのような感想をお持ちになるかは、個人の審美眼の問題でしょう。
(ただし「黒田昌裕」が髪を脱色し、虹のように染め上げて、セミヌードになり、その写真が何処かに載るようなことがあれば、誰が何を言おうが、「化け物」としか言いようがないということを断定しておきます。想像するだに気色悪いことです。黒田は現在、内閣府経済社会総合研究所所長
だということです)
上に掲げた人たち、つまりAV女優、池坊保子氏、志茂田影樹氏は悪くはありません。好き好きの問題です。
しかし辻村江太郎、黒田昌裕、慶応義塾はいつまでも悪党です。
![]() |
![]() |
さて最近気分の悪いブログをたまたま見つけました。
それは、あの評判の悪い「独立行政法人
、雇用・能力開発機構」が運営しているらしい、横浜にあるとかいう「港湾短期大学」の図書室司書のブログです。
以下、引用します。
数理経済学にも哲学がある
私のしごと館のキーワードでぐぐると、『「私のしごと館」館長はあの悪党、辻村江太郎慶應大学名誉教授』というページが出てきます。私は辻村名誉教授とは面識がないので、人物についてはわかりませんが、図書室に著書があって少しパラパラ読んでみまして、まあ一般的な計量経済学、数理経済学の内容であり、あまり変わったところはありませんでした。
はっきりいって個人的な私怨を施設の象徴として批判されるのは、迷惑なことではあります。
いろいろなコメントを見ると、私のしごと館についてはわかるが、何がもめているのかはわかりづらいようです。
私も不得意な分野なのです。一つ言えることは「数理経済学には哲学がある」ということです。そもそも計量経済学の原型は、デヴィッド・リカードの経済学が、ひじょうに明快であり、数式に置き換えやすいことがありました。
数理経済学はレオン・ワルサスという経済学者は有名ですが、西洋においてはピタゴラス以来、数学は哲学の道具であり、ワルサスは自らの道徳哲学を、数学の形であらわしました。
計量経済学はいろいろな要素が今は入り混じっておりますが、道徳哲学である経済学の一つの考え方を抜き出し、それをいろいろな一般社会に現実にあることを抜き、数式にあらわすのに都合の悪いことを抜き、必要な前提条件を仮定として入れモデル化しているものです。これは経済の状態を考察するにあたり、目に見える形でグラフや数式に置き換えることができ、使い方によってはいろいろ便利なものです。
私は経済学を道徳哲学と考えているので、それを科学的というのには賛成しかねますが、株式市場の動向等も、全体から見れば一つの哲学により支配されているので、それを公式化すれば金融工学にも応用できるものです。
さて、稲垣武彦氏の辻村江太郎名誉教授への批判を見て感じることは、基本的な道徳哲学がかなり違うように感じられるのです。
計量経済学はリカードの経済学のように、公式化しやすい道徳哲学を前提としているので、マルクスのように公式化はできても、そこに数字をあてはめにくい道徳哲学にはなじみにくいのです。
稲垣氏の批判は、公式化しにくい経済の現象も、最先端の数学理論を用いれば公式化が可能ではないか?ということにあったように思います。
その考え方は現代の金融工学に影響が見えますが、経済学の動態を数式化するのは至難の技です。静態の研究を前提とする計量経済学の主流からは外れてしまうものだと思われます。
静態の研究を前提とした、辻村江太郎名誉教授としては許しがたい考え方だったでしょう。
おそらく性格もあわず軋轢があったのでしょう。ただ才能があったことは感ぜられます。慶應義塾大学大学院にまで行ったぐらいなのですから。
ホームページに書いてあることが、どこまで真実であるかはともかくとしまして、二つの経済学における道徳哲学の対立が不幸な事件を招いたということだと思います。
昭和42年(1967年頃)の事件だというので、今から見れば30年以上昔の話です。
辻村先生も当時はお若かったはずで、それだけ道徳哲学上の対立は年齢も近いだけに深刻だったのではないでしょうか?
数学者は一つの定理を発見し、それを証明するのに一生を費やし、ひどいときには証明ができず命を失ってしまうといいます。
30年以上昔の怒りが今でも健在というのは、数学者稲垣武彦氏の執念を感じました。ただ数学は紙と鉛筆があればできますので、ひっとすると金融工学へとつながるすばらしい研究をされているかもしれません。どうせならそういったことをホームページ上で発表されてはいかがでしょうか?
私は文化的なことや歴史学にほうに才能がありましたので、今はあまりはやらないドイツ流の歴史学派の経済学ばかりやっておりましたが、大学卒業間際にアダム・スミスがスコットランド歴史学派と言われていた啓蒙思想家であることを知り、また最近はアルマティア・センがあまりにも定式化され、硬直化し現実離れした経済学を憂い、「道徳哲学としての経済学の復活」を唱え、今はそれが主流となりつつあります。経済学もまた新潮流ができつつある気がいたします。
学者の対立とはすさまじいものだと思います。やはり私にはなじめないな。
ちなみに平成18年4月1日より私のしごと館館長は、辻井昭雄近鉄名誉会長であります。
私は土建関係ではありませんが、私のしごと館は総工費580億円、国立国会図書館関西館は426億円、六本木にできた国立新美術館は350億円でございます。
ちなみに総延床面積は、私のしごと館が35,000u、国立国会図書館関西館は59,500u、国立新美術館は48,000uでございます。
ご判断は読者におまかせいたします。私のしごと館は博物館ですので、展示の作り込み費用が入っているかもしれません。
以上がそのブログです。
「有名なレオン・ワルサス」というのは何者であろうか。
レオン・ワルラスなら有名であろうが、この男はワルラスとマルサスの区別もできないのです。勿論出来なくても一向にかまわないのですが、トンチンカンなことを書くなと忠告しておきたい。
さて、稲垣武彦氏の辻村江太郎名誉教授への批判を見て感じることは、基本的な道徳哲学がかなり違うように感じられるのです。
なんてことを言っておるが、何を読んでいるのであろうか。私は、辻村は序数の定義も理解しておらないと言っているだけでしょう。仮定も前提も何も違うところなどないでしょう。
稲垣氏の批判は、公式化しにくい経済の現象も、最先端の数学理論を用いれば公式化が可能ではないか?ということにあったように思います。
何を読んでいるのか。私は、辻村が経済学をさも科学であるかのように論じているが、序数の定義も理解しておらず、論理的整合性に欠けるから「疑似科学」でしかない。科学とは認められないと言っているわけです。0点だと言っているわけです。
30年以上昔の怒りが今でも健在というのは、数学者稲垣武彦氏の執念を感じました。ただ数学は紙と鉛筆があればできますので、ひっとすると金融工学へとつながるすばらしい研究をされているかもしれません。どうせならそういったことをホームページ上で発表されてはいかがでしょうか?
誰が数学者やねん?
これは算数だけでいいわけで、絵で説明してるだろう。学問上の論争なら怒りなど存在しないのは当然で、お互いに論争しておれば良いだけの話です。
本件は数の定義の無理解を指摘しているだけで、それに辻村は反論出来ず、商学研究科委員長の名前をかたってまでして退学させようとした不祥事にすぎないのは、しつこいほど説明しています。これがウソなら、慶応はサーバーに抗議してとっくに本HPを削除させてしまっているでしょう。
それが出来ないのは「辻村仮説」が明白に間違っており、本HPでも一部公開しているように録音などの不祥事の証拠があるからです。どうせならそういったことをホームページ上で発表されてはいかがでしょうか?だと、読解力というのが本当にない男だな。
「ホームページに書いてあることが、どこまで真実であるかはともかくとしまして、二つの経済学における道徳哲学の対立が不幸な事件を招いたということだと思います」だと?阿呆か!「ともかくとしまして」だと?
それが一番大事なんだよ、馬鹿たれが。ピントはずれなことを書くな!
学者の対立とはすさまじいものだと思います。やはり私にはなじめないな。
学者の対立といったものではないのが理解できないのか。本件は「大学教授の学生相手の不祥事」なのだ。それを慶応大学が隠蔽して、もっと大きな不祥事としたわけだ。何を読んでるねん。この馬鹿ものが。
こんな強姦野郎に文化功労者年金(保険料も支払うこと無しで貰え、税金も取られることの無い年金)を与え、慶応義塾という名の強姦大学には莫大な血税を使っての助成金、馬鹿げていると思わないのか。
はっきりいって個人的な私怨を施設の象徴として批判されるのは、迷惑なことではあります。
勿論個人的な私怨ではない。「私のしごと館」の象徴として辻村江太郎は最適の男だろうが。
私は文化的なことや歴史学にほうに才能がありました
阿呆のくせに、自分のことを才能がありましたなどとよく言うよ。私は人の名前を覚えるなどということに、あまり興味はないが、歴史学に才能があったと自称するなら、「ワルラス」の名前ぐらい覚えておけ。呆け!
ただ才能があったことは感ぜられます。慶應義塾大学大学院にまで行ったぐらいなのですから。
才能と学歴とはほとんど関係ないことだ。しかもそれが慶応の大学院なのなら・・・。もしその通りなら、慶応出身の学者は皆才能があることになってしまうわけだ。しかし見てのとおりだ。
松本清張などは小学校しか出ていないはずです。立派でしょう。仕事の合間に勉強したのだから。
ファラデーも十分な学校教育を受けていないでしょう。自分で努力したのです。ニュートンやアインシュタインのような人でも学校秀才であったか。馬鹿たれが。
あまり学歴などのことにこだわる人間に頭の良い人間はいないものだ。別に良くなくてもかまわないが・・・。
お前もつまらないブログを書いたりせずに丁寧にモノを読め。もっと面白い、身の丈にあったものを書くようにするべきであろう。
こんな男を図書館の司書に雇っているのだから、余計「雇用・能力開発機構」なるものが無用のものかが理解出来、腹が立つ。
こんな男が無名の、しかも実績のない「港湾短期大学」を代表しているのかと思われるようなブログを発表させ続けると、余計「少子化の時代」、「大学全入」の時代、生徒は集まらなくなってしまうことだろう。
それにしても「私のしごと館」というのは600億円も使って作ったのに、予想通り毎年、一年に20億円近い赤字で、総務省の政策評価・独立行政法人評価委員会は去年の11月27日、廃館をも視野に入れて、検討中ということです。当然です。
600億円というのは破綻した夕張市の借金とほぼ同じではなかったでしょうか。
はっきり言って、あまりのアホに本HPについての、ピントはずれな解説をされるのは、迷惑なことではあります。
この男は実は先のページの一ヶ月半ほど前にも以下のようなことを書いておりました。
私のしごと館館長につきまして
実はグーグルで検索しますと、私のしごと館前館長の辻村江太郎先生をつるし上げる記事が10番以内に出て参ります。
読んでみますとよほど深い恨みがある御様子で、敵にまわしたりすることがあると私も恨まれそうで怖かったので何も書かなかったのですが、平成18年4月1日より館長がかわっておりますので書いておきます。
(後略)
というのがそれです。
本牧にあるとかいう「港湾短期大学」の図書室の司書であると自称し、露出しているが、敵にまわしても怖くはなくなったと理解してもいいのかい?
あまりにも、つまらないブログを見つけたので、温厚な私がついガラの悪い書き方をしてしまいました。一般の読者の皆さまには不愉快な思いをさせてしまいましたが、お許しください。まるで子供の喧嘩ですね。我ながら嫌になります。
ネットの世界では、掲示板で見られるような、罵り合いになりやすいのを実感、体験しました。
しかし偶然、やはりブログ上で、本HPを応援してくださっているのも見つけました。
それは「老クレーマーの単身赴任日記
」というもので、以下に引用しておきます。
| 「悪徳慶応義塾大学を告発する」HPに驚き |
昨日、病気腎移植の万波医師がネットでどんな評価がされているか興味があって番組終了後に検索してみた。少なくてもあの番組が放送されるまでは良い意見などあるはずがないが。で、こんな凄いのを発見した。サブタイトルも興味をそそる「算数ができない大学教授」だ。余程慶応に恨みがあるらしい、というより暇だったので最後まで読んだら「怨み骨髄」のご様子だ。残念なことに私は大学へは行ってないし、ましてや経済は得意な分野ではないので言われていることがよく分からない。ただ「計量経済学」が理解できれば彼の怒りも共有できそうな気がする。↓
http://homepage2.nifty.com/inachan/
実は万波医師で検索したのでこの稲垣さん(私より7つほど年上のようだから60歳は超えている)が万波医師に関して書かれたページから読み始め、少し読んだ後で、どんなHPなのかとトップに戻ってみたら40年にも渡り慶応を糾弾してきた彼の凄さを思い知ることになった次第だ。ここまでやるところを見ると嘘ではなさそうだが応援するといっても何をすれば良いのか皆目思いつかない。有名そうな方だから知らないのは私くらいなのかも知れないが私のブログをきっかけに慶応に対する悪いイメージを与えることができれば稲垣さんも喜んでくれると思う。
最終更新日 2007.02.05
http://plaza.rakuten.co.jp/19510809/diary/200702050001/悪徳慶応義塾大学を告発する」HPに驚き「悪徳慶応義塾大学を告発する」HPに驚き
わからないなら、わからないで一向かまわないので、このように紹介していただければ有り難い気がします。
私の書いている「やさしい限界効用」にしても、教科書を書いているつもりではないので、「経済学は本当に初めて」という人には読みづらいかもしれません。
そういう方は、本を買うのも馬鹿らしいですから、限界効用、無差別曲線について簡単に書いてある何処かのページをチョロっと見てから読んでいただければ簡単と思います。それ以上はまったく必要ありません。
「60歳は超えている」と言う部分は余計でしょう。(笑)
私はウソを書いたことはありませんが、通常は中高年と自称していますので、ガックンです。
このHPを書き始めた頃は、私を大学院を除籍させられたばかりの人間だと早とちりした、若い女性から「私も慶応卒の男にセクハラされた」とか、「慶応卒の男のせいで会社を辞めざるを得なかった」とかいうメールを沢山いただきましたが、さすがに最近では少なくなりました。私を「おっさん」と認識をした上でメールをくださいます。
上のブログだけでは、この方がどういう人か、どういうことを書いておられるのか、不明ですので最初から読んでみることにしました。
何や、これは「日記や」と思ったのですが、ブログとは多分そういうものであろうし、そもそも初めから「老クレーマーの単身赴任日記 」というタイトルなので納得しました。しかし私よりも7歳若い人が、自らを「老」とおっしゃっているのなら、一体私は何と名乗れば良いのでしょうね。
日記というのは普通、一日に1頁と思うのですが、短い文章が多いとは言え、一日に3,4頁というのも珍しくなく、急いで読むと大変疲れました。単身赴任だから時間が有り余っているのでしょうか。
私はなかなか更新しませんが、1タイトルが随分長いので、読む方は大変だなあと思い、反省しました。
日本のポップ音楽やスポーツ、テレビドラマなど私のあまり興味の無い項目をとばして読んだところでは、この「老」クレーマーは家電メーカーの「シャープ」の社員で、愛社精神の持ち主ではあるのですが、会社の上層部などが、「ユーザーのことを大事に思っていない」というご不満があるようです。
定年になって退社したら、今までに経験した「会社のユーザーに対する悪行三昧」を公にする夢をお持ちのようです。
ただ、今のところは、ご家族もおられるので、定年になるのをひたすら待っておられるようです。
「私は会社では係長にもなれない落ちこぼれ」と自称されておられますが、勿論決して無能なのではなく、一所懸命だったので改善すべきところを、上司にも遠慮せずに進言し、疎んじられてしまったように思えます。
そんな一面がよくわかる、或る日の1ページを引用させていただきます。
2007.04.11
| 宮本警部特別展、東京の警察博物館で始まる |
「宮本警部」と言っても何をされた方か忘れた人も多いのではと思う。2月に線路内の女性を助けようとして電車にはねられて亡くなった元巡査部長だ。この特別展は今月10日から始まり来月6日までだそうだ。警察に博物館があるのを始めて知ったがスポーツなどで言う「殿堂」のようなものだと思われる。このことは昼のテレビのニュースで知ったがネットのニュースではあまり取り上げられていないようだ。「自分の命も顧みず踏み切りに飛び込み亡くなった」という一時は美談としてテレビや新聞などで大きく報道されていたが2ヶ月も経つと関心も薄らいでいるのは仕方が無いことなのだろう。首相に弔問され、勲章ももらい、博物館で展示され北海道から駆けつけたというお母さんや奥さんなど家族の方々も誇りに思っていることだろうと思う。ただ亡くなった本人がもし話せるならどう言うだろうかと考えてみた。
亡くなった時の肩書きは警察官になって1つ階級が上がっただけの巡査部長だったが2階級特進で警部になった。階級が上がることで遺族が警察からいただけるお金が増えることになりそれはそれで文句はない。ただ葬式やこういった式典では必ず「惜しい人を亡くした」とか「立派な警察官だった」とか言われる。まさかこういう場で悪口を言う人はいないだろうしそれが礼儀でもあるが、とっさに「助けたい」と思って反射的に線路内に飛び込んだことから考えて近所の方の証言にもあるように日頃から模範的な警察官だったのだろうと思う。
遠まわしになったが何が言いたいのかというとそんな立派な警察官ならなぜ1つしか階級があがっていないのかに拘ってしまう。警察に限らず真面目で要領の悪い人間はなかなか認めてもらえない。その上、真面目な人間ほど所属している組織のやり方に疑問を持つと黙ってはおられないしそれが評価を下げることにもなる。逆に遺族と一緒に見学したという警視総監はそんなに偉いのだろうか。仮に警視総監が現場にいたら同じ事をしたのだろうか。私は会社では係長にもなれない落ちこぼれで肩書きからいうと宮本さんと同じようなものだ。しかし私が警察官で、宮本さんと同じ状況だったら恐らく同じように飛び込んだだろうと思う。その私が15年程前に悟ったのはこれ以上頑張っても係長には絶対になれないということ。だから液晶テレビの強制販売など会社の許せない行為を糾弾できるのは私のように出世に無縁の社員の使命のように思ってきた。「万一何かの間違いで『係長昇進』といってきても絶対に辞退し万年平社員を貫くこと」これが私のプライドだ。宮本さんも私と同じ仲間のような気がしてならない。もしそうだとすると、もし私が宮本さんであり亡くなっても口がきけるならこう叫びたい。
「階級は巡査部長のままにしておいてくれ!!」
巡査部長というのが警察官になって1階級上がっただけのポストだったとは知りませんでした。この老クレーマーのお父さんは、やはり警察官だったということで、詳しくご存知なのでしょう。
ご自分の立場を顧みても、「真面目で要領の悪い人間はなかなか認めてもらえない。その上、真面目な人間ほど所属している組織のやり方に疑問を持つと黙ってはおられないし、それが評価を下げることにもなる」と至極当然のことを述べておられます。
文中にある液晶テレビの強制販売というのは、売れ残った、半分欠陥商品のような液晶テレビを社員、特に関連会社の、立場の弱い社員に強制的に、しかも安くもない値段で会社が強制的に購入させた出来事のことです。
給料もさほど多くなく、子供の教育費、家のローンなどで大変なのに、誰も抗議できない中で、この老クレーマーは、会社の汚い行為を糾弾できるのは、自分のように出世に無縁の社員の使命だというので、会社に文句を言って返品させたというのです。同調して返品してもらった人も八人のうち二人おられたということです。
このブログには奥さんは当然のように反対なさっておられるようですが、老クレーマーは続けていく意思をお持ちのようですが、これ以上会社に睨まれてもと、躊躇なさってもおられるようです。
そりゃあ、何と言っても家庭持ちですから、慎重にしていただかなくちゃあと思います。
その点、私のように未婚で子供もいない「老人」では、こわいものは「飢餓」以外にありません。治らない病気で痛かったり、苦しい思いをするのも嫌です。
しかし「臓器」は誰にもあげません。ここに意思表示をしておきます。とは言え、そんな意思は知らなかったと言われれば、それまでですね。胸に臓器摘出は認めませんと刺青でもしておかねばと思いますが、看取ってくれる人がいなければ、それこそ「死人に口なし」ですね。
なお本HPでも以前、偶然、吉永小百合が登場するシャープの液晶テレビのCMで「リビングで、環境のために出来ること、大画面も、液晶へ」としながらも、シャープなどが作ったリサイクル工場などは、安くないリサイクル料金を取っておきながら、引き取ってきた古いエアコンから、本来はガスを大気に出さないように処理するべきなのに、ボンベが足りないからと言って、何トンものガスを大気中に垂れ流すという有様で、「環境にやさしいシャープ」に呆れてしまいましたと書いたことがありましたが、この方も液晶テレビについて興味深いことを述べておられます。
液晶テレビの液晶は、それ自体で発光するわけではありませんので、後ろから光りを当ててやらねばならないのですが、そのバックライトの寿命とされているものは、電源を点けっぱなしにしている時の寿命で、点けたり消したりすると、寿命は短くなるのだそうです。
テレビを点けっぱなしにする者は、いないだろうし、またそうすれば省エネにも反することなので、はっきりこの点を表示すべきとおっしゃっています。この方のおっしゃる通りです。
(シャープはプラズマテレビと対抗して、液晶部分は寿命が長く、画面が暗くなってもサービスマンによってバックライトを交換してもらえば、ほとんど新品のように甦るとして販売していたようですが、現在のものはバックライトを交換できるようにはつくられていないそうです)
こうしたことはシャープのみが悪いのでは勿論ありません。
例えばビデオカメラのバッテリーの録画可能時間などは、液晶を使用しないで、ファインダーで覗いて、しかも、電源を切らないで、入れっぱなしで、どれだけ録画できるかを表わしているわけです。ですから実際に液晶画面を見ながら録画すると、上手に撮っても、表示の半分弱ぐらいの時間しか録画できません。これは騙しているのではなく、他のバッテリーと比較したり、他メーカーのカメラと比較するために表現の規格を統一しておく必要があるからです。勿論それをはっきりわかるように表示することが求められます。
液晶付のビデオカメラを考案したのはシャープでしたが、ファインダーがなく、液晶画面が大きいためにバッテリーの録画可能時間が短いのも道理ですが、この方がおっしゃるように欠陥商品であったのでしょう、極端にバッテリーの持続時間が短く、市場から撤退を余儀なくされてしまいました。
また郵便番号が5桁から7桁に変わった時には、この方は多分サービス部門におられたのだと思いますが、直前迄修理で対応できないという社内通達があったので、そのようにユーザーに対応していたら、急に7桁に変更、修理できるようになったということで、結果的にユーザーにウソをつく破目になったとおっしゃっているようです。
頼りない言い方ですが、そこには「詳しくは、左のホワイトページに書いた」と書いてあるのですが、私がブログの見方を理解していないのか、会員でないと読めないのか、削除されたのか、ホワイトページを見ることができなかったのです。
しかし私の、この理解が正しかったとすれば、サービスマンとすれば立場はなかったことになり、腹も立とうが、7桁に対応できるように会社も努力したと言えるようにも思えます。会社の内部のことですので正確には判断できませんが・・・。
年下の上司から「社内検定1級を取らないと係長への昇進は無理」と言われてレジスター(の部門)で1級を目指すことにした。ただ彼ら元事務機系の社員を見ていると検定試験の問題が事前に漏れていて大阪などとのコネクションを持っている要領の良い者勝ちの状況だった。堂々とFAXなどで問題を送ってもらっている。しかし検定試験を主催している研修所は「社内検定は国家試験に準じる」としているのだから笑ってしまう。
また検定試験の解答用紙に「アンケート」の項目があり、試験問題を解くのに一所懸命の時に、なぜ解答用紙に「アンケート」の項目があるのかということが不思議に思えたとおっしゃっています。それで猛勉強して次の検定試験では、問題を早く終え、アンケートにも充分時間を割くことができたそうです。
「何でも」という欄に「事前に問題が漏れていて不公平が生じている。これでは国家試験に準じていない」とか「アンケートの回答が欲しいなら社内検定ではなく別の場にすべき。またこの程度のアンケートなら普段からミーティングなどで意見を聞けば良い」と書いて提出し高松の事務所で試験が終わってくつろいでいた時、血相を変えた試験官が入ってきて「支店長は」と言うので嫌な予感はした。後日上司から結果の連絡があり不合格だった。事前に問題が漏れているとして告発(記入)したことが原因だったことに間違いはない。納得できない私は直属の上司を通じて「どこが間違っていたのか」「何点だったのか」「不合格になったのはアンケートに問題が漏れている事実を書いたためでは」と抗議したら支店長がやってきて「国家試験に準じるから本来は何点なのか教えられないが特例として研修所に確認することはできるが・・・どうする」と尋ねられた。今思えばここで文句をつけると「万年平社員は決定する」と忠告したかったのだろう。「何点だったか知りたいのでお願いします」と答えその後研修所から電話があったが結局どこが間違っているとの具体的な指摘はなかった。「国家試験に準じる」との説明を繰り返すことしかしなかったと記憶している。アンケートだけは廃止になった。その後ワープロサービス会社変更で移籍するまで社内検定の受検は中止したが移籍後その移管したワープロ中心の新科目ですぐに1級を取得した。一度も不合格にならずに、しかも自力で。あれから何年も経っていたので時効になったのか研修所の担当者が当時を反省してのことか分からない。
また最近になって自動車用家電に力を入れようとしたら自動車部品メーカーをして「あなたの会社の商品は不良率が一桁多い」と言われて慌てて自社の品質の悪さを問題視するようではあまりに遅すぎる。私から言わせれば「品質に無頓着」なのも当社の遺伝子だし、良い事ばかり褒めあって過去の失敗を教訓としない(過去の失敗を語ろうとしない)のもまた当社の遺伝子だと言える。
などと反骨精神や正義感の持ち主であるようにお見受けしました。よく計量経済学は分からないとしながらも、全体をお読みになれば、大体の不祥事はわかるので、応援して下さったと思いますので、私としてもシャープの「ユーザーに対するいい加減さを、会社の中からでは勿論なく、外から分かる範囲で立証し、次回には、少しではありますが、応援しようと思います。
社内の検定試験の漏洩など、当り前のようなことでしょう。もともと社内の検定試験などというのは出世、昇級しない社員に対して、「それは試験の結果が悪かったからだよ」という言い訳に使われ、黙らせるような一面もあるからです。
ところが純然たる国家試験である新司法試験なのに、試験の考査委員である慶応大法科大学院教授、植村栄治が問題の作成を終えていたにもかかわらず、自分の学生に前もって、試験問題を教えるという驚いた事件が明らかになりました。このようにして、慶応の合格者を増やして、優秀な大学院を装い、生徒を多く集め、金儲けを企んでいるのが慶応というところなのです。この植村栄治の試験練習会に出た学生は全員、失格にするのが当然でしょう。勿論慶応の法科大学院などは国が認可を取り消し、それによって被害を受けた学生は慶応に損害を賠償させるべきでしょう。
そもそも出題、採点する側が、受験生に講義をしているということ自体おかしな話で、誰にでもわかることですよね。
本件でも全く自浄作用がみられない、とんでもない慶応なのです。
この事件が発覚したのは、答案練習会に出席した学生が自身のブログで公にしたことだそうです。
何気なく書いたことが広まったのか、内部告発のように発表したのか、今の私にはわかりませんが、この学生さんが皆に知ってもらおうとした行為なら、あるいは練習会というものに疑念を抱いたのなら、とても素晴らしいことだと思います。
もしそうなら、慶応の学生も捨てたものではないなあと嬉しくなります。それにしても答案練習会に出席した他の学生の声があまり聞かれないような気もします。
辻村江太郎や黒田昌裕というのは、間違いとわかっている自分たちの「学説」なるものを、不祥事を起こした後も、それを論文や著書に書き続けたのですよ。
慶応義塾は、そうした事実を隠蔽し、間違いを指摘した学生を、理由もなく除籍したのです。こうした事実を認めもしない、反省もしない慶応義塾に巨額の税金を助成金として与えるのを止めさせましょう。
勿論今回の事件を植村栄治のみを悪者にして「慶応も被害者だ」というようなポーズをとるような時は、「本HPの件はどうなんだい」ということで徹底的に攻めまくりましょう。