慶応の塾長が清家篤のようなアホな学者で良いのでしょうか。
「月夜に釜を抜かれる」のカルタの本当の意味は何? 清家の頭の中身を知ろう
財源が無いのなら悪徳慶応義塾に対する助成金を撤廃しよう

 

 

いろはカルタの中にある「月夜に釜を抜かれる」の意味について、疑問に思われた方はいらっしゃるでしょうか。子供の頃に学校で学ばれて、教師に教えられたり、ご自身で辞書を利用なさったりして、その意味を知った方も多いことでしょう。

しかし一部の方は、その意味について納得できないと感じられた方もいらっしゃることと思います。

教えられる大抵は「明るい月夜だというのに、大事な釜を盗まれてしまう、つまり油断をすると大失敗をしてしまう」の意味で、用心することの大切さを教え諭したものだというものでしょう。

電気炊飯器もカップラーメンも無い時代に、生きて行くうえでもっとも必要なご飯を炊く釜が、いかに大事なものであった時代につくられた「ことわざ」(?)であるとしても、これでは合理的な解釈とは思えません。

というのは釜は室内において保管されているもので、月の明るさとは何の関係もありません。これなら今の時代の言葉で言えば「月夜にフリルつきの下着を干しっぱなしにしておく馬鹿女に、それをパクル馬鹿男」ぐらいのカルタぐらいのほうが合理的です。もっともこれでは冗長でカルタには向きません。

ところでこのカルタの意味は「月夜」の取り違いから生じた誤りです。
「月夜」とは暗い、明るいには関係のないことで、女性の月の障りのある夜、つまり生理の時の夜のことで、それゆえ男女の交わりの際に、前は使えず、代わりに、後ろを使ってしまった、の意味が正解なのです。女性側から苦笑して「抜かれちゃった」と白状しているようにも読めますし、決して嫌がっているようには思えません。
また第三者の立場から詠っているようにも思えます。まあ「おおらかな」ウタでしょう。

釜が後ろ(お尻)の意味に使われるのは現在でも「オカマ」とか、自動車事故で追突されることを「オカマを掘られる」などという表現に残っています。このように理解してはじめて、釜が「抜かれる」という表現が意味をもちます。
ですから、「ことわざ」ではありえません。

カルタというのは土着的にできたもので、品の悪いものや意味不明のもの、差別的な表現をもつもの、残酷なものなどいろいろあるようです。
これは、どこの国の民謡や民話、それに童話などにも共通することのようです。

このように教えるほうも、教えられるほうも真意を知らないまま、納得していることは珍しくありません。(アホな学者は掃いて捨てるほどおりますが、アホの程度がひどい奴ほど自分の頭で考えろなどとイキがります)

大学の経済学で教えられる「限界効用」なるものも、そうしたものの代表です。教えるほうも、教えられるほうも、まったく理解しないまま納得しているのです。
今でもネットで検索してみますと「限界効用逓減の法則」なるものも多数登場します。大学の先生が書いているものも沢山あります。
これについては、「月夜に釜を抜かれる」と同じく、アホな解説をしているなぁと笑ってすませることとしましょうか。

しかし慶応義塾の場合はそうも言ってはおられません。
巨額の国税を投入され、一応の高等教育を与えるという建て前になっている大学であるのに、経済学の「初歩も初歩」の限界効用も間違って教えており、間違っているだけならともかく、間違いを指摘された辻村江太郎という教授は、黒田昌裕という助手と共謀して、それを指摘した大学院生を研究科委員長の名前をかたり、院生の母親をだましたりしてまでして、この院生を追放しました。

勿論悪い教師などは何時でも、また何処にでもおりますが、本件は特にひどいものでした。
こうした不祥事は当時の塾長以下大学側はよく承知しており、これに目をつぶった、隠蔽したというだけでなく積極的に加担したわけです。大学ぐるみの犯罪なのです。
たとえ鈴木諒一が言ったように「素人ばかり」の教授会であっても、母親をだましてまでして退学届を出すように強要したということは経済学について素人である教員であっても、とんでもないことだと理解できるからです。

古い話だという印象をもたれるかもしれません。しかし慶応義塾の本質はそれ以来約40年間勿論変わってはおらず、今現在も学生は高い授業料を支払っているのに、限界効用でさえ、まともに教えられていないのです。本件は時効になってはおりません。

小尾恵一郎は死んでしまい、辻村江太郎も多分それに近い状態でしょう(しかしこいつは本当の悪党ですから、多額の年金や蓄財で今なお、元気でずぶとく生きているかもしれません)。また黒田昌裕も慶応を見かけ上は離れているわけで、現在の慶応の学生は自分とは関係の無い話だと思っているかもしれませんが、これが大違いなのです。

座っているのはアホと確定されていない頃の清家篤前回や少し前の回でも、お話しましたが塾長の清家篤やその先輩にあたる樋口美雄などは、悪党辻村江太郎や小尾恵一郎の後継者であり、無能学者そのものなのです。限界効用も理解していないのですから・・・。
「月夜」の無理解はご愛嬌で、どちらの解釈が正しいと「証明」できるものではないのですが、「序数」の定義の無理解ははっきりわかることなのです。

こういう輩が経済学を教えているのですから、学生にとっても有害ですし、厚生労働省の審議会などをつうじての政策なども全国民の不利益の源泉ということになります。
働く意欲は強いのに仕事が無いという方が大勢いらっしゃいます。これは厚生労働省の官僚や無能な労働経済学者などの責任です。
勿論、巨額の国民の税金がこの無能なゴロツキ大学に投入されているのですから、庶民はたまりません。これは文部科学省の無能官僚の責任です。
こうした無能ゴロツキ大学でさえ一応世間的には高等教育研究機関とされているわけですから、こうした大学をでも卒業しておかないと、世間では一人前と認められないような風潮ですから、子供を産むと多額の教育費がかかるというので、ますます少子化が進むことになります。
こうした自浄作用のない安物のアホ大学は潰しておかなければなりません。必要ないのです。

また不況下にある現在、すこしでもマシな就職先を見つけようとして、奨学金を借り、頑張ったのに碌な講義も受けられず、あまりにも初歩的な間違いにあきれても、それを指摘すれば、正当な理由もなく除籍されてしまいます。
それを我慢して、卒業しても明るい将来は見えず、多額の奨学金の返済のために苦しむことになります。
私は学生時代、奨学金などは本当に困っている人が利用するものと思い、奨学金をもらったり、アルバイトをしたりすることはしませんでしたが(バイトは興味半分で休みの時に、ほんの短期間したことがあります)、大学の同級生には結構な数の者が奨学金をもらっていましたが、奨学金が入金される日には、マージャンに行ったり、飲みに行ったりという有様で、傍で見ていても不愉快でした。

まして大学院まで行けば、教授より無能なものしか学者としての道には進めず、野垂れ死にするような破目に陥ります。清家篤や樋口美雄のような、辻村江太郎や小尾恵一郎より知能指数の低い者が大学に残っているのが、その好例です。(そう言えば、悪党の息子の和佑も授業料も払わずに大学時代を過ごし、やはり大学教員として職を得ています)

しかし、そこは良くしたもので、樋口美雄研究会の学生は出来が悪いようです。樋口も優秀な学生を集めると自分の身が危ないということは自覚しており、体育系の学生を多く集めているようです。
勿論、スポーツを楽しむ人間が無能だと言うつもりはありませんが、必要以上に上下関係にうるさく、それに逆らってまでして正義を貫こうという者はほとんど皆無と言っていいでしょう。
ちょうど、むかしの日本軍隊のようなものでしょう。
日本の会社組織も軍隊のようなもので、上に歯向かうことも、不正義をただすこともしない社員が使いやすく、慶応の卒業生はそれにピッタリだったのでしょう。慶応の卒業生で固められたカネボウや三越などが凋落したのは当然です。

ところで以前、樋口美雄研究会の学生が、樋口のことを教祖のように誉めたたえていたので、「気色わるー」と書いておいたので、削除したかなと思って、確認すると削除するどころか、別のページまで作って、前より強烈なものになっていました。
こんなことを公の目の見えるところで、書いていると自分たちが馬鹿であるということを宣伝していることがわからないのでしょうか。

これは次のページにあります。
慶應義塾大学商学部・樋口美雄研究会-members
http://higucci.weebly.com/members.html

樋口美雄ゼミ20期生、および19期生に対して「あなたから見た樋口先生とは?」という質問をしており、それに対する回答を並べています。

優しい先生ではあるようです。(前にこのページを覗いた時は、確か「神」という回答があったように思いますが、現在はありませんね)
しかし「限界効用」もまともに教えず、自分の誤りを隠して、学生にやさしく接しているとすれば悪党です。辻村という学生がいますが、ひょっとすれば辻村江太郎の曾孫かもしれませんね。

それはともかく、みなさんの「やさしい、博学」の先生というのが、経済学の入り口の「限界効用」もまったく理解していないということを知っていただくために、やさしく「限界効用」を説明することにします。

これはこのホ−ムページで既に
「消費選好場と相対性」
「やさしい限界効用」
で行っております。
当時はそれなりに理解してくれている人も多かったように思いますが、だんだん学生の質も落ちてきたようですのでさらに追加することにします。

次回は既にお話済みのことを整理してお話する予定で、次々回は基本は同じことですが、樋口美雄や清家篤、それに宮内環などの無能を知るためにも「労働供給」の話をやさしく説明することにします。

 

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