金港人ブログ管理人の知能情報につきまして(続)
創立150年記念事業に沸くゴロツキ慶応義塾を笑う

 

日本の消費者はなぜ怒らないのか(竹内直一)前回、「横浜港湾カレッジ」とかいう沖仲士の養成学校であるらしい短期大学の図書館司書のブログの内容があまりにも面妖なものなので、日本消費者連盟の創設者の竹内直一氏の古い著書「日本の消費者はなぜ怒らないのか」を引用して、本HPについて、あまりにも変な、的外れなことを書くのを止めるように忠告しておきました。

ところがその本の中で、本HPで扱っている「ゴロツキ慶応義塾の私に対する人権侵害事件」の隣に、たまたま書いてあった「松下電器(パナソニック)の電器小売店に対する悪質極まりない詐欺事件、マンデー事件」や日本消費者連盟の昔の住所であった「めぐみ」幼稚園から横田めぐみさんの拉致事件を連想したりで、本来の書くべき内容が短く、物足りないものになってしまいましたので、もう少し書き加えていくことにします。

いつも通り、引用する必要のある個所はコピーしておきます。
私はこのブログを盗用するつもりもなく、本当はこんなつまらないもので本HPを汚したくないのですが、本HPについて「公に誰にでも見ることが可能な形で」ピント外れなことを書かれていますので、反論し、訂正する必要があり、その為には「何が書かれていたかが正確にわかるため」と「消去、削除、変形されると困るため」にコピーをするわけです。


2008/4/14  6:01

日本労働協会会長でもあった辻村江太郎先生!    〔2月15日(金)記事が原型です。『実証科学の経済学者』であり、私のしごと館初代館長(現在は2代目館長)であられた文化功労者辻村江太郎先生の人権保護活動を実践中です!〕

 ようやく暖かくなってきました。
 ネット上の噂は今の言動を観察しますと、何か不自然で主客転倒の創作話のような気がいたします。
 私のしごと館初代館長として、老骨に鞭打っていろいろやってくださった辻村江太郎先生ですが、現在の労働政策研究・研修機構(JILPT)の前身である日本労働協会の会長であったことがあるとのことです。
 辻村江太郎先生関連の学術論文を調べますと、本当に大変な数の論文が出てきます。
 すぐれた経済学者としてその名声と業績は国際的なものであり、それが今後揺らぐことはありません!
 憲法学者の美濃部達吉先生が天皇機関説により迫害され名声を落とされたことがあっても、最終的にはすばらしい名声を現在にいたるまで残されております。かえってひどいめにあわされたゆえに名声が高まっておられるのです。
 日本労働協会(昭和33年〜平成元年)→雇用職業総合研究所を統合し日本労働研究機構が誕生(平成元年〜平成13年)→労働大学校等を統合し労働政策研究・研修機構(JILPT)誕生という流れとなっております。
 歴代会長には、中山伊知郎、隅谷三喜男といった日本を代表する経済学の碩学が名を連ねており、辻村江太郎先生は昭和63年より会長をつとめられました。
 資料によりますと、昭和23年に慶應義塾大学を卒業後、一貫して慶應義塾一筋の学究生活を送られてきた辻村先生であり、最初は経済学部だったのですが昭和33年(1958年)に新設置された商学部に異動されました。新設置機関育成にお強いということでしょうか?

 本当に長年にわたり大勢の優秀な弟子を育てられ社会的評価も高いそうです!
 実際検索をしますと、膨大な数の学術論文が出てきます。
 昭和38年(1963年)に教授に昇進されました。
 その後昭和47年(1972年)からは、約10年間慶應義塾大学産業研究所の所長もつとめられました。
 国家関係では大蔵省、労働省、経済企画庁、通産省の各種審議委員会の委員もとつとめられ、昭和59年からは理論・計量経済学会(現日本経済学会)の会長となり学界のトップとなられました。
 エコノミスト賞、日本統計学会賞の受賞者であり、国家への多大な貢献で文化功労者にも選ばれ長く名誉が称えられております。『実証精神』に富まれた学究であるとのことで、日本経済好調時のよきアドバイザーの一人でもありました。大人物だと思われます!
 学者であれば論敵の方も当然大勢おられるとは思いますが、別大学出身の私が見ても、人徳と実力がなければ絶対ありえない経歴だと思われます。
 いろいろな文章を見ても、辻村江太郎先生への真実の敬愛と感謝の気持ちを抱いておられる方の文章ばかりでした。
 『観察と実証』を大切にされた『実証科学の経済学者』であり、戦後日本を代表する経済学者の一人であります。 
 それにしても労働政策研究・研修機構(JILPT)無用論を叫んだ方も慶應義塾大学出身、私のしごと館批判者も慶應義塾大学御出身です。
 どの大学もいろいろな方がおられるので偶然の一致でしょうが、不思議なことにも思われます。
 ちなみに私のしごと館の意匠担当建築家は、早稲田大学御出身の一流建築家の方です。この方も主に首都圏の建築で多くの賞に輝いておられる立派な経歴の持ち主です。都市の象徴となるような建築作品を得意とされておられます。


ネット上の噂は今の言動を観察しますと、何か不自然で主客転倒の創作話のような気がいたします。

主客転倒なのはお前さんの方だということが、前回でわかったろう。

人徳があるかどうかなどというのは会ったこともない者にわかるはずがないだろう。(ましてや限界効用についても全く理解できないこの管理人には無理であろう)
例えば鳥居耀蔵、この男が人徳があったかどうか、お前にわかるか。

私が福岡正夫慶応大学教授(当時)と最初で、1度だけ会ったことがあるのは前にも書いたことがありますが、これは六本木の東京国際文化会館でなのでしたが、この前の坂道が多分鳥居坂というのでしょう。これは耀蔵の屋敷が在ったからだと聞いたこともあります。
この男は前塾長であった鳥居泰彦の先祖であったということでありますが、強烈に評判の悪い男です。

耀蔵が出世をする糸口となったのは大塩平八郎の乱の時だということです。
大塩平八郎はご承知のように大坂町奉行の与力で、つまりは幕府の役人です。その役人が、困窮する庶民に対して何の対策をも施さない幕府に抗議して、門人を集めて決起した乱が大塩の乱なのでした。残念なことに、この乱はわずか1日で鎮圧されてしまい、大塩は潜伏先で、養子の格之助とともに自ら爆死してしまうことになります。

しかし、「幕府の役人による叛乱」という前代未聞の事件に対して、幕府はその後始末に苦慮することになります。
大塩の乱は大坂町民を救済しようとする公憤によるものであるのは明らかであり、乱によって自分の家を焼き払われた大坂の町人でさえも「大塩さま」と呼ぶほどで、この英雄の評判を何とかして引きずり落す必要が幕府にはあったのでした。
その大塩の罪状をデッチあげたのが耀蔵です。この男は自分の出世欲、権勢欲を充たす為なら何でもやると言う奴です。

「大塩は養子格之助の妻と姦通した」と事実無根のスキャンダルをデッチあげて人格攻撃を行い、この事件のケリをつけたのでした。いつの世にもこういう奴はおります。そしてこのデッチあげによる決着こそが耀蔵の出世の糸口になったのでした。
大塩判決で見せた、「誹謗」「中傷」「デッチあげ」「讒言」それに加えて「ごますり」体質が、この後も耀蔵が出世をしていく手段となるわけです。
まるで辻村江太郎や黒田昌裕のような奴です。

また耀蔵は測量について江川太郎左衛門と競ったのでしたが、最新の蘭学をマスターした江川に負け、洋学にコンプレックスを持つ耀蔵は、江川や渡辺崋山や高野長英らの洋学者をイチャモンをつけて、弾圧します。これが「蛮社の獄」と呼ばれる出来事です。

「江川太郎左衛門」、と「砲術」、「韮山」を結び付けたり、「蛮社の獄」と「渡辺崋山」や「高野長英」を結び付けたりするのが、私たちの時代の大学受験の日本史の問題の一例ですが、こんなの覚えても日本史を理解したことにならないのは当り前で、受験勉強がつまらないのは当然でしょう。私は今もって歴史、社会科は不得手です。

(日本史の教科書には出てはいなかったのですが、「岩倉具視」が孝明天皇を毒殺したと授業で教えられたのはいまだに覚えています。これが真実であったかどうかは私には不明ですが、御所のあった京都では、公立高校で教わるぐらいで、常識化していました。

また子供の頃、京都新聞の読者の方で「米沢いくを」という名のお年寄りの投書魔がいらっしゃたのでしたが、この方が、自分のお爺さんか誰かが京都御所に勤めておられたそうですが、この暗殺事件の時に御所の池の鯉が死んでしまったというようなことを実しやかに投書の中で書いておられたのを覚えています。

「米沢いくを」なる普通人の名前を良く憶えていられるなあとお思いの方もおられるかなあとも思いますが、養子に来た私の父は前にも書きましたが、山形県の米沢の出身なので憶えやすく、妹とまた投書欄に書いていると良く笑ったものでした。
父の実家は米沢織の最も古い織り元で創業200年にはなるそうです。慶応よりは古いですね。ネットで調べてもその会社は創業何年とは書いていないのに、他所のページでは、この会社について創業250余年と書いたりしているものもあります。従兄弟である当主とは最近半世紀振りに会いましたが、彼によれば詳しくはわからないのだと言っておりました。着物を着る人もめっきり少なくなり商売も大変なのではないかと推察します。
父の兄弟は同じ母親にもかかわらず、16,7人兄弟だと言うことです。
私の両親の夫婦仲は昔から良くなく、父の実家とは疎遠で、私も米沢には中学以来行っておりません。私が多分中学1年生の時、山形駅の近くで従兄弟が既に公認会計士の事務所を経営していましたから、年齢は大きく離れており、大人と子供です。当時まだ東北に2台しかないとか言って使用していた電気計算機も大きな設備で当時大変珍しく思いましたが、多分現在の100円ショップの電卓の方が機能も良かったのではなかったかと推測いたします。この時初めて公認会計士なる仕事の存在を知りました。

ところで岩倉は多分加山雄三のご先祖だったように記憶していますが、こんな胡散臭い奴が日本の紙幣に登場するのは遠慮してもらいたいと思うほどです。
しかし福沢諭吉は慶応義塾が手狭になり、芝新銭座から三田に移転する時には岩倉具視や佐野常民などに対して工作活動をし、学者とは思えないぐらいに、すばしっこく立ち回っています。抜け目の無い男です。現代で言えば竹村健一のような男ですね。
現在ワルがトランクを開けて、札束を見せるシーンなどに毎回登場する福沢諭吉も現在の慶応義塾より類推すれば相当の悪党だったのかもしれません)

なお慶応の入試には西南戦争の時に、敵味方の区別なく救護活動を行ったという日本赤十字社の創設者でもあるこの佐野常民などがよく登場するのが常でした。パターンが決まっていたのでしょうね。佐野氏は適塾で福沢の先輩になります。
何年か分の慶応大学の入試問題に目を通しておくと、日本史に関しては大体はOKということになりました。

日本史だけでなく国語なども、「蟹工船」、「小林多喜二」、「プロレタリア文学」と結び付ければOKというような問題が慶応に限らず、たいていの試験問題の典型的なものでした。
今、ワーキングプアなどと話題になり、苦労をしている若い人にこの「蟹工船」がよく読まれているそうです。
恥ずかしながら私は、これを読んだことがなく、暇ができれば読んでみようかと思っているところです。本を実際に読んでもいないのに、タイトルと作者だけ憶えれば良いという試験などというのは無意味という他ありませんね。

ところで鳥居耀蔵と言えば、歴史好きの人は別にして、普通の人には「天保の改革」を水野忠邦に協力して行った人物として、通常は知られるぐらいでしょうが、有能で庶民の人気も高かった南町奉行の矢部定謙を理由もないのにイチャモンをつけ、無実の罪に陥れ、自分が後釜について南町奉行になります。北町奉行は勿論遠山金四郎です。
(最近NHKで若者主演の時代劇ドラマをやっているようで、最初にローマ字で、KINSIROU TOYAMA ・ YOUZOU TORII,などと画面に出てくる珍妙な時代劇です。スペルは違っているかもしれません。面白くなさそうなのですぐチャンネルを変えてしまいますので、内容も全く知りませんが、ここでも
耀蔵は陰険な男になっているのでしょうか)
耀蔵は禁制の絹の着物を着ている容疑があるからというので、女性を路上で脱がせたりしたというのですから、慶応の例の法医学者よりも陰険ですね。

この頃の日本女性はブラジャーは勿論、ショーツも着けていなかったのですよ。
「腰巻き」のみというのが日本女性のそれまでの下着だったのですが(襦袢は別です。これは今で言うスリップのようなものでしょう)、1932年の白木屋の火事の際、恥ずかしさのため、梯子を使ったり、飛び降りたりできないので多くの焼死者がでました。それ以来ズロースを穿くのが一般的になったそうです。案外最近のことなのですね。
なおズロースというのは 「drawers」と綴るそうですから「引き出し。大切なものを仕舞っておくもの」から派生した言葉なのでしょうか。なおズロースと言う人よりも、もう少し古い世代の女性はパンスなどと呼んでいました。
(それにしても時代は変わるとは良く言ったもので、AV映画を製作するために、路上で放尿している場面を撮影させている慶応女子大学生が公然猥褻罪で警察に捕まったという出来事もあったと記憶しています。道端でする行為ではないと思いますよ。ひょっとすると脱糞行為だったかもしれません)

ブラジャーにいたっては戦後のことでしょう。ワコールなどというのは私の中学生の時は、まだ和江商事という名前の会社で、京都の確か室町姉小路角にあったと記憶しています。この頃は、一般の女性に対して下着の着け心地や希望などを聞き取り難く、社長の奥さん以外では水商売の女性からしか、そうしたことを聞くのは無理であったようです。
当時のクラブ「はる坊」の女給さん(古い言葉ですね・・・)であった方が、その役割を果たされ、またセンスも良かったので、ワコールが成功した秘密の一つでもあったと思います。この方は長くワコールのデザイン担当の先生であったようです。
雑誌などでのワコールの宣伝も女性らしさを前面に出した、当時としてはセンスが良く、いかにも女性の憧れる下着というような雰囲気が感じられました。
(これに反して、多分ドイツのメーカーである「トリンプ」などは、いかにも男性が作ったというような夢の無い広告で、胸の大きい、骨太の女性が岩山の上に立って、ガッツ・ポーズをとっているような写真で、まるでゴリラが下着を着けて立っているように思えました。勿論現在のトリンプはこんなことはありません。
勿論ワコールの成功は、社長の塚本幸一氏の商売人としての努力とカリスマ性の強い個性が第一でしょうが・・・。
ちょっとヤクザっぽい雰囲気でしたが・・・。後の時代になって何があったか知りませんが、塚本氏の自宅に鉄砲の弾が撃ち込まれたりした事件があったなあと、今思い出しました)

この当時は「半沢エレガンス」というメーカーが一番格が上であったように記憶しています。これは後でカネボウに吸収され、カネボウ・エレガンスとなりました。

またまた脱線してしまいました。
町の人々は鳥居耀蔵を「妖怪」と呼んで恐れたそうです。
彼の官名の「甲斐守」の甲斐と「耀蔵」の耀から、そのように呼んだのでした。
 
天保の改革が行き詰まってくると、ついには耀蔵は水野忠邦を裏切り、反水野派に寝返ってしまったので、水野は老中を失脚してしまったのでした。

しかし、何事も、そうはうまく行きません。
しばらくすると驚いたことに水野が復職したのです。
復職した水野によって耀蔵は左遷され、家禄没収の上、四国は丸亀の京極家に預けられ、幽閉されることとなったのです。
丸亀は金毘羅さんへの参詣路であったので、早速「金毘羅に生きた鳥居を奉納し」という川柳が詠まれたそうです。上手いことを言いますね。
この間、将軍の代替わりなどによる恩赦の機会も何度かあったということですが、耀蔵を赦す動きだけは23年後の廃藩置県まで無かったというのです。嫌われていたのですね。

耀蔵は、しかしこの丸亀時代には意外にも領民に尊敬され、愛されたようでもあります。耀蔵は漢方の心得もあったので医者として活躍したのでした。

耀蔵のこの二面は多分どちらも本当でしょう。このように同じ人物を観察しても、どういう場面から観察するか、誰の目から見て観察するのかによって全く違った答えがでるでしょう。丸亀時代には誹謗したり中傷したり、デッチあげしてまで、引き摺り下ろすような相手もいなかったのでしょう。またそうしたことが出来る立場でもなかったのでしょう。

よほど資料を深く研究してもなかなか本当のことはわからないものです。ましてずっと昔に死んでしまっている人のことなどわかりっこないのです。
多分こういう男だったのでしょう。私などは面白い男がいたものだなあと思いこそすれ、公の場でそれを断定したりは出来ませんし、またそれが出来るほど研究したこともありません。

ところが現在も生きている辻村江太郎や黒田昌裕が悪党かどうかなど簡単に判別がつきます。それは限界効用を正しく理解しているかどうかで、はっきり誰にでもわかります。

安西塾長は三田の金正日だ!週刊現代07.2.10その上、私に対して直接に退学させようとしただけでなく、私の母にまで増井商学委員長の名前をかたり、その伝言だとして退学届を出させようと強要したからです。これは被害者としては断定出来るのです。
黒田の電話録音をお聞きになったでしょう?こいつが「公益」大学の学長なのです。

これに反して鳥居泰彦前塾長は耀蔵が本当に悪党だったとしても、別の人格なので,これを以って悪党だと言えないのは当然です。私の知っている前塾長は無愛想で、黒い大きな鞄をいつも持っていたことぐらいです。
しかし一度も話したこともないので、本当に無愛想な人間であったかどうかでさえも私には不明です。但し限界効用を理解していないのは確かです。

金港人のブログ管理者は会ったこともなく、問題となっている経済学についても全くわからないのに、辻村を誉めまくっています。おかしな奴です。

ところで鳥居前塾長は、確かハコモノばかりを作ろうとするということで、安西祐一郎現塾長や黒田昌裕などに蹴落とされ、引き摺り降ろされたように記憶していますが、何と今度は安西祐一郎そのものがハコモノ作りに熱心だと言うので、経済学部の杉浦章介教授から金正日呼ばわりされていましたね。
一体この学校には何人金正日がいるのでしょうか。

この話はその後あまり部外者には内容の結末が漏れ伝わったということはありません。単なるアホどうしの喧嘩なのでしょうか。隠蔽されてしまったような感じですね。

杉浦教授の論文が掲載されている会報は、150年記念事業を<安西氏の、安西氏による、安西氏のための記念事業>と断じている。名門大学の気になる内紛劇である。
(週刊現代・2007年2月10日号より)

ところで創立150年記念事業委員会の委員というのは

顧問:鳥居泰彦
委員長:安西祐一郎
委員:杉浦章介など多数
ということだそうです。不思議な学校ですね。

さて次に進みましょうか。


2008/4/30  6:21

投稿者:金港人
 コメントありがとうございます。
 実は原文には本名が書いてあるのですが、嫌がらせを受けるようなことがあっては申し訳ないので、氏名の書いてあるところなどを編集させていただき公開させていただきます。
 メールもいただきました。
 私ブログに書くつもりはないことは約束したのですが、ポイントとなりそうな点があり世間の誤解が晴れそうなので、ほんの少しですが触れさせていただきます。
 辻村先生は学生が就職できなくなることを何よりも怖れられ、「大学院に長くいると就職できなくなるから働きなさい」という考え方であったそうです。
 しかしそれは学生のためを思えばこその言動であり、それを誤解したり逆恨みされては、怒りはしないが心外ではないか?ということでした。
 ただ本当の学究で何よりも研究と論文を書くのが好きな方でしたので、マスコミを通じて反論されるようなことはおそらく絶対ないでしょうということでした。
 話を聞きますと訴えるようなこともなさそうです。
 あるいは大学側が訴えようとするのも、止めておられるのかもしれません。
 その分野ではやはり大変な存在だったそうです。
 ジャーナリストにはあまり知られておりませんが、本当の大学者であるそうです。


「日本の消費者はなぜ怒らないのか」慶応の学生からメールを貰い、ブログに書くつもりはないと約束しておきながら、自分が経済学の問題に全く答えられないのですから、約束も守らず、学生の言い分をそのまま引用して、書いたようですが、恥ずかしい奴ですね。

辻村先生は学生が就職できなくなることを何よりも怖れられ、「大学院に長くいると就職できなくなるから働きなさい」という考え方であったそうです。
しかしそれは学生のためを思えばこその言動であり、それを誤解したり逆恨みされては、怒りはしないが心外ではないか?ということでした。

こんな言い分は全く通用しない、納得できない話であるのは、よほどの阿呆でない限り当然のことでしょう。
辻村の消費習慣形成仮説が多少とも意味のあるものならともかく、全く初歩的な間違いを持つものなのですから、こんな言い訳など言い訳にもなりません。

大学時代、早くから大学院に行くことを決めておりましたし、早くに試験にも受かっていましたので、今更就職試験のための面接を受ける気にもならず、就職部に顔を出したことも一度もなく、それゆえ皆が持っている就職のための分厚い本もパンフレットもカタログも持ってはいませんでした。

大学3年生の頃より、辻村の仮説は間違っているのではないか、それではどのように消費の理論を改めうるのか、大学院で勉強しようとしたのでした。
しかし辻村は私が大学院に進もうと思った切っ掛けであった「限界効用の基礎」でさえ呆れたことに理解していないのでした。
辻村が
「大学院に長くいると就職できなくなるから働きなさい」という考え方であったそうです。しかしそれは学生のためを思えばこその言動であり、・・・などとあるが、学生のためを思えばこそというのなら、就職のことをいうより、経済についての質問に答えるだけで良かったはずです。急に大学を辞めさせられることとなり、就職部にも顔を出したのでしたが、大学時代に就職部の面接も受けていないからと、どこの会社でさえ1社として紹介してくれないのでした。
本当に就職部の奴等は安物の下級役人のような下司な奴ばかりでした。お陰で私はフリーターの魁になってしまいました。
コネを使用してまでして就職しても、会社の中にも「三田会」があるようなところが多く、迂闊には就職など出来ないと思ったからです。

右上は前回引用しておいた個所ですが、写真で表示しておきましょうか。「金港人のブログ」なるものは慶応や辻村との間のトラブルと全く違う話になってしまっています。迷惑だというのはこの意味においてです。

消費者リポート91年3月7日号左は「消費者リポート」の1991年3月7日号の写真です。

辻村の言い分とは全く違うでしょう。
辻村や慶応が私を訴えるなどということをするわけがありません。

この自称研究者が言うようなことなら、慶応は辻村がいくら制止しても私を名誉毀損で訴えるなり、プロバイダーにインターネットに接続できないように求めるでしょう。

現に前述のように、経済学部の杉浦章介という現職教授が、安西祐一郎塾長を中心とする「現政権」を公然と批判する論文を慶応の同窓会の会報で、150年記念事業に沸く大学の現状と安西祐一郎塾長(60歳)を痛烈に批判したと言うのです。
こうした内部の一部の人間しか知らないことについてでさえ、大学側は、謝罪文の提出を求める内容証明をこの教授に送りつけたというのです。私のHPは慶応内外のもっと多くの人々によって読まれていますよ。

辻村や黒田の不祥事を慶応義塾が隠蔽するために、悪徳行為を働いたのです。

実際は日本消費者連盟から「稲垣さんの質問に回答してあげれば」という催促にも答えず逃げ廻っていたのとは整合性がないわけです。
また慶応義塾の「学問のことは学会で」という逃げ口上とも話しが合わないのです。

この自称「経済研究者」なる者も、このHPを読んで、こんなことを書いているようでは頭が悪いのはバレバレです。
多分この人物は出来の悪い大学生でしょう。物事を論理的に議論するだけの知能がありません。この金港人のブログの管理人程度の人間相手に文通でもしておれば、お似合いです。

しかしこの経済研究者と自称する大学生も少しは本を読んでいるようなので、その頭の悪さには愕然としました。


 

2008/4/30  6:15

投稿者:経済学研究者
辻村教授が序数的効用を踏まえているか否かという点については、他の研究者が「効用関数(utility function)」という語を使っているのに対して辻村教授が「効用指標関数(utility indicator function)」の語に拘ってこの語を多様している点や、例えば「競合・補完」理論(FF-TTの定義)と実証分析 : 食パン,バター,マーガリン-再論(『三田商学研究』辻村江太郎教授退任記念号)
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00234698-19890425-04055672
をご覧いただければ、事実ではない旨が分かると思います。
 かような批判は辻村教授に対してではなく、限界効用は逓減(ていげん)(注)する旨を経済学教科書に明記してしまっているような研究者に対してすべきであろうと考えます。
(注)限界効用が逓減するとは即ち、効用関数(効用指標関数)の二階の微分がマイナスである旨を意味しますが、この二階の微分は単調増加変換した際にマイナスであり続ける保証はないため、序数的効用の下では限界効用逓減則は成立せず、逓減するのは限界代替率であるということになります。

(詳しい証明は、オスカー・ランゲ(Oskar Lange)の論文"The Determinateness of the Utility Function"
http://www.jstor.org/pss/2967485  で証明済み)
 


これが上で述べた経済学研究者の主張だそうです。
辻村教授が序数的効用を踏まえているか否かという点については、他の研究者が「効用関数(utility function)」という語を使っているのに対して辻村教授が「効用指標関数(utility indicator function)」の語に拘ってこの語を多様している
などと言う点ですが、これは言葉だけの問題で「無能者の知能程度」を良く表わしています。何が研究者なものか。

「私は超真面目です」と度々主張している人間が「私は真面目です」と主張している人間よりも真面目であるなどということは言えないのと同じで、何の根拠もないことです。そもそもこの人間が真面目であるということも言えないのです。
効用指標関数という言葉を多用しているのは、私に基数だと馬鹿にされたので、それがバレないようにというつもりなのでしょう。現にこの学生はアホだから、辻村の思う壺にはまっています。

またかような批判は辻村教授に対してではなく、限界効用は逓減(ていげん)(注)する旨を経済学教科書に明記してしまっているような研究者に対してすべきであろうと考えます。
この1枚の図からだけで0点とわかる欠陥テキストまあこれを書いているのは出来の悪い大学生であろうから、ボロクソには書かないようにしますが、先のNHKの欠陥テキストのところで、明記してしまっているのを、お見せしたでしょう?

限界効用曲線の図を描いていても、変位していない図であるのなら、正しくはないとしても、何とか言い訳をして逃げることは出来ます。しかしこのように変位している図を描いてしまえば逃げることはできません。基数なのです。それゆえこの学生も理解しているように0点なのです。

オスカー・ランゲの論文などというのは、私が生まれるよりもずっと前の1934年に発表されているのです。

これは日本の都会の女性がズロースを穿き始めたのと同じ頃の話です。この頃既に限界効用逓減法則なるものが無意味なことは当り前で、周知のことだったのです。
前に金港人ブログの管理人が「消費構造と物価」について、「
この書籍はあくまで約40年前の最先端の経済学です。」などと書いていましたがとんでもないことであるのは明白でしょう。何が最先端の経済学なものか。最初歩の経済学なのだ。それも辻村は理解していないのだ。私がこのHPで書いている「やさしい経済学」ぐらいを先ず理解しろ。

序数が唯一の尺度でないことを示す兆候と解すべきものかもしれないだって!

 

私ブログに書くつもりはないことは約束したのですが、ポイントとなりそうな点があり世間の誤解が晴れそうなので、ほんの少しですが触れさせていただきます。などという馬鹿なことを書いていますが、ポイントとなりそうな点とは何処のところか。世間の辻村江太郎は馬鹿だ、うそつきだという認識がさらに広がるだけでしょう。

上の文は辻村の「消費者行動の理論」(有斐閣)の121頁の一部ですが、何度も言いますように「われわれの得た の数値がそれらしくないという事実は、が唯一の効用尺度でないことを示す兆候であると解すべきものなのかもしれないのである」という個所は序数の定義を理解している者なら絶対に書かない戯言です。

なお無差別曲線による分析も限界効用による分析も「正確に理解する限りにおいては」同等なのですから限界効用(曲線)が変位するなどと書いてある本や論文は間違っているものと断定して差し支えありません。
前にお話しましたように、ある選好の序列、つまり順番が序数のセットで与えられている時、その数(指標)が正の時は任意の単調増加関数で変換されて生じる序数のセットは元のセットと同義で無差別なのですが、何かのパラメターを変位させることによって、元の選好の序列が
「変わって」しまう時、新しくできた選好の序列はもう序数のセットではありません。それは序数ではなく、基数でしかないのです。
これは邪魔臭いので今後
「稲垣の原理」とでも呼ぶことにします。

選好の序列が変化するということを序数的効用関数が変化したというように処理できないので、座標軸の変数の方を別の変数に置き換えて処理し、選好の序列は不変であるというように主張し、処理しようとしても「消費選好場と相対性」でご説明しましたように、この変数は馬鹿(うましか)ということになってしまいます。

無差別曲線による分析の行動主体は勿論、一人の消費者でもなければ、単一の家計でもなく。統合された消費者、ないしは家計なのですが、この分析は時系列に適用するものであり、横断面に適用するべきではありません。

無差別曲線分析で実際の経済現象を近似的にでも説明、予測できない時、この分析は捨てるべきなのです。

なお辻村の「計量経済学」(岩波書店)に対する「書評」が森口親司氏により発表されているのは既に一部の写真付きでご紹介したことがありますが、必要ないので森口氏は「辻村の接近は序数的選好関数によるものではなく、基数的効用関数である」と述べておられるということのみを引用したのでしたが、この際この書評がネット上を漂っていましたので、捉えて資料文献として、経済学を研究しようと心掛ける方のためにお役に立つようにリンクさせておきます。この研究者を自称する学生に見せたいのは、この書評です。
書評「計量経済学(辻村江太郎・岩波書店)」 : 〈評者〉森口親司(京都大学教授)

なお森口親司氏はあのブログの管理者が好きなような書き方をすれば、数多くの論文を書いておられ、理論・計量経済学会(現日本経済学会)の会長となり学界のトップとなっておられます。エコノミスト賞、東京海上各務記念財団優秀図書賞等を受賞され、日経図書文化賞の審査委員でもあります。また森口先生は経済学における大学院生の研究援助を目的に、多額の寄付をなさり、自ら「森口賞」を設けておられます。

そういう立派な学者であられるため、本編で記しましたように慶応不祥事の後、連絡を早期に取らせていただき、びっくりするほど、ご親切な対応をしていただいたのでした。初対面にもかかわらず、就職のご心配までもしていただき、慶応ではとても考えられない学生に対する接し方に感動したのを昨日のように憶えています。

辻村が「私が大学院に長くいると就職が難しくなると、私のためを思い退学届を出すように言ったまでだ」とスジの通らない開き直りをしているのとは大違いです。この開き直りを私が直接聞いたわけではありません。しかしこの言い訳は慶応内部で流布しているような感じがします。この言い訳はあのアホ学生が勝手に考えたようには思えません。また私が辻村より直接聞いた開き直りは「奮起させるためにやめろと言ったまでだ」ということでした。

しかし森口先生が、私の「消費選好場と相対性」をお読みいただいた後に、辻村の採用しているのは基数的選好関数であるとされているのは当然ですが、「消費者行動の実証化には、「可測的」な効用指標がある方がわかりよく、・・・」などと書いておられるのは理解に苦しみます。これは森口先生の勘違い、または無理解でしょう。

本来森口先生のような方に「辻村の接近方法は私の言い分通り基数的なものであると認めていただいた」とオープンに話せれば有り難いと思っていたのは事実ですが、ウラの話なので書けないことと了解、認識しておりました。ところが樋口美雄氏の日経賞受賞を決定なさったのが、同じく私の言い分に賛成して下さった福岡正夫先生と共に選考委員であったお二人であったと知った時にはびっくりしました。しかし本編に書きましたように福岡、森口両氏のことを公にするのは、信義にもとることかもしれません。しかし、たかが一新聞社の授与する賞とは言え、お二人の公的な立場を考えるとき、信義を守ることよりも、一般の人の知る権利の方が大事に思えたわけです、というようにオープンに書けると思いました。
決して書かないと約束しておきながら、自分の都合だけのために、約束を破ってまで書いたブログ管理人とは違います。

しかしこのHPを立ち上げる直前この書評の存在を知り、複雑な気持ちながら、より詳しく、丁寧に説明し易いと思ったのは事実です。その説明とは以下の通りです。

  1. 辻村の消費習慣形成仮説が基数的効用関数を前提しているということが明らかになるということ。
  2. 岩波書店に自社の販売をしている「計量経済学」(辻村江太郎著)について、日本消費者連盟が「辻村仮説が基数的であるから間違いではないか」という問い合わせをしてくれた時に、本編でも書きましたように見当はずれな答えが返ってきたのでしたが、その時点で基数であるのが明確になっていたことが明らかになっていたことが明白になるということ。
  3. 辻村からの開き直りの恫喝文1984.02.14同じく日本消費者連盟が辻村本人に辻村仮説についての質問をぶつけたところ、「厳密に文書で論証するためには、質問なり批判そのものが専門レベルで厳密かつ明解であることが前提。稲垣氏の批判なるものが不可解である以上、もし竹内代表が責任をもってそれを取り次がれるのであれば、竹内代表ご自身が専門家に理解できるような言葉で批判点を説明してくださるのが順序ではないか。学者が論文や書物を書くのは、公開することだから、もちろん第三者からの批判は自由だが、批判するにはそれなりの作法があり、しかるべき専門雑誌に論文を書くとか、学会で発表するとかして、結論は学界の人たちの判断にまつということになる。しろうとの人と直接議論するという習慣はない。」と開き直り、恫喝したのでした。
    これは本編でもご紹介しましたが、森口先生は質問に答えられたのではなく、自ら基数的効用であると何の前置きも無く、書いておられるわけです。これで辻村の恫喝行為がはっきりわかるということ。
  4. 教育の場、研究の場として毎年100億円もの多額の国民の税金を補助金として受け取っている慶応義塾が「関係者で検討した結果、著書の内容には問題が無いとの結論を得た」と日消連に返答する始末、「それでは文書で公式の見解を示すよう」要求すると、これには回答せず、「学問のことは辻村本人に」とか「学会で論議されるべき」と開き直ったのでした。「学会で論議されるべき」ような事柄なら「ついてこれんのか、やめろ」であっても、「大学院に長くいると就職できなくなるから働きなさい」という考え方であったそうです。しかしそれは学生のためを思えばこその言動であり、・・」などというのは全く理屈の合わないことだとわかるでしょう。慶応の隠蔽体質、同時に学会を隠れ蓑にした恫喝行為であることも明らかになり、慶応に対する国庫助成など即刻中止すべきだと誰にでもはっきりわかること。
  5. 樋口美雄氏の「日本経済と就業行動」(東洋経済新報社)の日経賞受賞も「いかさま」でやはり0点ということになります。現在大分県教育委員会が起こした教員採用試験や教員の贈収賄による昇進問題が大問題となっていますが、大学の教員なども同じではないでしょうか。
    お金が動いたかどうかは別にして、辻村のようなボス教授の間違いを気付かないボンクラか、間違っているのが分かっておりながら、黙々と従うものしか学校に残れないというようなシステムは許せないことです。
    以前メールをくれた学生は牧厚志の評判はよろしくないが、樋口美雄の授業は1時間目なのに学生の出席率はいいです、などと書いてくれていましたが同じような程度でしょう。
    こんな奴が厚労省の手先になって審議会の委員や役員になっているのですから世の中が上手く行かないのは当然でしょう。雇用保険や最低賃金、生活保護などについて樋口美雄や西川俊作が議論をしているのかと思うと腹が立ちます。
    限界効用も理解していない、つまり効用関数も理解していないということは、それから導出される需要曲線も労働供給曲線も無茶苦茶だということになります。将来の予測など出来るわけがないのです。
    それで不要なハコモノや道路を作ったりするために、御用学者は利用されるのでしょう。
    西川俊作なる人物は自分のお粗末な自著を売るために、仲間として付き合いのある竹内啓氏の翻訳を貶しましたが、とんでもない奴です。
    もっとも竹内啓氏は以前、日消連が「消費選好場と相対性」を20人位の経済学者に送付して、それに対する意見を尋ねて下さったことがあったのですが、理由を全く示さずに「辻村が正しい」としたたった一人であったのでした。折角親しい辻村のためにそのような返事をしているのに、西川はそんな奴です。
    西川はまだ経済学をやっているのですね。もう福沢研究のみかと思っていましたが・・・。

それにしても福沢諭吉というのは本当に慶応の創立者なのでしょうか。慶応はもともと江戸鉄砲州の中津藩にあった塾で、藩の子弟に蘭学などを教えていたのでしたが、途中で福沢を呼んだのではなかったのでしょうか。
すると中興の祖ということになるのではないでしょうか。

タマネギ談義・黒田昌裕06.07.12ところで印刷された文を見て、同じ人間に対して全く違った印象を持つことがあります。
先ず、日経新聞の06年7月12日の交遊抄という欄の「タマネギ談義」というものです。これは黒田昌裕自身が書いた随筆です。

なかなか美しくも、素晴らしい師弟関係が感じられ、うらやましく思われる人もおられるかもしれません。
私は辻村がどんな歌手が好きなのかなど話し合ったこともありません。
これは辻村の論文なり、著書なりを見て、「お見事、お見事」と持ち上げる者と、何だか不満気に質問に来る者との違いかもしれません。
「今でも研究に携わっておられる姿に、研究者の理想像を重ねている」なんてびっくりしてしまいます。

世論に訴えても難しい慶応事件次は消費者リポートの95年4月27日号の「生活者の目」という欄の「世論に訴えても難しい慶応事件」です。
こうしたパワハラ例は決して少なくないはずですが、女性に対するセクハラ行為が時々表面化するぐらいで、めったにメディアで報じられることはありません。
しかしこの問題は難しい問題ではないのです。序数の定義の問題です。
日本消費者連盟がこういう記事を公にしているのに、慶応義塾が訴えようともしないのは勝ち目がないからです。また私が色んな録音テープを持っているからです。いらない行動を取れば、薮蛇になってしまいます。
なお「連盟がこの一件を問題提起した当時、お弟子の一人から、クラスメートの某氏(私の知人)へ『稲垣という人物は変わり者で辻村教授も手を焼いていた』と告げてきました。本題そっちのけのひぼう中傷しか言えないていたらくです。全く正々堂々としていません。」
これは前にも書きましたが黒田昌裕のことです。まるで鳥居耀蔵のような奴です。私の母にニセの伝言をして退学届を出させようとしたり、こういう間柄になって初めて日経の新聞で見るような仲の良い関係になるのでしょうか。共犯なのですから。
案外慶応では自称経済学者のアホ学生はそこそこ出世するのかもしれませんね。

しかしこういう不祥事が起こっているのに、だんまりを決め込む経済学会の閉鎖的な体質も大きな問題です。
これは何処の大学でも同様の不祥事が起こっていることを暗示しています。しかし経済学でこれほどはっきり黒白のつく問題は珍しいでしょう。
慶応の卒業者が各界で、がっちりスクラムを組むのは愛校心ではなくて自信の無さの表われでしょう。自浄作用の無い組織は滅びます。このHPを始めた頃には内部告発などめったにありませんと書いていましたのに、今ではほとんどの組織犯罪の摘発は内部告発によるものです。

とは言え、新司法試験をめぐり、問題作成や採点を担当する、いわゆる考査委員を務めていた元慶応大学法科大学院教授の植村栄治が試験前に同大学院の学生を対象に、答案作成の練習会を口実に問題と回答を教えていた漏洩事件で告発されていましたが、不起訴処分となりました。
この事件などは植村のみならず、慶応が商売としてやらせていたのですから、慶応の法科大学院の閉鎖を求めるぐらいの義務があったのではないでしょうか。

「不正義の象徴」慶応に国庫補助など、とんでもない話です。

慶応出の弁護士などというのは大分県で明るみに出た実力のない教員と同じでしょう。こいつらのために弁護士になれなかった方のためにも、もっと厳罰に処して戴きたかったと思います。


ゴロツキ大学に厳罰を!

今までに書いたことと大分だぶりました。これは金港人のブログであまりつまらないことを書かれたことによります。慶応の多分大学生のお粗末な本件に対する寸評を見て、やっぱりまだこんな程度の学生がいるのかと愕然としました。

今までにメールを戴いた方のメールの内容から私の書いた内容が理解されていると実感していましたが、金港人ブログのような目茶苦茶な知能程度と性格の人がいるとは思いもしませんでした。

今後はたまには 資料を添付するようにしないと、本HPの内容が変に捻じ曲げられてしまうと思ったことでした。

 

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