安西祐一郎慶応義塾塾長は、やっぱり頼りない?

 

 

「黒田昌裕のような根性悪でハレンチな男を慶應義塾の学務担当の常任理事にしておくのだから、安西祐一郎という塾長は頼りなさそうに見受けられます。
黒田理事のような輩は何はさて置いても、当時、処分しておくべきであったのに、安西祐一郎塾長の今になっても、常任理事に据え置くとは、現在の塾長の危機感の無さにはあきれてしまいます。

この安西祐一郎塾長は、元オウム真理教の林郁夫と同期生ということで有名ですが、頼りなそうな人です。
勿論ヤクザ顔よりはマシですが・・・。

林郁夫というのは慶応医学部出身の医者で、地下鉄でサリンを撒いた実行犯ですが、他の実行犯が皆死刑になっているのに、要領よく無期になっています。決して自首をしたのではなく、警察に踏み込まれて、その辺にあった自転車を盗んで逃げたので、自転車泥棒で逮捕されています。やはり慶應出身の奥さんと一緒になって、仲間の犯人の指紋を消す手術をしに北陸に行っている間のことだったと記憶しています」

と言うようなことを書いたら塾員(慶応大学の卒業生)を名乗る男性から当時、早速メールが来ました。
2002年6月19日の日付となっております。


非常に納得できる解説だと考えますが,より多くの人に賛同してもらう手法として,以下の点について検討されてみてはいかがでしょうか.
1.義塾は大きな組織なので,いい人も悪い人もいる.だから,義塾を攻撃対象とするより当該教授や塾長をターゲットに絞るべきではないでしょうか.
例えば日本人に悪いやつがいるから日本は悪い国だ,その国の首相も悪いやつだ,ということになると,「まぁ物事にはいろんな面があるからなあ」といわれてしまいかねません.当時の話と無関係な人(例えば現塾長)に言及するあたりは,勇み足ではないかと思う人もいるのではないでしょうか.具体的な失政を指摘するなら説得的ですが,たとえば「林医師と同期」「頼りなさげ」といった(本編とは)関係ない事項を上げているのでは,「これはいいがかりだなぁ.もしかしたら全編はいいがかりにすぎないのでは..」と思われてしまう危険をはらんでいるのではないでしょうか.万が一,医学部だった林氏と工学部だった現塾長が顔見知りだったとしても,現塾長と林氏の犯罪行為とは無関係です.無関係の事項をもってきて塾長を糾弾しようとするあなたの論理は大きな飛躍があり,それゆえ,0点なのです.といわれてしまいませんでしょうか.
2.経済学は学問的未成熟な分野であることは確実です.学問的良心に従って行動するという理念もまったく正当なものだと思います.しかしながら,戦いの戦略という意味から,私としては,塾生としての身分回復に最初の焦点をあててはいかがかと思います.あの学問分野は腐ってる,あの大学は塾長から掃除スタッフにいたるまで腐りきっている!あの教授を首にしろ〜!ということだと自己防衛が働く義塾としてはなかなか対応しにくくなるように思われます.身分回復というコンテキストであれば前進するかもしれません.身分が回復されるということは,湾曲な形であっても当時の処分が間違っていたということを公式に認めるということであり,それは簡単に実現するような話ではありませんが,単に「あいつをうらんでやるー」という立場から少し距離をもつことで協力者が現れやすいのではないかと想像する次第です.

えらそうなことを意見し,申し訳ございません.しかし大作を読ませていただいたお礼として書かせていただきました.


不思議なもので同じ大学で学んだということだけで、大変好感を持って読ませていただきました。

この方のおっしゃるとおりです。
林郁夫はまったく本件とは関係ありません。安西祐一郎塾長のことも、私はまったく存じ上げないのです。
林郁夫が本件と関係があるとは、一切言っておりません。「林郁夫と同期ということで有名な」と安西塾長について言及したに過ぎないわけです。勿論この時、前にご紹介した鳥居泰彦前塾長からの寄付金を募る葉書の文面が頭の中にあり、それに対するいやみはありました。
慶應義塾に学んだ者は、創立以来、今日までおよそ30万人、それぞれの時代の、それぞれの人生を生きつつ、全員が福澤先生の言う「社会の先導者」でありました。
慶應義塾は、日本の歴史の中で輝いていました。塾員一人一人が、この国の発展に大きな貢献を果たしました。
慶應義塾は、今、輝いています。もっと立派に輝く学塾であろうと研究教育の革新に努力しています。
慶應義塾は、未来に向かって、「日本の慶應」から「世界の慶應」へと飛躍しようとしています。

・・・・という個所についてです。アホかいな。
英国人元スチュワーデス、ルーシー・ブラックスマンさんを殺害したとされる織原城二などから、E・I・Eの高橋治則とかいういかがわしいのまでお粗末な塾員を挙げれば切りがありません。
最近では「三菱ふそう」の宇佐美隆前会長と花輪亮男元常務の2人が欠陥隠蔽に主導的な役回りを演じたということですが、2人とも揃って慶應大工学部の卒業生というんですから、さもありなんと思ってしまいます。歴代の塾長みずからが隠蔽しまくりのイカサマ野郎なのですから、こんなものなんでしょう。何学部も同じことです。

「林郁夫と同期で有名な」安西塾長というのは、「金正日と双子という噂がある」黒田昌裕と言っているのと同じようなことで、枕詞のようなもので、とりたてて言うほどのことではありません。金正日は日本からの援助を期待して、というような動機はあるかもしれませんが、拉致の問題に対して一応謝罪しています。
それに対して黒田昌裕など慶應側は謝罪もしていません。最低の野郎です。辻村江太郎ともども、生まれながらの悪党です。
金正日は日本の外務省の口車に乗せられて、拉致被害者の数人を10日から2週間里帰りさせて、元気に、恵まれた生活をしているところを見せれば食料などの支援をすると騙されて、拉致被害者を帰したのです。ところが拉致被害者の親などから絶対に北朝鮮には帰らせない、拉致は国家犯罪なのだからと猛反対されて、当てが外れたのです。国家犯罪だから帰す必要が無いというのは、正論ですが金正日は面子をつぶされ、その後の交渉が長引くこととなりました。被害者の方々が帰国なさった時はどの新聞、テレビも10日ほどの里帰りと書いたり、言ったりしていたのはご存知の通りでしょう。
金正日はとんでもない悪者と言われているようですが、私などから見れば前の天皇、昭和天皇などとあまり変わるようにも思えません。
私が物心のついた頃は、天皇や皇后の写真が多くの家に飾ってあり、というよりは奉ってあり、明治天皇の写真も多くの家に飾ってありました。北朝鮮における金日成や金正日の写真も、これと一緒で、変わるところはありません。
天皇一族は国民が疲弊し、食べる物も無く、芋のつるを食べている時にも大きな城に住み(これも元はと言えば徳川家の物をパクッタものに過ぎないわけです)、広大な京都御所、那須の御用邸、葉山の御用邸などで、国民から見れば贅沢三昧という有様でした(敗戦後は国有地ということに一応なっています)。
そして若い青年を「天皇のために命を落とせ」と強制的に戦場に送り出しました。そして特攻隊、人間魚雷など涙が出ます。
日本兵は大陸では有らん限りの残虐行為を行い、中国や朝鮮からは多くの人間を強制連行し、劣悪な条件で働かせ殺しました。こういう人たちを日本政府は正確に記録し、ご遺族に納得できるようなお墓を作っているでしょうか。勿論昭和天皇一人の行為ではありませんが、金正日もたった一人で残虐非道な行いをしたわけではありません。
日本政府は生きたまま中国の人を切り刻み、毒殺し、人体実験をしました。戦争とは実に残酷なものです。
敗戦後、天皇はアメリカに命乞いをし、現在に至っているのです。
戦後の統治のため、アメリカは天皇を死刑にしないで、皇室を存続させました。
戦争中は朝鮮の人を、お前たちは日本人だからと言って働かせ、戦争が終るとお前たちは日本人でないからと言って補償もしません。時代が違う、戦時と平時と区別も出来ないのかと批判されそうですが、北朝鮮から見れば、日本はまだ敵国同様なのです。
在日の朝鮮、韓国の方々は本当にご苦労なさってこられたと思います。西村和雄の属する京都大学などの国立大学などに朝鮮高校から直接、受験資格を得ることが出来るようになったのも、つい最近のことなのではなかったでしょうか。
勿論北朝鮮による拉致行為を正当化したり、被害者の方々をお気の毒と思わないということでは全くありません。

ところで「開かれた皇室に」などという人もありますが、ナンセンスでしょう。民間から嫁をもらい、子どもを産み・・・というように天皇なり皇室が存続するならば、それは通常の国民、平民と変わらないことになり、天皇制が不要と言っているのと変わらないでしょう。

一般国民より優れた天皇の存在を認めるということは、同時に、一般の国民より劣った人々の存在を認めるというのと同義です。赤紙一枚で多くの前途ある青年を殺し、多くの国民に筆舌に尽くし難い迷惑をかけた天皇が自害もせず、でかい面していたのは不愉快でした。
時代が変わっても、天皇などが通るというと、普段はまったくしないのに、警官が不法駐車を一所懸命に取り締まり、ゴミ箱を丹念にチエックをしたり、上空よりヘリコプターで爆音を立てて、不審者を捜しまわって警護しているのは実に不快です。
古くからのお家のご夫妻が歩いておられるなあと、皆が自然に、軽く会釈して通り過ぎるというような関係なら問題ないのですが・・・。それだけの規模で警護しなければならないということは、それだけ天皇に反対する者が多いということなのでしょう。
私が病気療養中、加茂川の岸辺を散歩中、天皇夫妻が通るというので、バスや車を何十台をも、長い時間止め、橋を渡れなくしており、頭にきていたところ、大新聞社が自社の模様が書かれた旗を配っているというありさまでした。天皇が通ったら、それを振れというのでしょうか、ふざけていますね。

柏原よしえが好きだったという皇太子が「いわゆる雅子さま」を好きになったという新聞記事が出ましたが、まもなくこの縁談は駄目だということになってしまいました。
新聞記事によれば「いわゆる雅子さま」の母方の祖父は公害の魁であったチッソの元社長、江頭豊で、この会社は自社の垂れ流していた水銀で多くの人たちや猫が水銀中毒をおこして悶え、苦しんでいたのに隠蔽し、長い間補償しようともしなかったので、特に九州の人たちに,忌み嫌われていたからという理由からでした。
赤紙一枚で息子や主人を亡くした人が皇太子を良くは思わず、家族を水銀で狂い死にさせられた人が「いわゆる雅子さま」を好きになったり、敬ったりはしないだろうということでした。

たしかに皇太子ご自身や「いわゆる雅子さま」には直接には罪はないのですが、それほど好きで一緒になろうとお思いでしたなら、皇太子を退位し一緒になられるべきだったのでしょう。
(それほど皇太子や、天皇という存在は、もし存続されるとしても厳しいものであるべきものでしょう)

それならお世継ぎ問題だとか「いわゆる雅子さま」の人格とキャリアを否定するような動きがあったというようなわけの分からないことを言う必要はなかったわけです。
一庶民になって、好きな国へ行ったり、好きな生活を送られたりなさったらよいのです。
皇太子ご夫妻というのは、続けられる限りきびしいものだと思います。もともと天皇制とは論理的な、明晰なものではないのです。皇室外交などというものは基本的には不要でしょう。せいぜい来賓の接待ぐらいで良いのです。
福沢先生は「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言へり」と誰かが言ったのを伝聞のかたちで述べておられますが、その通りです。
女性の天皇で良いのではないか、とか、やはり天皇は男子でないといけないとか論争したりする人がいますが、天皇制そのものが不要だと思います。

ところで話は横道にそれましたが、林郁夫は地下鉄でサリンの入ったビニール袋を傘の柄でついたのですが、可愛らしい女性が乗っているのを見て、予定の行動を躊躇しているわけですから、当然のこととして自分の行為の残虐性を理解していたことになります。ましてやこの男は医師なのです。
奥さんも夫の手助けとして、犯罪者の指紋を消すという異様な手術を行い、とんでもない傷害行為をしているわけですが、ほとんどお咎めなしのようでした。この奥さんは皇室御用達の有名デザイナーの姪だったそうですから、その辺の力が働いたのかもしれません。

自首と言えば、オウムの起こした坂本弁護士一家殺害事件について、犯人の一人が、殺した子どもを埋めた場所を地図に書いて、警察に送りつけています。たしか岡崎一明という男であったと記憶していますが、警察は徹底した捜索をしなかったので、その時遺体を見つけることが出来なかったということがありました。
この時見つけておけば、岡崎は自首をしたと評価されたことでしょう。(偽名を使ってはいたそうですが・・・)

ところが岡崎はオウムから逃げ出す時に、大金を持ち逃げ、着服したそうで、彼が自首、ないしは自白をした動機は「自分を追いかけ、お金を取り戻そうとしたら、オウムのそれ迄の悪行を警察にバラすぞ」というオウムに対する脅迫をするためであったということにされてしまったようです。
まったく事実と異なった地図を送りつけていたのなら、そのような解釈も妥当かも知れません。しかし断片的にしか読むことのなかった週刊紙に掲載されていたのは、「事実どおりの地図」であったと記憶しています。

泥棒はいけないことかもしれませんが、全財産を寄進させられて、無一文になって逃げ出す時、イカサマ宗教団体から、行きがけの駄賃として、いくらかチョロまかすということは理解出来なくはないように、私は思います。一般社会に出たら、とにかく食べていかなければならないからです。オウムを恐喝するために、本当のことを書いたら、自分自身も逮捕されてしまうのですから、やはり彼の行為は危険を犯して行われた自首、自白でしょう。少なくともそのような心情があったと思われます。
この男が死刑で、林が無期というのは合点がいかないことです。
最近のことでは麻原に心酔していた井上某なる若者が、実際にサリンを直接に撒いた実行犯でもなく、逮捕されてからは比較的に素直に自白しているにもかかわらず、死刑ということになったようですが、林郁夫のみが無期になったのは不可解に思います。

また林郁夫の妻も、自分の夫が手術をしたのを手伝っただけと言えば、微罪のようにも聞えますが、手術される側も多分同意していたのでしょうが、指の指紋を消すという、おぞましい手術をしておきながら新聞などでも、ほとんど名前でさえ発表されることはありませんでした。

これに比べ西村和雄教授の属する京都大学の付属病院における医療過誤事件、つまり入院中の女性が、人工呼吸器の注水器に、消毒用エタノールを誤って注入されて中毒死したという事件がありましたが、この医療過誤を、女性の死亡診断書に記入せず、遺族にも誤注入の事実を隠していた医師が虚偽公文書作成容疑で書類送検されることになったことを以前お知らせしたことがありましたが、もう3年以上も前のことになります。
結局この事件で罰せられるのは、若い看護婦さんだけという始末です。
確かに女性が一人お亡くなりになっているわけですから、看護婦さんに過失はあり、責任もありましょう。しかしこれは「重大なうっかりミス」なのです。
最も悪いのは隠蔽した医師なのです。人間のやることですからミスはあります。隠蔽した医者こそ罰せられるべきなのです。

この看護婦さんよりも、林郁夫の嫁さんのほうがずっとエゲツナイ、悪辣な行為と思います。

ところで前にも書いたことがあると思いますが、私にはやはり慶応出の妹がおりました。私が慶応大学受験の時、丁度妹も高校受験だったので、ついでに上京して慶応女子校を受験したのでした。
妹は合格しましたが、私はほとんど勉強しない学生だったので、当然不合格でした。
妹は15年ほど前に鬼籍に入りましたが、その後、生前仲良くしていただいていた女子校以来のお友達の一人から「林郁夫と同期であった」と、母が聞いてきたことがありました。
この方は中等部で一緒だったというわけですから、妹自身は林氏を知らないわけですが・・・。

また安西祐一郎氏が妹などと大学卒業年度が同じであるということは、慶応女子校の同窓会の会報である「銀杏の会会報」(2002年春号ーVol.44)に、妹が非常に仲良くしていただいていた同期のイカちゃんが、女子校で行われた安西祐一郎塾長の「知識と学習」という講演を聞いての感想文が掲載されていて、初めて知ったことでした。
内容は、
「同期生が塾長就任なんて、すごいニュースです。アフターレクチャーで講演すると聞いて、演題についての予備知識もないまま久しぶりの女子校にやって来ました。
驚く程立派になって、ではなく、少年時代と同じ空気を漂わせて先生がお話ししたテーマは「人間はどうやって考えるか」でした。
昔、心理学を学びはしましたが、頭の中のしくみといえば、とかく感覚で又は情緒的に捉えるばかりで、思考について思考するなんて試みたことがありません。(中略)
そして先生のお話は、知識に偏ってきた大学教育をskillをも教えてくれる場にする、academiaとskillを融合させていく事こそが新しい大学への課題であり、それに正面から取り組んでいきたいという新塾長としてのことばに移っていきました。
安西君、なかなか頼もしい塾長さんです。この機会に読んだ著書”問題解決の心理学”(中公新書)は読み易く、興味深い本でした。
あなたも頭の中を探訪してみませんか」

というものでした。イカちゃんは義理堅く本の宣伝までなさっています。

しかし私には次のページの別のアフターレクチャーの方が面白そうに思えました。
講師は、阿川佐和子さんということで妹などより7期下だそうです。
内容は感想文をお書きになった伊藤美子さんによると
(前略)
「講師は、阿川佐和子さん。文学部で同級生であり、私の友人と親しいので又、嬉しくなってしまった。
当日は11月の末なのに、コートがいらない程に、暖かく、さわやかな日で、場所は目黒駅近くの大変素敵なレストラン・エルガーハウス(女子校の卒業生がオーナー)。一度、訪ねてみたい場所であった。
イギリス風にセッテングされているテーブルに座り、阿川さんのお話が始まった。彼女のプロフィール、ニュース報道、天気予報等と、次から次へと変わる話題に私は、納得したり、大笑いしたりして、あっという間に一時間半が過ぎていった。
特に、三度「愛媛みかん」と言ってから、第一声を発するとテレビ映りがよくなるというエピソードが心に残ったので、その日から一週間ぐらい、人と会う前に試みたが、効果はあったのだろうか。
とにもかくにも、私にとっては、同窓生の方の中で、お茶とケーキを頂きながら、キャンパスでよく会った友人の話を聞けたことで、心の中の灯がともった様で楽しい午後であった。今でも、ケーキとレディグレイのお紅茶の味は忘れられない。」
というものでありました。

正直なところ、塾長の話はあまり聞きたくないが、阿川さんの話なら、紅茶とケーキをいただきながら聞いてみたいと思ったことでした。
阿川さんと言えば、今は普通ですが、タレントとしてデビューなさった頃は、週刊誌の写真を見て、慶応の女性でも、こんな可愛い人がいるのかとショックを受けたほどです。それもお父さんは、男前とは決して言えない作家の阿川弘之氏だというので二重のショックでした。

先のメールを下さった塾員のメールの日付は2002年6月19日になっています。私が私のHPに林郁夫のことを書いたのは、この女子校の会報の影響によるものです。
安西塾長と言えば、以上のようなわけで林郁夫と同期生ということしか知らなかったわけです。

この塾員の方も親切にアドバイスして下さったのだし、「大作を読ませていただいたお礼として書かせていただきました.」とありましたので、前述のように大変親密感を持ちました。
それで筆無精の私がこの時は、わりと早く返事を書きました。


先日は心のこもる、やさしいメールを有難うございました。同じようなアドバイスを何人もの人からいただいております。
勿論いい人もいれば、悪い人もいるのは当然で、よくわかっているつもりです。過去に起こった不祥事を追求するだけではなく、今も同じようなことが起こっているだろうということで、このHPを公開しているつもりです。自分が直接かかわっていない教職員だとしても、このような学問や大学の根幹を揺るがす問題が続いているのに、他人事のような顔をして平気でいられる教職員などというものは信用出来ません。
ウソか本当かはわかりませんが、慶応大学にかんする掲示板では、この問題に対して緘口令が出ているという助手の告白がありました。本当のような気がします。私が教職員ならこんな時黙ってはいないと思います。また当時の話と無関係な現塾長を「頼りなさげ」と書いていることに不快感を示しておられるようで、この点にかんして私も良く理解できます。わたしも「ヤクザ顔よりマシですが」と一応フォロウしています。
林郁夫と、この不祥事が無関係なのは当然で、これをもって塾長を糾弾するつもりは毛頭ありません。実際私は現塾長にかんして何も知りません。私の10数年前に亡くなった妹とも同期だったのを、最近の女子校の新聞で知り、かと言って、妹と同期の安西塾長と書くわけにもいかず、「林郁夫と同期の」というまくらことばをつけたのでした。

しかし安西塾長がこの件とまったく無関係とは思っていません。塾長になって、常任理事として胡散臭い黒田昌裕を任命したのは、まさに安西塾長です。黒田を理事に任命したという任命責任があるわけです。黒田を信用し、重用するのなら、疑念を晴らす回答をさせるべきなのです。あるいは黒田を即刻やめさせるべきなのです。
塾長ですから、色々な用事があり、大変なのはわかりますが、この件を無視したり、隠蔽しているようでは、現在の大学危機をまったく理解していないことになります。政治力とブランド力だけではやっていけないのです。間違いなくこの数年で多くの大学が壊滅します。慶応も例外ではありません。結局研究と教育が真摯におこなわれているかどうかということに尽きるのです。
最近、入学しなかった私立大学に支払った入学金や授業料を返還するよう求める「ボッタクリ金返還を求める会」などが大阪の弁護士らによって結成されています。まさしくそういう時代なのです。
昔なら慶応は国立の滑り止めではないと強気だったのですが、わざわざ高い授業料を払ってまで慶応に来る意味はなくなりました。今の情報の時代ではウソをつくのも、難しくなりました。
このHPを読んでいただいていますと、私が人生も終りにさしかかっているのがおわかりだと思います。
それゆえ塾生として身分回復するなどということはありえません。まあ慶応なんて大学という所ではなかったように思います。見事にだまされました。塾員や塾生の方とお話したり、手紙をやり取りすると、懐かしく楽しいものですが、塾生になろうなどとは思いもしません。またこのへんもボチボチ書いていこうと思います。メールは本当に有難うございました。私は昨日、6月21日左手の薬指を手術しました。
爪に黒いスジが出来、それが太くなって爪のもとを切除したわけです。思いのほか大きくて爪はなくなってしまうかもわかりません。
検査の結果を待って再手術になるかもしれません。
私が1月24日から1ヶ月、世話に来ていた母が同じ病院に1ヶ月半入院し、退院したと思ったらまた母がMRSAに感染し、入院中です。チョット今日はつらいのでこの辺で筆を置きます。またお友達ともこのHPについて、話し合って下さい。


すぐにこの方から返事がきました。可愛らしい後輩の塾員と思っていたらなかなか手強いのです。


手術されてキーボード操作のつらいところ,メールをありがとうございました.

その中で「現塾長も任命責任がある」との指摘がありました.ご指摘のとおりの意見を持つ方もいらっしゃるとは存じますが,3つの点で感じた疑問を述べたいと思います.
1.大学は自治が建前なので,まともな大学ではトップダウンの人事は制度的にも実質的にもできない.学問領域が異なる分野の業績は,その分野ごとに評価されているのであって,トップは各学部での評価を追認しているに過ぎない.ちなみに,慶應の場合,理事就任は投票であって理事長の任命ではない.

2.件の「数学も理解していない経済学者」は,経済学の分野で権威付けされているのであって,その責任の第一は所属大学ではなく所属学会にあるのではないか.つまり,経済学の論文をたくさん投稿し(おそらく査読を経て)学会誌に掲載されたその論文数によって,業績は評価される(著作や受賞経験なども評価対象だと思いますが)のだから,そんないいかげんな理論をはっきりと誤りだと指摘できなかった学会こそが不明を恥じるべきことであり,慶応大学はどちらかといえば被害者に近いのではないか.慶応大学の中には彼の業績を評価する機関はないのだから.ただし,学会の意見を鵜呑みにした経済学部の教授会は全体責任を免れえぬところであろう.

3.ただし,より本質的な疑問が生じる.そもそも学問の進展は,正しいことの積み上げだけではない.時には誤った主張であっても投稿時点で真偽が判定できなかったものは広く公開し,その仮説がはっきりと却下できる証拠が提示されるか,より強力で有意義な仮説が登場するまでは「仮説」として公開しつづけられることこそが,健全な姿と言えるではないか.エーテル仮説しかり,ビックバン仮説しかり...やがて,多くの実験なり検証なりで仮説がかなりもっともらしいと思われてくると,それは「理論」になり,やがて十分に確からしいと考えられて,「法則」となる.つまり,仮説の段階で間違えていることは学術的にはむしろあたりまえのことで,件の教授は堂々と間違いを認めることが学問的態度としては正しかったといえよう.ただし,その「間違えた仮説」を提示したからといって,そのことをもって大学の責任を追及するのは論理的に飛躍がある.間違えた仮説の提案であっても学問の進展に寄与していることは多々あり,歓迎されるべきなのだから.間違えた仮説を言ってはならぬ,ということでは学問はまったく進歩しないであろう.これまでも旧来の説を否定することで学問が進展してきたのは純然たる事実である.私の印象では,却下される仮説の方が圧倒的に多いのではないか.

私が愚考しますに,
1.稲垣氏ご指摘のとおり,件の教授の仮説には根本的な誤りがある.
2.しかし,噴飯ものの誤りを論文や著作に発表して,その誤りを認めないとしてもそれは学者本人の学問的態度の問題である.大学組織や学会活動とは関係がない.これを混同してはならない.強制的に改めさせるようなものではなく,品性の問題である.
3.学会は件の教授の仮説が間違えていたことをもって,彼の学者としての評価を落とすことはできない.間違えた仮説であっても学問の進展には貢献することは多々ある.生きているうちに仮説が誤りであることがわかるだけでも幸せというものであろう.過去,大教授と言われた学者の仮説は近代になってどんどん塗り替えられている.だが,それらの教授が屑だったという評価にはならない.
4.学問領域への貢献が認知されている人物を,慶應大学が評価することは無理からぬことである.そのことをもって大学全体を無価値な存在であると談じるには論理に飛躍があると感じる人も多いのではないか.

私は,無目的に慶應を弁護するつもりは余りありません.ただ,稲垣氏の指摘が正しいこと,と,慶應大学が悪いこと,の間にロジックで埋まらない部分があると結果として大きな力になりえないということを考えています.慶應大学には悪いところがいっぱいあります.それは,学問的態度をもたない教授が「慶應ブランド」を悪用しているところだと思います.慶應系か東大系でなければ陽の目を見ない医者の世界だとか,いろいろ弊害があります.学問的態度を持たない教授が大多数を占めてしまえば,結果として我々も屑大学を卒業したんだということになってしまいますから,それは避けたい(笑).だから,適切なロジックで適切な指摘をし,学問的態度を持たない教授の影響力を排斥する方向に進めばよいなと思っております.



「学問的態度を持たない教授が大多数を占めてしまえば,結果として我々も屑大学を卒業したんだということになってしまいますから,それは避けたい(笑).」
なんて本当に楽しい方です。
私のHPをお読みになればおわかりになると思いますが、私は辻村江太郎の「習慣形成仮説」には初歩的な間違いがあるからと言って、辻村江太郎や黒田昌裕および慶應義塾当局を攻撃しているわけではありません。
間違いを指摘されたからと言って、上司の名前をかたって、事情のよく分からない私の母を騙してまでして、恫喝し、退学届を出させようとしたこと、またこの事実を知りながら隠蔽、もみ消しを図った大学に腹を立てているのです。(そこを誤解なさらないように願います)

この段階でおとなしくハナクソ仮説を引っ込めているならとにかく、いまだに慶応ではこんな仮説(?)が流布しているのです。こんなアホ仮説を受け継がないと学校に留まって勉強できないわけです。

冒頭に掲載しました人体実験論争でも実験を行った土屋雅春助教授は、白血病の患者から胸腺を摘出することが医学的に妥当なのかどうか説明出来なかったと言います。

土屋助教授、この人は2年ほど前に亡くなっていますが、事件後行われた「内科診断学」の試験で50人のうち10人が不合格になっています。不合格になった学生の多くは土屋糾弾に熱心であった自治会の役員だったと言います。私は医者ではないので、胸腺を摘出することが人体実験であったのか判断できないのですが、若い学生の糾弾に丁寧に答え、説明すればよいのです。

またこのメールを下さった方は「噴飯ものの誤りを論文や著作に発表して,その誤りを認めないとしてもそれは学者本人の学問的態度の問題である.大学組織や学会活動とは関係がない.これを混同してはならない.強制的に改めさせるようなものではなく,品性の問題である」とおっしゃっています。

たしかに辻村江太郎は品が悪い。品が悪いからと言って、学生が正当な理由も無しに退学させられるのは見過ごされることではありません。学生は大学に授業料を支払い、その対価としてそこそこの授業を受ける権利を有するわけです。
またそれが当然であるから、大学に行ってない人や、行きたくても行けなかった人から強制的に徴収した税金を投入しているわけです。国庫助成を受けている大学には厳しい義務、責任があるわけです。
大学が騙しているのです。隠蔽したり、ウソをついたり脅したり、というありさまですから大学が本件と関係がないわけがありません。

勿論科学において、その歴史は間違いの歴史と言っても過言ではありません。しかし仮説となり得たものは、それが間違いであっても、残るものはあり、新しい仮説の構築に役立つわけです。こういう過程を通じて科学は進歩するわけです。
自分の学説が間違っていると分かったとしても、不機嫌になったり、怒ったりする必要は毛頭ないのです。
それに反し、辻村仮説は序数と基数の区別も出来ない者が間違って作った間違い仮説ですから、論理的整合性もなく、rejectされても何も残らないわけです。
仮説たりえたものは、他人が見て、つまらないと思ってもそれを主張するのは、「学問の自由」と言えましょう。しかし明快な間違いを発表し続けることは「学問の自由」ではないのです。
科学というものは「思考の経済」なのです。思考を伴わない計算は科学ではありません。
算盤をパチパチ鳴らすトニー谷が科学者と呼ばれないのと同じです。笑いをもたらすだけでしょう。
トニー谷と言っても今の若い方はご存知ないかもしれませんね。
算盤を楽器代わりにパチパチ鳴らし、「あなたのお名前なんちゅうの」などと、まくしたてるボードビリアンでした。
若い人は、多分「おそまつくん」の「いやみ」のモデルで、メガネを掛けた出っ歯のオッサンと言えば、おわかりになることでしょう。
それよりも今の本当に若い人は「おそまつくん」という漫画自体もご存知でないことでしょうね。

なお、この方のおっしゃるように「生きているうちに仮説が誤りであることがわかるだけでも幸せというものであろう」とするならば、仮説の誤りを指摘してやった私が、辻村に感謝されこそすれ、怨まれる理由は一切無いわけです。

私は大学の組織をよく知りません。それで慶応の場合、「理事就任は理事長の任命ではなく、投票でおこなわれる」ということが本当かどうか知りません。(当時の学部長が理事に昇格したような感じがしますが・・・) 。 しかし多分この方のおっしゃる通りなのでしょう。しかし何度も言いますが、塾長は、誰によって、或いはどういう制度で黒田が理事に任命されたにしろ、この件を無視して黒田を理事とし続けるのは、とんでもないことだと思います。
日本ハムは経営責任を明確にするため、創業者である大社義規会長を名誉会長に就任するとして、一件落着として決着を図ろうしましたが世論が許しませんでした。
結局この創業者本人が外国産やクズ肉を国を騙して買い取らせようとしたのか、どうかは知りませんが最高責任者に責任を取らせるため無役としてしまいました。これが世間の常識でしょう。


話は逸れますが、教養科目で選択した西岡秀雄氏の「人文地理学」の授業で、当時オーストラリアからカンガルーの肉を輸入しているのは、1位がアメリカ、2位が日本ということでした。授業の内容はあまり覚えていませんが、これは良く憶えています。
私は犬や猫は嫌いで良くは知らないのですが、当時アメリカはともかく、日本ではまだペット・フードなるものも多分売っておらず、犬や猫は残飯を食べさせられていたと思います。
すると、この大量のカンガルーは日本人がハムやソーセージとして食べていたものと推察します。
それゆえ私はハムやソーセージは食べないようにしてきました。
それにしても日本のスーパーなどは寛大ですね。もう日本ハムや雪印の製品が山のように積み上げられています。家の近くのビブレなどマーガリンを買おうと思っても雪印しか置いていないことがしょっちゅうです。
金儲けのためには何でも、どこの会社の製品でも売るんですね・・・・。

それにしても雪印の不祥事が発覚し、特に北海道の従業員が職を失いました。勿論職員すべてが悪事を働いたわけではないのですが、ハローワークのとった行動には違和感を覚えました。
失職した雪印の職員のみを集めて、仕事を探してやっているのです。当時北海道は景気が悪く、仕事のない方が大勢いらっしゃいました。その方々と元雪印職員を一緒にして、仕事を探すのなら、またハローワークの職員が足らないのなら、応援職員を受けて、両方の失業者を探すのならまだしも雪印のほうの職員の仕事をわざわざ探してやっているのです。一般の失業者はそっちのけです。ハローワークの奴等は本当にアホで呆れ返ってしまったことでした。

また、件の「数学も理解していない経済学者」は,経済学の分野で権威付けされているのであって,その責任の第一は所属大学ではなく所属学会にあるのではないか.つまり,経済学の論文をたくさん投稿し(おそらく査読を経て)学会誌に掲載されたその論文数によって,業績は評価される(著作や受賞経験なども評価対象だと思いますが)のだから,そんないいかげんな理論をはっきりと誤りだと指摘できなかった学会こそが不明を恥じるべきことであり,慶応大学はどちらかといえば被害者に近いのではないか.慶応大学の中には彼の業績を評価する機関はないのだから.ただし,学会の意見を鵜呑みにした経済学部の教授会は全体責任を免れえぬところであろう.

などとおっしゃていますが、たしかに学会には不明を恥じていただかなくてはなりませんが、慶応大学は被害者などとは、とんでもないことです。辻村や黒田が不祥事を起こしただけでなく、塾長や研究科委員長が純真な学生の向学心を踏みにじり、ウソをつき、だましたのです。
また
「慶応大学の中には彼の業績を評価する機関はない」とも言っておられますが、こんなことも評価出来ないのなら、慶応大学には私の言うように「論文審査能力」も無いと言うことになります。
なお本不祥事は基本的には、経済学部ではなく、商学部教授会に帰せられることです。

やはり安西祐一郎塾長はたよりなく、職務を全うしていないのは当然でしょう。
本人自らが、理科系にも文科系にも強いと言っているわけですから、序数と基数の違いぐらいは明快に理解できているはずです。それだのに悪党黒田昌裕をそのまま放置しているわけですから、安西祐一郎はどうしようもなく、頼りなく、悪い男です。典型的な慶応の教師です。

安西祐一郎塾長は2004年4月10日発行の慶應キャンパス紙上で「私は大学院では、学部で勉強していたこととは違う勉強をした。文系と理系の両方の研究をするなどいろいろな経験をしてきたが、今になってみると全てがすごく役に立っている」と述べています。
辻村仮説がいかにつまらないかは一読すればわかることでしょう。
私のような学部時代の素人でさえ、1度読んだらその馬鹿馬鹿しさに呆れ果てたような、おそまつなものだったわけですから・・・・。
安西祐一郎が全てがすごく役に立っていると言っているのは何に対してでありましょうか、不思議です。
文系も理系も学んだのかも知れませんが、「人の道」をまったく学んでおりません。
歴代の慶應義塾塾長と同じく大馬鹿者でしょう。

このメールをくださった方も最後のほうでは、慶応を弁護するために、ちょっとピントがはずれてきているように思います。無断でメールを公開してごめんなさい。


通常は激励、応援してくださるメールがほとんどなのですが
次のようなメールもいただきました(2001年8月 )


.稲垣さん

ホームページを読みましたが,失礼ながら偏執的はないでしょうか。

私は慶應義塾大学大学院博士課程を満期退学しましたが,研究者として道は険しく,指導教授に力がないので,自分でいきていく道を捜さなければなりませんでした。それでも,慶應義塾を悪徳義塾とは思っていません。これこそ福澤諭吉の独立自尊の精神だと思い,自分で道を模索しながら,誰れも助けてくれませんが生きています。

一部を見て全てが悪という見解には同意できません。私も指導教授には恵まれたとは思いませんが,慶應義塾で学んですばらしい友人たちに出会えたと思います。

稲垣さんには失礼ですが,あななが言う悪徳教授の地位に就けなかった恨みを綴っているようにしか思えませんでした。


同じものを読んでも、いろいろな感想があるものだと思いました。
大人気無いと思いながらも、ムッとして返事を書きかけました。しかしこの方もまじめそうなので、大分長いものを書きましたが、この方が経済学を学ばれた方と勝手に思い込んでいたのですが、ひょっとして国文学とか歴史とかを専攻しておられたのなら、本件をよく理解出来なかったのかと思い、書くのを止めました。
たしかに偏執的と言われれば、偏執的でしょう。間違いありません。
私が教授の地位に就けなかった恨みを綴っているようにしか思えませんでしたとありますが、それ以前に、この不祥事に対して何も感じないというほうが、私にとっては奇妙に思えます。
それに研究者として道は険しく、指導教授に力がないので、自分でいきていく道を捜さなければなりませんでした。それでも、慶應義塾を悪徳義塾とは思っていません。・・・とありますが、「指導教授に力がないので」と「自分の力のなさ」を指導教授の「せい」になさっています。
同じ実力でも、指導教授が引き立ててくれるなら、それは確かにラッキーと言えますが、指導教授の力の無さをボヤいても始まりません、自分の力が足りないと思うのが正常でしょう。
福沢諭吉の独立自尊の精神を持ち出すまでもなく、ほとんど誰もが自分で道を模索しながら生きているわけです。

慶應義塾で学んで、すばらしい友人に出会えたのは良かったですが、他の大学に行ったとしたら、もっとすばらしい友人に出会えたかもしれません。これは慶應義塾がイカサマ大学、ならずもの大学であるということと直接関係ないことです。
呑み屋でたまたま隣り合った男女が、一生を共に歩む伴侶となることも珍しいことではありません。
また刑務所の中で知り合った者が親友となることも考えられないことではありません。
だからと言って、この呑み屋や刑務所が素晴らしいところと言えないのと同じです。
アインシュタインでさえ、大学卒業後就職を探すことが出来ず、友人のお父さんの力で特許局に就職出来たということですから、もしご希望なら、どういうお仕事についておられても、ご自分の専門の道で頑張って生きて行かれることを望みます。成功するか、否かは結果論でしかありません
一所懸命に精進なさることを祈ります。勝手にメールを公開してご免なさい。

大変多くの方からメールをいただきましたが、筆無精で返事を出すことがなかなか出来ず、申し訳なく思っています。

お返事を書きやすい場合とそうでない場合があり、気にしつつも書かない、或いは書けない場合も多いです。例えば、


(前略)
貴兄のHP、拝見しました。
受験生のサイトでも紹介されています。
貴兄のような聡明な方が、大学ごと悪徳というのはどうでしょうか。
トーンを少し変えると、共鳴する人も増え、また貴兄のサイトから学ぶこともあるのではないでしょうか。
私は、■■学部を出て今回、■■学研究科に入学しました。
お元気で。
がんばってください。
(これは2002年の4月7日の日付になっています。■ ■は筆者によるものです)


と言うメールには割と早く返事が書けました。すると大変丁寧なお返事をいただき、それに甘えて「受験生のサイト」とは具体的に教えていただけないかと、お願いしましたところすぐに教えていただけました。


大学のサイトとは、yahooの掲示板です。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=topics&board=1834909&sid=1834909&type
=r


というものでしたが、教えて頂いた、その日に調べたのですが、その掲示板は消えていました。自分で何とか調べてから、お礼を言おうと思っていたのですが分からずじまいになってしまい、とうとうお礼を出しそびれて、そのままになっています。誌上にてお詫び申し上げます。

慣れないパソコンでHPを作っていますと、引用したものが亡くなってしまうことがよくあるので、最低限は自分のハード・デスクに保存しなければならないということも学びました。

お返事が出しにくいメールというのは例えば、東京工大のご出身の技術系の公務員の方からのメールがそうでした。



西村和雄、浪川幸彦といった連中(以下、西村らと呼ぶ)が学力崩壊をテーマにした本の中で必ず叫んでいるのが「数学の授業時間を増やせ」「大学入試では文系・理系関係なく数学を必修にせよ」ということである。西村らは「大学受験で数学を必要とした者とそうでない者とでは論理的思考力に大きな差がある」ということを強調し「数学をやれやれ」と騒いでいるわけだが、しかし本当にそうなのだろうか。私は真っ赤な大嘘だと確信している。
 西村らは権威主義者なのであろうか、非常に学歴を重視する人間たちである。学歴の高低で人を評価する人間たちだ。私はいわゆる高学歴の持ち主であるが、西村らとは違い学歴信仰者ではないのでそれをひけらかすようなことは一切しないでいるが、学歴信仰者にはとにかく学歴をひけらかしてやらないとダメなので、ここでは自分の学歴を簡単にではあるが紹介しておきたい。
(中略) 西村らが「必修にせよ」と言う数学は当然入試科目にあったし、私自身それができたから合格できたと今でも思っている。西村らの主張に従えば、数学ができて合格した私は「論理的思考力を備えた頭のいい人間」ということになるのだろうが、はっきり言ってそれは西村らが勝手に思っていることである。正直言って、自分も含め大学で一緒に学んだ連中に「頭がいい」と思える者は一人もいなかった。そして私の友人たちもそれと同様の思いを抱いていたようだ。
 私が「数学なんてできてもそんなものは大学での勉強や人間として必要な生きる力に何の関係もない」とはっきり自覚するようになったのは教養課程の人文・社会科学の授業を受けていた時である。               工業大学といっても1〜2年時は一般教養で人文・社会科学の授業も受けるわけだが、私は非常に程度の低いレポートしか書いた記憶が無い。文法・論旨など支離滅裂。よくパスできたものだと今更ながら思ってしまう。他の連中だって似たり寄ったり。まともなレポートを書いていた奴なんていない。文章力というのか国語力というのか分からないがとにかくそんなものは一切なかった。と同時に、そこで私はあることに気づいた。それは、「数学の試験ができること自分の考えを分かりやすく筋道立てて述べれることとは殆ど関係ない」ということだ。「数学の試験で良い点をとるのは出題頻度の高い問題のパターンとその解法を暗記し、あとはそれを実際の問題に素早く当てはめる訓練をすればよいだけのことで思考という営為とは何の関係もない。だから、数学ができることが論理的思考ができることの証には全くならないのである」という結論に至った。                                                私が大学院に進学した年、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった。その直後、オウムは次々逮捕者を出すわけだが、そこにはいわゆる一流と言われる大学の理工系学部の卒業者がゴロゴロいた。ワイドショーなどでは「どうしてこんなすごい学歴の持ち主が…」と言われていたが、私は、「まあ、受験の数学や理科ができることと真っ当な考えができることとは何の関係もないことだと世間の人はもっと知るべきだな」と語った友人の言葉が忘れられない。どういう過程を経てそういう考えをもつようになったのかは尋ねなかったが、とにかくその友人も私と全く同じ考えを持っていたわけである。難関と言われる大学だから入学直後は妙にプライドの高い奴もいたが、そういう連中も卒業時には結構考えが変わっていたりする。最初は「数学は自分の頭で考えて問題を解くものだ」と言っていたのが「数学は暗記だよ」と言うようになったりと。
 まあ、私は工学部なので受験数学と学問としての数学の区別はつかないが(工学部の数学は受験数学の延長でしかないから)、西村らの考えとは正反対である。「数学の試験ができることが正しい思考ができることの証明には全くならない」と上記の通りの経験から200%確信している。
 西村らがこれを読んだとしたらどう思うか。そしてまともな反論はできるか。できないだろう。だいたい自分たちの主張をきちんとした根拠を示して言っているわけではないし、「大学入試で数学を受験した人はそうでない人より給料がいい」などという本当にくだらないことをくだらないことと気付かずに偉そうにのたまわっているおめでたい人たちだからだ。はっきり言って私は「数学は重要だ」とやたら強調する連中には意外と程度の低い人間が多いと感じている。彼らの書いた文章を読んでみるとその事実がはっきり分かる。主語・述語がはっきりせずいかにもへたくそな文章で論理展開も支離滅裂。「数学は暗記だ」と言われて感情的になっているのは分かるが、あとは何が言いたいのかさっぱり分からない。バカなくせしてプライドだけ高いというのがはっきり感じられる。バカの見本といった感じだ。自分たちこそもう一度全教科勉強する必要があるのではなかろうか。私はこんな連中が○○大学教授の肩書きを使ってデタラメなことでも偉そうな顔をして言っているから教育がおかしくなるのだと思っている。「偉そうなことを言う前に誰にでも分かる授業をやってみろ」と言いたい。おそらくできないだろうが、彼らはそれを授業を受ける側のせいにするだろう。しかし私は、「もし本当に分かっているのなら誰にでも分かるような授業ができるはずだ。それができないのはあんたらが実は何も分かっていないからじゃないか」と反論したい。偉ぶっている人間に限って大したことないと言われるが、西村らは正にその典型である気がする。我が国の教育をためにはこういう人間には発言させないほうがいいとつくづく思うこの頃である。

(中略)は筆者によるものです。(このメールは2002年1月22日にいただきました)



この方はこのように、「数学と言っても工学部や経済学で使うような数学は暗記ものに過ぎない。数学の試験ができることが正しい思考ができることの証明には全くならない」とおっしゃっています。
学問としての数学はどうなのかよくわからないが・・・と謙虚に、正直に書いておられます。

私などは中学、高校と全く勉強しなかったので、多分この方のおっしゃる通りだろうとは思いますが、私の理解出来るのは算数に毛が生えた程度なのですから、調子にのって、浪川幸彦や西村和雄など論理的思考力も持ち合わせていないなどとは、この方に同調して返事を出すことも出来ませんでした。だいいち、このHPを書くまでどちらの名前も知りませんでした。

このメールを頂いた時、私は学生時代の一時、目蒲線の洗足に下宿をしていたことがあり、近くに下宿をしていた友人と何回か近くの、大岡山の東京工大の正門の近くの学生相手の大きな大衆食堂に行ったことがあったのを懐かしく思い出しました。東京オリンピックの頃でした。お返事も出さず、勝手に引用してごめんなさい。気にはしていました。力作だけに返事が書きにくかったのです。


また次のようなメールも頂きました。


しかし、そのような悪徳学者や、その類の人たちが社会から信用される存在に
なった日本についてどう思いますか?
慶応や、あなた自身の問題より、私はそちらのほうが当然関心あります。
告発サイトなので、関係ないとは思いますが、ついででも良いですので全体に目を向けて
発言してみてください。
(これは2002年8月20日にいただきました)


こんな難しい質問には答えようがありません。それで長い間ほったらかしになっていました。ここで謝意を表すと同時にお詫び申し上げます。勝手に引用してごめんなさい。


長文であったため拾い読みでしたが共感しました。

部下がいると偉いと誤解している(その狭い世界のみなのに)人間の多いこと!

現在、■ ■市と訴訟を視野に人権侵害、障害者阻害について戦っています。

貴殿の経験談(勘違いな人間と戦うコツ)をお教え下さい。

今後の活躍を期待します。
(2001年11月29日に受け取りました。■ ■は筆者によるものです)


そんなコツがわかれば、こちらが教えていただきたいと思います。この方のほうが余程いろいろ詳しそうですね。
こういうメールにはなかなか気にはしつつも返事が書けません。この際謝っておきます。
勝手に公開してごめんなさい。


私はある総合病院で骨髄移植をしました。移植はまあうまくいったのでしょうが、その後溶血という症状がでて、その後尿蛋白が出始め、足がむくみ、尿酸値があがり、腎機能が悪化していきました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ほとんど全文を消去・筆者)・・・・・・・
この問題がおきてるのに、専門医に回さない。知ってるフリをして事態を悪化させる。病院全体で間違った方針で治療をするのは医療ミスになるのでしょうか?
(この方からのメールは2003年10月8日に頂きました)


骨髄移植をなさって、うまくいったと思ったら、次々と身体に異変が起こり、自分ではどういうことなのか良く分からず、不安でたまらない。医者に聞いても納得のいく返答をもらえない。それで自分に対してなされている治療も適切なものか、将来が見えない。これは医療ミスなのではないだろうかという長文の深刻なお問い合わせです。

私はこのHPで病気について、医療ミスについて何回かとりあげました。
しかし私は勿論医者ではなく、医療者としてこの問題をとりあげたわけではありません。
私が慶應義塾で受けた悪辣な行為、およびそれを可能とさせた背景は、最近よく話題になる大学医学部における医局の問題と非常に類似する点が多いからなのです。
それゆえこの方のメールにお答えすべく、それなりに一所懸命に調べたりしましたが、当然わからずお答え出来ないままになっています。医者とうまくコミュニケイションがとれていないのが一番の原因だと思いますが、医者も良くわからないのかもしれません。
せめて「何処そこに行ってご相談なさったら」と教えてあげることが出来るなら良いのですが、そんな所が本当にあるのかどうかもわかりません。
医療ミスかどうかということは、特にこのような病気の治療に関しては、専門の医者でもなかなかわからないのではないかと思います。
その後この方がお元気でお過ごしになっておられることを祈りつつ、お詫び申しあげます。


話はまた元に戻りますが、先に授業の内容は、あまり覚えていないのですが、どうでも良いことは良く憶えていると書きました。本当にそうでした。
あの寺尾琢磨門下は年上から言えば、鈴木諒一、辻村江太郎、小尾恵一郎、尾崎巌というように学者が続きましたが、鈴木諒一と辻村江太郎以下はとても仲が悪く授業中もよく悪口をお互いに言い合っておりました。
鈴木諒一は学部の授業中に「 Ragner Frischが日本に来て講演した時、辻村君が彼の論文 New Methods of Measuring Marginal Utility(限界効用測定の新方法)について質問したところ、彼、Frischは自分が以前書いた、そんな論文については、忘れてしまっていて、記憶に無いと答えていた」と面白そうに、また馬鹿にしたように、クック・クックと笑っていました。
私はFrischが本当に日本に来たのかどうかも知らないのですが、そのように聞いたと記憶しております。

また一方、辻村は「三田商学研究」の鈴木諒一の定年退官の記念号(1986年4月)の中で「鈴木諒一先生の経済学」というタイトルで次のように述べています。

数学者とか画家の中には生得の天才によって若い時から完成された仕事をする人がときおり現れる。数学よりは物理学が、物理学よりは生物学が、というように経験的要素が多くなるほど、学者として1人前になる時期は遅れるのがふつうである。まして経済学の場合は研究対象が自然科学のようには分類整理されておらず、防衛正面が広いから、経済学者として一通りの視野が確立するまでには時間がかかる。したがって早熟の天才が現れにくい分野であるという点では異論が少ないのではないだろうか。ところが、第二次大戦直後の昭和20年代に大学で経済学をまなんだ学生達の間では、「慶応に天才鈴木諒一あり」という噂が流れていた。ふつうだったら、そんな事はありえないところだが、戦後の空白期に日本を、とくに日本経済を再建することが急務とされた時代に、従来知られていた古典派経済学でもなくマルクス経済学でもない「計量経済学」というものが頼りになりそうだという期待が識者の間に高まっていた。そのニューフェイスたる「計量経済学」への期待をになう若い学者として鈴木諒一が世の注目を集めたのだとおもわれる。

このたび鈴木先生が40年間の輝かしい実績を残して慶応の教壇から引退されるに際し、経済学者としての出発点における鈴木諒一像を再検討するために、昭和24年2月刊(1949)の「近代雇傭理論と日本経済」を読み直すことにした。これを書かれたとき鈴木先生は28歳の若さであった。当時、鈴木先生の出身母体である寺尾琢磨ゼミの後輩として塾の経済学部を卒業したばかりであった私は、もちろん発刊早々のこの書物を勉強したのだが、とても消化し切れなかったことを記憶している。
しかし現在は私も60歳を超え、経済学者としてのキャリヤーも積んだことに、一応はなっている。60過ぎの学者が40年近く前に28歳の若者が書いた書物を読んで感心するというケースは稀れであるはずなのに、むしろ驚嘆して昔の「天才伝説」を確認する結果となった。それは、実証理論経済学者としての確固たるスタンスが当時すでに確立されていたこと、誰からも教わらないで生得備わっていたとしか考えられない天才的洞察が書物の各所にちりばめられていること、からである。

以下長々と一見ほめたたえるかのように書かれているのですが、この昭和24年発刊の書物以後の業績については1行も書かれてはいません。
これは自分の不祥事をもみ消してもらった恩があるので、普段は仲が悪く、悪口を言い合っていたのですが、誉めているような文を書かざるをえなかったのでしょう。
「三田商学研究」など読むことなどないのですが、このHPを書くに当たって、名前を出した慶応の学者の論文なるものを近所の資料館で一応チェックしていた時に、この文を偶然見つけたのでした。思わず笑ってしまいました。

また辻村は授業中にも、よほど嫌いであったのか、当時の美濃部亮吉都知事を何度も「あの馬鹿」とか「豚野郎」とかと言っていたものです。

後年皮肉にも辻村と同じ東洋英和女学院大学に勤務することになった、中村隆英東京大学教授が当時自分の著書の中で、辻村の説を取り上げていたそうですが、辻村は「意味を取り違えて(辻村を)誉めていやがった」と授業中馬鹿にしていたりもしました。
これは先日その中村隆英氏が2004年度の日本学士院賞を受賞なさったという報道で思い出しました。
私は中村氏の著書を読んでいないので、何がどのように書かれていたのかわかりませんが、論文なり著書のタイトルの一部に「日本経済」とついていたように記憶しています。

ところで私はこのHPで、現在でも慶應義塾大学では限界効用でさえまともに教えられていないということを憤慨しているのです。
というのは、あれは確か1998年の夏、大阪で時間つぶしをする必要があり、本屋で立ち読みをしていました。
そこで小尾恵一郎、宮内環著の「労働市場の順位均衡」(東洋経済)なる本を見つけました。

立ち読みですので、本の「あとがき」を見ていました。すると小尾氏は既に亡くなっていたのです。この事実はこの時初めて知りました。

ちょっと「あとがき」を引用してみましょう。


お わ り に

小尾恵一郎

本書の第2章〜第5章において、家計の労働供給確率の一般理論(四者択一モデル)の理論構築と余暇ー所得の無差別曲線のパラメタの計測の結果を述べた。無差別曲線のパラメタ計測については、1961−1964年の「家計調査」資料ミクロデータを用いた。その計測結果はKEO Review (Keio Economic Observatory Review),No.4−5,慶應義塾大学産業研究所、1983に述べてある。この研究には19年という歳月を要した。この期間のたび重なる計測作業は、おもに牧厚志氏が担当した。更に1971−1987年のデータについては「就業構造基本調査」(大規模;ミクロ調査)を用いた。
1961−1964年データによるパラメタ解析は、1971−1987年のデータより多大な労力を要した(コンピュータ能力の拡大により1971−1987年の解析は解析時間を減少させることができた。この間のデータのコンピュータの解析は主として宮内環があたった)。家計の統一的(四者択一的)実証モデルの計測結果はKEO諸兄の援助なしにはありえなかっただろう。
賃金格差理論の構築自体とパラメタの数値計算には10年余を要した。
本書のパラメタの計測と理論の検証もまた、産業研究所所員の援助なしにはおこなうことができなかったであろう。ここに深甚なる感謝を捧げたい。


後 記

宮内 環

本書は「おわりに」にも記されているように、小尾恵一郎教授を中心とする研究プロジェクトにおける成果の最重要部分をまとめたものである。小尾教授は、辻村江太郎教授や尾崎巌教授らとともに、慶應義塾大学産業研究所の経済部門を研究の拠点とし、後進の指導にあたられてきた。当研究所の経済部門は、実証的な経済学の伝統を誇っているが、小尾教授は辻村・尾崎両教授らとともにこうした実証経済学の伝統を築き上げた研究者である。

小尾教授は慶應義塾大学を退職された後、相次ぐ大病を克服しつつ本書の原稿執筆に力を注がれてきた。辻村江太郎教授の「まえがき」は、実証経済学をともに開拓した研究者として、小尾教授自身が辻村教授にその執筆をかねてより望まれ、実現したものである。しかし、これを含めすべての原稿を東洋経済新報社に託した後、小尾教授は本書の上梓を見ぬままに他界された。宮内環がこの「後記」を付け加えたのは、そのためである。「科学的成果を知的財産として人類社会が共有できる形にすることが研究者としての責任である」と、小尾教授はつねづね説いておられたが、まさにその責任を果たすべく本書をまとめられたのである。小尾教授は亡くなられたが、本書は経済学の実証的な研究成果として独立した意義を持つことになろう。

小尾教授は私の恩師である。小尾先生のゼミで経済学を志して以来、私は、産業研究所における労働供給や労働市場にかんする研究活動に参加し、今日にいたるまで小尾先生の指導のもとで研究をすすめてきた。そして私にとっては、本書が小尾先生との最後の共同作業となった。小尾教授なきあとは、産業研究所に灯された「実証経済学」の火を絶やさずに、これをいっそう発展せしめて次の世代に継いでいくことが私の責務であると考えている。

「実証経済学」という言葉はほかでもよく用いられるが、本書においても明らかなように、単に観測データを用いれば「実証経済学」というわけではない。理論と観測との関係において、解釈の余地などの曖昧さができるかぎり残らぬように理論を構成し、これを検証に付すのが、小尾教授の目指した「実証経済学」の方法である。すなわち「実証経済学」の方法とは、科学の一般的方法と何ら変わるところがなく、観測事実との関係において普遍妥当性が認められる理論のみを探求するという点で、他の科学の方法とまったく変わらない。本書がこうした認識に貫かれていることに読者は気づかれたはずである。私が恩師小尾恵一郎先生から学んだことは数限りなく多いが、以上の点を踏まえずして、本書に示された研究について語ることはできない。

一方で小尾教授は自ら行っていた研究に「実証」という言葉を付すことに慎重であった。それには次の二つの意味があったようである。ひとつは「実証」とは容易なことではなく、科学の方法をしつこいくらいに繰り返し適用し、検証を何度でも通過した理論、すなわち「法則」を研究者が勝ち得ることによって初めて「実証」が成る、という理解である。したがって1度や2度程度のの方程式の測定と統計的検定を行っても、それは実証であるとはとても呼べないのである。二つめは、「実証的な経済学」と「実証的でない経済学」とは並立しようがなく、経済学といえばすべてが「実証経済学」であるのが本来の姿である、という理解である。すなわち「実証経済学」という言葉をもちいると、「実証的な経済学」のほかに「実証的でない経済学」の研究も科学的研究たりうると考えているかの印象を与えがちであるが、そうではない。たとえて言えば「実証物理学」や「実証天文学」という言葉が用いられないのと同様である。
この意味では、経済学が科学として今日よりはるかに進歩し、「実証経済学」という言葉が死語となる日がやって来ることが望ましいのである。

小尾教授は、こうした「実証経済学」を目指した。そして今日の経済学が以上に述べた科学としての「実証経済学」たりうるために最も必要な部分を「理論と観測の対応」と呼んだ。本書に示された研究成果も観測と理論とをおのおの吟味し、これらが互いに整合的となるように観測方法と理論構成を選択し、理論の検証作業を行った結果である。

中略

本書を著すにあたって、多くの方々にご協力をいただいた。辻村江太郎教授には、原稿のすべてに目を通していただいた。黒田昌裕教授には本書の構想から刊行にいたるまで、そのつど適切なご助言をいただいた。産業研究所研究室秘書の常木英子氏や黒田昌裕研究室秘書の伊地知富子氏には原稿の整理やワープロへの入力で多大なご苦労をおかけした。そして東洋経済新報社の黒野幸春、村瀬裕己の両氏には本書の企画を強力に推進していただいたうえに編集・校正作業でもご尽力いただいた。また慶應義塾大学産業研究所所員諸氏のご努力によって、本書を慶應義塾大学産業研究所選書にも加えていただいた。ここに記してこれらの方々への感謝を表したい。(中略は筆者によるものです。また赤色に着色したのも筆者によるものです)


小尾恵一郎氏によって書かれた「おわりに」はあまりにも短く、あまりにも簡潔である。
ご病気のため多分これしか書けなかったのではないかと思われます。

また宮内環氏による「後記」は確かにその通りなのです。
初めて目にするお名前であったので、ひょっとしたら女性なのではないかと思ったぐらい、多少青臭いと思ったほど情熱的に書かれていました。それで慶應から追い出されてから、読むことなどなかった、経済学の本として初めて購入することとなりました。立ち読みするには大層な本に思えたわけです。
しかし果たして、亡くなる前に急いで発表なさるだけの値打ちのある本であったのでしょうか。
勿論、否であります。
「科学的成果を知的財産として人類社会が共有できる形にすることが研究者としての責任である」と小尾恵一郎氏は日頃から説いておられたそうですが、小尾氏の労働供給の理論たるや、あの悪党辻村江太郎の「消費習慣形成仮説」とほとんど変わらないイカサマ理論と言わざるをえません。小尾恵一郎風に言えば、「お粗末な間違い仮説を、自分に続く学徒に同じ間違いを繰り返させないようにすることが研究者としての責任」でありましょう。

「本書に示された研究成果も観測と理論とをおのおの吟味し、これらが互いに整合的となるように観測方法と理論構成を選択し、理論の検証作業を行った結果である」と宮内氏は述べておられるが、「論理的整合性に欠けるので、理論の検証作業を行ったことには全くなっていない」のです。
家計の余暇ー所得の選好函数とされているものも、実のところ亭主の所得をパラメタとして、主婦の所得の基数的な限界効用曲線が変位するというのと同じことです。

こんなもののために小尾氏は何年も資料を集め、計算し続けたということは、まさしく時間の無駄、労力の無駄、そして費用の無駄ということに過ぎません。ここには科学精神などというものは全くありません。

こんな欠陥理論はずっと昔に間違いであるということが分かっているわけですから、宮内環氏は小尾恵一郎、辻村江太郎、黒田昌裕、牧厚志に騙され続けてきたわけです。そして世に出してはいけない欠陥本を出版してしまったわけです。
とはいえ、宮内氏も素人ではなく、学者の端くれなのですから、出版の責任は本人にあるわけです。宮内氏は辻村、小尾、黒田の被害者であるわけですが、同時に現在の学生や一般読者に対する加害者なのです。
宮内ゼミの学生も何もわからず、こんな本を読まされているのでしょう。
宮内 環先生ご紹介のページにGO

しかしこんな本が冲永賞なるものを受賞しているのです。これは財団法人労働問題リサーチセンターなるところから授与されています。選者が誰か、残念ながらわかりませんがご存知の方がおられましたなら、ご一報下されば有り難いと存じます。
ところで冲永と言えば、冲永荘一という帝京大学の創立者と関係がありそうだと分かりますが、この労働問題リサーチセンターというのは、やはりこの冲永荘一が会長をしています。
なお帝京大学と言えば、元副学長の安部英がHIVに汚染された非加熱製剤を投与して血友病患者を死亡させた事件、やわらちゃんなる女子柔道選手を無試験で入学させたこと、それも最初は男の多い経済学部の予定が、入学直前にやっぱり自信がないからと文学部に変更するのを認めたこと、また入学手続き前に寄付金を集めたり。宮地和明元厚生労働副大臣による医学部入試への「口利き」事件など非常にイメージが悪いのです。
それに「帝京グループ」に14人もの官僚が天下りをしており、しかもそのうち旧文部省から8人も天下りをしていたというのです。こんなことでは文部省が大学に適切な、指導、アドバイスなど出来るわけがありません。
こうした大学と文部省などの癒着は慶應義塾でも同じでしょう。

やわらちゃんについて書いていたら、昔、妹が慶應女子校に在学中、ある先生に聞いてきたと言って話していたのを思い出しました。
妹より多分2才ぐらい年下の、芸達者で有名な役者の中山千夏さんが慶應女子校を受験なさったそうです。
大変成績は良かったそうですが、不合格とされてしまったそうです。
芝居の仕事で、授業にちゃんと出席できないかもしれないからということだったようですが、入学させてから欠席があまりにも多くて授業についていけないというようなら辞めさせればいいことだと思います。
慶應卒業者には安物のタレントも沢山いますのに、彼女のような優秀な方の入学を拒絶するなんて信じられないように思われました。
彼女は役者だけでなく、その後、歌手にも、作家にもなり、参議院議員にもなりました。

なお辻村、黒田、小尾、牧などだけでなく、安西祐一郎塾長が頼りないというだけでなく、大馬鹿ものであると言うのはこの欠陥仮説が現在でも慶應の中で流布しているためです。
こんな大学のため、年間100億円もの税金が使用されているのです。
序数と基数の区別もつかない、また勿論間違いがわかっていても、訂正しようとしない大学に対してです。

怒らなくてはいけません。

安西祐一郎塾長は「慶應義塾21世紀グランドデザインと大学の未来」などというタイトルで、あちこち講演して廻っているようですが、フレコミだけで大学の未来のことなど何も考えていないようですね。
フレコミだけで何もしないというのは、どこかの国の総理大臣みたいですね。
あの悪党・黒田昌裕を学務担当の理事にしたままなのですから。

慶應義塾大学というのは、大学における「三菱自動車」です。どちらも「ブランド名」だけで誠実さが全く見られません。「悪徳隠蔽大学」、「悪徳隠蔽自動車」です。
安西氏が私立大学連盟の会長というのも困ったものです。

それにしても「三菱自動車」が経営規模を縮小して、京都に本社を移すらしいのです。「三菱自動車」、「私のしごと館」、嫌なものばかりが京都に来るのです。京都は「掃き溜め」ではないのです。

少しずつ書き加えて作りましたので、読みにくく、論理的でない文章になりましたがお許し下さい。

 

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