音声資料で知る悪徳慶応義塾での「話し合いの場」
勿論実際は「だまし討ちの場」でした

 

このHPの本編でお知らせ致しましたように、私が大学院商学研究科在学中、指導教授である辻村江太郎の「消費習慣形成仮説」には初歩的な間違いがあり、最初から仮説たりえないのではないかという、私の質問に対して、辻村は、答えるどころか、「うるさい、ついてこれんのか、やめろ」としか言わなくなり、私としては他教授にも相談できず、どうすることも出来ず、身の置き場もなくなり、心身ともに疲れ果てて、京都の実家に帰って来ざるを得ませんでした。

大学院生の立場からは、どうすることも出来ず、京都に帰ってきたのでしたが、「このままではいけない、こんな悪党を放置しておいては、私以外にも被害者が出る。大学改革のまねごとであっても、やってやろう」と決心しました。

そして71年3月、辻村に対する質問状を発送しました。

以下少し本編とダブりますが、ご辛抱下さい。

それまでのイキサツから、多少乱暴な文面ではありましたが、先に皆様方のためにご用意いたしました「やさしい限界効用」と同じような内容の質問状でした。

これは公式に追求する前の最後の思いやりで、この段階で反省の態度をみせるなら、他教授などには知らせること無く、追求を中止してやってもよいと思っていました。

私は当時から、女の子のようにやさしい、と言われるほど、優しい性格で、奥様やお嫁入り前の娘さんや、中学生か高校生であった息子の和佑君には、いやな思いをさせたくないという思いやりからでした。(女性が特別に優しいかどうかについては、多少疑問がないわけではありませんが・・・・・)
それ故、私の家族には、私の怒りや、質問状の発送については知らせないでおりました。

それをよいことに、辻村は京都の実家に電話をしてきて、肝心の経済学上の質問や、自分の犯したハレンチな行動については一切触れず、何も知らない母に向かって、「不穏なことを言ってきた。精神病院に入れろ。他教授やゼミの学生には、この手紙を見せないようにさせろ。さもないと刑事問題にする。ただし、見せないようにさせるなら、もみ消してあげる」などと、虫の好いことを言ってきました。
また私と年子で新米サラリーマンであった、塾員(慶応大学の卒業生)でもある兄の会社にも何度も、会議中などにもかかわらず、同様の恫喝をしてきました。

全く反省の念が見られないので、当時の佐藤 朔塾長宛に窮状を訴える手紙を出しました。
先の質問状は踏み絵の意味をも持っていたのです。またいつまでも先生と生徒という関係を続けていると埒があかず、これを断ち切る必要があったのでした。

なお塾長への手紙の前には辻村の弟弟子にあたる小尾恵一郎教授と,政治力は抜群でコワモテする白石孝教授(国際経済学)にも、質問状のコピーを送っておきました。

すると現在は「学務」担当の常任理事である黒田昌裕助手(当時)が辻村の命によって、京都にやって来て、ホテルに母を呼び出し、増井健一商学研究科委員長からの伝言であると偽って、至急退学届を出すよう強要しました。

ほどなく、これが全くのデタラメであるということがわかったわけです。
経済学の問題や今までのイキサツを何も知らなかった母もこの一件で事情がわかりました。

黒田は退学届と言ったのではなく、停学届と言ったのだとか、あげくの果てには、休学届を出すと授業料を払わなくてもよいから、お得ですよと伝えただけだと、後になって強弁することになるのですが、この辺は本編の音声資料などにてご説明させていただきました。

慶応義塾は黒田が増井教授の名前をかたり、退学届を出させようとしたということを知った時点で調査をして、謝罪をしたりするのが当然なのに、そうしたこともしないのです。
また当時東京にいた兄は、詳しい事情もわからないまま、辻村や黒田からの会社への度重なる電話に辟易して、こうしたモメゴトは本来、大学内で話し合って解決されるべきと、辻村や黒田に申し入れしましたが、辻村は頑として聞き入れようとしませんでした。

それは当り前のことで、話し合いで収まるぐらいなら最初からこんな騒動にはならなかったのです。辻村は自分の学説の間違いを知った生徒は放り出すという思いだけであったのです。

それで大学院側に、「私は黒田との電話でのやりとりを録音していますよ」と告げますと、慶応義塾大学院としても、そのまま放置するわけにもいかなくなり、増井委員長は「もともとは経済学上の論争より起こったのだから、経済上の問題に限って話し合うように」と虫の好いことを言って、とりあえずは「話し合いの場」なるものを設けたのでした。

この時の私がとった行動は、密室でセクハラ行為を受けて困っている女性が訴えることを決意する時の状況とよく似ています。証拠がなかったら水掛け論になってしまうだけなのです。

最近(2002年5月8日)、中国は瀋陽の日本総領事館において、北朝鮮の脱出住民5人による「駆け込み亡命」未遂事件が起きましたが、これもその時のビデオが存在し、世界中に配信されることで、5人は命拾いし、目的を達することが出来ました。(これを書いている5月13日現在、まだ本当に解決をしていないのですが、命拾いして、希望の土地に行けるのはほぼ確実です。)
支援者の撮ったビデオが無かったら、彼らは全員北朝鮮に送り返されていたことは間違いありません。生々しく、ショッキングな映像と音声でしたが、あのビデオを見るだけで、日本政府や日本の外務省の言い分や中国政府に対する抗議には、全く説得力が無いことがわかります。

確かに武装警察が日本領事館の敷地内に入ったことは、見ての通りで間違いありません。
しかし先に男が2人中に入り、逃げ遅れた子供を含む女性3人が大声で救いを求め、門扉にしがみついている時に、中から出てきた副領事などの職員は誰一人として武装警察に抗議もしていません。また彼らを制止しようともしていません。
逆に領事館内に落ちている警官の帽子を拾って、渡しているぐらいです。
ここで毅然として抗議をしているのなら、中国に主権侵害があったとか、ウィーン条約に違反しているとか主張出来、5人の身柄を引き渡すよう要求も出来るのですが、あの情けない状況では中国に文句も言えません。
せいぜい「今度から、当り前のことだけど、無断で敷地の中に入らないでね」と念押しをし、「5人に対して人道上の配慮をお願いしますね」と言うしかありません。外務省の調査報告書なるものも、報告書のていをなしていません。

中国には何万人もの北朝鮮からの不法入国者がおり、北朝鮮との契約で彼らを見付けしだい、送り返すことになっているそうです。中国としても彼らの存在は迷惑なことに違いありません。
日本が言うように5人の身元をはっきりさせると、中国は北朝鮮に送り返さざるをえなくなるのです。それゆえ中国は彼らを身元不明のまま第三国を通じて、希望国に行けるようにすると言ってくれているのですから、そうお願いするしかありません。
実際北朝鮮からの何万人もの不法入国者がすべて日本領事館に逃げ込むように中国が画策すれば、日本は一体どうするつもりなんでしょうか。
やはり中国とは「仲良しこよし」でやるしかありません。
福田官房長官は、中国政府と日本政府のどちらを信じますかなどと言っていますが、中国のほうがこの場合、正しいでしょう。

北朝鮮からの、この5人が他国に送り届けられた後は、生き証人となるわけですから、日本政府も妙な意地を張るのは止めるべきでしょう。
またビデオも後半部分があるような気がします。撮影した者も一度に出すより、小分けに出した方が面白いでしょうし、一粒で二度おいしいということになるでしょう。
ビザ申請待合室入り口の防犯カメラが録画されていなかったというのも多分ウソでしょう。

さて「話し合いの場」の件に話しを戻します。

前述のように、「黒田が京都にやって来て、研究科委員長の名前をかたって、退学届を出すように、母に強要したということが判明する録音テープがありますよ」と告げますと、慶応義塾は仕方なく「話し合いの場」を設けたのでした。

母も直接、電話でそれ旨慶応に伝えているわけですから、慶応も謝罪しに来るとかすべきなのに、それには触れず、経済学の問題に限って「話し合いの場」を設けるというのですから、慶応側の魂胆は見え見えです。
「ぜひお母さまに、辻村教授がご子息の質問に誠実に答えますので、お聞きいただきたい」と執拗に言うのです。

交通費を送ってくるでもなし、馬鹿にしています。
経済学など、母は聞いても、わかるはずはありません。
母が「話し合いの場」に行っても、礼を言って帰るより仕方ないでしょう。

またこの時祖母は、胆嚢炎で、家のすぐ近くの病院で入院中でもありました。実際祖母はこの年の暮れに、手術ミスにより死亡しました(手術ミスというのは、同じ病院の内科医がそう言ったからです。また執刀医自身も手術の後で、「後5,6年は生きられる」と断言していたからです)
まあ悪意があったわけではないので、そんなものでしょう。

ところで今年(2002年)の1月18日に、私は急に右耳が聞えなくなり、数日後この病院とは別の、以前大腸癌で手術をした病院に、入院する破目になりましたが、その時見ましたのは、朝、胆嚢炎で胆嚢を切り取る手術をした患者さんが、その日の夕方にはもう歩き回っているのです。お腹を切るのではなく、小さい穴を4つあけるだけで良いのだそうです。また私と同じ直腸癌の手術をした女性が、翌日にはベッドの上で起き上がっているのです。30年ほどの間に医学は大きく進歩しているなと驚きました。

これに比べて経済学は全く進歩しているようには思えません。慶応義塾では相変わらず、限界効用でさえ正確に教えられていません。あの黒田が「学務」担当の常任理事だというのですから、情けない限りです。

さて「話し合いの場」に話しを戻しますが、こういう状況の所に行くのを、母が嫌がったため、また私もゴロツキの所に母を行かせるのはまずいと思い、兄を同伴させることにしました。兄も勿論経済学などわかるはずもありませんでした。兄は大学時代、勉強はせず、バンド活動に明け暮れていましたので・・・・。

それで兄と二人で「話し合いの場」に赴くことになりました。
これは7月で夏休み直前に三田の商学部長室で行われました。
ところが慶応側は「話し合いの場」を設けた増井健一商学研究科委員長は姿を見せず、辻村と白石の二人だけでした。

話し合いの前に、「話し合いの模様を母にぜひ聞かせたいとのことですが、あいにく祖母が入院中で、京都を離れられないので、折角母に聞かせたいということで設けて下さった話し合いの場ですので、せめて録音ででも聞かせてやりますので・・・」ということで、録音しました。それでこうして、その時の録音が残っているわけです。

夏休み直前で学生の姿もほとんどなかったというように記憶しているのですが、兄が録音したカセットには兄の字で71年7月8日と記入してあります。

先ず最初にお聞きいただくのは、話し合いの途中で、話し合いの内容とは関係なく、白石、辻村がそれぞれ、別の時点で、外部と電話をしているところが、偶然録音されています。これを聞きますと「話し合いの場」が商学部長室で行われたもので、私的に行われたものではないという事実が明確になります。

本編の「音声資料」は5,6年まえに若い友人の西川氏にデジタル・ファイルにしていただいたのでしたが、1ファイルが2分以内ということでしたが、今回私の古い、安物のパソコンでは1分以内しか録音出来ません。それで時間が短くなっています。しかしそれで充分と思っております。音は非常に悪いです。AUファイルです。

「音声資料:1」 (電話@商学部長室) 39秒 (306KB)ここをクリック

音楽が聞えることと思います。これは話し合いを、なごやかにするために、慶応側が流しているのではありません。
実は兄は当時某レコード会社に勤務していましたので、音楽のサンプル・カセットの不要のものの爪折れ穴を、セロファン・テープでふさいで利用していたのですが、テープの貼り方が悪かったのか、昔のことで機械の調子が悪かったのか、元の音楽が完全には消去されていないのです。この点ご了解ください。

・・・白石ですがね、あのう、今、学部長室にいるのですけどね、学部長、ちょっとまだ、おいでになっていないんで、もし外部から電話がありましたらね、塩川(?)先生につないでいただけるかしら。お願いいたします。・・・

(中略)以下は辻村の声です。・・・もしもし??さん。??先生いらっしゃった? ああ、そうか。もしね、僕を探していたら、後でそっちに見えるから、商学部長室にいるから、電話して下さい。・・・

「音声資料:2」 (辻村 ・ 序数) 40秒 (312KB)ここをクリック

例えば、消費者行動の理論だったら、ゴッセンぐらいから始まって、パレートだとか、アービング・フイッシャーだとか、スルツキーとか、ヒックス、アレン、とかから来ている、そういうターミノロジィ(terminology 用語)の上に乗っかってやるというのが普通ですよね。彼が(これは私のことです)言っている、そのう、オーディナル・ユーティリティ(Ordinal Utility 序数的効用)しか意味が無いというのは、それは今の経済学者だったら誰でも、そう思っているわけですよね。少なくとも、僕が知っている範囲で誰でもそう思っているわけですね。

お聞きのように、辻村は「序数的効用を前提としている。自分の知っている経済学者は誰でもそうだ」、と断言しているわけです。
これは辻村の本を読まれれば、すぐにわかるわけですが、このHPでは基本的には、辻村の本は、読まなくてもわかっていただくよう努めていますので、お聞きいただいたわけです。
本編では辻村の本の一部をコピーしていましたが、わかりにくかったかもしれません。これでOKですよね。
森口親司氏の「辻村氏の仮説は基数的効用を前提としている」としながら「著者のとる接近法は妥当である」という批評がおかしいというのが、はっきり、おわかりになったと思います。

「音声資料: 3 」 (辻村 ・年寄り教授) 27秒 (218KB)ここをクリック

デンバーベルクがシュンペーターに言ったようにさ、学問の進歩というのは、年寄りの教授が死んだ時に起こる。
人間というのは世代の制約があって、一所懸命考えたって、どこまで行けるかということに限界があるわけでしょう。その限界を超えたような質問に答えられないからといって、我々の義務が果たせないとは思わない。

辻村はこのように開き直っております。
確かに一般的に言って、このようなことはあるとも言えます。
しかし私が辻村に対して言っているのは、「序数と基数の違いを理解しろ」ということなのです。うぬぼれてもらっては困るのです。学問の進歩というような高級な話をしているのではありません。
序数の定義も理解出来ない、序数の差や和が無意味ということもわからない、と開き直るのなら、巨額の血税を国庫助成金として貰っている大学の教授をやめるべきなのです。これは「序数の定義」なのです。
それも明日にでも死ぬというのなら、話は別ですが・・・。
実際この後30年以上経った現在も、死にそうにもありません。「誰が30年以上も死ぬのを待っておられますかいな!」
なお今回30年振りに、録音を聞き直してみましたが、デンバーベルクと言っているようですが、今まで気にしたこともなく、不勉強でこれが誰だか残念ながらわかりません。

「音声資料: 4」 (辻村) 1分 (468KB)ここをクリック

白石さんねぇ、こうなんですよね、僕はね、ペーパーを書く時はね、学会で、同僚に、わかってもらえるように書くわけですよね。それは白石さんの場合も同じですよね。僕の場合は、慶応の同僚でも、他の大学の同僚でも、説明を何遍も、昔っから、僕はあれー、昭和29年位に始めてだと思うけど、ずっとそのまま、やってきたから、まあ15年位、繰り返し繰り返し、皆でディスカッションしてきたし、ハーバードへ行った時でも????(車の騒音です)当り前であったわけですね。

「音声資料: 5」 (辻村) 46秒 (359KB)ここをクリック

その時にお互いの使う言葉ていうのは、それなりに通じているわけですよね。で、彼の場合は(勿論私のことです)、僕の使う言葉がわからんて言うわけですよね。そういうことは、ありえますよね。例えば僕が他の経済学者のものを読んだ時に、何だか良くわからない、これは承認出来ない、というようなことは当然ありますよね。だから承認出来ないと言うなら、それはそれでいいわけですよね。それを説明しろと言われてもね、こっちに彼の問題点がわからなければ、説明出来ないわけですよね。

「音声資料: 6」 (辻村) 56秒 (441KB)ここをクリック

「(中略) だから僕は自分のやり方以外のものに対して、積極的に排除する立場にもないし、で、現に他の部面、例えば「貯蓄率がどう決まるか」とかに対して、色んなありとあらゆる説がありますよね。そういうのに対して、いちいち、取り合っている暇はないから、自分は自分の仕事をするということになるわけですよね。だから稲垣君が僕なんかより、はるかに頭がクリアでね、僕のわからないことが、わかっているかもしれないし、だから稲垣君の言っているのが間違っているかどうかということすら、僕にはわからないわけですよね。そういう時に、白石さんだったら、どうなさいますか。

何年この仮説を議論してきたとか、どこでも通用したとか、こんな質問を初めて受けたとかいうことは、答えにならないのです。色々な考え方があるとか、色々な仮説があるというのは、当り前のことで取りたてて言うことはありません。
私が言っておりますのは、辻村の仮説なるものは初歩的な間違いがあり、「仮説たりえない」ということなのです。
積極的に排除する立場にないと言っていますが、研究科委員長の名前をかたって、退学届を出すようにせまるということが、積極的に排除していることになるわけです。

「音声資料: 7 」 (辻村 ・ 論理ではない) 55秒 (433KB) ここをクリック

・・で、こういう式を使う場合でも、或る位置における(X財の)限界効用と、同じ位置におけるYの限界効用の比であるという意味でしか解釈出来ないわけですね。
当然
当然ですね。その場合に相対比が合わない時に、これに相対価格が等しいという式をやった場合で、もしフィットが悪かった場合に習慣・・・」
ajustment factorを入れるわけです。それを習慣形成と呼んでいるだけの話です。
だからその要因を、どういう名前であっても、いいんですけどね、入れる時にね、それはどういう論理に基づいて、そういうものが、入ってきたのですか。
それは論理ではない。実証科学の手続きとしてね、ajustment factorを入れる時は、先ず一番簡単なやり方で入れるというのが定跡なんです。それだけの話です。

辻村は意味も論理も無い、と開き直っているわけです。
費目別部分均衡型消費需要函数について言っている場合なら、もともと論理もへったくれも無いのですから、また基数で話をしているわけですから、一番簡単なやり方で入れるということで、かまわないと言えなくもないのですが、序数的効用関数の存在を前提にしている以上、論理が無いでは困るのです。論理が無くても間違いが無いというのなら、まだマシなのですが、「消費選好場と相対性」をご覧頂くとわかりますように、「辻村仮説なるものは序数の足し算をしているので間違っている」と言っているのです。

こんなアホなことを、大学の学部長室で公式に設けられた場で言うのですから、慶応義塾というところは本当に困ったところです。塾長からして怪しげな連中ばかりです。
慶応病院で医療ミスにあった患者さんなどに対しても、皆で寄ってたかって、おどし、恫喝をするでしょう。

自分の教え子の女性の裸体を覗いたり、撮影したりするぐらいですから、病院中隠しカメラ、や覗き穴だらけでしょう。御用心ください。
それどころか「序数の差や和は無意味である」ということを「学問の自由」を盾に認めようとしないような超一流大学ですから、これから類推しても、癌でもないのに「癌だ」と偽り、手術をして金儲けにいそしむような医者が多いのではないでしょうか。
金は高いが、慶応の先生に手術をしてもらうと、再発もしないし、転移もしないと評判は上がるばかりでしょう。
勿論最初から癌でないのですから、転移などするわけがありません。ばれたら「医者の裁量権」を盾に開き直ることでしょう。
医学部の奥までは知りませんが、学部によってそれほど教授の出来が違うとは考えられません。
塾長や理事、研究科委員長、教授会、誰一人としてまともな奴はいなかったのです。

おまけに、この大学は有能な、金儲けだけしか考えないチャランポラン弁護士である、「慶応義塾の代理人」松岡浩を飼っているので、万全です。

こんな大学に巨額の血税を投入しても、本当によいのでしょうか。

「音声資料: 8 」 (辻村) 20秒 (162KB) ここをクリック

考え方が)食い違った時に、明らかに、はっきり自分で、ただ説明して下さいと(お願いした時に)、「本を読め、本を読め」と言うだけだったら、これは本当にもう・・・
僕は君にはね、他の学生よりも、時間つぶしているよ。だけど君だけにこんなに長い時間つぶせないよ

またまた開き直りです。私の質問には一切答えていないのです。
私の言ったことに対して、わからない、とか間違っていると言った人はおりません。「消費習慣形成仮説の定式化はどういう意味を持つのですか」と尋ねた以外質問をしたことなど無いのです。「うるさい。本を読め。ついてこれんのか。やめろ」という以外、何も答えてくれたことはありません。録音をしている時でさえも、こんな答えなのですから、学生時代にどれだけ、ひどい仕打ちを受けたかということは容易にご想像がつくことと思います。

それにしても、「時間つぶしている」という言葉は無礼な言葉です。時間を浪費しているという意味です。
頭の悪い男が何を言ってるのでしょうか。序数の定義もわからない、アホ相手に、先生、先生と立ててやっているのがわからないのでしょうか。まったくおめでたい男です。時間を無駄にしたのは、こっちなのです。

慶應義塾はこんなアホで性格の悪い男に、この不祥事の後に「福澤賞」を与えているのです。
よほど人材が不足しているとみえます。
もっとも、わりと最近読んだ本では、福澤は、さすがノーパン・シャブシャブではなかったですけれども、公金横領、公金流用の前科があったという記述がありました。
「福澤賞」も、その程度のものと理解しておくべきなのかもしれないですね。

結局、「話し合いの場」なるものは予想通り、辻村、白石の両者が掛け合いで、話し合い、私の質問には一切答えませんでした。
お前が間違いだというのなら、お前の好きなようにしろ。誰からも君のような質問をされたことがない。などというだけです。学問の自由などというピントはずれなことを言うのです。白石氏などは、君にはビジョンが欠けているなどというわけのわからないことを言うのです。この不祥事を、「親子ゲンカ」のようなものだとか、辻村の行為を「名人芸」のようなものと開き直るのでした。まさしく猿芝居というものでした。

そしてあまりの馬鹿馬鹿しさに、この「話し合いの場」は「増井商学科委員長が設けたのでしょう?」と尋ねますと、否定する始末です。さすがにこんな「話し合いの場」を公式のものとは言えなかったのでしょう。

「音声資料: 9 」 (白石) 12秒 (93.7KB) ここをクリック

白石先生はですね、まあ、商学部長の代わりをなさっているわけですけれども・・・
代わりじゃないわよ。・・・(笑)

ゴロツキがオネエ言葉ですから、チョットこわいですが・・・
白石氏の録音は今回はなるべく使わないようにしました。
告発する相手方の言葉としても、ちょっと恥ずかしいものがあります。

それで次の年に佐藤朔塾長に手紙を書くことになるのは、本編でお話した通りです。「話し合いの場」は今回は、このぐらいにして、これと関係のある音声資料をお示ししましょう。

「音声資料: 10 」 (小尾恵一郎 ・ 真偽) 54秒 (425KB)ここをクリック

僕ね、会田先生が、なんか、あなたに学問の自由だ、てなことを言われたってというのを、会田さんから、あなたに・・・、三田の山で会った時に聞いたんだけど、それは会田さん、おかしい、と、それはね、学問の自由ではなくて、真偽の問題だと
真偽?
真偽、つまり、或る命題の真、または偽、ね。正しいか間違っているかに対する問題なのだ。だから会田さんね、そのう、学問は自由だから、色んな考えがありうる、というふうに言われるのはおかしい・・・

この小尾教授の録音は、この「話し合いの場」の1年ほど後の、塾長からの最終回答が来た直後の頃のものと思います。
「話し合いの場」でも「塾長からの最終回答」でも、学問の自由でケリをつけようとするものでしたが、勿論小尾教授は、正しいか、間違っているかの問題だと、これを否定なさっています。
Aでも良い、Bでも良いというような問題ではないと、おっしゃっているわけです。当然です。

もっとも、小尾先生の辻村仮説に対する意見は、先にお示ししました「任意の1次変換ができるから基数ではない」というものでした。ご自身も辻村と同じようなことをなさっておられるので、こんな回答です。小尾先生がこんな馬鹿な回答をなさるので、ちょっとホットしたのを、覚えております。

小尾先生は慶應義塾の中では、温厚なほうだと思っていましたが、学者としてはクズだといえるでしょう。

なお、会田理事(当時)というのは、「塾長からの最終回答」を作成した中心人物だったのでした。

「音声資料: 11 」 (増井健一 ・ 私が媒介) 17秒 (138KB)ここをクリック

あなたが手紙を塾長に出されて、その後で塾長から話があったものだから、私が媒介して、白石さんに頼んで、あなたと辻村さんと、三田で話をしたでしょう。

増井教授の、この短い話からも「話し合いの場」が増井商学科委員長によって設けられたものであるのが、明白でしょう。ですから商学部長室で話し合いが行われたのです。これを白石氏が否定するのは、この話し合いがインチキだからです。
この当時、世間知らずの若い青年であった私は、(今も世間知らずですが・・)ただただゴロツキ相手に、コワイ思いをしたのを、昨日のように覚えております。

突然今回難聴になりましたので、古い録音を聞き取るのが大変でしたので、HP更新が大幅に遅れてしまいました。
この点お詫び申し上げます。
慶応義塾というところが、塾長や研究科委員長など公的な、責任ある立場の人でも、平気でウソをつき、平気で人を騙すような連中であるのが、よくご理解いただけたと思います。ゴロツキ大学なのです。

次回は録音とは関係ありませんので、「なるべく」はやく更新したいと思っております。

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