| とても偉大な方って本当?樋口美雄慶応大学教授 |
| 日本経済学会の闇・現会長は矢野誠京都大学教授 |
前回、たまたま日本消費者連盟の95年4月27日号の「消費者リポート」の中の「生活者の目」という記事を引用し、それに表記されていた慶応の「トンデモ」経済学者(?)の中に樋口美雄という名前を見つけ、ついでにこの樋口美雄のことを書いてしまい、アップ・ロードしたのでしたが、後で何とは無しに、最近はどうしているのだろうかと、思い出し、グーグルで「樋口美雄研究会」を調べてみることになりました。
一番最初に「樋口美雄研究会」というのが表示されていたのですが、何の説明もなく、一行で表示されたのみでしたので、気が付かず、見過ごし、下の方にスクロールして行きますとLinkSという見出しのところに行き着きました。何か関係ありそうなのでクリックしてみました。
個人のページのようでしたが
樋口美雄研究会、として・・・「わたしの所属するゼミ。計量経済学を勉強するゼミです。樋口教授はとても偉大な方です。」
とありましたので、びっくりしましたが、とりあえずそこから研究会のページに入りました。
見かけはなかなか立派なページでした。それにしても写真を見ると女性が多い感じでした。私が辻村ゼミにいる頃は、ゼミ生の中には、私の学年には女性は一人もいず、一学年上には三人、一学生下には一名と少なかったものです。
「樋口美雄研究会」の中を、ちょっと読んでみることにしましたが、気色悪いと思いました。
学生たちの書き込みは樋口氏の誕生日や、その翌日になされたと思われますが、皆「お誕生日おめでとうございます」というようなタイトルで書き込まれていますが、まるで新興宗教の教祖に対する信者のような書き込みで正直、違和感をおぼえました。
勿論指導を受けている先生に、誕生日のお祝いを言ったり、書いたりするのが悪いと言っているわけではありません。
しかし大勢の不特定の人たちが見るところに、競うように、こんな書き込みをするなんて信じられません。少し異常です。「ゴマスリ」のようにも思えます。
黒田が日経新聞紙上で辻村江太郎に対してゴマを擦ったのと似たようなところがあります。
ゼミのHPに書き込むのは「お誕生日おめでとうございます。ゼミ生一同より」ぐらいで良いのではないでしょうか。
なお生徒が本名で、しかも誕生日まで書いているのはちょっと危ないのではないでしょうか。
とりあえず引用してみることにします。
一日遅れてしまい申し訳ございませんc(>ω<)ゞお誕生日おめでとうございます!!
ゼミに行く度に樋口先生の下で学ぶことのできる喜びを感じ、樋口先生のゼミに入ることができて心からよかったと日々思っています。
今日三田論のブースに来る2年生と話していて先生の授業が好きだと言っている子がとても多くて、なんだか自分のことのようにとてもうれしく思いました☆そんな樋口先生の下で学び先生とお話できる私達は幸せだと思います。
ユニフォーム一生懸命お名前と背番号をアイロンでつけたんで是非着ていただけたらうれしいです☆☆明日三田論の教室来てくださってありがとうございます☆楽しみにしてます
(明日なら過去形ではないでしょう?蛇足ながら・・・揚げ足を取ってごめんね)
樋口先生、お誕生日おめでとうございます(*´∀`*)
書き込みが1日遅れてしまって申し訳ありませんm(._.)m
ゼミに入ってから今までたくさんのことを先生の下で学ぶことができました。
今後ともご指導よろしくお願いします。
ぜひ、来年のソフトボール大会に、あのユニフォームを着て参加して下さい☆
お誕生日おめでとうございます!!
充実した三田生活が送れているのも、樋口先生の下でゼミ活動を行えているからです。
これからも先生から少しでも多くのことを学び、吸収していきたいと思います。
よろしくお願いします!!
お誕生日おめでとうございます。先生の熱心なご指導と、樋口先生のもとで学べることを日ごろから感謝しております。
今後とも、ご指導のほどよろしくお願いします!!
先生も、お身体に気をつけてお仕事してくださいね。
夜になってしまいましたが、先生、お誕生日おめでとうございます!!
この間の入ゼミ個別説明会や日吉の授業での2年生の多さを見て、改めて、先生の下で学ばせていただけていることのありがたさを実感したところです。
3日のディベートでも、医療費負担について、みなでよいプレゼンができるように頑張ります!
これからもどうぞよろしくお願いいたします
樋口先生、55歳の誕生日おめでとうございます!!
先生のご指導のおかげで非常に充実した学校生活を送れています。
今後ともご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたしいます
樋口先生、お誕生日おめでとうございます!!!
代表として至らない点も多くありましたが、懇切丁寧にご指導くださり真にありがとうございます!
これからも末永くゼミ員を見守ってください。
本当にお誕生日おめでとうございます!!
一人ずつが書いておられることは、それほどおかしなところはないのですが、競うように何人もの方が書いておられるのを読むとちょっと気色悪いものがあります。
ゼミと関係ない者に見せるために書いているのではないと言われれば、その通りで、私の方が覗きに行っているわけです。しかしちょっと気色悪いです。
金日成や金正日に対して「偉大なるお父様、将軍様」と北朝鮮の人たちが言っているのと同じで、第三者から見れば、実に気色悪いことです。
ところで今から約30年前にと言いますから、若い方は勿論ご存知ないでしょうが、イエスの方舟(はこぶね)事件というのがありました。
「千石イエスよ、わが娘を返せ」というような雑誌記事によって、日本国中に知られることになりました。
最初は、千石イエスを自称する者が、多くの娘さんをさらい、監禁して働かせているのかと思いましたが、そうではなく娘さんたちの方から、家族と一緒に暮らすより、この教祖と一緒にいる方が心の平安をえられるからと押しかけ集まったということなのでした。
この千石氏は自分でイエスと称していたのではなく、マスコミが勝手に名づけたのでした。千石氏はたしか包丁研ぎの露天商であったと記憶しています。女性たちは千石氏を「おっちゃん」と呼び、慕っていたのでした。そして集団生活をして、一緒に聖書研究をしていたと言うのです。いわば欲得のない生活をしていたというのです。
それなのに娘の親に訴えられ、警察やマスコミに追われるようになり、この集団は全国各地を転々と逃げ廻ることになります。そしてとうとう捕まりました。
しかし千石氏は何も悪いことはしていないわけですから不起訴となりました。当然です。
その後この人たちは、晴れて一緒に暮らすことが出来、たしか九州のほうでスナックかクラブかを経営し、同時に聖書研究も続けていたそうです。千石氏は亡くなったようですし、いずれ消滅してしまうでしょう。あるいはもう消滅してしまっているかもしれません。
当時私はこの集団を大変羨ましく思ったことがあります。千石氏はこの女性たちにとって「とても偉大な方」ではなくて「おっちゃん」だったのでした。その辺の感じが私には羨ましかったのでしょう。
私が慶応義塾に入って以来、その組織の中で知った教職員というのは、ふんぞり返った、人間味のない輩ばかりのようであったという記憶が強いからでしょう。
なお若い女性が多く集まった宗教集団と言いますと統一教会というのが話題になったことがありましたね。桜田淳子という若い歌手が広告塔になったりして、合同結婚式で教祖に決められた男性と結婚したというので、連日テレビで取り上げられていました。
また飯干恵子という若いタレントが入信し、父親の作家の飯干晃一が娘のマインドコントロールを解き放とうと一所懸命になり、ついに家に連れ戻すことに成功しました。娘は飯星景子と改名し、今もタレント生活を続けているようです。
白状すれば、以上のような出来事がテレビなどで華々しく取り上げられるよりだいぶ前で、統一協会の名前もまだ知らない時に、そこの若い女性4,5人にある場所に連行されました。そこはNHKの京都放送局の直ぐ近くの民家でした。連行されたと言っても無理矢理連れて行かれたのでは勿論なく、ちょっとお話をさせていただいてもいいですかとと誘われ、私が付いて行ったのでしたが、皆純情そうで優しそうな女の子のように思えました。そしていつの間にやら、聖書を渡され、数カ所を読まされ、近い将来日本に救い主が現れるというような話をされたような気がします。
しかし聖書にはそんなことは書いてあるようにも思えず、また興味ある話もなく、帰ることにしました。たしか地方に行って聖書研究をするために合宿をしませんかと誘われたのでした。
皆とお酒でも飲みながら馬鹿話でもしていたら、結構楽しかったろうと思いました。しかし中途半端な聖書研究をするための合宿など「おことわり」です。
彼女たちは「布教」の旅をしていたのでしょうね。日本女性だけでなく、西洋人女性も多くいたように記憶しています。バスで移動していたので5,60人はいたように記憶しています。
後になって彼女らが高価な壷や印鑑、高麗人参などの行商をさせられていたのを知って悲しくなりました。いわゆる霊感商法というやつです。皆良い子たちだったと思うのですが、利用されてしまったのですね。
なお最近「東方神起」とかいう名前の韓国の歌手グループがいるのでしょうか。彼らがNHKの紅白に出るという記事を目にした時、東方に救い主が現れるという統一協会のことを思い出し、統一協会の広告塔かなと思ったものでした。名前は何回か目にしましたが、どんな人たちかは知りません。
また後の時代になってオーム真理教が話題になりました。若い警察官や自衛官などがあっさりと取り込まれて、利用されているのを知って、びっくりしましたが、満更わからない話ではないなと思いました。案外こういう集団にいるのは落ち着くものなのかもしれません。ましてや優しそうな美女に誘われると、吸い寄せられるようについていき、言いなりになってしまうのでしょう。
(しかしこの集団内部では、教祖の気に入るように行動し、また同時に「出世しょうという競争」が激しく、そのためには殺人を行ったり、また猛毒ガスを製造までしたのでした。
葬祭屋に成り下がっていて、世襲化してしまっている既存の宗教に背を向けている若者たちが、新興宗教に向かうのは、決して金儲けや出世のためではなかったでしょうに、狂ってしまうのでしょうね・・・。安西祐一郎の同期生である林郁夫も結局、麻原に取り入り出世しようと殺人までしてしまったのでした)
話はまったく変わりますが、最近刑務所に入りたくて、または戻りたくて微罪を犯す人が増加しているように思えます。この世では自身で生活できないので、刑務所という社会の中で、別に出世もしなくてよい、お金も儲けなくてよい、せめて何とか皆と一緒に生活できればよい、食べて行ければそれでよいというのでしょう。
先日も刑務所に戻りたいためにタクシーに乗り、無賃乗車をして8千数百円を踏み倒したところ、予想に反して運転手が、お金を持っていないのならばしょうがないな、とあっさり許してくれたので、あてがはずれ結局、小石を交番の窓に投げてガラスを割って、「念願の」御用になったという出来事が大阪であったという新聞記事です。
こういう人たちは先の宗教団体の中にいることに安心感を持つ人たちとよく似ているように思えます。信仰の対象など本当は必要ないのでしょう。格差社会といわれる現在ですが、最低限の生活をする人は守ってあげなければならない、あるいは守っていただきたいと思います。
しかしこれも最近のことですが、80歳ぐらいの老女が刑務所に入りたいばかりに何の関係も無い若い女性たちにナイフで切りかかり、重傷を負わせたという事件がありましたが、これには同情する余地などこれっぽちもありません。
なおどういう宗教かはわかりませんが「幸福の科学」なるものが話題になったこともありました。景山民夫という放送作家とタレントの小川知子が広告塔となり、こちらも何かと話題になり、マスコミにも派手に取り上げられたことがありました。
私は景山という人もどういう人かは知りませんが、彼がテレビに時々顔を出すようになった頃、妹が景山氏とは慶応で同期かそれに近かったのか、彼の顔をよく知っており、大学時代授業前の教室にやって来ては、演説をしていたと面白そうに話していました。大学時代のことなので、「幸福の科学」とはまだ関係なかったのでしょうが、愛嬌のある人だったようです。結局「幸福の科学」については、マスコミ報道からは、これが宗教かどうかということでさえ知ることはできませんでした。
ずいぶん話しが跳んでしまいました。
ところで樋口美雄研究会のHPで、「とても偉い方である」と生徒たちが言っている「先生」はと言えば、一体何を言っているのでしょうか。引用してみることにしましょうか。
この研究会では、それぞれのゼミ員の興味ある経済現象について、理論的かつ実証的に分析を行い、そこに介在する制度や政策のあり方について、自らの考えに基づき評価できる能力を身につけることを目的とする。
現在の日本社会はこれまでの習慣を脱ぎ捨て,大きく変貌しようとしている.これまでは「日本社会の常識に照らし合わせ,当然であると思われていた制度・政策」が,「変わり行く世界地図の中で,その存在意義自身を」が問われるようになった.制度が安定している時代であれば,それを与件として, そのシステムの中で企業や個人はどのように行動するのかを分析すればそれで済んだ.しかし,制度のあり方自体が問われるようになると,もはやそれを与件として扱うことはできず.「制度の存在理由」という根本問題まで立ち戻って,考察しなければならない.表面的な理解だけでは不十分であり,現象の根底に存在するメカニズムを理解しなければならなくなる.経済学は,こうした問いかけに対して十分答えうる分析力を持ち合わせている.
たとえば,企業と労働者の間の雇用慣行である.わが国では,終身雇用制や年功賃金制度が一般的であり,各企業はこの枠組みの中で労働者のインセンティブを高めるための雇用管理のあり方を追求してきた.しかし最近になると,経済成長が低下し,さらに技術革新や規制緩和により産業構造が急速に転換し,高齢化・女性の社会進出が進行するようになると,従来の雇用システムとは違ったものが求められるようになってくる.
そうした状況で,雇用システムのあり方を考える上では,終身雇用制や年功賃金制がどのような経済メカニズムにより生み出されてきたのか,そしてその生成に影響を与えてきた要因は何であり,それがどのように変わりつつあるのか,そして他の国ではどうなのかといった基本問題を理解しなければならない.単に企業や労働者にアンケート調査を行い,企業や労働者の終身雇用制に対する意識の変化を指摘したところで,変化の方向性が見えてくるわけではない.これを見定めるためには,「なぜ,いま,人々の意識は変わりつつあるのか」そして「変化をもたらしている要因は何か」に答えられなければならない.
こうした根本問題にまで溯れるようになるには,各ゼミ参加者の強烈な好奇心と決してギブ・アップすることのない粘り強さが必要である.このゼミでは分析の対象を各自の選択に任せるため,ややもすると一つのことに集中できず分析が中途半端に終わってしまう危険性もある.このため,ゼミに入って最初のころは,各自の持ちよったテーマに基づき,ディベートを重ね,これからの2年間,自分が研究していくに値するテーマであるかを冷静に考えるチャンスを与える.ディベートを行うことは,他の人から質問を受けることにより,一見自分で理解できたと思っていても,実はその根底を理解していないことに気づくよい機会になる.ゼミ員から“突っ込み”と呼ばれて嫌われている私の連発する「なぜ」という質問も,理解を深めていく上では役に立つと,少なくとも私は思っている.
学校での勉強は往々にして分析道具の学習に終わってしまう場合が多い.この研究会では,現実を理解する上で学んだ分析道具が理解できなくては意味がないという反省から,まず自分が興味を持っている現象が何であり,それを理解するには何を知る必要があるか,そしてどのような分析道具を使うことが有効であるかを,体験を通じて学んでいくことに力点を置く.
とあります。
ゼミ員から“突っ込み”と呼ばれて嫌われている私の連発する「なぜ」という質問も,理解を深めていく上では役に立つと,とても偉大な方がおっしゃっているのです。
表面的な理解だけでは不十分であり,現象の根底に存在するメカニズムを理解しなければならなくなる.経済学は,こうした問いかけに対して十分答えうる分析力を持ち合わせている.とおっしゃっているのです。ほんとかいな?
ちょっと七戸克彦先生に似ていますね、
それなら逆に学生の方から”突っ込み”をすればよいのです。
ところでこの「とても偉い」先生は、限界効用も理解しないでハナクソ学説を発表し、それを指摘した教え子を理由もなく、研究科委員長の名前をかたってまでして、退学、除籍させた、あの悪党辻村江太郎の弟子で、師弟ともども、やはり限界効用をもまったく理解していないのですよ。
とても偉い先生の「日本経済と就業行動」(東洋経済新報社)から一部を抜粋して表示することにしましょう。
![]() |
勿論この(31)式は、ご覧になれば、一目でおわかりのとおり、変位項の無い時は、わたしの「やさしい限界効用」や、「消費選好場と相対性」で引用しておいた辻村の
=
(
,
)=![]()
+![]()
+
(![]()
+![]()
)..........@
と同じです。
勿論、@式のX財の購入量、Y財の購入量は、ここでは所得と余暇時間に変わっていますが・・・。
そして@式では交叉項は省略されていましたが、このことは辻村が言うように何の問題もありません。
(31)式は樋口も書いていますように、習慣形成要因が所得の限界効用曲線における切片にのみ影響を与える、つまり限界効用曲線が変位すると仮定した「トンデモ式」です。これは樋口自身が辻村に倣ったと書いているのですから明らかでしょう。
これは基数的効用を前提としているので0点です。勿論序数的効用を前提としていると言うのなら間違いです。
このことは金港人のブログで紹介されていた「経済研究者」こと「アホの大学生」でさえも理解していることです(前頁参照)。
限界効用曲線などという概念が無用のものであるということは、都市圏の女性がショーツを着用するようになった頃には自明のこととなっていたのはご説明したとおりです。
こんなことを平気で書いていて、訂正もしないヤツを「偉いかた」だとか「先生の下で学ばせていただけていることのありがたさを実感したところです」などと言っているようでは駄目でしょう。
逆に”突っ込み”返す学生はいないのでしょうか?
こんなヤツのゼミに入るのをどうして多くの学生が希望するのでしょうか?
自分たちの指導教授が、あるいはこれから入ろうとするゼミの指導教授が、限界効用も理解していないということを知らないのでしょうか。
(31)式に任意の単調増加変換を施しても、そこから得られる、いわゆる限界効用均等式は同一であるなどと言っても、無意味であるのは何度も説明済みですよね。
今回は1995年4月17日号の消費者リポートの「生活者の目」を貼り付けておくことにしましょう。

このリポートでも書いてありますように、消費者連盟は最初は辻村江太郎本人に釈明を求めたところ、自分が黒田昌裕と共謀して起こした事柄などについては一切触れず、「学会で争え」と逃げます。
また慶応義塾は「学問上のことは理事者は関知せず。本人と争え」と「話し合いの場」において、ふざけた結論を出しておきながら、逃げの一手です。
また理論計量経済学会でも当時の会長が辻村と同じ研究をしている牧厚志を紹介するからという返事をくれたのでしたが、牧は返事ができないという「ていたらく」でした。
これに先立って、日消連は約20人ほどの経済学者に、本件についての経済学上の質問状を出してくれたところ、私の意見を肯定する人がほとんどでした。
記事の中で『慶応の某教授は、わざわざ電話で「私も応援するからマスコミに訴えろ」と激励してきました』とあるのは前にもお話したとおり、福岡正夫慶応大学教授(当時)でした。
ところが福岡教授は論文をワープロ打ちでもよいから印刷してと勧めてくれたのでしたが、自分では辻村学説が間違っているということを証言することは否定しました。
それは勿論仕方が無いことなのでしたが、91年度の日経賞の審査委員として、この辻村江太郎以来の「限界効用も理解しない」樋口美雄に日経賞を与えているのですから、びっくりしました。樋口のやっていることは辻村と同じなのです。
しかも、もう一人の審査委員は前頁でご紹介した森口親司氏でした。前にもお話しましたように、森口氏に会ったのは、日消連と接触する以前のことでした。
世の中というものは面白いものですね。
日消連が学者先生に問い合わせてくれた時に、返事をくれなかった人や、病気だからと奥さんから丁寧な返事をいただいたり、また「宛どころ不明」で戻ってきたものもありました。
中には悪意の感じられるものもありました。
例えば根岸隆東京大学教授(当時)からの返事です。
実は私は根岸氏については名前を聞いたことがあるぐらいで、ほとんど何も知らなかったのですが、以前渡部経彦大阪大学教授(当時)から、辻村と私の間で問題となっている話題について判定できるのに最もふさわしい人として挙げられた学者の一人だったのでした。
なお私が佐藤朔塾長からの1972年8月4日付きの「回答にもなっていない」最終回答なるものを受け取り、また73年3月慶応義塾によって授業料未払いを理由に、除籍処分とされてしまったのは、このHPの本文で既にお話しましたが、その時私が最初にしなければならなかったのは、「辻村の消費習慣形成仮説なるものが序数の定義の無理解から生じた初歩的な間違いを持ち、それゆえ最初から仮説たりえない」ということを証言してくれる学者を探すことでした。
今、突然渡部経彦氏の名前が出てきたわけなのですが、最初にこうした「お願い」を試みたのが、実は渡部経彦氏に対してなのでした。
それは渡部氏が京都から近い大阪大学の教授であったことが一つの理由でした。
またもう一つの理由は辻村とは親しいらしいということは何となく辻村の話からわかっていましたので、情報が辻村に筒抜けになったり、返事がいただけない可能性が高くなるというマイナス面もありますが、辻村の仮説なるものは良くご存知であろうと考えたからです。それで「消費習慣形成仮説」の間違いを指摘する「消費選好場と相対性」をお送りし、それについてのご意見をお聞きできればとお願いしたのでした。
結果は予想通りの冷たいものでした。
返事というのは以下の通りです(大阪大学経済学部と印刷された専用の黄色い便箋です)
今、手元にある渡部氏からの返事を、改めて見てみますと、1973年8月9日となっていますから、除籍処分を受けて直ぐのことになります。
私の記憶では当時打ちひしがれて、身動きできなかったような気がしていましたが、案外まだ力が残っていたのですね。
稲垣様
私は来週から当分の間(2〜3ヶ月) 外国の学会に出張して 日本におりませんから、とても時間的余裕がありませんので あしからず
渡部 経彦

勿論私は時間を区切ってお願いしたわけでもないのでしたが、当時、限界効用の一番初歩的な、つまり「序数の定義」に関する話なのに、ずい分面白い断り方をなさる人だと思ったものです。
こういうことがあったので、辻村が渡部氏に対して「友人としてもきわめて親切な人で、鋭い舌鋒のうらに温い心を秘め、私などずい分お世話になった」と恩に着るのはわかります。
このことは、後になって発行された、辻村江太郎著:「計量経済学」(岩波全書1981年11月24日発行)の表紙裏に「渡部経彦教授の追憶のために」とあり、またその「はしがき」の最後の部分に
もともと岩波全書の『計量経済学』は畏友渡部経彦教授が執筆される予定であったが、周到な準備の上にいざ執筆という間ぎわになって惜しくも急逝された。それで岩波書店の竹田行之氏から私に引継ぐようおすすめがあったのである。渡部君は第2次大戦後の日本の学界にあって、かけがいのない人であった。俊敏のうえに人一倍の勉強家で、彼の存在はわが国経済学の進歩に測りしれない貢献をした。また現実の経済政策にも深い関心をもち、適切な時期に適切な発言をして大きな影響力を発揮した。友人としてもきわめて親切な人で、鋭い舌鋒のうらに温い心を秘め、私などずい分お世話になった。不十分ながらも彼の代役を果たすことによって、その友情にむくい、追憶のしるしとすることができたならば幸いである。
1981年10月
辻村江太郎
とわざわざ書いていることからも明白で、面白いことです。
ところで渡部氏は消費理論は私の専門ではないとおっしゃるものですから、それでは「どなたが専門だとお考えですか」と尋ねますと、根岸隆君などと答えて下さったのでした。
それで後になって日消連が本件について経済学者に問い合わせることになった時に、その中に根岸隆氏を含めていただきたい旨をお願いしたわけです。
そしてその時の回答という手紙というのは以下のようなものでしたが、「失礼しちゃうわね」と笑っちゃうようなものでした。
拝復
便せん、切手までついていますので、お返事します。
「学界(会?)の機関誌にも投稿できません」とありますが、辻村氏や私の関係している学会機関誌は会員外の投稿をみとめていますし、専門家の査読(レフェリー)をパスしたレベル以上のものは掲載されるはずです。他にも大学、研究所の雑誌で投稿を認めているものはいくつかあります。したがって学界批判の意味でしたら、この点は誤解をといて下さい。
もちろん、私的に論文をお送り下さるのは結構ですが、そして感謝しますが、この種のものは毎月、国外、国内から100ぐらいきます(私も逆に各方面に送ります)。これはどういう仕事をしているかをお互いに知らせあい、万一、関心、興味があればコメントしてもらえれば望外の幸せであるということで、返事を強要するような性質ではありません。
お送り下さった論文、私は専門外ですし、現在の私の関心事から離れておりますので、立入ったコメントはできませんが、経済学の(ことに実証分析の)仮説、前提について少しキュークツにお考えすぎのようにも思います。効用の可測(基数)性、限界効用逓減などを否定しない立場の人もあるわけです。経済学は厳密でない、レベルが低いといってしまえばそれまでですが、基本的な前提について意見の違う人も多くいるのが現状です。稲垣氏と辻村氏はその意味で意見が違うようで、それを認めないと感情的になるばかりかと思います。
二月八日
日本消費者連盟
竹内直一様
根岸 隆

たしかに、便せんは日本消費者連盟の便箋です。便箋と切手が入っていたことが強要になるのかどうか、依頼の文面がどのようなものであったか、私は知りませんが、日消連から私も、その手紙をいただいていたかもしれませんが、思い当たるような手紙は記憶にありません。また1番の点については私自身が何も知らず興味もなかったことから、この点に関しては竹内直一氏が何処からか、そのような情報を入手されたのでしょう。
私に関係あるのは3番目の文でしょう。
しかしこのHPをご覧になっている方はご承知であるわけですが、序数的効用を前提しているとか、論理的整合性を充たしていなければならないと主張しているのは辻村本人です。基本的な前提など私のほうからはどういう前提にすべしなどということは何一つ主張しておりません。
私は間違っている仮説や、仮説の提唱者自身が自分の仮説は論理的整合性を充たしていると主張しているのに、実際は論理的整合性を欠いているという時、無意味であると主張しますが、キュークツに考えることはありません。ユルユルですよ、私は。心が広いのでしょうね。
しかし正当な理由もないのに、他人の名前をかたってまでして退学、除籍させた辻村江太郎や黒田昌裕などの悪党どもや慶応義塾当局に対しては当然怒りますし、若い学生のためにもこの不祥事について語り継いでいかなければならないと思います。
それにしても面白い人がいるものですね。
この人は理論・計量経済学会の会長にもなったと記憶しています。
この人の奥さんがあの森ビルの創始者の娘さんだということを何かで読んだという記憶がありますが、その他のことはほとんど何も存じ上げません。
「効用の可測(基数)性、限界効用逓減などを否定しない立場の人もあるわけです」とおっしゃっているのですが、私はそんな人と論争したりする暇も興味もありません。辻村自身、「序数的効用しか意味が無いというのは、それは今の経済学者だったら誰でも、そう思っているわけですよね。少なくとも、僕が知っている範囲で誰でもそう思っているわけですね」と言っていますし、録音もこのHPの読者の方にはお聞きいただきました。
勿論自分の著書にもそう書いています。
しかし根岸氏からのこんな手紙を読みますと、「専門家の査読(レフェリー)をパスしたレベル以上のものは掲載されるはずです」ということであっても、逆に投稿しようとする気すら無くなってしまいますね。
以前、黒田ゼミの掲示板で、学生が次のように書いていましたね。
先生は、このホームページ作成者について
ご存知であって、たいへん困られている。
しかし、ここに書いてあることは
逆恨みか、なにかのヒステリーである事は
よく読んでもらえば
わかってもらえるのではないか。
その根拠として私が挙げる理由は
先生の批判のホームページ作成者は
決して経済学会で論理的に
批判をしようとはしていないからだ。
私の方も、最初からそれなりに色々試みてきたのです。「困られている」のは私の方ですよ。
しかし経済学者であれ、経済学会であれ、おかしな奴ばかりで、このHPを作成するよりずっと前から、こんな体験をしてきているわけですから、学会で論理的に批判をしようなどとは思わないのです、と言うより出来ないのです。
第一、学会で「序数の和や差は無意味である」などという当り前のことを言うのも奇妙なことでしょう。「定義」なのですから。
なお現在ネットで調べてみますと根岸氏は森ビルの評議員ということですが、このビルの理事にはあの竹中平蔵慶応大学教授などと並んで、「いわゆる紀子さま」の父親である川嶋辰彦学習院大学教授もいらっしゃるようです。
川嶋氏については専門がたしか「計量経済学」ということ以外はまったく存じ上げません。
知っていることと言えば、秋篠宮の結婚式の後で、マスコミの記者たちから感想を尋ねられて、 「静かな水面に映える虹の七色にも似たひとつのおごそかさと、それに重なるような美しさに心の静かな動きと漂いを覚えたような気持ちです」とかいうような難しいお答えをなさったということぐらいです。
私は経済学の勉強を始めようかと思ってすぐに、大学院を除籍され、追放されましたので経済学については知識がありませんが、それにしても川嶋氏の著になる論文は勿論、書物の名前も存じ上げないなぁと思って、これも検索していますと、なんとこの人は沖縄の名桜大学というところの客員教授でもあるということです。(MEIOと読むのだそうです)
そして同じく客員教授であらせられるのは「いわゆる雅子さま」の父親である、あの小和田恆氏なのです。
この大学も東北公益文科大学と同様公設民営の大学だということです。
この二人を看板にすげているところをみると、そのうちに民営では経済的に厳しい、公立大学にしてほしいなどと言い出すのだろうと予想されます。
ところで根岸隆氏からの手紙を受け取った頃、前にも書きましたが、日消連の竹内氏が「一橋大学の教授が稲垣さんの意見に同意なさっているから会ってお願いしてみたら」と言ってくれたので、前もって約束して、東京は国立市にある一橋大学まで行ったのに、この男はこちらに背を向けて他人と談笑ばかりしている始末です。
勿論急にその客と話をすることになったのなら、その旨伝えて待つように言えば済むことなのですが、そうしたこともなく待たせっぱなしという有様です。そして結局、何を言うのかと思っていたら、辻村の著書を実際に見ていないから断言できないと言うのです。
それなら最初から竹内氏に「わかったようなこと」を言うなということです。私は証言を強要した覚えはありません。そういうことなら、わざわざ京都から東京まで出掛けて行く必要が無かったのです。
おまけにこの男はさらに辻村の著書まで送らせるのでした。それで著書を購入し、送りました。それでも結局音沙汰無しで、本も返却せずじまいという恐ろしい品性の持ち主です。これは室田武という男で現在はたしか同志社大学にいるはずです。
なお根岸隆氏の手紙とほとんど同時に、つまり1985年2月22日に日消連は、東京大学の竹内啓氏より返事を受け取っています。
1985年といえば8月12日に日航機の御巣鷹山事故があった年ですし、私個人にとっても12月に直腸癌で手術を受けた年でもあり、感慨深いものがあります。
肝臓に転移していましたので、手術をしてくださった外科医の先生が、ちょっと肝臓をのぞいて見たかったのでしょうか、手術が終って、麻酔が覚めるとミゾオチから性器のところまで一直線に切ってあり、(ヘソは迂回していましたが・・・)縫ってありましたが、その様はズック靴のひものところのようでもありましたし、よくイベントなどで見かける、中に人間が入る縫いぐるみの人形の出入り口のようでもありました。
まぁ痛かったです。
しかし全身麻酔というものはいいものですね。お腹を切られても、内臓を切られても一切記憶にないのです。
麻酔が効いている間にカリウムぐらいを投与されれば安楽死です。憧れてしまいます。
ところで竹内啓氏からの返事とは以下のものでした。
前略
お送り頂いた稲垣武彦氏の辻村教授に対する批判について私は次のように考えます。
辻村教授の「習慣形成仮説」について、その全体について私はくわしくは知りませんが、その本質は簡単にいえば稲垣氏の記号によれば効用関数U
が
から
の形に代わるということであると思います。そうしてこのこと自体は別に基数的効用を仮定しなくても考えられることと思います。
式は
![]()
と2つの部分の和として考える必要はないので、ただ効用関数
の形の変化を
・
を用いて表わしただけと理解すればよいと思います。従ってこれは「序数に足し算をしているから無意味である」ということにはならないと思います。(そういういい方をすれば
と書いてもやはり「序数を加えるから無意味である」ということになってしまうでしょう)
なお「習慣形成仮説」は通時的な
intertemporary な効用関数、すなわち
を考えれば考えないですむと思いますが、それを特定の時期に限って、いわば「部分モデル」を考えるときには便利な考え方と思っています。
私自身は辻村教授とこの問題について論じたことがありませんので、これ以上のことは私としては責任を以って申し上げることはできませんが、稲垣氏の方にも誤解があるように思います。
2月18日
竹内 啓
,
は、それぞれ本HPの「消費選好場と相対性」における@,Cと同じものです。
竹内氏は、@式、つまり
![]()
を、
のように書いてもやはり「序数を加えるから無意味である」ということになってしまうでしょうなどと、不可思議なことをおっしゃっています。勿論私はこんなことを言ってはおりません。
のような一般形のままでは、予測も検証も出来ないので、辻村は具体的な関数形を使用したわけでしょう。@を「足し算をしているから無意味である」と決めつけるなら、具体的な効用関数を序数的効用関数としては使えないと言っているのと同義です。私がそんなことを言うわけはありません。
@式は
の色々な組み合わせに対してそれぞれの効用指標が対応し、選好の序列を示しています。効用指標を正しく理解しておれば@式は序数的効用関数と言えますし、効用指標の間の差を問題にしておれば、序数ではないということになります。@式そのものが序数的効用関数か基数的効用関数かなどと論争しても無意味でしょう。
ところで辻村の消費習慣形成仮説なるものは、結局C式、つまり
![]()
なる式を考えたほうが@式よりも統計的適合度が高まるということに過ぎないわけですが、@式と異なるのは、@式が時間の流れには影響されないで同じ選好の序列を維持するのに対して、この式は時の流れとともに変化する習慣形成要因
、
の値に影響を受けて、
の色々な組み合わせに対する選好の序列が変わっていくということでしょう。
或る期、つまり
期において、
、
の
期の値が決まれば、C式により
の色々な組み合わせに対する選好の序列が決まってしまいます。この時の効用の値は序数であると言われれば、反論も出来ず、そうですかと認めざるをえません。しかし次の
期においても、同様に
の色々の組み合わせに対して効用の値が対応し、
期の序列とは異なったものとなりますが、この時の効用はもう序数とは言えません。これは
期における効用指標の値に足し算を行った結果生じた値です。
C式はこのように、意味はつけられないとしても同様の足し算をして効用の値が変化していくと考えているから無意味なのです。
前頁でお話しましたように「稲垣の原理」により無意味なのです。
辻村は、消費量を購入量と保有量の和であると定義し、保有量には「たんに洋服何着というような測り方ではなく、古い洋服何着は新しい洋服何着に相当するかということを効用尺度のうえで換算した数量でなければならない」というような説明をしていますが、序数的効用の意味をまったく理解していないのは明らかでしょう。この時の消費量というのは「馬鹿(うましか)」ということなのです。
また数理経済学者も
のような式をよく使用して説明などしていましたが、辻村と五十歩百歩のお馬鹿さんでしょう。
また新たな座標軸
、
を追加して考えても、制約式と整合性がないわけですし、無意味でしょう。
なお
は一体何なのでしょう。
消費者の選択行動の結果としての「財の購入量」は予測し難いものであるが、結局は「神の思し召しのままなのだ」とでもいうことなのでしょうか。「あほらし」
竹内啓氏には当時すぐにお返事を差し上げたのですが、それには返答はありませんでした。
日消連の竹内直一氏にとって、竹内啓氏からの回答書にあった「稲垣氏の方にも誤解があるように思います」というのが多少ショックだったのではないかと思われますが、まもなく福岡正夫氏からの激励があったので、ほっとなさったのではないかと推測いたします。私も竹内直一氏の行動が鈍るのではと危惧しましたので、ほっとしました。
なにしろ私の間違いだと言ったのは竹内啓氏ただ一人だったのでした。なお竹内啓氏に日消連がお尋ねの手紙を出したのは、私の依頼によるものです。竹内啓氏と辻村が親しいらしいということは、授業中の辻村の話から推量出来たのでした。
かって西川俊作が自分の著書を売らんが為に、普段友人面をして付き合っている竹内啓氏の邦訳書をミスプリだらけと罵っていたのを知っていた私は「あほらし」と思ったことでした。
こうした出来事より11,2年も前のことになるわけなのですが、例の渡部経彦氏からの手紙の後、同じような理由でお願いすることになった森口親司氏には渡部氏とは逆に温かなお言葉をいただいたのでした。捨てる神あれば、拾う神ありですね。
ところが世の中、面白いことに福岡正夫氏と森口親司氏の二人が樋口美雄に日経賞を与えているのです。
樋口、辻村の消費理論の骨組みはまったく同じというのに・・・。
それで二人は揃って「変態」に格下げです。
それでもこういう経緯がありましたので、福岡教授について、あまり悪口に繋がるようなことは書きたくなく、教授が真ん中の高いお顔立ちであったので、私は西洋人がいると思って・・・などと必要以上に持ち上げても書いていたのでした。
なお、妹が亡くなった時に、その遺品を整理していてたまたま目にした雑誌(多分「三田評論」?)によると、
福岡氏がサムエルソンの論文の中の数式に間違いを見つけ、それをサムエルソンに伝えたところ、サムエルソンから丁寧な感謝の礼状が届いたということでした。
間違いを指摘されて、それが正しかったなら礼を言う、正しくなかったら反論するというのが普通なのだと思いますが、それにしても辻村江太郎というのは「とんでもない奴」ですね。
ところで福岡氏は数式の正負の符号が逆になっているのを指摘なさったのだそうなのですが、サムエルソンはもう一ヵ所符号を逆にしていたので、結局「マイナスかけるマイナスはプラス」ということで結論は同じで間違っていなかったということだったようです。詳しくは覚えていませんが、ずいぶんお茶目なところがあるようですね。福岡さんは・・・。
また森口親司氏についても、「立派な髭をはやしておられたのをよく覚えています。また同時に肌つやも大変良く、見るからにバリバリの学者という印象を持ちました」などと持ち上げてもいたのでした。
しかし「消費者行動の実証化には、「可測的な」効用指標がある方が分かりやすく、稔りおおい結果がえやすい」なんて馬鹿なことを書いておられるのですから、がっくりです。何のために「効用」という言葉を「効用指標」に置き換えたのでしょうか。
福岡氏も森口氏も、経済学の問題であるのに、また私の主張に賛意を示しておきながら、関わり合いを持ちたくないと表立って意見を言わなかったのですが、このような人は、やはりちょっと学者として信頼できないような気がします。(6+11=17
というのに他人の目や噂を気にする人はいないでしょう?それと同じです)
それはともかく辻村とまったく同じように限界効用も理解しない樋口美雄の著書に日経賞を与えているのだから本当にびっくりです。経済学会などで論議しようと思えるような、まともな学会ではないのです。
竹内啓のように堂々と無茶苦茶を言って来る奴のほうが「あっ晴れ」と思えるほどです。しかしこいつは本当に無茶苦茶です。
経済学者というのはおかしな奴ばかりに思えて仕様がありません。
樋口美雄は自らの著書「日本経済と就業行動」(東洋経済新報社)の「はしがき」に次のように書いています。
わたくしが慶応大学の大学院に入学してからはや16年が過ぎた。遠い昔のように思えるが、いまでも最初に出席したワークショップのことをはっきり覚えている。話題は計量経済学の創始者たちの集まりであるコールズ・コミッションのことであった。この組織が創設された1930年代当時、ここから出版された書籍の表紙にはシンボル・マークが記され、そのなかには "Science is Measurement" という標語が刻まれていた。J.マーシャックやT.C.クープマンスら計量経済学の創始者たちが、経済学の発展のためには実証分析による理論の検証が必要であることを強調してこれを挿入したという。
まさにその通りなのです。
私が「消費選好場と相対性」の冒頭に書いたことも、たまたま同じことで以下のように書いています。
科学というものは測定可能な変数の間に存在するか、もしくは存在すると想定されうる関係のみを研究対象とするものであるから、基数的効用を仮定すればというような仮定は、実際に何かを尺度として効用を測定出来ぬ限り、つまり現在のところ科学とは無縁のものであるとして先ず排除しておかねばならない。
今更言うまでもないことですが、限界効用曲線などという概念はまったく無意味なものです。また座標変換で処理することも出来ません。
辻村江太郎、小尾恵一郎、黒田昌裕、牧厚志、樋口美雄などすべて無理解で、この話題を扱っている論文や著書は間違いです。
辻村江太郎は上司の名前をかたってまでして退学させようとしましたし、黒田昌裕もその片棒を積極的にかつぎました。こいつは共犯であります。
また小尾恵一郎は、ある効用関数があるとして、それの任意の「1次変換」が可能なら、その効用関数は基数ではありえない、序数なのだと自分に都合の良い、驚くべき発言をしました。その後も死ぬまでそれを書き続けました。(文科省が一応「大学」と認めている慶応なのですから「序数の定義」ぐらいは理解していただかなければなりません)
小尾恵一郎はこの問題は、「学問の自由」というような問題ではなく、「真」か「偽」かどちらかであると、はっきり断定できる問題であるとは言明しました。その点では「学問の自由」であると開き直って逃げ廻った辻村や黒田、ゴロツキ慶応義塾よりもましではありますが、自分の間違いを直すことも説明もなく、馬鹿な学者を育て、直接的にも、間接的にも巨額の国税を無駄に浪費したのですから、その責任は大きいものがあります。
樋口美雄が「日本経済と就業行動」(東洋経済新報社)を出版したのが1991年のことです。
ところで私が辻村江太郎の「消費習慣形成仮説」の間違いを本人に初めて指摘したのが1968年、またそのことが原因で辻村が起こし続けた不祥事をもみ消してしまった慶応義塾が塾長からの「最終回答」なるものを送ってよこしたのが1971年、森口親司氏が私の説に同意してくれたのが1973年、福岡正夫氏が日本消費者連盟による問いかけに対して鳥居坂で会って激励してくれたのが1985年のことです。
本来樋口のこんな本は出版されてはいけなかったのです。というのは辻村の「消費習慣形成仮説」なるものが、序数の定義の無理解から生じた欠陥仮説で、というより、もともと仮説たり得ない、世に出てはいけなかったハナクソ説であったと言っているのです。
慶応義塾は1971年には少なくてもこの不祥事を正確に認識していたのは明らかです。ところがその20年後に樋口がこんな本を出しているのですから、慶応義塾というところが学問というものと如何に無縁なところかということが明らかでしょう。こんな研究に対して慶応義塾学事振興資金から研究助成を、慶応義塾商学会からは出版補助を受けたと樋口が自ら書いています。ふざけていますね。辻村自身も不祥事の後に「福澤賞」を貰っています。
辻村が「学問の進歩は年寄り教授が死んだ時に起こる」と開き直っていましたが、死んでも進歩など起きないのは明らかです。死んだ後に引継ぐのは樋口や牧など、辻村や小尾によって選ばれた無能者なのですから。
それにしても日本経済学会というのも、変わった奴が多いようですね。辻村や森口氏、福岡氏、根岸氏などは、それに西村和雄氏も、元学会長ですし、西川俊作や黒田昌裕、樋口美雄なども理事になったりしています。
そもそも元学会長であり、辻村に日経賞を与えた時の選者であった安井琢磨氏自身がもともと選者の資格がなかったのではないでしょうか。限界効用も理解していないのですから。
辻村の「消費習慣形成仮説」を理論的であるとしながらも、財の連関性(代替、補完)を考察の外においている、つまり「理論的であるが独立財である」としているのはナンセンスでありましょう。
また日消連が91年9月に前述のように本件について問い合わせしてくれたところ、斉藤光雄学会長(当時)は辻村と同じものを研究している牧厚志氏を紹介するので直接照会してみればというように上手く逃げたのでした。
牧厚志は答えなかったので、日消連は翌92年再度学会長に、「学会員の倫理違反行為に対する処分について」なる手紙を出し、辻村氏や慶応義塾が学会を隠れみのとして悪徳行為を続ける以上、学会は辻村仮説が論理的整合性を欠き、仮説たりえないことをはっきり宣言されるべきではありませんか。また悪徳学者は貴学会から除名されるべきだと考えますがどう対処されますか、という質問をしました。学会長(この時は天野明弘に変わっていましたが)は「学会東部常任理事会」で検討され、次の2点が確認されました、という返事をしてきました。
この確認に基づき、お尋ねの件に関して当学会は何の判断をも下さない、したがって処分を行う考えはないとの結論に達しましたので、その旨お伝え申し上げます。
まずはとりあえずご返事申し上げます。というものでした。
これは本編でお話した通りですが、当時と違って今はインターネットで誰でも学会の規則を見ることが出来ます。
それで引用してみることにしましょう。
92年には私たちには本当のことは不明でしたが、現在では次の18番にある「除名要項」
会員に科学上の不正行為が生じた場合、除名処分をすることができる。
が存在するのを確認することが出来ます。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この会則は97年9月15日から実施するとありますので、92年当時にも存在したかどうかは不明ですが、常識的にみて、存在したであろうことはほぼ確実です。この日に「理論・計量経済学会」から「日本経済学会」に名称が変更されただけのことでしょう。
学会という組織にかような規則がないとは考えられないでしょうし、あったればこそ、「学会東部常任理事会」というような珍奇な理事会名で返事をよこしたのでしょう。この返事について面妖なものであるということは、本文で既にお話済みです。
またこの本件の問題が「学問の自由」というような問題ではなく、「真偽」を問うものであるということは当然で、実際当事者でもある小尾恵一郎がそのように述べている肉声をお聞きいただきました。「まことの真(しん)」ということはもちろん言えないとしても、「偽」ということは言えるわけです。
たとえ92年当時この会則がなかったとしても97年以後は存在するわけです。間違っているとわかっている学説(本当はそんなに大層なものではないのですが・・・)を発表し続けたり、販売し続けるとやはり除名されるべきでしょう。
そういう意味でゴロツキ慶応義塾や日本経済学会の本件に対する認識は甘すぎると言わざるを得ません。また当然のことですが、科学上の不正行為というものには時効はありません。
なお現在の日本経済学会の会長は誰なのでしょうか。
調べてみると「矢野誠」という方だそうです。京大の先生のようですが、東大卒業後、ロチェスター大学で博士号取得とあります。ロチェスター大学というのは昔の人間には馴染みはないのですが、ひょっとして例の西村和雄氏と同じなのではないでしょうか。
と考えていますと、あることに思い当たりました。
右は2004年10月23日の朝日新聞の記事ですが、ご覧の通り「ノーベル賞生む経済誌」ということで紹介されています。
あの西村和雄氏が英文の経済理論専門誌を創刊するということでした。
欧米に比べて弱い情報発信機能を高めようと準備してきたとあります。
京大と慶応大の経済学分野の「21世紀COEプログラム」も協力。
世界的な水準を保つため、西村さんと矢野誠・慶大教授以外の編集委員4人は欧米の研究者が務める。
故森嶋通夫氏や宇沢弘文氏ら世界的な学者も出て、経済学者の中で理論家の占める割合が欧米より高いにもかかわらず、国内にはこれまで本格的なな専問誌はなかった。
「日本の理論経済学者は実力より低く評価されてきた。それを変えるきっかけにしたい」と意気込む。「この雑誌から、ノーベル経済学賞受賞者が出てくれば」
世界的な水準を保つため、上記の二人以外の編集委員4人は欧米の研究者が務める。国内にはこれまで本格的な専門誌はなかった、ということですが、元日本経済学会会長が、このような専門誌を発刊するというのなら、むしろ既存の雑誌を改良すれば良いのにと思ってしまいますが、他の学会員はアホだというのでしょうか。
わざわざ欧米の研究者に編集委員をやらせるのなら、学会についても新しい学会を別に作った方が自然な感じがします。
それにしても「ノーベル賞生む経済誌」とは誰が言ったのでしょうね。あの西村和雄が言ったのならちょっと「はしたない」感じがしないでもありません。あるいは記者の杉本潔氏が期待をこめて書いたものなのでしょうか。
ところでこの記事では矢野誠氏は慶応大学教授になっています。
ちょっと検索してみれば、1996年から10年ぐらい慶応の教師であったようで、現在はやはり京都大の教授です。ただし慶応には客員としてまだ籍があるようです。
「矢野誠研究会」で検索しますと、最初は学生数も多いですが、外国にでも行っていたことがあるのか、中断したり再開したりで人数も少なくなっています。
(私が学部の3年の時、世界計量経済学会がローマで開かれ、辻村もそれに参加、出張し、例の「消費習慣形成仮説」を発表したようです。当時このことを報じた雑誌を本屋で立ち読みしたところ、それには「出張」という個所に続いて、わざわざ(私費)と但し書きがありましたので、私学だと思って舐めておるのかと腹を立てていた私ですが、後になって考えますと、これを書いた人は、こんなものを公費で出張までして発表させてたまるものかという思いがあったのだと思います。
ほんの短期間の出張でしたが、それでも辻村不在のゼミは4年生の横暴に泣かされました。まるで安物の体育会の有様でした。出張でも学生には影響しますが、研究のためということで指導教授が長期不在ということになれば学生にとっては迷惑でもありますね)
なお矢野誠研究会の最後のメンバーの写真も見られますが、中には「たむらけんじ」に似た愛嬌のある学生もいます。
「たむらけんじ」は、たまに見る「探偵ナイトスクープ」に登場する若い上方のお笑いタレントですが、嫁さんの実家が焼肉店だそうで、「炭火焼肉たむら」という名前で何軒もの店を経営しているそうです。商売もなかなか上手なようです。
ところが今年の初夏に名古屋店で食中毒騒動を起こしてしまったようですが、「たむけん」はすばやく被害に遭ったお客のところにお詫びに行っています。「たむけん」は常識があるので、すばやい対応で危機を乗り切りました。
間違いは起こしてはならないわけですが、ひとたび起きてしまえば即座に対処しなければならないのは当然です。「たむけん」のこの素早い行動は、真面目で好感が持てます。
「たむけん」と比べると慶応当局の本件に対して行った一連のゴロツキ行動はまったくの正反対です。
慶応当局はせめて「たむけん」の真摯な姿勢を見習うべきでしょう。
なお最近、慶応の学生による「大麻事件」が大きな話題になりました。
こちらの事件でも「商学部のなんとかコータロウ君」が中心人物のようです。慶応当局も10月末にはマスコミ連中を集めて謝罪会見を行っていました。中心は常任理事の森征一のようでありましたが、その横に隠れるように座っていたのは清家篤ではなかったでしょうか。
この人の本は読んだことも無いのですが、労働問題が専門だということなので、多分その中味の論理は辻村一派のものと変わらないものと思われます。
この人のお父さんは建築家の清家清氏だそうです。京都出身で品のある方のようにお見受けしました。
篤氏のほうは名前も知らなかったのですが、彼のゼミの学生という方から以前メールをいただいたことがあり、それ以来名前を知ることになり、後にテレビに登場するのを偶然目にし、清氏と良く似ているので、割と珍しい苗字であるということと考え合わせますと、すぐ息子であるとわかりました。
彼は大麻学生のことに対して謝罪していますね。こんなことに今頃謝罪するぐらいなら、もっと大切なことに謝罪するべきでありましょう。優先順位を守るべきでしょう。確かに大麻は法律違反ですが、飲酒も昔、アメリカでは法律で禁止されていました。
また日本では飲酒は認められていますが、飲酒運転は法律違反ということになります。飲酒運転は大麻売買よりも悪いことでしょう。
しかし飲酒運転はなくなりません。それどころか逃げ得というのか、轢いた人を放置したままで逃げてしまうような輩が増加しているそうです。驚いたことに轢いた人を助けるどころか、車体に巻き込んだまま何キロも引きずり、逃げてしまうという事件が連続して報告されています。法律の不備も指摘されています。
また酩酊した挙げ句「当て逃げ」した交通違反を取り締まる側の警視まで現れるのですから無茶苦茶です。
慶応義塾は学生が飲酒運転をしたというので、幹部がテレビの前で謝罪したことがあるのでしょうか。
慶応義塾は女子学生が路上で脱糞行為を不特定多数の面前で披露したというので、幹部がテレビの前で謝罪したことがあるのでしょうか。
大麻問題など2007年の10月に「週刊新潮」で暴かれ、発表されています。今頃になってどうしたことなのでしょうかね。
この記事は「なぜか公表されなかった『大麻汚染』/エリート慶大生の『逮捕』という記事です。(どうして慶大生がエリートなのかは不明ですが・・・)
しかしこの記事では事件を公表せず、隠蔽したのは「警察庁」だとしています。
逮捕された大学生は経済学部の4年生だということでした。この学生の容疑は虎ノ門の路上で知人の乗用車内にて少量の大麻を所持していたというもので、現行犯逮捕されています。
記事によれば、麻布署はその後、自宅を家宅捜査し、その結果大麻は勿論、ハカリやパケ(容器)なども発見され、この学生は常習とみなされたということです。
さらに、コカインや覚醒剤の成分が入ったMDMA、メチロンという薬物まで見つかったということです。
この学生の逮捕現場にいた、同じく慶応の友人はこの車の持ち主で、当然事情聴取と尿検査をうけることになったのですが、結果はシロということになっているそうです。
ヤクに「汚染」されたエリート慶大生の逮捕・・・・・しかし、今に至るまで警視庁はこの件を全く公表していない。これは公表してしかるべき案件だと捜査関係者は語るが、「この逮捕された学生の家族に外交官がいるので配慮したのではないか」、「シロということになった学生も『大物右翼』の曾孫だから圧力がかかった」などと、ある警察庁関係者は声を潜めてしまうと「週刊新潮」は書いています。
この慶大生は慶応には高校から入学しているそうです。
高校ではアメフト部に入っていたそうですが、万引き未遂事件を起こし、無期停学処分を受け、自宅で1ヶ月謹慎したということです。事件そのものは渋谷でCDを万引きし、数歩店を出たところでマズイと思い、商品を戻しに行ったのですが、店員にバレてしまったというのです。
確かに万引きは悪いことですが、みずから戻しに行ったのなら少しは許してやるべきだったのではなかったでしょうか。少なくても1ヶ月の停学は厳し過ぎるのではなかったでしょうか。
最近、NHKの例の名物番組「プロジェクトX」の今井彰エグゼクティブ・プロデューサーが局の近くの洋品店で数点の商品を自分の持参した袋に入れ、そのまま外に出たところを店員に取り押さえられ、警察に連行されるという事件がありました。
お金の無い人ならともかく、何と言うことやと思いましたが、魔が差したのかと納得しかけましたが、後になって「万引きはしていない。気分が悪くなって外にでただけ」と開き直り、それならどうして自分の袋に入れたのかという問には答えず、「私は上客。なんで万引きなどするの」と一番言ってはいけない言葉で悪態をつく始末です。万引きを否定しなかったから釈放されたのでしょうに、とんでもない奴です。辻村江太郎まではいかないですが、アホな奴です。
また最近、塾員の小泉純一郎や竹中平蔵慶応大学教授のお友達で郵政改革などというものを一緒に推し進めてきた元財務官僚の高橋洋一東洋大学教授は温泉施設のロッカーから他人の財布や高級時計を盗んだとして窃盗容疑で送検されました。
送検の1週間ほど前に「弁護士や医師には資格が必要だが、経済評論家やアナリストと名乗るのには何の資格も必要ない。今日から私は経済評論家であると誰でも名乗れる」という紹介に続いて、その5人の経済評論家の1人としてテレビに登場していたばかりなのでビックリしました。大学教授の肩書きのあるのは高橋だけで「景気対策には政府紙幣を発行するのがベストだ」などと主張していました。
考えてみれば大学教師にもまったく資格は必要ないのです。タレントや官僚がいつの間にやら講師や教授になっていますね。
こういう人たちと比べてみますと、CDを返しに戻った前述の高校生など、むしろ模範とされるべき青年ではないでしょうか。
ところで07年の7月に、この学生が大麻所持で逮捕された時、警視庁の隠蔽により慶応当局はこの事件を知らなかったという可能性はあります。
しかしその2,3ヶ月後に「週刊新潮」に取り上げられてからは、表沙汰になったわけですから、今回同様の事件で謝罪するのなら、その時に謝罪しておくべきであったでしょう。整合性がみられません。
大学が自分たちの学生が犯罪行為をした時にマスコミの前で謝罪会見までする必要があるのでしょうか。
勿論こうしたことに対して謝罪しても差し支えはなく、悪いとまでは言いませんが・・・。
しかし慶応義塾は一部報道機関によって明らかにされた慶応義塾環境情報学部教員のロルビン・サイラス・ポールによる大麻所持に対しては発表も謝罪も、説明でさえまったく行っていないのです。この件については説明責任があります。これは教員なのですから・・・。教員には甘く、学生には厳しいのです。少なくても逆でないといけないのです。
しかしその前に、辻村江太郎や黒田昌裕が行った悪徳行為、またその悪徳行為を隠蔽するために慶応義塾が行った数々の悪徳行為を慶応義塾自身が謝罪しなければなりません。こちらの方がずっと悪質なのです。教育基本法に違反し詐欺罪にも相当するのです。
慶応義塾は教育及び研究機関であるという建て前で多額の血税を投入されているわけです。学生や卒業生だけでなく、広く国民に謝罪する必要があります。
慶応義塾は「独立自尊」などと広言していますが、自らは多額の血税を補助金として恥ずかしげもなく受け取っています。
政府も税金を私立の大学にまで補助金として与えるのではなくて、良質な学生に直接、奨学金を与え、援助するべきでしょう。私立というのは、そういう意味で公立とは違うべきものなのです。
そうして学生が自主的に集まる大学が一般的に良い大学ということになるわけです。
(勿論、国家資格試験の問題を学生に密かに漏らしてまでして、評判を高め、学生を集めようとするなど以ての外です)
学生は、奨学金を受けた学生も含めて、外国の大学に行くかもしれませんし、例えば京大に行くかもしれません。あるいは「公益」大学や私立に行く者もいるかもしれません。これは学生の自由であるべきです。
大学は競争にさらされ自己変革を余儀なくされるでしょう。
競争という概念は、特に「文化」や「教育」などに対しては不向きで、あまり好きではありませんが、私立大学は基本的には授業料収入と寄付金で経営していくべきでしょう。授業料が高くても、それに見合った高い内容の授業が与えられるなら学生は集まることでしょう。卒業生の質が高ければ就職先も自然に良くなることでしょうし、就職率も上がります。また寄付金も自然に集まるでしょう。
国は国公立の大学のみを運営するだけで良いでしょう。ほとんど義務教育化している高校とは違います。国は夜間高校や夜間高校生などにもっと援助の手を差し延べるべきでしょう。
勿論、夜間の大学や通信教育を行う大学は必要なので、公立の夜間大学などの数が足りなかったなら、私立大学であっても一部を援助するのは差し支えないでしょうが・・・。今の時代インターネットを利用して良い授業が出来るように思いますが・・・。もう既にあるのかもしれません。
「算数ができない大学生や大学教授」までに公的助成をする必要もないのです。
それよりも理由もないのに、保護者をだまし、脅かしてまでして「序数の差は無意味」と主張した学生を除籍までする「ゴロツキ大学」に多額の血税を投入するなど必要ないというより、してはいけないのです。
「学校法人」は「宗教法人」と同じで税金を免除されています。
それは「安い授業料」で「高水準の教育」を行うことが建て前として求められているからなのですが、その上多額の補助金まで与えられ、優遇されています。
ところが経営陣は金儲けしか考えません。
無闇にハコモノをつくったり、資産運用で儲けようとして失敗し、多額の含み損を抱えていたりします。
中でもダントツの大学は慶応義塾で、08年9月末で評価損が300億円を超えたということですから、折角「創立150周年」を口実に集めた寄付金も実質はドブに捨てたのと同じですから、ひどいものです。
09年3月には400億円を超えたという記事も目にしましたので、実際はもっと多額になるでしょう。財務情報の透明性が望まれます。
慶応の学生も破産した英会話教室「ノヴァ」の学生と同じ目に会うことになるかもしれません。(「ノヴァ」はまた営業し始めたようで先日テレビで広告を見ました)
「大丈夫、大丈夫」という話が突然「破産」ということになるかもしれませんね。
「悪徳」と「隠蔽」で有名な慶応義塾のことですから・・・。学生も大学を真剣に監視していかなければひどいめに遭うかもしれません。
例えば山梨県は富士河口湖町にある「健康科学大学」は2003年に医療福祉のエキスパートを育成するというフレコミで創設者の小山昭夫氏によって開学されました。
文科省はこの大学に対して設立条件の1つとして「無借金での50億円の準備」を課していますが、その準備金も出来ていないのに「見せ金」を使ってまでして大学を設立したのです。だましてまでして大学を創立したのは何故でしょうか。それは金儲けのためです。
全国で約30施設の病院や福祉施設を経営するまでになった小山昭夫氏が率いる「藍野病院グループ」は拡大路線を進めてきたのですが、近年資金繰りに苦しんで、宗教法人と同じく非課税で経営できる大学に目をつけたのです。学納金が年に2度は必ず入ってくる大学は美味しい商売なのです。ヤクザが古くて実体の無い宗教法人を買い叩いて、商売に利用するのと同じです。富士河口湖町は大学に土地を無償で提供し、補助金を出してまでして大学の誘致に熱心だったのに残念なことです。
こうした出来事で一番の被害者は学生さんです。
なんか黒田昌裕が学長をしている大学もこれに雰囲気が似ている感じがしますね。資料がないので詳細は不明ですが・・・。東北公益文科大学は卒業しても就職先があまり無いかもしれませんね。
ところでこの小山昭夫氏は東北文化学院大学にも係わっています。
この大学は、名前こそ東北公益文科大学と良く似ていますが設立はこちらの方が先輩です。78年創立の短期大学を前身として99年に開学。ところが架空寄付事件が起り、元理事長らが次々と逮捕され、経営難に陥り、04年小山昭夫氏をトップとする医療法人「藍野グループ」が支援するということで民事再生法を申請し、再建をめざしているはずでした。ところがこの大学は支援してもらっているはずの「藍野グループ」に逆に億単位の融資をしていることが判明し既に処分されています。
それにしてもこうした新設大学は高邁な研究まではしなくても、上手くいけば医療や福祉に携わる卒業生を人手不足に悩む業界にスムースに送り出すことが出来、期待されるのですが・・・。
設立時には文部省からの厳しい規制や天下りの受け入れ要請などなどがあったりで、色々難しいのでしょうね。欲と欲とのぶつかり合いです。
厳しい規制は学生のためにも当然必要なのでしょうが、設立にあたって、この東北文化学院大学では文部省への大学設立認可の申請や私学助成金受給などについて清水一行の小説「虚構大学」を参考にしていたと供述しているそうです。最初から私学助成金を当てにして設立をしているわけです。(他の私立大学が助成金をもらっているのですから、まあ仕方ないですが・・・)
なお「虚構大学」は京都産業大学の開学時の話が元になっているということです。
京都産業大学はNHKのヨネスケこと笑福亭鶴瓶氏、「赤とんぼ、羽を取ったらアブラムシ・・・」という珍妙な唄で知られるようになった「あのねのね」、最近ラジオでチョンボして全番組を降板すると話題になっている北野誠氏などの出身校として知られています。「あのねのね」の二人の内の一人、清水國明氏は元パートからブックオフの社長にまでなった女性の弟ということで最近珍しくマスコミの話題になりました、
また理学部の教授である益川敏英氏がノーベル賞を受賞したことで入学志望者が増加したとかいう笑い話も伝わりました。
話が変わりますが朝日新聞09年4月2日号によりますと、「給食大手10億円所得隠し」なる見出しが目を引きました。病院や福祉施設向けの給食サービス最大手の「日清医療食品」が巨額の所得隠しを行ったというのですが、この会社の名前には見覚えがあります。それは例の「三笠フーズ」汚染米事件の時、当時母がお世話になっていたデイ・サービスの施設の給食会社がこの「日清医療食品」を通じて汚染米で作った赤飯を購入していたそうです。またこの「日清医療食品」は丸大食品からメラミン入りの菓子をも購入していました。
「日清医療食品」は「綿久」という名の会社の子会社で、この「綿久グループ」は医療関係の施設にシーツなどのリースをすることから急成長した最大手の会社です。「綿久」は慶応義塾より少し遅れた明治5年に京都にて小さな製綿所として発足。戦後いわゆる朝鮮特需により大もうけすることになります。そして病院などの布団、シーツのレンタル、洗濯など従来なかったサービスを始め、成功します。そして病院に出入りする内に、その病院の給食を受託業務とする会社をも設立することになったわけです。これが「日清医療食品」です。
そしてこの会社が中心となってつくった厚生官僚の天下り法人「日本医療食協会」がその権限を活用して、新規参入を締め出し、その結果「日清医療食品」は一時シェア90パーセントにもなりました。ちなみにこの「日本医療食協会」は医療食品の成分表示を検査する機関です。
このカラクリに気付いた公正取引委員会に対して「日清医療食品」は塾員でもある橋本龍太郎や小泉純一郎といった自民党厚生族に献金攻勢をかけて、しのいだということですが、今でもシェアは高く維持しています。
給食事業は病院、福祉関係には厚労省の、学校、幼稚園などには文科省の規制があり、また安い米を仕入れようとすれば農林省と続いた「三笠フーズ」のような店を利用しないと不可能です。何の商売も同様ですが、「綿久」も最初は働き者で目先の利いた人物が一所懸命に会社を大きくしたのでしょうが、同業者が現れて競争することになると、しんどいだけで儲からないということになり、結局役人とつるんで行くしかないということになります。
ところで日清医療食品の「所得隠し」の件は02年12月、医療法人「恒昭会」(大阪府茨木市)グループの給食事業会社「サンハンズ」(同、解散)から、給食事業に関する営業権を約15億円で購入し、課税対象とならない経費として計上していたというのですが、国税局は「営業権の一部は対価性を伴わず、課税対象の寄付金にあたる、実質はリベート」と判断したのだということです。やはり病院は強いですね。
面白いのは、この強いはずの「恒昭会」は「健康科学大学」の小山昭夫氏の「藍野グループ」の一員なのです。給食事業を手放して、その金で大学を創ろうとしたのでしょうか。上手く回れば、介護士も増やせ、介護を受けられる人も増やせることが出来、都合が良いのですが、なかなか難しくもあるようです。
小山昭夫氏は悪党のように報道され、私もそのように書いてきましたが、「健康科学大学」は、元々は富士河口湖町が地元の活性化のために大学を誘致することを希望していたところ、候補として多くの病院や福祉施設を擁する小山昭夫氏が浮かび、小山氏もこれに応じたということのようです。
卒業生をそのまま自分たちの経営する病院や福祉施設で雇用できるのですから大変便利です。また学生にとっても卒業すれば働ける場があるので安心です。
けれども、上手く行っても実際に介護する方や理学療法士の方はあまり高給は望めず、むしろ低賃金で喘ぐということになるでしょう。厳しい世の中です。しかし、こういう人たちこそが今望まれているわけなのですから、こういう人たちが安心して暮らしていけるような政治をしていただきたいものです。またそれは可能でしょう。
「健康科学大学」の件は金銭的に無理があって生じたことで確かにいけないことですが、直接学生に対して悪事を行ったわけではありません。大学が頓挫すれば、学生全体が被害を被ることになるわけで関係者が一丸となって危機を乗り切っていただきたいものです。
この「健康科学大学」は元々は明治3年創立の裁縫塾にまで溯ることが出来るそうです。当時の女性は働く場所もなく、裁縫で身を立てるのが手っ取り早く、合理的であったのでしょう。今また、女性に限らず、男性も理屈抜きに、社会で必要とされる技術と知識を手早く身に付け、社会に出て役立つことが求められています。まさに実学です。建物も贅沢ではなく、実用的です。
これに比べると慶応義塾のハコモノの豪華さには驚かされます。分をわきまえろと言いたくなります。
通信教育もあり、在日朝鮮人や水平社以来の被差別部落の子弟をも広く受け入れてきたことで知られる慶応ですが、最近は金儲けにまつわる暗い話題のみが取り上げられます。
また、学生の質が低下してきているのを自覚しているのか、このところ慶応義塾は自らの学生に対して奨学金を与えたり、与えますよという宣伝をしているようです。これについてはどうなのでしょう。
一見、慈悲深い学校のように思えますが、不届きな行為です。
税金を免除され、多額の血税を補助金として与えられている慶応義塾が学生に奨学金を与えるのは、生活保護を受けている老人が近所の子供たちにお菓子や小遣い、食事を与えたり、近隣の葬儀の度ごとに香典を持っていったりするのに似ています。
子供たちにお菓子や小遣い、食事を与えるのは、その親たちでよいのであり、親が生活苦で、それが出来ないのなら自治体なり、国なりが面倒をみれば良いのです。
慶応義塾は、学生に対する奨学金は慶応の卒業生の寄付によるものだと反論するかもしれません。これは先の生活保護受給者が子供に食事させているのは息子からの送金によるものだ、何がいけないのかと反論するのに似ています。
息子から送金があるのなら、受給費からその分を返却しなければならないのです。
私立大学は授業料と寄付金で経営されなければならないのです。教育と研究ということで非課税にまでしているのに国は補助金まで出しています。若者が多すぎて公の教育施設が不足している時には、そういうことでもさしつかえ無かったのですが、少子化の現在、誰もが大学に行く必要もないし、行かせる必要もありません。
教育の中味も伴わないのに、ハコモノばかりを立派にしても無意味なのです。限界効用でさえ理解しない学生が、これまた限界効用を理解しない教師を「立派なお方」と尊敬しているのですからアホです。もうあれから40年以上になります。
文科省は何をしているのでしょうね。現在文科大臣は慶応卒、二人の副大臣は共に早稲田卒、ということで私立大学、文科官僚ともに都合が良いのでしょう。
このところ公益法人として不適切な運営が表面化していた財団法人「日本漢字能力検定協会」(京都市)の理事長は無茶苦茶な男です。
商売が上手いのは認めますが、公益法人とならなかったら良かったのです。税金分などで恩恵を受けているのですから、当然の義務も責任も生じます。
文科省もよくここまで放置していたものです。漢字の検定などに公のお墨付きなど必要無いのです。文科省にも美味しい思いをした者がいるのでしょう。
それにしてもこの理事長の顔を見た時、思わず「話し合いの場」に立ち会った白石孝教授(当時)を思い出しました。同じ顔です。
しかしこの理事長も先の「健康科学大学」の創立者も私腹を肥やしたり、不正経理をしたりしましたが、「直接的に」受験者や学生に悪事を働くことまではしてはおりません。その点で今のところ、慶応義塾よりはましです。
この協会の理事長は元パン屋の経営者なのだそうですが、このパン屋は今でも阪急京都線の桂駅前にあり、テレビに映っていましたが、私も病院に行くたびに前を通りますが、なかなか清潔でオシャレな感じのお店です。
なお話を元に戻しましょうか。
早稲田の学生も大麻を栽培しているのが発覚しましたが、種を売りつけたのは、これまた別の「なんとかコータロウ」という無職の男性だそうです。学生に限らず広い層に大麻は蔓延しているようです。
一般的に大麻がいけないものだということについて「誠実な説明」が不足しているように思われてなりません。
先日もたしか京都新聞の投書欄にお医者さんが書いておられました。「喫煙もせめて大麻と同様の厳罰に処してほしい」というのです。勿論これは大麻が無害だとおっしゃっているのではなく、煙草も有害なんだとおっしゃっているのです。しかし読みようによっては両者の有害さは同程度だということです。
法律違反というのも色々ランクがあって難しいことでもあります。
例えば同志社の創立者・新島襄は海外への渡航が禁じられていた江戸時代末期に、外国での見聞を深めるために密出国して上海に渡ったのでしたが、新島の情熱に打たれて協力した船長は上海まで渡った後、密出国を幇助したことが明らかになり会社から船長職を解かれてしまいました。
ここまででしたら身勝手な青年が鎖国という厳しい国法を破り、おまけに親切な気の良い船長にまで迷惑をかけてしまったということで終ってしまうだけなのでしょうが、この船長は米国に渡った新島を自宅にも招き、家族しか署名していないファミリー・バイブルにサインさせてもいます。
新島の「人柄」と「強い情熱」に感じ入った船長の「懐の深い愛情」が感じられます。この場合法律なんて何処かへ行ってしまっています。
「太平洋一人ぼっち」の堀江謙一少年がヨットでアメリカに向かった時も、当時はヨットによる出国が認められなかったため、密出国ということでした。日本では非難が殺到し、犯罪者扱いにされたのでしたが、アメリカでその偉業が認知されると今度は一転して英雄扱いです。
当時のサンフランシスコ市長はコロンブスもパスポートは持っていなかったと擁護し名誉市民として受け入れたのでした。何事も臨機応変に対処しなければなりません。
先日明らかになった塾員・中村雅俊氏の息子の俊太というタレントも大麻所持で逮捕されました。30歳にもなる息子が大麻を吸ったからと言って、あれほど人前で涙を出して謝罪する必要があるのでしょうか。塾生が大麻を所持していたからと言って、大勢の塾の幹部がマスコミの記者の前で深々と頭を下げるのと同様の違和感をおぼえました。
ところで「商学部のなんとかコータロウ君」たちには、大麻を吸いたいという以外の情熱は感じられませんが、再犯などということがない限り、退学処分などは止めていただきたいと願うものです。要は彼らが反省して、立派な社会人としてやっていければ良いのです。(去年最初にこの頁をアップしてすぐの頃に、彼は退学になったそうです。勿論正当な理由なしに退学させたのではないのですから、私の場合とは違いますが・・・)
辻村江太郎の悪事が発覚した後に「福澤賞」を与えるような慶応義塾の悪徳行為は腐っているとしか言いようがありません。また上の日消連の「消費者リポート」の「生活者の目」という記事のタイトルが「あの慶応の教授が文化功労者に」になっていますが、これは「・・・最後に、文部省にも矢文しましたがナシのつぶてです。それどころか昨年11月、辻村氏は文化功労者に推されました」ということで、これについては本編で詳しくご説明いたしました。
つまり「友人の友人はアルカイダ」という発言で有名な鳩山邦夫文部大臣(当時)に対する矢文の直後ということです。
慶応であれ文部省の役人であれ、まったく同じような行動をするものです。
あっ、そうそう矢野誠氏のことですが、ノーベル賞をめざして頑張っていただきたいものですが、悪徳慶応の教員として10年、また胡散臭い日本経済学会の会長でもあるとすれば、如何に学業が優れていてもノーベル賞は難しいのではないでしょうか。こうした点にもご努力のうえ頑張ってください。
最後に、「たむけん」については知っているつもりでしたが、このページを最初にアップする直前に、あるテレビで偶然別の姿を見てしまったのでした。
それは横山ノックのヘアー・スタイルで顔は山城新伍というような姿です。おまけに「ふんどし」姿です。これも「たむけん」というので驚きましたが、そう言えば通常見ている髪形も何だか不自然でカツラのような感じもします。
なおこのページは08年11月20日に最初のアップをしたのですが、その直前に、「わたくしごと」でちょっとパソコンの前に陣取ることが出来なくなり、あわててアップすることになった次第です。それで今回あらためて書き加えることになりました。しかしあまりにも付け加えすぎ、こんどは削除するのに必死でした。それでほとんど前のものと同じになりました。この頁は今まで書いたこととダブルことも多いのですが、資料も少しは載せようとしたからでした。次回からはなるべく簡潔に書くよう心掛けます。このような理由で時間の経過が、勿論内容も、大分不自然になりました。お許し下さい。09年5月21日。