NHKの番組盗作・改変と著作権(検証編)
新会長に告ぐ・コストカットこそ良質の番組の源泉だ!

 

前回、ネットにアップして直ぐの12月22日の午後10時15分から Music Air (以下略して MA )で同じ、ニューポート ・フォーク・フェスティバルのマーレイ ・ラーナーという人が制作したドキュメント映画を放映していました。
NHKの番組と比較、検証するのに丁度良いタイミングでした。わざわざDVDを購入するほどのことでもないわけですからね・・・。

この放送では小室等氏の解説もなく、10時15分になると、いきなりジム・クウェスキンとザ・ジャグ・バンドの場面から始まりました。勿論これが本来の映像のままなのでしょう。彼らの演奏が始まったと思ったら、すぐ途中でカットになり、FESTIVALというタイトルが出るのも、勿論同じです。

ジム・クウェスキンというと、突然、或る出来事を思い出しました。
学生当時、オールド・タイム〜ブルーグラス・ミュージックが好きであった私は、それでもLPのジャケットの解説で知識を得ることがほとんどで、他の本を読んだりすることもほとんどありませんでした。
当時その関係の解説はほとんど高山宏之氏が書いておられ、私もそれを通じて、こうした音楽について教えていただきました。

ところが或る日、兄が「今度出す予定のジャック ・エリオットのLPの中の1曲について、全く1字も高山先生が解説を書けないとおっしゃっている」と言うので、何というタイトルかと尋ねると「Guabi Guabi」 だということです。
高山先生は大学で英語の先生をなさっているはずだったので、普通なら歌詞を訳して、お茶を濁しておくとか、「・・・・という内容のリフレィンを持つが、全体の内容というようなものはない」というようなことで、ごまかすということも出来たでしょうが、そうもできないようでした。
なにしろアフリカの言葉で何を歌っているかもわからないのです。それどころか、それが何語かもわからないのでした。
しかし私はこの曲をどこかで聞いた記憶がありました。それはジム・クウェスキンの「Relax Your Mind」 という輸入盤のLP(VRS-9188)でした。これには「Guabi Guabi is a Zulu folksong from the Nde-Ele tribe」 とだけ書いてあったので、兄に言われた通り、当時私の住んでいたアパートの近くの牛乳屋の前の公衆電話から、高山先生のご自宅まで、その旨お伝えしたのを40年振りに、急に思い出しました。
人間の脳みそというのは、どのようになっているのでしょうね。不思議です。なによりも兄から将来どのようなLPを出すつもりだ、とか予定だ、などということを、それまで一度として聞いたこともなかったので、そのこと自体、奇妙なことでした。またこのような逸話は前回ジムの名前を出した時も、まったく思い出さなかったのでした。

私は後になって、Happy Traum 著の「Guitar Finger-Picking Styles」というギター教則本の中に、この曲の楽譜が載っており、それの解説を見て、この曲のオリジナルは、アフリカ音楽の権威という Hugh Tracey によって録音され「Guitars of Africa」というタイトルで50年代初期にデッカから発売されたものと知りました。
日本ででも、後になって発売されたように思います。

このように、偶々知っているか否かというような事柄は当時全く調べる術もなかったのですが、今グーグルで検索してみますと、アロー・ガスリーも歌っているようで「YouTube」 で78年に録画されたという映像も見られます。もうアフリカのギターという感覚とは無縁な音楽になってしまっていますが、まずまずの仕上がりです。
またジャックのCDも昔のLP2枚分が1枚になって、値段も安くなっています。今この昔のLPのジャケットを見ますと、2000円です。多分大学卒業者の初任給が3万円ちょっとの時代だったと思います。現在では、サンプルを試聴することもできるのですから、興味のある人は何事もどんどん学べます。

ちなみに、今この「Relax Your Mind」 の解説を見ていますと、この映画の冒頭で演奏された「Hannah」 はこのLPでも演奏されていて、「Hannah was learned from an old 78 rpm record by Chris Bouchillion」 と書いてあるのみですが、ジムは色々の方面の音楽にも造詣が深く感心してしまいます。40年以上前の話ですからね・・・。
しかしこれも今気付いたのですが、これってクリス・ブチリオンではなくて、トーキング・ブルースの元祖として知られるクリス・ブチロンではないのでしょうか。「i」 が余計な感じがしますが、こんなの聴いていたのは40年前のことですから、わかりません、というよりはどうでも良いことになってしまいました。
今はほとんど聴くことのないブルーグラス・ミュージックですが、それでも
曽我ひとみさんのご主人のジェンキンスさんがノース・キャロライナー出身だと聞きますと、ブルーグラス・バンジョーを完成させたアール・スクラッグスのお師匠さんのスナッフィー・ジェンキンスの親類かな、とか思ったりしてしまいます。多少昔の痕跡が残っているのでしょうか。アメリカは広いですのにねぇ。

話を元にもどしましょう。ジム・クウェスキンの場面が終ると「FESTIVAL」というタイトルが入り、ジョー・パターソンのパン・パイプとタンバリンの素朴な音をバックに進行します。彼の演奏はどの曲も良く似ており、間違いそうですが、多分「Casey Jones」 でしょう。
そして前回述べましたように、大勢の若者が続々入場していきます。P.P.Mの「 Come Go with Me to That Land 」 の演奏がバックに流れ、そして出演者の名前が表示されていきます。これはNHKと同じです。これは当然です。同じ映画なのですから・・・。

次いで P.P.M の「 If I Had a Hammer 」 の舞台演奏が見られます。続いてNHKの場合と同じく「 Rocky Road 」 がセイクレッド・ハープ・シンガーズによって、「 When I Lay My Burden Down 」がジョージア・シー・アイランド・シンガーズによって歌われます。

ブルーリッジ・マウンテン・ダンサーズこの次が違います。NHKの無能演出者によって削除されたブルー・リッジ・マウンテン・ダンサーズによるダンスです。若い男女が4人ずつで、合計8人で踊ります。
靴で床を大きな音を出して、踏み鳴らし、色々なフォーメーションで迫力満点で踊ります。私のように40年以上前にLPでニューポート・フォーク・フェスティバルを楽しんだ人間には、こういうダンスは知りません。古い歴史を持つものかも良くわかりません。右の写真を見ただけでは、ただのフォーク・ダンスにしか見えないでしょうが・・・。
ギターを弾くマイクまたバックのフィドルの演奏が抜群です。これはNHK版では出演者の中にあったのに、登場している形跡が無かった Pappy Clayton Mcmichen その人です。バンジョーを弾いているのは、Pete Seeger ですし、NHK版ではあれほど探し回って見つからなかった Mike Seeger が、二人の間のマイクの向こうでギターを弾いています。一瞬顔がはっきり見えました。出演者リストに出ているのに、出演していないのは不愉快で、心配なものですが、これが当り前なのです。

ブルー・リッジ・マウンテン・ダンサーズとは、どういう集団なのかと「グーグル」に英語で入力して調べようとしましたら、ほとんど情報がないようでした。しかしこのNHKで削除された演奏は、そのまま「YouTube] で見ることができます。
営利目的ではない、こういう引用ぐらいは良いのではないかと思います。どうせこの踊り手などにはお礼金は行かないでしょう。
それに比べると、NHKの編集と言う名の削除は公共放送として非常識この上ないものと思います。出演者として名前を出している人を、削除しているのですから信じられません。NHKの放送を録画した人はこんな場面がないのは明確にご理解なさったことでしょう。

「Pappy」 というのは「とっつあん」というので、尾崎咢堂翁の「翁」というのとは意味合いが違って、誰からも愛され、尊敬された「愛称というか尊称」でした。
前回登場したアルメーダ・リドルさんも「ばあちゃん」の愛称であると同時に、尊称である、「Granny」 で呼ばれていました。

「フェスティバルの楽しみは、曲の合間に、うろつくことだ。客同志の競演を聴いて回る・・・」というナレーションに続いて、画面には多くの観客で満ち溢れます。
観客の多く、主として若者が、自身が持参したギターやバンジョーやマンドリンを演奏したり、教え合っていたりしています。なお前回、小室等氏の後ろのモニターにオートハープを弾く人や子供がフィドルを弾く場面があると言いましたが、ここの場面で彼らが見られます。ハーモニカや笛を吹いたりしている人もいます。
テックス・ローガンとリリー・ブラザース
この画面では映像こそ見られませんでしたが、バンジョー、ギター、マンドリンをバックにダイナミックなフィドル演奏が聴けます。やっと演奏の最後の部分のみ、彼らの姿が映ります(左写真)。
これこそNHKの放送の出演者に名前があったのに、その姿や音を見たり、聴いたり出来なかった「Tex Logan & Lily Brothers」 です。

NHKよ、出演者として名前を出したからには、画面に登場させるなり、演奏を聴かせろよ。馬鹿たれが。

ピート・ジム・メルここで Pete Seeger が Jim Qweskin や Mel Lyman を引き従えて「 Green Corn 」 を演奏することになるのです。
この曲は「I'll Meet You in the Evening」というタイトルでも知られます。

その次にバッフィ・セントメリーが「Codine」 を歌っています。ついで包丁やフライパンのようなものやドラムを叩いている若者が見えますが、これは多分観客なのでしょう。彼らはこの後、何回か歌手の演奏する隙間に姿を見せ、何か話したりしますが、この映画の監督と知り合いなのかもしれません。「やらせ」のための人材というような感じがしないでもありません。と言いますのは、アゴの長いアントニオ猪木のような青年や少し歳を取った子役のような青年は何度も出てきます。トラックかコンテナの上に上がっている者もいますが、その車体には何とかプロダクションと書いてあります。

スパイダー・ジョン・コーナーこの後に スパイダー・ジョン・コーナーのギターの弾き語りがあります。なかなかのものです。しかし非常に短くすぐに、Pete Seegerの「 Deep Blue Sea」に変わります。この2曲は、やはりNHKでは削除されていました。スパイダー・ジョン・コーナーと言われても、わからなかったのでしたがMAで映像を見ますと、コーナー、レイ&グローバーというグループで活躍していた人たちのうちの一人だということに気が付きました。この人たちの単独のレコードは持っていませんでした。

次はNHkと同じくオデッタの「Lordy, Lordy」 、ジョーン・ バエズとピーター ・ヤーローの「Go Tell Aunt Rhody」 、続いてジョーン・バエズが「Mary Hamilton」 を単独で歌います。そしてボブ・ディランが「All I Really Want To Do」,再度Joan Baez が「All My Trials」を歌います。

PPMが「Blowin'IN IN The Wind」 を歌います。続いて若者たちが少し話した後で、ドノヴァンが「And The War Drags On」 を歌います。ジュディ・コリンズが「Turn, Turn, Turn」 を歌った後、フィドラー・ビアーズが登場し、「フォーク音楽は個性的な歌が多い。中には非常に批判的で、大人がやることを、厳しく責める曲もある。若者の考えを表わしていて刺激的な音楽であることは間違いないね」というような話をします。
続いてドノヴァンがBBCで放送禁止になったという「Viet Nam, Your Latest Game 」 をハーモニカとギターで自伴して歌います。
オデッタが「Can't Be Satisfied」を歌うとまたフィドラー・ビアーズが出てきて、「フォークで歌われる内容は、もっと話し合われるべきことなんだ。我々にも反省すべき点はある。歌って話し合いを続ければきっと良い結果が待っている。若者の訴えを聴こう」と話します。
そんなどうでも良いことを言う代わりにフィドルでも弾いた方が良いのにと思ってしまいます。この人は演奏もしないで話をしているだけですから、画面に名前が出ていなかったなら、きっと誰だかわからなかったでしょう。こんな「おっさん」知りません。
PPMが「Times They Are A Changin 」を歌います。

こんなことを、だらだらと書いていると訪問して下さった方に叱られてしまいますね。
前回アップして直ぐに、「起承転結もない」という苦情のメールが来ました。
フォークに何の興味もない人やNHKやMusic Airの放送を見ていなかった方やDVDも持っておられない人には退屈でしょう。
しかし続けます。NHKには自身が間違ったということは絶対言わないし、訂正もしないからです。今回の「出演者として表示しておきながら、何の断りもなく削除するという暴挙」は誰にでもわかります。これはNHKと他を比較すれば明快なのです。

このため、前回の分にも多少写真を追加しておきましたので、わかり難かった方は再度読み直してください。
また今回も写真を多用しました。NHKのニューポートを録画なさっていた人には、ご自身の録画の中には見られなかった場面があるはずです。

次の場面はNHKでは見られなかった画面です。フェスティバルで疲れた若者たちがビーチや道路や車の上などで、毛布や寝袋に包まって、いぎたなく寝込んでいます。
若者たちにも勿論色んな考えの持ち主がいて、
「ビーチに広がるのは、ひとつの人生の形だ、フェスティバルに捧げた生き方さ。彼らはアンチ協調主義を唱えているが、実際は非常に協調性がある。仲良く体制を批判しているんだ」なんていうようなことを、だらだらと話し込んでいます。そのバックにジョーン・バエズとドノヴァンが「Colors」 を淡々と歌い続けます。演奏自体は映りません。
もともとこの映画はドキュメント映画なのですから、一つずつの曲をじっくり聴くことができない「忙しさ」のようなものがあるのですが、制作者もそのあたりのところを理解し、演奏者の映像は映さないで、音楽だけにし、その代わりにゆったり流れ行く時間や、観客の様子などの映像を流すような手法を採っていますのに、NHKによって更にブチブチ削除されれば、余計その感が強くなります。

ジョー・パターソンフレッド・マクダウエルが「61 Highway」を演奏します。この曲も歌の最初の27,8秒を削除されています。フレッドの声がスライド・ギターをバックに流れる間、若者が色んな楽器を持って歩いている光景が映ります。フレッドの悠長な趣きの歌声も、この削除によってサンプル試聴のような感じになり、NHKバージョンでは落ち着けません。しかし好きな人は好きなのでしょうね。
一転、ハッピー・ブルースとも呼べそうな曲調のブラウニー・マギー&ソニー・テリーの「Keys To The Highway 」、ミシシッピ・ジョン・ハートの「Candy Man 」が続きます。私は体質からか本物のブルースというものを受け付けません。ブルースっぽいものは好きなのですから、こういうフォーク・ブルースとでも呼ぶようなものがせいぜいなのでしょう。

今度はアルメーダ・リドルさんの「The Blind Child 」になります。
次いで白い帽子を被った黒人のおじさん(左上)が「昔から歌い継がれてきたんだ。何世代も前からさ。父親のことを思い出すね。私と父親のことだ」とフォーク・ソングに郷愁を感じるようです。このおじさんは、この映画の冒頭でワトソンとカールトン夫人?パン・パイプとタンバリンを聴かせてくれたジョー・パターソン(左上)ではないのでしょうか。多分そうだと思います。

アゴに白い髭をたくわえたエック・ロバートソンがほんの少しだけフィドルを聴かせてくれます。
ついで傘をさしてもらって登場する2人のおばあさんは左の黒い服を着た方がドック・ワトソンのお母さんで(左上写真)、もう1人は同じく歌いもしませんが、多分バラッド・シンガーのオリー・ギルバート夫人だと思います。
前回その可能性も少しだけ示唆しておりましたが、どうもこの人はゲイザー・カールトン夫人(左下写真)ではないという気もします。
このゲイザー・カールトン夫人のマギー・カールトンはドック・ワトソンの奥さんの父親の再婚相手で、歌いもしないので、というか歌も聴いたことがなく、写真1枚見ただけなのです。しかし良く似ています。

ワトソン夫人オリー・ギルバート夫人の顔は知らないのですが、出演者のリストが非常に正確なので、これ以外考えられないのです。他にお婆さんは出ていないでしょう?(本当のところはわかりません) 左の2枚の写真はラウンダー・レコードのThe Watson Family のLPのジャケット写真から引用させていただいたものなのですが、上のワトソン夫人は間違いないのですが、下のカールトン夫人は傘の中の隣の人だと、いまだに諦められない気持ちも捨てられないのです。もしそうなら映画の冒頭に名前が出ていないのは合点が行きません。フィドラー・ビアーズやワトソン夫人と同じように演奏しないで話をしているだけですから・・・。しかしカールトン夫人は多分演奏したり、歌ったりしないので、無名の「おしゃべり」だけの若者たちと同じ扱いなのかもしれません。
しかしこのお婆さんはNHKの放送では、耳が悪く気付かなかったのですが自分の母は偉大な歌手であった、とか死ぬまで美しい声だったと言っているようなので、やはりオリー・ギルバートさんなのでしょう。カールトン夫人のお母さんが歌手であったとは聞いたことがありません。

次に盲目のバラッド・シンガーであるホートン・バーカーが一節聴かせてくれます。ところが驚いたことに、NHKと同じくホバート・スミスの名前が出ます。片仮名のみならず英語でも Hobart Smith のカールトン夫人ホートン・バーカー名前が出るのです。この人は間違いなく盲目のホートン・バーカーです。冒頭の出演者リストからも明らかです。どの段階でこういうことになったのでしょうか。

ボブ・ディランが「Maggie's Farm」を演奏します。彼がいわゆるフォークの枠に縛られるのが嫌になったというのなら、それはそれで良いと思います。それならどうしてフォークの祭典に出てきて演奏するのでしょうか。
音楽などというのは好き好きですから、好きなスタイルで演奏すればよいでしょう。
しかし私から見れば、この曲がそれほど新しいという思いはありません。
むしろこれより30年近く前の1938年デッカ録音のカーター・ファミリーによる「Coal Miner's Blues」 などの方がずっと新しく感じます。
この曲はドック・ワトソンもカバーしていますが、オリジナルには到底及びません。とは言っても、これも名前だけで本当のブルースではありません。そんなことは私にとっては、どうでも良いのです。
私にとってはブルースというのはドック・ワトソンの「Deep River Blues」やトム・ペイリーの「Next Week Sometime」ぐらいで充分なのです。マリア・マルダーの歌でも、前にお話した「Richland Woman」のような軽いものは好きですが、あまりピンと来ないものも多いです。
LPがCDに変わった時に、つまらない、個性の無いものしかCDにならない期間が長かったのと、私が音楽を聴くという余裕がゴロツキ慶応の事件の後遺症で無くなっていたので、長い間音楽を聴いていなかったので、最近はどんな歌手が良いのかわからず、2年ほど前にレコード屋さんのご主人に勧められて、マリアのご主人であったジェフ・マルダーの「Password」というCDを購入したのでしたが、娘さんの「At The Christmas Ball」が一番良く、これはベッシー・スミスの曲でした。ジャグ・バンドの香りが漂う、血の繋がりは無いとのことでしたが、往年のマリアを彷彿とさせるものでした。(彼女の「Never Swat A Fry」「I'm A Woman」など、学生時代とても好きでした)。
後はジェフの「Mary Of The Wild Moors」、「Prairie Lullaby」、「Beautiful Isle Of Somewhere」、が一番聞きやすい曲でしたが、これってブルー・スカイ・ボーイズ、ジミー・ロジャース、カーター・ファミリーのレパートリーで、非常に上手に、渋くまとめられていましたが、やはりカントリーですから、私にとって黒人の土着音楽とでもいうべきブルースのようなものは取っ付きが悪いです。勿論好きなものもありますが、多くを聴いていませんので良くわからないというのが本当のところでしょうか。
大抵の現在の日本人にとって、長唄や浪花節がそうであるのと同じようなものでしょう。しかしこうしたものや日本の各地の民謡などは国会図書館などで、きちんと保存しておく必要があります。

なおトム・ペイリーは一番好きな歌手の一人でしたが、顔は丸顔であまり好きでなかったのですが、慶応とゴチャゴチャしていた頃だと思いますが、イギリスで出されたLPレコードのジャケット写真を見たら、立派な顔になっており感激しました。ちょっと小尾恵一郎氏に似ているように思いました。

ところでボブ・ディランの、この場での姿は、似合わない、派手な羽織袴を着て、成人式で酔っ払って、乱暴を働く悪ガキのように思えます。
式に、おとなしく参加できないのなら、初めから行かなければと思います。
私など成人式に呼ばれたという記憶もありません。例え呼ばれていたとしても、最初から、行く気にもならなかったと思います。どうせ安物の大学の教員がどうでも良いような話をするだけでしょうから・・・。一体いつから、こんな式を役所がするようになったのでしょうね。女性は皆同じような着物にショールという姿ですから、呆れます。
何年か前の成人式の日に、大雪が降ったことがありましたが、ゴム長を履いて着物を着ている女の子がテレビに映っていましたが驚きました。
折角晴れ着を借りたか購入したからという気持ちはわからないでもありませんが・・・。

エド・ヤングこれが終ったらNHKで削除されていた、エド・ヤング・ファイフ&ドラム・コープスで文字どおり横笛と太鼓の鼓笛隊といったところでしょうか。タップまで踏んでいます。なんだか京都の時代祭を思い浮かべました。
エド・ヤングなど知らないなあと思っていたら、アラン・ロマックスによるホバート・スミスのCDの裏表紙にアラン・ロマックスによる二人の写真がでていました。CDになってから、解説文など見たり、読んだりしなくなりました。
これは字などが小さくなったのと、好奇心がなくなったからです。
なおホバート・スミスはギター、バンジョー、フィドル、エレキギター、ピアノまで弾きます。

スワン・シルバートーンズが「Feed Me, Jesus」 を、ステイプル・シンガーズが「Help Me, Jesus」を 、フリーダム・シンガースが「I'm Over My Head 」と「Ain't Gonna Let Nobody Turn Me Round 」の2曲を歌います。
ファニー・ルウ・ヘイマーが「Go Tell It On The Mountain 」を歌い、次いで「フリーダム・シンガーとオデッタが「We Shall Overcome」 を歌います。

ポール・バターフィールド・ブルース・バンドが「Born In Chicago」を演奏します。次いでサン・ハウスが「 Son House Blues 」「Government Fleet Blues」を歌います。後者はNHKとMAのタイトルが違います。MAでは「Governor Feat Blues」です。多分NHKの方が正しいのでしょう。これは割と良い歌です。
ポール・バターフィールドがハーモニカ主体の乗りの良い演奏を聴かせてくれます。観客の中に女の子を抱いていエリック・フォン・シュミット
る眼鏡を掛けた髭ぼうぼうの男はEric Von Schmidt ではないでしょうか。ちょっと私と派が違うのでよくわかりませんが。隣のサングラスの男はメル・ライマンです。メルというのは、いつもまったく違う顔をしていますね。
スポークス・マシヤネ
ハウリン・ウルフが「Howling For My Darling」を迫力満点で歌います。ミミ&ディック・ファリーナが器楽演奏の後で「Pack Up Your Sorrow 」を歌います。NHKでは削除されていたスポークス・マシヤネ(左写真)が本当に登場し、横笛を吹きます。この人は南アフリカの人だそうです。

フィドル自伴奏で熱唱するエミー・rainbow.questより次いでやはりNHKでは削除されていたカズン・エミーがやはり前回お話しましたように,頬を両手で交互に叩いて「Turkey In The Straw 」の曲をポコポコ鳴らします(左下写真)。しかしマイクの前でアップに映り、それだけをするわけですから、エミーの可愛らしいお婆さんという側面はまったくわからず、ちょっとグロテスクな感じさえします。前回お話した「Rainbow Quest」 とは、まるで趣きが違います。この時は彼女がトラデショナル〜オールド・タイム歌手・演奏者ということがはっきりわかり、とてもチャーミングなおばさんであることがわかり、番組もそれがわかるように制作していました(右上写真)。
カズン・エミー
民謡とは色んな側面があるというようなことがわかるようなものをつくるべきでしょう。この映画でもそのようなつもりで、彼女を登場させたのでしょう。しかし、この映画では単にゲテモノとして扱っているようにも思えちょっと腹が立ちました。しかし削除しない方が良いのは当然です。この人は私が生まれるより前から活躍されているのです。キャデラックを所有した最初のヒルビリー・シンガーと呼ばれていました。
セオドア・バイケル
NHKで削除されていたセオドア・バイケル(右写真)が「Karbi 」というロシアの歌を歌います。この人の顔も声も思い出しました。
この人の歌は皆同じように聞えます。あまりフォーク・ソングという感じがしません。外国の歌ですし、民謡の純度というようなものが、さっぱりわかりません。しかしアメリカ人というのは色んな国の人の集まりですので、アメリカン・フォーク・ソングというのは白人と黒人のものだけかと思ってしまいがちですが、そうではないのですね。
ジュディ・コリンズが「Anathea 」を、ジョニー・キャッシュが「I Walk The Line」、オズボーン・ブラザーズが「 Ruby」を歌います。

ジョーン・バエズが「Farewell Angelina 」を、ボブ・ディランが「Tambourine Man 」を、ノエル・ポール・ストーキーが「Desert Island 」を、またPPMが「Rising Of The Moon 」を、そして最後にフィナレーとして全員が「Down By The Riverside」を歌います。

2回にわたって、同じことを書いたので、もし最後まで読んでいただけたのでしたら、申し訳ない気持ちで一杯です。
勿論私は出場者のすべてがわかると宣言したこともありませんし、またそれを明らかにする義務もありませんが、
NHKが出演者のリストとして、放送の初めに流した人たちのうち、多くの人が、何の了解もなく削除されてしまったということを明らかにしておく必要があると信じるからです。
こうした問題に対して、私たちはNHKに疑問を呈したり、間違いを指摘する手段がないのです。しかし、また、この事実は、はっきり白黒をつけられる問題なのですが、そのような問題は、めったにありません。それ故この事実は明確にしておく必要があります。
序数の和や差は無意味ということでさえNHKは認めようとしませんでした。勿論そうした指摘を聞く所管もないでしょう。五十嵐公利氏や藤原淳登氏のように、協力的ではあってもそうした問題を引き継ぎ、誠実に取り組み、処理する場所も無いのです。
結局「アホの荒井」です。

プロデューサーはMURRAY LERNER・MAよりNHKは政治家の圧力に屈した番組作りをしているかとか、政治家に媚びへつらうような姿勢で番組制作をしているかなどと言う問題は実証するのが難しいことです。
誰でもわかる簡単なことから始めなければならないでしょう。

この番組盗作・改変問題は視聴者を舐め切っているのみならず、前回もお話しましたように、映画制作者に失礼でしょう。
なお番組盗作・改変と言う言葉を使ってきましたが、正確な言葉ではありません。
改変・盗作番組というのが正しい言葉でしょう。この点お詫び申し上げます。

「マーレー・ラーナーと言う人による映像作品」を改変し、盗作したと言うのが正しいでしょう。番組を盗作したのではなく、映画を盗作して制作した番組なのです。
またそのことによって、登場していない出演者をあたかも登場しているかのように無神経な扱いをしているのです。松茸が入ってないのに、入っているような表示をして、商品を販売しているようなものです。これに対して「松茸など幾つかの食材は現在入れていませんが、うっかり古い袋をそのまま使用してしまいました」などというような言い訳は通用しないのは当然です。
更にMusic AirのようにDVD1枚を廻しておくだけで良い番組と言えますのに、よけいな手を加えたばかりにお粗末な映画になってしまったのは言うまでもありません。

削除、改悪しておきながら、前回お話、しましたように演出:高木栄治 制作統括:小田橋昭仁、板垣克仁 共同制作:NHKエンタープライズ 制作協力:ウインズモーメント 制作著作:NHK だっていうのですから、馬鹿にしています。これは盗作なのです。

確かに画面にはマーレー・ラーナーやプロダクションの名前などは英語では登場します。しかし誰が監督したものだ、であるとかには、まったく触れませんでした。
勝手に削除されたということは著作権の侵害です。明らかにオリジナルに忠実な放映をしたMusic Air では制作著作として、自分たちの放送局の名前を表示していません。
これは当り前で、自分達はマーレー・ラーナーの作品を放映しているだけと当然のことを自覚しているのです。

NHKは他人の作った作品を勝手に削除し、改変し、それだけならず上記のように演出者や制作統括者、などを表示し、必要のない子会社まで使って作った映画のように偽装しているのです。これは去年の一番の流行語の

NHKの編集・著作

そのものに、他なりません。
コストを上げて、番組を改悪しているのです。その上、削除した出演者名についても、そのまま放置しておくという無神経さです。視聴者のことなど頭にも無いのです。これは40年前から同じなのです。自らが放送した番組についての問い合わせにも、返答もしない国営放送なのです。まず視聴者の問い合わせに対して回答してから、信頼回復を言うべきでありましょう。
福地茂雄NHK新会長は「信頼回復」を最大の課題としていると言っていますが、インサイダー問題だけではないのです。この問題もウヤムヤになってしまいましたね。
新会長は、「番組の質を低下させるようなコストカットはしない」と言っていますが、事実は番組の質を低下させているのはコストアップなのであることが、本件の一例でも明らかになったと思います。民放では当り前のことではありますが、映画製作に対する協力者であるアラン・ロマックスを初めとする研究者やジーン・リッチやラルフ・リンズラー、マイク・シーガーなど歌手でもあり、研究者でもある人たちへの謝意まできちんとオリジナル通り表示しています。
これに反して、NHKではこれを削除して、自分たちが制作したかのように装っているのです。

NHKが削除した「映画制作者の協力者への謝意の表明」

国民を欺くNHK、本当にこんなに多くのチャンネルと受信料が必要でしょうか。民放の方が、良心的で安価な番組作りをしているのではないでしょうか。そうしたことを明らかにするために、この頁がお役に立てばうれしいことです。勿論すべての番組がお粗末というつもりはありません。また民放のお粗末と言うか、程度の低い番組も本当に多いです。しかし番組の良し悪しというのはコストだけで決まるものではないのです。民放で出来るようなものは民放にまかせれば良いのです。こういう映画は素直にDVDというお皿を廻していれば、最善で一番安く放映できるのです。またL&Gのインチキ商法の広告塔になった歌手はNHKが育てたようなものでしょう。

マーレー・ラーナーにとって同一性保持権を犯されたことが一番不快でしょうし、視聴者からみれば、一番不快なのは、登場するはずだと期待していた人が、結局出演しないということがわかったことでしょう。NHKに騙されたということでしょう。

私はこれを見て一つの出来事を思い出しました。それは大学院に入ってすぐの頃のことでした。私は辻村ゼミから大学院に進学した最初の学生だったのですが、辻村に「大学生のために一緒に本を読んでやってくれないか」と言われました。「教えることは出来ませんが、一緒に読むぐらいはいいですよ」と答えました。

実際、大学でのゼミというのはほとんど授業らしいものはなく、計量経済学のゼミなのにやっていることはキンドルバーガーの「国際経済学」を英語の原書で輪読するだけでした。一級上の学生が一応指導するという形を採っていました。意味もへったくれもなく、質問しても「字面の通りだろう」と言うのみで面白くもありません。しかし不満ではありましたが、辻村も忙しいから仕方ないかと諦めの境地でした。大学では授業と呼べるようなものはなく、大学院で勉強しようと思ったのでしたが、行ってみて驚きました。ほとんど授業らしきものはなかったのです。

ちょうど「地上の楽園」を期待して、北朝鮮に渡った人が到着するなり、騙されたと理解したようなものでした。

鈴木諒一は商学部の教授を「限界効用」も理解しない「素人ばかり」と言っていましたが、まさにその通りなのでした。

しかし学生と一緒に読書するのも悪くはないなあと思っていたので、引き受けたのでした。本というのは春秋社の「雇用」というウンコ色の表紙のものだったと記憶しています。寺尾琢磨の監修になるもので、執筆者はお決まりの弟子、鈴木諒一、辻村江太郎、小尾恵一郎、尾崎巌によるものでした。

つまらない本でしたが、後で鈴木諒一のゼミの学生も一緒だということがわかりました。それは仕方なかったのですが、辻村は、無神経にも鈴木諒一の書いた部分は飛ばして読めというのです。辻村ゼミの学生だけなら問題ないのですが、鈴木ゼミの学生も一緒だというのに、こんなことを言うのですから、冷酷な人間だと驚きました。

輪読を始めてすぐ、鈴木ゼミの学生達から不平不満が出たようでした。頼りなそうな院生が、自分たちの先生の部分は省略するというのですから・・・。
それで私より多分3年上の黒田昌裕助手が代わって輪読をすることになりました。黒田助手は経済学部の大熊一郎ゼミの出身で、当時から小型ながらブルドーザーを思わせるような馬力がありました。私は、やれやれと安堵しました。つまらない本を読む必要がなくなったからです。鈴木ゼミの学生も納得したようでした。

勿論この話は著作権などとは何も関係ありません。しかし無神経に省略、削除すると気分を害する者がいるということ、及びそうした行為はしないほうが良いということを明らかにしています。読者も気分を悪くしていますし、著者の鈴木も不愉快だったでしょう。

昔、川田 寿という慶応教授がサムエルソンの「経済学」が、日本でまだ邦訳書がまだ出ていない時に、「サムエルソン経済学講義」とかいう本を出して、著作権の件で揉めたというような話を聞いたことがありますが、これなど無断で邦訳したということではないでしょうが、サムエルソンの本の解説本を了解無しに出したということなのでしょう。良い本の内容を早く学生に教えたいという気持ちから生じた勇み足だったのだろうと信じたいことです。印税稼ぎのために、まがい物の「サムエルソン経済学」を出したのではないでしょう。

しかしNHKの番組は映画をプチプチ削除しただけの話なのですから、ひどいものです。
ニューポート・フォーク・フェスティバルの全演奏が記録され、データー・ベース化されて存在し、それを許可を得てNHKが選択、編集したものであれば、「編集・著作NHK」で何ら問題がないのですが、この映画の場合、編集ではなく盗作です。せめてMusic Air なみに出来ないものでしょうか。無能者が手を入れない方が、良い作品を見られるという症例ですので、敢えて2度にわたり、この問題について書いてみました。子会社など不要ですよ。

なおオリー・ギルバートの件を別にしても「Moving Star Hall Singers」「Reverrend Wilkins」は何処に行ったのでしょうか。前者はゴスペル軍団の中に、後者もどこぞに紛れ込んでいたならお手上げです。DVDとMusic Air とは時間が同じだったようですので、両者が最初の映画と全く同じとすれば、紛れ込んだまま、見つけられなかったのは私の無知によるものです。私の守備範囲ではないものですから・・・。おわかりの方がいらっしゃいましたなら、教えていただければ有り難いと思います。
最後に新副会長になった今井義典氏は、慶応で私と同期か一年後輩のようですが、こわそうな顔ですね。

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