消費選好場と相対性

稲垣 武彦

以下の小文は辻村江太郎教授の「習慣形成仮説」なるものが論理的整合性を欠き、それ故仮説たりえないということを論証したものである。

その前に、科学というものは測定可能な変数の間に存在するか、もしくは存在すると想定されうる関係のみを研究対象とするものであるから、基数的効用を仮定すればというような仮定は、実際に何かを尺度として効用を測定出来ぬ限り、つまり現在のところ科学とは無縁のものであるとして先ず排除しておかねばならない。勿論辻村教授自身、自著において序数的効用を前提としている。

さて、この「習慣形成仮説」なるものは残念ながら一般形の効用函数において直接、明確に定式化されているのではなく、具体的な効用函数を採用し、しかもその限界効用曲線が過去の消費に依存して変位するというような現代の消費選好理論とは相容れない不可解なかたちで定式化されている。

それ故批判するこちらの方もこれに倣い同じ効用函数を採用し冗長になるが限界効用の定義より始めなければならない。

「消費構造と物価」(勁草書房)などの辻村教授の著書において採用されている効用函数はつぎの通りである。

ここでx、yはそれぞれX財、Y財の購入量である。

色々なx、yの組み合わせごとに、つまり選好場での色々な位置ごとにそれぞれ総効用uの値が対応するが、勿論これらの値は何らかの尺度の何倍かであるということを意味するものではなく、大小関係だけを示す序数でしかない。(それ故この効用函数のいかなる単調増加函数も、効用が序数として解釈される限りこの@と全く同じ選好の序列を示す、つまり@と全く同義で無差別であるのだが、これは説明するまでもなかろう。)

またこの時X財、Y財の或る組み合わせから、これより更にX財が1単位多い組み合わせに移ることによって増加する総効用、つまりは「におけるXの限界効用」、そしてY財が1単位多い組み合わせに移ることによって増加する総効用、つまりは「におけるYの限界効用」と定義されるが、この定義に従えば選好場のどの位置に対してもその位置でのXの限界効用及びYの限界効用の値が対応する。

けれどもこれらの限界効用の値というのは大小関係だけを示す序数の差であるから当然のこととして何ら意味を持たない。

それ故先の@式がxとyに関する偏導函数として、を持つからといって、これらを基数的に解釈して「X財の限界効用曲線」だとか「Y財の限界効用の逓減速度がである」だとかいうような議論をしても全く無意味なことである。

ここでの議論は@と全く同義で無差別である効用函数の一つである

がxとyに関するuの偏導函数としてそれぞれ、

 

 

 

を持つことを例示してみることによって最も容易に理解されよう。

結局消費者が或る序数的効用函数を持つという時われわれはその無差別曲線の形状、即ち選好場の各位置における無差別曲線の傾きだけをしか問題にしていないのである。(勿論どの期においても北東方向の無差別曲線ほど効用水準が高くなることが要請されるが)

ところで選好場の或る位置、例えばにおける無差別曲線の傾きは、単位のX財と単位のY財を消費することによって或る満足を得られる消費者がX財、Y財のこの組み合わせからX財1単位を手放し、その代わりとして何単位のY財を入手すれば最初の状態と満足の度合いが変わらないかということを示している。

例えばにおける無差別曲線の傾きが−3であるとすれば、これは単位のX財と単位のY財の組み合わせを消費している消費者にとって、X財1単位を手放しても、その代わりとしてY財3単位を入手すれば最初の状態と満足の度合いが変わらないということを示しているのであるが、これは勿論この消費者にとってX財1単位を手放すことによって失う効用はY財3単位を入手することによって得られる効用に等しい、つまりにおけるXの限界効用はにおけるYの限界効用の3倍である、というのと同義である(勿論これは極限の概念を使用しての話なのであるが。)

序数的効用函数について議論しているのだからにおけるXの限界効用の値が200だとか15であるなどということは無意味である。

におけるXの限界効用が15であるとすればにおけるYの限界効用は5でなければならないということを言っているのである。

前者と後者の比率だけを問題としているのである。つまり前者の後者を「モノサシ」としての大いさが3であると言っているのである。

このように無差別曲線の各位置における傾きは「その位置におけるXの限界効用とYの限界効用の比率」とウラオモテの関係にあるのだがこの関係は先に何度も述べたように、限界効用が序数の差であり無意味なものであるとしても無差別曲線の定義として必ず成立している。

以上の議論は全く同義で無差別な2つの効用関数@、Aについて実際にこの関係を例示してみることによって最も簡単に理解される。

 

 

 

勿論は全く同義で無差別である。

 

さて或る期においてという一組のデータが観測されたとしよう。

この時このデータが経済理論の示す消費者行動の結果だとすれば、即ち消費者が序数的効用函数を持ち彼の効用を極大化するよう行動した結果なのだとすれば次のように言える。

は均衡需要量であり、それ故選好場の位置における無差別曲線の傾きはこの期の所得線の傾き ̄に等しいはずである。それ故先の説明から明らかなようににおけるXの限界効用とにおけるYの限界効用の「比」はに等しいはずである。

つまりにおけるXの限界効用もにおけるYの限界効用も勿論測定出来ないけれども、前者の後者を「モノサシ」にした大きさは測定出来、そのおおきさはである。”

 

全く同様のことがあらゆる期において言える。

 

以上述べたことはすべて約束にすぎないということは明らかであるが現代の消費理論というのはこれだけのことしか言っていないのである。この時われわれがなすべきことはことは実際に不変の選好場が存在するか、または存在すると想定されうるかを検証することである。勿論このためには具体的な効用関数を採用しなければならない。

それ故、消費者は最初に登場した@や@の単調増加函数(以下の説明では簡単のためほとんどAのみを例示することにするが)によって表される無差別曲線を持ち、そして彼の効用を極大化するよう行動するものとしよう。すると実際に観測されるは次のような関係式を満足するはずである。

 

 

 

 

勿論一見して明らかであるようには約分されてと同じものになってしまう、つまり我々はしか観測することが出来ない。それ故消費者が@や@の単調増加函数によって表される選好の序列を実際に持つならなる関係が観測されるはずである。(勿論 においてパラメタ−が一つ多くノーマライズされなくてはならないが、議論の本質とは無関係なのでそれを心得た上、一応そのままにしておくことにする。)

 

さて実際に過去のデータの間になる関係が観測され、それ故パラメタ−の値が既知になったとしよう。すると我々は@や@の単調増加函数によって表される不変の選好場が存在すると考えて差しつかえないと言える。

過去のデータよりパラメタ−の値は既知になったので我々は今期のデータとして実際に観測された式に代入してみよう。すると例えば左辺の分子は100,分母は10と計算されたとしよう。この時X財を単位購入した時のX財の限界効用は100であるとか、Y財を単位購入した時のY財の限界効用は10であるなどといっても意味が無いし、X財の限界効用の逓減速度がいくらであるなどというようなことを言ってもナンセンスである。

何度も述べたようににおけるX財の限界効用とにおけるY財の限界効用の「比」は100対10であると、つまり10対1であるということを意味しているのである。別の言い方をすればにおけるX財の限界効用のにおけるY財の限界効用を「モノサシ」にした大きさは10であることを意味しているのである。

われわれのモデルが妥当なものであり選好場が不変なら、勿論今期の相対価格は10であるはずである。ところで今期の相対価格が10でなかったならどうであろうか。当然ここでの効用関数を前提とする限り選好場が変位、もしくは変形したとの結論を下さざるを得ない。

勿論ここで選好場変位、もしくは変形をシステマティックに導入しえないのなら、消費者が序数的効用函数を持つとか。効用極大化行動をとるとかいうことでさえ無意味なこととなってしまう。

 

さて今期の相対価格が10ではなく、例えば8であったとしよう。この時我々は におけるX財の限界効用とにおけるY財の限界効用の比が前期から今期にかけて10対1より8対1に変わったと言っているわけである。

 

それではにおけるX財の限界効用が小さくなったのであろうか。それともにおけるY財の限界効用が大きくなったのであろうか。それとも前者は大きくなったのだけれどもそれ以上に後者が大きくなったのであろうか。或いは後者は小さくなったけれどもそれ以上に前者が小さくなったのであろうか。

 

この設問に答える前に宇宙空間に一人の男と一つの物体だけしか存在せず、そして前者と後者の比が10対1であるような状況を考えてみることにしょう。次にこの比が8対1に変じたとしよう。

この時この男が「自分自身が小さくなったのか、または物体の方が大きくなったのか、或いは自分は大きくなったのだけれどもそれ以上に物体が大きくなったのか、或いは物体は小さくなったのだけれどもそれ以上に自分が小さくなったのか」のいづれが起こったのかを自問してみたとしよう。

勿論彼はこれに答えることは出来ない。というよりはこのような設問自体が無意味なのであって、これに答えるためにはもう一つ別の物体が存在しなければならない。

(勿論この時ですら絶対的な大きさの変化についていうのは全く無意味であり、この3番目の物体を「モノサシ」として自分と初めの物体の大きさを比率変化の起こる前と後でそれぞれ測ることが出来てはじめて自分が小さくなったのか、或いはその他の可能性のいづれが起こったかに答えることが出来るのである。「モノサシ」との比率だけについて言えるのであり「モノサシ」が大きさを変えたかどうかなどというのは全く無意味である。)

 

ところで@や@の単調増加函数によって表される固定した選好場では現実の資料を説明出来ない時、つまり式の左辺によって示される限界効用の比率が変わったと考えざるを得ない時、辻村江太郎教授がなしたのは式を次の式に変形することであった。そしてこの式こそが彼の「習慣形成仮説」の定式化である。

 

但しここではX財、Y財の過去の購入量の総和、つまり「物的」保有量である。

 

それにしてもこの式は一体どういうつもりで定式化されたのであろうか。

この点に関して辻村教授は先にも述べたように、その著書において「各財の限界効用曲線はそれぞれの財の保有量増加などによって変位をする。」などという説明をしている。しかし式は限界効用曲線などという概念とは一切無縁のものであるのは先に何度も述べた通りである。つまりt期におけるX財単位の限界効用は、t−1期におけるX財単位の限界効用に等しいなどというのは全く無意味である。

 

それ故この説明を数式で表現したのが式だとすれば、この式は基礎理論の理解不足による間違いである。(もっとも選好場不変の時は限界効用曲線という言葉をつかったとしても式そのものが間違いだということにならないのは言うまでもないことである。)

 

また辻村教授は無差別曲線図を用いた説明をもしている。これは数値例を使ったもので、あまり明確なものではないので習慣形成仮説の唯一の定式化である式とをつきあわせて判断すると次のように要約される。

つまり「購入量」の色々な組み合わせに対して選好の序列があると想定する現代の消費理論では現実の資料を説明出来ない時、「消費量」の色々な組み合わせに対して選好の序列があるとすれば統計的適合度が高まるというもので、次のように表される。

 

但しX,YはX財、Y財の購入量ではなく消費量である。

 

辻村教授は消費量を購入量と保有量の和であると定義し、保有量には「たんに洋服何着というような測り方ではなく、古い洋服何着は新しい洋服何着に相当するかということを効用尺度のうえで換算した数量でなければならない。」という但し書きをつけている。

即ち習慣形成を考慮しない時の効用函数を とすれば習慣形成を考慮する時の効用函数は B式、つまり

 

 

となる。(但しは上の但し書きのついたX財、Y財の保有量である)

 

しかしは直接測定出来ないから測定可能な変数で置き換えてやらねば式は無意味である。辻村教授のなしたのは彼の説明と式なる定式化より判断すれば式を次式に置き換えることである。

 

勿論これは購入量を座標として描かれる無差別曲線が或る期から次の期にかけて各財の「物的」保有量、つまり過去の購入量の総和の増加分をそれぞれ何倍かした大いさだけそれぞれの財の購入量を示す座標に平行に変位するということに過ぎない。

辻村教授はこれに異論のあるはずもないであろうし、それどころか次のように主張するのではないかと想像される。

式は序数的効用函数であり、無差別曲線の形状そのものを変位させるのであり、効用の高さ、または効用の差は全く問題にしていない。

 

事実 の任意の単調増加函数 は勿論 と全く同義なのであるが、これに変位を導入すれば

 

となり、均衡条件はのものと同じものになってしまう。。」

(勿論 が効用函数@である時は、この均衡条件は式のことである。)

しかしながらt−1期からt期にかけて、例えばX財の「物的」保有量がだけ増加したからといって無差別曲線をx軸に平行にαだけ変位させるのは何を表現するためであろうか。或いはどういう論理に基づくのであろうか。当然辻村教授の答えは次のようなものであろう。

 

つまり効用関数@においてxに関するuの偏導函数はyを含まずxの一次式になるから上に述べた選好場変位によってxに関するuの偏導函数の値はt−1期からt期にかけて「選好場のあらゆる位置において」同じ値だけ、つまりだけ減少する。それ故X財に対する購買意欲は低下する。。。

勿論これは効用を基数として解釈して初めて言えることであり、限界効用曲線の変位というのと同じことである。それ故全く無意味である。

効用関数@と全く同義の効用関数Aでは、この同じ選好場変位によってxに関するuの偏導函数の値は選好場の位置によって全く異なった変化をしたことになる。このような事情とは無関係に「物的」保有量の一定倍づつ無差別曲線が変位するというのは奇怪なことと言えよう。つまりαには何ら意味をつけることが出来ないのである。(勿論こうした議論も基数的な言い方をしていることになるわけであるが。。)

効用を序数として考えねばならないということを強調するために、効用関数 を考えれば、の偏導函数がいわゆる独立財の形式であったとしても、また基数的に解釈したとしてもこのような選好場変位には「ヘリクツ」でさえもつけることが出来ないであろう。但しtは例えば1,2,3...のように時間とともに変化する正の整数である。

「保有量はたんに洋服何着というような測り方ではなく、古い洋服何着は新しい洋服何着に相当するかということを効用尺度のうえで換算した数量でなければならない」などという但し書きでもわかるように最初からいわゆる独立財の形式の限界効用曲線を前提としているわけである。

 

さて今までは辻村教授による習慣形成仮説の定式化を「購入量を座標として描かれる無差別曲線の変位」という観点より見て仮説たりえないという結論を導き出したが、これを「消費量の色々な組み合わせの間に不変の選好の序列がある」という最初の観点から再度検討してみることにしよう。

式は消費量を座標として選好場を規定し、消費量を購入量と保有量の和であると定義しているのだが、式を見れば明らかなように保有量とはのことに過ぎない。それ故上で定義された消費量を座標とするということはの値が例えば40であり、 の値が例えば50であるとすればt期にX財を単位購入するのはt−1期にX財を +10単位購入するのと全く同じことである、つまり両者は等しいというのと同義である。それでは何が等しいのであろうか。勿論何も等しいとは言えない。

馬の頭数に4をかけた数と鹿の頭数とを足した数、これを今「馬鹿(うましか)」と名付けよう。すると「馬鹿」の値、例えば14などというのは「馬の荷車を引く力は鹿のそれの4倍であり馬1頭は荷車を引く力で換算されれば鹿4頭に等しい。それ故馬3頭と鹿2頭の組み合わせは馬1頭と鹿10頭の組み合わせと等しい….」などというようなことを言っている時以外は一切無意味であるが、これと同様に式で定義された「消費量」なるものは全く無意味である。

辻村教授の習慣形成仮説が仮説たりえないのは、この無意味な「消費量」を座標として選好場を規定しているからである。牧 厚志教授に対しても同じことが言えます。

それ故「は序数的効用関数であり、これの任意の単調増加函数と全くの同義であるのだが、いづれの均衡条件も式の均衡条件と全く同義で同等なのだから式の均衡条件だけをデータフィットするかどうかを検べ、同時にそのパラメターの値を推定すれば良いのだ」などと言ったとしても無意味なのである。

以上で論証は終わりである。しかし1971年に東京は三田の慶応義塾大学商学部長室で行われた、いわゆる「話し合いの場」で筆者に対して直接なされた辻村教授の反論をも掲げておかねば片手落ちであるし、また二度手間でもあろう。

その時の反論とは「式は選好パラメタ−が「物的保有量の増加などによって変位するということを表しているだけである」というものである。そして効用関数@と全く同義で無差別である効用関数Aについても全く同じことで「均衡式は式の分母分子のをそれぞれで置き換えたもの、即ち

 

 

である」ということである。

それでは式を式に、式を式に修正したのはどういう論理に基づくのであろうか。

これに対する辻村教授の答えは「それは論理ではない。実証科学の手続きとしてadjustment factorを入れる時は先ず一番簡単なやり方で入れるというのが定石であり、式や式そのものを習慣形成と呼んでいるだけの話である」というものである。

以上の答えから判断すれば、辻村教授の習慣形成仮説なるものは彼の著書にある限界効用曲線の変位とか無差別曲線の変位などとは全く別のものであり、結局次のような効用関数を消費者が持ち、効用を極大化するように行動するものと考えれば@式やA式よりもデータをより高い近似度で説明出来るというだけの話である。

 

 

C式やD式が@式やA式と異なるのはの変化によって選好の序列が変化することである。さて今効用関数Cについて話をしよう。

t−1期からt期にかけてのX財、Y財の「物的」保有量の増加分をとすればt期の選好場の或る位置に対応する総効用の値はt−1期の選好場の同じ位置に対応する総効用の値に

を加えた値に等しくなっている。

勿論t期というのは任意の期のことであるし、も任意の位置のことである。たとえの数値や符号に何ら意味をつけることが出来ないとしても「物的」保有量の増加に伴って選好場の各位置における総効用の値がこのように変化すると言えなければC式や式は無意味である。

勿論こんなことは言えるわけはない。序数というのは「定義」によって足し算など出来ない。

D式もまた全く同様に序数に足し算をしているから無意味である。また一見して明らかなように、D式の総効用は序数に足し算をして出来る全く無意味なC式の総効用を2乗したものであるから、C式と大小関係は同じであってもC式と同様全く無意味である、という言い方も出来る。

以上いかなる観点より見ても辻村教授の「習慣形成仮説」なるものは最初から仮説たりえない、つまり0点である。

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