見たり聴いたり:
見沼くらしっく館 企画展示 「幕末体験見るさわる」
平成15年10月15日〜11月16日

 寒い夏のあとの暑い秋を、なんとかなだめてちょっとひと息入れたいところですが、見沼くらしっく館には「休み」という文字がありません。10月15日から11月16日の約ひと月を充てた企画展示で「幕末体験見るさわる」というタイトルがなんともすごいです。通常の展示会というものは見るのはいいけど触るのは無しです。貴重な資料や文献も「触れる」のはいかめしい学芸委員だけ、素人は見るだけという展示の掟を破って「触らせちゃう」、これだけでも凄いのですが、開催期間中の10月19日(日)には宮内正勝先生の特別講義までありました。まさに「見たり聴いたり触ったり」で文字通りの幕末体験をしてきました。今回はその突撃レポートです。

 いきなりですが「あなたは江戸幕府がおこなった欧米列強との通商開始-開国政策-を支持しますか?それともあくまで攘夷運動を進めたほうが国益に叶うと思いますか」、事前にいただいたチラシにはこんな匕首(あいくち)を胸につきつけるような緊急アンケートに続いて「と、まあそんな風雲急をつげる幕末の渦中にひきこまれそうな実物を並べた『幕末展』へ是非お出かけください!」、と結ばれています。時あたかも江戸開府400年、何かと江戸関係の話題が多い今年ですが、江戸時代を考える上で幕末の様相を知ることは大きなヒントとなりそうです。
 そんな期待を胸に特別講義に集まったのは50歳代を中心とした熟年の生徒たち、夫婦連れも目立ちます。宮内先生の名講義から印象に残った話題を再現してみます。

宮内先生の講義より:

 え〜、近頃は何かと騒々しいですが、つい最近もテレビの話題で有栖川宮を騙った偽結婚披露宴で高いご祝儀を騙し取られたなんてえのがありました。有栖川宮は幕末の公武合体で十四代将軍徳川家茂に嫁いだ皇女和宮の元婚約者で後に官軍の大総督になった皇族ですが、その宮家は1913年に途絶えています。それが今頃亡霊のように登場してきたというのも一般の無知に付け込んだ悪質な出来事でした。それはさておき、幕末という時代は今の日本につながる身近な江戸です。こちらの見沼くらしっく館になっている旧坂東家の住宅が出来たのも幕末、安政4年の大地震で壊れた屋敷を立て直したものです。

 多摩川から埼玉県の荒川に移動したアザラシの「たまちゃん」は人気者ですが、安政2年に発行された「利根川図誌」という書物によれば幕末の銚子にはアザラシがたくさんいたといいます。 ところで、身近な幕末ということでちょっと電話帳をめくってみますと、さいたま市には左衛門三郎という珍しい五文字苗字が見られます。苗字にもその家その家の歴史が刻まれています。

 江戸も幕末になると幕府を批判するアングラ出版がさかんに行なわれていました。その例として旧暦の大の月、小の月を知らせる大小暦(だいしょうこよみ)にかこつけた「あてこすり」を見てみましょう。ひとつは元治元年(1864年)の大小暦で、「大いによろこびて、霜までの五九ろう七さる薩長土、おさまる三代八きのえ子の年」「小国義士正意極、伐異人是譽二本、六十四州太平初」と書いてあります。前の部分は「大」から始まっていますから大の月で、その中に11月(霜月)、五月、九月、七月、三月、八月が入っています。後の部分は漢詩ですが、「小国の義士、正に意を極めて、異人をうつ、これ日本のほまれ、六十四州に太平を初む」と読める中に小の月として正月、12月(極月)、二月、六月、十月、四月が示されています。内容は既にお分かりのように、薩摩、長州、土佐を讃え、西国諸藩の攘夷を讃えています。元治元年の前年文久三年(1863年)は五月に長州藩が下関で外国船を砲撃し、七月には薩英戦争が起こっています。そういう時代背景とともにこれを読むとなかなか意味深いものです。
 
 お配りした資料の左上に幕末の狂歌を集めてみました。みな面白いのですが、その中のいくつかを読んでみましょう。

 「それ三鷹あまり倹約茄子ゆへに 三国一の不二の物入り」  一富士二鷹三茄子(なすび)?
 「アメリカが来て金玉が釣り上り オロシヤ又来て又釣上る」  ちょっと品がないですか。
 「三千里はしりつめたる蒸気船 十万億土へ走る大将」  なかなか辛辣(しんらつ)ですね。
 「具足より利息にこまる我われは すねあてよりもお手当てを待つ」 当時の武士の本音です。

こんなところにも、幕末の空気がよく出ていますね。


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 今度は判じ物の野馬台詩(やまとうた=やぼってい詩)です。漢字の組を読むのは右上から左下、左上から右下、右から左、上から下の順に読んでいきます。上の3つは次のように読むことができます。
 (1) 「異国船 東国に来る 一国衰えて 乱国に成る」
 (2) 「異船来る 合船(ごうせん)初め 軍船無く 所船(所詮)負け」 
 (3) 「法度(法図:はっと)無く 差図(さしず)違えて 寝ず(図)に居る 心遣い(図海)」
これらは、ペリーが来航したときのものです。ちなみに「合船」というのは複数の船のことです

 それではこの辺で皆さんに江戸時代の古文書を手にとって眺めてもらいましょう。これは江戸時代の農民が税を納めたときの証明書です。「覚え」とかいてあるのが領収の意味です。「永」という文字の下に金高が書いてあるのは今の「金」何円と同じです。何故「永」の字が使われているか、これは戦国時代までさかんに使われた明の「永楽通宝」の名残です。「高」と書いてあるのもありますね。「高」はお米の石高を表しています。江戸時代にはこのようにと取引の記録を残した書付がたくさんあります。

 次は手紙の束からいくつか眺めてください。江戸時代の手紙には「幸便」(こうびん)と「飛脚便」の二種類がありました。幸便というのは、だれか近くへ行く人に託した手紙です。飛脚便は文字通り飛脚屋に預けた手紙であることがわかります。手紙の類はこの館内の展示にもありますから、このあとゆっくりとご覧ください。

        

 さて、幕末に活躍をした人もさまざまですが、ここに掛かっている掛軸、左側はあの越後長岡藩の河井継之助の書です。ご存知、司馬遼太郎の「峠」の主人公として描かれているので、お読みになった方も多いでしょう。それからこちら右側は信州松代藩出身の佐久間象山の書、これも本物ですから相当な「お宝」です。今回の展示にはこのほかにも水戸学の重鎮、藤田東湖の漢詩の掛軸も床の間に掛けられていますからよおく見てください。
 
 幕末から維新の悲喜劇はたくさんあります。赤報隊もそのひとつでしょうね。展示物の中に明治の直前、慶応4年正月に東山道鎮撫総督が出した高札があります。鳥羽伏見の戦が終わった直後、二月の初めには明治と名が変る前のほんの僅かな合間に出された大変珍しいものです。当時まだ徳川支配の根強かった東山道方面へ官軍が攻めあがる前に先ぽうとして一部隊がご一新の世の中を宣伝して行ったのです。その親分が相楽総三で、天皇に忠誠を尽くすという意味で赤報隊と名乗りました。この高札に書かれているように「天皇の世になれば年貢は今までの半分になる」などというできもしないことを宣伝をして歩かされて、挙句にはニセ官軍の汚名を着せられて殺されてしまいます。ここに残っている高札の立てられた場所は滋賀県から岐阜県のあたりですから、赤報隊がまだ張り切っていたころだと思います。

 幕末から明治維新に入って廃藩置県が行なわれて登場した大宮県浦和県熊谷県の文書や慶応四年の鎮将府日誌鎮台日誌、明治元年の太政官日誌、幕末の尊攘思想運動に多大な影響を与えた会沢安著の新論、攘夷の非を説き開国をさとした高野長英の名著夢物語写本や大政奉還後の徳川慶喜の恭順の様子を伝える政情記録、珍しいものとしてはペリー来航時の通詞、堀達之助の著した日本最初の英和辞書英和対訳袖珍辞書(木版刷りで傷みは激しいが一丁の落丁もない)など、たくさん展示してあります。


 政治向きのことはこの辺にして、もう少し庶民の側から作られた面白いものを見ておきましょう。



 ここにあるのは女出世双六、幕末よりは少し古いものですがなかなかよく出来ています。上がりは万幅らくいん居となっていて千両箱が山積みされています。この時代の価値観というのか、おめかけが上から2番目、御中(ちゅうろう)と同格になっています。おはり(お針娘)、かみゆい(髪結い)、こと(琴の師匠)など女性の職業もいろいろあります。一番低い方にやりて(遣り手婆)やよたか(夜鷹)とならんでおさんどんはちょっとかわいそうです。その上のランクには子守おてんば娘、もう一段上には花よめ、としゅうとめが並んでいるなど、いろいろ興味が尽きません。

 

 それからこちらはおもちゃ絵という、やはり幕末のものです。絵に添えられた詞書きがしりとりになっています。読んでみましょうか。「当時流行だんぶくろ、ふく禄神は頭が長い、永井兵助居あい抜き、抜き差しするのは煙管筒、筒っぽ仕立てがはやります、ますます増える唐物屋、やがて諸色も安くなる、鳴海しぼりのはで姿、姿よいのは柳ごし、腰の曲がるは飾り海老、海老で鯛をつりあげる、揚げた饅頭たんとある、歩く渡世は町飛脚、口も八丁手も八丁、蝶々とまれや木の葉にとまれ、礼者の来るのはお正月」と、これはさらに二枚目に続きます。こういうものを子供が駄菓子屋で買ってくると、おじいさんやおばあさん、ときには子守のあねさんが読んで聞かせてやるうちに自然とことわざを覚え、世間がわかるようになる、立派な教育玩具です。



 つぎは擬制引札といいまして、お芝居の引札(広告用ちらし)になぞらえて、時世の風刺を行なっているものです。添えられた「百計も万策も尽きゃ普通(ただ)の人」という川柳でお判りだと思いますがこの引札は徳川慶喜の江戸退去を皮肉っています。「群名珍宝運辺鄙」(みなにもつはこぶかたざと)と芝居の題名に似せたタイトルの上は「お好みゆへに取りあえず 庭の葎(むぐら)も刈りすてて 問う人もなき片里も お江戸に増さる賑わいは 老いと児(わかき)の立退き所」と芝居科白(せりふ)の七五調です。「一犬の虚万犬の実」というのは徳川の没落ですべての国民が仕合せになるというような意味でしょう。さらに下の段には役人替名と銘打って維新でよくなる人おちぶれる人の様相を面白可笑しく書いてあります。左下の枠外には「村も山も安心正銘」と徳川の世が終わって日本中が安全になったという薩長への提灯持ちです。

 館内には長崎絵と呼ばれる長崎の異人、唐人の風俗を描いたお土産用の絵も展示されています。また西洋人の姿や風俗を紹介する江戸のかわら版には「フランスもロシアも来た来たいそがしさ」という一句が添えられています。この時代ロシアのことは「亞露西亞(おろしゃ)」と呼んでいましたから、「ロシアをば亞露西亞(おろしゃ)と呼べば恐ろしや」なんてえ駄句も出来ようというものです。



 これまでにも一部ご紹介したように、今回の展示品にはそれぞれの展示資料が何をどのような姿勢でアピールしているかを一読直感でき、より深い観察の動機付けとなりますよう、歴史川柳タッチ五七五調のリードキャプションを添えましたので、併せてお楽しみください。
なお、ここでお話ししたことの背景として幕末のおもな出来事を簡単な年表にまとめましたので、参考にご覧ください。


あとがき
 今回、関連するさまざまな資料を実際に手にとって眺め、その中に浸ってみると、江戸時代ことに幕末は実に文物が豊富であり、人情が活発に行き交っていた時代であったことがよくわかりました。まさに幕末体験、「見て聞いてさわって」、日本の近代の基盤になったこの時代の人々の息遣いを身近に感じた心地して、秋の日の釣瓶落としに急き立てられながら旧坂東家住宅見沼くらしっく館を後にしました。

平成15年11月15日  稲林 記
(見学日:10月19日 11月15日)