見たり聴いたり:
見沼くらしっく館「目で見る仏像大百科」追輔版
仏像が描かれた掛軸の展示と仏像についての解説講座(平成17年9月17日)
後日の追加取材レポート

 既に速報版でご報告したしました9月の見沼くらしっく館「目で見る仏像大百科」。あとがきで記しましたように当日、お話を聴きながら写真が思うように撮れなかったことを講師の宮内先生にお伝えしたところ、快く再度の取材を許していただきましたので、10月半ばの日曜日にお訪ねして2時間ほどじっくりとお話を伺い、写真も追加撮影して参りましたので、それを「追補版」として掲載させていただきます。

1.「観音様のお髭」
 先日のお話で一番初めに見せていただいたのがこの白衣(びゃくえ)観音坐像です。改めて掛軸を展観していただき、正面から写真を撮りました。白衣は在家の観音菩薩であるという説明をご紹介しましたが、われわれ庶民の傍まで近寄って救いの手を差延べてくれるという有難さを白衣の清々しいお姿の中に感じることができました。

 ところで、観音様のお顔を間近く寄って拝見すると、お口の上に左右2本、唇の下に1本、うっすらと「お髭」を生やしておられます。さっそく宮内先生に伺いますと、観世音菩薩はもともと男性でも女性でもない、性を超越したものなのだそうです。私どもは観音様の慈愛あふれるお姿についつい女性をイメージしてしまいますが、優しさだけではなく衆生を救う力強さも備えているところから、髭を生やした観音様は珍しくないとのこと。この日見せていただいた写真集の中には、瀬戸内寂聴さんが住職をされている岩手県の天台寺にある素朴な木像の観世音菩薩が掲載されており、ちょうど右の拡大写真と同様のお髭が描き込まれているのが確認できました。髭といってもいろいろありますが、カイザー髭や水戸黄門の髭のような派手なものではなく観音様のお髭は控えめで、それでいてとても品のあるものとお見受けしました。

 これからはいろいろなところで観世音菩薩を拝むときには髭の有無と、その形を確かめるのがくせになりそうな、大変興味深いお話でした。


2.「絵文字曼荼羅の世界」
 次に見せていただいたのは、「南無阿弥陀仏」の六字の名号を輪郭に沢山の仏様を書き込んだ「絵文字曼荼羅」です。先日の講義のときには回覧された掛軸の一部分しか写真に収めることができなかったので、今回は全体と部分をじっくりと拝見しました。左の全体写真では辛うじて南無阿弥陀仏の文字の輪郭が分かるだけですが、これは大変興味深い掛軸であることが分かりました。

 各部分の写真は下にまとめて掲載しましたが、もっと大きくしたものをご覧になりたい方はそれぞれの写真をクリックしてみてください。

 @の部分には次のようなことが書かれています
 
  念仏千声この一圏(ケン)を埋む
  圏(ホシ)を埋め終れば則ち百万遍と成る 

  
  さらに、
阿の字には十万三世一切の諸仏を納めたもう
弥の字には十万三世の諸菩薩を納めたもう
陀の字には八萬諸聖教と申す一切経典を納めたもう


  
と、記されています。つまり、念仏を千回称えるごとに、写真@の左右にぎっしり配列されている小さな丸を塗りつぶしていくと百万遍のお念仏ができますよ、ということです。面白いですね。その後には「阿」、「弥」、「陀」の文字の中に描かれているものを説明しています。      
@掛軸の天の部分に書かれた百万遍趣旨A六字の冒頭「南」の中の諸仏諸
B六字の二番目「無」の中の仏様C六字の最後「佛」の字には地獄も描かれて・


なお、この掛軸の脚部には「勝尾山上専修行者真阿校訂和解 殿村茂斎施資 弘化丁未秋八月也」と記されていますから、殿村茂斎というひとが出資して、江戸時代の後半弘化四年(1847年)に刷られて配布されたことが分かります。


3.「山越の観世音菩薩と蓮の台(うてな)」
 亡くなる方を西方極楽浄土に迎えとってくれる阿弥陀信仰の中で広まった阿弥陀三尊像は阿弥陀如来を中央に、左に勢至菩薩、右に観世音菩薩を脇持とする三幅一対の掛軸となることが多いということです。中でも、「山越」の三尊像は西方の山の彼方から、今まさに亡くなる方を迎えに現れた瞬間を描いた絵柄です。先日の展観で披露されたのはその阿弥陀三尊像の中の一幅で観世音菩薩が亡くなった方を載せて極楽へ運ぶための蓮の台(うてな)を持っているお姿でした。

 左の写真では「蓮の台」が分かり難いかも知れませんので、その部分を拡大したものを見ていただきたいと思います。

こちらで見ますと「蓮の台」がよく分かると思います。昔は想いを遂げられない男女が「蓮のうてなで世帯を持とう」などと言い交わす場面がお芝居などでもよく出てきますが、そういわれてみると右の絵の観音様がささげている蓮のうてなは住み心地が良さそうだなどと茶化してはいけません。落語になるとさらにくだけて「蓮のうてなが空いてなかったら、芋のうてなでもいいや」なんて・・それはみなこういう絵像で日頃から見て馴染んでいればこそだと、妙な感心の仕方ですが、この掛軸の観音様は岩絵の具で丁寧に描かれたものです。時代は江戸の早い時期と伺いました。


4.「六界図の世界」
 庶民に幅広く仏像が行き渡るためには、手描きの絵像では限りがありますので、木版画による大量生産が行われました。先日の説明にもありました。版彩色(ばんざいしき)と呼ばれるものですが、中にはこの六界図のように墨刷りの絵像をいただいた人が自分で彩色したと思われるものがあります。

 六界は「六道」ともいい、衆生がおもむく六つの世界、すなわち「地獄」「畜生」「餓鬼」「阿修羅」「人」「天」をいうのだそうです。人間はその因果に応じてこの六道を輪廻(りんね)するといわれます。六道図はそのような苦難を知らせ、楽天に生きるように諭したものです。

 この六界図では中央に地蔵菩薩が描かれ、お地蔵さんの真上が「天」、その左が「人」、右が争いの耐えない「修羅」の世界、真下は「地獄」で左下に「畜生」、右下に「餓鬼」の世界が描かれています。

 六界図をもっとよく眺めてみたい方のために拡大図を用意しましたので、ご覧になりたい方は写真をクリックしてみてください。

 ところで、地蔵菩薩の別名を「六道能化(ろくどうのうげ)」というそうです。芝居の菅原伝授手習鑑「寺子屋」の段切れには菅原道真の一子、管秀才の身代わりになった息子を松王丸夫婦が弔う「いろは送り」という一節がありますが、「六道能化の弟子になり賽の河原で砂手本、いろは書く子をあへなくも、ちりぬる命是非もなや・・・」と続き、観客のあわれを誘います。


5.「十三仏の世界」
 亡くなった方の初七日から三十三回忌までを供養するといわれる十三仏は、もともと冥界にあって死者の罪業を裁判する10人の王、つまり十王から発展したものといわれています。十王の真ん中、五番目がおなじみの閻魔大王です。やがて十王にそれぞれの本地仏を配し、十三仏が成立したそうです。十三仏と忌日十王の関係は次の表のようになっています。

不動明王初七日 秦広王 観世音菩薩百ケ日平等王
釈迦如来二七日初江王勢至菩薩一周忌都市王
文殊菩薩三七日宋帝王阿弥陀如来三回忌五道転輪王
普賢菩薩四七日五官王シュク如来七回忌蓮上王
地蔵菩薩五七日閻魔王大日如来十三年抜苦王
弥勒菩薩六七日変成王虚空蔵菩薩三十三年慈恩王
薬師如来七七日太山王



 これを絵に表したものが先日、坂東家で見せていただいた「十三仏」の掛軸でした。これをもう一度ながめてみましょう。これも拡大図をご覧いただけるようになっていますので、左の絵をクリックしてみてください。

 見慣れたお姿ですぐ分かるのは右中段のお地蔵様(地蔵菩薩)とその下のお不動様(不動明王)です。真ん中に金色で描かれているのは五体の如来様で、真ん中は大日如来でしょうか。さらに六体の菩薩像が配されて十三仏が構成されています。

 お地蔵様のいらっしゃるあたりを少し大きくしてみましたので、あわせてご覧ください。
 
 こういう掛軸を眺めてこころの安心を得ていたと思われる昔のひとびとの暮らしはいまよりも穏やかなものであったかも知れません。


6.「北辰の妙見様には北斗七星」
 先日のお話の中で「北斗七星」の信仰と結びついたものとして紹介された「妙見菩薩」の掛軸を今回は写真に撮ることが出来ました。

 右の掛軸の上の部分には明らかな北斗七星が描かれています。

 北極星を別名「北辰」といいますが、大昔から北の方位を知る重要な星として人間の暮らしに役立ってきた北辰北斗に対する信仰は日本でも大変盛んであったとのこと、仏教では妙見菩薩として国を守るご利益があると説かれていたそうです。

 日本の神道でもこの北辰北斗信仰を取り入れており、北辰社、妙見社と呼ばれる社(やしろ)が各地にできたのだと聞きました。

 日本では仏教と神道が習合した時代が長かったこともあって、妙見様はお寺と神社の両方にまつられています。


7.「滝上不動尊の怒り」
 滝の上に現れた滝上不動のお姿も写真に撮らせていただきました。お不動様は明王の部に属していますが、数ある明王の中でも目にする機会がいちばん多いのが不動明王でしょう。機嫌のよいお顔をした仏様が多い中で、お不動様はどうして怒っているのかと考えたことがありますか。邪悪な悪魔から人びとを守るのがお役目なので、憤怒の表情と力強い肉体をかたどっているのだそうです。この滝上不動は滝の上に立ってぐっと悪をにらみつけているお姿が印象的です。これも拡大でご覧いただけます。

 足もとに二体の童子が描かれています。これはコンガラ童子とセイタカ童子の像です。不動明王の眷属(けんぞく)、つまりご家来のように付き従うものとして八大童子が知られていますが、中でもこのお二人?はお不動様の脇持として描かれることが多いのだそうです。

 どっちがコンガラで、どっちがセイタカか分かりますか。背の高いほうがセイタカだなんて、そんなコンガラかったことを言っては叱られます。宮内先生のご説明では右の女の子のようなお姿がコンガラ童子で左の剣を持ったお姿がセイタカ童子だそうです。


8.「福を招く弁財天」
 七福神でおなじみの弁天様ですが、もとはインドの河の神で、水神・農業神として拝まれたのだそうです。弁天さまの祠(ほこら)が池や河のほとりに多いのはそのためです。やがて智慧の神と結ばれて音楽・言語の神とされ、もともとは弁才天と書かれていたのが鎌倉時代以降は弁財天と表記されて衣食住や財宝をもたらす幸福の神となりました。

 この掛軸の弁天様はなんともふくよかでいかにも豊かな福を授けてもらえそうです。頭上には日月が照らしており、足元には水が湛えられているのも上の弁財天由来と符合しています。水辺にはお米の俵を積んだ舟と荷車が描かれています。

 弁才天のお姿は本来八本の腕を持った八臂で、弓矢、刀、金剛杵などを持つものだそうで、この絵ではそれがしっかりと描かれています。琵琶を抱えた中国の芸者さんのような弁天様を見慣れた目には一層有難く見えます。

  


9.「聖徳太子十六歳のお姿」
 最後になりますが、これも前回の速報レポートではお見せできなかった聖徳太子十六歳のお姿です。実在の人物で仏像として描かれているのは聖徳太子のほかには役行者小角や最澄、空海、法然、親鸞と続く祖師の方々があります。しかし日本では聖徳太子が仏教のもとを作った功労者として長い間尊敬を集めてきました。

 この絵像の上の部分には次のような言葉が書かれています。


  開演妙法度衆生
  従於西方来衆生
  傳東燈方粟散生
  敬禮救世観世音
 
皆さまのご多幸を祈って、ご紹介を終わります。

備考:本文中の説明には見沼くらしっく館で行われた講座での配布資料のほかに、宮内先生が執筆に加わっておられる「図説・歴史散歩事典」(山川出版社)も参照させていただいたことをお断りしておきます。

あとがき
 今回の取材は以前別のところでご紹介したことのある民陶庫「蒼樹」で行われました。蒼樹は宮内先生が自宅の敷地内に別棟で開設されている陶磁器コレクションの展示スペースです。前回の訪問から少し間が空いたので、前には見かけなかった陶器や磁器の展示品が気になりましたが、今回は「仏像」にしぼってお話を伺いながら、その場でじっくり写真を撮らせていただきました。陶磁器も掛軸もともに先生のコレクションですが、昔の人びとが何を大切にしてきたかを想う術としての共通性があることに気が付きました。次回はまたじっくりと器を見せていただきたいと思いながら蒼樹を後にしました。

平成17年11月12日  稲林 記
(見学日:10月16日)