昨年4月に登場した「くらしっく館寄席」が今年は6月に開催されました。 以下に当日の公演記録(データ)とレポートを掲載いたします。 データ: 平成15年6月15日 午前の部/午後の部 さいたま市「見沼くらしっく館」
入り: 午前の部 開演時13人 間もなく18人そのまま終演 午後の部 開演時15人 終演時は25人を超える盛況 ご報告:
今年の「見沼くらしっく寄席」は昨年に比べてどこが変わったか。昨年はぶっつけ本番でした。今年もそれは同じです。埼玉落語会は1962年結成から40年を超える長い歴史の中で、仲間の意思の疎通というものはほぼ完ぺき。「つー」と言えば「かー」と信じており、何をやるのにも大した打ち合わせはしません。「ひとつ準備の打ち合わせを」などというのは大変野暮なこととされています。そうはいいながら、今年いくつかの改良がありました。大事なことですから箇条書きします。 (1)写真でご覧になれるように、座敷右側の障子をはずして楽屋を右奥の納戸に移動したので見た目がゆったりしました。 (2)これも写真で判るように高座に向ってスポットライトを配置して出演者の顔がよく見えるようにしました。 (3)これは写真ではわかりませんが、小型マイクとラジカセで簡易拡声装置を構成して声が後ろまで聞えるようにしました。 これらの改良は誰かが誰かと相談したのではなく、それぞれ別の会員が勝手に工夫したのを仲間が承認するという、会独特の手続きで行われました。中でも、工事現場で拾ってきた大型電球の照明装置を持ち込んだ某氏は絶賛を浴びました。 出演者の顔ぶれは前回よりも少し減りました。それは少し寂しいことですが、この節生きているだけでも、大変幸運なことですから、ちょいと事情があるひとがいても不思議はありません。現に会の重鎮である三優亭半鐘氏は仲良くしていた知り合いが亡くなって、当日が告別式、「葬儀委員長をやりますので」という欠席理由には仲間から尊敬と羨望の視線が注がれたものです。 その半鐘氏の休演で一番打撃を受けたのが、会の主宰者である宮内正勝先生。前日、電話で「前回は『かん亭志ま生』だったけど、ことしは半鐘さんの前に出て『御柄礼亭半死半生』てえことにします」と言っていたのですが・・。この名前、亭の字に「”」が振ってあって「おつかれで・はんしはんしょう」という自分の近況なのだそうです。半鐘氏休演に仕方なく、高座から新しい名前の由来を説明していました。 今回の特筆は色物として初登場の『三崎家ひき松』氏です。筆者の同僚ですが、催しの三日前に会社の帰りに浦和駅ガード下のお好み焼屋で飲みながら、会のことを話してその場でスカウト。実はまだ彼の芸を聴いたことがなかったのですが、去年40万円する三味線に買い換えたという、そのひと言で十分でした。芸名は宮内先生が考えてくれました。「三崎家」はくらしっく館のある見沼のバス停の名から、「ひき松」は三味線を弾くに掛けて、往年の柳家三亀松を連想させる良い名です。二回の高座は作務衣姿で三味線を抱えて、唄は普段の相棒が間に合わなかったとのことで、奥さんが代役、これにも拍手でした。ひとりずつの高座をあれこれ評するのは遠慮しますが、演し物を見ただけで大したものであることが分かるでしょう。去年よりさらに良くなっています。「上手い!」という仲間をほめる声がしばしばかかりました。 あとがき: この報告自体が「あとがき」のようなもので、いまさら付け加えることは無いのですが、家族の協力ということに少し触れたいと思います。午前の部と午後の部の間の1時間足らずの合間に楽屋でお昼を食べるのですが、仲間が持ち寄ったおむすびやパンが主役となりました。すべて家族(早い話が奥さん方)の手になるものです。素人の芸は家族の協力あってこそと改めて感謝しています。こう書いておけば次回はもっと美味しいお昼が楽しめると思いまして・・・。 平成15年6月22日 稲林記
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