発明家リンドバーグ
 



リスクにチャレンジした“発明家”たち

 今、人々は、海外に旅行するのに、当然、飛行機に乗り、当然、地球の引力に逆らって空を飛び、ほぼ安全確実に目的地に到着する。
 しかし、100年前には、海の向こうへ行くのに、鳥のように空を飛んでゆくなどは、とんでもない非常識だった。
 空を飛ぼうとした人はいた。そういう人たちは、鳥そっくりの羽を作り、はばたいて飛ぼうとした。エッフェル塔から飛んだ人もいた。結果は悲惨だった。多くの例は、失敗に終った。大陸から大陸へ、長距離飛ぶなどは空想でしかなかった。
 1903年12月、ライト兄弟が動力飛行機を発明した。ノース・カロライナのキティホークでオービル・ライトを乗せて飛んだ「フライヤー」の翼は、頑丈ではなかったが、少なくとも、鳥の真似をしてバタバタ羽ばたいたりはしなかった。このことは、空を飛ぶのに鳥そっくりの形態や運動を必要とすると思い込んでいた人々にとって、間違いなくブレークスルーといえた。
 ライトの飛行から1/4世紀後の1927年5月、米国の飛行家チャールズ・リンドバーグ(1902〜1974)は、「セントルイス魂」という単発機を操縦し、ただ一人、ニューヨークから33時間半かけて、パリまでの無着陸飛行に成功した。この欧米間の無着陸飛行には、2万5千ドルの賞金がかかっていた。確かにカネは欲しかったかもしれない。しかし、それだけでリンドバーグの行動は語れない。彼の生命を賭けた33時間半であった。
 そのころ、飛行は、命知らずの、非常に危険な行為だった。航空技術は未発達だった。長距離の飛行は困難で、不時着や行方不明が相次いでいた。
 リンドバーグにとって、当然、初めての空路だった。突然現れるエアポケット、乱気流、睡魔や疲労をこらえた無理な操縦、燃料不足、あてにならないナビゲーション、さらに果て知れぬ闇の恐怖と闘うこと33時間余。いつドーバー海峡にキリモミで落ちてもおかしくない単発機のボロボロになった翼の向こうに、リンドバーグが微かに見たパリの灯りが、どれほど明るかったことか。映画「翼よ!あれが巴里の灯だ」(ジェームス・スチュアート主演、監督ビリー・ワイルダー)のファンには、よけいな解説は無用だろう。
 リンドバーグは飛行機を発明したわけではない。ライト兄弟による飛行機というハードウエアの発明があるなら、飛行機から一層優れた可能性を引き出すソフトウエアにも、発明があってよかろう。その発明を、いわゆるビジネスモデル特許調で、「米欧大陸間を航空機によって途中着陸することなく旅客を輸送することを特徴とする旅客ビジネス方法」の発明とよぶのは、70年も先にとっておくとして、リンドバーグが、所定の長距離飛行のリスクを克服した一番手であったことは事実である。
 コマーシャル・ビジネスの経営者は、リスク・チャレンジを自慢したがる。しかし、技術リスクを含めた発明実施の歴史の線上では、しょせん5番手6番手以下の、カネの話にすぎない。飛行機による大陸間の旅行というビジネスのリスクは、リンドバーグと、あと何人かの、2番手、3番手のためにろくに名も知られていない飛行家たちが克服した。(ちなみに、三番手は、アメリア・エアハートという、別のことで有名な女性飛行家だった)。こうした、リンドバーグたちの、命のリスクをかけた“発明”がなければ、ジャンボが太西洋商業航空路を飛ぶ商売も、ずっと遅れていたに違いない。
 現在、例えば巨大ビルの最上階で、アメリカン航空のオーナーが、ソファにふんぞりかえり、クリスマス景気による昨年に倍する利益をIBMマシンがプリントアウトする横で、にやけて見おろすニューヨークの街の灯りも、それなりに明るいかもしれない。だが、成功のための情報がほとんどなかったリンドバーグの見たパリの灯りにはかなわないと思われる。

コロンブスの卵

 実は、リンドバーグは、アレクシス・カレルと共同して人工心臓「カレル・リンドバーグポンプ」を発明した発明家でもあった。カレルは、フランス人医学者で、ノーベル生理医学賞受賞者だった。
 リンドバーグには、心臓病で危険な状態の身内がいた。その人を救うため、彼は、人工心臓の開発に挑んだ。
 リンドバーグは、メカニズムに強かった。アレクシス・カレルの臓器移植や血管縫合の臨床知識に強く助けられ、またロックフェラーの援助もあって、1935年、史上初の人工心臓「カレル・リンドバーグポンプ」を試作した。血液を臓器に還流させるポンプにリンドバーグのメカニズムの知識が生かされた。
 そのころ、人工心臓の開発は、本物の心臓を模倣して、形は心臓そっくりに、動作も鼓動するものが作られた。空を飛びたい人が、当初、鳥を模倣したのと似ていた。研究者たちは、人工心臓とは、患者の心臓を摘出し、それに置き換えて一生使う機械だという考えに捕らわれていた。やがて、心臓は血液を全身に送りさえすればいいことがわかり、連続的に血液を送り出す機械が生れたが、人工心臓を一生使うものという思い込みを、研究者たちはなかなか棄てられなかった。
 初期、人工心臓は、耐久性が不足した。血液が人工の異物に触れ、血栓の固まりができてしまった。ポンプを体内に収めきれず、患者は、体外の動力装置に結ばれ、ベッドから起き上がることもできなかった。体外との接続物から感染症の恐れもあった。多くの課題が研究者たちの前にたちはだかった。
 1969年、多くの課題を一挙に解決するコロンブスの卵が見つかった。それは、人工心臓を、移植心臓が見つかるまでの「時間つなぎ」として使うという、ただそれだけのことであった。たまたま医師が臨床実験のためにした思い付きだったが、一生使う機械という観念にとらわれていた研究者たちにとって、「時間つなぎ」は、諸問題を一挙に解消する大変なブレークスルーとなった。時間つなぎの補助人工心臓は、患者の元の心臓を残して保存するので、本物の心臓の回復を期待することができた。患者の心臓が回復すれば人工の機械は外してしまえばよいから、血栓も感染もない。患者は不自由から解放される。
 このブレークスルーを経て、この年、小型の「時間つなぎ」の人工心臓が、64時間、人間の患者を生かし続けた。
 同じ1969年、アポロ宇宙船が、はじめて月に2人の飛行士を送った。人は、さまざまのリスクを克服し、初めて別の天体にまでも飛行することができたのだ。かって、大西洋を一人で飛んだリンドバーグは、人が宇宙を飛んだニュースを、どんな想いで聴いたことだろう。
 欧米間飛行後、リンドバーグは、米国で起業していたが、いいことばかりは続かなかった。一躍大金持ちになった途端、愛児を誘拐され、殺害されるという不幸に遭った。
 この事件をヒントとして、アガサ・クリスティが、ミステリー作品「オリエント急行殺人事件」で、乗客全員が犯人という前代未聞のトリックを“発明”したのは、余談である。
 アポロの月面着陸から5年後、リンドバーグは波乱の生涯の幕を閉じた。かって彼をNYからパリへ運んだセントルイス魂号は、ライトを乗せたフライヤー号や、宇宙飛行士が月面から持ち帰った“月の石”とともに、いまもスミソニアン博物館に展示されている。人工心臓については、小型軽量化、耐久性、価格など、まだまだ課題がある。

(参考)
http://www.rittai.co.jp/picup2.html
http://www.terumo.co.jp/duraheart/history/



ホムペのトップへエッセイ目次へ