巨大な表
特許庁の公衆閲覧室に、古い書物に挟まれて、大きな表がある。
表は、縦61cm×横118cm、タイトルは「物資戦時統制一覧」とある。折り畳まれ、B6大の袋にカバーされ、「非常時経済法令大集成(続編第1巻)」の付録として、保管されている。先の戦争の初期、国民が生活物資の統制を受けた。その根拠法令を検索するのに便利なように、一覧表にしたものである。
原本は、昭和13年に発刊された。のち戦火をくぐり、さらに60年以上を経たにもかかわらず、色あせも擦り切れもさほどなく、今なお堂々たる表の体裁を保持している。資料保存にあたった人々の努力もさることながら、原作者の執念でもあろうか。
平成4年ごろ、特許庁は、機関誌「特許研究」(発行:発明協会)に、不正競争防止法制定当時の史料として、この巨大な表を分割掲載した。すると、読者から、役にたったという感想やら問い合わせやらがよせられた。閲覧するため、わざわざ特許庁を訪れた人もいた。どんな人のどんな興味をひいたのか。詮索はしないが、興味が持たれた。
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「非常時経済法令大集成(続編第1巻)」は、日本に不正競争防止法が制定され、さらに最初の改正が行われたたのと同じ昭13年に発刊された。といっても、不競法の運用を支えるためではない。むしろ、世の中、競争製品の生産がなく、物を自由に使えない。政府にとっては、如何にして戦地へ供給する物資を確保し、如何にして国民生活を統制するかが最大の命題であり、深刻な物不足の下で、競争秩序の維持のような平和時の命題は、どこかへ吹っ飛んでしまった。
不競法の制定は、日本では、特許法よりずっと遅く、昭和9年(1934年)に最初の法律が制定され、次いで13年に改正された。
参考までに、不正競争防止法は、第2次大戦の後、GHQ(General Headquarters)の勧告があって、昭和25年改正され、さらに幾たびもの改正の経緯をたどって今日にいたっているが、ここで述べる歴史の背景は、まだ、平和に遠い。
戦時体制がますます色濃くなる。日支事変を契機に、帝国議会(第70〜73)は、戦時体制強化と称し、国家総動員法や電力管理法などの非常時経済法令を、軍需資材の供給、輸出新興、国民生活維持、為替相場の堅持、物価騰貴の抑制といった種々の理屈を付け、次々と成立させていった。戦時諸法令は、いずれも国民生活を直接に支配し、しかも従来の知識では理解困難だった。数からして、あまりに多かった。昨今なら、パソコンを使い、インターネットで検索して情報を見つけるところだ。当時は、法令を探すだけで多大の労苦を要した。
日本窒素株式会社本社談話会というところが、戦時諸立法をまとめ、大衆に報らせる企画を立ち上げた。書名を「非常時経済法令大集成」とし、編集チーフには、山本登美雄という人が当たった。
以下は、憶測である。
大政翼賛のご時勢だったが、山本の考えは、国家の施策への協力とは、少し違っていた。法律が、国民生活から離れて数多く作られてゆくことに、山本は危険を感じていた。これら法令は、著しく特異だ。にも拘らず、国による総合的整備と研究とが充分でない。山本はのちに、<続編>第1巻の序文に記入している。「一営利会社の有志社員の発意に俟つべきものではあるまい」と。
書籍の発刊には、“目的”が必要だった。官憲は、ことのほかうるさかった。「目的か。まあ“執務上の便”でいいだろう」
責任者の山本は言った。まさか、不平不満の記録を後世に伝え遺さんが為、とも言えまい。山本は心の中で苦笑した。
社務の傍らの作業になった。非常時経済法令、施行令、細則、外地関係法令等をことごとく集め、編纂し、「非常時経済法令大集成」を昭和13年2月25日に発刊した。同じ昭和13年に改正された不競法は、増補版に収録される。
「非常時経済法令大集成」は8ヶ月足らずの間に8版の増刷を重ねた。さらに精力的な活動を続けた日本窒素談話会は、同じ13年の10月30日、「非常時経済法令大集成(続編第1巻)」も発刊することにした。
シリーズは、前巻と続編を併せ、2000頁を超えていた。仲間たちは、たいへんなエネルギーで、編纂の“プロジェクトX”を進めた。そんな編集メンバーの間に、法令検索が分かり難いという不満が生まれていた。
「表にしよう」と、誰かが提案をした。印刷用紙の統制もあったが、談話会は、算段する途を残していた。もっと困ったのは情報管制であった。その下で集め、整理した貴重なデータだった。
貼りつないだ紙に、表が記入されていった。横軸として統制の対象物品の欄(金属、鉱物、燃料、麻、毛、綿、人絹、スフ、木材パルプ、紙、ゴム、皮革、薬品)が、縦軸として統制の方法欄(輸出入、生産、配給、消費、価格)が設けられた。そして、縦軸と横軸との交差欄に、法令名や注意事項が細かい文字で記入された。経済統制の全貌が、見事なファセット分類(多観点分類)として展開された。たとえば、燃料の配給統制であれば、統制の対象である燃料を横軸から、また統制方法である配給統制を縦軸から探して、それらの交点の欄から、「石炭配給統制規則、臨時措置法」「揮発油及び重油販売取扱規則、臨時措置法」のように法令名と、「転売を禁ず」「購買券に依ることを要す」のような注意事項を見つけるようにした。
注意事項のほとんどは、統制を免除される例外、「御料品」「官庁用品」「軍用品」などであった。
小さな字がびっしりと並んだ。“・・・・許可を要す”“・・・・使用スル事ヲ禁ズ”“例外、軍の注文品・・・・”。活字が、表の枠からこぼれださんばかりに、国民の悲鳴を訴えていた。
「やはり、食料の欄がないのはおかしいか」と気にした者がいた。輸出統制を意識して収集したので、食糧のデータはなかった。実は、すぐ後の1942年、悪名高い食糧管理法が、米の価格安定のためと称して制定され、なんと1995年まで国民の食生活を圧迫することになるが、作成中の表には、まだ入れられなかった。仕方がない。
大きな表であった。
「それにしても、贅沢な表だ。贅沢は敵だそうだが、いいか」
「贅沢は“素”敵だそうじゃないですか」。みんな笑った。
贅沢は“素”敵、というのは、「贅沢は敵」という国策標語に対するパロディであった。街に現れた誰かの落書きだった。
ほかにも、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」という国策標語に対して、工夫の工を消して、「足らぬ足らぬは、夫が足らぬ」とした落書きもあらわれた。戦地に召集され、街には男たちがいなかった。
落書きは、現れれば官憲によってたちまち取り払われ、きびしい捜査を受けた。犯人は、非合法の政党員とは限らない。政治組織とは別の、大衆の手になるものも多かった。真犯人は、なかなか分からなかった。
山本たちが作った巨大な表は、誰も口に出して云わなかったが、国産振興と統制を押し付ける国への、皮肉になっていた。
表は<続編>に付録として添付された。
編纂メンバーの織田淳麿と荻野好直とが、すでに戦地に召集されていた。彼らと発刊をともに祝えないことは、山本にとって、非常に残念であった。かといって、恨みがましいことは言えない。
「多忙と聞く軍隊生活の寸暇、二君が本書を繙(ひもと)く姿を想像するのは喜びの一つである」。
そう山本は<続編>の序文に記入した。
あわただしく、日本は戦争へ進んで行った。戦地で織田と荻野が巨大な表などひろげることができたか、確かめる手だてはない。
(文中敬称略)
(参考)富田徹男編「史料による不正競争防止法制定史」(株)学術選書発行
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