きまぐれパテント・エッセイ
 


審決2号「棺桶」
 


 
 
      エイバック稲葉特許事務所
       弁理士 稲葉慶和
       http://homepage2.nifty.com/inava/
 特許制度が始まった頃の逸話として、特許局への最初の出願は棺桶で、長官の高橋是清が中に入って寝てみたとか、拒絶査定に抗議した発明狂が局長高橋是清を、テーブル7周り半も追い回したとか尾ひれのついた伝説がある。(http://www.jpo.go.jp/seido/rekishi/kore.htm)
 そもそも最初の出願は何だったのか、公開制度がなかったので、出願1号の内容はわからない。余談だが、当時の法律(明治18年4月18日太政官布告第7号、明治18年7月1日施行)では、先発明制度だったので最先の出願に特別な意味はない、などという突っ込みはさておいて、最先の発明としても内容はわからない。
 探していたら、棺桶出願の逸話の出所はあった。出願でなく、審判事件の審決。最初の1号でなく、次の2号だった。
 審決2号、出願1414号棺覆附棺の拒絶査定不服事件は、いわゆる査定系(審査官の査定の取消を請求する審判)の審決としては、最も早い。当時、査定系と当事者系は、連続番号を付したらしい。当事者系(特許無効請求)審判事件である審決1号が明治22年7月2日言い渡しであるのに、審決2号は、1号より早い明治22年5月21日に言い渡しされた。審判官は、高橋是清、奥田義人、眞中直道(面白い姓名だ)。
 審決の番号は、言い渡しの順序でなく請求の順に付したようである。慣習的に、審決は判決同様、言い渡し日によって特定されることがあり、審判の種類や言い渡しの順序は、必ずしも審決を特定するキーではなかった。
 なお、審決書の誤植とは思われないが、審決書は公報として複数回発行された形跡があり、審決番号がある発行とない発行がある。したがって、事務処理の都合で、発行後に審決の番号が変更された可能性もある。
 ちなみに、筆者の手元の、第1号審決書と印刷した公報は、「特許31号写真絵及び石版畫の着色法」という専売特許の取消を請求したものである(明治22年7月2日言渡し)。
 さて、審決2号の棺桶であるが、当時の規定で、ひな形の提出を求めることはあったようなので、発明品の実物が特許庁に持ち込まれれば、一応の期間は保管したはずであるが、いまの特許庁に明治の棺桶の痕跡は残っていない。仮に棺桶が持ち込まれたとしても、特許庁は、そういつまでも保管するわけにいかない。実際、この後、関東大震災の被害で多くのものを失っている。
 2号審決書によれば、「出願1414号」は、審査官に拒絶され、審決は審査官の査定を支持した。拒絶された出願1414号は、明治18年の出願が25件、明治19年1384件だったことから、明治19年末から20年にかけての出願と考えられる。出願人は、後の審判請求人と同じとすれば、増田平三郎、竹内定吉、中村子之助、五味新五郎という4名である。逸話にいう、長官室にねじ込んだ者が本当にいたとすれば、上の4名の誰かだと考えるのが自然である。
 発明の内容が棺桶であったことは信用するとして、どんな棺桶であったか明らかでない。棺桶といえば、我々は直方体の白木の箱を思い浮かべるが、そうではなく、カットのような、丸い桶だったかもしれない(カット図は、実用新案登録367852号を借用したもので、出願1414号と関係ありません。)。
 第2号審決書によれば、出願の棺桶の構造は、次の2点を特徴とする。
 第一に、桶の内部に「コールター」を塗り、合わせ目にセメント、漆喰などを目塗りして、遺体が排泄する汚物や流動液による悪臭を防ぐ。
 第二に、布木綿で作った棺桶覆いの前後を切断し、護幕附き「パチン」止め金具によって綴合する。
 これを審査した審査官は、他の桶で「コールター」類を塗った物は公知公用されており、此らから「容易に推考し得べき」であるから「発明と称することを得ず」という。
 非常に興味を引くロジックである。審査官の査定は、当時の特許条例(明治18.7.1施行)
【第四條】左の諸項に触るるものは専売特許を願出ることを得ず
一(略)
二 専売特許願い出以前、公に用いられ、又は公に知られたもの
三(略)
四(略)
を適用したもので、現行法(昭34年法)のいわゆる発明の進歩性欠如ではないが、明治の審査実務に、「容易になし得ること」は特許に値しないという現行法29条2項に似たロジックが既に存在したことがわかる。
 のみならず、審決2号は、次のようにも説示した。すなわち、請求人は、公知公用の「パチン」止め金具を棺桶に応用したところが発明であると主張するけれども、応用を発明というには、応用が新規であるというだけでなく、応用によって新規な効果を生じなければならないところ、「パチン」止め金具は、本来の効用を為しているに過ぎず、発明と称することはできない、と。
 「新規な効果」を"有利な効果"、"顕著な効果"と言い換えれば、同じロジックは、のちに、昭和34年法進歩性に関して、裁判例によって支持され、現行法の進歩性審査基準においても採用されている「引用発明と比較した有利な効果が明細書等の記載から明確に把握される場合には、進歩性の存在を肯定的に推認するのに役立つ事実として、これを参酌する。ここで、引用発明と比較した有利な効果とは、発明を特定するための事項によって奏される効果(特有の効果)のうち、引用発明と比較して有利なものをいう」旨の判断と共通している。
 このことから、審決2号は、発明の新規性から進歩性にわたる判断手法の文章化されたルーツといえるものだった。
 審判長高橋是清、明治22年の頃34歳。奇行の多い人物ではあったが、2・26事件の最中テロの凶刃に倒れるまで、明治ニッポンを建設した功労者の代表だった。そこらのゴロツキに脅されて逃げまわるキャラではない。むしろ、ゴロツキを怒鳴りつけたか、それともからかって、這々の体で逃げ出したのはゴロツキの側ではなかったか。発明品の棺桶に入ってみたとかは、そういう行為があってもおかしくないが、半分冗談だろう。
 さらに余談だが、本文中、「コールター」は、コールタール (coal tar) 、すなわち、コークス製造の際にコークス炉で石炭を乾留して得られる副生成物である黒色の液体(発癌性があると後に判明)である。ただし、石炭でなく石油の生成物で、外見が似ているアスファルト(Asphalt)とよく間違えられた。発明者は、正しく区別できたろうか。アスファルトは、石油に含まれる炭化水素類の中で最も重質のもので、木の防腐剤またはトタン屋根の塗料として使われたが、建材の移り変わりで、使われなくなった。

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