[人創りしもの特許を受く]
 
 類型の中の実施不可能の典型的な例として永久機関は、永久に未完成で特許されません。
 一方、永久機関と違って、将来はともかく、ただ今、出願の時点では特許できない、という拒絶理由もあります。バイオテクノロジー発明の未完成がそうです。
 バイオの発明もまた、特別に「発明の成立性」の審査を受けます。いかなるハイテクも、完成するまでは未完成、実施不可能というわけで。
 バイオテクノロジーには、以前、エコノミスト誌が「21世紀を特徴づける産業」と折り紙をつけました。たしかに、特許の世界で比較的マイナーだったこの分野は、脚光をあび、ハイテクの中のメジャーに押し上げられています。20世紀の技術と経済を推し進めてきた化学と物理学に代わって、21世紀を生物学や新材料科学の時代とする、という主張は、よく見られます。アメリカ、ヨーロッパはもとより、シンガポールやマレーシアも力を入れると宣言しています。
 この種の発明は、国際特許分類では、
・A01H(新規植物またはそれらを得るための処理)
・A01K67/027(新規な脊椎動物),/033(新規な無脊椎動物)
・C12N1/00(微生物),15/00(突然変異または遺伝子工学)
などに分類されます。
 バイオテクのルーツを辿ってみましょう。
 この分野で、真っ先に頭にうかぶのは、なんといっても、メンデル(オーストリア、1822〜1884)の遺伝の法則とダーウイン(英、1809〜1882)の進化論です。
 メンデルですが、えんどう豆の品種改良は11世紀のヨーロッパですでにあったようですね。修道士だったメンデルは、修道院の庭でえんどう豆を自家栽培しながら、1865年、遺伝の法則を発見しました。親のもつ性質 (形質) はある法則にしたがって、子孫に伝えられると。人々は何と30年も相手にしなかったそうで。神様の圧力でしょう。ダーウインの種の起源(1859)は、無神論から出発しましたが、晩年自分から悔いて、神様に近づいています(めでたしめでたし)。
 2人の大先輩から、約100年もときが経って、遺伝子と染色体の関係に最初に気づいたのは、まだ学生だったサットンでした。
 1944年、エイブリーはDNAが遺伝情報を伝えることを発見しました。
 遺伝子の二重らせん構造は、よく挿絵でみますね。この構造、アデニン(A)、シトシン(C)、グアニン(G)、チミン(T)という4つの塩基の膨大な組合せが遺伝子情報をつくることは、ケンブリッジ大学のジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが1953年に発見して、科学雑誌ネイチャーに寄稿しました。短い論文だったようです。
 さて、ソーク研究所のソークは、ヒトゲノムのプロジェクトの必要性を主張しました。ソークは、のち1975年に、がんとがんウイルスの研究でノーベル生理学・医学賞を授与されました。
 1972年、GE社のチャクラバーティ博士がバクテリアを発明します。原油の処理にバクテリアが役に立つことはわかっていましたが、天然のバクテリアは処理が不安定で問題がありました。チャクラバーティ博士が創ったバクテリアは、処理が安定で優れていました。で、特許という手続になります。
 特許に待ったをかけたのが、神様っていうか、宗教観からくる倫理問題でした。生物が特許の対象になるのか?
 米国最高裁は、特許を受けることができるかどうかは、生物か生物でないかで決められるものではない、「太陽の下、およそ人間が創ったもの」は、特許を受けることができる、と判断しました(米国特許4259444、447U.S.303、206USPQ193)。神様は、その後八つ当りでしょうか、ダ・ヴィンチ・コードの「キリストに子がいた」というところにグズグズ言ってます。キリストのDNA、さて、やっかいな問題のようですが(笑ってはいけませんね)。
 しかし、人間は、賢いともいえません。クローン人間や生物兵器など、ロクなモノ創りかねない。ですから、神様のご意見も聴かないと。
 バイオテクが本格的に始まったのは、1973年、ハーバート・ボイヤーとスタンリー・コーエンが、1つの生物のDNAを別の生物のそれと組み合わせた(遺伝子組み換え技術)時とされています。
 昭和52(1977)年、東京の倉方英蔵さんが、黄桃の新品種を出願し、その「増殖法」が特許されます。この特許(特許1459061)については倉方さんは、品種改良に米国産の桃との交配もしていまして、ならば、バイオ情報の交配もしていればよかったのに、という私の余計な感想です。
 1981年、わが日本で、 DNAの塩基配列を読む装置を開発しようという考えが、世界に先だってに提唱されます。東大の和田昭充氏が、特に DNA断片の塩基配列の決定を研究の中心に研究していました。
 このころ、遺伝子工学に関する特許出願は、日本でも急増しました。1985年までに2000件が公開され、1987年には、1000件以上が公開されました。この年出願公告されたジェネンテック社の「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」(特公昭62ー16931)は、28件の異議申立事件ののち、審判で特許されました。この種の技術がいかに注目されたか、おどろかされたものです。
 1987年、先述の和田氏は訪米しまして、日本のヒトゲノム進捗を紹介しました。日本からの情報に、アメリカ政府は強い危機感を抱いたそうです。
 1988〜1989年、ヒトゲノム・プロジェクトの国際協力のためHUGO(ヒューマン・ゲノム機構)がつくられました。議会では、日本製の理化学機器を国家予算で買わないでおこうとか、研究生の受け入れ制限など、くだらないことを議論しています(あーあ)。といって、日本も威張れませんけどね。
 1989年、 NIHの国立ヒトゲノム研究センター責任者になっていたワトソンは、日本に負けるなと、6,000万ドルの予算を取り、翌1990年10月、ヒトゲノムプロジェクトを始めました。
 2000年4月、ベンターはすべてのヒトゲノムの解読が終わったと宣言し、6月26日をヒトゲノム完読記念日としました。
 ヒトゲノム情報や特許を売って金にすることに、ヨーロッパを中心に非難がわき上がります。旧来の考え方では、生物は特許の対象にならない、と言われていたんですね。宗教観ですか。神様はなんでも人間が神様のいうとおりにしないとご機嫌が悪いようで、ガリレオを迫害したり、メンデルが遺伝の法則を発見したときにも、なかなかゆるしませんでした。
 その後、農業の面でみますと、遺伝子組換え作物が1996年に商業栽培されるようになりました。10年後の2005年、大豆やとうもろこし、その他害虫にも除草剤にも耐性(抵抗力)を持つ遺伝子を組み込んだ作物が、米国、アルゼンチン、中国、ブラジル、カナダなど21カ国、850万の農家により、9千万ヘクタールで栽培されています(朝日(夕)2006.2.14)。日本は実験を行ってはいますが、商業栽培はしていません。大規模農業方式との矛盾、除草剤に耐性のある雑草の出現など農業管理面に破綻の心配を残してはいますが、いずれ、日本も採用は必至でしょう。衣食住、医療、なかには犯罪捜査(笑)とか、無限といっていいくらいの可能性を、この産業はもっています。特許技術の役割が期待されます。
 
 
[万能細胞iPSをめぐる競争] 追って補充
 
(参考)
http://smallbiz.nikkeibp.co.jp/nvw/column/newbooks/000612.shtml 
http://smallbiz.nikkeibp.co.jp/nvw/column/newbooks/010226.shtml
http://smallbiz.nikkeibp.co.jp/nvw/column/newbooks/011015.shtml
http://smallbiz.nikkeibp.co.jp/nvw/column/newbooks/010806.shtml