(パテンタブルな人工法則)
数式解法関連発明の特許性について
稲葉慶和
1 パテンタブルな人工法則
2 カーマーカー特許の波紋
3 「理論は共有」か
4 1980年以降の欧米の事情
5 日本における数学的発明等の審査
6 特許される理由
7 保護を求める側の視点を加える
これが自然法則なのか?と考えさせられるような“発明”が、特許の世界にたくさん侵入してきている。
著作権による保護の対象が、表現そのものから“アイデア”の分野に近寄りつつある一方で、それと相呼応するかのように、“自然法則を利用した技術的思想”である発明が、人為的な取り決め、規約、規格、アルゴリズムなどを構成の主要部とするかに見える特許が、とくに米国で、このところ続いて発効し、注目を浴びることが多い。
自然法則でない事項をきっかけとして発明が生まれる現象は、実際のところ、いまに始まったことではない。とりわけ、数式解法、数学的方法に特徴のある発明は、日本でずいぶんとふるくから特許されてきているし、もちろん、現在でも特許されている。
たまたま、新聞や専門誌などでとりあげられたり、権利者がウヲーニングレターをばらまいたりすると、センセーションを巻き起こす。けれども、それらは氷山の一角に過ぎない。特許文献の海には、おそらく無数の数式解法が、隠れているにちがいない。
自然法則を利用すれば発明と言われ、人為的な取り決め事は発明でないと言われる。しかし、われわれは、自然法則と人為的な取り決め事とを、明確に区別しながら利用しているわけではない。自然法則を説明する言語からして、人間が取り決めたものである。そして、その言語の特徴的部分に、しばしば数式が含まれる。
数式それ自体は、人工的な記号論理の形態をとっていても、その人工の記号によって、種々の自然法則を客観的に表現することができる。その限りでは数式は表現の手段にすぎないが、手段はいつでも目的にかわる。たとえば、情報処理のためのハードウエアやソフトウエアにとって、数式は、手段であり、目的でもある。
情報処理技術が高度化するにつれ、数式解法のみならず、コンピュータプログラム、ゲーム、ビジネスの方法、通信プロトコルなどに関連する発明は、今後一層増加するだろう。これは数学公式だから特許になるはずがない、などと独自の解釈で安心していると、他人が表現を変えて特許取得するかもしれない。数式そのものは特許されなくても、ある数式を使う行為に何らかの特許権が及ぶことは、つねにあり得る。
EPCはじめいくつかの国の法律またはプラクティスは、数学的方法をノンパテンタブルとする。しかし、数学的方法の何がノンパテンタブルなのか。また何が数学的方法で、何がそうでないのか。
数学的方法に関連する発明の特許性について、できるならパテンタブルとする方向で、その方法を模索したい。
2 カーマーカー特許の波紋
数学理論が発明かという話題が衝撃的に伝えられたのは、いわゆるカーマーカー法のアメリカ特許(USP4744026,7,8)がきっかけだった。線形計画法によって解を求める過程を著しく高速化するといわれる「効率的資源割り当てのための方法および装置」「システムの動作状態を最適化する方法及び装置」および「システム運用上の各種パラメータを最適化するための方法および装置」の各発明について、AT&T社が米国で取得した特許である。
日本経済(1988.9.5)「テクノ記者の目」欄は、「『数学』に特許!?」の見出しで「特許成立に衝撃を受けた研究者が多い。数学という学問分野に特許権という異質なものが割り込んできたことに憤慨するのは自然な反応」「競争力低下に悩む米国が知的所有権にしがみついて守備を固める結果」「技術の独占は技術の発展を妨げる」と解説した。
記事にみられるように、マスコミや学界有識者の反応は、概ねネガティブにみえる。日経産業(1988.10.5)に“核心”を聞かれたある大学教授は「知的所有権の問題は恐らく新たな発明と、それまでの人類の所産にどう線を引くか、ということだろう。この意味で言えば、今回アカデミックなコミュニティーのコンセンサスから大きく外れていることは確かだ。知識の源として、もちろんAT&Tなどの企業が加わっているのも確かだが、このコミュニティの大きさに比べれば、問題にならない。」「これが数理科学の世界にとって、初めての事件であることは間違いない。私としてはアカデミック・コミュニティーの良識、健全な保守主義を信じる立場だが、これが長い将来にわたってどうなるか、軽々には判断できない。例えば金融投資のモデルや計算式にこうした特許が持ち込まれ、健全な発展が阻まれるとしたら心配だ」と語った。
朝日新聞(1988.9.5夕)の科学欄は、「数学の新解法が『発明』になった」「米国で特許成立」「『理論は共有』の原則逸脱」という大きな見出しの記事とともに、次のようなマンガを掲載した。
小柄な日本人とヨーロッパ人がおそるおそるといった格好で「この方程式どうやって解いたのさ」と尋ねている。AT&T社々員らしい大男のアメリカ人が、後向きのまま「特許だからお金くれなきゃ教えないよ」と答えている。大きな背中の向こうには、方程式の解法を解説した秘密のドキュメントがあるらしい・・・・。
「特許だから教えない」は、正しくない。トレードシークレットなら“教えないよ”でいいが、特許なら“お金くれなきゃ使わせないよ”だろうし、ほかにも正確でないところがある。とはいっても、このマンガは、記事を担当した記者か、取材を受けた“有識者”かはともかく、人々のとまどいを直接的に表現している。
記事の本文は、線形計画法の概要とわが国特許法第2条を紹介し「欧州諸国では、発見、科学理論、数学的方法は発明でないと特許法に明示している」「これが特許に関する国際的な共通原則とされ、米国でも数学公式やアルゴリズムそのものは特許性がないという判断が最高裁の判決で示されている」と、状況(といっても、最近の状況ではないが)を述べ、「数学上の新解法が果して特許になじむかどうか疑問」とコメントしている。
弁護士佐野稔氏による論文「布石打つ米国の知的所有権戦略」(日経コンピュータ、1988.8.29-9.12)は、プログラム等の特許性を、米国が、単に法律問題とするのみならず、知的所有権戦略という政策問題として位置付けた結果であることを強調する。
日経産業1989,2,27「先端技術アンケート」によれば、(カーマーカー法の特許に)「反対(124)」「基本的に賛成(64)」「基礎研究が開発に結びつくなど、科学と技術の境界がはっきりしなくなってきた当然のなりゆき」「コンピュータのソフトウエアが知的所有権保護の対象になるのだから」「科学的知識の発見は万民が共有するもので、権利保護は学問の発展を阻害する(103)」「正しいかどうか学会などではっきりしていない新説や発見を対象にしたら、特許制度が混乱する(41)」「米国にとってのみ都合のよい提案(34)」となっている。
それにしても、カーマーカー特許に対する拒絶反応は、かなり強いようだ。それほどこまったことなのか。
3 「理論は共有」か
カーマーカー特許に否定的な意見で「学問はみんなのものだから個人が特許で独占すべきでない」というものが目立つ。しかし、この認識には、かなりの誤解がある。
かりに、日本で同様な特許が成立したとしても、特許権が試験や研究のための実施に及ばないことは言うまでもない(特69-1)。どんな特許も人間が頭脳をもって思索する行為に対しとやかくいうことはない。
もっとも、どこまでが試験研究で、どこまでが金儲けのための営業かの問題はある。企業家が、試験研究に名を借りて、発明の実施をしようとしたとき、“不自由な”事態が生じることはあり得る。が、それは当然のことだ。特許発明を営業目的のために利用すれば(それで利益をあげようが損をしようが)特許使用料を請求される。だからといって、この日本で、数学の研究に禁止令がでるかのごときばかげた事態が、おこるわけがない。
“学問はみんなのもの”だろうか? 歌はみんなのものだ、とひとが言ったら、情緒的に賛成できる。いや著作権者のものですよなどと反論することもないだろう。
しかし、“学問はみんなのもの”には、素直にうなずけない。
既にみんなが知っていたものや、公然と使っていたもののほとんどは、みんなのものかもしれない。しかし、公知公用の学問なら突然誰かに特許取得され独占されることはない。特許されるとすれば、これまで誰も知らなかったもの、誰かが新たに創作したものでなければならない。
特許の世界にかぎったことではないが、創作されたものは、まずは創作者のものではあっても“みんなのもの”ではない。いかなる創作も、先人の知恵を基礎として成り立つことは当然だが、だからといって、創作者の権利を、大学教授氏(日経産業)いうところの「アカデミックなコミュニティ」と言えども、只取りしてしまうことに、コンセンサスなどあろうとは思えない。
創作者以外のひとは、望むなら、創作者の許可を得るべきだし、許可を得られなければ、それまでのやりかたで、その創作なしにやってゆくのが、ルールというものだろう。
ところで、周囲のさわぎをよそに、当のAT&Tベル研究所知的所有権担当顧問アルフレッド・ハーシュ氏の説明は、いちばんまともである。
「ある発想を利用すること、利用したプロセスを特許化するのは当然のことだ。方程式は特許にならないが、仮にその原理が方程式で書けるものであっても、プロセスや装置の発明は特許化が可能だ。例えば、自転車は特許になる。しかし、自転車が動くメカニズム、歯車の働きは方程式で書き表せる。発明の背後に数学があり、発明を説明するのに数学を使ったとしても、それをもって発明そのものが数学そのもの、あるいはその一部だというのは間違いだ。」(パテント1989.12,P85)。
ただし、AT&T社による問題の特許出願の明細書、とくにそのクレームが、日本の特許法の常識からみて“まとも”かどうかは、別の話であるが。
4 1980年以降の欧米の事情
新聞が解説した、欧米が数学的方法などの特許性にネガティブであったという解説は、1970年代には、その通りだった。EPC(1978)は、第52条(特許可能な発明)で、
(1)ヨーロッパ特許は、産業上利用可能で新 規かつ進歩性を含む発明に対して付与され る。
(2)とくに以下のものは第(1)項の意味に おける発明とはみなされない。
(a)発見、科学的理論および数学的方法
(b)審美的な創作
(c)精神的活動、ゲームまたはビジネスを行うための計画、規則および方法、ならびにコンピュータのためのプログラム
(d)情報の提示
と規定し、英国を除いて、数学的方法などの特許性に対し、否定的であった。
しかし、EPOは、VICOM事件の審決(1986)を境として、プラクティスを肯定的な方向へ変更したと言われている。
VICOM事件(公開5954、出願79 300 903.6/審判T208/84)は、発明の名称を「改良されたディジタル画像処理方法および装置」といい、ディジタルフィルタによる画像処理に関する。有限のインパルス応答特性を持つ2次元フィルタのコンボリューション(畳込み)演算によって、フィルタ作用をさせる。画像データ処理のための計算の数を少なくし、従来の畳込み演算の結果に近似する解を得て、処理の高速化を図っている。一種の数学的方法で、審査部で拒絶されたが、EPO審判部は、この事件に「審査部査定は棄却、審査部差戻し」の審決をした(1986,7,15)。審決は、結論と理由の中で、次のように述べている。
「たとえ発明の背後にあるアイディアが数学的方法にあると考えられうるにしても、その方法を使用する技術的プロセスに向けられているクレームはその数学的方法それ自体の保護を要求するものではない(結論のT)。」
「電気信号の処理を数学用語で記述しうるという点は疑いがない。例えばフィルタの特徴は数式で表わされ得る。しかしながら、計算方法と技術的処理との基本的な相違は、計算方法またはアルゴリズムは、数値上において処理され(この数値が何を表すものであっても)、また数値の形態で結果を与えるものであり、更に計算方法やアルゴリズムはいかに数値を操作するかを指示する抽象的概念であるに過ぎないという点に存する。すなわち、このような方法それ自体によっては、いかなる技術的成果も生じないのである。ところが、これと対象的に数学的方法が技術プロセスに利用されるときは、そのプロセスは物理的な存在物(物体に限らず、電気信号として記憶される画像の場合もありうる)に対して、当該方法を実施する何らかの技術的手段によって行われるのであり、その結果として、当該存在物に一定の変化をもたらす。この技術的手段には、適当なハードウエアからなるコンピュータや適切にプログラムを組み込んだ汎用コンピュータを含めることができる(審決理由の5)。」
「発明の基礎をなす思想が数学的方法内に存する場合でも、当該方法が利用された技術的プロセスに向けられたクレームは、当該数学的方法それ自体について保護を求めているものではない(審決理由の6)。」
(パテント,1987,VOL40,4,P55より抜粋して引用)
VICOM審決は、EPOがはじめて下したコンピュータ関連出願の審決とされる。コンピュータプログラム自体の意味を解釈した点で、EPOの独自性が注目されている。
審決のすこし前の1985年、EPOは、ガイドラインを改正し、その中で「クレームの形式や種類にとらわれず、全体として考えたときクレームされている主題であるものが既知の技術に与える真の寄与を見つけるために、その内容に対して注意を集中すべきである。」と述べた。これは後に挙げる米国ディーア判決の影響と考えられている。
一方、米国も、かっては欧州同様、ベンソン事件判決(1972)などに代表されるように、コンピュータプログラムの特許性を否定してきたが、1981年ディーア判決「クレームは全体として考察されなければならず、新規な構成要素のみ抽出してはならない」以来、特許肯定に転じた。この判決にしたがって、ガイドラインが改められ(1981.10)、以後、この線上に、コンピュータ関連発明の特許やそれをサポートする判例が、次々に生まれた。先のVICOMの出願も、米国では早期に特許されている(USP4330833,1982,5,18)。
ところが、その後、コンピュータプログラム関連発明が数多く特許されるにいたって、審査基準が甘くなったのかとの憶測や、研究開発に影響がでるとの懸念が指摘された。それと並行して、ソフトウエアの著作権による保護との間の調整をはかる意味もあって、USPTOは、最近、新しい基準を発表した。
USPTO新基準(抜粋)
「数学上のアルゴリズム自体は特許性がない」
§101で自然法則として特許の対象とならないと規定しているのは数学上のアルゴリズム自体である。数式を既知の構造やプロセスに適用することは特許の対象となる。
「Two-Partテスト」
第1テストはクレームが直接または間接にアルゴリズムに言及しているか。
第2テストはそのアルゴリズムがいずれかの態様で物理的なエレメント又はプロセスステップに適用できるか。クレームからアルゴリズムを抜き去った残りが特許要件を備えているか(残ったものの新規性・進歩性は問題でない)。
「数学上のアルゴリズムの存在」
数学上のアルゴリズムは数学上の問題の解法手順、計算方法又は数学上の手順一般をいう。科学上の原理、自然法則又は複雑な問題の解決のためのアイデアもしくは思考過程。
人間が発明した数学上のアルゴリズムと、科学上の原理や自然法則の発見を表現する数学上のアルゴリズムとの間に、区別はない。
「アルゴリズムの適用」
数学上のアルゴリズムをとりのぞいた部分が重要でなく又は本質的でない“解決後の活動”(Post-Solution Activity)であると、特許性はない。
「数学上のアルゴリズムが適用される技術分野を限定しても特許性は与えられない。」
「コンピュータプログラム対コンピュータプロセス」
コンピュータプログラムという名称で一連の命令やステップが特許されたとしても、あくまでプロセスの実行手順が特許されたのであって、プログラムやソフトウエア自体が特許されたのではない。
(特許管理1990.1 P91から引用)
5 日本における数学的発明等の審査
欧米が、数学的方法などの特許性にネガティブだったころ、日本の審査がむしろ特許することに肯定的だったことは、強調してもよいと思う。そのことでソフトウエア関連発明に対する認識に先進性の証拠とするするいうわけにはゆかないとしても。
VICOM事件審決が「フィルタの特徴は数式で表わされ得る」と説示するより30年も前、日本にはフィルタの特徴を数式のみで表した特許「帯域濾波回路網」(川上正光他2、特許238233、特公昭32ー6404)が、既にあった。この特許のクレームには、遅延特性の平坦化と信号伝送歪の改善とを両立させる特徴的な数式が記載され、それを除けば、技術的事項がほとんどなくなってしまうほどの、徹底した数式表現である。
さらに例を挙げる。
米国でノンパテンタブルとされた有名なベンソン&タボット出願の日本ファミリーは、「数値情報の変換装置」(特許515699、特公昭42ー21906)として日本で特許されている。BCD(2進化10進数)を2進数に変換する際に、記憶の繰り返しや部分的に変換された情報の回復をしないことにより、プログラムステップ数を減少させた点で、発明成立と認められたようである。プログラムステップの減少自体は、自然法則の問題ではないが、そのことによって計算機の動作がより高速化するとか、ハードウエアの負担が小さくなるなら、発明が成立する。
US審査プラクティス変更のきっかけを作ったディーアによる「ゴム成形プレスのディジタル制御方法」の日本出願も、特許を受けている(特許1277979、特公昭57-22010)。プレス成形配合剤の時間温度曲線データをコンピュータに供給し、加硫反応時間方程式を計算しながら、最適加硫時間にプレス型を開放するゴム成形プレスのデジタル制御方法の発明である。
「演算方法」(東芝、特許1238118、特公昭59ー9935)は、平方根を求める際に、2個のレジスタで演算でき(従来は3個)、3個のレジスタで平方のチェーン演算ができるようにしたものである。
「小型電子式計算機」(カシオ、特公昭61ー46856 、特許1392740)は、nCrの階乗計算をするもので、表示をオーバーフローさせないようにしている。
「符号化装置」(三菱、特許1245654、特公昭59ー21315)は、優勢シンボルの出現確率が0.5に近くても、出現過程が無記憶過程に従う限り符号化圧縮できるようにしたものである。
「フーリエ変換装置」(テレコミュニカシオン、特許1068210、特公昭56ー11181)では、高速フーリエ変換を用いて実時間信号の実数サンプルを実数のフーリエ係数に変換する。
「コイルの占積率計算方法」(日立、特許1027765、特公昭55ー16732)は、ドラムに巻き付けられたコイル長を、圧延途中の適当な時期に補正しながら正確に判定する方法の発明である。
このように、数学的な手順に特徴のある発明が特許された例は、枚挙にいとまがない。
個々の特許例だけでなく、わが国特許庁は、産業別審査基準「発明の成立性」を1972年に、また「コンピュータ・プログラムに関する発明についての審査基準(その1)」を1975年に、それぞれEPOやUSPTO以前に発表し、ソフトウエア技術の特許可能性を、一般的に示してきた。その後も、「マイクロコンピュータ応用技術に関する発明についての運用基準」「コンピュータ・ソフトウエア関連発明の審査上の取扱い(案)」を公表している。これらは、改善の余地はあるにしても、資料として有用なものと考える。
6 特許される理由
例示したのは、特許されたもののほんの一部にすぎないが、それらから、次のような傾向は把握できる。
ある数式の演算に特に適したハードウエアは、発明として成立し得る。同様に、あるハードウエアの性質を巧みに利用した演算手法にも、発明が成立し得る。
ハードウエアとの関係で特有な技術的効果をもたらす数学的方法の発明のクレームは、方法でなく、装置(物)の発明として表現できるし、そのほうが、成功率が高いようにみえる。クレームのカテゴリー表現として、方法を選ぶか物を選ぶかは、特許取得したあと、発明を実施し、侵害者の行為から権利を護るために、どちらのカテゴリーがより有利かということも考慮すべきであるが、その観点からみても、方法の発明は、イ号を特定することの困難さにおいて、分が悪い。
ある発明の主要部をなす数式が新規であっても、発明の進歩性があると認められるとはかぎらない。その数式を(左辺から右辺へ)導出した手順が既知の数学的手法の選択にすぎない場合、特段の理由がないかぎり、容易に発明することができるだろう。
では、特段の理由とは? 一例として、ある近似式を用いて顕著な技術的効果(装置が簡単化する、演算が速い、正確な値に近いなど)を達成する発明が挙げられる。参考までにいうと、近似手法でしか実施できない(超越関数で表現されていた)にもかかわらず、そのための数式(正実関数)を明細書に開示しなかったので、明細書は当業者が容易に発明を実施しうる程度に記載されていないと判断されたケースがある(昭34(行ナ)2号、昭37,5,29、東京高裁判決「周波数変調狭帯域電信系用濾波器」事件=いわゆる「カテナリー特性濾波器」事件)。
ところで、われわれの周囲には、数学的方法に関連する発明をすべて網羅するようなかたちで、シカジカに審査すべし、と説いたガイダンスはない。数学的方法とはカクカクであるという、完成された定義もない。
したがって、いくつかの違った考え方があることは、やむをえない。多様な数学的方法の発明のひとつひとつが、その特許性を最大限に引き出される環境で、いつも審査されるとはかぎらない。
クレームのなかに数式表現が1行でもあれば単なる計算方法、などという頑固な説(臆病な説というべきか)は、いまや存在しないが、クレーム全体にわたって、数学的操作のみで記述されているような場合、単なる計算方法と解釈されるかもしれない。表現のすべてが形式的に“数学”であっても、実質的な内容としての手法が、それを実行したときに、ある種の技術的効果を達成するなら、発明が成立する可能性があるが、そうであれば、そのことを明細書の中で十分に説明しなければならない。特許されるべき理由を強調することは、出願人の義務である。
今日でもしばしばみられるのは、クレームの構成の中を新規な部分(または主要な部分)とそうでない部分とに分け、新規(主要)な数式表現部分を除くと採るべき技術的特徴がなにもない場合、単なる計算方法であるから特許すべきでない、とする考え方である。この考え方は、意識するしないは別として、現実にかなり根強い。結論は妥当なケースだって、ないではないから、あながち、ディーア判決以前の古くさい間違いだと決めつけることもできない。
いずれにしても、明細書本文が、本願発明は新規な方程式の解法に関する、などといった調子の説明に終始したのでは、誤解されてもしかたがない。外見上、人工の法則を前提としていても、内容において自然法則を利用した発明なのであれば、それにふさわしい説明をする工夫が要る。
7 保護を求める側の視点を加える
カーマーカー特許に関連する報道や有識者の意見は、他人が特許を取得したことによる“被害”を警告したが、逆の立場で、もしも自分が数学的な創作をした場合、その権利をどう護るか、という視点がほとんどない。
そうすると、日本には日本人が護るべき数学的創造が存在しないのか? そんなことはあるまい。
「数学は特許に馴染まない」だろうか?
一般的に、特許に馴染まないものはいくつも存在するだろう。レナード・バーンスタインのピアノやアート・ブレーキーのドラムスは、どう考えても、特許に馴染みそうにないし、写楽やピカソの手法は、意匠登録となにかの関係があるとしても、特許によって保護できるとも思えない。
それらに対し、ガロアの群論は、死を前にして友人に託した遺稿というドキュメントによって正確に他人に伝えることができたし、当業者であれば模倣できる。ユークリッドやオイラーを、もしも現代に呼び戻し、ファジー制御のための独特なメンバーシップ関数を設計してもらったら、彼らが望むかどうかは知らないが、それはまさに「特許に馴染む」。
法律問題として、確かに「数学は特許に馴染まない」面はある。けれども、論理としては、「特許を利用して権利を護る」というほうが、はるかに自然である。
数学の世界で、特許など異質だととられることは、現状では無理ないとしても、異質なものは排除するという環境で、“みんなの学問”や“自由な研究”が保証されるかどうか、一考の余地がないだろうか。
数学に限らない。コンピュータ・プログラムなど種々のソフトウエアも同様である。
現実に、AT&T社などの“知的所有権戦略”は存在する。それらに接して、やめてもらいたいというグループと、ひとが取るならその前に自分がと考えるグループとの間で、有形無形の差が生まれることは間違いない。