追いかける女
知り合いのハム無線家に聞いた話。
中部地方のなんとかいう山の上で、アマチュア無線の実験に夜どおしつきあって、朝まだ暗いうちに、近くのローカル線の駅のあるところまで、ぐったり疲れて山を降りてきたんだと。
無人駅のホームに、一応ベンチがあったけど、そんなとこに座っちまっていいかなー。尻から根が生えて、動けなくなりそうだ。ま、いいか。急ぐわけでもないし。
荷物からイヤホンを引っ張り出して耳にあててみる。受信機には、アマチュア無線以外に、警察無線、航空無線、マルチアクセス電話まで聴けるようになっている。盗聴して悪いことに使おうってんじゃないよ。道路の渋滞やら事故なんか、知っていた方が安全なんでな。警察なんか、最近はディジタル化したんで、簡単には盗聴できないが、まだアナログが結構残ってるし、ディジタルだからって、その無線家はハイテクだから、どうってことないんだと。
で、半分居眠りでホームのベンチに座ってた。
30分ぐらいもしたら、朝もやがまだ晴れない山合いの駅に、一番電車が到着した。一両編成のワンマンカー。運転士が改札のためホームに出る。
行商の大きな荷物を背負ったおばさんが二人降りて、乗客がいなくなった電車へ、無線家は、荷物をかかえて乗り込む。無線機とかあぶない荷物があることは、外から見てもわからない。
無線家につづいて、40才台なかばの、背の高い痩せた男。いなかの駅には似合わないしゃれたスーツ。アタッシェケースを携え、セールスマンのようにも見えるが、大きめのサングラスの端からのぞく傷跡が、犯罪の臭いを感じさせる。なんだあ、このおっさん、ええ?
無線家のイヤホンの警察バンドに、突然ガツンと男の声が入った。近所にパトカーがいるな。駅前で、建物の影に隠れるみたいに止まっていた黒いセダンは、覆面パトカーらしい。車の中で、二人の男の気配が動いた。バカだな。送信機をオンにしたまんましゃべってやがら。
「安田だ。間違いない」
「まずいな。他に乗客がいる。やはり、次の駅までおとなしく行かせた方がいいですね。つけますか」
「あ、待て」
覆面パトカーの鼻先をこするように白いライトバンが走ってきて、けたたましいブレーキの音をたてて止まった。ライトバンから、女が飛び出てくる。そして、なにか叫びながら、人のいない改札口を電車の方へ突進。しかし、女の目の前でドアが閉じ、電車はゆっくりホームを離れた。
ふーん、あのサングラスのおっさん、安田サンていうのか、と無線家は心の中でニヤリ。
女は扉を閉めた電車を一瞬にらんだが、すぐにライトバンにかけもどり、スタートさせた。ライトバンは電車のあとを追う。
あ、カーチェイスはじめる気かな。
電車から見ていると、ライトバンに少し遅れて、黒の覆面パトカーが、同じ道を走ってくる。運転しているらしい若い刑事が舌打ちするようにいってるんだ、きっと。
「安田の女ですかね?」
「さあ、ナンバー読めるか」
「足立53の・・・・、東京じゃねえか」
「聞いてねえぞ、あんなの」
もう一人の刑事がポケットから警察手帳でも出して調べているんだろう、きっと。
「安田は、ずっと関西で、組からも離れて一人だったはずだ」
「しばらく姿を隠してましたから。その間に、なんかあったかもしれませんよ」
電車は、ダイヤがそうなのか、のろのろと進んだ。スピードはライトバンのほうが速かったので、たちまち電車に追いついてきたが、そのあたりから道路が蛇行をはじめていた。
ライトバンは、テールを振りながら、電車と並んで走ることになった。見おろす安田と呼ばれたサングラスの男と、何度か向いあう。そのたびに運転席の女がチラと電車を見あげる。女と安田との何度かのお見合いののち、ライトバンは急加速して電車の前へ出た。
うしろの覆面パトカーは、無駄のない運転で、ライトバンだか電車だかを追っていた。
「前の東京ナンバー、やっぱり安田の女でしょうかね。それにしても、ひどい運転だ。事故られでもすると、邪魔ンならねえかな」
「安田の女とは限らないな」
「と、いうと?」
「たとえば、安田を狙って殺しに来たとか」
「殺し屋にしては、下手な運転ですね」
年輩の刑事が苦笑した。
「へえ、殺し屋って運転がうまいのかい」
「それは、だってプロ、なんでしょ」
「とは限らんさ。何かの恨みとか。しばらく姿を隠してた間に、なにがあったかわからん」
「そうですね。次の駅からの連絡はどうでした?」
「ああ、次の駅の連中にも、そういう女に関する情報はないそうだ。それと、今、次の駅でなんかあったみたいだぞ。連絡を続ける」
「あの車、バランスが良くないっすね。下手な荷物の積み方してるのかもしれません」
ライトバンは、電車を追い抜いたものの、その先は、道が大きく線路から反れていた。靄のため、視界が悪いが、田には畦道もなさそうだった。そのまま走れば電車を追えなくなる。
女は迷わず、線路に沿って、刈り取り終ったばかりの田んぼの中へ、ライトバンを乗り入れた。
かわいているように見えても、田んぼの土はやわらかだった。ライトバンはものすごい泥をはね上げて、田の中を進んだ。白い車体がたちまち泥にまみれた。それでも、泥に車輪をとられなかったのは、線路に近い側の斜面が乾いていたためだろう。そのかわり、車のスピードが落ちた。
電車の中では、いつの間にか、サングラスの男が無線家の近くに寄ってきていた。無線家は、それとなく、イヤホンを外した。警察無線かどうか外から見ても分からないが、因縁つけられても、ばかばかしい。安田とかいう男は、乱暴しようという風には見えないが、あまり気持ちはよくない。
「兄さん。車外が騒がしいようやな。後ろの黒い車は間違いなく警察やけど、前の白い車は、ようわからん。あんさんには、何かおぼえがあるか」
へえ、安田さんは関西人か。おっと、警察無線で名前を知っているなんてことを安田という男に知られたら、どんな災難が降りかかるかわからん。無線家は、慌てて返事したと。
「え、ま、まさか。しらないよ」
「やろなあ。ほんならやっぱりワイに用事か」
安田は、ワザと顔の傷痕をみせるようにして、苦笑した。
線路が緩いカーブをたどっていて、その先に無人の踏切があった。
電車がライトバンのすぐ後ろに迫っていた。踏切で警報機がチンチンと音をたてる。
女は、無理にアクセルを踏んだが、スピードはそれ以上あがらない。女は、電車のゆくてを遮ろうとするかのように、斜面に向けて思いきりハンドルをきった。ライトバンは、ナナメになって、しゃくりあげながら斜面をはいあがり、踏切へにじりよった。そこへ電車が近づく。
「くそお、ぶつけてきやがったか」
電車の中で、安田がライトバンを見おろした。安田は、サングラスを外した。大きい傷痕が姿を現すと、さすがに迫力があった。右手がスーツの内ポケットの武器を確かめている。
たまらず、電車に急ブレーキがかかった。電車のスピードはたいしたことはなかったが、急ブレーキのショックは、低速のほうが大きい。
安田は、足をつっぱって身体をささえながら、シートに身体を隠すように姿勢を低くした。
「あんさんナ、警察は予告なしに撃ったりせえへんけど、ライトバンの女は何するかわからん。撃ち合いにでもなったら危ないから、あんさんはこのシートの陰で、こうやって姿勢を低うしてなはれ。動かん方がええ。動いたら、かえって危ない。ワイは後ろの方へ行くからナ」
そうか、安田サンは、オレの身を心配してくれていたのか。無線家は、ちょっと恥ずかしくなったと。
電車の車輪が苦しげにきしみ、線路にくいつくようにして止まった。そこは、踏切に少し入りかけたところだった。踏切の直前でライトバンはエンストし、それから線路わきの斜面をじりじりと後退した。そのおかげで、かろうじて衝突は避けられた。
刑事が運転する覆面パトカーは、土のかたそうな部分をたくみにえらんで、ライトバンに近づいてとまった。若い刑事が車をおり、用心ぶかくエンストしたライトバンに近寄る。
ライトバンから、女が這うように出て、電車の下に無防備な姿をさらした。電車の後ろの座席から、安田が女の様子をうかがう。「なんやぁ、あいつは」と呟きながら。
何秒か、時間が停止した。
「バカヤロー、何てことすんだあ」
沈黙を破ったのは電車の運転士だった。彼は運転席のドアを開き、外に向かって体を乗り出した。
「あ、あぶねえよ、おい」
安田が低い声をあげたが、運転士には届くわけがない。
運転士は、線路にとび降り、つかつかと女の方に寄った。
女が運転士と向きあった。そして、悲鳴に似た激しい声をあげた。
「あんたぁーっ」
そういって、女は、運転士にしがみついていった。
「あ、あんた、ここで・・・・この線で働いてるって・・・・聞いたから・・・・昨日、聞いたから・・・・きのうからずっと走ってきたよ・・・・東京から、ずっと走ってきたよお、お、お・・・・」
あとは言葉にならない。運転士は、女が身体にむしゃぶりつくのにまかせていた。消えのこった朝もやが、わけありの二人に静かな再開の時を与えた。安田は、立ち上がって、ちょっと気が抜けたみたいに、二人を見ていた。アマチュア無線家も立ち上がった。
やがて、運転士が女の肩を押した。
「なんて無茶するんだ。一歩間違ったら、自動車は大破、おまえは即死だ。とにかく、オレ勤務中だから。コッチに乗れ」
ドサクサに紛れて勝手に運転席に入り込んでいた無線家が、運転席から手を差しだした。「あ、すんません」
運転士はきまりわるげに頭を下げた。あわてて、女もペコリと腰を折った。
「すぐ、電車を出しますから」
そこへ、「ちょっと、待ってもらおうか」
覆面パトカーから下りた年寄りの刑事が電車に近づき、開いている運転席から電車の中の安田を呼んだ。
「安田信二、拳銃不法所持の現行犯で逮捕する。拳銃をこっちへよこせ。そっちのしゃれたケースの中身で麻薬不法所持も間違いないな。大量のヤクを持ったまま行方をくらましたおまえを、ずいぶん探したぜ」
安田は、おとなしく刑事にしたがった。
「ちょっと冷や冷やさせてくれたな。こんな場所じゃ、逃げようがあるまい」
「逃げる気はなかったで。次の駅に組の奴らが来てるはずや。そいつらを始末したら、出頭するつもりやった。やつらには、恨みがありますねん。ただ、取引のふりするのに本物のヤクが必要やった。旦那のお見立てどおり、これがそうですワ」
安田は、アタッシェケースを刑事に差し出し、電車から下りた。
「すると、電車がこの次の駅まで行ってりゃあ、おまえの逮捕理由に殺人が加わってたというわけかい。それとも、おまえが殺されてたか」
刑事がライトバンを指した。「どっちにしても、彼女に感謝したほうがいい。あれを見ろ」
女がキャッと悲鳴をあげて運転士にかじりついた。傾いたライトバンのトランクから、血だらけの大男が、若い刑事にひきずり出され、よろよろと出てきた。
「おまえを狙って、東京からここまでのどこかで、このひとの車の荷物に潜り込んだらしいな。お姐さんの運転が見事なもんで、揺れたはずみにチャチな改造拳銃が暴発したってとこだろ。ドジなやつ。こいつが、麻薬のことも組のことも白状してくれるだろうよ。ついでに教えてやるが、次の駅にいた組の連中は、全員しょっぴいたと、さっき本部から連絡が入った」
「そうですかい。しかし、さっきまで、そのお姐さんが組の殺し屋かと疑うてたで。なんやおかしいとは思たがな。はやまって、撃ったりせんでよかったわ。実をいうと、逃げるのに疲れた。年貢の納めどきいうヤツや」
「ま、話は署で聞かせてもらおう。あ、運転士さん、とんだとばっちりだったな。電車が遅れた事情は警察から連絡しときます。だから、あんたの彼女の鉄道妨害のほうは、ずいぶんと派手だったが、まあ、事故はなかったようだし、なるたけ大目に見てやっちゃあどうかね。だけど、ライトバンは警察であずかるよ。それと、あとで事情を聴かせてもらうから」
運転士と女は、おずおずと刑事に頭を下げた。それから、運転士は、電車に女を押し上げ、自分も運転席に上がった。女は運転席のすぐ後ろのシートに腰掛ける。
電車がゆっくりと踏切を出た。田んぼの中で止まった2台の車と刑事たちのところに、別のパトカーが数台近づいていた。それらはすぐに山の後ろに隠れて、電車からは見えなくなった。
電車の中では、女が無線家に話しかけてきた。おたく、アマチュア無線やってるの。あたしの知ってる人で、やってる人いますよ、へーえ、ハムさんですか。(それどころじゃないよ。)