気まぐれパパ山を行く

 (この物語は、無線技術以外は、ほとんどウソです。) 

  

 1999.05.04朝日新聞によると、「『そこに山があるから』の名文句で知られ、エベレストでなぞの死を遂げたとされた英国登山家ジョージ・マロリーの遺体が75年ぶりにエベレストの山中で見つかった。このことは3日、米シアトルに拠点を置く『マロリー=アービン捜索隊』のホームページで明らかになった」。 8290m地点だったという。 

  

 パパは山がきらいだ

   気まぐれ パパ、山を行く 

  

 いずれはパパの子になる君には知っておいてほしい。はっきり言う。パパは、山が嫌いだ。したがって、登山も登山家も大嫌いだ。 

 理由は、はっきりしている。 

 第一に、優等生面が気に入らない。たとえば、会社で上役に、君、趣味は?と聞かれる。奴らは、野太い声でボソッと「山です」なんてこたえる。律儀者まるだし、いかにも上役好み。ウンザリする。 

 そうかそうか、キミは心身ともに健全なスポーツマンなのか。山頂に向かって只一筋黙々と進むがごとく、命令された目的を遂行する。リーダーに文句を云ったり、いわんやリーダーの足元をすくったりなんてことは絶対にしない、真面目な青年。せいぜい良い子ぶってるがいいぜ。エライエライ。 

 第二に、登山家は、しばしば山で遭難をする。好きで登った山だ。落っこちようが腹を減らそうが、奴らの勝手だ。が、そのおかげで右往左往させられる家族や友人、捜索隊の苦労は、どうだ。とりわけ地元ハムのうける迷惑ときたら、はかりしれないもんだ。 

 大体登山家なんて奴らは、普段から迷惑なんで、でかい荷物を担いだ汗くさい男(女だって同じだ)が満員電車にわりこんできてみろ。山から落ちる前に電車から落ちてしまえといいたくなる。 

 第三に、これはまあ、あまり大した理由じゃなくて、云っても云わなくてもいいのだが、あくまで参考のため言うと、パパは、高所恐怖症で、高いところがそもそも好かんのだ。 

 だがな、いいか。人間は、生きていくためには、好きなことだけして、好きな人とだけつき合っていけばいい、なんていうものじゃない。君だっていまにわかるだろう。大人になったら、したくないことでも、しなければならないことがある。そういうことが少なからずある。このパパだって、山に登らなければならない。嫌いなのに、そこに山なんかあるものだから、その山に登らなければならない。もっとも、これは、パパが大人だから、というわけじゃないがね。 

                          *              
 
 土曜日の早朝、列車はO町駅に着いた。一晩中冷房がかかっていた。車内の冷房は効き過ぎて、おまけに睡眠不足。体調すこぶるよくない。荷物は早くも肩に食い込んできた。10Kgの無線機と電池。アンテナと着替えの衣類を巻き込んだ寝袋。食料はワザと持たない。そこらで買えばいいだろう。テントだのピッケルだのといったくだらぬ道具は、なおのこと持たない。あんなもの誰が買うか。 

 駅で列車を降りた客は、パパの想像以上に多かった。一斉に、ぞろぞろと改札口へ向かう人達。へえ、こいつらみんな山に登るのか。あきれたものだ。 

 ホームで、登山者はノートに名前を書けという。もっともな要求である。べつに名を隠す理由もないので、堂々と本名を書く。とはいえ、多少場慣れしないところがあるのは、我ながら否定できない。 

 あたりの地理に関する知識は、全くなかった。こういうときは、とりあえず、他人についてゆくことだ。 

 バスの切符売り場のポスターに、あとでトロリーバスに乗り換える人は予約が必要です、と書いてある。夕べ東京の旅行代理店で周遊券を買ったときには、そんなことは云われなかったが。 

「あのう、予約がないとトロリーに乗れないの?」 

 おずおずと尋ねたパパに、「ダイジョーブですよお」 

 眼鏡の女が間延びした声でこたえた。本当に大丈夫なのかどうだか信用のかぎりではなかったが、ぐずぐずしていてもしかたないので、周遊券を見せてバスにのる。運よくあいていたシートに荷物を抱きかかえて座った。電池と無線機が入ったバッグがズッシリ膝に食い込む。その重さが、かえってパパを安心させた。 

 目を閉じた。少しでも眠れたらいいと思った。しかし、疲れていてかえって眠れぬ。まあいい。寝不足で死ぬこともあるまい。なぜなら、死ぬ直前に人は必ず眠るものだ。 

 眼をあけたら、すぐ前に高い山が見えた。当り前だ。その山へ登りに来たんだから。 

 やがて、バスは何とかいう終点に着いた。なんという所だか忘れた。ともかく、Kダムへ行くトロリーバスに乗り換えるところだ。 

 ここまでいうと人はこう思うことだろう。パパが列車を降りたO町とはJR大糸線の信濃大町で、パパがこれからいくKダムとは黒部ダムで、何とかいうバスの終点とは、扇沢というところだろうと。登ろうとする山は立山だろうと。それならそうと正確に言えばいいのに、と。 

 そのとおりだ。だが、いいかい? パパは登山するために来たんじゃない。物見遊山に来たのでもない。パパだって、少しは常識がある。誰が登山するために10Kgの無線機を持ってくるか。 

 パパは、ハムをするために、山へ来たんだ。パパが気まぐれハムだってことは、前に話したね? 
 

パパだって賞が欲しいこともある

 ハムなら自分の家でやってればいいじゃないかと君は思うかもしれないが、実はそのころパパは、1200MHzという周波数で、500局以上のハムと交信するという目標を持っていたんだ。なぜ、そういうことを目標にしたかというと、1200MHzというのは、テレビの電波が1回振動する間に10回くらい振動する周波数の高い電波で、現在ではどうということはないが、その当時は非常に高い周波数と考えられていて、メーカーは儲け主義だから無線機作って売ろうなんてしなかったし、事実その周波数でハムやってる人なんて、ほんの少ししかいなかった。そういう周波数を使って500以上のハム局と交信をして、ただ交信するだけじゃなくて、それらの局からQSLカード、つまり交信証ともいって、はがきみたいなものに“私は確かにあなたと交信しました”って書いてあるものだが、そういうのを送ってもらうことによって達成できる賞状だな、それをシャカリキになって追いかけていたんだ。 

 世の中には賞というものがあるのは、知っているな? 賞を貰った人は、貰わない人から、なぜか尊敬されるし、本人も自己満足という甘い感傷にひたることができる、なんてことは、前に話してやったことがあったっけ。 

 そんな賞状が何になるんだ、と世間のひとは言うかもしれん。きっと言うにちがいない。パパだって、ちゃんと説明できない。まあ、趣味とはそういうものさ。 

 趣味じゃあないが、かのマルコニーだって、なにが悲しくて、カナダの寒い小屋の中でふるえながら、大西洋を渡ってくる電波に耳をすましていたのか。まさか、賞状が欲しかったわけではないだろうがね。マルコニーでわからなきゃあ、弁慶が五条の橋で刀を千本集めようとした話と、まあ同じと思ってくれてもいい。困難とはそれに立ち向かうことに価値があるんだ。 

 ともかく、パパが嫌いな山なんかうろうろしていたころは、1200メガヘルツみたいな高い周波数の設備を持ってるハムは、数が多くなかった。で、パパは自宅から交信できるハムというハムとは、ほとんど交信しつくしてしまい、さらに交信局数を増やすために、はるばる東京から北陸の山へでかけなければならなかったってわけさ。 

 その日の夜はね、北陸地方でハムのコンテストがあることになっていたんだ。コンテストってのは、まあハムの運動会みたいなもんだ。一定の時間を決めて、そのあいだにできるだけたくさんの交信をする競争だ。だから、1200MHzといえども、普段よりたくさんのハムが電波を出してくるだろう、そうパパは考えた。 

 もうちょっと、技術的なことも話してやる。周波数の高い電波は光みたいなものだ。高いところほど遠くが見えるだろう? それと同じで、電波を出す場所が高ければ高いほど遠い所のハムと交信できる。要するに、そこが高ければいい。景色がいいとか、有名だとか、そんなことはパパにとっては全く関心の外だから、地名なんてOとかKとか何とかいう所だとかで十分なのさ。 

 とにもかくにも、パパは、トロリーバスを待つ列の一番うしろに並んだ。そのパパのうしろに、さらにたくさん人がやってきて、並んだ。 

 何てたくさんの人数だ。この連中が皆ハムなら、1200MHzの500局賞なんてあっという間に達成してしまえるんだが、さすがのパパもそこまで自分勝手じゃない。それより腹立たしいのは、周りがパパの嫌いな登山家だらけだってことだ。 

 だが、ま、そんなことは連中の責任じゃないよな。せっかく初めての土地へ来たんだ。ことさらに不機嫌な面をしていることもあるまい。せっかくの機会だし、パパはまわりの事物を観察した。 

 人混みの間を白シャツの男がザックを捧げ持つようにして呼びかけている。トロリーバスの駅の職員だ。 

「これ、誰のですかあ」 

 落し物らしい。一回だけ呼んだのでは、ザックの持ち主は現れない。二度三度と同じことをいってあるいている。そのうち、登山家姿の男が、どうせトイレにでも行ってたんだろうが、走ってきて、しきりに礼をいう。駅員はいかにもよかったといった顔でザックをわたす。 

 ああ、よかった、よかったと。しかしアンタらヒマだね。そんな暇があるんなら、早くバスを出してもらいたいよ。せっかちなパパは思う。が、バスはバスで頑張ってピストン運転していたらしく、すぐにパパは、トロリーバスのシートに座ることができた。O町駅のバスの乗り場でメガネ女のいったことは、でたらめじゃなかった。 

 トンネルの中をバスは進む。こういう道では、ガソリンエンジン車は排気ガスを出すから走れないんだな。科学的考察をしてパパは納得する。それに、ここはダムの下だ。電気を作るところだ。バスの電気なんてタダみたいなものなんだろう。 

 トロリーバスが到着したターミナルもトンネルの中であった。 

 出口への暗い階段を登りながら、パパは一瞬不安にかられた。たとえば、トンネルが突然切り立った絶壁の中間に出る(とする)。その先は、手でつかまる所もない細い道だ(とする)。足がすくんだパパは進みも退きもならず、後ろの女の子にブーブー言われたりして、とてもみっともないことにならないだろうか? 

 事実はなんのこともなかった。トンネルを出たところは、そこらの観光地によくあるレストランだった。窓の外にK湖の全景がみえた。 

 ダムを囲む高い山。その山の頂上付近にあるのは、あれは雪というものじゃないか。そうだ。あれは雪だ。夏というのに雪がある! 夕べの新宿駅の暑さからは、信じられないことだった。 

 繰り返していう。パパは景色を見るために来たんじゃない。物見遊山に来たんじゃない。あの山のむこうへ抜けて、もっと高い山に登って、そこでどこか場所をみつけて、電波を出しに来たんだ。だとしても、雪というものがあそこにあることは、確かな事実で、それはそれで、素直に見る限り、きれいなものだった。 

 パパは、レストランのトイレで小便をした。行った先でおしっこをするのは、野良犬だけじゃない。これはテリトリーといって、とても大切なことだ。シーザーだって、ルビコンの川岸で小便をした、とパパは信ずるし、かの冒険家の植村直巳氏だってマッキンリーの山のどこかで・・・・・・ま、こういう話をそうクドクド述べても仕方ないが、植村氏について言えば、彼は、JG1QFWというコールサインをもったハムだったんだぜ。 

 ともかく、小便をすませたパパは、景色などには目もくれず、ダムの上のコンクリート道を歩いた。

 山では、見知らぬ人どうし挨拶するという奇妙な風習がある。パパには、そんな風習につき合わなければならぬ義理はない。しかし、すれちがった背広にネクタイの中年男は、明らかに登山家じゃないから、その男には挨拶をする。それから女の子の三人連れ。ダムの下を覗いては、きゃっきゃと何の悩みもないといった風だ。これは一応登山家らしいけれど、女であるという理由で、やっぱり挨拶をする。こういうパパの行為を軽蔑してはいけない。ひょっとしたら、彼女らの一人が君のママかもしれないんだぞ。 

 ところで、あるミステリー小説に、Kダムから下をみたならば、人はその高さ壮大さにおそれをなし、犯罪者はおびえて全ての罪を認め、若い女は思わずひしと彼に寄り添う、などとあったが、まるで嘘であることがわかる。パパだって、下をのぞいてみたが、何ひとつ恥じることなどなかったし、いわんや、女の子にしがみつかれることなど、なかったものな。 

 山の洞穴にケーブルカーの乗り場はあった。乗り場に張紙があって、10Kg以上の荷物を持っているひとは荷物券を買って下さいと書いてあり、はかりがおいてある。無線機の入ったバッグを置いたら9キロと少し。しめたとおもったが反対の手に寝袋を持っていたのに気が付き、それも乗せると10キロをちょっと超える。すぐ後ろに並んでいた青年が、残念でしたね、と笑う。 

 ケーブルカーの方へ歩きながら、そういえばさきほどレストランでポリタンクに水を満たしてなければ、荷物券など買わなくてすんだかなあと思う。だが、いいかい? パパは、くだらないことでそれ以上後悔なんかしない。こういういさぎよいパパを君にも見習ってほしい。たとえば、荷物をはかりに乗せるまえに、いち早くポリタンクの水を捨てたり、バッグの中のペンチやドライバーをポケットに移して、荷物を軽くしておけば、荷物は10Kgより少なくなったかもしれないけれど、それで自分のことを賢いなんて思うのは、シミったれだ。パパは君にそんな人間になってほしくない。本当だよ。 

 ケーブルカーは、東京の通勤電車に慣れたパパにとってもかなり満員だったが、先に乗った登山客がせっせと荷物を奥へつめてくれたおかげで、パパもなんとか乗れる。そういう親切には、パパは素直に感謝をする。 

 乗車賃の割には短い距離しか行かないうちに、終点につく。K平という所だ。そこで、ロープウエイに乗り換えなければならない。あと少しぐらい、ケーブルカーで行ってくれればいいのに。だが、ぐちは言うまい。賞というものは、ことほどさように、たいへんなのだ。 
 

やったはりまんのん

 ロープウエイは、1・7Km。K湖からみえた雪がすぐ目の前にあった。天候がすこぶるよくて、遠くの方まで景色がみえるのは、キャーキャーいってる他の登山好きの連中とは関係なくて、パパの日頃の行いがいいためだと思うが、何度もいうように、パパにとっては、どうでもいいことだ。 

 ロープウエイの着いた所が、D観峰。ここで又バスにのりかえることになっている。番号札を渡される。すぐにはバスに乗れない
らしい。 

 アイスクリームを買って食う。夕べ新宿駅でカンコーヒーを飲んで以来、胃袋に物を入れるのははじめてだ。今日の朝飯になるかもしれんと思えばアイスクリームといえど味わって食わねばならぬ。 

 バスにはなかなか乗れそうにないので、無線機をバッグから出し、寝袋の芯にしていたアンテナをひっこぬき、セットしてみる。 

 なんにもきこえない。高いところではあるのだが、なにしろ人があまり使わない周波数であるうえ、人里から離れ過ぎた山中だ。期待していなかったとはいえ、えらいところへ来てしまったという気がしないでもない。 

 そこへ、いかにも登山家といったふうの男がよってくる。 

「アマ無線やったはりまんのん(=アマチュア無線をしておられるのですか)」 

 関西弁である。なんで関西くんだりからこんなトコまで来んならんねん、と実は大阪生まれのパパは、われしらず関西弁で考えるが、これはパパの勘違い。パパのいる場所は、パパが夕べいた東京より、関西にずっと近いところなのである。 

「うちの会社にもねー、好きな連中がいてまんねん。やっぱり休みのたんびにどっかへでかけよるワ。こういうふうにやっとおんねんなあ。ふうーン」 

 パパは、登山も登山家も嫌いだ。しかし登山家の方がパパを嫌いとはかぎらない。彼らがなれなれしくパパに話しかけたからとて、あながちけしからんというわけにもゆかない。 

 それに、とパパは考える。山の天候はまことに気まぐれと聞く。パパは山には素人だ。いくら用心していても、遭難といったゆゆしき事態に陥いるかもしれぬ。そのとき、この男の世話にならない保証はない。とすれば、今ここで、この男につっけんどんな態度をとることは得策でない。 

 心ならずも、パパは、その登山家としばし歓談する。ただし、大阪弁は使わない。そんな言葉をしゃべっては、ますます話題が長引いたりする。そんなんいやや。 

 そうこうするうち、駅員の呼ぶ番号がパパの札の番号に近くなってきたので、無線機をバッグにしまって、関西弁の登山家に別れを告げる。 

 バスにはほどなく乗ることができた。かくの如く交通機関の連絡がうまくいくのは、商業主義に乗せられている気がしないでもないが、一応は感謝すべきことである。ほとんど座っているうちに、富山県に着くんだから。 

 
 やっと着いた。M堂、正確にいえば、富山県中新川郡T山町。 

 バスを下りたとたん、パパはしまったと思った。標高2450mとかで、確かにその道路が通っている所では、一番高い地点にちがいなかった。けれども、そこは盆地だったのだ。 

 技術解説など、するほうもされるほうも、煩わしいだろうが、しかたなしにいうと、盆地からは電波が飛ばない。周りの山に邪魔されるからだ。遠くの山は高くても邪魔にならないが、近くの山は低くても邪魔になる。 

 見渡せば、新潟、長野とおぼしき方向には、O山とK岳が、パパのいるところよりも数100mは高くそびえ立っている。一方、石川、福井側はD岳が邪魔をしている。わずかに富山市の方へ電波が飛ぶくらいだ。わざわざT連峰まできた価値がない。さて、ちょっと困った。どうするか。 

 見回すと、ロッジの裏手が多少高くなっていて、そこへ登れば、D岳の頂上をかすらせて、なんとか石川県方面に電波を飛ばすことができそうに思えた。立て札の表示が気に入った。「M堂山」とあるのだ。M堂というところへ来てM堂山へ登ったといえば、一応パパの顔も立つ。 

 食料の調達は後にして、パパはM堂山なる方向へ、歩き始めた。 

 それにしても、ロッジにもその外にも、なんとたくさんの人がいることか。山というより遊園地とでもいうべきところだった。だが、いい天気なのはさいわいだ。空気もきれいだ。 

 ゆっくりと登った。そのせいでもあるまいが、なかなか頂上らしき場所が見えない。山というものは、けしからぬことに、登ったらすぐその先に、さらに高い所がみえてくる。そこをこえると、その先になぜかもっと高い所がある。より高い所をめざして登り続けるときりがない。どこかでやめないと、どうにもならない。パパは、中年だ。体力がないのはわかっている。体を鍛えるために来たわけでもない。 

 今日は土曜日だ。パパはサラリーマンだから、明日の日曜の昼には山を降り、月曜には職場へ出勤しなければならない。月曜日は、実は職場で機材の引越しがあるのだ。パパが休んだりしたら、ほかの人が迷惑する。この忙しいときにもしもパパが職場にいないと、パパのワルクチを言うヤツがいるかもしれない。いや、きっといる。ともかく、M堂山くんだりで疲労困敗しているわけにはゆかない。 

 ぶつくさいいながら歩いていたら、ともかくM堂山なるところに到着した。山というより、ただの展望台である。急な崖の上で、南北と西方向の見晴らしは、まあわるくない。東はさらに登りになっていて、遥かその先の山頂に小屋がみえる。そちらに向かって、岩肌にしがみつくようにして登っているたくさんの人の姿がみえる。蟻の行列みたいである。山小屋に砂糖のキャンデーでもあるというのかね。とてもあんな連中の後になんかついていく気はしない。ここがいい。ここだ。ここだ。 

 パパは、ひとが通る道を避けて、雪がつもった窪地を横切り、崖っぷちの大きい岩のそばに陣取った。荷物を置き、シュラフを広げてどっかり座り込む。無線機を三脚の上に載せ、アンテナを取り付けて電池をつなぐ。午前11時。 

 早速、砺波市のハムが呼んできた。続いて富山市内のハムと交信する。一応、来た甲斐があったというもんだ。 

 汗で濡れたシャツを脱いで岩の上にひろげ石で止める。風はきわめておだやかだ。ズボンを脱ぎ、つづけてパンツも脱ごうかと思ったが、さすがによした。岩のかげではあるけれど、人が通るかもしれないし、誰が見ているかわからぬ。 

 折り畳みの傘をひろげて潅木にくくりつけ、その陰で大の字になる。なんというけだるさだ。たちまち眠気がおそってきた。 
 

 まぶしさに眼を覚ます。寝ている間に、太陽が動いて傘の陰からずれたのだ。 

 お、2mほどはなれたところに、鳥がいて、こっちを見ているではないか。空を飛んできたというより、崖下から歩いて上がってきたみたいだ。雀にしては大きいし、にわとりにしてはトサカがない。何物だこいつは。

 もっとも、怪しい奴だと思っているのは、パパよりも鳥のほうかもしれなかった。そいつは、アメリカ映画にでてくるポリスのように、尻を振りながら、うさんくさげにパパの周りを歩き、それからどこへともなく去って行った。 

 実は、パパは、鳥の名を知らない。バードウオッチングなんてのも、ハムの次によい趣味とは思うが。 

 そういえば、ずっと前、宝塚の山の中でハムをしていて、通りかかった女性にバードウオッチャーと間違えられたことがあった。パパのアンテナが集音マイクかなにかにみえたらしい。近所の裕福な家庭の夫人といった上品なその女性は、他に人かげもない山中というのに、おそれ気もなくパパに近づき、耳のすぐそばで、どんな鳥がきますの、とささやいたものだ。趣味のいい化粧品の匂いがした。50年前は、きっときれいなひとだったんだろうな。 

 ところで、いつか君と森を歩くことがあれば、パパに鳥の名を教えてくれるかい? 

 午後2時を少しすぎていた。無線機をそのままにして、ロッジまで駆けるように下りた。土産物売り場でパンと蒲鉾のようなものを買う。みると眼の前にさっきの鳥の人形(鳥の人形というのはおかしいか)がぶらさがっている。T山名物の雷鳥とかいてある。 

 そうか、あれが話に聞く雷鳥という鳥だったのか。しかも、なになに「運がいいと山で雷鳥に会えます」ともかいてある。ざまぁみろ。パパは運がいいんだぞ。たちまち機嫌を良くして、その鳥の人形を2つ買う。 

 手洗いで、一度空にしたポリタンクに水を満たす。雪解け水だろう。冷たく、気持ちがいい。食料と水を持って、無線機をセットした場所へ戻る。 

 午後5時。金沢市内を車で走行中のハムと交信。 
 

山小屋に灯はともる

 こころもち、風が強くなった。夕暮れ。パパは岩の上にしゃがんで、西の空をながめた。気温がどんどん下がってゆくのがわかる。この時刻、もはや山道を通行する人はなかった。パパは、にわかに不安になった。 

 思えば、パパは生まれて初めてT山に来た。生まれて初めて2000m以上の山に来た。初めての場所で、初めてすごす夜がまもなくやってくる。テントも、ろくな衣類もなく、寝袋ひとつで夜をすごそうとしている。夏とはいえ、雪がある場所だ。 

 事実、寒さがやってきた。ほんとうの寒さだ。あたりは、遠慮なく暗くなってゆく。そのなかで、パパは自分がどんな所にいるのかを、ゆっくりと見つめた。 

 まさしくひとりぼっちだった。ひょっとしたら、パパはとても無茶なことをしているのではないんだろうか? 

 そのとき、O山の上の小屋に灯りがついたのがみえた。おかげでパパは、不安から救われた。D岳の小屋にも、いつのまにか灯がついていた。

 突然、パパは歌をうたいたくなった。何の歌がいいだろう? とりあえず思い付いたのは、“山小屋の灯”というふるい歌だったが、さすがにパパも、山小屋の灯をながめて山小屋の灯を歌うなどという発想の安易さを恥じた。そこでパパは、多少ともユニークさをだそうと、英語でうたってみた。 

  

 A lamplight in the twilight of the evening(黄昏の灯は) 

 Dimly be lighted(ほのかにともりて)・・・・・・・ 

 In our old hutte(なつかしき山小屋は)........ 

  

 どうも字余り字たらずがひどくて、うまくゆかぬ。 

 大体この歌は、主人公が山小屋の窓辺にいるんだか麓の小道にいるんだかよくわからないし、テーマもセンテンスも論理的でなく、明らかに英訳するのに向いていない。 

 そこでパパは、同じ灯でも、よく知られた“谷間の灯”を歌うことにした。ただし、一人で大声なんぞはりあげては、山中といえど、いかにもアホだから、心の中でうたってみることにした。 

 この歌の原文を君は知っていたかな? もともとは、さえないホームシック男が、よその国なんだか山の上なんだかで母親を恋しがってるっていうつまらない歌詞なんだが、西原武三という人は、涙が出る位素晴らしい日本語訳をつけた。翻訳に著作権があることを証明したければ、この歌を挙げるといい。参考のため、わざとたどたどしく直訳したものを、西原武三さんの詩とならべておこう。 

  

 ランプは小屋の中で輝いている。 

 窓の中で、それは私のために輝いている。 

  (→ 黄昏にわが家の灯、窓に映りし時) 

 そして、私は知っている。私の母が祈っていることを 

 彼女が会いたがっている少年のために。 

  (→ わが子帰る日祈る、老いし母の姿) 

 谷間にランプの灯がともる時刻になると 

 そのとき夢の中で私はふるさとへ帰る。 

  (→ 谷間灯ともしころ、いつも夢にみるは) 

 私には見える。窓の中の古いランプが 

 それは私を導くだろう。私がどこをさすらっていようと。 

  (→ あの灯あの窓恋し。古里の我が家) 
 

 

 そうこうするうち21時になって、ハムのコンテストが始まった。パパは、ほかのハムもそうしたであろうように、無線機のマイクにかじりついた。 

 「CQ、CQ、CQコンテスト、こちらはJH1FJK、中新川郡T山移動、受信します、どうぞ」 

 ハムのコンテストというのは、きめられた時間の中でポイントの多さを競うもので、ポイントは、交信した局の数と交信した相手のいる市・郡の数とを掛けた数字なんだ。ただし、パパが東京からT山なんぞへやってきた目的は、コンテストに優勝することではない。それよりも、1200MHzではやいこと500以上のハム局と交信して賞を貰うためだってことは、はじめに話したよね? ともかくパパは、北陸地方のハムと次々交信したが、なにしろその頃1200MHzなんて周波にでてるハムはそんなに多くなかったから、ガツガツ点取り競争のようなことはしない。まあのんびりとやっていたのが本当さ。 

 やがて、夜はすっかりふけた。呼んでくるハムも、なくなった。 

 ますます寒い。山の風は、T山としてはおとなしいほうだったんだろうが、やはり肌を刺した。汗にぬれた衣類を、昼間のうちに乾かしておいてよかった。パパは持っていた衣類を全部着込んだ。 

 月はなく、もとより街灯など、あるはずもなかったが、あたりは案外明るかった。雪のせいだ。 

 谷底を霧が埋めつつあった。昼間あれほど鮮やかにみえた谷間の木々が、白いガスの海の下に沈んでいた。ガスの海は、じっとしてはいない。泡だち、うねり、しぶきをあげる。しかも、海面がパパのいる所へ向かってどんどんせり上がってくる。 

 いまやパパは、雲海の中にいた。真っ黒い3000mクラスの山が島のように所々に頭を出し、あとは只、どこまでも白い雲海。そのまっただなか、岩の上に、パパは一人とりのこされ、いつ波にさらわれるか心配しながら、たよりなく膝小僧をかかえて座っていた。 

 もっといやなことがおこりつつあった。ずうっと遠くではあったけれど、ときどき雲が光るではないか。あれは雷だ。もしもこちらに近づいてこようものなら、これはもう非常にあぶないに違いない。 

 パパは無線機を三脚から外し、アンテナを倒した。無線機にタオルをかぶせ、ビニールの袋で被う。夜露を避けるためだ。 

 トランジスタラジオを持ったまま、シュラフにもぐり込む。富山県のローカル局が流す深夜放送の音楽が、パパを孤独からいくらか解放した。 

 少しおちついたところで、パパはおもった。これは冒険だ。パパは冒険をしているんだ。冒険にスリルはつきものなんだから、少し位こわいことがあったからといって、悩んだり愚痴を言ったりしてはいけないんだ。 

 馴れぬ登山をした昼間の疲れが、あさい眠りにパパをさそいこんだ。 

  
死はケチンボウのように
 

 どのくらい眠ったんだろう。誰かに呼ばれ、パパは眼を覚ました。 

 人がいたわけではない。無線機のスピーカが呼ぶ。おかしい。スイッチを切り忘れたのか? 

「ハローJH1FJK、こちらはJG1Q・・、きこえますか?」 

「え、え、JH1FJKです。JG1Q・どなたですか? 私をおよびですか? コールサイン、もう一度」 

「ああ、近くにいるんですよ。JG1QFWです。びっくりさせてすんません。ちょっと、そっちへ行ってよろしいですか」 

「了解、JG1QFW、え?、JG1QFW、聞いたようなコールサインだな。JG1QFW? そ、そのコールサインは、ひょっとしたら、う、植村直巳さん?」 

「はあ、植村といいます。今そっちへいきますから」 

 登山家そのものといった服装のずんぐりした男が、しっかりしたあしどりで、こちらへちかずいてきた。 

 まさしく植村直巳氏。世界中の山や極地をを征服した、あの有名な冒険家の植村直巳氏。ハムでもあるんだが、その人が、なぜこんな所に居るんだ。しかも、どういうわけか、山道を自転車を押して登ってくるんだ。全く訳がわからない。 

 彼は、かるいあしどりで、あっというまにパパのそばへ来た。 

「コンテストですか。やってますね。こんばんわ、植村です。邪魔して、すんません」 

「い、いや、しかし、あの、アノ植村さんですか?」  

「はあ、その、植村ですけど、ごぞんじ」 

「そりゃあ、よく知ってますが、あなたは確か、マッキンリーで・・・・」 

 亡くなったはずでは、と云おうとしてパパはつまった。そういうことを本人に向かっていうのは、失礼にあたる。 

「失礼なんてことはありませんよ」 

「え、あなたは私の考えていることがわかるんですか」 

「死んだといっても、いくらか、です。完全には、まだ」 

「完全には、まだ?」

「つまり、あまり込み入ったことになると、まだ人の心のなかに入ることはできませんな。私、完全に成仏してはいないんでね」 

「というと、幽霊とかいう」 

「そういう呼び名もありますが、すこし違うな」 

 植村さんは、ちょっと得意そうにいった。 

「あなたは、今の私の存在をよく理解できないでおられるようですね。参考までに死とは何かということを、論理的に説明しましょう」 

「は、はあ」 

「人間の生命には他人とのインターコネクション、つまり関わり合いにおいてですな、7つのレベルがあるんです。すなわち、物理レベルから始まってデータリンクレベル、ネットワークレベル、それから、トランスポートレベル、セッションレベル、プレゼンテーションレベル、そしてアプリケーション・レベルまで。これ、オープン・ソウル・インターコネクションといいます。略してOSI」 

「私は植村さんが、そんな理屈っぽい、あ、いや、そんな理論に詳しい方とは知りませんでした」 

「山男というと、たとえば、会社で上役に趣味はと聞かれて、野太い声でぼそっとヤマですなんていう無愛想なタイプだけだと思っていましたか?」 

「い、いや、でも何か非常に難解な理論のようなので・・・・」

「なに、そんなに難しい理屈ではありません。FJKさん、突然ですが、ケチとは何でしょうか」 

「は、はあ? ケチとは」 

「ここにけちんぼうの男がいたとします。あ、女でもいいんですけどね」 

 パパは、他人の心なんか、よめない。まして、神様みたいな植村さんが何をいおうとしているのかさっぱりわからない。だから、ただポカンと聞いていた。植村さんは、しゃべりつづけた。 

「そのケチんぼうがですな、本当はケチのくせに他人からはケチな人間と思われるのがいやだったとしますな」 

「はあ、ありそうな話ではありますね」 

 なんだかパパのことを言われているような気がした。そうでなくても、植村さんはひとの心がわかるらしい。油断できないぞ。 

「あ、あなたのことを言ってるんじゃありませんから」植村さんは笑った。 

「そのケチな人は、他人からケチと思われたくなくて、意に反して気前よく振舞うわけです。無理をして、ずーっと一生です」 

「はあ、はあ」 

「そうすると、その人は他人から見れば気前のよい人ということになります。事実、そうだったんだから」 

「そうですか」 

「そう、ケチとは他人に物をやらない性格をいいます。ケチ度は他人に対する物品伝達の可能性ということで定義できます。他人に物をやる人間は、ケチではないのです」 

「他人に物を伝達、ですか」 

「そう。ところで、物質の伝達を意思の、つまり情報ですな、その伝達に置き換えても、同じことが言えます。死とは他人との情報の伝達が一切できなくなった状態と定義できます」 

「なんか大げさというか、常識と違っているというか・・・・」 

「常識なんて」植村さんはわらった。「常識なんて、ときとところで相対的にいくらでも変わる。気まぐれきわまりないもんですよ。ま、たしかに、心臓や脳が物理的に機能停止した状態を、常識的には死と呼ぶようですが、それは、物理レベルでの死のことでね。でも、いま私はFJKさんに情報の伝達をしてるでしょ。私とあなたの間には、情報を交換するデータ・リンクが成立していますから、この私は、あなたにとって、データリンクレベルで生きてるんです。さらに、ネットワーク、トランスポート、セッション、プレゼンテーション、それからアプリケーションの各レベルにおいては・・・・」 

「ま、まってくれ」パパは慌てた。 

「ああ、待ちましょう。あなたがいいと言うまで」 

 そう簡単にいわれても、パパは、アマチュア無線家で、これでも日本の国が公式に資格を認定した通信技術者のはしくれなんだけれど、いいとかわるいとか言う知識も論理も、持ち合わせがなかった。 

「いいとも悪いとも言えないでしょ。いいんですよ、どっちだって。そのうち、なんとかなるんだから」 

「よ、よくわかりませんが、ジェームス・ディーンがまだ私の心の中で生きている、といったようなもんでしょうかね」 

「あ、あんた、ジミー好きなん?」なぜか、ここで植村さんは、関西弁になった。おもわず、パパも関西弁で答えた。 

「大ファンや。たった3本の映画に出演しただけで大スターっちゅうええ加減なトコがたまらん」 

「理由なき犯行、エデンの東やね。それから、ええっと」 

「ジャイアンツやんか!」 

「そうや。ジャイアンツ、ジャイアンツ」 

「彼は、24才で死んでしもたやろ。いや、死んだということになってますわね。たしか、1955年です。自動車事故で、といわれてますが、実はどっかで別人になってたりして」 

「4本目の作品つくってたりして」 

「そやけど、私のディーンと植村さんのディーンと同んなじやろか。100人ファンがいたら、100とおりのディーンがいるんやないの」 

「うん、ファンクラブが一時は正規の会員だけでも380万以上いたというけどね。しかし、380万ものディーンやないと思うよ。なにしろ、彼のパーソナリチーやアイデンチチーがそれだけ強烈やったから」 

「つまり、個性、ですね」 

「そう、顕著な個性が彼の存在なんです。ファンが380万人いても、ファンの勝手な空想が占める余地がほとんどないんや。もしも、ディーンがファンの数だけ、380万人もいたら、どれが本当のディーンかわからんやろ。そこにはもうジミーという存在の顕著性はないことになる。しかし、380万人のファンがいても、皆ほとんど同じという場合、それはファンの主観というより、かなりの客観性がある。客観的事実として、つまり物理的に生きている状態に近いレベルで、ディーンが存在する、いうことです」 

「そういうこともあり得るとは言えるやろけど、まぁ、偶然には・・・・」 

「偶然の問題と違いますねん。ジミーの個性が振舞う。プレゼンテーションするんや。確実にね」 

「けちんぼうが大判振舞いするように、ですか?」 

「そう! 演出っちゅうヤツですな。そのため、ジミーはまさにただ一人。生きてるんや。プレゼンテーション・レベル・ライフ、いいますねん。こーゆーの」 

「そうか。ちょっとわかってきたわ。そーゆー論理によれば、植村さんは、やっぱり生きてはるねんな」 

「わかってもらえましたか。気まぐれでT山へ来たかいがあった。よかった、よかった」 

 山のせいか、夜のせいか、パパは植村さんの奇妙な理論を理解した気になった。もっとも、いつまでも、その気になっているわけにもゆかなくなった。どうもあたりが騒がしくなってきたからだ。 

「なんか騒がしいよ。植村さん、あれ、あんたの連れですか」 

「え、どれです?」 

 山の下から、人がやけにたくさん登ってくるのが、パパに見えた。ザワザワ、ザワザワ。カメラなんか持っているものもいる。 

「うわ、あんなん、ボク知らんよ。あ、こらぁ、まずいことになってきた。もう行かんならんワ。あ、交信証はわるいけど、なしということで」 

 植村さんは、ヒラリと自転車にまたがった。 

「コンテスト中、邪魔してすんません。そんなら、行きまっサ」 

「どこへ?」 

「ええから、ええから。どうせ気まぐれです」 

 いいのこして、植村さんは、山の尾根を自転車でスイスイと駆けてゆく。その植村さんを追う一団。なるほど、マスコミに雇われたパパラッチ連中らしい。ボーカスがいる。ブライデーがいる。ブラッシュもいる。植村さんが生きてるなんて、超特ダネだからな。

 だけど、夜中というのに、植村さんがここにいるのをどうして知ったのか。さては、われわれの無線による交信を傍受していたな。 

 植村さんは走ってゆく。週刊誌が追いかける。テレビが追いかける。ただのヤジ馬も追いかける。植村さんは走る。T山の尾根を飛ぶように走る。いや、飛んでいる。植村さんは飛んでいる。

 大きな月が出ていた。大きな月を背に、自転車に乗って空を飛んでゆく植村さんのシルエット。悠々と、地の果てを超えてゆく。さようなら、植村さん。さようなら、E.T.。 

 やがて、植村さんは、いなくなった。パパラッチの連中もいなくなった。 

 
 誰もいなくなった山の上で、パパはまた一人ぽっちになった。無線機も、こんどこそだんまりをきめこんだ。 

 再び、静寂がパパを取り囲んでいた。静寂という奴は、これはこれで、なかなかうるさいものだ。耳の中で意味のない騒音をたてる。シーンという音やらブツブツいう音やら。 

 意味のない音も、集まると意味のある言葉になってくる。波の音のようでもあり、パパの名を呼ぶようでもあった。それだけじゃない。音響が映像となり、ついには実体化するという奇怪で厄介な現象がおこりつつあった。 

 シーンという音は、シーンシーンという妖怪を、海からはじき出した。サメザメという音は、鮫にならずにオルカになって、雲の海から飛び上がった。ザーッという音はザトウクジラになり、これも空中に舞い上がった。あとはもうめちゃくちゃだ。 

 鯨を追ってコンボイが出てきた。コンボイをすごいスピードで追い抜いてゆくのは、かのジェームス・ディーン運転する白いポルシェ550スパイダー・オープン。スピード違反だとうしろからマンモス象が追う。 

 鬼太郎と一反木綿と塗り壁も走ってくる。ミイラ男とブロッケンの妖怪がフラフラとついて行く。 

 シルバー船長を乗せたヒスパニォラ号が、帆をはためかせ、骸骨島をかすめてゆく。その斜めうしろを天空の城ラピュータが、さまようごとくただようごとく進んでゆく。 

 ブクブクに太ったシンデレラを乗せてカボチャの馬車がゆく。タイタニック号が、楽団を乗せて浮かびあがる。氷山を押し退けて、魚をくわえた巨大なあひるが泳いでゆく。あひるを追うのは凶暴なティラノゾウルス。あひるを助けようとゴジラとマジンガーZと紅の豚が、すごいスピードでとんでゆく。さらにうしろから、宇宙戦艦ヤマト。こちらへ、まっすぐパパに迫ってくる。 

 ヤマトのうしろの岸壁をと見てやれば、バルカン砲シッカと片手に、岩にもたれたものすごい男の姿。それこそは、誰あろう、かのデスラー総統だ。 

 総統は、突然に腕を振り回し、タレントの伊武雅刀そっくりの野太い声で、ぶきみな演説を始めた。「私はハムが嫌いだあ」 

 な、なんだと? 

  

「私はハムが嫌いだっ 

 ハムは自分勝手で、騒がしくて、近所迷惑で 

 机に向かってばかりの前傾姿勢。牛乳ビンの底みたいな眼鏡をかけ 

 わけのわからぬおしゃべりと気まぐれで生きている。 

 金を持たせるととトランシーバとかいうものを衝動買い 

 放ったらかせば無駄使い 

 テクノホビーだ、趣味の王様だと 

 恥ずかしげもなく口に出して自慢する厚かましさ 

 私ははっきりいって迷惑だ。 

 迷惑だーっ 

 遠慮のそぶりも見せない、気配りのかけらもない。 

 他人にとって夜の静寂や安らぎがどんなに大切か、 

 ちっとも考えていない。 

 そのくせ、珍局を聴いてるから静かにしろと命令するあの態度 

 歩けば邪魔っけ、止まっても雑音の源 

 家の中でも外でも嫌われ者 

 そんな粗大ゴミみたいな、そんなポンコツ自動車みたいな

 そんなハム連中が私は嫌いだ。 

 私は思います。世の中からハムがひとりもいなくなってくれたらと 

 ハムのいない世の中はどんなにいいでしょう。 

 私はハムなんかやらなくて本当によかったと胸をなでおろしています。 

 考えてもみたまえ! 

 ハムが私たちのために何かしてくれたことがあったか。 

 いいや、ハムはいつも家族のじゃまをするだけです。 

 何だって、わけがわからないのはどっちだ! 

 DXだ、スーパーヘテロダインだ、コンテストだ、 

 好きなことしかしたがらない。 

 嫌いなことはしようとしない。 

 それですむと思ってるところがズルい。 

 そのズルいところが大嫌いだ。 

 ひょろひょろのぜんまい野郎、チンチクリンのモヤシ野郎 

 青白い顔しやがって 

 耳ばっかりとんがらかして、いつも無線機にかじりついて 

 あの、受信機の音ばかり気にする行動がいやだ。 

 あの物欲しそうな顔がいやだ。顔が不愉快だ。 

 何がエレクトロニクスだ。何がシーキューだ。何がマルチメディアだ。 

 そんなハム連中のために、 

 私たちハム以外のものは、ハムのために、 

 何にもしてやる必要なんかありませんよ。 

 第一、私たちがそんなことしたところで 

 ひとりでもお礼を言ってくれるハムがいますか。 

 あなたの家の前を掃除してくれるハムがいますか。 

 街角で出会ったとき感謝のお辞儀をするハムなんていないでしょう。 

 だったらいいじゃないですか。 

 それならそれで結構だ。え? 

 私たちみんなでハムのことを馬鹿にしてやりましょう。 

 私はハムが嫌いだ。ハムは大っ嫌いだ。

 やめろ、おまえらっ、俺はおまえらがどう勧めようが、 

 絶対にハムなんかしないよっ 

 誰が何といおうが、誰がどう言おうが 

 私はハムが嫌いだ。 

 わたしは、ほ・ん・と・う・に・ハムが嫌いだーっ!」 

  

 秋本康の「子供達を責めないで」のパロディだ。 

 それにしても、なんという不吉な演説であることか。どうしてそんなにハムを責めるんだ。 

 たのむ。たのむから、ハムを責めないでくれっ。 

 パパの人生を取り上げないでくれーっ。 

  

 パパは、本当におそろしくて、シュラフの中でガタガタふるえていた。だって、山またヤマの山ん中で、たった一人っきりで、ほかになにができるっていうんだ。 

 ああ、パパの命運も、ついにここに尽きるのか。パパの子のキミの、顔はおろか、女か男かさえも知らずに、デスラーやジェームス・ディーンの亡霊に呪い殺されて、あの世とやらへ行ってしまわねばならんのか。 

 いやだ。たすけてくれーっ! 
 

  パパはやっぱり山がきらいだ

 それでも、ときはすぎた。 

 山だろうがどこだろうが、日本国内にいるかぎり、止まない雨は降らないし、明けない夜もない。怪しい連中に虐められつつ眠れぬ夜をすごさなげればならなかったパパにも、朝は忘れずにやってきてくれるのだ。 

 まごうかたなき朝であった。朝とはかくも明るいものであったのか。 

 依然としてパパは雲海に浮かぶ孤島にひとりいたのだったが、そして、雲海は夕べの嵐のエネルギーを消耗しつくしてはいなくて、未だわきたつようにうごめいていたけれど、パパの周辺からはかなり後退しており、崖っぷちにいるパパから数メートルは下のところにあった。 

 ふと見ると、パパの前方100メートルか、あるいはもっと先なのか、虹がくっきりと浮かび上がっていた。下界で見る虹といえば、はるか遠くの上空に、太鼓橋のごとく半円形で直立をしているものだろう? だが、ここの虹は、パパのいるところよりも低い位置に、それも7色のフラフープみたいに360°の丸い輪をなして、雲の海に水平に浮かんでいるんだ。しかもなんと、その円形の虹の中心に、パパの影とおぼしきものが映って、パパを真似て動いているではないか。 

 わが姿ながら、なんと神々しいことであろう。 

 またまた、ふと気が付けば、パパの精神は、昨夜やってきた怪しい連中とのイザコザでクタクタであったにも拘らず、パパのジュニアは、といっても君のことじゃなくて、パパの肉体の一部なんだけれど、ゆうべたっぷり飲んだ雪解け水のおかげもあって、とても元気で、パパのズボンの中で威張りかえっているのだった。 

 そうかそうか。オマエにもこの景色を見せてやらなくちゃな。 

 朝日を拝むがいい。あの美しい虹を見てごらん。なんだって、飲みすぎた雪解け水を吐き出したいのか。さあ、思いきりしたいようにするがいい。あの丸い虹の中心に向かって。 

 やさしいパパは、高所恐怖症に耐えつつ、雄々しくも崖っぷちに立ち、ズボンの前をあけた。出なさい。誰も見ていない。もちろん、どこの誰かもわからぬママが見ているはずもない。恥ずかしがらずに、わがままなジュニア。出ておいで。用意はいいか。 

 そのとき、まさにそのときのこと、足の下の雲海がフワリと沸き上がった。雲は途切れ、森林かなにか、チラと下の景色が見えた。が、それは、ホンの一瞬。次には、吹き上がってくる一陣の風。それも、とんでもないことに、パ、パパの顔に向かって・・・・・・うわ、よ、よせっ。 

 わっ。 

 わーっ、うわわわーっ! 

  

 誓っていうから、いいかね? パパは山が嫌いだ。断固として山が嫌いだ。植村さんがへ理屈こねようが、デスラー総統が演説しようが、パパは絶対に山は嫌いだ。
  そんなに嫌いなら山登りなんかしなければいいのにだって? 

 あたりまえだ。もしも山がそこになければ、そう、そこに山なんてものがなければ、パパは決して山登りなんかしないだろうよ! 

  

                         * 

 1985年2月1日、パパは1200MHz500局賞を受けた。日本で最初なのは、日本アマチュア無線連盟が証明してくれた。そして、そういう物好きな行為は、多分世界でも(その証明はない。)。

じゃ、また話そう。今夜はおやすみ! 
 

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