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中国の最新ヨット事情 その5 フィリピンマニラヨットクラブ見学記 鶴田 卓身 2008年12月9日 大連、青島、シンセン大梅沙のヨットハーバーを見てきて、まだまだヨットが普及するには時間が掛かるなという印象でした。この中国の国民性にもかかわっているでしょうが、パワーボートで燃料撒き散らし、そこら辺の魚や海水浴客も蹴散らして(冗談ですが)、我ここに有りと顕示する方が中国人には似合っているのかも知れません。又、致命的なことには、ほとんどの学校にはプールが無く、授業で泳ぎを教えない為、金槌が比較的多いことも海への関心の薄さにも繋がっているのかも知れません。どこで習ったか泳げる奴もマナーまでは教えてもらっていないらしく、シャワー無しでいきなり飛び込む奴、四角いプールを斜めに泳ぐ奴、はたまたマグロじゃあるまいし回遊する奴と様々で、規則(有ればの話ですが)を守る奴はここ中国には一人も居ません。しかし、日本人の規則正しい行動には、表面には出しませんがある意味、憧れを持っている所もあり、ヨットを通して中国人に団体行動の重要性を教えたらいいのではと思っています。最も彼らが必要とするかどうかは疑問ですが?そんな中国のヨット事情を調べている内に「そうだ南の方にはチャイナシー・レースがあったはず」と気が付きました。「月光」「コンテッサ」「ミネルバ」「チタ」「ミス・サンバード」も参加している香港、フィリピンのマニラ間のレースです。中国もいいけど香港、フィリピンのヨットハーバーも一見の価値はあるなと中国を飛び出し、思い立ったら吉日と2008年の8月30日にマニラのヨットハーバーを見学に行く事にしました。 中国のシンセン市からは中国出国、香港入国、香港出国、フィリピン入国となります。香港空港まではシンセン市から約2時間、香港空港からフィリピンのマニラまでは2時間のフライトです。香港にはアマさん(女中さん)としてフィリピン人が多数、働いており、行き来は多いのでフライトは四六時中あります。又航空運賃は通常で往復日本円3万円位ですから東京からちょっと大阪に行く感じでしょうか。マニラには以前勤めていた日本のオーディオメーカーのナカミチ(株)で95年に一度、出張した事があり、今回は2回目である。その時は空港は薄暗く、カートを借りるのにフィリピンの通貨ペソが必要で閉口したことがあった。又荷物検査で根掘り葉掘り聞かれ、その後荷物は放り投げられ、余り良い印象がなかった。しかし13年も経てば変わるもので、やや空港は薄暗いものの幾分小奇麗になっており、アメリカのロサンゼルスの空港に似ているなと言う印象で有った。香港はイギリス、マニラはアメリカの空気があるのかも知れない。ホテルは空港から30分位のトレーダーズホテルを予約した。入り口で麻薬犬のチェックを受ける。余り経験が無いのでちょっと気が引き締まる。チェックインに30分位掛かった。これなら中国のホテルの方が、要領が良さそうである。マニラ在住の友人に聞くと「こんなもんだよ」と平気な顔をしていた。暑いから少し人間が間延びしているのかもしれない。
翌日、ホテルの斜め前のマニラヨットハーバーに行った。入り口での警備が厳重で中には入れなかったが、警備員にA4の一枚のクラブ入会案内を渡され、その後、外に出て、ハーバーは大通りに面しているので柵の外側から撮影した。土曜日の夕刻に近かったので、既に何隻か海に出ているように思えた。ヨットは桟橋につながれておらず小船で自船に乗り移る方法が取られている。又ヨットハーバーの端っこには子供達が海につかり、遊んでいるのか何かを探しているのか、マニラの貧困の差がここにも見られる。 1927年の一月に数人のアメリカ人により、このヨットハーバーが開かれ1941年から45年の間は第二次世界大戦で閉鎖され、1946年一月に再開され、女性の入会が認められたのが翌年の1947年で長い歴史を感じさせられた。中国のヨットクラブとは歴史が違うようである。外から眺めただけだが、ヨットをやっている生活感と言うか、息吹を感じるハーバーである。しかし、余り大きなクルーザーヨットは見当たらなかった。
フィリピンと言えば交通手段はジプニーである。一度乗って見ようと、ジプニーに乗り、遠回りしてホテルに戻った。
更にフィリピンと言えば歌手である。あるフィリピン料理のレストランに入ったら盲目のバンドを引き連れた女性歌手が居た。こんな所で歌っている歌手とは思えないほど透き通った声で感動した。中国ではこの様なバンドにはお目にかかれない。
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