・マキシ艇建造の決意
平成17年10月  弥勒Uオーナー代表 伊藤 猛
良品を作り、長く使用する

 昔より諺に「見るは法楽、買うは道楽」とありますが、昨今、家も艇も買うと云う日本語が普通に使われる様な風潮になってしまいました。本来、港町である大洗町でも漁港の側にあった造船所は何時の間にか跡かたもなくなり、大洗町の子供達は今では漁船を作る工程すら目にする事は出来なくなりました。
 何処で何がどう間違ったのか、便利で豊かな(?)御時世なのに、りんごの皮がむけない、靴の紐が結べない、鉛筆が削れない等、昨今、珍談奇談が続出している様です。 プレハブ住宅が出廻る以前は、大工さんが住宅を建てると云う既成概念は確立しており、造船所では大工さんが船を作る姿を見る事が出来た。
 「近頃自宅を新築しているので毎日御茶出しが大変なんです…」等と日常会話の中に家の建築の話が出ていた頃は、当然子供達も新築する住宅を見る機会がふんだんにあって、作る側と使用者側とのコミュニケーションが取れた。
 「今○○造船所で××フィートのヨットを作らせているんだ…」、「毎週末、少しずつ出来上がる様子が楽しみで造船所通いをしているヨ…」と云う言葉もあまり聞かれなくなったが、家と同様に作り手は乗り手の使用目的や意気込みが伝わり、同じプロジェクトのメンバーであるという連帯感があった。
 腐らない錆びないFRP船が出現し、円高による為替益で輸入艇が全国に出廻り、国内の造船所は次第に影が薄くなりつつあるが、反面、マリーナのクレーンのオペレーターさんと話してみると、輸入艇のアレはひどい、コレもひどい等、船台に乗せる作業に神経を使う話等、後をたたない。半日がかりでどうにかこうにか船台に乗せた等の苦労話を聞く有様だ。知り合いの業者が船積みで輸入したボートが陸上げしてみると、総同じ所にクラックがはいっており、「御陰様で稼がせて頂きました…」と云う話も聞いた。
 量産艇の大半はポリエステル樹脂を使用したいわゆる普及品(特注艇は別ランク)で、陸上保管の場合は問題はないのだが、長期間水面繋留しておくとFRPの皮膚癌と云われるオズモシス(FRP塗膜のうき)やブリスター(ふくれ)が発生する。最初は夏みかんの膚の様に、スムーズな曲面がデコボコの水ぶくれになり、一度症状が出始めると手がつけられなくなる程増殖する。原因はゲルコート(塗膜)や使用された樹脂の種類やガラス繊維や作業要員の技術のレベル等、様々な原因があり、各メーカー共に対策を講じた。近年、最上級のエポキシ樹脂を使用した量産艇が市場にようやく出始めた。
 例えば、C&C99(舵誌2005年3月号)、Tartan37(同2005年10月号)等が紹介されて、艇体15年保証のセールスポイントで両方共にエポキシ樹脂を使用したカーボンマスト使用と云うハイグレードな物だが、リセールバリューも高くオーナーは長期間安心だ。
 良い物を長く大事に使用すると云う地球に優しい、子孫に負の遺産をなるべく残さない物作りのコンセプトがようやく、レジャーボートにも出現した事になった。ポリエステル樹脂とエポキシ樹脂の間の価格帯のビニールエステル樹脂は耐酸性が強く、化学薬品のプラントや薬品のタンクローリー車等で目にする事が出来るが、3Mではヨット・ボートのFRP補修製品としてオズモシスやブリスター対策の手軽な少量サイズで既に商品化し販売している。
 現在我々が使用している金属類の松竹梅は、鉄類、アルミ・ステン類、チタン類と大きく3分別出来るが、FRP製品の松竹梅を正確に認識している人は少ない。鉄類に相当するものがポリエステル樹脂であり、アルミ・ステン類に相当するものがビニールエステルであり、チタン類に相当するものがエポキシ樹脂ではないでしょうか。要は鉄もステンレスも加工する手間は同様なもので、ポリエステル樹脂もビニールエステル樹脂も加工する手間は同じだ。ただしエポキシ樹脂の場合は高温で加熱しないと良質な製品は得られない。


人々が皆で集まって作業を楽しむ

水戸の徳川斉昭公は偕楽園の造園を命じ(1842年)、人々が皆で楽しめる様にと偕楽園と名付けた聞き及ぶが、大型艇の建造は多くの人力を要し、老若男女を問わず参加することができる。
 原図を書き、原寸をフィルムに写し取る点をプロットする作業は小学生でも出来るし、各々の艇体の断面のフレームを切り出す作業は、日曜大工の心得のある人なら、ジグソーを用いて簡単に切り出せる。休憩・食事時間は、プロ・アマを問わず調理の心得のある人にリーダーになってもらい、手作りの御茶菓子や食事を作り、皆で同じ物を食することで「同じ釜の飯を食べる…」と云う連帯感が生じる。核家族化が進む一方で、子供達が一人で食事をとるケースも増加しているようで、大人でも単身赴任や独身者の増加で一人で食事をとるケースが多いようだが、人によっては修学旅行以来の大勢での食事の経験となる人もいる事になる(?)でしょう。 平面のフレームを設計図に定められた寸法に立てて行くとおおまかな立体感が感じ取れるが、3次元の立体曲面が目の前に出現するオス型工法のバテン(木造艇の外板相当)張り作業は、友人の横浜の老舗のO造船所のプロのT氏でも「幾度やっても、感激の一瞬だ…」と云う程で、設計者の真意が初めて実物大となって見て取れる貴重な工程だ。
 海の貴婦人と云われる帆船の様に、老若男女の誰もが眺めても美しい物は美しく、現代の流体力学の粋を集めた設計者の狙いが理解できるレベルの人にとっては驚きの目を持って見ることが出来る。作業場の空間が充分ならば、船体(ハル)建造作業と平行して甲板(デッキ)の型作り作業を行う事が出来るが、オス型にしろメス型にしろ、コックピットやキャビントップが形になって来ると、艇の具体化が実感出来、乗り上がって船首(バウ)や船尾(スターン)を見渡す人が多く出て来るでしょう。各々個人が艇に対する認識を確認し、各人の夢を想い描くに違いない。
 更に作業スペースや人力に余裕があるならば、バース(寝床)やギャレー(台所厨房設備)やチャート(海図)テーブル廻りやトイレ(ヘッド)廻り等の内装設備のパーツ作りも始められるのだが……。総務係の仕事の得手な人には、タイムカードを作ってもらい、作業参加者全員の実労働時間の記録を作り、乗船順位の判断査定や、他県や他のグループで同型艇を作る場合の資料としても活用出来る。
 艇体の最後の仕上げのカラーリングやネーミングの美的センスを要求される仕事は、デザイナーの若い学生の新鮮な完成を大いに生かしてもらって、自動車の塗装等のプロのアドバイスを得られれば、素晴らしい仕上がりになるだろうし、ギャレー(台所厨房設備)やトイレ(ヘッド)の仕事は設備屋さんにリーダーシップを取ってもらえば最良だし、艇の神経中枢となる電気・無線も御同様だ。大切な補機となるディーゼルエンジンも全く御同様で、プロの御協力を得て安心して使用したい。
 人数が多く集まれば集る程、種々の業種の人が比例して増え、最良の施工技術の指導を得られるし、参加メンバーは共に作業を体験することによって学ぶ事が出来る。建物一つまとめ上げるのも種々の業者の技術力によって成しとげられるのと同様に、艇一隻まとめ上げるのも全く同じ事だ。


伝統や文化を作ろう

 徳川時代の鎖国が日本人からセイリングの伝統や文化の芽を摘み取ったとすれば、明治時代の大先輩達が血のにじむ様な努力をして欧米列強に「追い付け、追い越せ」のスローガンで今日の技術立国の基を作ってくれた事になるが、英国連邦の本国よりはるか遠く離れたオーストラリアやニュージーランドや独立戦争を起こして独立した米国に、面白い事に御本家の英国より先んじて軽排水量のクルーザーが設計・製作・運用がなされた事だ。重厚な格調高い伝統を拭い捨てて、新たな軽排水量艇のコンセプトで世界のトップデザイナーになったニュージーランド人のブルース・ファーもその一人だし、ネルソン/マレックやビル・リー(米国人)も一躍現れ、日本ではビル・リー設計のサンタクルス27が1980年舵誌7月号に取り上げられ、同10月号ではサンタクルス50が紹介された。
 日本人ではオランダの名門バンデ・シュタット設計事務所に留学した大橋氏が、1986年に第一回メルボルン〜大阪ダブルハンドレース向けに設計したベンガルUが全長16m(53フィート)で排水量が7.3tで当時話題になった。ベンガルUは進水来20年近く数々の外洋レースをこなして、2005年のトランスパック100周年記念レースを快走し、ようやく次艇の開発に踏み切り、売りに出された。サンタクルス50は全長15mで排水量6810Kgとあるが最新のボックス・ルールで新艇が続々進水しトランスパックでも大活躍しているTP52は全長、最大52フィート、排水量は16,500〜17,000ポンドとあり、Kgに換算すると7,491〜7,718Kgとなり、25年前に設計されたサンタクルス50が如何に的を得た設計だったか敬服するばかりだ。
 ちなみに国内で昨今流行の40フィート(12m)クラスのベネトウ社(仏)のファーストの40.7は、排水量はカタログで軽荷の6,900Kgのたっぷり余裕のあるものだ。国内では1991年にトランスパックで快走したプリマ(ネルソン/マレック68)が日本人オーナーに買い取られ、鳥羽レースで14時間30分の記録を作ったが、コースは神津島廻りの180マイルなので平均速度は12.41ノットで走る抜けた事になる。ちなみに我々弥勒T(U-30)は直線コースの150マイルを24時間1分で帆走し、平均時速は6.25ノットになり、6回エントリーした中での最短時間だった。
 海外や国内でも活躍している西村一広氏のレポートのヘルム(1984年8、9月号)に「やって来た2艇のマキシ・ボート」によると、80頁に「クローズドホールド(風上航)の最大スピードは11ノットにも及ぶ」とあった。
 昭和12年の10月に海軍より発令された世界に例を見ない高性能の十二試艦戦は、昭和15年(紀元年号2600年)にようやく完成し、2600年の末尾の数字「0」を取って「零式艦上戦闘機」と名付けられ内外で歴史に残る名機の称号を得たが、設計者の堀越氏はチームの全員に対して「機体重量の十万分の一まで徹底的に管理する」と言明していたそうだ。日本人なら太平洋戦争のパールハーバーの攻撃で零戦が活躍した事を皆知っているが、台湾南部から発進し、800Km以上離れたフィリッピンのルソン島中部の二つの米軍基地を攻撃し、大戦果を上げた事を知らない人が多くなった。戦闘機が当時このような長大な距離、しかも渡洋作戦を実施した事は、当時の世界の常識を超えていた。フィリッピンの米軍は日本の空母が近海に出現したと大捜査を行ったそうだ。
 サンタクルス シリーズのカタログのキャッチフレーズには「Fast is fan!」とあるそうで、速くて、零戦の様に軽量化した艇体でも長距離渡洋が出来れば申し分ない。ベンガルUは今年(2005年)もトランスパックレースで快走し、2,225マイルを10日間で走り切った。ロスからハワイまでの一日平均の帆走距離は2,225マイルで毎時平均9.25ノットになり、良い成績だった2001年の平均は約9.59ノットだった。本年新記録を出したモーニンググローリーは6日16時間4分11秒と云う速さで、時間に直すと160時間になり、時速13.9ノット平均と云う事になる。
 72フィート艇を二人で操船出来るコンセプトで作られた、最新の油圧や電動のメカを持つハイテク艇のビーコム(三田功氏オーナー)は、8日と7時間15分12秒で快走し、時間に直すと199時間になり平均11.2ノットになり1日268マイルを走る事になる。本年ようやく我々が走った小笠原レース(530マイル)にビーコムが帆走ったとすると、47.3時間となり2日を切ってフィニッシュする事が出来る。
 弥勒Uのグループオーナーの一人のIna氏がヴァンデ・シュタット大橋氏の講演を聞き御土産に「ベンガルUの朝鮮」(伝統の太平洋横断ヨットレース・トランパック)の本を持って来てくれたが、チタグループが1一枚の海図から始まった様に、我々のマキシ建造の核に「ベンガルUの挑戦」がなれば良いと思っているのだが…。
 広辞苑には伝統とは@系統をうけ伝えること。また、うけ伝えた系統A(tradition)伝承に同じ…とあり、同じく文化とは@世の中が進歩し文明になること。ひらけること。文明開化。A文徳で民を教え導くこと。B(culture)人間が学習によって社会から習得した生活の仕方の総称。衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教など物心両面にわたる生活形成の様式と内容とを含む。とあります。
 今年100周年を迎えたトランスパックレースにははるかに及ばないものの、本年の記念すべき第20回小名浜〜大洗レースでは5時間5分(光昇Muir-40)のコースレコードが出て嬉しい事だが、今後の続いて伝統あるレースにしたいものだ。文化は努力・工夫等によって進展し、継続されるが、より速い事が楽しい事に帰着するヨットレースだけに限って云えば「何故速いのか、どうしてなんだろう…?」と疑問を持つ事が成功への一段目で、「設計コンセプトは、造船所は…」が二段階目になる…。
 零戦や紫電改を造った我等の伝統や文化はDNAの中に確かに存在するのだから、日本人の設計による国内建造の艇で太平洋狭しとばかりに帆走り廻りたいものだ。
 各種海洋学校で毎年行われている遠洋航海はその学校の伝統であり、100年前から行われているトランスパックレースやアメリカズカップ等は文化であるが、太平洋に接しているメリットを再考して我々は決断し行動を起こし、あまねく世に知らせしむる為に、艇を作り始め、完成させ、船出をしなければならない。
(以上)