・'05ファイナルレース手記

平成17年12月19日
弥勒Uオーナー代表 伊藤 猛

 11月に最終レースを終えた大洗マリーナのクルーザーレースは、40フィートのオーナーのA氏が、走りが不本意だったとか、参加できなかった40.7のN氏が、もう一度レースをやって欲しいと云う声が出て、名ばかりのレース委員長としては、マリーナのKさんに、ひたちなか港入口のブイを廻って来るレースがいいのではないかと提案した。12/10にマリーナよりFAXが入り、参加費千円のお差し入れ歓迎のレース案内が届いた。

 弥勒Uグループは、12/17(土)に恒例の忘年会を民宿で行う予定で、皆が集まるのでレースメンバーの心配はなかったが、2週間前の天気予報から、日曜日は低温の強風が予想されていた。土曜日にも、セイリングをしますと云う連絡は、T氏がメールで送った様で、土曜日の朝マリーナへ行くと、ヴィーナスのAsh氏がメンバールームに来ており、御茶を飲みながら話し込んで、昼頃来るメンバーを待った。T氏が来た後で、Hiru氏が来て、4人で食事に出掛けた。昼食後、艇に出向きエンジンを廻してキャビンでの話の後、民宿に出向いた。

「皆様の御影で24年振りの夢が叶いました。」と、今年だけはスピーチして杯を上げた。皆にコピーした昨今のエッセイ入りの封筒を手渡してお御礼の代りにした・・・・・。

 翌朝、何時も通りに6時に目が覚め、TVの音を小さくして天気予報を見てみると、やはり予報通り記録的な寒波の襲来で、日本海側は大雪で、太平洋側の海では4mの高波と20〜25m/secの強風になるとの事だった。

 忘年会参加は11名だったが、レースには7名参加で、若いSkaの君が舫いて取って、「ファーストホーム期待しています・・・」と、見送ってくれた。艇長会議で説明を受け、参加費を払って艇に行ってみると、No2のジブがセットされており、「おいおい今朝の天気を見たのかい・・・?」と、云いたくなったが、躊躇して何も言わずにおいた。「皆のライジャケを出して・・・」と、乗艇してからキャビン内に声掛けした。

 隣で寝ていたHiru氏は、小生と一緒に朝の天気予報は見たはずなのだが・・・。昨日ボームセンターで購入した、ネオプレンゴム(?)製の手袋と新品のブーツで防寒対策はOKなのだが、キャビン内では東京のShu氏がT氏に艇の予備品の古い黄色のH・Hのカッパを着せられていた。

 スタートは、10時予定の5隻参加のオープン参加1隻と6艇出航し、スタート海面までHiru氏が、舵棒を握ったが、スタート前に舵棒を渡された。どう見てもNo3のシブの風だが、他艇は、皆フルセールで元気よく帆走らせている様だ。当方は、No2のジブなのだが、シブ交換の作業も又練習になるし、事故のない様に心掛ければ皆の勉強にもなるし、と考えた。10時ジャストでトップで飛び出し、船底の汚れも気にならない程良いスピードの風力だったが、他艇は皆オーバーキャンバスで派手にヒールしている。マストをアフターレーキさせた結果、ウェザーヘルムが少し出て、ヘルムはまずまずで、北西風のクローズリーチの走りに皆まだ一発もスプレーを浴びていないので、「速い、速い」と、ご機嫌だったが・・・。

 ベネトウの40.7が、ブローで大きく風上に切り上がりブローチングする様は見る事が出来たが、メインシートトリマーにHiru氏がついているので安心していた。那珂川川口の吹き出しの強風が予想されているので、メインシートトラベラーは、風下に下げてもらい風を逃しながら走らせた。眼の悪いクルーで、とんちんかんな風の読みを云う者がいて、Hiru氏に「何処を見ているんだ・・・」と、いわれる一幕もあったが、風は増々強さを増し、艇速は上がるが、何ともオーバーキャンバスで度々オーバーヒールする様になった。それでも他艇との距離は、更に離れ今日こそブッチきりのダントツだと思ったが・・・。

 大洗マリーナでは、やはり北西風の下では、風下のブランケットになっており、那珂川川口の吹き出しの風は、オーバーキャンバスでどうにもなりそうにないので、メインセイルを1ポイントリーフ(縮帆)を命じた。小笠原レースメンバーのT氏とU氏は、時化でも動けるし、千葉大ヨット部OBのOhi氏も同様で、安心なのだが、東京のShu氏とヴィーナスのAsh氏は、どうやら経験した事のない強風の様なので、バウ・マスト廻りの作業はさせない事にした。

 砂ほこりが舞い上がり、空が一面茶色になる陸上の突風は、やがて海上にも達し、ブローでは20m/sec位の風の様だが、我々は時折オーバーヒールするが、良く待ちこたえて、艇の設計者である横山氏に、感謝の念が更に強まって来る。マリーナの本部艇Yは、どうやら併走し、マーク廻航迄御付き合いしてくれる様で、ありがたい事だ。強風の為に、那珂湊に向って続々と漁船が帰ってきた。

 最初に緑の浮標が見えて来たが、陸よりの側の手前の赤の浮標と勘違いして(?)迷わずに帆走り続けた。どう考えても、タックの時にはオーバーキャンバスでトラブルが予想されるので、T氏にハーネスを用意させてジブを降ろすことにした。赤標の手前でシブセイルダウンを命じたが、なかなか降りないので、見かねたOhu氏がハーネスもつけずにT氏の手助けにバウに行った。その間にマークをかなりオーバーセイリングして、ひたちなか港入口のすぐ近くまで帆走ってしまった。

 ようやくNo2ジブを降ろしてホッとする間もなく、タックを命じたが、インナージブ(スティスル)だけのタックでもやはり、リリースの係りがシートを放し遅れ、逆ジブになり、艇は一寸ヒールしたが、ようやく上のシートをリリースして、タックが終了した所で、インナージブダウンを命じた。

 1Pリーフ(縮帆)のメインセールだけでも快走しているが、レース艇は、清海を除いてはるかに前方だったので、「皆リタイヤしたのでは・・・?」と、云った。T氏に、ストームジブを出してくれる様に頼み、インナーフォアスティにストームジブを上げる様に命じた。U氏は、手がかじかんで指が動かないと云うので、使用していたネオプレン製の手袋を貸して、ストームジブのセットを頼んだ。T氏は、ストームジブをセイルバックから取り出した状態で、抱えてキャビンから持ち出した。ストームジブのシートは、インナージブのシートを使用したので、最初は、サイドステイの内側にシートがセットされていたので、風上の遊んでいる方のシートを正規のジブリーダー位置にリードし直して、抜き変えをした。

 メインセールだけを上げた清海は、3人の乗艇でがんばっているが、間近だったので手を振って挨拶を交わした。

 ストームシブの小さなセイルでも、正しくトリムすると、艇は加速していくが、横風で余裕が出てきたメイントリマー役のHiru氏は、「この艇のストームシブは初めて見た・・・」と、云って風下のセイルのチェックをした。小笠原ヨットレース安全規約のオレンジ色の蛍光スプレーで彩色されたセイルは、中央の大部分は風を良く流して艇を加速させる。弥勒Uが、進水した年の2003年の10月の葉山行きの時に、館山湾から内房の保田まで、ストームジブを使用して以来の2度目のお目見得だが、小笠原レースの為に作ったNo4のセイルの方が最適ではないかと思った。

 フィニッシュラインの沖提を通過したのは、11時48分で2時間弱で往復出来たことになるが、清海は、親指と人差し指を広げた位のセイルの大きさになっていた。40.7に助っ人で同乗したパン屋のHu氏の差し入れの種々のパンと40.7のオーナーのN氏が用意してくれた40人分(?)の豚汁が昼食になった。

 Hiru氏、Ash氏と小生以外は、皆シャワーを浴びて俗世の快適さを味わい、さっぱりとしてメンバールームで昼食、表彰式そして懇談会となった。

 遠方で用事のある人は、先に上がってもらい、T氏、U氏、Hiru氏と小生の4人で反省会をした。「ストームジブの3点に名称を入れた方がいい・・・」という話が出たので、改善する事にした。T氏が「ストームジブが袋から出してあった・・・」と、云うので「危ないから次回はバック入りのまま持ち出して・・・」と、云った・・・。

 42.7のクルー氏が「ありがとうございました・・・、御蔭で優勝できました・・・」と、話しに来たが、わざとマークを間違えた(?)様な妙な心地になったので、「礼を云われたので、これで良かったのかも知れない・・・」と、隣に座っていたHiru氏に云った。パンを差し入れてくれたHug氏と清海のオーナーと6名で、最後までテーブルで話していたが、3時を過ぎたので干してあるセイルをたたんで後片付けをした。隣の釣り公園のフェンス側に縛り付けたセイルは、凍りついており、今度の寒気団の強さを思い知らされた。

 40.7は、ジブ交換の時にセイルを流したそうで、40のワントンを何事も1人で動かしているA氏は、メインセイルを降ろすのに奮闘していたが、セイルが横に半分になる一寸手前迄裂けるのを、皆で見る事が出来た。清海の風力計は、19m/secを示したと云っていたが、40.7は11ノット出たとも云っていた。「今日はNo4が正解かも知れないと・・・」レースの総評のコメントで言わせてもらったが、弥勒UのNo4はまだ1度だけ使用しただけで、セイルロッカーに納めてあり、No3と共においてあるが、今日の弥勒Uの反省点はとしては、No3とNo4のジブをセイルロッカーから持ち出して用意すべきであって、「No2のシブセイルをセット」と、命じたのは誰でしょうか・・・・・??

   P.S 二日酔いで天気予報を見なかったのは誰だ・・・!!