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innerchild vol.10 『遙<ニライ>』 |
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企画書 - |
| 企画紹介 |
| 最北の地…最南の民…裂けたココロと一つの言葉…想い、遙か彼方(ニライ・カナイ)へ innerchildは、度々世界各国の「創世神話」をモチーフとしながら、そこから現代、あるいは普遍の「心性」に迫るといった内容の作品をお送りして来ました。 中でもvol.3『ホツマツタヱ』(`00)や、vol.4『PANGEA』(`01)、vol.9『青ゐ鳥(アヲヰトリ)man-wo-man』(`05)は、「古事記」や「日本書紀」といった日本神話のエッセンスを盛り込み、信仰としての形は失われつつも感性としては受け継がれているはずの「日本的な何か」、例えば「風習」や「死生観」、更にはもっと日常的な「気質」や「世相」のようなものの原型を求める、特に「日本人としての心性」を意識した作品になっています。 innerchildではよく"主人公が喪失したアイデンティティを取り戻す"、もっと使い古された言葉で言うならば「自分探し」の物語が多く語られますが、この「日本人として〜」という部分は、その上で避けては通れない重要なものだと、最近強く考えています。 もちろん、今回の作品もまた「日本人としての心性」を多分に意識した物語です。 ただし語られる視点は、自分自身の中には決して存在しない切り口です。 それは、「日本」にあって「日本人」ではない、確固たる独自のアイデンティティを持ち、かつて不本意な属化を強いられた民族。私たち「大和民族」を『和人(シサム)』と呼び、『本土の人(ヤマトゥンチュ)』と区別する、最北と最南の地に暮らす二つの民族。 『アイヌ』と『琉球』です。 そこから俯瞰して見えてくる「日本人の心性」は、なじみの「大和」文化より深く心に響くかもしれません。 なぜなら、『アイヌ』も『琉球』も、私たちよりも遥かに色濃く「縄文の血」を受け継いでいることが、学術的にも証明されているから…。二つの民族は元々一つの民族であり、そして「大和民族」よりも「日本人」であったのだから…。 琉球神話に伝わる異界伝説「ニライ・カナイ」。そこから浮かび上がるアイヌの世界との共通点。 「ニライ」という言葉が今、遙か海を隔てた二つの世界を一つにする。 「吉祥寺シアター」に浮かび上がった「島」を舞台に、「此処ではない何処か」を夢見る全ての人にお送りする、ある「旅人」と「待人」の物語…。 今回も多彩な客演陣とオーディションメンバーによって編成された新たなカンパニーでお送りする新作『遙〈ニライ〉』。innerchildが築き上げた10作目の新境地を、是非ともお見逃しなく! |
| 物語(あらまし)/原案 |
| かつては『琉球王朝』に属していた、日本の南端に位置するとある島。 |
| 『ニライ』とは? |
| 南西諸島の各地には、毎年遠く海の彼方から神が渡来して、豊穰や幸福をもたらすという「ニライ・カナイ」の伝承や信仰があります。 「ニライ・カナイ」とは、そうした神がやって来る海の彼方の理想郷を意味するのですが、『おもろさうし』などの琉球の祭祀歌謡によると、必ずしも理想郷や幸福の根源としてのみ捉えているわけではなく、ときには悪しきもの、災いなどをもたらすものの住む世界、という意味もあったようです。 ちなみに、「ニライ」と「カナイ」は本来別概念で、「カナイ」は中国の陰陽二元論の影響を受けて、後から対句として付け加えられたもののようで、南西諸島では「ニライ」は単独で「あの世」を指します。沖永良部島では「ニラ」、喜界島では「ネインヤ」、奄美大島では「ネリヤ」、沖縄本島では「ニルヤ」と呼ばれていますが、概念としてはみな同じです。 この「ニライ・カナイ」信仰の原型(あるいは変形)が、ポリネシアなど南国の島々の先住民の間で信仰される、"いつの日か、祖先が船に宝物をどっさり積んでやって来る"いわゆる「cargo cult(積み荷信仰)」だと言われていますが、一方で、話を南から北へ一気に向けてみると、アイヌ民族に伝わる「イヨマンテ(=クマ送り)」という祭祀では、神(=クマ)の子供として子グマを一年間養い、たくさんの「おみやげ」を持たせて親元、つまり山という神々の世界に還すという、神から得た恵みに対する「cargo返し」のような風習もあります。 北の「アイヌ」と南の「琉球」は、古代日本土着の原日本人を探る民俗学的、文化人類学的な研究において、その風習や言語に様々な共通点が挙げられています。"神なる楽園⇔そこからもたらされる豊穣"という構図自体は世界各地に分布するものではありますが、ここに興味深い説があります。 「ニライ・カナイ」は本来、南西諸島に伝わる言葉で、語源的には諸説入り乱れる謎の言葉として長く研究されていますが、民俗学者の柳田國男は「ニーラ」を「遠く遥かな」の意であるとした上で、「ニライ」を「祖先の地」「根の国」と訳し、『古事記』『日本書紀』にも通じる常世(あの世)をあらわす言葉、つまりは神霊と魂の集う「異界」への信仰として共通点を指摘しています。 更に、この「ニライ・カナイ」をアイヌ語として解体すると「根の下・空の上」=「天の向こうにある死の世界」と解釈でき、南の伝承の内容ともほぼ同義となるそうです。 本企画は、この興味深い共通点に着想し、「南と北に分かれた原日本人」をメイン・コンセプトに、前作vol.9『青ゐ鳥(アヲヰトリ)man-wo-man』で培った、古代の世界から現代に至る日本人の心性を探るという視点を更に推し進めた、原日本人的な物語世界の描出を目指すものであります。 |
| 企画雑記 |
| 前述に何度も登場している「日本人として」という部分は、前回より特に濃厚に意識し始めたことで、それまではその時々に感じたまま、盛り込んだエッセンスに属する真理ないし教訓に対して自分なりに思うがままを、何となく書いてきたつもりなのですが、日本の古典や民話・神話、それに対する心理療法家河合隼雄氏の著作に触れるにあたり、やはり自分が「日本」という文化基盤に属するが故に、今の自分なりの考え方があるのだなと実感しました。 それならば、どうせならその部分を徹底的に追求してみたい。欧米化のド真中に位置する世代の自分の中に眠る「日本人的な資質」に目を向けたい。そんな自分自身のアイデンティティ探求の途上で前回の『青ゐ鳥(アヲヰトリ)man-wo-man』は生まれました。 今回、自分としてはかなり未知の題材に着手してみたのですが、大きなキッカケとなったのはやはり数年前に八重山諸島を旅した時の体験だと思います。 初めて踏んだ南国の地。その"とても同じ日本とは思えない"圧倒的な別天地は、自分の帰属していた風土を見つめ直して余るほどの衝撃でした。 その経験が今回、以前より興味のあった「アイヌ」とこのような形で邂逅を果たすとは…。 きっと掘り下げれば掘り下げるほど発見の多いテーマだと思います。もしかしたらこれは「前哨戦」に過ぎないのかもしれません。 しかし自分のような無知な若輩者だからこそ、新鮮な感動で描き出せる「気付き」もあるのかもしれない。 そんな気概で、とりあえず邁進するつもりです。 小難しいでしょうか?でも、知的好奇心を総動員して観る人の頭をフル回転させる。そんな演劇もあったっていいじゃないですか(笑) 最後まで読んでいただき、有難うございました。9月の上演にご期待下さい。 |