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久しぶりに行きました。
この日は平日だったので、人は少なかったです。
16日ぐらいに入園者数1500万人を突破したそうです。
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ここが広島の中心です。
右が「福屋」、左が「天満屋」です。
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小学校のころ、大芝三丁目に住んでいました。
この祇園大橋を渡って長束小学校に通っていました。
大田川は子供の頃の遊び場でした。
大芝三丁目は幼稚園〜中学二年まで住んでいました。
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ここでいつも買います。
今日はできたてのもみじ饅頭を、店員さんが試食してくださいとくれました。
できたてはめちゃめちゃおいしかったです。

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この日は天気がよくきれいに撮影できました。
こんなに近くで見tのは銃数年ぶりでした。
原爆ドーム・平和記念公園の写真集も見てください。
いい写真沢山掲載されています。 |
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●施設概要
1915年(大正4年)に広島県物産陳列館として完成しました。
設計は、チェコ人の建築家ヤン・レツル氏によるもので、楕円形のドーム、壁面のうねりなどに見られる大胆なヨーロッパ風の建物は当時の広島名所の一つとなり、シンボルともなりました。
その後、1921年(大正10年)に商品陳列所、1933年(昭和8年)からは産業奨励館と改称しました。
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、この建物から南東約160メートルの高度約580メートルで原爆は炸裂し、原爆の投下によって建物内にいた人はすべて即死しました。また建物は一瞬にして大破し、天井から火を吹いて全焼しました。爆風がほとんど真上から到達したため、建物の壁の一部は倒壊を免れ、ドームの鉄枠とともに象徴的な姿をさらしました。
1953年(昭和28年)には、県から広島市に管理が移管され、この廃墟は、いつの頃か原爆ドームと呼ばれるようになりました。
国の内外や市民の保存要請を受け、全国募金により、1967(昭和42年)に1回目の保存工事が行なわれ、保存措置がはかられました。
1989年(平成元年)には第2回の保存工事が同じく全国募金により実施されました。
原爆によって、一瞬にして広範な市街地とともに廃墟と化した広島県産業奨励館の残骸は、原爆の惨禍を伝承していく象徴としての役割を課せられました。
さらに、世界に対し核兵器の廃絶を訴え、恒久平和の実現にむけて発信する広島市民と日本国民の平和への願いの象徴ともなりました。
また、原爆ドームを世界遺産リストに登録して人類共通の財産とすることを求めて、市や市議会、広範な市民運動の結果、1995年(平成7年)6月、国の史跡に指定され、文化庁からユネスコに登録申請がされました。
そして、1996年(平成8年)12月ユネスコの世界遺産に登録されました。 |
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広島では路面電車が今でも活躍しています!
横川駅もリニューアルされてました。
最近は横川もおしゃれな店がたくさんできてきたらしいですね。 |
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可部線は単線です。
広島駅→横川→三滝→安芸長束と結構近いんですよ。
ここから文化女子短大の方向にあるいて5分ぐらいで実家につきます。
平原郵便局の近くです! |
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広島の海の玄関の広島港宇品ターミナルです。
最近新しくなりました。
ここから船で能美島の中町港か高田港までゆき、鹿川までゆきます。 |
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因島もこんな道が至る所にあります。
私にとっては懐かしい道です。
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写真を撮るためだけに、訪れました。
ずいぶん久しぶりです。
懐かしいですね。
やっぱり。 |
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