作者学習日記
(2002年後半:広東語卵期〜卵冷凍保存)

2002年 7月- 9月 (レベルII/広東語卵期)
2002年10月-12月 (レベルII/広東語卵冷凍保存)


2002年 7月- 9月 (レベルII/広東語卵期)


時間的な問題があり、この時期から広東語レッスンは2週間に1度となる。
これまでに発音と声調は深く根付いたし、北京語との混乱もかなり減少。
週1ペースでレッスンを受けなくとも不安を感じず、
去年半年間、完全にレッスンを受けてなかった時のような焦燥感は全然ない。

発音や声調がしっかり根付くまでは最低週1ペースの授業は必要だが、
その関門さえ抜けたら、(特に北京語の知識を持ち合わせていれば)、
後はリラックスして学習できる。
広東語モンシロチョウのまとめで広東語上達が遅れた理由を分析し、
今は「敵、恐れるに足らず」といった感じだ。(これは言いすぎ:笑)

「難しいなー、難しいなー、どうしてかなー」(1998年1999年)と先が見えない時は不安だが、
全体像を把握して自分の現在地が見え、その先も予想できるようになると、
余裕も出て、更にスピードアップしながら楽に進んでいくことが出来る。

この期間の教材もDVD・VCDの恋愛モノ香港映画。
日常会話学習には恋愛モノが適している。
男女の会話バランスが良くて、両方の声のトーンで聞取り練習できるし、
(大概の場合、何語でも男性の話は聞取りにくい)、出てくる単語や慣用表現も実用的。
黒社会(やくざ)モノやお笑いモノは、せっかく学んでも自分が使えそうな表現が少なかったり、
やたら難しかったりして、時間対効果で見た時に余りオススメ出来ない。

主に『愛情白麺包』(ン・ジャンユー/ミッシェル・リー)と『薫衣草』(金城武/ケリー・チャン主演)を使用。
『薫衣草』を使っている時、「金城武の広東語はだいぶ上手くなったね。前は訛りがきつかったけど・・・」
と香港人の先生が何気なく言われ、はっとした。
役者が方言指導を受けて懸命に演じていても、ネイティブには訛りが耳について仕方ない広東語。
それは自分にすれば、他府県出身の役者が演じる関西やくざの大阪弁。
脅しを利かせたセリフも調子っぱずれで、ちっとも怖くない。
きっとどの地方の方でも、他府県出身者が発する地元弁は聞き分けられ、
自分の地方の方言以外は、役者が調子っぱずれに話していても気づかない。

「北京語と広東語の差は英語とフランス語の差以上」と聞かされて、
中国語方言は大変難しいと怯えてきたが、その差は日本の方言間でも存在し、
一文字違うと全く意味が違ってしまう日本語の方言を学ぶ方が、
中国語方言を学ぶより難しいことではないかと思った。
中国語は全て漢字で表され、他方言の音で読まれれば聞いても分からない。
が、その方言での各漢字の音さえ知れば、日常的共通形単語ならば想像も出来る。

大阪には大阪弁ベラベラの外国人も多いし、
そこの空気を吸って、そこの人達と同じ言葉で話したいという気持ちさえあれば、
何語の方言でも習得は可能なのかもしれない。
「広東語学習は決して難行苦行ではない!」そんな明るさを感じられた期間だった。

こんなに前向きな気持ちでいられたのには訳がある。
ある日のレッスン終了後、先生に
「先日行った飲茶レストランの点心を買ってますから一緒に食べましょう」と言われ、
ヒルトンプラザにある陶陶居の持ち帰り点心をご馳走になった。
それ以来、自分でどっさり買い置きした点心を冷凍庫一杯に保存し、
小腹が空いた時や日曜日の朝、食べたい時に食べたいだけ、タラフク食べている。
「美味しくなくちゃ頑張れない!」食いしん坊魂、万歳!!

我が家にストックしている点心一覧:

肉まん・しゅうまいエビ蒸し餃子揚げ餃子はるまきたまごのあんまん
あずきのあんまん・中国カステラ・チマキチャーシューまん

買出し日にはエッグタルト

(点心画像は
福臨門提供で、上記の陶陶居と名前・詳細等で異なる場合があります)

なお、蒸し物は蒸し器で、揚げ物は電子レンジ生もの解凍後、
更にオーブントースターで温めなくてはなりません。
手軽な電子レンジ加熱での手抜きや妥協は絶対・絶対・絶対に駄目です。
その行為は点心本来の美味しさをわざわざぶち壊す、
点心と作ってくれた点心師を冒涜する振る舞いな気がします。
ここで美味しさに執着し、一手間かけられるか否かが、
今後の広東語上達にも深く関わる分かれ道なのです。

ここまで書いて、もう堪りません。
休憩し、飲茶させて頂きます。
皆様はバーチャル飲茶、上達頁飲茶楼へどうぞ。


2002年10月-12月 (レベルII/広東語卵冷凍保存) <2005年8月15日公開>


2003年12月31日
の今、ようやく、一年遅れでこの日記を書いています。

まずはじめに、この日記の執筆がこんなにも遅れてしまったこと、
そして今後暫くもお休みせざるを得ないことを、
皆様に深くお詫び申し上げます。

2003年は私にとって、激変の年となりました。
それまでの生活スタイルだけでなく、物の考え方も感じ方も、
何もかもが、一変し、一変せざるを得なかった時期です。
その変化の詳細は、自分の中で上手く整理して、
未来のある時点から振り返る形で、皆様にお伝えしようと考えています。

この広東語学習日記は私にとって、
もっとも自分らしい自分のいる場所で、大好きな場所です。

今多くの検索サイトにおいて、「中国語」というキーワードで検索すると、
この「中国語上達ページ」が表示されます。
これもひとえに私を支持して下さる皆様のお陰です。
心から感謝しています。

と、同時に、時代の激しいうねりの中で、自分に大きな責任を感じています。
こんなにも多くの方が中国語(北京語)学習を必要としていらっしゃる。
私が皆様に提供できるコンテンツは、まだまだ沢山あります。
オンライン上のコンテンツだけでなく、リアルな空間での活動、
中国語を必要とする方々に役立つ実際的な活動も、積極展開してゆくべき時です。
今暫くは、北京語関連活動に全てを投げ打とう、
そうすべきと感じています。

ですが私は必ずまた、広東語に戻ってきます。
北京語を話す自分と、広東語を話す自分は違ったキャラです。
広東語の音を聞き、発し、広東料理を胃袋に詰める時、
私は「自分が生きている!」と強く感じます。
あの強烈な快感は、他にどんなことをしても得られません。
広東料理を食べる時にだけ、
臓器としての胃袋の存在を強く感じます。
お腹が一杯になったり、心が一杯になったりしても、
自分が生き物で、地球の他の生命体を己に取り込む感覚を与えてくれるのは、
広東料理だけです。

私は広東語文化圏が大好きです。
そこにいる時の自分も大好きです。
美味しくて、楽しくて、賑やかで、良く笑って、良く食べて、グーグー寝ます。

ここは私の出発点でしたし、永遠にホームグラウンドです。
だから、広東語学習の卵は冷凍保存にして、保管しておきます。
そこら辺に打っ棄って、埃を被らせるのではなく、
大事に大事に冷凍庫に保管して、来るべき時が来たら解凍し、
再び広東語学習にのめり込もうと企んでいます。

そしてもし良ければ、あなたも「北京語上達頁」にいらして下さい。
北京語を学び、新しい時代を一緒に創る人になって下さい。
このほんの数年間の激変期を目一杯生き抜き、ひと段落付いた頃、
私たちは一緒にここに戻って来ることにしましょう。

-広東語を愛す同志へ、心からの愛を込めて-

中国語上達ページ 制作総責任者:喜咲公一こと、奥村惠子

2003年12月31日 大阪にて     <2005年8月15日公開>



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