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歌舞伎踊りと名古屋山三郎

阿国が歌舞伎踊りの祖というのは有名な話ですが、
阿国に歌舞伎踊りを教えたのは、名古屋山三郎(なごやさんさぶろう)という男性だったと言われています。

この山三郎という男性。実は阿国の夫(または愛人)だと言われています。
が、実はこれはあくまで伝承・伝説の域を出ないものであり、真実かどうかは不明です。
ここでは、その名古屋山三郎について、少し見てみましょう。

名古屋山三郎
名古屋山三郎は尾張に生まれ、蒲生氏郷に仕えました。
山三郎は、1590年九戸政実の乱の鎮圧などに参加し功を挙げますが、
1595年に氏郷が死去すると出家し宗円と名乗ります。

山三郎は槍の名人と言われており、「槍師、槍師は多けれど、名古屋山三は一の槍」と謳われていました。
そのため森忠政が山三郎に声をかけ、山三郎はそれに答える形で還俗して森忠政に仕えます。

しかし1603年、津山城の築城工事の場において同僚の井戸宇右衛門と口論となり、
その末に切り合いをして、双方討死してしまったのです。

経歴を見てみると、阿国と山三郎とは、全く関係のない人物であることが分かります。
では、なぜこのような人物が、阿国の夫(または愛人)として脚色されたのでしょうか?

これも伝承なのですが、山三郎は美男で伊達男だったと言われているのです。
それが『伊達男』を演じる歌舞伎にぴったりであったため、
後世に『伊達男を演じる歌舞伎を山三郎が阿国に教えた』→『山三郎は阿国の夫(または愛人であった)』
という伝説を作り上げたのでしょう。

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