「沈まぬ太陽」の講演(続編)

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第22集で取り上げた「沈まぬ太陽」の主人公の講演の続編である。恩地元のモデルである小倉寛太郎さんの話を続けよう。この人の原点にやはり戦時体験があると思った。 「」内は小倉さんの話。

「いとこが人間魚雷で死んだ。特攻隊で4000人が死んだ。遺書に、天皇陛下万歳!親兄弟次の世代のために死にます。、とあった。」
ここまで話して小倉さんは絶句され声が震えた。

「次の世代である現在の若者は顔を異様に塗りたくって渋谷の道路に座り込んでいる。後事を託した魂魄が知ったら卒倒するのではないか。軍人の言行不一致を見て偉そうなことを言っている奴が必ずしも偉くないと思った。戦後天皇が戦争責任を取らなかったことが今に続く日本社会の倫理観の喪失(モラルハザード)の原点である。 」

「団体の肩書きは自分の本来のものと思わない。結婚式の貸し衣装と同じ。」
後の質問の時間に私も手を挙げた。「小倉さんの生き方について奥様の理解はどうでしたか?」
「はじめに結婚前に言っときました。おれは出世しないよ。期待がなければ失望もしない。出世に関係なく女房に惚れさせなきゃ。」 「そんなに意地悪されてなぜ会社を辞めなかったのかと聞かれるが、私が辞めて喜ぶ奴もいるが、辞めてがっかりする奴もいる。だからがんばった。 ・・・税金をもっとも多く使う東京大学には功もあれば罪もある。」

「子供の教育について・・・子供から見られて恥ずかしいことは何もない。生殖と排泄以外は隠すことは何もない。法律、経済、文学などの学問は独学でもできる。大学に行くなら実験設備、観測設備がなくてはできない学問をやれと息子に言った。 」
定年後小倉さんはアフリカ動物写真家として、息子さん娘さんは専門職として立派にご活躍のようである。

「人間どこに行っても何を得るかが大事。めそめそしてもしょうがない。ただでは起きないぞというしたたかさを持ちたい。」

後日作者の山崎豊子さんの講演を有楽町マリオンで聞いた。流刑地カラチの夕日を見ながら訪ねてきた妻子と日本を思い夕焼け小焼けを歌う場面、アフリカへ飛ばした社長を病院へ見舞う小倉になぜ非難しないのかと聞いたら「弱いものは鞭打てませんから。」と答えた話をしながら、山崎さんは涙ぐまれた。私もこみ上げ流れる涙をそのままにした。

講演終了後に御巣鷹山事故の遺族から作者に感謝の花束が贈られた。「沈まぬ太陽」をめぐってはモデルとされた人たちの事実とちがうことを書かれたという抗議や、よくぞ書いてくれたという弁護の特集が週刊誌で組まれた。実際のところは私もわからない。多少の脚色、創作はあるだろう。しかし小倉さんや山崎さんが講演で流した涙、それに共鳴した私の涙は硬質で透明で人間として共通のものである。それは動かすことのできない真実である。

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「沈まぬ太陽」の講演(続編)
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