あれれ、前半はブリュッセルやらストックホルムやらカルマルやらミコノスにいたと思ったら、後半は東京熊谷仙台塩釜。ニシエヒガシエの9月でした。 
 

9月30日(火)
「山条たかし/塩釜」

山条たかし氏とお約束の勝利ポーズ

  さすがに疲れがたまってきているが、投票日まであと40日。候補(予定)者は時間がいくらあっても足りない。朝からテキパキとやることをやって候補(予定)者を東京に送り出し。しかしよくこんなことを無給でやってるな。しかも、候補(予定)者はTV取材が来り光のあたる世界だが、こっちは全く裏方。まあ一度自分もやってもらってるんだからいいんだけど。

 午後時間をつくって、かねてからの念願の温泉に行こうと画策するも時間無し。前回の公募仲間の山条たかし(宮城4区)事務所へ。公募の集団面接のときも同じグループで、「お、税理士がいるのか」というのと喋り方に特徴があるので、妙に覚えていた人だ。神奈川から補選で国替え、苦杯をなめたが今回はどうか。

 仙石線の本塩釜というところに事務所がある。電車をおりるといきなり風がびゅーびゅー吹く町。さすが海が近い。もともと漁業の町なので今でも水産加工業などが強い。選挙区内には仙台市内へ通う新興住宅地もあるが、こういう所はかなり戦いにくい。菅直人が以前、「選挙区にいって土地をみれば、戦い方が分かる」と言っていたが、確かにその感覚は良くわかる。

 本間・元知事と自民現職の双方が出る予定だが分厚い壁を打ち破れるか。自民党は税調のヒヤリングを一ヶ月前倒しにしたりして、業界団体の締め付けを既に厳しくしているからね。

 頑張れ、山条!

 メールで送ったはずの資料のファイルが開けず(多分リッチ・テキスト形式で送ったからだと思う)、急遽仙台市内のホテルに戻る。短い睡眠を取って体力回復。この前パソコンを日本に運んだお礼にもらった変な中国の強精剤がなかったら体力が持ってないな。

 候補予定者が戻り、深夜一時半まで作戦会議。しかしスケジュール表をひいてみると本当に時間がない。時間があてば打てる戦略も時間が無くなれば手が限定されてくる。


9月29日(月)
「渡り鳥/仙台編」

 昨日深夜まで作戦会議してたのに朝5時起床。5:45分から朝の駅立ち。付き合いいいなー、しかし本人はもっと辛い。結構乗客数の少ない駅でビラ配り。自分がやっていたときを思い出した。電車の時刻に合わせて乗客が入り口を通過した後は、ホームに止まっている電車に向かって頭を下げる。電車が出て行くまで頭を下げる。誰も見ていないのに。はっきりいって狂人である。

 「銀行の支店長代理までした俺が・・・」と一瞬思うこともあったが、しかし一瞬。本当に勝ちたいと思えば自然と頭が下がる。誰も見ていなくても(しかし結構人は見ているものだ)。もう「コイツあほか。わかった」と思わせるぐらいでないと、誰も無名の僕になんぞ票を入れてくれない。

 相手の候補者が駅立ちなんてしない年配の現職ならともかく、M浪先生である。毎日秘書がどっかの駅でやっている。しかも人数はこちらが二人に対して倍以上。どう考えたって負ける。これに勝つには熱意しかない。

 新家駅では乗客が少ないのだが、駅の踏み切りで車が止まる。乗客が少ないときはその車の窓をノックして、窓を開けてもらってビラを受け取ってもらう。踏み切りがあいたら車がいっせいに動き出すので危ないことったらない。駅のほうで市議の先生が「アホッ、誰か止めんかいっ!候補者が怪我したらどうすんじゃ!」と叫ぶ。弟が走ってきて、変わろうとする。他のスタッフも走ってきて車の窓をノックする(全くいいスタッフに恵まれたもんだ)。恐怖の車ノック軍団。いろいろ思い出したら泣けてきた。

これがマスコミが探し回っている候補者

 とにかく駅立ちも終わって仙台へ。また新たに宮城県で候補者が内定したのだが、彼の立ち上げに行かねばなるまい。しかし長い旅だな。こんなことやってたら全国津々浦々の候補者の所へ行かなければならなくなってしまう。

閣の牛タン、激うま


 記憶をよみがえらせて0から選挙準備。ポスター、ビラ、等印刷物の打ち合わせ、キャッチ・コピー、政策、戦略、事務所、体制、記者会見の準備、ホームページ・・・・・。候補予定者と共に深夜まで。しかし短時間で食べた夕食の牛タンはうまかった。



9月28日(日)
「Don't Stop」

本多平直さんと僕

 熊谷、本多事務所。9時15分にいったらいきなり車に乗ってくれと言われて、走り出すと本多さんと僕の二人でウグイス(男だから本当はカラスという)。うええぇ、普通女性のウグイス嬢が二人のって交代でしゃべって、所々人の集まるところで候補者や市議がスポット(街頭演説)するのが普通なのに、全力でカラスとは。

 喉も内容(喋り)もすぐに勘が戻ったからいいようなものの、喋り続けるのは結構疲れる。プロのウグイス嬢でも、朝8時からやれば昼前には交代し、一日4人そろえないといけないぐらいだ。

 しかも本人が乗っていて、田んぼの中でも子供相手でも全力で気を抜かないから、疲れること疲れること。所々、人の多いところで車を止めて演説。「あ、ここ止めて」とベスト・スポットがすぐ分かるから自分で怖い。僕の時は選挙戦の前に「100箇所マラソン演説」とかやってたが、あのおかげで、どの場所に何時ごろ、どんな人が集まるのか、どこに車を止めれば良いのか分かって本番が始まると大変助かった。事前にそれぐらい把握していないと選挙戦ではお話にならない。

 短い昼食をはさんで4時まで。これで開放されるかとおもったら本多さんは別件で車を降りても、引き続き街宣せよとのこと。しかも交代は経験無しの女性一人。結局日暮れまで、叫びつづけ。自分が候補者のときより辛かった。

 走ったり、街頭演説していても、手を振ってくれたり出てきてくれたりする人がいて、さすが埼玉。近郊部とはいえ都会じゃわい、と妙に感心。そう考えると大阪19区というのは、めちゃめちゃしんどい選挙区だったのだな。


 おとといも書いたが今回民主党の候補者は大変だ。何せ支持率が消費税より低かった森政権とは分けが違う。支持率60%超。しかも、安部幹事長の好感度が60歳以上の女性で8割超えてる。女性に支持されなければ今の選挙は絶対に勝てない。

 しかし一点違っているのは、統一地方選で若い候補者が、上位で当選しているところだ。それも都市部だけではなく全国的に。都会だけだった現象が全国に飛び火している。これも政治に対する閉塞観の現れか。

 そんな訳で、次回の衆議院戦は自民・民主・他に関わらず次のキーワードに当てはまる候補者が選好されるような気がする。「若さ」「センター・ライト」「改革」


9月27日(土)
「熊谷(くまがや)」

 夜中にメールもらって「朝まで」見てしまった。官僚出身の北神くんとか福島くんとか面白かった。バチっと官僚支配の現状を言って、誰も反論できなくなったりして。しかし、事務次官会議の廃止とかいっても有権者にわかるかなぁ。


 渡英中預かってもらってた自分の荷物の整理をして、中山から東京へ。秘書仲間のあべちゃん。ついで法政大学で五十嵐教授。欧州視察で一緒だった原君、林コータロー君、祐二君、前川君、イラストレーターの有田坊さん、鶴岡市議の草島進一さんに会う。

 話も白熱してきたが、次に行かねばならない。埼玉県熊谷、秘書先輩の本多平直(埼玉12区)のところへ。9時半過ぎに駅についたら、うんこ座りのヤンキーたむろする典型的な郊外街。都市近郊・郊外で戦った実績を買われて要請されてきたのだが、大阪19区に比べれば格段都会。しかし、何で今ごろ新幹線にのって熊谷にいるかなぁという気もするが。考えてみたら、一週間毎に住むところを変える流転生活が変わってない。


 本多さんと旧友とスタッフ佐藤君らの会議(飲み?)から参加。一度経験しているだけに、候補者がいまどんな気持ちなのか、スタッフがどんなことを不満に思ってるのか良く分かる。ついでに選挙がどこまで進んでいるのか、も。引退する田並胤あき議員(比例)の後継ということもあり有利とか聞いてきたのだが、全然そうは思わない。郊外は「フワっ」とした空中戦で票がでるようなものでは決して無い。


 必死の上にも必死で頑張らねば。明日は一日付き添います。皆さんも応援してあげてください。熊谷市・行田市・羽生市・加須市・妻沼町・大里町・南河原村・川里町・騎西町・北川辺町・大利根町に知り合いの方がいたら是非。


9月26日(金)
「労働者階級の熱望」

久々の渡辺周事務所。梅田くんとS女史ウィリアム(ケロ)も元気

 13:00本会議、14:00開会式(参議院)、15:00本会議のスケジュールで議員が登院しているので、就任祝いの花屋さんや記者や省庁の担当者らで、ごったがえす。今日議員連中を捕まえないと、テロ特別措置法の委員会関係議員以外は、選挙区にはりつきで(特別な場合を除き)東京に出てくることもない。

 地元挨拶回りをせずに出てきたことは、本当に申し訳無く思ってますが、これが最後のタイミング。今日一日でどういう状態にあって、どこに向かってるのか把握せねば。


 中野寛成事務所、鍵田節也事務所、平野博文事務所に挨拶。昼は、古川元久議員がニューヨークタイムスの取材を受けるのに同席させてもらう。海外メディアも今回の選挙を注目しているが、彼らの観点は、今回民主党がマニフェストを掲げて「政策による」選挙を戦おうとしているが、それはどういう事で、どのように有権者受け止められているのか、ということが一点。アメリカ人から見ると「マニフェスト」という言葉自体、マルクス・マニフェスト(綱領)を思い出すらしく、非常に奇異な感じがするらしい。元々、ヨーロッパだけで通じる言葉だし、日本語に非常に訳しにくいというのはある。アメリカでいう「ポリシー・プラットフォームだと思ってもらえば良い」というとほぼ納得。「有権者に理解されてますか?」という質問も出たが、なかなか実情は難しいようだ。

 実は「公約」と言う言葉があまりにも使われて、破られすぎ手垢がついているので、言葉自体を変えなければならなかったという背景もある。日本語に置き換えると「政権公約」で、実行する予算や期限が明記していることが今までと違うのだが、その違いが有権者にとどくか?

 前ボス、渡辺周代議士にも帰国報告。「支持率60%超の内閣相手に戦うなんて、誰にとっても経験無いからね」と。

 枝野幸男政調会長、大谷信盛議員、樽床伸ニ議員、津川祥吾議員、斉藤淳議員ら他、沢山の議員や事務所のスタッフさんらと挨拶やら近況報告やら。「今回でないのか」「選挙手伝って」という話はほぼ出る。誰だって猫の手も借りたいほど忙しくなっているし、ましてや選挙の頭から終わりまで知っているんだから重宝だろう。候補者が二人いるようなものだから。


 23時半過ぎに、田園都市線に乗って、弟の住んでいる中山駅へ。こんな時間なのに、もうすごい満員で死にそう。しかし、ずっと考えていたのは「これが毎日一所懸あくせく生きてる命普通の人々で、彼らこそが主権者だ。彼ら(自分も含めて)は何を願い、何を求めているのか」。酔っ払ったり、メールを打ったり、パチンコの話をしている人達をみながらずっと考えてた。

 英国労働党勝利の立役者、フィリップ・グールドの『未完の革命』には、WorkingClass Aspiration(「労働者階級の熱望」みたいな感じか)という言葉が、くどいほど出てくる。本当に働いている階級(新中産階級よも呼んでいる)、親の代よりちょっと良くなって、郊外に家を買えたか買えないかぐらいの「普通の人々」の願いから、絶対に離れてはいけない。そして離れないような努力をしたということを、延々と書いている。

 ひるがえって、民主党の政策はどうなんだ?体制はどうなんだ?イギリスにいたときも、駐在員の人やら主婦やら、本来は民主党の支持者になるべき層の人達に意見を聞いた。日本へ帰ってきてからも積極的に「普通の人々」に民主党を支持するかどうか聞いた。悲しいことに答えはNO。たったの一人も「支持する」と言った人はいない(消極的に「民主党には頑張ってほしい」という感じはある)。これは大変なことではないか(僕の聞いた感じと世間の感じ方が違ってたら教えてね)。

 WorkingClass Aspirarion、どうしたらつかめるのだ?


9月25日(木)
「永田町ブルース」

 何だかんだと用事をすませて夕暮れの永田町へ。明日から、解散の前哨戦となる臨時国会が始まる。今日は民主党では自由党議員らも含めた両議院総会が行われた。菅代表のテンションが異様に高かったらしい。

 大半の事務所、秘書も(今日・明日は来ているが)地元入りしていて議員会館はガランガラン。いっとき議員会館で電気のついている事務所は藤井孝男事務所と渡辺周事務所ぐらいだったらしい。残っているところも、公選葉書やポスター、パンフレット作りなどで慌しい雰囲気、選挙前の永田町とはこうか。離れているとあまり実感できないが、目の当たりにすると選挙の実感がわいてくる。ショック療法。

 自由党−民主党の合併で最後まで揉めていた候補者がほぼ決定したようだ。知ってる名前で公認漏れした人も何人かいる。泣くに泣けんな。それぞれに「えーっ」という話を聞くが情報量が多すぎて覚えられない。早く日本チューニングに頭を合わさなければ。


9月24日(水)
「東京」

 色々情報が入ってきて事態が切迫しいるようなので、ともかく明日東京へ。準備に明け暮れる。


9月23日(火)
「People Get Ready」

 帰国挨拶回りに出かけようとしていたが、祝日だと気づき中止。


9月22日(月)
「Get Ready」

 イギリスから帰ってくるときにほとんどの物を捨ててきているので、物の調達。生活を再スタートさせるのは大変だ。

 小泉内閣顔ぶれ決まる。こりゃやられたな。「若さ」が売りだった民主党NCも顔負けの若さ。中川昭一なんて、なんだか分からないけど渋い男前もはいってるし。安部幹事長登場と合わせて、野党の候補者は戸別訪問2万軒ぐらいの努力がフイになった感じか。


9月21日(日)
「大阪ストラット」

 古くからの友人ダシオと四天王寺の市へ。ダシオの友達が沢山店を出している。その後、三年ぶりぐらいにミナミのりょうさんの店へ。久しぶりに濃〜い、大阪を堪能。小泉内閣、幹事長が安部晋三とは恐れ入った。しかし、「『南カリフォルニア大学・卒業』してない」件はどこのニュースも触れてなかったな。ちなみに南カリフォルニア大学の略称はUSCで、地元ではユニバーシティ・オブ・スポイルド・チルドレン(甘やかされてダメになった子供の学校:金持ちの子弟が多い)と呼ばれている。

 某候補者と電話で話す。選挙が11月確定ならば忙しいことになりそうだ。


9月20日(土)
「スタイル」

 機械金属系の組合長をやっていた親戚の叔父さんの所に帰国報告がてら伺う。組合全盛の頃の選挙スタイルを古いといって嫌う候補者もいると聞くが、僕はそうは思わない。学ぶところは沢山ある。話は実に面白い。

 午前中まででエネルギー・ダウン、午後は眠ってしまう。小泉再選。


9月19日(金)
「シンプル・ライフ」

 何はともあれ携帯電話を手に入れねば不便でしょうがない、ということで契約。以前は駅前に2軒も3軒もあった携帯電話ショップが跡形もなく、数駅はなれた所にしか無い。諸行無常やな。古い携帯をそのまま使おうとしたが、「保険もきかないし、一モデル前なら0円」ということで新しいのに交換。すでに全機種カメラ付きになってる。イギリスでは携帯付きカメラなんていまだに「レーザーディスクは何物だ?」状態なんだけど。

 しかし機能が多い。多すぎる。イギリスの無骨で重くて使いにくくて、テキスト・メールしかできない携帯が懐かしくなる。あれはシンプルな世界だった。

 よく、「フランス人は食にカネを使い、イギリス人は家にカネを使う(家の改築とか庭いじりが大好き)」と言われるが、「日本人は電子機器にカネを使う」と付け加えてもいいのではないかと思う。あれだけ新しい製品が出てマーケットが成り立っているということは、頻繁に消費者が買い換えているのだろう。おかげて電子機器は日本が異常に安いんだけど(PCなど海外の半分ぐらいの値段)。買い換えて買い換えて、新しい機器に囲まれて暮らすのがいいのか、何百年も前に建った家に住んで、不便に静かに暮らすのがいいのか、迷うところです。

 時差ボケで正午前には極度に眠くなる。(昼12時=イギリス(前日の)午前4時)。日中寝てしまうので、時差ぼけが直るまでしばらく使い物にならんな・・・。


9月18日(木)
Back to Japan

てらさんと有里子さん

  関空到着。噂に聞いていたが、メチャクチャ暑い。1ヶ月間違ったかと思った。選挙区だった所にスーツケースもって帰ってくるのはなんとなく気恥ずかしい。帰ってくる電車の中で候補者のポスターを探すが、19区も18区も意外と貼ってない。機内で読んだ読売新聞には解散10月10日、投票11月9日で総選挙決まりのような書き方をしていたが、どうなっているのだろう。というか、電車から見えるところに張りまくったのは僕と喜多君だけか。

 日本のおいしいご飯を食べて、愛犬ゴンちゃんとも再会。

 夜に、小・中学校の同級生の寺島誠(てらさん)が来て、この前の統一地方選や市政ことなど地域のことを話す。後で松本有里子さんも加わり深夜まで。いきなりローカルだがスウェーデンで見てきた自治の話などを思い出し、ローカルとグローバルは結びついていると改めて実感。

 


9月17日(水)
「フランクフルト」

 6時起床でロンドン・ヒースロー空港へ。「これが最後」という感慨がわく以上に疲れている。乗り換えのフランクフルトで飛行機のエンジンに異常が見つかったとかで2回も滑走路に行っては戻る。エンジンとコンピューターの取替えで2時間待つ。関空行きのなので、日本人(関西人)が多く。既に機内は関西状態。


9月16日(火)
「ラスト一日」


 いよいよラスト1日。なのに、せっかくLANが使えるので日記の不足分の補足(特にスウェーデン)やホームページのファイルの整理なども行う。容量オーバーしてきてるからね。

 考えれば名残惜しいが、そろそろ戻る時期だ。改めて日本の皆さん、イギリスの皆さん、ヨーロッパの皆さん、ありがとうございました。

 この後、三宅君(大学の後輩・政策秘書の先輩、LSEの同コースに進学予定)と登坂さん(五十嵐教授の教え子、ロンドンの後輩)とでしめやかに送別会。最後に「トラファルガー広場のライオン(三越のライオンの元ね)に乗らなくていいんですかぁ」ということで登る(何やっとんじゃ)。ちなみにアレは誰かに手伝ってもらわないと一人では登れません。


9月15日(月)
「Stoned」

 滞在あと二日。締めはやっぱりローリング・ストーンズでしょう。ということで、ツアーの最終公演になるはずだった(ミックの風邪でスペインとアムステルダムとロンドン・チッケナムスタジアムがキャンセルされた)ウェンブリー・アリーナへ。
 
 チケットはダフ屋から165ポンド(しかし高い)の所を100ポンドで購入。買った後で回りのダフ屋が寄ってきて怒っている。知らんもんねー、もう買ったんだから。席は端っこだがなんと40列目ぐらいの至近距離。隣のブロンド美人を連れた兄ちゃん(フィル)がニヤニヤ笑っている。「いくらで買ったの?」「100ポンド」「おー、そりゃ良かったな、俺は100ポンド売ったんだ。ダフ屋の奴を出し抜いてやって気分がいいよ」とのこと。何でもアメリカのノース・カロライナからわざわざ見に来たんだそうだ。

 話している内に「日本人の方ですか?」隣の人がと声をかけてくる。村上春樹そっくりのおじさん(俺も良く考えたらおじさんだが)、この人もわざわざ東京から見に来たらしい。そしたら、その前の席の金髪のおじさん(でも若く見える)が「俺はドイツから来たんだ、東京ドームの公演も見にいったぜ」と。皆、クレイジーやな。

 このドイツ人、今までに何回ストーンズを見たかという話になって、ノースカロライナのフィルが「7回」と答えると「おれは今年だけで9回だぜ、バカヤロコノヤロ」。続けて「本当はなぁ、この公演がツアー最終日になるはずだったんだよ、そしたらスペインとアムステルダムが振り替え公演になっちまってよ、うう・・・。でもチケットは取ったからな」と、このクレイジー親父何回見る気だ。

 「ただ気になってるのは、SARSで中国公演が延期になっただろ、あれが振り替えになると又行かなきゃなんねえんだよ、バカヤロコノヤロ」。そこで、”村上春樹”さんが「いや、おととい11月に日本公演があるって新聞発表されてましたよ」と教えると、「ぬわにーー、嫁さんに殺されるーーー」と悶絶していた。ファンは大変だ。

 こっちのタブロイド紙(デイリー・メイル)で「ストーンズは年寄りだ(当たり前だもう60歳なんだから)」という記事と、ステージ終了後の疲れきったメンバー(キースを除く)の写真が載っていたので、俺のロンドン最終コンサートなのにしょぼしょぼだったらどうしようと思っていたが、なんと実に素晴らしいステージ。ミックもキースもロンも鍛えているのか引き締まった体つきでよく動くこと(チャーリーのドラムは特段良かった)。60といえば、普通定年だぜー。動きや衣装やステージ構成で一時たりとも飽きさせない。さすが30年以上もやってるだけある。在英年数の長い日本人の某さんが「日本の政治の悪いところは、見せることを考えていないこと」と言っていたが(同感)、こういう所からも学ぶことは多い。

 「スタート・ミー・アップ」から始まり「イフ・ユー・キャント・ロック・ミー」「イッツ・オンリー・ロックンロール」と70年代の脂の乗っているころの曲が続く。キースが歌うのは「スリッピング・アウェイ」「ハッピー」。“村上春樹”さんが曲目を熱心にメモしていたので、Webかなんかを持っていてどこかに発表されているのかもしれない(今回のツアーはホール毎に曲目構成が変わる)。後半、客席中央のステージに移って「リトル・レッド・ルースター」「ストリート・ファイティングマン(政治家の歌だ)」「ブラウン・シュガー」。当初はクールに見ていようと思ったのだが、もうノリノリ。なんせミックやキースが10mぐらい手前で演奏してるんだから。ラストはメインステージに戻って「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」


9月14日(日)
「嵐が待っている」

 朝5時に起きて空港へ。4時間ほど乗ってロンドン・ヒースロー到着。もう疲れきって、すべてにおいて反応が鈍い。スーツケースを預けていた人のところへ取りに行こうとすると、今からハムステッドの池に泳ぎに行くと言う。しょうがないので同行。しかし、本当に池で泳いでるのかいな。

 と、思ってたら本当に泳いでました。男性用・女性用・混浴(?)用があり、男性用の池の周りはゲイ・カップルだらけ。睡眠不足でヒース(草原)の上で眠る。常宿のホルボーン寮に帰ってきたら午後10時半。

 ところで

 いよいよ17日、日本に帰国します。長いようで短かった1年間。色々支えていただいて、皆さん本当にありがとう。日本の政治状況も民主-自由の合併があったり、自民党総裁選があったり、いよいよ遠隔地ではニュアンスがわからないような感じになってきました。さて、帰って頑張るぞ!嵐が待っている。


 おまたせしました。現地時間9月13日21時05分(日本との時差6時間)、ようやくネットに接続できました。不完全なところもありますが、後で直します。では、どうぞ。

9月13日(土)
「アテネ」

パルテノン神殿

 やっとプロバイダー接続の着信音が聞こえるところまでこぎ着けだが、ネットも開けないしメールのやり取りもできない(何やっとんじゃ)。世界中のいろんな国で日記を更新してきたのに悔しい。なんだか全部に腹が立ってきた。

 フロントでベッキーに港への交通機関を聞いたら「他のお客さんがタクシーを呼ぶからいっしょに乗っていく?」とのこと。15ユーロ。ベッキー、ぼり過ぎとちゃうか、と思うがとにかく港へ。ここからアテネまで「スーパージェット3」という高速船でアテネに戻る。

 TV中継で国会の様子をやっている。解散総選挙が近いせいか、結構盛り上がっている。全然言葉は分からないのだが、国会の答弁や演説の様式は同じ。言葉がわからない分だけ、こいつ真剣にやってるなとかはぐらかしているなとか感じられて面白い。日本とそっくりクラスメイトのクリス・ディアマスの親父は映ってなかった。

 高速艇が着いたところから地下鉄にのる。数駅走ると全員下ろされてバスに乗り換え。来年のオリンピックに備えて工事しているらしい。確かにあちこち工事だらけで、古いボロボロの建物と渾然一体となっている。オリンピックにかこつけてインフラ整備をしてしまおうという魂胆。こう考えると大阪市がオリンピック招致活動をしていたけど、あれは開発途上の政策やな。どこでもそうだが、ここは特に落書きが多い。こういう美しくない落書きをする奴は心がすさんでるとしか言いようがない。

 せっかくのアテネで観光もせずにネット接続にかかりきり。2時間ほどやって、「再起動してダメだったら、もうあきらめよう」と思ってやったら、なんと繋がった。実に一週間ぶり。

 機嫌が直って、シャワーもあびて、夜9時半。ほとんど店が閉まってるだろうと思いつつ出かけたら、開いてるわ開いてるわ、人がわんさかいる。パルテノン神殿までの道は、まるで大晦日の参道のよう。ぐるぐる回って行きついた建物に入ると、突如、野外劇場の舞台袖に。しかも、もうすぐコンサートが始まる模様。チケットが必要だったのかしらん。とにかく、古代そのままのイロド・アティコス音楽堂で聞くのは幻想的。



 パルテノン神殿は夕方で閉まるらしく周りを歩いただけだが、小高い丘の上に例の神殿があり、夜見ると確かに神々が降りてきそうな場所だ。

 最後に地元民で込み合うタナトスで、スブラキ(マトンの串焼きと野菜を分厚いクレープのようなものにはさんだ食べ物)。噂どおりのうまさで、「アテネっていいなぁ」と意見変更。
 


9月12日(金)
「サントリーニ島/ギリシャ悲劇・美人天国」

絶景天国・美人地獄

 とにかく何が願いって、というか悲痛な願いなんだけど、インタネーットをつなげたい。ロンドンはあの調子で散々だったし、とうとうホテルだからまともにつながるだろうと思ってたらミコノス島では全然つながらない。外はすばらしい景色で行きたいとろも沢山あるのに、部屋の中でああでもないこうでもないとイラついているなんて、情けないったらありゃしない。こりゃ悲劇だ。しかし、全然つながらない。

 11時に借りていたバイクを返しに行き、12時過ぎにホテルを出発。14時30分発の高速艇に乗るべく港で待ていたが、その前に入ってきたフェリーに何か犯罪があったらしく警察やらがきてなかなか出港しない。おかげで炎天下の中一時間近くも待たされ、干からびてカラカラ。

 1時間半ほど乗って「おお着いたか」と思うと別の島。どうやらいろんな島に寄って行くらしい。いったい何時につくのやら。隣に座っている黒人カップルの女性のほうが島に着くたびに「この島はどういう島?あなたの日本語のガイドブックにはなんて書いてあるの?」と聞いてくる。その度に『自由旅行』(ロンドンで登坂さんに借りた)やら『地球の歩き方』(ホテルに置いてあったのを失敬してきた)やらを英訳して聞かせてる俺って何?

 そうこうしている間に、これも観光客に人気のあるサントリーニ島に到着。この島の特徴は断崖絶壁で、その上のほうに街ができていることだ。特に絶壁からみる夕日は最高とのこと。また、伝説のアトランティスとはこの島ではないかと言われている。何度か火山が噴火し、その時に高度な文明をもった都市が突如滅んだことを示す遺跡が多く見つかっている。なお1952年にも火山が噴火し、街が壊滅している。

 「船が着いたらタクシーに乗れ、10ユーロ以上払っちゃダメダヨ」と旅行代理店のゾルバ親父に言われていたのだが、観光客が山のように降りてくるのに、タクシーなんて3台ぐらいしかありゃしない。何故か「おまえ一人か、じゃ乗れ」とさっさと一台に乗れたが、相席で乗り込んできた兄ちゃんらは「40ユーロだすから乗せろ」と交渉して乗っていた。

 ホテルは街中に近ければいいな、と思っていたのにタクシーはどんどん街中を遠ざかる。やれやれ。到着したホテル・スポリティカは断崖絶壁の所にへばりつくように建っているホテル?でちょうど夕日の時間。観光客がカメラを抱えて待っている。確かにこの夕日は美しい。

 部屋は何故か長期滞在向きの皿やらキッチンがある狭い部屋。おいおい、これで135ユーロはぼりすぎやろ、と思ったが案内してくれたベッキーが可愛いので許してしまう。あかんな、俺は。


9月11日(木)
「パラダイス・ビーチ」

ごめんねパラダイスビーチの写真じゃなくて

 段段、体力も回復してきたのでバイクを借りてビーチに行く。島にはレンタ・バイク屋がいっぱいあって、そこら中でバイク(スクーター)が走ってる。こんなことになると思ってなかったので国際免許証をロンドンに置いてきた。それでも何とかなるだろうとホテルのお姉さんに頼むと二軒目でOKがでた。「10分で彼女が迎えにくるから」といわれ「彼女???」と思って待っていたら、現れたのはすごい美人(東洋系と西洋系が混じっているからか美人が多い)。車で迎えにきてくれたのかと思ったら、やっぱりバイク。しかも、ノーヘル(ヘルメット無し)。死ぬんとちゃうかという思いと、美人につかまってのドキドキとで、どう感じたらいいのか分からない。一日11・5ユーロ。「あら50セントがないわ」と言っていたのだが「ええよ、ええよ、おつり無しで(後ろにのっけてもらって、つかまらせてもらって)」とまさに「おっさん状態」。

 海に夏にバイクとくれば、もう独壇場。気分は最高にノリノリ。さてどこのビーチに行くか。ガイドブックによれば一番人気は「スーパー・パラダイス・ビーチ(ベタな名前やな)」「ヌーディスト・ビーチとしても有名」おぉ、これか!と思ったら続いて「ゲイのカップルも多い」とある。げぇ(しゃれか)、どうすればいいのだ。

 とにかく行って見ると、普通のカップルも多い。しかも全員が脱いでいるわけでなくトップレスの人が何割かいるぐらい。日本人の新婚さんも多い。しかし海外で日本人の新婚カップルをみるとメゲるよね。いや、女性はいいんだけど男性がなんだか頼りなさそうでカッコ悪くて。ま、どうでもいいが。

 2時頃に帰ろうとしたが、あまりに天気がいいのでしばらくバイクで走る。但し、昨日も書いたがここではほとんどがノーヘルで、しかも、坂がまっ逆さまに落ちるんではないかというぐらい急、周りは石だらけ。「ミコノス島で死んだらどうなるんや」と思いながらひたすら走る(大体僕はバイクが大好きで日記には書いてないが東京−大阪をバイクで往復したことがあるぐらいだ)。

 アグラ・ビーチという所に着いたが、これはあまり人も多くない静かなビーチ。しかし、ここには本当にオール・ヌードの人達がいた(男も女も)。魚を見たいので岩場でもぐる。さすがに熱帯魚みたいなのはいなかった。

 夜はバイクで街に出て、迷路のような路地をさまよい歩く。蛸の煮込み、チーズの焼いたのとギリシャ・ビールで夕食。酔っ払ってノーヘルで無免許で走るなんて日本ではできんな、と思いつつ夜の丘を走って帰る。月は満月。まさに「ママ・ミア(アバの曲を使ったミュージカルでギリシャの島が舞台)」の世界。

 


9月10日(水)
「ミコノス島」

ミコノス島の夕日

 真っ暗な中アテネ空港に到着(あまり寝れなかった)。空港は来年オリンピックがあるせいか非常に整備されていてきれいだ。とりあえず島へ行くかということでツーリスト・インフォメーションへ。「詳しい船(フェリー)の時間は空港に入っている旅行代理店に聞いてくれ」ということで、その中のひとつのブースへ。

 3・4・7泊エ−ゲ海クルーズ・ツアーの張り紙がしてあったので、「これは?」と聞くと月・金出発だという。「ん、兄ちゃん、どこ行きたいの?個別に船と宿の手配するしかないよ。おっちゃんにまかしときな」と代理店のゾルバ親父がスケジュールをくみだす。「ミコノス島2泊、サリトリーニ島1泊、アテネ1泊でいいだろ。しかし、何で日曜日に帰っちゃうのかねぇ、カタカタ」とパソコンを叩きながらずんずん組んでいく。なんだかボラれてるんじゃないかという気もするが、「大丈夫、まともに泊まるより安い。俺がスペシャル・プライスを引き出してやるから」とゾルバ親父。こういう時は判断が難しいが、なんとなくこの親父、信用してもよさそうなので任せておく。それに他に選択肢もないんだし。

 そうこうしてる内に6時発の市バスが出発、7:40ぺリル発のフェリーに乗るのだ。そう考えると、朝の4時10分につく飛行機も意外と効率性がいい。何せ島と島の間がフェリーで5時間6時間かかったりするので。

 僕の乗ったのは高速艇で3時間で着いた。徹夜状態なので途中の景色を見たいと頑張ったが完敗。もう目が開かない。船が止まって人が降りてるので、起きなきゃと思いながらも、体が動かない。最近、ろくに寝てないし、重い荷物もって引越しまでしたからなぁ、何とか起きて出ようとすると「ここはディノス島だよ!次!次!」と怒鳴られる(感じの悪い怒鳴り方ではなかったが)。8割ぐらいの乗客が降りたが、現地の人が多かったようだ。

 再び席に着いてボーっとしていると、船内で映画がかかっている。例のジャマイカ人がボブスレー(雪の上をソリですべるやつね)でオリンピックに出場するやつ。ちょうど最後のところで、マシンがこけて自分たちで歩いてゴールするところ。何故かボロボロ涙が出てきた。ええやん、アホでええやん、ジャマイカ人がカーリングするなんて無理なんや。無理なんや、何にも無しで国会議員に当選するなんて(新党ブーム以前は田中秀征只一人)。無理なんや、日本を変えようとするなんて。無理なんや、政権交代なんて、無理や無理や、すべて無理や。でもええやん、歩いてゴールすれば。やるだけやればええやんか。

 という気がしてきた。多分神経が疲れていたんだろう。きっと。

ミコノス名物-猫


 ミコノス島に着いて港から見ると、白い小さな家に青い窓枠、真っ青な海、パンフレットなんかで見たことあるようなエーゲ海の島そのもの。タクシーを探してウロウロしているとホテルの名前の書いたおんぼろヴァンが走ってくる。無理やり止めてじいちゃんに乗せてくれというと「今から街へ行ったりしてホテルに戻るのは1時間後ぐらいだけど、まあいいや乗れや」みたいな感じで乗せてくれる。事務所に寄ったりスーパーで買い物したりと、島の大体が分かるし結構楽しい。しかし、エジプトもそうだったが、こういうオンボロ・バス(ヴァン)が走っているような所は燃えるね。面白い。スウェーデンもいいんだけど、ちょっと先進国すぎるか。

 なんやかんやでホテル・アレックスに到着。迷路のような白い壁の建物。おお、猫がいる。ミコノス島の猫というのは有名なのだ(ドイツ人カメラマンによる写真集がでている)。やせていて、すばしっこそうで、人懐っこい。ホテルはこれで85ユーロが高いのか安いのか分からないが、典型的な島の家みたいな感じで悪くない。但し、何度やってもインターネットに接続できない。毎日更新してると、ネットに接続できないとイライラする。

 疲れきっていたので、プールで少し泳いで激寝。夕食はホテルで。ヤギのチーズを乗せたギリシャ風サラダにムサカに海老にイタリアンデザートにギリシャ・コーヒー。どれも特筆したくなるぐらいうまい。


9月9日(火)
「ギリシャへ」

 イギリス滞在も最後に近づいたので、「行きたいとこいっとこう」とギリシャ行きの飛行機を探す。そういえば今年の夏は一度も泳いでないし、EU加盟国最南端(最東端)でEUの補助金で持っている国ギリシャでも行っとくか、来年オリンピックだし、というわけである。実際のところ、修士論文提出−五十嵐軍団との視察旅行−引越しとメチャクチャ疲れた。島でもいって少しのんびりしたい。

 飛行機は満席でなぜか22:40発しかなかった。昼間は学校のLANに接続すべく格闘する。メールは学校のPCで見れるが、どうしてもホームページを更新しないと気分が落ち着かない(寮は外線がかけられない)。ITセンターの優しい黒人のお姉さんに助けてもらってうまくつながったのだが、自分でやるとうまくいかない。そのうちにWindoowsが壊れて、再フォーマットする羽目に・・・しかしこのPC(借りてる奴だが)よく壊れる。

 なんだかんだしていて、夕方、友人の家にスーツケースを預かってもらいヒースロ−空港へ。22:40発、ヒースローの最終便だ。到着は朝の4:10。そんな時間にアテネの空港についてどうしろっていうんだろ。待合のシャワー室でちゃっかりとシャワーを浴びて、いざ出発。もう体が鉛のように重い。


9月8日(月)
「ロンドン」

 いったん前に借りていた家に戻って荷物をとってくる。荷物といってもTVやらステレオやら炊飯器やら変電器やらがあって相当の量。ヴァンをハイヤーして学校の近所のホルボーン寮へ。ハイヤーした白タクの運ちゃん(インド系イギリス人)が、「兄ちゃん、引越しかい?」と聞いてくる。ん、まあ学校が終わって、こんなあんなでしばらく寮に住むってことを説明。「で、なんの勉強してるんだよ?」

 「政治」と答えると、「オー、私の神様。私の神様」と首を頭がおかしくなるんじゃないかと思うぐらい振ってる。「政治だってぇ、政治だってぇ。政治家がやることってのは、兄ちゃん知ってるかい、毎日ウソをつくことだぜ。なんてこった。政治だって」と、まあいいんだけどね。しばらく首を振った後、「で、兄ちゃんは政治について書こうとしてるの?政治家になろうとしてるの?」と聞いてくる。嘘をつこうかとも考えたが「政治家だ」と答えると、もう信じられないという顔つきになって目は空ろ、ブツブツと独り言を言い出した。そんなに評判悪いのか・・・・。

 夕方から三宅くんやら登坂さんやらりょうさんやら千春さんやらが集まって、荷物の形見分け。もって帰るには重過ぎるし、郵送費も高いからね。

 しかし、この寮、外線がかけられない。日記も更新できず、メールに返事も出せずにごめんなさい。


9月7日(日)
「ストックホルム」

皇室の住むドッケンホルム城

 朝7時にたたき起こされて、調査団とともに空港へ。彼らは8時台の飛行機でロンドン−ジュネーブへ行く。僕は18時の飛行機を取っていて、買えてもらおうと思ったのだが、安売りのチケットなので不可。「ごめんなさいねー。でも街へ出て色々見て回ったらどうかしら」とチェックイン・カウンターのお姉さんに言われる。まあ、それもそうか。

 ということで、再び街へ。しかし、ストックホルムは朝の10時とか11時に開くところが多い。街は昨日も見たので、時間のつぶせる(なんせ10時間ある)ドッケンホルム城へ。ボートで1時間。肌寒い中デッキで座っていると、現在皇室の方が住まれているドッケンホルム城へ。まるでおとぎの国の城みたいだ。ボートが着いても城が開くまで1時間以上あるので、ベンチに座ってMDを聞く。

 前にも書いたが、スェーデンは空気が澄んでいるせいか、北極に近いせいか太陽の光に独特のものがある。なんだか紗がかかったような感じ。そんな光と静寂の中で音楽を聴くと不思議なことに、今まで聞こえてなかった細部の音まで聞こえる。

 よく整備された森を歩いていると、家族連れが日向の芝生の上でくつろいでいる。そうでない人も絶対いると思うが、スウェーデンの人はなんだか幸せそうに見える。収入もそんなに高くないはずだが、ヨットやボートはごまんとあるし、湖畔や森を散歩している家族の顔は満ち足りているように見える。

 ふと小高い丘の上で強い思いにとらわれる。「帰りたくない」いままで、大人数で動いていたので急に一人になると寂しくなる。イギリス・ヨーロッパで会った色んな人の顔が浮かんでくる。

 しかし、帰らねば

 ストックホルムからヒースロー空港に帰ってきて、「もしや」と思って今日泊まる予定のホルボーン寮(休暇期間中は一般の人に一泊30ポンドで貸し出している)に電話を入れるが誰も出ない(結局メールに書いてあった電話番号が間違っていた)。「チェックインは21:30までにするように」と書かれていたので、このまま行って街中で締め出されたらまずいと思い。ヒースローの近所で野宿。


9月6日(土)
「ノーベル賞の都」

ストックホルム市長舎

 便の関係で朝4時に起きてストックホルムへ。着いたらノーベル賞の受賞スピーチをするストックホルム大学へ。その後傑作建築といわれる市庁舎へ。1800年ごろ建てられたのだが、興味深いのは領主とかそういうのではなくて、市民の寄付などでできたものであること。庁内にも大工の棟梁などの胸像が飾ってある。こういうところからも市民自治の伝統が分かる。そしてここは、ノーベル賞の晩餐会の会場でもある。確かにここは「市民」とか「自治」とかがしっかり根付いている感じがする。ノーベル賞はここでしか有り得ないだろう。ダイナマイトを発明したノーベルは市中心街の北のはずれに住み、実験中の爆発で弟を亡くしている。

 ストックホルム市の議会は定員105名。女性が半分(ちなみに閣僚も半分女性、「男性の最低枠を設けなくてはならないんでは」とガイドさんが冗談を言っていた)。議会は午後4時から始まるが、大体席に着くのは6時ごろ。赤ちゃんを抱いてくる議員もいるとのこと。報酬は無しだが、資料読みなどの時間に当てる歳費は出る。

 旧市街などを見学して、ようやくチェックインできる時間になったのでホテルへ。皆疲れきっている。夕食時、明日日本に帰るメンバーの為にお別れの食事。五十嵐教授がいつものごとく「ストックホルムの印象を一言で言ってみろ、ほら端から」と質問。「水の都」「ダメだ、JTBのパンフレットに書いてあるようなことを言うな!」等々、鋭い指導入り。僕は「柔らかな光」といったがこれもダメ。一番良かったのは、高橋祐二君が言った「ノーベル賞の都」でした。


9月5日(金)
「カルマル」

事務方のトップと五十嵐教授

 連日の激しいスケジュールで朝起きても疲れが取れん。重い体を引きずりながらカルマル市役所へ。副市長と事務方のトップと環境部門の人のそれぞれに話を聞く。スウェーデンの自治(コミューン)については、自治の理想形として語られることが多いが、資料からではあまり分からないことも多い。特に運営の構成だ。

 市長は有権者の直接投票でなく、議員の互選で選ばれる。市長が与党側、副市長が野党側で、政権交代があったときにスムーズに引継ぎができるようにということだ。ここから既に理解ができない。そして議員(65名、7万人人口)の中から、15人ほどが・エクゼクティブ・コミッティー(運営委員会)として選ばれる。これも与野党入る。ここが実際の運営にあたっているようだ。アングロ・サクソン(英米)型の対決政治とはまったく違う、比較政治の大家リップハート教授の言う「コンセンサス・デモクラシー」だな。確かに最終的には多数決するにしろ、多数決というのは少数派(49%以下)の意見を切り捨ててしまうことだからな。あまり良いとは言えない。日本もどうもモデルにするのはアメリカ、ちょっと気の聞いた人でイギリスぐらいだが、土壌的にはアングロ・サクソンの対決型政治は向いてないんではないかと思う。

副市長(野党のトップ・保守系)
与党が会議をする会議場で



 行政側には政党の指名で職につく、ポリティカル・アポインティー(政治的任用)などはなく、ポジションは公募される。現在の事務方のトップも25年市役所に勤めた彼が公募で選ばれた。おやおや、意外だな。続いて色々聞く。

「予算計画のときに市民の公聴会や市民参加はあるか?」
「無い」
「市民の直接投票はあるか?」
「無い」
「市の都市計画に市民参加はあるか?」
「主に行政と議会がやっている」
 ・・・・・・・・
 あらら、意外と市民参加してない。

 というか、逆に市民から選ばれた議会があるのに何でそんな事するの??という顔をしている。そうか、日本は議会が信用でないから、議会を回避するために公聴会や直接投票や大統領制(首相公選制)の制度を考えねばならんのか。スウェーデンの自治のすごいところは、制度がどうこうじゃなくて、選挙がまともに行われていて議会がまともに市民の意向を反映しているという点なんだな。

 スウェーデンの選挙制度は完全比例代表制(リスト制)で国政は4%の最低得票が必要。地方は最低限無し。ヴェスタビックのような小さな街でも11政党ぐらいある。そして与野党は一議席ぐらいの差でほとんど伯仲している(3市とも)。

 市の開発や水道や電気はほとんど第三セクターでやっている。「借金があるだろ!」と追求しても、ほとんど無い。市の借金も収入のわずか1%ぐらい。「何故こんな健全経営なんだっ、日本の自治体はほとんど破産状態だぞ(特に三セク)!」と詰め寄っても「それは税金が安いからじゃないですか」とのこと。ちなみにスウェーデンの税は33%が地方税(うち1・5%が教会税でこれは払っても払わなくても良い)、収入で200,000クローネ(約300万円)を超えた分につき20%の税金がかかり、これは国税になる。もっと滅茶苦茶高いかと思っていたが、そんなにびっくりするほどではないでしょ?納税者からの不満があるか?と聞くと「概ね、OK。要はどれだけのサービスが帰ってくるかだ」ということでした。


9月4日(木)
「ヴェスタビヴィック」
ド迫力の女性議員

 何にもないカルマルの街からさらに車で2時間(北上)したところがヴェスタヴィックという人口3万人の市である。ここで市長(厳密な意味ではちょっと違う)やら都市計画関係の職員の人やら議員やら電気関係の人やらと会う。

 カルマル市は人口3万人の割に議員64人いる(これでも75人から30年かけて減らしたらしい)。ただし、ほとんどがパートタイムで議会は夜6時からで月1回行われる程度らしい。選挙は比例代表制で、何党かで集まって連立を組む。市長は直接投票ではなくて市会議員の中の互選で決められる。日本からは分かりにくいが、執行委員会というのがあって64人のうち野党も含めて15人で執行委員会をつくって、これが市政を監督するようだ。

 日本の市町村合併のことを聞いたが、「合併なんてとんでもない」とのこと。予算の8割が自主予算で国からの予算は2割だと聞くと納得。行政はやっぱり(ものによっては)小さいほうがいいのか。尚、市がやる内容の8割は福祉と教育らしい。

街角選挙ボックスで調査団と

 
 しかし人口3万(有権者1万7千)で議員64人ということは500人に一人。日本の地方議会ももしかしたら、パートタイム制にして議員数を増やしたほうが民意が反映しやすくていいのか。あ、これ言うと敵をいっぱい作るか。あと、「女性議員の数が少なくて困ってる」ということだったが、現在の比率は40%。なんじゃ、そりゃ。

 14日にユーロ導入の是非を国民投票があり、街にもポスターや、有名な「街角ボックス」ができてる。選挙の時もこれを使うらしいが、政党が日替わりでボックスに入ってパンフレットや市民の質問に答えるというものだ。なかなか便利だわい。見通しでは賛成・反対が拮抗。今日も街中のアイスクリーム屋から、市の職員、議員まで聞いたが反対が多かった。ユーロに入ると物価が高くなるとか、経済政策に自由度がなくなるとか、あれはデフレ政策だといった理由が多い。実際、ユーロに入ってないイギリスやスウェーデン、ノルウェーの方が景気がいいんからしょうがない。

 よく自治の理想型として語られるスウェーデンだが行ってみると、ちょっと違うような気もする。まあ、まだ二日目だから良く分からないが。

 明日はカルマル市にヒヤリングに行きます。


9月3日(水)
「ストックホルム」

ストックホルムの波止場と
僕を置いて出て行った船

 昨日23時過ぎに帰ってきて、さらに引越しの準備。今日また五十嵐調査団と合流するためにスウェーデンに行くのだが、これを機会に借りていた家を返すのだ。呼んでいた白タクが到着する直前に終了し、ヒースロー空港へ。空港でも走りに走って飛行機に飛び乗る。

 2時間半ほどでストックホルムへ。料金は3万円ぐらい。北欧は何処もいったことがなかったので、いい機会だ。調査団に日曜日までお付き合いすることになる。

 ストックホルムから翌日カルマル市というところでヒヤリングする為に、国内線乗り換え。時間が5時間ほどあるので、街へでる。

 しかし、ストックホルムは空港に着いたとたんに太陽の光が違う。鮮やかでなんだかすべて紗がかかっているように見える。

 16時10分に中央駅に着き、30分初の観光船に乗ろうとまた走るが間に合わず、目の前で船がでていく。しかたなく歩いて旧市街へ。しばらく歩いて、公園の鳥にホットドックのくずを上げたりした後、空港へ戻る。

 調査団と待ち合わせしていたが彼らが飛行機の時間ギリギリまでこない。待ち合わせのことをすっかりわすれて空港の部屋を借りて会議をしていたらしい。ま、ともかく一日ぶりに再会して、カルマルへ。45分ほどで到着。しかし、カルマルは何もない町だ。気温は最高19度、最低9度ぐらいで少々寒い。


9月2日(火)
「ブリュッセル2」

これが各国首脳が激論した会議室

 11からの会議に「絶対に来い」と言われていたので、ウォータールー始発のユーロスターに乗ってブリュセルへ。到着10時47分。さあタクシーをぶっ飛ばすぞと思ったが、ユーロがない。ATMで引き出そうとしたらカードが中に入って出てこない。ぐげげげげ・・・・。しょうがなく後で取りに来ることにして、両替屋で交換して、なんとか20分遅れぐらいで到着。日本からの皆さんと感激の対面もそこそこに部員の話に加わる。

 彼はEU憲法のタスクフォースに関わっていた人で、本来は競争政策が専門の法律家。EUが「神」についての条項を入れるかどうかでもめた背景や、憲法起草の裏事情などを聞く。



9月2日(火)
「ブリュッセル」

 昨夜飲んでボロボロになりながら家に帰ったが、今日は始発のユーロ・スターでベルギー/ブリュッセルに日帰り。日本から五十嵐敬喜教授らの一団が、EU憲法の調査に来ている。さすがに論文提出日の翌日だから参加しないでおこうと思ったのだが、「小泉が明確に憲法改正試案の提出が2005年と言ってる緊迫した状況下で、何を言ってるか。必ず来い」と一喝された(らしい)。

 二時間しか寝てない中、ベルギーへ。さて

 


9月1日(月)
「終了」
アマンダ・クリッシー・
エイドリアン・ユキコ・ケイコ

 修士論文の提出期限が今日の5時。どうしても上手くまとめられなくて、提出期限ギリギリまで粘る。あんまりギリギリにすると、学校のプリンターが込み合ったり、紙がなくなったり、イギリスでは何が起こるか分からないので4時30分提出。辛かったー。これでもうこの学校で勉強しなくても良いのかと思うと、喜びと寂しさがこみ上げる。

 学部の建物を出ると、提出を終えた学生達がパブや路上で飲み始める。オーストラリア人のエイドリアンに会うと、「良かったなトシ、お前凄いことをやったんだぜ。考えてみろよ、外国語で1万字の論文を書き切ったんだから」と励ましてくれる。Thankyou




「石田日記」 過去分リンク
2003 1月 2月 3月 4月 5月 6月
7月 8月
2002 1月 2月 3月 4月 5月 6月
7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001 1月 2月 3月 4月 5月 6月
7月 8月 9月 10月 11月 12月
2000 1月 2月 3月 4月 5月 6月
7月 8月 9月 10月 11月 12月
1999 12月

      



トップページへ
ご意見、ご感想、激励メッセージはこちらまで