帝王切開の思い出
 私が牧場に勤めて1年半ほど経った頃、やっとホスピタルと分娩房をお役御免となり、ET研究室の方に移動になりました。このころは、正直言ってもう乳房炎や初産牛の初乳搾りや(ホスピタルにはフレッシュ牛もいる)、病気や分娩の面倒を見るのは飽き飽きしていたのです。ただ、緊急の手術の時だけは帰ってきてくれ、と言う約束でした。手術もさんざんやって、ちょっと情熱が薄れていましたがOKしました。そうして、通常はETラボ勤務、時々手術しに片道車で30分の道のりを帰るという生活が始まりました。
 ある日、いつものように牧場から電話が入り、帝王切開だからすぐ来いと言う。「ええー、今日は移植が20頭もいるから5頭くらいはさせてもらえると思っていたのにー。」とか思いながら、ぐずぐずして、結局牧場に帰り着いのは1時間半後くらいでした。「しょうがない、やってやるか」というような気持ちで分娩房に行くと、外部の開業の獣医さんが来て手術の準備をしているではありませんか。聞くと、その牛は投資家がうちに預託している牛で、お腹の中には1万ドルのクローン牛が入っているという。大切な牛だから、手術がうまいと評判のこの先生を、投資家さんが呼んだとのことでした。

 「チッ、せっかく帰ってきてやったのに。」手術がいやで、ぐずぐずしてたくせに、他の先生がするとなると自分の領域を侵されたような気がして、ムッとしていました。
「じゃあその評判の腕をお手並み拝見と行きますか。」と腕組みをして見物を決め込んだところ、信じられないことが起きました。今皮膚を切開したと思ったら、もう仔牛の足を引っ張り出しているではありませんか。また子宮を縫うときの糸さばきの華麗なこと。頭を「ガーン」とハンマーで殴られたような衝撃が走りましたね。
 「負けた・・・。」
 自分はなんて井の中の蛙で、おごり高ぶっていたんだろうと反省しました。

 手術の後、その先生に丁寧に挨拶をし、とてもいいものを見せてもらって、大変勉強になったと伝えました。そして、「先生は、この手術方法はどこで習ったのですか?」と聞くと「いやあ、自分で考えたんです。いつも、何か工夫をして、道具を作ったりするのが好きなんです。」
 「ガーン」第二の衝撃。
  そうだ、いくらたくさん手術をやったって、工夫をする気持ちを失っていたら上達することはない。そんなことも気付かずに惰性でいやいや手術をしていたなんて。この日を境に、再び情熱を取り戻したのでありました。

数年後、私が農家さんと共にカリフォルニアに視察に行ったとき、偶然この先生と再会しました。「先生の方法は私が日本に紹介して大変高い評価を得ている」と言ったらとても喜んでいました。

−遠き日の思い出でした−