乳牛を志す獣医師は、まず大規模農場で働こう!

・牛漬けの毎日!
私が大学を卒業してすぐ働いた牧場は、搾乳頭数3400頭でした。最初の3ヶ月は分娩房の夜の番を命じられました。一晩に10頭から20頭の分娩があったので、この3ヶ月で約1000頭の分娩を見ました。つまり50頭の農場20年分を、たった3ヶ月で経験したことになります。この経験は、15年経った現在でも、私の難産介助や分娩方法のアドバイスなどにおいて、コアとなっています。

「なぜ、大規模農場がいいのか?」
「多くの症例を見ることができるから。」

毎日毎日、数百頭の搾乳、十数頭の分娩、数十頭の人工授精、毎日数頭の採卵と移植、一日に数百頭の直検、毎日数十頭の病気の治療、毎週数頭の手術・・・。大変ありがたいことに、このような経験を積ませていただきました。疲れ果てベッドに横たわると、寝入りばなに牛が目の前をちらちらするくらい、牛のことで頭が一杯でした。当時はすごくつらくて、今日やめよう、明日やめようと何度も思いましたが、長い獣医師人生のスタートにおいて、このように対象動物にどっぷり漬かる時期を持てたことに、今では感謝の気持ちです。

・数によって洗練された優れたマネージメント方法。
獣医師は、牛が病気の時に呼ばれます。正常でない牛を、主に見ることになります。こちらの入口から入ると、ともすれば、正しく多く生産している乳牛というのがどんなものであるかを、見失ってしまうことにもなりかねません。酪農場で働けば、相手にするほとんどは元気な牛たちです。そしてその健康を支える、より良い管理方法(適切なエサ、搾乳、牛舎環境など)を身をもって経験することができます。大規模農場における動物の管理は、頭数の多さによって日々洗練されるので、省コストで省力的で、しかもよい成績を出せるような、酪農科学に基づいた優れた方法を採用しているはずです。

・個体の治療もたくさんやります。
上記のような内容を、日本の産業動物獣医師に話すと、
「大規模農場で経験を積むだけでは、小さな農家では手も足も出ないのではないのか?」
とよく言われます。
「日本の小さな農家で、我々に求められるのは『臨床』である。大規模農場では生産獣医療(PM)を駆使して、ほとんど病気は出ないし、病気になったとしても経営的に見合わなければ治療されずに淘汰される。施設は立派、道具も揃って保定も完全で、獣医師はエサ設計や定期検診、ワクチネーションプログラムなど、緊急性が低く汚れない、主に群を対象にした仕事しかしていない。しかしそれでは日本の現場では通用しないだろう。緊急性の高い仕事、すなわち個体の治療を、悪い状況の下でもやり遂げられる力が必要なのであり、これこそが日本の『臨床』なのである。」

・・・そうでしょうか?

大きな農場ではきちんとした飼養管理がされていて、疾病もほとんどコントロールできていると思われているようです。しかし実際は、何千頭搾乳していても乳房炎も低カルも四変も難産も出るし、治療も行います。いくら優れたマネージメント方法を採用していたとしても、管理する人間もミスを犯すし、牛も生き物ですから、やはり一定の確率で事故や病気は発生するのです。また、高泌乳牛は管理がよりデリケートですから、適切なタイミングで適切な治療を行うことは、経営的にも大変重要なことだと考えられています。母集団が大きいため、調子の悪いときは病気も数多く出ます。開けたサイロが悪くて、1週間で20頭の四変を切ったこともありました。遺伝改良を急ぐあまり、小さな育成牛にETで分娩難易度の高い仔牛を妊娠させ、難産や帝王切開が多発した時期もありました。血液や糞や泥にまみれ悪い保定で仕事をしなければならないこともあります(例えば、分娩ペンの一番遠くで子宮脱になっちゃったときなどはまさしくこれでした)。保定も大してすばらしいわけでなく、ひとりで牛をとめなくてはならなくて、逃走距離の間合いを計りながら牛の動きを予想してこちらの体を微妙に動かして、牛をひとりで誘導する・・・そんなこともあたりまえでした。

「大規模農場」は、こういうことを言われる先生方が思っているほど、そんなに雲の上にはありません。「個体なくして群なし」です。個体の治療も、悪い状況下での仕事も、数多く経験できることでしょう。大きな農場で修行しても十分、小さい農家でも通用すると思います。

いやむしろ、日本の、生産者の高齢化や労働力不足、資金不足、モチベーションの低下といった様々な理由で、劣悪な飼養状況に置かれているおかしな牛にばかり、新卒の獣医師が変に慣れ合ってしまうことの方がかえって害であると思います。このような農家さんに対しても、正しく飼養すれば、牛はより正しく多く生産してくれるのだということを、説得力を持ってアドバイスできる力の方が重要なのではないかと思います。

・治療もPMも臨床である。
それから、もう一つ言いたいことは、この『臨床』という言葉についてです。日本では、学生さんも獣医さんたちも、臨床=「個体の治療」という意味で使っています。生産獣医療(PM)は、主に群を対象としコンサルタント的で緊急性が低いことから、この『臨床』の対極に位置づけされているように思います。若手の獣医さんや学生さんの中には、憧れを抱いて、「個体の治療なんてもう古い、これからはPMだ。」と言われる方もいます。逆にベテランの先生の中には、敵愾心を抱いて、「PMは日本では通用しない」と言われる方もいます。 PMに対して肯定的か否定的かという差はありますが、どちらも「臨床vs.PM」という構図です。 「PM」という言葉だけが一人歩きして、なんだかとってもすばらしいことのように、あるいは逆に現実とかけ離れたところにあって役に立たない物のように、これもまた雲の上に置かれているように思われます。 臨床とはベッドサイド。産業動物でベッドサイドとは現場のことです。獣医師が現場で、経験と知識と技術ある眼で牛を見る限りそれは臨床です。私はPMを目指して定期的な繁殖検診を行っていますが、改善策の提案は、農家さんとの会話の中からとか、直検した黄体の出来具合や糞の状態、現場での牛の観察から来ているものです。また、緊急性の高い獣医療をやって下さる地元の獣医さんからの個体診療の情報が大変重要で、参考になります。再び「個体なくして群なし」です。 "Y"NOSAIのT先生は、「最近の若いもんはこのことがわかっとらん」と怒っていました。「治療もできん、牛もろくに観察できんやつが、すぐに栄養学とか群管理とか言う」と。北海道の若い先生たちも、雲の上の実体のないものに、妙な憧れを抱いているのでしょうか? T先生曰く、
「PMとはもっと地に足のついたものである。」
これこそ、誇り高き臨床魂ではないでしょうか。牛の栄養学で最前衛を走っておられるA県のS先生も、あくまでも現場での観察を中心に、エサを組んだりその他の改善策を立てたりしています。S先生曰く、
「僕は泥臭いのが好きなんです。」
おお、これも臨床魂

治療、予防、生産獣医療はすべて連続した『臨床』である と思います。治療の対極にあるPMなどというものは存在しません。実体のない架空のものに敵愾心を抱いたり、憧れたりするのは、不毛で意味のないことです。

話が横にそれたので戻します。大規模農場で働くと何がいいのか?の続きです。

・事件は現場で起こっている!
生産を体験することは、現場の作業を身をもって知るということです。机上の勉強では思いつかないような現場の発想が、自然にできるようになります。私たちが学会や研究会に行って勉強してきた理論やデータは、そのままでは絵に描いた餅です。酪農の現場の作業を知っていれば、生産者に受け入れられる「実現可能」な形に加工して、改善策を提案することができます。

・生き物としての牛を知ることができる。
新卒の獣医師は、牛の解剖や生理は知っているかも知れませんが、生き物としての牛をどこまで分かっているのかは疑問です。今、目の前にいる牛は一体どういう状況なのか。搾乳牛なのか乾乳牛なのか。搾乳牛なら何産くらいで分娩後何日くらいで何キロくらいミルクを出しているのか。育成牛なら何ヶ月齢か。気持ちいいのか苦しいのか。おびえているのかリラックスしているのか。どういうときに蹴るのか。発情や病気の牛が見て分かるか。前述のように、保定をするにも牛をよく分かっていればより楽に、より牛にストレスを与えず行うことができます。農場で働けば、牛と生活を共にするわけですから、行動学の本なんか読まなくても、当たり前に牛という生き物が分かるようになります。(ある程度分かってきたら、行動学の本もひもといてください。きっといろんな発見があるはずです!)

・しかし、本当に大事なのは哲学。
以上のように、農場で働くことは、知識や技術を身につける上で大変有利です。しかし実は、これらは付随的なことであって、もっと大切なことが他にあります。

それは「酪農」を、理解して尊敬する気持ちです。

酪農家や農場職員が、日々どんな作業をし、それにどんな意味があるのか。日々どのようなことを考え、何に頭を悩ませながら働いているのか。どのようなことに注目し、興味を持っているのか。産業としての酪農は社会の中でどのような位置づけなのか。・・・大学では教えてくれません。 酪農産業、農場における日々の作業、酪農家の気持ち、これらに対する深い「理解」と「尊敬」を持っていれば、同じ価値観で相談に乗ることができます。農場で働けば、こんな事は当たり前に身に付くことなのですが、新米の獣医師は、いくら白衣を着て首から聴診器を下げていても、酪農産業はおろか乳牛のことさえまだ良く理解できていませんので、農家の相談相手とはなり得ません。また、ベテランの獣医師でも、農家より上に立つ「先生」となってしまっては同じ土俵で相談に乗ることはできません。産業や経営としての酪農を理解して、農家さんと楽しくお話しして元気づけることができるか? このような資質が、これからの獣医師には必要です。

もっと言うと、「農」の理念、すなわち、
「ヒトが生きていくために必要な食料を、大自然や生き物を利用して生産する」
ということの哲学を、獣医師は持っていなくてはならないのです。そういうしっかりしたものの上に立っていれば、例えば、BSEのような逆風が吹いたときでもよろけたりせず、倒れずに立っていることができます。動物を利用してヒトの食料を作る「畜産」という生業は、これから先も、いじめ体質のマスコミやわがままな消費者の攻撃にさらされるでしょう。そんなときのために、獣医師は哲学を持ち、自由化問題やリスクコントロールについて学び、コミュニケーションの技術を磨いておく必要があると思います。農家さんにとって「心強いパートナー」と感じるような、何でも相談してもらえるような獣医師でありたいと思います。

以上の理由から、乳牛を志す獣医師は、大学を卒業したらすぐ、大規模農場に就職することを強力にお奨めします。体力的には大変ですが、実力がつきます。治療もたくさんできます。ぜひ、たくさんの牛を見て、優れた管理を経験し、現場を知り、臨床魂を身につけ、哲学も構築して、明日の酪農を支える獣医師の仲間になって下さい。

蛇足。
将来を誓い合った相手がいる場合は、ひとりで2年も3年も海外に行ってはいけません。私の経験から言うと、ふられてしまいます(^_^;。国内でも、数百頭規模の牧場ならたくさんあり、獣医師を雇用したいと思っています。就職活動の際には、視野に入れておきましょう。(西日本酪農雇用連絡会も参照してください。)


2004.06.08 Kazunori Ishii D.V.M.