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| ある日(2002年3月30日)、知り合いの動物病院に手伝いに行ったら、狂犬病予防注射のビラの分厚い束が、獣医師会より届いていました。「ああ、今年も集合注射の季節かー。」とか思いながら眺めていると、その中に大変な文言を発見してしまいました。
********************************** 私は、このビラを見てすぐに、これを消費者の目に触れさせてはならないと感じ、産業動物臨床研究会の会長で開業のM先生にまず連絡を取りました。そして相談の結果、次のような文書を獣医師会産業動物部会長さん宛に送り、このビラの配布の中止と回収を申し入れていただくことになりました。 ********************************** いつもお世話になっております。○○県獣医師会発行の狂犬病予防啓蒙パンフレットに、問題点があると思われるのでお知らせします。 問題点は、まず、「狂牛病」という言葉を獣医師が安易に使ってはいけないということです。「狂牛病」という病名は、イギリスの農家さんたちが「mad cow disease」と呼んだことから来ています。しかし、英語の"mad"は、自分のかわいがっている牛の様子が「なんだかおかしい」程度の意味で、日本の漢字の「狂」のイメージとはほど遠いものがあります。また「狂牛病」と狂犬病は言葉が似ているため混同されやすく、BSEに罹患すると牛が凶暴になって人間に襲いかかって来るというような誤解を招きかねません。そのため、日本獣医師会は過日マスコミ各社に、「狂牛病」という言葉はなるべく使わないように、やむを得ず使う場合にも「BSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)」というような使い方をするよう申し入れています。それを、この文書では獣医師会自ら「狂牛病」という言葉を用い、しかも狂犬病と並列し、誤解を与える構成になっています。消費者の中には、ニュースで繰り返し放映されるイギリスの発病牛の映像のように、牛肉を食べると人間も足がふらふらになったり、よだれを垂らして凶暴になったりすると思っている人さえいます。我々獣医師は積極的に、正しい知識を一般の人に啓蒙していく必要があります。すなわち ・狂犬病とBSEは全く別の病気であること。 このような知識を我々獣医師は消費者に伝えこそすれ、誤解を与えるようなことは決してあってはならないのです。 さらに、今回のパンフレットは狂犬病予防啓蒙の意図からでしょうが、「危機」「人が感染すると死亡します」「世界中でこんなに広がってる」などと、不安をあおるような表現がちりばめられています。よく読んでくれさえすれば、それは狂犬病のことだと分かるのですが、専門的知識のない一般の方が、ざっと読んだだけでは、「やっぱり牛肉は危ないみたいだ、獣医師会が注意している」「じゃあ牛肉はやめておきましょう」なんてことになりかねません。牛肉の消費は徐々に回復の兆しを見せ、焼肉店の客足も戻ってきましたが、まだまだ予断を許さない状況です。消費者心理はデリケートなものと思わなくてはいけません。現状で、不安をあおる可能性のあるものを、多数の人に、しかも獣医師会の名前入りで配布することは許されません。 養牛農家は今回のBSE騒動によって壊滅的な打撃を受けています。最初の発生から半年以上が経ちますが、未だ有効な対策も補償もなく、流通はストップし、生産者価格はでたらめです。彼らは今、収入減による生活の不安、自分の農場からBSEが発生しないかという不安、政府やマスコミに対する怒り、熱しやすい消費者への不満、理不尽に一方的に悪者扱いされるやりきれなさ・・・それらにさいなまれ、もはや諦観が広まっている状況です。産業動物獣医師は生産者側に立つ人間です。発行が「獣医師会」である以上、産業動物獣医師も発行者の一部と判断されます。このパンフレットが、農協や酪農組合、県の畜産振興グループ、農林水産省といった関係各機関で、問題として取り上げられるようなことになれば、産業動物獣医師と生産者の間で積み上げられてきた信頼関係が損なわれる結果ともなりかねません。 もしも可能でありましたら、このパンフレットの回収を切に希望します。
わかってないよ○○県獣医師会。と、泣きたくなりました。 このビラを見て「やっぱり牛肉は(犬に)食べさせない方がいいでしょうか?」って聞いてくる飼い主さんが絶対いると思います。狂犬病の予防接種を推進したい気持ちは分かりますが、BSEを引き合いに出す必要がどこにあるのでしょう? 堂々と獣医師会の名前入りで、「狂牛病」という言葉を使い、狂犬病と並べて、人間が感染すると死ぬとか書いてしまっています。最悪です。 どうして、私たちが必死に取り組んでいることに対して、こうも無神経になれるのだろう、分野は違えども同じ獣医師なのにと、暗澹たる気持ちになりました。 狂犬病に対するリスクコミュニケーションという観点から考えても、このように不安を煽って狂犬病の予防注射をさせようという考え方が、果たして正しいリスクコントロールの方法なのでしょうか。万が一、今、日本で狂犬病が発生した場合、 ・マスコミ各社はセンセーショナルな報道を繰り返し、 ことは想像に難くありません。このビラの文面に「BSEのような社会不安はもうごめん」とありますが、まさにBSE騒動の二の舞いです。そのような状況になったら、獣医師は正しい知識を啓蒙して不安を取り除く役割を担う立場となります。不安を煽るという手法を安易に使うと、将来自分の首を絞めることになります。 この時点で3月30日。4月1日からは集合注射が始まります。集合注射の会場でこのビラが配布されるのです。もう時間がありません。その夜、ネットを通じて、私の所属する小動物の研究会の先生方にも協力をお願いしました。 翌3月31日、この県の獣医師会狂犬病予防部会の総会があり、何と、このビラの 配布中止と回収が決定!! この当時(2002年3月頃)、BSEに関しては、農家の諦観が伝染して私も諦めモードだったのですが、思ったことは言ってみるものです。私ひとりの力では何ともなりませんでしたが、心ある獣医師諸先輩方のご尽力のおかげで事なきを得ることができました。O酪農組合の熱血U先生は、部会違いのこの会議に単身乗り込み、会長に直談判してくださりました。M先生にはこの問題の最初からお世話になり、また研究会の会費でこのビラを買い取るという申し出までしていただきました。Y先生はY市の市役所に直接、配布しないように申し入れしてくれました。私の問題提起をご理解いただき、総会において配布中止の決議にご協力いただきました小動物臨床研究会の皆様はじめ諸先輩方、本当にありがとうございました。 あとで聞いた話ですが、このビラは獣医師会や予防部会の理事会などを全く通さないまま、一部会員の独断専行で作成された物だったそうです。そのため、作成した先生の他には、ほんの数名しかこのビラに書かれた文面をチェックしていなかったそうなのです。「もう少しで、不名誉な文書を県獣医師会の名前入りで世に送り出すところだった。石井先生のおかげで、水際でなんとかくい止めることができた。」と逆に感謝されてしまいました。私の犬猫のアルバイトがこんな形で世の中の役に立つとは思いませんでした。 めでたし、めでたし。 この事件によって、「産業動物獣医師と小動物獣医師の相互理解を深めたい」という私の思いがますます強くなりました。 2004/06/19 |