仕事を楽しめる人と楽しめない人のちょっとした違いと質問・・こころを鎮める瞑想に最適な時間帯は?
仕事を楽しんで出来る人と出来ない人の小さな差は、仕事を楽しめる質問を( 意図的に )選ぶことが秘訣のひとつだと私は思っています。
人は無意味なことをすることに苦痛を感じるようになっています。
人は誰でも、例外なく
「 何か意味のある価値のあることをしたい。 」
「 何か世の中に役立つことをしたい。 」という根源的な欲求を心のどこかに持っています。
けれども、その( 根源的な )欲求の一つが長い間満たされないでいると、欲求不満から、知らず知らず心に様々な問題がが起こってくる可能率が高まるのではないかと感じています。
ですから、なぜこの仕事をするのか?という意味を問い、意味を発見していくように仕向けていけばよいわけです。
「 意味 」により、人生はよみがえるのですから・・。
意味を問いかけるという点では、第二次大戦下、ユダヤ人として
ナチスによってアウシュビッツ強制収容所に送られ、愛する妻・・家族の多くを失う・・という胸が張り裂けんばかりの悲惨な・・
下劣・・卑劣な環境にあっても、その環境に呑み込まれることのなかった
V・Eフランクルという方について学ぶと良いかもしれません。
コヴィー博士の「 7つの習慣 」でもたびたび取り上げられている偉大な人物です。
私は、心理学の専門家ではありませんが、かなり研究させてもらいました。
フランクルは、胸が張り裂けんばかりの下劣・・卑劣な過酷な状況に置かれても環境からの( 体験的 )刺激に反応的になるという
消極的態度になることを選択せず、
( 状況に能動的・積極的・・主体的に働きかけて、環境を消化・創造し )
それ( 悲惨な現状 )とは全く違う絵を想像力や意志の力を駆使して心に描き燃やし続けました。
彼は、余りにも苛烈な極限状況のなかで
自己と深く向き合い
人間の心と身体を超越する( 自覚と責任ある )偉大な我に出会うことで
自分自身を癒していったようです。
そういう自己に心を鎮めて出会うなかで、ふと周りを見渡すと、強制収容所のような悲惨、下劣な生活空間の中でも、生きることに絶望していない人がたくさんいることに氣づいたのだそうです。
そういう苛烈、醜悪な生活を克服することを通して実感したことは、
「 人というのは
生きる意味は何なのかと
人生に対して問いかけるのではなく、様々な困難の克服や解決を通して
人生という
大きく偉大なものが
投げかける問いに、その人自らが応えていかなければならない存在である」というものでした。
収容生活で生きる希望を失い、生きていても仕方がない・・と自殺を決意しようとした囚人がいたそうですが、
フランクルの次のような言葉が自殺を踏みとどまらせたそうです。
「 このような悲惨な状況では、人生には何も期待できないというのも無理はない。
しかし
あなたの人生には
あなたを必要とする何か
あなたを必要とする誰かは必ずいて
その何かや誰かはあなたに発見されるのを待っている」と。
メーテル・リンクの幸福の青い鳥を探す( 感性を磨く )途方もない旅に出かけた旅人が( 疲れ果てた )旅路の終焉に出かけた家( 足元 )で幸せを体験して味わうような・・表現ですね。
この言葉も実に響きがよく、肩の力を抜いてくれる共感・共鳴出来る味わいがありますね。
私は、この言葉を読んで、「 宮廷女官 チャングムの誓い 」( ←チャングムの成功の理由やストーリー解説をした趣味的サイト )にも書きましたように
韓国ドラマの番組のある場面を思い出しました。
チャングムの師に当たるハン尚官が
チャングムの料理にかける熱情や素養・・内面的な本性に惚れこんで・・
最も信頼の置ける「 片腕としてあなた( チャングム )を迎えたい・・私を手伝ってほしい 」と要請するのですが
チャングムは、( そのとき )天才的な舌の感覚を、ある事件をきっかけに失ってしまい・・
迷惑になるから・・私はあなたのお役に立てません!と拒絶したとき
師に当たる尚官が・・
「 それでも( 舌の感覚が麻痺しているお前でも )私はお前が必要なのだ! 」と強く言い放つシーンです。
フランクルは、同じ境遇の囚人たちを励まし模範的な生活を保ちながら
一方で、「 収容生活のこの体験を克服した心身のあり方を伝えるために大学のキャンパスで教鞭をとっている( 未来の )心の絵をオリンピックの聖火の如く燃やし続けました 」
その結果、心の絵に描いたとおり・
その後
心理療法医として独自のロゴ・セラピー
を創始・展開し、多くの方にインスピレーションを与え続けています。
V・Eフランクルのロゴ・セラピーはストレスに呑み込まれやすい過酷なサラリーマンにとって、学んでおいて損のない本です。
ちなみに
ロゴセラピーの代表的な問いは,その問いを全く逆にする療法です。
「 この人生はあなたに何を求めているのでしょうか? 」
「 何があなたのことを必要としているでしょうか? 」
「 誰があなたを必要としているでしょうか? 」と問うていく問答法です。
7つの習慣を学んでいる方でしたら、フランクルの思想や問いに共感するはずです。
例えば
「 私は、この人生で、今、何をすることを求められ願われているのか 」
「 私のことを本当に必要としている人は誰か。その人は、どこにいるのか 」
「 その誰かや何かのために私に( 主体的・率先的に )できることには何があるのか 」等
ご興味の湧いた方は
V・E・フランクルのことばもご覧になってみてください。
私は、心の研究や統御のことやら・・すぐに元の木阿弥になることに相当に悩んできましたので・・習慣慣性力の応用法とかは・・探求していったら
詳しくなっていました。
これらのページがあなたの悩みの解決のお役に立つことを願っています。
参考文献
それでも人生にイエスと言う
夜と霧 新版
|