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第4回おうみ市民活動屋台村

◆9/28(土)◆おかげさまで無事終了しました。記録は下に。

 

 「ほろ酔い町づくり   パネルディスカッション」  

 さすが、パネラーは一流の仕事人!

 最初、もう息も絶え絶えになるくらい、どきどきしていた私ですが、それぞれにお話の内容が充実していたので、次第に聞いていておもしろく、楽しくひきこまれていきました。

 酒を切り口にした町づくり、この視点はいいとこついてました。
 まず、それぞれの仕事のご紹介。中嶋さん:百笑一座のできた訳(山間部の農業の危機)、上原さん: 「百笑の夢」という酒のできるまでの簡単な説明、徳地さん:地酒の酒屋さんとしてやっていけるようになるまでのお話。私の日本酒との出会いと現在の会の活動。
 しかし、百笑の夢という酒の持つ問題点も出てきました。食用米でつくられているため、保管する時間が長くなると味が落ちる、売れない、保存の場所がとられる……。

 では、どうしたら?そこで、お酒を売る専門家、徳地さんからのすばらしいアドバイスが。「もうけるのではなく、やはり夢をたくさんの人と共有するような売り方を!」というもの。具体的にはブドウの木のオーナーを募集するような会員制はどうかというものでした。これも何かのご縁。私たちも、この百笑の夢が長く飲めるよう、お手伝いしたいな、と思ったのでした。  25部用意した資料もなくなり、追加コピーをして頂くくらい、のぞいてくださったお客様の数は多かったです。

 写真右より徳地さん、上原さん、真中でOHP作業は永野さん、中嶋さん、幡

 時間的には1時間45分程度で終了。

 パネラーの皆さまには本当に貴重なお話をありがとうございました。

 また、びわこの風(おうみ未来塾2期生の会)のみなさんの人脈、準備など、チームワークのよさでできた会でした。改めて仲間を頼もしく感じました。

 最後に、ご来場くださった皆さま。本当にありがとうございました。

 期日:2002年 9/28(土)14時〜16時   
 場所:県民交流センター 3F 302会議室
     (ピアザ淡海)  
 参加費:無料

 テーマ:滋賀の米・醸造・消費  そして未来……
      日本酒が持つ   町づくりの可能性を   大胆にさぐる!
      

 主催  びわこの風(おうみ未来塾2期生の会)

 役割 
 総合司会 永野麻也子     
 パネラー     米生産者  浅井町    百笑一座  中嶋利明
           酒造蔵元  新旭町    上原酒造  上原 績   
           酒販売店  草津市    酒のとくち  徳地 悟  草津市矢橋127-10  (077)565-0070
 コーディネーター 消費者   よいかもかい きき酒師  幡 郁枝  

 
「ほろ酔い町づくり
    パネルディスカッション」  記録

永野)
 みなさん、こんちは。おうみ未来塾2期生の「びわこの風」の永野です。本日は酒をテーマに企画しました。市民活動を行うには、ネットワーク、信頼関係が大事ですが、そのためには美味しいものを食べて、コミュニケーションをつくることも重要です。
  本日は、米生産者で浅井町の「百笑一座」中嶋利明さん、酒造蔵元で新旭町の上原酒造上原績(いさお)さん、酒販売店で草津市の「酒のとくち」徳地悟さんをお招きしました。そして消費者であり きき酒師でもある、「びわこの風」幡郁枝がコーディネーターです。

幡)
 今日は楽しい話を聞けそうです。県内には50ほどの造り酒屋があります。滋賀は米どころ、水もよく、昔から酒づくりの盛んな地域でした。今回はこの酒「百笑の夢」という一つの酒を取り上げて米農家、酒の生産者、売る人、そして飲む消費者という4つの立場からいろいろ話をお聞きしたいと思います。 では、最初に浅井町で米を作っている「百笑一座」の中嶋さんからお願いします。

中嶋) 
 浅井町の北の端、谷口からきました中嶋です。小谷山の麓で戸数35軒の山里に住んでおります。昔から3反ほどの田を人に頼んで作ってもらっていましたが、平成5年の大冷害の不作で自分の食べる米が無い、ということになり、それではいかん、と平成6年から自分で造るようになりました。
 その頃、テレビで「夏子の酒」という番組を見て、酒造りにも興味を持ちました。 昔、谷口集落には、「杉の露」という地酒があり、集落の酒を賄っていたというので、その地酒が復活できたらいいなあと夢のようなことを考えていました。新旭町の上原酒造に谷口の酒を復活したいと相談したら、杜氏の山根さんから、「米15俵用意できたらやれる」という答えがかえってきました。その時点では自分の食べるだけで精一杯の収穫量しかなく、実現の可能性はありませんでした。
 ところで現代の米づくりには、機械化で金がいります。このため、営農ビジョンで集落営農を取り入れ、平成11年に集落9人で「百笑一座」を設立しました。こうして、米が余るようになりました。その当時「百笑一座」のことを連載している中日新聞の「さざなみ通信」(湖北1市3町対象)に酒造りへの夢を書いたことがありました。それを見られた方が、上原酒造に連絡され、平成12年に本当に「百笑の夢」がつくれるようになりました。 余り、儲けにはなりませんが、楽しみながらやっています。

上原)
 新旭町で酒造りをしている上原です。創業は、文久2年1862年幕末の頃です。 祖先は、鹿児島ということはわかっています。私が6代目で、今5代目が社長をしています。 年間5百石、1石は1升瓶で100本です。大手の「月桂冠」のようなメーカーなら半日で造る量です。 機械化していない手づくりの酒です。私自身は11年ほど前、杜氏が変わるときに仕事を始めました。それまでは、サラリーマンをしていましたが、酒を造るほうに関われとの親の意見でその時はしぶしぶ製造を担当しました。
 昔から、農家の方が冬場に仕事のない時、杜氏となって酒づくりに関わっています。丹波、能登、但馬、南部の杜氏が有名です。杜氏、蔵人は、平均年齢が63歳か64歳で跡継ぎがいません。半年以上家をあけるつらさもあり、後継者不足で、杜氏がなくつぶれる蔵もあります。 酒の材料は、米ですが、酒米は大粒で食用には余りおいしくありません。麹、発酵、もろみ、搾りまで2ヶ月かかります。
 今、「百笑の夢」の製造スライドを見てもらっています。これがしぼったときの生酒です。17度から18度で口当たりはいいですが、飲み過ぎると足にきます。酒は、当初琥珀色で、ろ過をして無色にしている酒が多いので無色透明という印象が清酒だという印象ができあがっているんです。 県内で60社ほどの蔵がありますが2/3しか実際に酒を製造してません。残りは酒を買って自社ブランドにしています。酒造りの将来は、不透明で必死に生き残りをかけています。私はお客さんに気に入ってもらえる酒を造るのが使命と思っています。

徳地)
 草津で小売をしている徳地です。日本酒、ワイン、焼酎を扱い、ビールは扱っていません。22年前に酒の新規免許をとりました。それまでは、ビール会社に勤務していました。当時の酒屋は、「キリンビール」、「月桂冠」、「キッコーマン」の醤油を扱えば商売ができていましたが、問屋を通すとどこにでもある酒でしたので、何とか特色を出したいと3年ほど酒蔵を歩きました。
  私は、当時、大手の「月桂冠」や「白鶴」などの酒を飲むと、頭が痛くなっていましたが、新潟の「〆張鶴(しめはりづる)」にめぐり合って初めて飲めるようになりました。そこで新潟、北陸などを毎年必死に歩きました。平成元年に酒の級別廃止により、日本酒の情勢は一変し、蔵元を歩く酒屋が増え、3年程混乱しましたが今は落ち着いてきました。 造り手であるお蔵の顔の見える酒屋になりたいと頑張っています。

幡)
 私は、普段はビール、ワイン、日本酒を飲んでいましたが、去年の秋に米原で、おちょこを500円で買うと、滋賀の日本酒試飲し放題というイベントに参加したのが、日本酒にはまるきっかけになりました。純米酒と普通酒の味の差に驚いて、日本酒のおいしさに目覚め、そのためきき酒師の資格もとりました。 この資格は、酒をききわけるより、酒の特徴を知って、その酒をプロデュースするものだと、資格を取ってから知りました。今は滋賀の日本酒を愛する「よいかもかい(酔醸会)〜滋賀の日本酒が好き〜」を立ち上げ、大阪で滋賀の酒を紹介する会などを行っています。

さて、お酒に携わっているこの3人の方は、それぞれいい意味で頑固な方です。それぞれのお仕事でのこだわり、大切にしていることなどをお伺いしたいと思います。

中嶋)
 私は兼業で米づくりに取り組んでいて、自信がないのですが……。私の農家は職業として成立せず「やらんほうがまし」の状態で、真剣に米作りに取り組んでいる人には気がひけます。「一笑は米一升」、皆と笑えたら儲けと考えています。今、全然百姓をやったことがない人が新聞を見て参加してくれていますが、我々の農業には「生活がかかっていないので参加しやすい」と言ってくれています。グループ9人が、兼業農家なんですが、ほっておくと荒れていくしかない農地を、楽しみながら自分たち集落の手で守りたいと思っています。


上原)
 うちは、山廃(やまはい)仕込みという手間がかかる酒を造っています。山廃の理論的なことを理解するには2〜3年ほどかかるのですが、簡単に言うと「昔ながらの作り方」です。酒は、微生物の関与により発酵するのですが、今はその酵母を培養してアンプルの状態で売っています。
 山廃は、酒蔵にいる自然の微生物を利用して発酵させる酒造りです。昔の蔵ではそのしくみを知らなくても、経験で作っていました。
 始めた当時、県内でこの山廃で酒を作っていたのは上原酒造だけでしたが、今は県内で数社が作っています。これも11年前に杜氏が交代したときに山根杜氏から提案され、変わったことが好きな父や私が賛同して造りはじめました。
 この酒の味は濃く、10人が飲んでも1人位が美味しいと言うような酒です。最初は全く売れず、仕方なしに他の酒と混ぜて使ってみると、知らないうちに次第に売り上げが伸びていました。また、この酒は燗酒にすればおいしいこともわかりました。そんな調子で今では、蔵の全生産量の75%が山廃仕込みの酒になりました。近代化された酒造りの倍の手間がかかり、雑菌などの危険性もある酒です。
 それでも11年かけてこの酒が好きだというファンを作ってきました。酒の味も濃いですが、最近ではうちの客のほうもどんどん濃くなってきているようです(笑)。

徳地)
 地酒を仕入れるために、例えば山形の蔵元に行けば、7〜8万円の交通費が要りますが、これで酒を数十本仕入れていては商売になりません。遊び心がなければとても続きません。年間300万円の交通費を使ったこともあります。当時は、ディスカウント店も無く、酒屋にとっていい時代で、このころに蔵元を多くつかむことができたのです。今、店には冷蔵庫が10坪ほどあり、電気代で月に20万円要ります。なかなか儲けになりません。
 蔵元さんには変わった人が多く、今日の上原さんもそうですが(笑)、酒には造り手の個性がでます。石川の「菊姫」の蔵元、柳さんなんて50歳だけどやんちゃ坊主がそのまま大人になったような人です。そして、「菊姫」はそんなやんちゃな味です(笑)。またとても繊細な味の「〆張鶴」は蔵元さんがぴりぴりするくらい神経を使う方なんです。
 このようなすばらしい蔵元と知り合えたのは、いい時代に動けたからで、今は酒屋に とって大変な時代です。
 酒は、温度を2℃で管理すれば味は変わりません。消費者の皆さんは出荷日を見て新しいほうがいいと言われますが、実は適温で管理すれば時間が経つと酒はより旨くなります。ただ、蔵元なら酒を寝かしておけば値段を上げて売れますが、酒屋だとそうはいきません。いくら置いておいて酒をおいしくしても、決まった値段でしか売れません。お酒がしっかりしている、山田錦など旨い好適米で造った酒ほど成長します。酒は、できた時は黄色くて、ろ過すれば透明になります。温度管理をしないと酒は変色し、酒は劣化します。

幡)
 同じ酒でも管理によって味が変わるというお話しを聞きびっくりしています。
 いままでのお話で、皆さん真面目に、しかし遊び心を持って仕事に取り組んでおられるのがよくわかりました。 が、それぞれ仕事上の悩みや課題もお持ちと思います。 今度はそれをお聞きしたいのですが。


中嶋)
 平成11年に「百笑一座」を立ち上げ、メンバーも9人から13人に増えています。一座に加入するには100万円が要るのですが、高齢化がすすんでいる現在、これを払ってまで入られます。こうして作付面積は増えるのですが、実際に動ける作り手は高齢化などで減っています。メンバーの負担はありますが、当初の目的の「自分たちの田は自分たちで守る」ことをなんとか続けていきたいと思っています。
最近若い人も入りました。これはその奥さんにとって本当に農作業が大変なのに、「百笑一座」の奥さんたちは全く田んぼに出てない、そこで夫に「入れ」ということになったらしいです(笑)。
 今の機械は、エアコン付でステレオもあり、快適で女性の力を必要としません。現在では、「百笑一座」の男だけが農作業をやり、農繁期でも奥さん方は遊びに行き、年寄りはコーラスに夢中です。昔は一家全員で世代を超えて農業をやっていたのですが、これでは逆に絆が薄れてしまったようです。この溝を埋めるため、モチ米を植え、もちつき大会をやって世代間の交流を深めることもやっています。

上原)
 今、うちでは委託醸造を5件やっています。例にあげて申し訳ありませんが「百笑の夢」のように、グループで生産した米を使って酒は確かに造れます。グループの人は夢がかなって幸せです。が、酒蔵はこれを売っていかねばなりません。酒を仕込むには15俵の米が要りますが、4割が糠になります。つまり900キロの60%の540キロから原酒500本〜600本ができます。これを冷蔵庫に保管します。
 委託醸造は、1年目は珍しいから委託者のグループや酒屋が結構売ってくれます。全部売れるので、2年目も米を作ります。ところが、2年目となると客も店も興味が薄れ、グループの人たち自身もあまり本気で売らないので、冷蔵庫に残ってしまうんです。上原酒造には、コンテナ冷蔵庫が7基あり、1基に2500本入りますが、委託醸造の酒が売れなければ、自社酒の「不老泉」が冷蔵庫に入れられません。
 酒は1升ビンで寝かすほうが旨くなるのですが、冷蔵庫に入らない場合はタンクで貯蔵しなければなりません。新しい商品は、2年や3年では売れません。安定して売るには10年はかかります。
 今、日本酒のシェアは10%ぐらいで、1位がビール、2位が発泡酒、3位が日本酒、4位が焼酎ですが、焼酎に抜かれる心配もしています。今まで、日本酒のメーカーはよくないこともやってきましたし、自社ブランドを持たない蔵元はつぶれていくと思います。 今の悩みは、委託醸造の酒のため思うように自社ブランドの酒が売れないのが悩みです。

徳地)
 日本酒が売れなくなりました。日本酒は、他の酒に比べてアルコール度数が高いですが、先進国ではアルコール度数の低い酒が飲まれます。また、テレビの宣伝を見ていても、日本酒は飲むのが酒の燗とか、男性俳優が顔をしかめて飲んだりするシーンなどばかりで堅苦しいですよね。
 食生活も変わり、油系の食事にはすっとするビールやワイン、焼酎が好まれます。

中嶋)
 上原さんのお話を聞いて、私たちは酒を造るのが夢だったのですが、上原さんに迷惑をかけているのがわかりました。これからも上原さんに酒を造ってもらうため、飲まれる方からアイデアを頂けたらと思っています。

幡)
「百笑の夢」は、酒の品質としてはどうですか。

上原)
 「百笑の夢」の米は、コシヒカリです。たんぱく質やミネラルを多く含んでいて食べるにはおいしいんですが、酒米としては、好適米に負けます。酒造好適米で作った酒は秋から味が乗ってきますが、飯米の酒は、造ったときが一番旨く、その後味は落ちてしまいます。
 しかし、不思議なことに今年の「百笑の夢」は搾ったときは辛いだけでしたが、今、味が乗ってきています。今が飲み頃です。全国のいろんな酒屋にサンプルを送りましたが、反応は1社だけでした。ここでなんとか売っていけたらと思っています。

徳地)
 地酒を売るには、生産者と消費者が組織を作って、例えば会員制にして売り切るシステムを作らないと。小売店を通して売るシステムだと売り上げが不安定です。10年ほど前、私も委託醸造を5年位やりましたが、続きませんでした。 そして、金を儲ける酒ではなく、最後まで夢や情熱を地域の人と共有するような酒であってほしいと思います。

幡)
 「百笑の夢」というお酒が、現代農業の象徴のように思えてきました。できればはかない夢とならないで、今日のアイディアを参考にして頂き、今後も続けて作られるといいなあと思います。私たちも飲むことで応援したいです。 「百笑の夢」、飲み頃ですから会場の皆さんも上原酒造さんで買ってくださいね(笑)。

 ここから話を変えます。会場の中に昔の徳利や杯が並んでいますね。これは琵琶湖博物館に所蔵してあるのを、博物館に勤務している「びわこの風」メンバーの青木さんが今日のために借りてくれました。

青木)
 琵琶湖博物館に矢野さんという学芸員がおられます。この方がこのようなものに興味を持っていて、矢野さんの助力で借りてきました。徳利には、酒屋の名前が入っており、昔はこれを酒屋に持って行って酒を入れてもらっていました。いわゆるリサイクルです。杯は「さかえ神社」に残っていたのですが、杯には個人の名が入っていて、男たちのマイ杯(さかずき)のようです。酒を車座になって飲みながら、いろんなことを話していたのではないでしょうか。 近江は古いものが当たり前のように残っている不思議な国なんです。

幡)
 それでは、何か酒にまつわる面白い風習などがあればご紹介ください。


中嶋)
 地元の神社では「おこない」という神事があります。10年前まで7日間でしたが、長すぎるとのことで今は5日で行っています。送り当番の宿が集落で順番に回り、供えられたお神酒100本のうち半分ぐらいを神事で飲みます。残りは消防の出初め式なんかで飲んでしまいます。 また、集落の30歳代位の者が「呑(どん)クラブ」という集まりを作って飲みながら皆で話し合う場を作っています。

上原)
 私の地元は新旭町の太田という集落なのですが、祭りで酒を飲むとき、三々九度と同じように注いで飲み干す習慣があります。また、酒を勧めるとき、相手に自分の杯を渡します。宴会が盛り上がってくると自分の杯がどこに行ったかわからないときがありますし、飲めない方の前には杯が並んでしまいます。こんなふうに地元の寄り合いでは日本酒、杯が飛び交いますね。

徳地)
 私の地元は新興の住宅地なので、特に変わったことはないのですが、酒の買い付けに行ったとき色んな経験をしました。例えば奄美大島なんか、5〜6人で1人が胴元になり ぶったおれるまで酒を飲みまわします。胴元の調子がいいと杯が大きくなります(笑)。
  高知でも、酒を飲みきるまでは置けない杯や、穴が空いていて酒が入っているうちは手を離せない杯など、お酒を飲ませるいろんな風習がありました。こういう風習が盛んになってくれると、日本酒の消費量もものすごいと思うのですが(笑)。

幡)
 楽しい時間もそろそろ終わりに近づきました。会場のみなさんから何かご質問はありませんか。
……無いようですので、最後に一言ずつお願いします。

中嶋)
 酒を造るという我々の夢は叶いました。しかし、このディスカッションを機会に、造るだけでなく、その存在を認められる、つまり売れる酒にしたいと思いました。
 平成5年から集落で「元気森守(もりもり)通信」を出していますが、集落の高齢化率は3割です。集落営農の発想を集落介護に結び付けられないかと考えています。集落全部でNPOを取得し、空き家を使ってディサービスを行って、介護保険の金が集落で回らないかと。 将来的には、市町村合併で行政は遠くなってゆくばかりですから、自分たちのところは自分たちで守るようにしたいです。

上原)
 これからも日本酒を造り続けたい。このためにいかに生き残るかを必死になって考えています。造りたい酒を夢を持って造りたい。今、私が大切にしている言葉が「人はひと、自分は自分」です。情報は大事ですが、人の言葉に左右されず、自分が造りたい、売りたい酒を造って行きたいと考えています。

徳地)
 10年前から県内の蔵元のレベルは上がっています。また、全国のきき酒選手権で、数年前は個人で準優勝、昨年は団体優勝、と滋賀の消費者のレベルも高いですね。私はこれからもいい酒を売っていきます。

幡)
 ありがとうございました。私自身一番楽しんで聞かせて頂きました。酒に関わるプロの方たちのお話が聞けて本当によかったです。皆さん、ありがとうございました。


永野)
 皆さんのお話を聞いていて、「酒が呑みたい、呑みたい。上原さんの酒が!」という気持ちになってきました(笑)。
 皆さん仕事を一生懸命なさっているけれど、どこか遊び心を忘れない、そんなところが 私たちのめざす「町づくり」にもつながっているのではないかと思いました。今日は皆さんのお話が聞けて感謝しております。私たちも、これからも夢を持って活動していたいと思います。

以上。終了時刻15:50  無断転載を禁止します。 「びわこの風」