いとう家の食卓から


ちょっと前のいとう家の食卓から

子連れイタリア旅行記(2006年1月27日〜2月1日)



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1月27日(晴れ)長い長い一日

14:00発ミラノ行きのアリタリアに乗るので、10時に大網の実家を出発した。パピーは前日まで仕事なので、三島から新幹線で来る。11時にアリタリアのカウンター前で待ち合わせ。うまく合流できた。
気がつくと電光掲示板でAZ787便は15:00出発に変更になっている。あれって感じ。でもこれが噂に聞くアリタリアお得意の遅れってやつなのかと思った。のん気だった。11:30分にチェックインが始まったのでさっさとチェックインする。トランクをエックス線に通す所で、「瓶は機内持ち込みにしてください」と言われる。トランクの中には妹夫婦から頼まれた、ポン酢やら日本酒やらがたくさん入っているので、がさがさと取り出して、ここに入れてくださいと言われた紙袋に入れる。かっこ悪いがまあいいや。カウンターで搭乗券をもらう。遅延の理由を聞くと、昨日ミラノで大雪が降り、昨日のミラノ発の便の日本到着が遅れて、機材繰りに影響したらしい。今日は大丈夫なの?と聞くとわからないとの事。この「わからない」が曲者だった。まあ、昨日のことだし、今日はこんなに晴れてるし大丈夫でしょう、と軽く考えていた。この一時間の遅れはこれから起こる困難のほんの前触れだったのに。
チェックインを済ませた後は、レストランで見送りに来てくれた両親と一緒に食事。機内食が出発してすぐ出るらしいので、軽くラーメン。だけど空港内のレストランって結構高いんだよね。1時すぎに両親にバイバイして、さっさと出国審査に並ぶ。出国した後はキッズスペースに移動して、子供を遊ばせるといいと聞いていたので、そうした。あまりたいした事ない場所だったけど、色々な国の子供が10人くらいいて、それが良かったみたいで、京香も季美も楽しそうに遊んでいた。そして子供が遊んでる間に夫婦で交替で免税店でお買い物した。
15:00過ぎに機内へ搭乗開始。これから12時間の空の旅だわ、と少し緊張する。搭乗が終わってみると、なんかお客が少ない。多分半分くらい空席。皆席を立って空いてる席に移動しはじめた。ボーイング772は3席−3席−3席という並びで、私たちの席は真ん中の3席+通路をはさんだ1席。窓際の3席だと、子供たちが閉鎖感で嫌になるんじゃないかと思ってそうした。(窓)パピー(通路)京香・季美・私の順。パピーの横2席が空席だったので、4人で6席使えるらしい。これで半分くらい気が楽になった。初めての子連れ旅行で、ラッキーだったわ。
(むかつくことも一点あった。最初に私と子供の席の後ろに座っていた30過ぎくらいの女性2人組。でかい声で「ちょっと前に子供がいるよゲッ」「でも後ろにいるよりマシじゃん、蹴られたら最悪」と聞こえよがしな会話をはじめた。どうやらツアーで参加している2人のようだけど、飛行機が珍しくて楽しくて、まだおとなしく席に座っている子供を見てそう言うか。そんなに子連れが邪魔なのか憎いのか。腹が立ったが確かに、全く迷惑をかけませんからとは言い切れないのが哀しかった。その後2人はすぐにどこかの席に移動しようとしたので、振り返って顔をよく見たら、一人は百貫デブでもう一人はヤンキーだった。その後百貫デブが夜中にいびきをかいて寝ているのを見た。勝ったと思った。子連れの恨み・・・。)
そうこうしている間に、飛行機が動き出した。離陸してしばらくすると、震動が心地よいのか、子供たちが眠り始めた。これにはびっくり。しかし、寝た子は起こさない。その後すぐにチャイルドミールが来て、大人の食事も来たのだけど、子供が眠っていたおかげで、ゆっくり食べられた。食事は和食とイタリアンだったが、イタリアンを選択。美味しくいただいた。パピーはワインもいただいていた。京香はしばらくすると目覚めてキッズミールを食べた。半分以上食べたので美味しかったらしい。季美は結局食べずに眠っていた。
さて、座席にはパーソナルテレビがついていて、リモコンで操作できるらしい。が、私のは壊れてるらしく、何も映らない。京香と季美のも映らない。パピーのは映ったらしい。シンデレラマンがやっていたので、見たかったなー。でも食事が済むと眠くなり少し寝てしまった。京香と季美が目覚めたので、一生懸命お相手する。といっても早速必殺のお菓子詰め合わせ袋を出し、間をもたせる。スチュワーデスさんが持ってきてくれた塗り絵セットでもしばし(15分くらい)遊んでくれた。飽きてきたらパピーの席の窓際に移動して外を眺めたり、ジュースを取りに行ったりする。機内の乾燥でのどが渇くのかジュースは何回も取りに行った。ジュースを取りに行った時、一回だけ二人が通路を走り出してしまった。慌てて追いかける。寝ていた人に申し訳なかった。でもそれ以外は驚くくらい2人とも自分の席で大人しくお菓子を食べたり話したりしていてくれた。夜に3時間くらい眠ってくれた。私もいつの間にか眠っていた。目覚めるとパピーが「行き先がミラノじゃなくなってローマになってる」と言い出した。前のスクリーンで確かに行き先がローマに変わっていた。私は寝ぼけていたので「スクリーンも故障かい」と思ってまた眠ってしまった。行き先が本当にローマに変わっていたとは・・・何の心の準備も出来ていなかった。
そして2度目の機内食。イタリア時間にあわせて朝食だった。これも美味しくいただくが、京香と季美は眠っていてキッズミールを食べ損なった。
機内食を食べ終わる頃、日本語でアナウンスがあり「ミラノ空港が雪で閉鎖のため、到着地をローマに変更します。ローマに到着後はアリタリアの地上職員の指示に従ってください」という事だった。これを日本語で聞いて初めて状況を理解し、あせった。ミラノ空港が雪で閉鎖?ミラノから乗り継ぎで今日中にバーリに行く予定なのに、どうすればいいんだろう?ローマからバーリに乗り継ぎの飛行機があるのかな?それともローマに一泊しなければならないのかな?どうしよう・・・。しかし、スチュワーデスさんに聞いても「ここでは詳しい状況はわかりません」の一点張りだし、考えても仕方ないので、到着してから考えることにした。とりあえず、機内持ち込みの手荷物に子供たちのパジャマと着替え一式、おむつ数枚は入れておいたので、何とかなるかな。
ローマに到着し、飛行機を降りるとあたりは真っ暗で小雨が降っていた。現地時間で19:30だった。バスでターミナルに移動すると、そこにイタリア人の地上職員がいて、パピーが何やら聞いていた。今日はバーリ行きの飛行機はないらしいって事と、アリタリアのカウンターへ行くようにという事がわかった。同じ飛行機に乗っていた人たちは皆どこに行くのか、ばらばらになってどこかへ行ってしまった。運良く乗りつぎ出来た人もいるのかもしれない。とりあえず、よくわかってないあせる私たちは、スーツケースが出てくるところで自分たちのスーツケースを待っていた。そこへ日本人の地上職員がやってきて、乗りつぎ予定の人たちのスーツケースは出てこないので、3階のアリタリアカウンターへ行くようにと言われた。聞けば、今日は朝からミラノ空港が閉鎖されていて、一日中大変な事になっているらしかった。3階のアリタリアのカウンターへ行くと、長蛇の列が出来ていた。半分くらい日本人で少し安心する。安心すると同時にバーリ空港に迎えに来てくれることになっている妹夫婦に連絡しなければならない事を思い出した。パピーと子供たちに列に並んでもらい、一人でテレホンカードを求めうろうろする。この時20:30くらいだっただろうか?ほとんどの店の営業が終わっている空港でようやくテレホンカードを買い、妹の携帯に連絡すると(電話のかけ方は新婚旅行の時に学習済みだった)、まさにアルベロベッロを出ようとしているところだった。とりあえず、明日の飛行機でバーリに行く、飛行機の時間が決まったらまた電話するからと告げる。妹たちは一日中雪のニュースを知っていて「やっぱり」と言っていた。
カウンターには日本人がたくさんいたが、そのほとんどがツアー客だった。ツアーの人たちはすべてツアコンの人が手配してくれていたので、のん気そうだった。中にはチュニジアに行くツアーもあったようだった。ツアコンの人達はなんとか早く乗り継ぎ出来るように頑張っていた。アリタリア以外の航空会社の便で移動できないか交渉していたが、拒否されていた。天災だから仕方ないって諦めるしかないんじゃない?頑張りすぎだよね・・、と思ったけど、この職務に忠実な頑張りぶりが後から思えば日本人らしいのだった。個人旅行の人たちは皆自分で動くしかなく、不安そうだった。ミラノ−バーリの搭乗券を見せると、新しい搭乗券を発行してくれた。朝9:25発バーリ行き。やっぱり今日は泊まりになるのか。宿はどうやって探せばいいんだろうと思う。搭乗券を渡され、明日はターミナルAに行くように、今日はアリタリアの手配したホテルに行くので、レオナルド・ダ・ビンチがどうたらこうたら〜、はっきり言って英語がよくわからない。前よりもっとわからなくなってる。パピーが頼りだ。パピーは頑張ってるけど、あせってるっぽい。レオナルド・ダ・ビンチって何だろう?「なんというホテルなのか?」と聞くと「私は知らない」あっちに行けと指をさされた先に日本人の集団があったので、移動する。レオナルド・ダ・ビンチのレリーフみたいな物がそこにあった。どうやらこの集団でバスに乗り、ホテルに移動するらしかった。それしかわからない。が、とりあえず今日の宿が確保できたことでほっとする。子供2人を抱えて、夜ローマの町に放り出されていたら・・・。2.3日前に日本でも大雪が降って「成田空港で1万人が夜明かし」したことが大ニュースになっていた事を思い出した。「へー」って感じだったが、1万人の中には外国人もいたはずである。子連れもいたはずである。異国の地で言葉も分からず、さぞかし大変だっただろう、雪が降るのは天災だから仕方ないけど、日本の空港の対応はまずかった。ここイタリアではよくわからないけどホテルまで連れて行ってくれて泊めてくれるらしい、やるじゃんイタリア・・・自分がその立場になって初めて解った。
大きな観光バスが2台やってきて、私たちを乗せ、走り出した。行き先がどこなのか、どのくらい距離があるのか、全くわからない。暗い暗いローマの道。運ちゃんの聞くイタリアのラジオが流れているだけで、車内はとても静かだった。まっすぐ30分くらい走ったところで、ようやく町の明かりが見えてきた。ホテルも近そうだ。それからいくつか曲がり、バスがとまった。そこは廃墟のような真っ暗で巨大なホテルだった。どの客室にも全く明かりがついていない、人の気配のない、ホテルだった。バスを降りてホテルのロビーに入るとかすかに明かりがついていたので安心する。ロビーは体育館ほどの大きさがあったが、明かりがついているのはカウンター周りだけ。もしかすると、今日宿泊するのは私たち飛行機に乗り継げなかった人達だけかなと思う。カウンターで部屋の鍵をもらう。
ツインの部屋2部屋だったが、間の扉でつながっている部屋だったので問題なかった。ツアコンの人が、「アリタリアが夕食と朝食を用意してくれました」とツアー客に向かって説明していたのを小耳に挟み、私たちも部屋に荷物を置いてレストランに向かうことにした。エレベーターで2階の部屋に向かう。イタリアは0階があるので、2階に行くには@ボタンを押すんだってことを、このとき学習した。エレベーターを降りると長い廊下の両脇に部屋の扉が並んでいるという造りだったが、廊下の突きあたりが見えないくらい薄暗い。まるで幽霊がでそうな雰囲気だったけど、部屋に入るとわりとまともで清潔な部屋だったのでほっとする。どうやらここはERGIFE PALACE HOTELという4つ星ホテルだということが、部屋においてあるパンフレットで確認できた。私が気になっていたのは明日どうやって空港まで移動するかという事だった。地下鉄の駅は近くにあるけど、空港まで行くには一度ローマまででなきゃいけない感じだった。明日空港までバスが出るのかな?自力で行かなきゃいけないんだろうか?それともタクシー?カウンターで聞いてみることにする。「どうやって空港まで行くのか?」と聞くと「私は知らない」という。私は知らないという返事は何回目だろう。困った顔をしていたら「私はタクシーかなにかじゃないかなと思うけど」と付け加えてくれた。多分彼は特に親切な人だったのだろう。
最悪8時に空港に着けば何とかなるだろうし、もう考えるのも疲れるので、明日考えることにする。
とくにお腹がすいてあるわけじゃなかったけど、レストランに移動した。子供たちが「ここってイタリアのホテル?恵ちゃんとあつさんはどうして迎えにこないの?」と聞いてきたので「ここはイタリアだけど、明日恵ちゃんたちにあえるよ」と説明する。子供にしてみれば、飛行機と真っ暗な中でのバスの移動で、どこにいるのか全然わからなかっただろう。それでもここまでぐずることなくいい子に元気にしてくれていたので助かった。親の不安を感じ取っていたのかもしれない。レストランにつくとまるで結婚式場のテーブルのようにフォークやナイフがずらっとセッティングされていて、いったいどんなご馳走がでてくるんだろうと思ったけど、ビュッフェ形式でパンと水、レトルトを温めなおしただけのようなマッシュポテトとローストビーフが振舞われただけだった。味気なく食事を終え、部屋に戻った。いい加減疲れていたので寝ることにした。バスタブ付きの部屋だったので、ゆっくりお風呂につかり、眠った。明日は朝食が6時からだったので、5時に起きることにした。
長い長い一日が終わった。


1月28日(雨ときどき曇り)アルベロベッロ到着

朝、5時までわりとぐっすり眠れた。目覚めるとパピーがごそごそやっていた。普段から規則正しいパピーは時差ぼけ大丈夫だろうか。したくを終えるとやることがないので、ロビー周辺を偵察することにする。ロビーはだだっ広い空間に、応接セットが50くらい並んでいる。だれかが座ることを想定してない、ただスペースをうめる為だけにソファとテーブルがおいてあるという感じ。でも掃除は行き届いていて、なんとも不思議な空間だった。一見豪華なロビーと研修センターみたいな客室がちぐはぐな奇妙なホテルだ。さて、新しい情報はないかとカウンターを見ると、ありました、アリタリアと書いたプリントが新聞と一緒に積んであった。そこには空港までのシャトルバスの時刻が書いてあった。今朝急遽決まったのか、昨夜から決まっていたのか定かではないけど、昨夜聞いたら誰も知らなかったのに、今朝当然のようにそこに置いてあり、置いてあるだけなのだった。これがイタリアねー、と思う。6時になり、人が集まってきた。日本人だけでなく、イタリア人やそれ以外の外人が半分以上いるようだった。皆でレストランに向かうと、真っ暗。朝食は6時からって言ってたのに・・・みたいな事をそれぞれの国の言葉で言い合う私たち。すると6時ぴったりになってレストランの電気がついた。6時から朝食というのは、イタリアでは6時から朝食の準備が始まるということだった。レストランの親方みたいな人に「朝食は10分後」あっち行けと言われてロビーに引き返す。入口で待っているのもダメらしい。ホント日本では考えられない対応。朝食は解凍したてのような冷たいパンとハムとコーヒーだった。げんなりして食が進まない。さっさと食べてさっさと空港に向かうことにした。ホテルの玄関前にはすでにバスを待つ人だかりができていた。いろいろな国の人がいたようだが、それぞれが適当に待っていた。先着順に一列に並ぶなんて考えていないようだった。日本の常識は世界の非常識なのかなあ。
しばらくすると、バスがやって来るのが見えた。玄関から少しはなれた所でとまった。何となく、早く行かなきゃという気がして、バスまで突進する。バスの定員より、待っている人の方が多そうだったから、これは多分乗ったもん勝ちだろうと読んだら、その通りで、バスの入口で押し合いへし合いが起こっている。交通整理する人なんていやしない。子供二人連れでいたら、多少強引なくらいじゃないと、いつまでたってもバスに乗る順番はまわってこないだろうと思い(日ごろの経験から)、人並みをかきわけ入口に身体をねじ込む私。しかし、その必要はなかった。私たちが子連れと知ったとたん、周りの人が場所をあけてくれ、ゆうゆうと乗り込めたのだった。誰もが乗り遅れたくない、早く空港にいかなければという一心でいる時に、日本ではありえないことだと思った。少し感動していた。この先何度もこんな場面を経験し、イタリアの懐の深さを感じることになる。3分の1位乗り遅れた人がいたけど、どうなったのだろう・・・。
7:30頃空港に到着し、さっさとチェックインして搭乗口に移動する。この便に日本人は私たち家族だけだった。国内線らしく、首都ローマから地方へ移動するイタリア人達がほとんどで、のどかな雰囲気がただよっていた。ゲートからバスに乗って飛行機まで移動するらしい。しばらく待つとバスがやってきたので、地上職員に搭乗券を渡して半券をもらい皆バスに乗り込んだ。が、一向にバスが動き出さない。20分くらいたって、バスから降ろされた。飛行機に何かが起こったようだった。
再び搭乗口のロビーに戻された私たち。搭乗券は渡してしまったので、ナンバーカードを替わりにもらう。ここまで来たら多少の遅れは気にならないけど、何が起こったのかわからないのが心配だった。バーリ空港に迎えに来てもらうことになっている妹夫婦に電話しておいた。飛行機の故障とかなら嫌だなあ。ロビーは広くて、誰もいない片隅で子供たちは靴を脱いで走り回っていた。そして30分経ち、一時間経ち・・・一向に搭乗が始まらない。そのうちにイタリア人の中にも短気な人がいるのか、地上職員の人にいちゃもんをつけ始めた人がいて、その周りに野次馬も集まってあーだこーだ口論していた。どうやらイタリア人にもこの状況は我慢できないものだったらしい。ああ、烏合の衆って言うんだよねこういうの、と思いつつ眺めていたけど、そうこうしている間にとうとう11時になり、私たちも途方にくれ始めた。すると一人のイタリア人のおじさんが近づいてきて話しかけてきた。バンビーノがどうのこうの〜と言っている。多分英語で話しかけられたのだが、「私は昨日アリタリアで日本から同じ便に乗っていて、同じホテルに泊まったんだ。子供たちを連れている日本人だったから覚えているよ。搭乗券を返してもらって、それを持って売店に行ってごらん、ランチがタダでもらえるよ」と親切にも言ってくれたのだった。英語はほとんどわからないのに、多分そう言っているんだということはわかったので不思議だ。おじさんはそう言ってくれたが、地上職員のイタリア人に私たちの搭乗券を返してくださいと英語で言って、それを持って売店に行って、多分英語が通じない売店のおじさんに向かってここでタダでランチがもらえるはずなんですが・・と説明するなんて芸当は出来そうになかったので、「おおそうですか、サンキュー、グラッチェ」とか言って感謝だけしておいた。それにその時、私たちは季美ちゃんの靴を探すのに忙しかった。靴を脱いで走り回っていた季美ちゃんの靴が消えてしまった。季美ちゃんの靴はどこにも見あたらなく、本人に聞いてもわからない。旅行のために買ったばかりのミキハウスの靴。遊んでいる子供が脱ぎすてた靴が盗まれるなんてまず日本では起こらない(と思う)のでびっくりした。でも、私たちがいた場所は搭乗口から離れた場所だったので、誰かが通り過ぎたり近づいてきた覚えが無い。さっきお掃除おじさんが横切った気がするけど、まさか、ね・・。ゴミ箱の中まで探したけど、結局季美ちゃんの靴は見つからなかった。消えた靴の行方は今もわからない。(イタリア人に精通しているあつさんによると、多分お掃除おじさんが悪気ではなく捨ててある靴と思ってお掃除してしまったんじゃないかとのこと。盗まれたとは思いたくないので、お掃除されたと思っていよう。でも、どうせなら捨てられるより誰かかわいいイタリアの子供が喜んで履いていてくれると嬉しい。)
その時、さっきのおじさんが再びやってきた。なかなかランチを取りにいこうとしない私たちを見かねてか、何やらパピーに話しかけると、私に「荷物を見ててくれ」と言い、パピーを伴って行った。私はカートに満載のおじさんの荷物を横目で見ながら「ずいぶん信用されてるなあ」と思った。おじさんは地上職員の人と交渉してくれ、搭乗券を取り返し、売店までつきそって行ってくれたようで、しばらくすると2人は得意げに両手にサンドイッチと飲み物を抱えて帰ってきた。「さあランチだよどうぞ食べて」と言って彼は行ってしまった。なんというかおせっかいなまでの親切。多分私たちが子供連れだったからこそ5割り増しの親切だったのかもしれないけど。彼はビートさんといい、日本のIHIに出張で来ていたと聞いた。イタリアの名も知らぬ親切な人代表ビートさんありがとう。この場を借りてお礼を言います。
3時間も待たされて、子供の靴がなくなり、飛行機がこの先いつ飛ぶのやら誰も解っていないのがイタリアなら、この親切もイタリア。私はまた少し感動していた。
サンドイッチを食べ終わる頃、もうすぐ搭乗が始まるというアナウンスがあった。アツさんに電話して迎えを頼む。この遅れは飛行機の故障とかではなくおそらく昨日のミラノからの振り替え便のための混乱との事。バスに乗り込み、飛行機へと向かう。季美ちゃんは靴下なので、靴を手に入れるまではパピーの背負子にしょわれることになった。飛行機は小型のものだったが、後方10列くらいが空席だった。3席(通路)2席を4人で占領する。京香や季美は窓から雲の塊が通り過ぎるのを見て、喜んでいた。飲み物とスナックのサービスがあり、まもなくバーリ空港に到着。飛行機に乗ってしまえばあっけなく、1時間ちょっとのフライトはあっという間だった。
飛行機を降りるとき、抱っこされた季美ちゃんを見て、スチュワーデスさん達が「カリーノ」と言っていた。後で調べると「かわいい」って意味だった。季美ちゃんはイタリアで大人気だった。
荷物を受け取り、外に出るとアツさんと恵ちゃんが迎えにきてくれていた。再会を喜び合う私たち。やっとやっとたどり着けた。恵ちゃんが、季美ちゃんの靴を買ってきてくれた。ついでに京ちゃんにも。よかったね、季美ちゃん。ここからアルベロまで車でさらに1時間だ。アツさんの車は小豆色のプリメーラ。学生時代に乗っていた車を思い出すような、懐かしい感じのする車だった。プリメーラに5人で乗り込み、出発。海沿いのバーリでは薄日がさしていたが、だんだん標高が高くなるにつれ天気が悪くなり、小雨がぱらついてきた。アルベロベッロは丘上の町なのだ。アルベルベッロの町の中に入った頃には午後2時を過ぎていた。トゥルッリのレストランLa Nicchiaに連れて行ってもらった。アルベロベッロのあるプーリア州では麺のパスタではなく、マカロニみたいな短いパスタが有名らしい。ワイン3本?前菜・パスタ・その他色々で、お腹一杯食べて一人3000円弱くらい(ここがこの旅行で一番高価な食事)。前菜も、パスタもとても美味しい。待ちに待ったイタリアンだったのに、いつもより食が進まない。空港で食べたサンドイッチのせいだろうか。眠いわけではないし、時差ぼけの自覚はなかったけど、疲れがあったのかもしれない。
その後、ホテルアストリアにチェックインし、荷物をおろす。ホテルアストリアは、小ぢんまりとしたとても清潔なホテル。バスタブがあるのでツアーの日本人観光客の定宿になっている。この日もちょうど日本人ツアー団体が到着したらしく、日本人がうろうろしていた。
すぐに車に引き返し、この滞在中にお世話になるベネツィアーノ家にご挨拶に伺った。アルベロベッロ中心部から車で5分くらいの住宅街の中にその家はあった。入口は農家のたたずまい。右手に小さな畑があり、左手に物置小屋みたいなのがある。門や塀らしきものは見当たらず。奥に芝生の庭と石造りの建物があった。石造りの建物は相当古い家で、大きな立派なつくりだった。玄関は建物の大きさに比べると、あっけないほど小さい。ガラス張りだし、窓みたい。ニーノ・ベネツィアーノ氏とニネッタ夫人が出迎えてくれる。ニネッタは、色黒で農家のおばちゃんという感じだなと思ったら、昨日ケニア旅行から帰ってきたばっかりとのことで、サファリ焼けしていたのだった。とてもエネルギッシュによく笑い、おしゃべりし、たまに鋭い目を見せる。旅行から帰ったばかりだと言うのにとても元気。ニーノは物静かなやさしい感じで妻の話をにこにこ顔で聞いていて、ナイスなご夫婦。ニーノ&ニネッタ夫妻は英語が話せないので、会話はアツさん恵ちゃんが通訳してくれないとわからない。が、とても歓迎してくださり、素敵なお家の居間暖炉際に腰掛けて、皆で暖炉の火を見ながら歓談した。暖炉の火と間接照明くらいで、部屋の中は薄暗い。日本では電気を煌々とつけて部屋の隅々まで照らしまくるのに慣れているので、不自然に感じるけど、慣れたら夜は薄暗い位のほうが落ち着くのかもしれない。秘蔵の自家製ワインを飲め飲めと勧めてくださる。とても美味しく、元気だったらたくさん飲みたかったのだけど、32時間の移動の疲れががじわじわと効いてきた上に、イタリア語攻撃でテンションが下がり続ける私だった。きっと「打たれ始めた斎藤雅樹の目」になってた。パピーと子供たちは元気だったので良かった。日頃妹夫婦が大変お世話になっているご一家なのであまりテンション下げたくなかったのだが・・・。ワインを2本あけたところで、ようやく解放されることになり、正直ほっとする。ニーノ達にバイバイして外に出ると薄暗くなっていた。いったんホテルに帰り、元気があったら夜下宿で軽く飲み食いしましょう、と妹夫婦が提案してくれたが、ホテルに帰ったとたん疲れがどーっと押し寄せてきて外に出る気力がなくなった。
もし昨日中にアルベロについていたら、全く違う一日になっていただろう、でもそんなこと考えたってしょうがない。とりあえず、無事に元気にアルベロに到着できたことに感謝し、ベッドに眠れることに感謝し、熱いお風呂に入るとすぐに眠りに落ちた。


1月29日(小雨のち曇り)トゥルッロの複数形はトゥルッリ・・・ややこしい

朝食は7:00からだったが、日本人団体が出発した後の方がゆっくり食べられると思い、8:00にレストランへ。嵐の後のような静けさだった。そしてバイキングには何も残っていなかった。でも、ウェイター氏がすぐに補充してくれた。どうやら団体以外で泊まっているのは私たちだけらしい。パン・ハム・チーズ・カフェオレの朝食。ハムは生ハムでとても美味しかった。朝食を終え、パピーと子供たちは駅を見に行った。ホテルから50メートルくらい歩くと私鉄Sud-est線の駅があるらしい。私は部屋に戻り身支度。今日は9:30に妹たちと待合せてアルベロ探索と、午後からこの旅行のメインイベントとしてヴェネツィアーノ一族のホームパーティーにご招待されている。しかしあいにくの天気。日頃の行いが悪い人がいるらしい。アルベロはヴィットリオ・エマヌエーレ大通りをはさんで旧市街と新市街?に別れているらしく、ホテルは新市街のはずれに位置している。ということで、10分くらいぷらぷら歩いていくと、大通りに出た。イタリアというかヨーロッパの町並みを歩いていると、特に観光地ではなくて普通の住宅街でも統一感のある景観でとても感じが良い。この感じのよさ、どうすればこんな町並みができあがるのかは専門家でないので良く分からないが、一例を挙げると、アルベロベッロではいたるところに住民が置いたであろう植木の花がとても綺麗で町並みを引き立てている。その植木鉢一つとってもテラコッタで、色も統一されていて、絵になる町並み作りに一役買っている。そしてアルベロには玄関先に放置自転車や子供の三輪車なんてものも一台もなく、感心してしまう。どこに置いているのだろう。住民のモラルなのか、生まれつきの美的感覚の差なのか。以前住んでいた同じく世界遺産の京都で、花を飾ろうという心は大いにあるけれど、鉢の素材や色がばらばらで、果ては魚の入っていたトロ箱なんてのもあり、風情ある町並みというよりかえって雑多な印象を与えていたのを思い出した。(こんな事書いたら京都の知人に「京都のはずれの話でしょ」と怒られそうだ)。
アルベロは他のイタリアの街と同じく中心部に教会があり、大通りの行き止まりにサンティ・メディチ・コズマ・エ・ダミアーノの聖所記念堂という立派な教会がある。そして大通りを下っていくと(街は丘の上にあるので、坂道が多い)ポポロ広場に出る。広くてなだらかに傾斜していて、四角ではない。こんな斬新な空間は初めて見た気がするが、イタリア人はこんな制約のある土地に広場を造るのが上手。周りの建物を引き立てつつ統制し、機能的で、人の集まってくる広場。ローマにはミケランジェロが設計した幾何学模様で有名なカンピドーリオ広場がある。ポポロ広場に面して教会があり、その裏手がリオーネ・モンティ地区を見渡せるテラスになっている。見渡す限りのトゥルッロにしばし見とれ、写真撮影した後、教会の東のアイア・ピッコラ地区を歩く。トゥルッロは街のいたるところに点在しているが、集中して建っている地区が旧市街に2つあり、その一つがリオーネ・モンティ地区、もう一つはアイア・ピッコラ地区という。アイア・ピッコラ地区は観光地ではなく、完全に住宅街で、どのトゥルッロにも人が住んでいる。住んでいる人には補助金が出るらしい。外見はメルヘンチックでかわいらしいけど、何もかもミニサイズで、実際住むのは不自由だと思う。アイア・ピッコラ地区をぶらぶら一周して、また教会まで戻って脇のスペイン階段みたいなのを下りていくと、目の前がリオーネ・モンティ地区。妹たちの下宿がここにあるので、おじゃまして一休み。2ベッドルームと居間と台所があり、広さは十分だけど、ちょっと薄暗いし(イタリアでは室内がどこも薄暗く感じた・・・日本のビジネスホテルの室内並みの明るさ。この明るさでヨーロッパの人は十分見えるらしいけど、白熱灯になれた日本人にはとても暗く感じる)石張りの床に電気ストーブ一つではちょっと寒い。妹たちも日本と違って色々と不便を感じていることでしょうが、力を合わせてやっているようす。
リオーネ・モンティ地区は観光地化していて、イタリア人旅行客、日本人団体旅行客がたくさんいる。トゥルッロを改装したおみやげ物屋が道の両側にあり、トゥルッロの置物や色とりどりの笛(名物)なんかを売っている。一軒のみやげ物屋に入ってみることにした。ここはあつさんが日頃からお世話になっているベネツィアーノ一家のニネッタのいとこのマリアさんという方のお店MATARRESE di M.Claudia Caporaso。マリアさんはいかにも陽気なイタリアマンマ。異常に浅黒いのはニネッタと行ったケニア旅行のサファリ焼けらしい。大変歓迎してくださり、素敵なリネンのテーブルクロスと子供達にかわいい陶器の笛と、買おうと思っていた絵葉書までプレゼントしてくださった。アルベロベッロのお土産(リネン製品、笛)を買うなら、品揃えが良く、お勧めの店です。さらに、みやげ物屋の屋根の上で雨水の流れる様子を見せてくれ(NHKの世界遺産の番組に出ていたのはここ)みやげ物屋に隣接するご自宅に招いてくださった。ご自慢のベッドルーム見学の後エスプレッソを御馳走になり満足。そしてマリアさんの孫娘のマリアちゃん(3歳)はものすごくかわいい子だった。今日は昼食を食べていないが、それはこの後2時からのパーティーに備えてのことだ。
おみやげ物をゲットしてトゥルッロも見学して大満足の私たちは一旦妹夫婦の下宿に帰って一休み。ホテル以外にちょっと一休みできる場所があるのは、子連れにはとってもありがたい。下宿が面している道の、一本右隣の道にとても流行っているお菓子屋さんDelizie(デリツィエ)があり、そこでヴェネツィアーノ家への手土産のケーキを買う。ケーキはプチサイズで20種類くらいあり、自分の好きなものを好きなだけ選んで量り売りで買える。ケーキは見た目も繊細で美しくてgood!。ついでに自分たちのシュークリームも買って店内でほおばる。シュークリーム一個60円くらい。このシュークリームのクリームが絶品!!個人的にはアンジェリーナのモンブランに匹敵するくらい。チョコレートの量り売りもしていて、トゥルッロの形のチョコもある。少量ずつラッピングしてもらい、お土産にしたら大好評だった。外国産のチョコにありがちな変な香料が使われていなくて、カカオのこくがあり、美味しいとのこと(私は食べていないので何とも)。イタリアで、というか外国でこんな繊細なデザートに出会ったのは初めてだったので感動してしまった。新婚旅行の時にミラノ・ローマ・ヴェネツィア・フィレンツェの美味しいレストランに沢山行ったけどデザートは巨大で大味でげんなりだったので。
その後これまた下宿の道一本隔てた建物の地下にある品揃えの良いワイン屋でワインを6本買う。これはパピーのお土産。(1000円前後。帰国後さっそくいただいたところ、とても美味でした!もっと買ってくればよかった)
私たちは一旦ホテルにヴェネツィアーノ家への手土産(日本から持ってきた子供たちへの文房具たくさん)を取りに行く。手土産はとても悩んで色々探したわりには大した物が持ってこれなく残念。その後、アツさんの小豆色のプリメーラで1:30頃出発。しばらく走って、郊外のオリーブ畑の中に今日のパーティーの会場になるヴェネツィアーノ家の別荘があった。ここは廃墟になっていたトゥルッロを、本職の大工(というよりトゥルッロ修復家)であるニーノ氏と次男のミンモ氏がこつこつと住める状態にして、ヴェネツィアーノ一族の週末の別荘、一族の集会場として使っている場所らしい。街中と郊外に2つも素敵な家を持っているなんて、とても贅沢な羨ましい話。中に入るとニネッタのお出迎え、「昨日より元気そうね」と言われる。いやいやニネッタのパワフルさにはとてもかないません。玄関の脇に小さなキッチンがあり、その奥に暖炉がある部屋、メインの大きな部屋、子供たちのための部屋、物置部屋がある。天井はトゥルッロなので高いが、全体的にはそんなに広くはない。この空間に何人集まっていたのだろうか。子供10人と大人20人以上。日本人(妹夫婦と私たち)を除くと、皆ニーノ御夫妻の血縁関係らしい。といってもニネッタのお姉さんの娘のだんなさんのご両親とか、血縁関係の範囲がとても広い。その数え方でいくと、ヴェネツィアーノ一族は150人?200人いるらしい。納得。
イタリア人は当然皆イタリア語しか話さない。学校で習っている子供たちは片言しゃべれるくらい。イタリアの子供たちと一緒に遊べることをとてもとても楽しみにしていた京香と季美は、手土産をたずさえ意気揚々と乗り込んだけど・・・・たちまち8人の子供達に取り囲まれ、のまれて意気消沈してしまっていた。8人の子供たちは皆ニーノ・ニネッタのお孫さんたち。年齢は0歳〜12歳で、京香と季美に会うのを楽しみにしてくれていた。妹達の話によると、ヴェネツィアーノ一族の子供たちは、イタリアの子供たちの中でもよく躾けられた行儀の良い子達ばかりとのことだ。確かに皆賢そうで、とってもかわいい!!。日本の子供代表として京香と季美は彼等の目にどのように映っただろうか。
全員揃ったところで、子供達だけ部屋に集められ、テーブルに着席して大人より先に食事の時間になった。子供達に先に食べさせておいてから、後で大人だけでゆっくり食事とお酒を楽しみましょうというのは日本でも同じ。メニューはラザニア、ソーセージ、サラダ。京香はラザニアが気に入った様子でぱくついていた。子供達が食べ終わるとテーブルが片付けられ、音楽をかけてダンス大会が始まっていた。子供達、ダンスがとってもお上手。リズム感が違うのかしら・・・。
大人のメニューはトマトのパスタ、ラザニア、サラダ、ソーセージ、豚肉の巻いたののグリル、デザートに新鮮なオレンジ(日本で言うみかんか?)と手作りケーキ・ババロア。飲み物は自家製赤白ワイン沢山、日本から持参した日本酒・サントリー山崎。
イタリア語と日本語しかしゃべれない同士だけど、一生懸命コミュニケート。どんな仕事をしているのか?、「専業主婦」という概念がわからないらしく、働かないのか?などに興味があるようだったけど、うまく説明できなかった。
食事を終えた子供達は元気にトゥルッリの屋根に上ったり、オリーブ畑を散策したり、ダンスに興じたり言葉は通じないけど問題なく一緒に遊んでいた。
午前中降り続いた小雨も、幸い夕方にはすっかりやんで、薄日の差す夕暮れのオリーブ畑の荒涼とした風景の中、雨に濡れた草を踏みつつイタリアの子供達と日本の子供達が違う言葉で話しながら一緒に歩いているのは不思議な光景だった。でも、子供と大人の関係に言葉は必要不可欠ではないので(日本語でもどれだけ言葉で通じ合っているだろう)、子供といるのは気楽で楽しかった。薪拾いが好きで草むらが大好きな京ちゃんはどんどん先に行ってしまうので「あんまり奥の方に行くとヘビがでるから戻ってきて」と言われてびっくりしていた。女の子は一緒に遊んでくれ、男の子達は茶目っ気たっぷりに笑わせてくれる。男の子は子供の頃からイタリア人!!プレイボーイ?の素質アリ。将来が楽しみ?。でも皆ほんとーーーにかわいくて、いい子たちでした。イヴァナ、チェレステ、アントネシィア、エリオノーラ、レベッカ、カルロ、ジョバンニ、マルコ、遊んでくれてどうもありがとう!!!。
夜もふけてすっかり大人たちもできあがり、アツさんと京香と季美は遂に力尽きて物置部屋で眠ってしまった。しかしイタリアの子供達は9時になっても10時になっても元気元気でダンス大会。大人の会話も尽きない。この日誕生日だったイヴァナは途中友達の家にパーティーに呼ばれて出かけて行き、9時過ぎに友達を5人引き連れて帰ってきた。皆で手でアーチを作ってお出迎え。皆13歳なのに大人っぽくてびっくりしてしまう。私達はイヴァナの巨大な誕生日ケーキ(いったい何時に食べたんだろう?)を食べずに夜10時過ぎにおいとますることにした。良く食べよく飲んで満腹。イタリア語の洪水にちょっとくらくら。大変充実した一日。イタリア人ファミリーの結びつきの強さが印象的なホームパーティーだった(逆に言うと、イタリアにおいてどのファミリーにも属さないとすれば、それはとても酷なことなんだろうなと感じた)。
アツさん恵ちゃん、大切に培ってきたイタリアの家族に紹介してくれて、ウルルン体験をさせてくれてどうもありがとう。    
















        ○超簡略アルベロ地図○
私の頭の中にあるアルベロを地図にしてみました。
文章を読んでいて混乱してしまったら、参考にしてくださいまし。
余計混乱してしまった場合・・・・・自力でもっと正確な地図を探してみてください。







1月30日(曇り時々晴れ)南イタリア満喫

今日はイタリアに来て初めて朝から青空が出ていた。イタリアに着いてからずっと曇りで時々小雨が降るような天気だった。雨が降っていたからといって、寒いわけではなく、傘も必要ないくらいの小雨で別に困ったことはなかったのだけど、やっぱり晴れた日でないと絵葉書のようなアルベロベッロやイタリアの景色が見れないので、晴れたのは嬉しかった。
今日の朝食は、基本的には昨日と一緒で、ハムとパンの種類だけが違っていた。パンはクロワッサンの中にクリームやチョコが入っているもので、かなり甘い。でも、イタリアにも日本の菓子パンみたいなのがあるんだなあと思った。
今日は唯一自分達の好きな場所を観光できる日だったのだけど、自力で観光に出かける気力のない私達は、今日もアツさんにスケジュールをお任せし、小豆色のプリメーラでアルベロ近郊に気ままな自動車旅をすることになった。
アルベロベッロにたどり着くことに全精力を傾けていたため、「たどり着いたら何をするか」ということまではあまり考えていなかった、というのが正直なところである。いきあたりばったりだけど、アルベロの地を踏んだだけで、満足度80%だった。
まず、目指したのはアルベロから東に20キロほど行ったところにあるCisterninoという街。イタリアの古い街は小高い丘の上にあり、城壁で囲まれている。というのを塩野七生の「ローマ人の物語」で読んだ気がする。どうして丘の上に街をつくったのか、という事も書いてあった気がするが、きれいさっぱり忘れてしまった。
Cisterninoに行く途中、Locortondoという街の近くを通る。丘の上に白い城壁に丸く囲まれた街が見えたので、記念撮影。Cisterninoも旧市街が丘の上にあり、車を停めて街を散策することにした。街ではちょうど朝市が開かれていた。街のメインストリートと、街の中心広場いっぱいに屋台がずらっと並んでいる。全長500メートルくらい。野菜、果物、肉、魚、衣料品、おもちゃ、古道具とにかく何でもあり。ひやかしながら見物するのが楽しい。朝市は毎週一度開かれ、近郊の各街を巡回している。(アルベロには毎週木曜にやってくるらしい)
日本の子供連れはここではとーーっても珍しいらしく、京香と季美が歩くたびに、イタリア人からにこにこと微笑みかけられる。何となく、日本の子供代表って気分になる。イタリア人って本当に子供好きな人が多いみたいだ。
朝市で、新鮮なみかんと(オレンジと温州みかんの間のような味と外見)サラミをゲット。とっても安い。みかんは1キロ買ったのを京香と季美が滞在中にぺろりとたいらげてしまった!。サラミは生っぽく、ちょっと臭みがあって美味しい。夕食用の手長えびもゲット。
Cisterninoの旧市街は迷路のように入り組んでいて、静かで小奇麗な感じだった。あつさんお気に入りの絵になる街を散策。途中、見晴らしの良い丘の上から眼下の農村を一望する。見渡すばかりのオリーブ畑と、点在する農家の風景は絵のように美しかった。でも日本の農村の風景とはかなり違うと感じた。田園には民家が密集していないせいかなと思う。オリーブ畑がメインで農家はポツンポツンと点在している、色々な機能や人が集中する街は街で小高い丘の上につくる、というのがスタイルなのかもしれない。(この風景をどこかで見た、と思ったら世界史の教科書に載っていた“荘園”の解説イラストだった!)。
途中バールによってカプチーノで一服。肉屋で夕食用の肉をゲット。豚肉一キロ(ロース)くらいで1000円しない。安い。スーパーでワインを買う。大五郎サイズで500円くらい。安!。
食料品が安くて感動するけど高いものもある。スナック菓子や子供用のお菓子は高くて種類が少ない。プリングルやハイチュウもどきが300円もする。高!!。日本のスーパーのお菓子コーナーをイタリアの子供に見せたら、喜びのあまり大騒ぎになるかも。
Cisterninoを散策した後、Ostuniへ向かう。ここで、昼食。あつさんお勧めのレストランへ。名前はなんと言ったっけ?。昼間から初老のおじさんたちが4、5人テーブルを挟んでなにやら談笑している。アルベロベッロでもおじさんたちは朝っぱらから広場や街角で社交に忙しそうだった。そこには不思議とおばさんの姿はない。おじさん達が外出している間おばさん達は何をしているのだろう・・・?きっと家の仕事に忙しいのだろう。アルベロのLa Nicchiaがちょっと気取った上品な感じだったのに比べて、このレストランは本当に素朴で家庭的な料理と雰囲気でとても美味しかった。ここでも赤白ワインをたらふく飲む私達。なんという名前だったのか薬くさい2日酔い防止に効くというお酒もやみつきになりそうな味だった。(おみやげに買って帰ればよかったね)。
昼食後はOstuniの旧市街を散策(ここも城壁に囲まれた迷路のように入り組んだ静かできれいな街)。再び車に乗り込み、北上し海へと向かった。10キロほど進むとそこはアドリア海だった。海沿いの道を海岸線にそって北上する。途中なんてことない草っぱらがフェンスで囲まれていて、発掘された古代ローマ時代の遺跡だった。こんな所でも見つかるのだから、イタリア全土、どこも地面を掘れば遺跡が出てきそうである。私にはただの草っぱらと石ころに見えるけど、見る人が見れば往時がしのばれ、小説の舞台にもなるのだろう。作家の想像力ってすごい。
途中、車を止め、名もない(ちゃんとあるんだろうけど)砂浜を散策。子供達は海に大喜び。波に手を浸したり、海に木の枝を投げたり、この旅行中子供達が一番楽しんでいたのはここだったかもしれない。
さらに北上を続ける私達、どうやら目的はMola di Bariの魚市場で新鮮な海の幸をゲットすることらしい。がその前にPolignano a Mareでしばし車を停め、散策。ここには宮崎アニメ「紅の豚」に出てきそうな入り江がある。入り江をバックに夫と2人のツーショット写真を撮ってもらう。二人だけで写真に写るのは、子供が生まれてから多分初めてである・・・!。
色々な場所に立ち寄り立ち寄りしてきたが、そろそろ日が沈み辺りが薄暗くなってきた。Mola di Bariに急がねば。街に到着すると、人だかりができている建物があった。そこが魚市場だった。人だかりはほとんどが魚を買いにきたおじさん達。家から財布だけ持って今日のおかずを買いにプラッと出てきたって感じ。なぜかおばさん達はあまりいない。イタリアのおばさん達はあまり出歩かないのだろうか?魚市場は大き目の教室くらいの大きさで、おそらく漁船に乗っている漁師さん達が、今日獲れたての魚を持ってきて売っている、という感じだった。同じ魚でも、それぞれのブースによって値段も量も大きさも違う。それをこっちの魚か、それともあっちの魚がいいかと吟味しながら選ぶ楽しみは、おじさん達が独占しているようだった。
私達はプリプリのえびと、しゃこをゲット。さて魚もゲットしたし、いい時間になってきたので、一路アルベロを目指すことに。アルベロまで1時間ちょっと。妹達の家に到着する頃には京香も季美もぐっすりと眠ってしまっていた。幸いなことに、妹宅には使っていないベッドルームがあるので、子供達はベッドに寝かせておくことにして、大人だけでゆっくりディナーを楽しめた。
今日一日運転手兼ガイドを務めてくれたあつさんが、シェフに変身。今日ゲットした食材でつぎつぎと料理を作ってくれる。運ばれる料理に舌鼓を打ちながら、またしても赤白ワインを飲みまくる私達。料理もワインも美味しくて極楽極楽。私は調子に乗ってかなり飲んでしまったらしい。
満腹になったところでお開きになり、皆でアストリアホテルまで歩いた。パピーは京香を背負子に乗せ、私は季美を抱いていたが、かなり千鳥足だったのと、道路がでこぼこだった為、季美をだっこしたまま転んでしまった。まったく、酔っ払いである。
アストリアホテルに到着後、皆でホテルのバーで例の二日酔いに効くお酒を軽く一杯飲み、アツさん恵ちゃんとバイバイした。
盛りだくさんで楽しい一日だった。


2月1日(晴れ)日本に帰る日

昨日あれだけ飲んだのに、朝すっきりと目覚める。
今日は日本に帰る日なので、荷物をまとめる。来た時は2つのスーツケースがいっぱいだったが、帰りはがらがらである。そういえば買い物らしい買い物はまだしていない。今日はどこか買い物できるところに行きたいなあと思う。
帰りの飛行機はバーリ15時発なので、少しは買い物もできるかな?みやげも全然買っていないし。
今日もいい天気。妹夫婦との待ち合わせの時間まで、かなりあったので、一応チェックアウトを済ませ、荷物を全部おろして、フロントに預かってもらってから、、アルベロの街を散策することにした。
ぶらぶらと歩いていたら、妹宅の近くまで来てしまったので、行ってみることにした。ちょうど妹が玄関から出てくるところだった。「あれ、あつさんは?」なんと、熱を出して起きられないということだった。2日前からちょっと風邪気味だったのが、昨日の疲れと飲酒ですっかりこじらせてしまったらしい。かわいそうに・・・。風邪薬を飲んで寝ているので今日の午前中の観光は無理、それでも気合で熱を下げ、私達をバーリの空港に車で送っていってくれるという。
という訳で、妹が私達を観光に連れて行ってくれることになったのだが、車はつかえないし、電車かなあ、でも電車は本数が一時間に2本・・・。とりあえず妹宅でお茶でも飲みながら相談、ということになり、妹宅へ。
しかし、相談も何も、どこに何があるか全く把握していないいとう家の面々。うだうだしているうちに時間は過ぎ、観光はあきらめモード。とりあえずアルベロで買えるお土産を買っておこうということで、妹と私は近所のスーパーで食料品を物色。パパも職場の人用の土産を買ってとりあえず安心。もうすぐお昼だし、パニーノでも買ってかえって家で食べようかと思ったら、パン屋が閉まっていて、「どうするべーー」と言っていたら、寝ていたはずのアツさんが起きてきた。シェフの責任感からか、ゲホゲホゴホゴホ言いながらもささっと2種類のパスタを作ってくれたのである!
トマトツナパスタ&菜の花(に良く似た野菜)のパスタ。京香と季美はどのレストランのパスタよりも良く食べた。(いまだに、アツさんが菜の花のパスタ作ってくれたと言っている)。食後の紅茶をいただいていると、もうそろそろいい時間になってしまった。結局どこにも行けなかったけど、かえってゆっくり出来てよかった。アツさんには気の毒だったけど・・・。
さあ、アルベロともお別れである。小豆色のプリメーラに乗り込み、アストリアホテルでトランクを積み込み、途中ベネツィアーノ家に寄って一言お礼を述べてからバーリへ。車での移動は子連れには本当に楽で、アツさんが車を手に入れて(これもゲットするまでにコネを駆使しまくって大変だったらしい)いたのはとてもラッキーだった。南イタリアの道路事情はかなり便利で幹線道路は渋滞も信号もあまりなく(私達の滞在中は)、快適だった。14時にバーリ空港到着。出発まで一時間しかないけど、多分飛行機が遅れるから大丈夫と思ってしまう。イタリアに4日間いるだけで「5分前行動」がばからしくなるのである。バーリでトランクを預けたら成田まで荷物チェックはないというのに、中を調べもしない。成田から出発するときはトランクの中の瓶を全部出したのに、帰りは中にワインが入りまくっている。チェックインを終え、バーリ−ローマとローマ−成田のチケットを受け取ると、妹夫婦とお別れの時間。4日間本当にお世話になった。妹夫婦はこれからもしばらくアルベロで生活を続けるので本当に頑張ってほしいと思った。
手荷物検査の時に季美が止められる。何事かと思ったら、季美のワンピースのドラえもん状のポケットの中に、ベネツィアーノ家の庭で拾っていた小石と雑草がパンパンにつまっていたのだった。全て没収され再び機械に通される季美ちゃん。変なところでまじめなイタリア人だねえと言いながらゲートに向かっていると、係員が走ってきて呼び止められた。また何事かと思ったら、両手一杯の小石を大切そうに持ってきて季美に返してくれた。全く、イタリア人たら最後にいい気持ちにさせてくれる。その小石と枯れ草は大事に取ってあるので、将来季美に見せてあげよう。
バーリ−ローマは何事もなく快適な空の旅で、天気も良く、飛行機が雲の中に入ったり、雲の切れ間から地上の景色が見えたりするのに子供達は見入っていた。ローマには16:10に到着。フィウミチーノ空港には往きにも来たけど、国際線の出発ゲートへの移動は距離がありかなり迷った。でもローマ発20:45なのであせらなくて済んだ。手持ちのユーロを使い切るためにワインやお菓子を交替で買う。免税店は全然安くなく、アルベロで普通に買ったほうが多分安かった。それに全然魅力なくしょぼい。ブランド品とか売ってないし。出発ゲートは免税店群のもっとずっと先にあるみたいだけど、カートを持ち込めないようになっていたので、子供と荷物をかかえた私達は直前にゲートに移動することにして、カフェテリアのまあずいサンドイッチを買って夕食にした。いや、なんかおかしいとは思ったんだけどね。そしてカートを捨てて進んだその先にはなんと・・・。
注意!!国内線を乗り継いでフィウミチーノから成田に帰ろうとする場合、しょぼい免税店群の先(カート持込禁止となっているエリア)からさらにモノレールみたいなのに乗ってゲートに移動することになります。移動した先は新しいビル(モノレールを降りたらカートも有り)。グッチやらなにやらブランドショップが一杯!軽食ができるカフェもあるし。あせって土産を買うためにしょぼい免税店群につかまらずにさっさと移動して飛行機に乗るまでの時間ゆったりショッピングを楽しみましょう!!。

ローマからの便はJALとアリタリアのコードシェア便で、全くのJALだった。確かにホッとする。機内はおろしたてって言うくらい綺麗だし、枕も毛布もぴっかぴか。最新式のMAGICシステムは全席故障することなく動いているし、リモコンにコーヒーのしみやお菓子の食べかす一つついていない。スチュワーデスは微笑をたやさず、腰が低く、てきぱきと働いている。出発時間ちょうどに機体が動き出すし感動・・・・いやでも、少し違和感を感じている自分もいた。私はアリタリアも嫌いではない。やっぱりイタリア人は人がいいと思う。色々な対応に良くも悪くも心がこもっている。心にも無いことはやらない感じ。スチュワーデスも常ににこやかではないけれど、笑う時は本物の笑顔だった。日本人のスチュワーデスは態度はものすごくいいし、気配りもすごいし、良く働くけれど、マニュアル通りで心がみえない気がした。でも、この全てに至れり尽くせりの心地よさに慣れると「いいじゃないの心がこもっていなくても快適ならば」となる。日頃、日本では本音と建前を使い分けて当たり障りなく暮らしているって事をつくづく感じた一瞬だった。偽善とまでは言えないけれどさ・・偽善でも善は善ってことだ。いや偽善は言葉が悪いなあ上手くいえないけど、あんまりきびきび働くのでロボットみたい・・・って思ってしまった(4日間イタリアにいたっていうだけなのにね)。
JALのシートは3−4−3の並びで、我が家は真ん中の4席を占領した。子供二人を真ん中に挟んで両側に親が座ることにした。機内は満席だったけど、もう飛行機の旅は慣れたもの?あとは帰るだけと思うと気分も楽だった。
前後にイタリア人おのぼりさんグループがいて、まるで初めて飛行機に乗った小学生並みに妙にハイテンションにはしゃいでいた。彼等は10人くらいのグループで、しょっちゅう誰かの席に集まってはぺちゃくちゃおしゃべりする。おかげで京香と季美の声なんて静かなものだった。帰りは疲れていたのか、家族全員良く寝た。折角だから映画を見ようと思って「Mr&Mrsスミス」を見ていたけど、気付いたら寝ていた。(この映画にはストーリーがなくブラピもアンジーも特別ファンではない私にとってはあまり面白くなかった)京香と季美もアニメを見たり機内食を食べたりしながら大人しくしていた。
いまどきめずらしく、メニュー表が座席にあったのがちょっと嬉しかったので持って帰ってきた。それによると素敵な日本航空の機内食メニューは

==夕食==
(和食)
鳥そぼろ丼
肉じゃが
きしめん
水菓子
コーヒー 紅茶 緑茶

または(洋食)
大鮃のグリルハーブクリーム添え
パルマハム サラミ
フレッシュサラダレモンドレッシング
ピーチメルバ
ロール バター
コーヒー 紅茶 緑茶

===朝食===
フルーツカクテル
フルーツヨーグルト
マッシュルームオムレツ
モーニングロール
コーヒー 紅茶 緑茶

何だか美味しそう〜!!。すごく期待してしまい、和食を選択したら、やっぱり味は機内食だった。いやでも今時本物のナイフとフォークが出てきたのはすごいと思ったけど。良く考えたらイタリアで作った日本食だからちょっととんちんかんな味なのだ。肉じゃがはぱさぱさしていて味が甘辛く濃く煮しめのようだったし、きしめんはお箸が刺さるくらい固まっていたし。和食に食いつきたい気持ちを少し我慢して洋食を選択したほうが正解だった。比べるとアリタリアの機内食も美味しかったし、子供達にはアリタリアのキッズミールのほうが好評だったみたい。
飲み物はJALオリジナルドリンク“スカイタイムゆず”が美味かった。結局、機内が明るくなる時間(朝食の前)まで、何とか子供達も静かにしていた。帰り便を夜間飛行にしてよかった。
予定時間を10分過ぎて日本に到着した(たった10分の遅れ!)。飛行機を降りると大雨が降っていた。子供を連れていたからか、トランクの中はチェックされずに税関を通過できた。
成田には両親が迎えに来てくれた。私達は千葉の実家で一泊し、トランクの中身を整理してから三島に帰る。パピーは明日は仕事なのでこれから三島に帰らなければならない。お疲れ様・・・。パピーは母の特製弁当を片手にワインをしょって、成田エクスプレスで帰って行った。
大雨の中車で一時間ほどで実家に到着し(運転手おじいちゃんお疲れ様)、母の作ってくれた夕食を食べ、ゆっくりとお風呂につかって、ぐっすりと眠った。
帰国後も誰も体調を崩すことなく、無事イタリア旅行を終えた。


イタリア旅行記番外編 〜ミスター・リノを探して〜

つづく