同人誌の紹介


( 2009年10月)今回取り上げたのは

「文学街」266号

209年11月刊
東京都

小川禾人「周子」(小説)
「ゆきだ! ゆきだ!」とはしゃぐ道子は沖縄からの「留学生」であった。まだ沖縄が日本に復帰する前の女子大学でのこと。「雪って、こんなのじゃないわ」喜ぶ道子に水を浴びせるようにといったのが周子。周子は植田の教え子だが、間もなく家の事情で大学をやめていく。周子に植田は「いいかい、いつまでたっても周子はぼくの学生だし、ぼくは周子の担任だよ」という。周子は「ぜひ、只見に来てください」さらに「私はいつまでも、先生の学生だし、今の一Aの学生だと思っています」という言葉を残していく。 次の夏休み、植田はいろんな理由を作って自分を納得させ、周子に会いに出かける。不本意な退学をしてしまった教え子を見舞うという軽い気持ちが、周子の歓待を受けている間に、それまで秘められていた二人の愛が高まっていく。「雪ってこんなのじゃない」といった周子言葉がこの作品の最後で生きる。

( 2009年9月)今回取り上げたのは

「カプリチオ」30号

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209年8月刊
東京都

「特集」同人誌は、いま、どこにいるのか?

中部ペンクラブ会長・三田村博史インタビュー

荻悦子「スフィア」(小説)

石井利秋「鉄道団地」(小説)

北緒りお「かもしめ」(小説)

冬野良「カシの木の下で」(小説)

菅野正義「天宮山」(小説)

谷口葉子「国道沿いのぬるい海溝」(小説)

特集・小谷剛に寄せられた声

宇佐美宏子「嘘と虚構」(エッセイ)

美里けんじ「心に鈴を偲ばせて」(エッセイ)

「カプリチオ」29号

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209年3月刊
東京都

特集「小谷剛〈書く〉という闘いを生きる 文学の季節だったあの頃――

草原克芳・山下智恵子・津木林洋・谷口葉子・本多美智子

塚田吉昭「青梅真言宗通円寺縁起」(小説)

加藤京子「モノクロームに捧ぐ」(小説)

川口明子「はらから・愛と相克」(小説)

荻悦子「山の湖/ロープ」(小説)

「小説家」129号

208年12月刊
東京都

鈴木重生「遊びをせんとや生まれけむ」(小説)


主人公の穂積正人は、コンピュータで自分の先祖の家である穂積屋敷を検索し、その惨状を知る。 所在地は、熊野古道沿いの藤白の町に建っている。この建物によって、正人は自分の先祖を 八百年前までさかのぼることができたのだった。十年ほど前に一度訪れたことがあったが、 いまこの惨状を知ると、ほうっておけない気持ちになる。 姪の中野百合子は自分も短歌を作り、新古今和歌集にもくわしい。ちょうど百合子も 熊野古道に行く予定があるというので、穂積屋敷まで同行する。百合子との会話に 触発されるように、いろいろと想像が広がっていく。 藤原定家は熊野詣でのおり、ひょっとしたら穂純屋敷に寄ったかもしれない。 そんな想像も信憑性を持って浮かんでくる。能の「定家」を思い出し、定家と式子内親王とのただならぬ恋物語。 能、短歌の芸術論を百合子と語りながら、到着した穂積屋敷は、たしかに荒れてはいたが、 見ているうちにいつしか能舞台と重なって正人の幻想を誘う。

石井利秋「石を抱く」(小説………この作品は「同人誌の作品」に掲載してあります)

アパート経営をしている珠代のところに、不動産屋が客として連れてきたのは、死んだ息子の恋人だった亜沙子だった。息子の良男は幼なじみの亜沙子との結婚を望んだが、珠代夫婦はどうしても賛成できなかった。 いまアパートの住人になった亜沙子は、珠代に意外なことをいう。良男を死なせたのは、亜沙子だったと。 珠代の方は、ずっと良男の死は自分たちが結婚に反対していたためだと思いつづけていた。

「カプリチオ」28号

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208年12月刊
東京都

谷口葉子「ひとり芝居 ゑひもせす・ん」(戯曲)

いらのけい「悪運」(小説)

塚田吉昭「貞盛の肖像からみる人格性について」(小説)

万リー「舌打ちしっこの左膝のお母さん」(小説)

この作品は、2009年上半期同人雑誌優秀作として「文學界」五月号に転載されました。

斉藤勲「アラビアのロレンス」(小説)

内野幸雄「抱かれ地蔵」(小説)

原真弓「クレーマー」(小説)

美里けんじ「古今ふるさと 土佐日記」(エッセイ)

( 2008年10月)今回取り上げたのは

「カプリチオ」27号

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208年7月刊
東京都

関谷雄孝「やはり彼等は空を飛んで行くでしょう」(小説>)

鳴沢高雄「内科塔」(小説)

石井利秋「足をさする」(小説)

八木紀生「秘境」(小説)

北緒りお「窮鼠」(小説)

さとりあい「歌の中で」(小説)

塚田吉昭「ジョン・レノンになれなかった父たちのために」(小説)

谷口葉子「倉橋由美子の「幻想絵画館」に遊ぶ」(エッセー)

荻悦子「セーター」(エッセー)

森かおる「短編小説を上梓して」(エッセー)

「小説家」128号

208年7月刊
東京都

佐藤睦子「曖昧な時間」(小説………この作品は「同人誌の作品」に掲載してあります)

山田直堯「城と翼」(小説………この作品は「同人誌の作品」に掲載してあります)

秋月ひろ子「時の過ぎゆくままに」(小説)

鈴木重生「ジョン万次郎は何を見たか」(エッセー)

( 2008年4月)今回取り上げたのは

「小説家」127号

208年4月刊
東京都

関谷雄孝「平成安保聖橋情話」(小説………この作品は「同人誌の作品」に掲載してあります)

尾関忠雄「ガンジスの女の詩」(小説)

類ちゑ子「目が見た目」(小説)

刺賀秀子「杜夫の秋」(小説)

結城五郎「野良猫」(エッセー)


「小説家」126号

207年12月刊
東京都

石井利秋「写真に残すもの」(小説)

鈴木重生「魔王が呼ぶ」(小説)

印内美和子「金のスプーン」(小説)

漆原曉子「青いパパイア」(小説)

隈部京子「帽子の話」(エッセー)

「小説家」125号

207年8月刊
東京都

山田直堯「星が散る」 (この作品は「同人誌の作品」に掲載してあります)
父とは幼い時に死別。母が家出したあと祖母とふたり暮らしになってしまった真一はまだ 小学校五年。毎日の買い物を頼まれる真一は、そこで働いていた母を思いだしてつらい。しかし、 真一にとってもっと辛いのは、学校でのいじめだった。さまざまないじめに耐えながら、真一の 救いといえば、田舎の叔父からもらった蚕の飼育と新聞配達をしている中二の先輩だが、蚕も先輩も 慰めにはなっても真一の抱える問題の根本的な解決にはならない。読者をはらはらさせながらも、 次第に光明らしきものを見いだしていく少年真一の姿が、いきいきと描かれている。

隈部京子「掌の小説七編
」作者のあとがきによれば「東海志にせの会」発行の「あじくりげ」 という小雑誌に連載した掌編小説を加筆、訂正、削除を行ったあと、ここに発表した、とある。 それぞれたべものを小道具にして、さまざまな世代の、ほのぼのとした人間関係が心地よい筆致で表現されている。

秋月ひろ子「見返り鹿」
志乃には妻子ある上司との間に生まれた息子がいる。 これまで息子に真実を告げることができないまま、なんとかとりつくろってきたが、 その息子も今は卒論、就職を来年にひかえる大学生。 ついに、息子に真実を知らせなければならないときがきた。のちに息子の父親 になる上司と旅行した奈良を、こんどは息子と二人でたどりながら、息子に出生の秘密を語る。 志乃も息子も上司もそれぞれいやみがなく、うらみがましさもなく、きれいな人間関係として描かれている。

佐藤睦子「崖」(この作品は「同人誌の作品」に掲載してあります)
五十過ぎてマンションにひとり住む笙子。彼女はマンションの窓から崖とその下を 走る電車を見ている。彼女には線路で命を落とした二人の大切な人がいる。一人は結婚を約束していた恋人、 もう一人は同じこのマンションに住まないかと誘ってくれた親友。 どちらの死も、笙子にははっきりとした原因が分からない。事故なのか自殺なのか。 警察は事故だといい、笙子はどうしても信じ切れないまま、月日だけが過ぎていく。 人間の心の中のもやもやとしたものを描き出そうとした作品として読んだ。

「カプリチオ」25号

207年6月刊
東京都

次の小説が掲載されていますが、すべて左欄の「カプリチオ」のリンクから作品が読めます。

万リー「家族写真」
ここに描かれた女だけの四人の家族は互いに血のつながりはない。そのうち三人は介護を必要とする 老女。介護しているのは、夫に捨てられてアパートで暮らしていたところを、この家に連れ戻されたというか、 救い出された。むかえに来てくれたのが八十九歳のなかばあちゃん。に救い出された三十歳の「私」。 四人は呉服屋をしていた「私」の曾祖父との関係でお互いにつながっている。お金はあるのに、古い 家に住んでいる。ある日地震があって家が半壊する。消防署から避難勧告を受けて、慌ててベッドの 電動スイッチを入れた最高齢の「なかばあちゃん」はそのはずみで体中の骨が何カ所も折れて入院 、ほとんど瀕死。ほかの二人の老女も施設に入ることになり、「私」だけが壊れた家に戻るが、 中には入れない。こうして曾祖父の残した女たちをふくめた「家」がまさに崩壊していこうとするとき、 老女たちに晴れ着を着せて、みんなで家族写真をとる。忙しくてんやわんやの中から、おのずから 滅び行くもののかなしみが浮かんでくる。

金井未来男「風狂老人酔夢譚」
一太老人は脳の活性化や体力維持に気をつけながら老妻と暮らしている。彼は印刷会社で定年まで 働いたが、その前一時期米軍キャンプで働いたことがある。そのとき気に入られてアメリカに来ないかと 誘われたが、けっきょく行かなかった。そんな思い出を交えながら、これまでの生涯を思いだし、いまは 能や競馬、相撲、家庭菜園を楽しんでいる。自由なのびのびとした日常生活が浮かんでくる。

さとり あい「妻捨て」
パーキンソン病の妻を見舞って、部屋を出るとき喜一は「つますて」という声を聞いた。妻のほかにはだれもいない 、が妻がいった気配はない。空耳だが、それは喜一の妻に対する負い目からきたものだ。 経済的にはゆとりのあった喜一は家を建て替えようとした矢先、嫁いだ娘から資金援助を条件に 同居を進められたのだが、これが裏目で娘は金だけのために、親たちを受け入れただけだと思い知らされる。 そんな中での母の骨折入院。妻の発病、母の死。喜一自身心臓病を抱えている。娘は頼れずという、現代の老人問題 が示されている。

斉藤勲「冬の旅」
警備員の生活を書き続ける作者の長い連作の一つ。職場の人間関係、今回のドイツ旅行のようすが、丁寧にたどられている。 ドイツのホテルで「ずっとこのまま、ひとりで老いていく」とひとりつぶやきつづけているさま。旅の仲間と会話しながら とつぜんとんちんかんな話しをしてしまう。「でも自炊をしていなかったら、私はきっとこの旅行に参加できなかったでしょう。 それに結婚していたり子供がいたりしても駄目だ。ささやかな給料ですから」と。

鈴木重生「はたして小説に「人間」は必要か?」
フランス文学者でヌーボーロマンの研究者として知られる鈴木氏による講演の収録。 ヌーボーロマン案内として、一般の人にも分かりやすい語り口で述べられている。 表題は、かなりショッキングだが、「カプリチオ」のホームページに全文収録してあるので どんな内容かは、読んで確かめて欲しい。

「小説家」124号

207年8月刊
東京都

鈴木重生「水晶体を繕う」
画家の三之助は、自分の老いを感じはじめたこの頃、作風も変わってきている。 色も形も、目の前の事物を突き抜けて気儘になってきた。そんな三之助の目が少し霞んできた。 白内障ということで手術を受けることになる。三泊三日の入院中の、食事、睡眠、手術そのものに 対する不安が克明に描かれていく中で、もう一つ絵画表現とはどういうことかという思考が展開される。 三之助自身抽象と具象のはざまで描いてきたのだが、今回同じ会に属する女流画家が キャンバスの中央に赤い絵の具を垂らしただけで、あとは一面黄土色に塗り込めた作品を発表した。 女流画家自身はこれでいいという。三之助をふくめ仲間たちは首を傾げるが、本人は自信満々で自説を 曲げないのでほかの者は匙を投げている。たぶん芸術のどの分野でも起こりそうな問題を 感じさせられる場面だが、小説そのものは無事手術は終わり、はっきりした眼であらためて回りをながめ、 絵に対する意欲を取り戻していく。メタフィクションの試みとして面白く読める。

類ちゑ子「雨あがり」
片瀬ゆいは甥の孝典と二人で暮らしている。筋向かいに敦子の経営する理髪店がある。二人は 仲がよく、ともに猫好きである。ところがそこにしばしば極端な猫嫌いの老人が現れて、二人を 困らせている。二人の会話は当然老人に対する非難と猫擁護論になる。犬や猫を家族の一員のように 飼っている家庭。無責任な飼い主の話など織りまぜながら、目に余る猫嫌いな老人が増水した川で 不慮の死を遂げる部分は、クールでショッキングだった。

刺賀秀子「眠り子草」
都会生活を続けた結果不眠におちいったかおり。もうかおりがいずれ継ぐべき家には 伯母しかいないのだが、そこに帰って思うさま眠ってみたいと思う。 何年か来なかった間に、故郷の姿も変わったが、願っていたようにある程度の眠りを取り戻し、故郷の 人たちの生活にも触れることができたのだが、実際には伯母が一人で懸命に生きている姿を見ることで、 勇気づけられた反面、必ずしも故郷に自分の居場所があるわけでもないことを覚る。

関谷雄孝「帰ってこない夜明け」
二台の救急車が病院の玄関に到着する。運び込まれたのは、若い父に抱かれた五歳くらいの女の子。 すでに死んでいる。手をつないで歩いているとき、女の子だけが後ろから来たオートバイにはねられた。 つづいて担架で搬送されてきたのは、女の子をはねたオートバイの後部座席に乗っていて、 工場の壁に下腹部を強打して瀕死の少女。派手な服装が眼を引く。もう一台の救急車から降ろされたのは、オートバイを運転して いて、頭を打って意識不明の青年。ふたりとも重傷で病院のスタッフ総出で手当てをしても、 ともに結果についてはかなり悲観的だ。一方青年と少女の親同士が、 お互いに賠償金を要求して殴り合っている。太平の時代に遊びで命をそまつにする若者を 必死で助けようとしながら、医師修平の心に浮かんだのは、 戦争中、特攻に志願して死んでいった兄の最期の言葉だ。 「修平、医者になれよ。一人でも多くの人間の生命を救ってくれ。頼むよ」

( 2007年1月)今回取り上げたのは

「ハマ文藝」36号・37号・38号

年二回刊行38号は2006年12月刊
横浜市

東堂直志「浅葱を待ちながら」36号からの連載。
冒頭に1977年、秋、農家、作造の家、とある。これがこの長編小説の時代背景になる。 作造の周囲がきめ細かなディテールでたどられていく。  すでに三人の息子を失っている作造がいまもう一人の息子を失おうとしている。その心痛の中でさら に、自身が軽いとはいいながらの発症。この世の中で幸運の人はごくまれで、長い人生では不幸はつ きものなのか。なんという不運を背負った人生であることか。主人公が 不幸に耐える姿を我が身の生活と重ねて、ある人はまだまだと思い、ある人はそこにいくばくかの 慰めを見いだすのだろう。そんな読み方を誘う小説である。

「季刊作家」60号

2006年12月刊
豊田市

森かおる「雪の山里」
せっかく大学に入学しながら、大都会の生活になじめず郷里に帰ってきている真美子。 彼女は、家の外をとおる老人の姿を眺めている。ちゃんとした親族を持ちながら、その世話をこばみ自分の中に 閉じこもって不自由な生活をしている老人。 年齢も境遇もまったくちがう老人に自分の今の心境を重ねながら、 自然に癒されていく真美子の姿が短い中に語られている。

「小説家」123号

2006年12月刊
東京都

印内美和子「色々なことが起こって」
連作の三回目。経済的には恵まれているが、一人暮らしのひさ子とリストラされ妻と別居して転がり込んできた 息子を抱える春谷。この二人のわわりにも白銀クラブで知り合ったいろんな事情を持つ老人たちが 描かれている。ここでは「かあるく」考えましょうとはじまった春谷とひろ子、でも否応なく 人生の終末は近づいている。そんな中での二人の姿が興味をひく。

佐藤睦子「表面張力」
三十代最後の誕生日のに従姉から柚子が届く。不透明な柚子ジュースを透かして見ながら、 記憶が蘇ってくる。偶然雨の日に知り合った年上の男。語り合い、友に海を見に行ったりしながら なぜかその先に進むことのなかったふたりの関係を、従姉は恋愛ごっこ、とからかうが主人公の 心の中には堅く結びついて離れない何かが今も残っている。

漆原暁子「余白への供物」
一枚の写真を見ながら、そこに写っている死んだ友人に語りかける。 友人には自閉症の男の子がいる。母親を服で見分ける男の子は、別の服を 着た母を母と認めることができない。題名の「余白」とは何だろう。男の子を施設に預けた 後の自分の時間かもしれない。

石井利秋「花を見に」
幼なじみの茂と竹子。いつも子供時代のような感覚で付き合ってきたふたりは、竹子の大学卒業 を機に竹子の気に添わない結婚話が持ち上がっている。味方になって欲しいという竹子の気持ちに 気づいた茂は竹子をどう守ろうとするのか。

「時空」27号

2006年11月刊
横浜市

福島弘子「倶利伽藍紋紋」
この倶利伽藍紋紋という言葉自体あまり聞かれなくなった。今の人たちに意味が分かるだろうか。 子どもの頃銭湯で見た背中一面とか両方から上腕部にかけて刺青。この作品の少女と おなじように石けんで洗っても落ちない絵を不思議におもったことを思いだした。 この作品の少女が塀の隙間からのぞき込むとか、銭湯で女性の見事な刺青を見る 場面など、男の読者としては読んでいてちょっとぞくぞくさせられる。この少女は知り合いの老人にも 刺青があると信じながら、はたせない。でも刺青も若い張りのある肌にあるからこそ美しいのだという 部分、そしてその老人とふたりの女性。老人には美しい刺青があったのか、 女性たちにはそれぞれ○○命という刺青があったのかと思うあたり、 刺青が象徴する生き方というものがあるような気がしてくる。この作品の重要な部分だと思った。

「小説家」122号

2006年8月刊
東京都

隈部京子「隣の男」
三十を過ぎたわたしは、せめて一度、本当の恋をしてみたい、と望みながらなかなかこれという男に 巡り会うことが出来ないでいる。ある日図書館で知り合った村井は、老舗の薬屋の三代目、 高級マンションに一人で暮らしている。私の心はわずかに動き始めるが、いまひとつ決め手がないまま、 弟の結婚もあって一人暮らしを始める。そこで出合った「隣の男」は村井ほど風采は上がらないが、 人間的なよさにわたしは次第にひかれていった。

秋月ひろ子「モーニング・コール」
オフィスで働く佐和子には会社の役員で榊原という親しい男がいる。ときどき誘われて酒を飲んだり している。この日もさりげなく誘われるが、佐和子には先約があった。その相手は学生時代佐和子の 会社で警備のバイトをやっていたとき、短歌にたくして恋文をもらったことがある。佐和子はこの男とも 淡泊だが長い間付き合ってきた。彼はきょうわざわざ遠望から会いに来る。とくに結婚という男女 関係を求めない佐和子の、さっぱりとした生き方が印象的

尾関忠雄「小説家」
題名のように小説家を論じたもののようだが、 といって真っ正面から論じているわけではない。

山田直堯「袋小路」
税務署といえば、国民から税を取り立てて財政を成り立たせている 役所だが、どんなふうに取り立てているのか。ここではその驚くほどの理不尽な徴税の 標的とされたある零細企業者のあがきが克明に描かれていて、納税者の一人として空恐ろしさを感じた。

( 2006年4月)今回取り上げたのは

「槐」24号

2006年3月刊
佐倉市

関幸寿幸壽「象牙のお守り」
戦後間もなくの頃、恋人を振り切って、生活のために心に沿わない男のもとに行く 「おねえさん」を、可愛がってもらっている少年の目から描く。象牙のお守りは 「おねえさん」が家を去る前に前から欲しがっていた少年にくれたもの。 当時の世相をほろ苦く浮かばせている。

乾夏生「鹿島踊り」
四十六年前の思い出の場所、水没する前の小河内を訪れる話。 当時主人公は母と山寺を借りて疎開生活をしているが、祖母も同居している。 体調を崩した祖母の湯治のため、ダムで水没する直前の小河内に三人で出かける。 ここで祖母は良くなるどころか次第に精神をむしばまれていく。 やがて鉄格子のはまった病棟に入院、退院後はまた主人公と同居することになるが 、異常をきたしたままの祖母を主人公は嫌う。その祖母が死の直前に正気を取り戻し 会いに行った主人公に「達者でいたか」と声をかけてくる。目頭を熱くした主人公は 狂気の祖母にした自分の行為を思い、自分は泣くに値しないと思う。 正気を取り戻す。

遠野明子「高倉アパート」
若い日、逃げるようにして郷里を離れて上京して、住んだ「高倉アパート」 そこで出会った、自分を含めたひとびとのドラマをパノラマふうに くりひろげて見せてくれる。だれにも一つや二つ思い当たることだが、 人生に大きく影響をとどめることになる場面、場所。主人公は自分のその後の人生を この「高倉アパート」との関わりに託して振り返ってみせている。

「小説家」121号

2006年4月刊
東京都

漆原暁子「代用ポスト」
結婚もせず、子ども持たなかったまさ子は、学校事務員をしながらマンションで一人暮らし。 そこからは花火がよく見えるが、いっしょに見物する人はいない。 そこは地域の避難所にもなっているが、たぶんいざというときは大勢の地元の人たちのなかに 自分の場所はないだろう。そういう暮らしのまさ子のベランダに突然古い郵便ポストが出現する。 かつて実際に使用されていた陶製の「代用ポスト」だが、なぜか差し出し口は開いているのに、 取り出し口は一度溶けて固まってしまったものらしく、開けることができない。差し出し口はあるが 取り出せないとすれば、配達されることもない。一方通行のポスト。けっして相手に届かないポストに まさ子は、これまで書けなかったことを書いて投函しようと決心する。

類ちゑ子「中央線快速電車」
中央線快速電車に乗った「私」の前には様々な人が 乗ってきては降りていく。「私」はひたすら目の前の乗客たちを眺めながら あれこれと心に浮かぶ思い出やそれからそれへとつづく思考に自分をゆだねている。 ふと見ると、立っている乗客たちの隙間から、向こう側の座席に座っている男に目がとまる。 彼は笑いを必死でこらえている。見知らぬ人たちが、一つの車両に乗り合わせながらそれぞれの 生活を背中に背負っている。その背負ったものが「私」には一種オーラのような形になって彼らの 背後に漂っているのを見ることができる。と、さきほどの笑っていた男は、実は必死に泣きたい気持ちを こらえている表情だったことに気付く。彼もまた、オーラを背負っている。

刺賀秀子「ファミリー・レストラン」
自転車で横断歩道を渡っているとき、すれ違った男。 思わず止まろうとしたが、赤に変わりそうな信号をそのまま渡ってしまう。すれ違った男は 明子の行方不明になっている夫の修に似ていた。温和しくて実直そのものだった修、その人柄を見込まれて 知り合いの問屋を任された。おりから阪神大震災で扱っていた雨戸やサッシ戸は飛ぶように売れて思わぬ 大金を手にしたが、そういう好景気が過ぎるとたちまち経営難がやってきた。ある日、修は何も告げずに 姿を消す。そんな中で明子の父は、昔ながらの家長ぶりで正月には必ず子どもたち孫たち一族を 招集している。そういう一族の結束の中から修ははみ出さざるを得なかったのだろうか。

鈴木重生「次の角を曲がった所で」
家族旅行を終えて帰ってくると 空き巣が入って、家の中をめちゃめちゃにされている。病弱な美加は、精神的にも肉体的にも大きな打撃を 受けた。キリスト教の学校を出ている美加はかねてからキリストに関心が強い。ルオーの「聖なる顔」という 絵を掛けて、心のよりどころにしていたが、その絵も、無惨に壁から落ちてしまっている。彼女がときおり参加し ている聖書研究会に行く。ここでは新しい聖書研究の成果などが発表されているが、 今回はマグダラのマリアについての新しい説の紹介だった。 ここに紹介されるマグダラのマリアについての新しい解釈。画家たちの描くマグダラのマリアの姿。 「聖なる顔」の解説に出てくるヴェロニカとの対比など、この部分だけでも十分に興味をひかれて読んだ。 死期を意識している美加は、キリストの教えの中に救いを求めようとしている。 これまで無教会派のキリスト教に近かった美加はやはり洗礼を受け、教会で自分の葬儀を して欲しいというほうに気持ちが傾いていく。壮絶な死の苦痛の中で、美加は望み通り洗礼を受けて 息を引き取る。

結城五郎「嗚呼、携帯電話」は病院の診察中まで携帯を手放さず、傍若無人な患者たちの 姿を活写したエッセー。

山田直堯「遅れた巣立ち」石井利秋「本の置き場」も、ともにエッセー。「同人誌の作品」に転載中。

「小説家」120号

2005年12月刊
東京都

佐藤睦子「さるすべり」
夫の七回忌を終えたあと、夫の建てた家を売る決心をする。何事にも頼りになる弟に電話 で相談すると、驚きながらも家の処分についての相談に乗ることを承知してくれる。 家を売る煩雑な手続きを進めているうちに、逆に夫との思いでや、庭のサルスベリに 象徴されるような夫の残したものがつぎつぎに浮かび、家を売ることはこうした過去を 失うことだと気づいていく。

石井利秋「古い街」
古い街の喫茶店に古い写真が飾ってある。これを写した老人はかつて、写真集を作ったこ とがある。この街戦後間もなくの風景が載せられ、そこには一人の女の主人公がいる のだと喫茶店のマスターはいう。 ある晩、武家屋敷の残る一角にある廃屋が焼ける。そこから写真集を作った老人が焼死体で 発見される。この廃屋こそ、写真集の女主人公のかつての家だった。

印内美和子「初冬のお喋り」
年寄りたちのために開設されている「しろがねクラブ」で 知り合った二人。気楽な独り者同士で親しくなる。 女は金持ちの独身者だが、自分のために墓地を買いたいと思っている。 いまのところ、何不自由ない彼女の一番の関心事はきれいな墓石の建った墓地。 買いたいのだが、独身では墓を守る人がいないということで買うことができない。 結婚していれば買える、というので男に相談を持ちかける。男は一見気楽な独り者 だが実は問題を抱えている。それを告げても女は動じない。 「軽く考えてくださればいいのよ。かあるくね。重くしてはだめ」と女はいった。

関谷雄孝「本所 竪川 河岸通リ」
七十七歳の息子と九十七歳の母。母は女手一つで、二人の息子を医者に育て、自分も七十 すぎまで薬局をやっていたが、いまはあちこちに病気を持ち、なにかというと息子を呼びつける。 「どうも今夜で私は駄目らしい。お前に一言お礼が言いたいから」行ってみると、寝息をたてて 眠っている。あるときは「痛くもなく、重くもなく、ただ動かすのが大儀なだけなんだよ」 といい、病気から生還して「また。生、か、さ、れ、た」という。 気丈でどこか息子に甘えている九十七歳の母。ああ、と思いながらも必死に母の生を 支えようとする七十七歳の息子のさまざまな思いが丹念にたどられていく。


( 2005年8月)今回取り上げたのは

「小説家」119号

2005年4月刊
東京都

秋月ひろ子「遠花火」
ふとすれ違った人が、遠い昔には非常に身近な存在であったことに 気づいて思わず振り返ってみることがある。こうして真知子はすれ違った女性が 小学中学時代の友人だったことを思い出す。友人小池道子を思い出したことから、遠い 日の漁師町での生活、道子とのふれ合いがたぐり寄せられていく。海が工業地帯に変わり 漁師だった道子の父が自殺するという事件が起こる。 真知子は、死ぬ直前の道子の父に偶然海岸で出会った。いつまでも道子の友だちで いてやって欲しいといわれる。しかし道子一家の生活は一変し、道子とちゃんとした 言葉を交わす機会は失われたままだ。

尾関忠雄「カミン男」

山田直尭「屋上」
この作者の筆力で一気に読ませる。父は死んだ。母は見殺しにした。書き出しのように、すさまじいまでの両親の確執が 息子の目から描かれている。父は警察音楽隊の隊長、作曲も手がける芸術家ロマンチストでも あるが、妻への配慮はあまりない。結婚前の団員との恋愛をそのまま妻に告げたりする。 さらに、結婚後は街の薬局の未亡人との恋愛が始まる。ずっとだまされていたと知った母は 退職後病に倒れた夫の看病を拒否して、自分の勤めを優先させる。救急車は呼ばない。入院は させない。入院しても付き添いはお断り。父が死ぬまでその態度を押し通す。 息子ももてあますような状態が続き、治療を拒否したまま父は死んだ。 その母がいまお岩の顔になった。母は転んだとき手で支えることをせず、わざと顔を 直接床に打ち付けたらしい。自分の気持ちを夫に直接ぶつけることができず、耐え続け 薄情に徹するしかなかった母の寂しさが、息子たちの同情を引こうとしてあえてお岩になった のか。しかし老人ホームへの入所をきめた母を引き留める身内はいなかった。

隈部京子「それぞれの居場所」
女は一度は自分の夫を試してみたくなるものだ、と作品の中の津季子はいう。津季子は里子の 学生時代からの親友である。大学に通う一人息子が遠くに下宿してしまったことが寂しくて耐えら れない。更年期と重なって体調まで崩し里子に助けを求めてくることが多くなっている。 息子のところに泊まりに行く間、ときどき夫の食事の世話をして欲しいと津季子から頼まれる。 里子は夫に死なれ息子も下宿していて自由だ。里子は承知して津季子の夫の夕食を作り、一緒に 夕食をし、帰りは駅まで送ってもらう。このことが何度か繰り返される。この小説は ある意味ではふしぎな人間関係を描いている。登場人物にだれひとり悪意がない。それでいて、 最後には津季子の夫と里子は恋に陥り、津季子はそれをとがめるどころか、じぶんから身を引 いて前から望まれていた叔母の旅館を引き継ぐことにする。読みやすい文章とあいまって一種 メルヘンチックな気持ちよさに誘われる。

「小説家」118号

2005年4月刊
東京都
類ちゑ子「じみや」
作家志望の満という男。地方に住んでいた頃はそれなりに認められていた満は、単身東京に 出てきた。しかしなかなかその道で認められることはできない。ある日、酒屋の店頭にある 両替機で金を見つける。考えてみると、満はこれまでにもなんどか金を拾ったことがあった。 どうやら自分には金を拾う才能があると満は気づく。こうして執筆の合間に街を歩いて 金を拾うことを始める。このような仕事を「じみや」地見屋というらしい。やがて街を ねぐらにして暮らす人たちと親しくなる。つきあってみるとみなそれぞれいい人たちだ。 ある日公園で紙袋を拾う。一回りしてもどってくると、公園で男が女を痛めつけている。 金がどうしたといっている。じきにパトカーがくると、男は姿を消したが、女は死んでいる。 アパートに帰って拾った袋を開けてみると札束がでてくる。全部で三つ。曰く付きの金に ちがいないとおもいながら警察に届けた。ところが数日後、親しかった路上生活者のバグが殺される。 満が袋を拾った公園でバグも袋を拾ったのだが、これは囮だった。この前拾った金を返せと 迫られ、知らないというと死ぬまで暴行を受けたのだ。自分のふとした行為が二人の死を招いた ことに衝撃を受ける。実はバグを主人公にした小説が、懸賞小説でいいところまでいっている。 こうした仲間とのつきあいを通じて多くの材料を得た満は、今回の懸賞小説は作家として飛躍 するチャンスかもしれないのだが、満は少しも喜べない自分を見いだしている。

○刺賀秀子「忘れじや」
作品は前半分が「さくらさん」後ろ半分が「麗子さん」という二つの小見出しで 語られている。さくらさんも麗子さんもともに死んでしまった。さくらさんは、動物愛護団体 から紹介されて猫を譲ることになったのだが、現れたさくらさん夫婦を見て手放せなく なる。猫を譲るのは断るがそのごもさくらさんと電話でのつきあいが続く。ある日電話でさ くらさんの母親からさくらさんの死を知らされるが、お悔やみには来てほしくないらしい。 そういうさっぱりした母親だった。麗子さんの方は、夫の同僚の妻。両家に生まれ、年下の 主人公はいろいろ世話になるが、末期ガンでくるしむ麗子さんをとうとう見舞いに行くこと ができなかった。小見出しはないがもうひとり、会社の上役夫人がでてくる。このひとも 最近死んだ。そぞれの人とのつきあいの中で、死んだ人への対し方が年とともに変わっていくさまが 、この作者らしいきめ細かな文章で描きだされている。

○鈴木重生「戦場のレクイエム」
気がついてみると、田沢充が定年退職してから十年経ち、脇にいたはずの人たちが知らぬまに姿を 消していた。そうした友人の中に諏訪一夫がいた。諏訪は作曲家として認められていたが、高校生の 合唱コンクールの課題曲を依頼されたが、暗すぎるということで採用されなかった。暗すぎるというの は曲の反戦的な面を指しているのは明らかだ。田沢諏訪ともに戦争体験を背負っている。諏訪の死は 鬱から来た自殺らしい。死の二年後追悼演奏会が催され、田沢も招待される。そこであの一度は 断られた合唱曲が、音楽仲間と全国の音楽教師たちの手で発表された。ここで作者は、この合唱曲を 文章で表現してみせる。この重要な部分をここに紹介できないのが残念である。 この作者らしい、新しい表現に対す挑戦の姿を感じることができる作品だと思う。

○漆原暁子「籐の丸椅子」
そのときは、なにげなく過ぎ去ってしまったことが、あとになってからあれは そういうことだったのかと気づくことがある。しかもそれが知らない間に社会の 動きの中に小さな位置を占めていたとすればその思いはさらに深まる。 この作品は1969年夏、夫の友人からお使いを頼まれる。地図は書けないから見て 覚えなさいという。渡された荷物が何であるのかも知らされないまま、久郷先生の家に行く。 久郷先生もまた、届けたことのねぎらいも、質問もない。主人公はその部屋の籐の丸椅子 に座る。久郷先生がイチジクの実を口に入れてくれた。イチジクをいれたクッキーを焼 くのだという。隣の部屋でタイプライターを打つ音が聞こえている。で、いまそのときを 思い出しながら、資料を当たっていくと著名な英文学者であった久郷先生が、 ベトナム戦争からの若い兵士の逃避行を助けていたことを知ることになる。そしてあの隣の 部屋のタイプライターの音はその一人だった。こんな記憶を引き寄せていると自分が 生きていた時代の片鱗にほんの少し触ったような気持ちがしてくる。

「小説家」117号

2004年12月刊
東京都

○石井利秋「ジョギングが会社を救う」
会社に行こうと家を出ると、近所の男がジョギングをしていた。駅まで歩く間も ジョギングを している人たちに何人も出会う。電車で週刊誌をのぞき見ると 「ジョギングが会社を救う」 という見出しが目に入った。これはいまや社会的ブームだ。 やがてこの主人公の会社にも ジョギングが入ってくる。同僚たちは、たちまち同好会を作り、 ジョギングに精をだす のだが主人公はこの風潮に同調できないまま阻害されていく。

○印内美和子「しろがねクラブ」
しろがねクラブとは、老人たちのための公営施設。風呂、囲碁、将棋、 和室での踊りの練習、お茶を飲みながらおしゃべりもできる。春谷は二十年妻を 亡くして以来独身、小風も夫の十三回忌をすませたばかり。春谷が小風に話しかける。 ふたりとも入浴だけの利用者だった。話しているうちに、この施設の人間関係が浮かび 上がってくる。公営施設とはいいながら、ちゃんとグループができていてボスと うまくやらないと、仲間に入れないとか、将棋に夢中になっているうちに倒れた老人が 運び出されるのを、ほかの男たちはちょっとからだを脇に寄せる程度の関心しか示さな いというような描写は、一見のどかな老人施設の非情な人間関係が浮かび上がっていて、 どきりとさせられる。読み進むにつれて二人の半生が明らかになり、白銀クラブでは 仲間に入れなかった春谷と小風が、しだいにうちとけていくさまが読後をあたたかい ものにしている。
 

○佐藤睦子「優しい音」
有子はちょうど二十代の最後の日。明日は三十歳になる。十年前のこの日、 明日は二十歳になるという日、有子うれしくて眠れなかった。そしていま三十歳を明日に 控えた有子。この一日を、作者は克明にたどっていく。いまの有子は二十歳の時想像した 自分とはかなりかけ離れているようだ。自分のために一本の花を買う、というのが有子の 考えついたことだ。しかし花屋の店先に裁った有子を引きつけるような花はない。かわり に本を買う。 翌日三十歳になった有子の一日もさしたることは起こらない。家にいて、新聞を読む。 隅から隅まで読み尽くす、普段できなかった有子の贅沢だ。やがて電話がくる。三十歳の 誕生日に墓地のセールス。断ると、電話は乱暴に切れる。もっと優しい音で電話を切ること ができないのかと有子は思う。どうしたら優しい音になるのか確かめたくて、木野潤に電話 をかける。七年間つきあっていた恋人の木野。電話にでた木野は以前と同じようにくったく ない受け答えで、優しい電話の切り方を教えてくれる。誕生祝いに今夜行くからと約束して くれるのだが……。

○秋月ひろ子「満月のクリスマス・イヴ」
運命的な出会いや、ドラマチックな出来事はそう頻繁に起こるものではない。 が、クリスマスイヴともなれば奇跡の一つや二つ起こってもよさそうなものだ……。 ということで菜月は偶然同じビルに勤めている顔見知りの古家に誘われる。古家は妻子 があるが危機的状態。菜月は昔恋人がいたが双方の家庭の事情もあって、別れたまま。 中年に達した菜月と古家の間に奇跡が起こるかに見えたその日、古家の友人が現れる。 友人は妻と離婚し、こんどこそは昔の恋人を探し出すためにこの町にやってきた、 この友人とは、そして探し出そうとしている昔の恋人とは……。ということで奇跡は 思いがけない取り合わせで起こった。

( 2004年8月)今回取り上げたのは

「小説家」116号

2004年8月刊
東京都
○隈部京子「浚いの風」ともに配偶者との不幸な離別のあと、同棲するようになった六十代の男女の日常生活。 ふたりはそれぞれの家を持っているから、一週間おきに相手の家に行って過ごす。そこでは親しい同年配の人たちが 集いをもつ。会食をし、ゲームをして遊び、あるいは古典を読みながら過ごす。老後の幸福の理想的な姿とみれば、 一種のメルヘンとして読める。良き伴侶、良き友との幸せな日々。しかしこの女主人公にはまだ、 施設にあずかってもらっている老人性痴呆症の母がいる。つらい過去もある。それらをゆったりと、 十分な言葉を使って描き出している。
○山田直堯「宿雨」白川郷に合掌造りの屋根の葺き替えのテレビ映像を取りに行くディレクターのぼくとカメラマンの彼。 二人は若い頃、同じ部屋で一緒に暮らしたことがある。彼は苦労して有名カメラマンの仲間入りをし、ぼくは大学の映画科を出て プロダクションを持っている。時々一緒に仕事をするうちに、彼のスタジオで知り合ったモデルの道代と親しくなるのだが、 彼女が彼の恋人だったことに気づかなかった。彼の方も道代とぼくの関係を、今度の白川郷行きの朝初めて知った。当然 二人の取材旅行はぎくしゃくしたものとなる。不思議な魅力を持つ道代、屈折した彼のぼくに対する友情がくっきりと 描き出されている。
○関谷雄孝「牛込矢来下お釈迦様」ほとんど一人の力で二人の息子を医者に育てた母親は、いま九十六歳。 このごろしばしば体調不良を訴えてくる。そのたびに外科医である次男の私は呼び出されて、母のところに行かなければならない。 長男がわりに早く亡くなって、いまは次男の私だけを頼りにしたがる母だが、七十三歳の私はそんな母との距離をどう維持したら よいのか、しばしば迷いながら、周りの人たちと話すときは「馴染の女」と母を呼ぶことで心理的な折り合いをつけている。 母は、絵を描くことでいま生き甲斐を見いだしていたのだが、入院後意欲が萎えかけている。このとき「牛込矢来下のお釈迦様」のお札を 貰ってくれば、すべてが良い方に向かうと信じる母は、私にお札をいただいてきてくれという。戦前、しばしばこのお札の御利益を 経験した母を勇気づけるために、私は苦労してお釈迦様のある寺を探し出す。母は再び生きる力と勇気を与えられ、絵の完成に 向かって筆をとることになるのだが、九十六歳の母の将来についての危惧はなに一つ減ってないのだった。

「カプリチオ」19号

2004年6月刊
東京都
○菊田均「文学に潜む政治」はこの号の特集。菊田均の講演を収録したもの。/生きにくさと文学/ 江藤淳との出会い/江藤淳の死と文学者の死/文学から人間が消えた/編集という権力/ 芥川賞という政治/退化してゆく作家たち/文壇妄想と二次会妄想というような内容。
○谷口葉子「ささやかな約束」実に達者な作品で、一気に最後まで引っ張っていく。ノンフィクションで賞を受けた 私は流行作家の伯父から電話を受ける。死を覚悟した伯父が自分の生涯の記録を甥である私に書かせようというのである。 私は引き受けるが、伯父には父の死を巡って恨みがある。というのは、事業を営んでいた父がせっぱつまって近作に訪れた伯父に 断られて自殺してしまったのだ。そうした過去を背負いながらも、強引な伯父の依頼を承知し伯父の半生まとめる ことになる。会社勤めの私は、勤めの合間に伯父を訪れ話を聞くうちに、読者もこの強烈な個性を持つ伯父の輪郭が分かってくる のだが、ちょうど伯父が文壇デビュー作を書いたところまで口述したところで、伯父は死んでしまう。伯父の作品の題名が この作品の題名になっている。
○宇佐美宏子「おっぱしょ」ぼけのきた母は私たち夫婦の寝室にやってきて、いつまでも自分の寝室に戻ろうとしない。 ようやく父の寝ている寝室間で連れて行くと、父はすでに事切れていた。父と母は阪神大震災のあと、長男の家から名古屋の 私の家にやってきて、十四日目のことである。昔気質の父の姿を生き生きとした筆遣いで回想しながら、父に対して自分は どうだったかと考える。「おっぱしょ」というのは、父がよく話してくれた民話だ。おっぱしょというのはおんぶしてくれと いう意味だ。美しい女からおっぱしょといわれ、女を背負って歩き出すと石に変わってしまう。ある日力士がこの妖怪を退治する。 力士は女を背負ったとたん投げ飛ばすと、大きな石が二つに割れていた。年取った父が長男や私の家に来て厄介になるとき、 父もだれかに背負って貰いたかった。「おっぱしょ」といいたかったのだと私は考える。そして石を二つに割ってしまったのは自分ではな いかと考える。高齢化社会における普遍的なテーマを提示した作品として読むこともできる。
○鳴沢高雄「性交館」これはしゃれた作品だ。題名からしてどんな作品かと注意をひかれるが、短い作品なので作品を 実際に読んでもらうほうがよい。「カプリチオ」の作品はホームページで読むことができる。

 

「小説家」115号

2004年4月刊
東京都
○刺賀秀子「母への手紙」幼い頃二人の幼子を両親の元に残したまま、男を追って島から出奔した 母への、娘からの手紙という形式で小説は展開する。といっても実際にはどこかで生きているのか、すでにこの 世にはいないのか分からないのだから、投函されることのない手紙である。主人公の私が出奔した母の年齢 をはるかに過ぎたいま、母が出奔するまでを克明にたどりながら「なぜ」と母に問いかけていく。 残された祖父、祖母、やがて戦争が終わり帰還した父たちのそれぞれ執念に捉えられた姿が、小さな島の 情景の中で美しく、しっかりと描かれている。
○類ちゑ子「帽子のつばは立っていた」題名も代わっているが、描かれている内容もかなり変わっている。高校を出て はじめは農業団体の組織の一員として就職するが、飽き足らないものを感じた主人公の勝は自動車修理工場を始める。先輩知人 の好意を受けて順調に事業は発展する。勤めていた頃親しくなった女性と約束通り結婚してまずは幸せをつかんだかに見え たが、信頼していた得意先の男にだまされて工場は倒産。妻も金のない夫に見切りをつけて出ていってしまう。 失意のさなかある日、子猫を拾う。人間の女に失望した勝は、この猫と暮らすことになるが、どうしたわけか猫と暮ら すようになってから再び幸運に恵まれることになる。偶然通りかかった肉屋に就職する。肉屋の老夫婦は、先年一人 息子を失い、現れた勝を息子のように信頼する。肉屋の仕事の一部をまかされ、やがて独立した主人公はとんとん 拍子に事業を拡大し、ついにこの世にはかつて存在しなかったような住宅を作り上げる。題名の「帽子のつば」というの は、彼の建てた超未来型の住宅の外壁の姿である。これが立っているときは、主が在宅ということになる。部下がやっ てきて、この家の主のことを近くの人に尋ねる。「中にいらっしゃいますよ。帽子のつばが立っているから」と答える。 実は中で主人公が死んでいるのである。
○秋月ひろ子「エイプリル シャワー」保険の代理店を経営する独身の女性の、現代的な割り切った生き方が示さ れている。しかし女が一人でこういう生き方を選ぶことは、とうぜん困難もつきまとう。体調の不良は子宮筋腫によると 診断された範子は入院する。当然仕事に支障を来すことになる。これまで、なんとなくお互いに好意をもちながら、 友情以上の関係に進めなかった里見が思いがけない提案をしてくる。明るい結末の中、女の幸せというものを考えさせる 小説だと思った。

( 2003年11月)今回取り上げたのは

「小説家」114号

2003年12月刊
東京都
○鈴木重生「歯を失う」これは一言で紹介するのはかなり骨が折れる。画家の吉良明はついに総入れ歯を作らなければ ならなくなった。それまで虫歯、歯槽膿漏、部分入れ歯までは、近所のかかりつけの歯科医で事足りていたが、総入れ歯を作る だんになって大きく目算が狂ってしまう。どうしても満足のいく歯ができない。さまざまなタイプの歯科医とのやり取りの中で 歯とは人間にとってなんなのかをつきつめていく。たくみなユーモアをもって語られる入れ歯体験、入れ歯談義はいつか人生そのもの ではないかと気づかされる。
○印内美和子「小さい訪問者たち」プールに歩きに来た珠子は、そこで事務の女の人にしきりに話しかけている女の子に会う。 女の子はプールに入りに来たのではなく、大人に遊んでもらいたくて来ているらしい。子のいない珠子は、ふと女の子にうちに遊びに 来ない、と声をかける。知らないおばさんについて行っちゃいけないんだもんね、とこたえた女の子が知らないうちについてき ていた。子のいない珠子のところには、ときどきどこかの猫が遊びに来ている。きまぐれな猫の訪問を珠子は心待ちにしている。 そしていま人間の女の子がやってきた。子どもには、事情があり両親と離れて祖母の家に預けられている。珠子は女の子を手なず けることで大きな楽しみを手に入れるわけだが、猫も女の子も自分のものではない。ラストで、女の子と猫にうちの子になりな さいと話しかける姿が、珠子の屈折した心理をうまく浮かび上がらせている。
○漆原暁子「ララバイ イン ニューヨーク」なぎ子は娘の和歌とふたりでニューヨーク二きている。和歌はダウン症だが、 日本でマクドナルドで働いている。和歌が五年間働いたお金でいま旅行に来ている。和歌にはこの旅行の目的がある。本場 アメリカのマクドナルドを自分の目で「視察」したいこと。もうひとつは映画で見たラストシーンの舞台になったセントラル パークを見たいということだった。「視察」はどんなものになったろうか。セントラルパークは映画の感動のつづきを与えて くれたろうか。なぎ子の中にさまざまな思いが交錯しながら物語は進んでいく。

 

「カプリチオ」18号

2003年11月刊
東京都
○石井利秋「三月十日のたばこ」禁煙を始めたばかりの私は、禁煙を喜ぶ妻の態度が逆に不愉快である。その日久しぶり に家の近くで西原老人に会った。西原とは、彼が駅前の放置自転車の監視をやっていたとき知り合いになった。 間もなく、公園で西原に公園で出会ったとき、たばこをすすめられて、ふたりで吸った。 そのとき、西原は三月十日の東京大空襲で家族を失ったことを話してくれた。どうやら西原は毎年三月十日には、だれかに たばこをすすめて、失った家族の話をしたいらしい。久しぶりに会った西原は、見違えるほど老い衰えていたが、私が声を かけると「たばこないか」という。禁煙中でたばこは持ってないと答える。何日かして、西原が神社のベンチにいて、 たばこをすすめてくれる。禁煙中であるからと断る。西原はそれでもさりげなく何度もたばこをすすめてくるので、もらうだけは もらう。そして西原は三月十日を語り始める。西原にとって三月十日がいかなるものか。出来事そのものは理解できても西原 の心の中まで理解することはできないまま、私は禁煙を破って西原からたばこの火をもらう。
○塚田吉昭「せんねんやうなぎ」いつも奇妙な小説をみせてくれる塚田氏だが、今回はうなぎを使って読者をひきずりまわす。 後藤が来るはずだと妻がいうが、わたしの友人にはふたりの後藤がいて、どちらなのか分からない。寺の和尚と待って いると後藤の変わりに「せんねんや」からウナギが四人前届く。和尚、わたし、妻と後藤の分だと思うのだが、後藤は現れない。 後藤を待つ三人三様の後藤の記憶がかみ合わないまま、毎日ウナギだけが届くが後藤は現れない。
○斉藤勲「清流」かなりの長さの小説。書きたいことを全部盛り込んだ感じ。読み終わって強く心に残るのは、一人の男の 徹底した孤独。しかも自らに課した孤独の姿。かれは妻との短い結婚にピリオドをうつと、安定した生活は求めず、 半年働いたら半年は自由に暮らすという生活を続けている。そういう生活の中で同人雑誌に入り小説を書き始める。この主人公 の生活ぶりも自由勝手だが、小説の書き方も自由勝手だ。それでいて読後に痛烈に残る何かがある。

( 2003年7月)今回取り上げたのは

 

「小説家」113号

2003年8月刊
東京都
○関谷雄孝「西日の情景」作者がこのところ一貫して書き続けている戦中戦後。今回は東京大空襲の頃受験を目指していた少年の周囲の情景が鮮やかに描き出されている。空襲で一瞬にして消えた街。疎開、終戦の玉音放送。戦後東京に戻って、高円寺のアパートでの一人暮らし。そこで隣人になった米軍相手の売春婦の息子は、主人公よりいくつか年下だが、自分の父がゼロ戦に乗って戦死したことを誇りに思っている。売春婦の母は、主人公に自分は不発弾処理係の米兵と打ち合わせるために、ときどき会っているのだとみえみえの嘘をついている。気丈な主人公の母は、戦災で焼けた薬局を再開し商売を軌道に乗せるためにうごきまわっている。ある日尋ねてきた主人公の友人が、空襲で逃げる途中祖母を知らないうちに置き去りにしてしなせてしまったことを告白する。こうしたひとつひとつの挿話の積み上げが、全体としてあの時代をくっきりと浮かび上がらせ、あの時代がどんな時代だったのかを改めて思い出させ、あの時代を知らない人たちに伝えている。
○佐藤睦子「キャットテール」10ページに満たない短編。ある日の夕暮れ時、麻子はブーケを買った。それは赤い猫じゃらしに似た花が使われていたからだった。猫じゃらしのブーケには一つの苦い記憶があった。同期で入った同年のM子が、それと気づかないうちに先輩のKと婚約し結婚してしまう。Kはかねてから仕事の上では麻子を重んじる態度を見せていたし麻子自身もM子より自分の方が仕事をうまくこなしている自信があった。結婚式の日、麻子はM子からブーケを皆の前で贈られる。新婦のブーケをもらった人は、必ず良縁に巡りあえるのだといわれ、かえって麻子は反発を強めた。こんど買った猫じゃらしに似たブーケ、実は猫じゃらしではなくキャットテールという花だった。とんでもない思い違いに気づいた麻子は、ここ数年の自分のこだわりを捨てる決心をする。
○石井利秋「しし座流星群」房夫は内心ちょっと億劫に思いながら二十五年ぶりの中学校のクラス会に出席する。そこで花恵に再会する。房夫は二年前に離婚しているが、花恵も夫と死別していることを知る。房夫はあのころひそかに花恵に思いを寄せており、花恵もそのような気配だった。別の高校に入ってからも米の配達を口実にときどき花恵がやってきた。ある日しし座流星群を夜中に二人で見に行く約束をするが、雨ではたせなかったことなどを思い出している。クラス会のあと何日かして二人は花恵の住む町で会う。花恵は昨年しし座流星群を見たという。花恵もあのときのことを覚えていたことを知った房夫は、もう一度今年花恵と、しし座流星群を見ることができないだろうかと考える。

 

「カプリチオ」17号

2003年4月刊
東京都
○関谷雄孝「平成海軍落下傘部隊」主人公の医師はたまたま自宅の近くで自転車の男が車に追突されるのを目撃した。自転車の男は空中に投げ出されたがそのまま巧みな身のこなしで着地する。後日この男が医師の所に治療にくる。着地は成功したが、着地の衝撃で足を痛めていた。なぜあのようにうまく着地できたのかとの問いかけに、男は戦争中に海軍落下傘部隊の生き残りだったことを話す。やがて親しくなった医師は男から当時の落下傘部隊の悲惨な実情を聞く。そこに登場する三人の男たちはそれぞれ異なる職業をもって戦後を生き抜いてきたものの、いまだに当時の傷跡から自由になれないでいる。この三人の男たちのが、天使の刺青のある元ストリッパーを中心に行う戦友への鎮魂の儀式は、一見奇妙でありながら未だ癒されることのない彼らの傷の深さを物語っている。
○木井智草「青蜥蜴」男から屋上の物干場で突然話しかけられる。絵描きへの夢を突然の発病で失ったこの男は、病院の中のことを何でも嗅ぎつける。男は主人公の「私」が三日前に叔父と名乗って現れたかつて恋人大塚の誘いに乗って外出したことを見破っていた。大塚は十九のとき自殺をしようとして失敗した「私」を立ち直らせてくれ、いままた結婚生活に半ば行き詰まって病を得た「私」を励まして帰っていったものの、そのあとの「私」は逆に不眠をつのらせている。男はいう。「ねえアンタ、おれの絵のモデルになってもらえんだろうか、羅の着物を着た女のふくらはぎを、さっきの青蜥蜴がまっしぐらに、白い太股に向かって這い上がっていく。誰も描かなかった凄い絵が描けそうな気がしてきた」

 

 

「小説家」112号

2003年4月刊
東京都
○類ちゑ子「プラム畑のテリトリー」プラム畑のそばに住む「私」が長年飼ってきた犬が、「私」の腕の中で死んだ。そのあと、プラム畑に野良猫が姿を現すようになる。やがて気をゆるした猫は「私」から餌をもらうようになる。一方「私」は散歩の途中で子猫を拾ってくる。子猫にはきょうだいがいたが、もらって育ててくれていると思った「私」の幼なじみは、はじめから育てる気はなく「私」から受け取るとすぐ捨ててしまったことをあとで知る。一方プラム畑に現れる何匹かの野良猫、飼い猫、飼い猫のきょうだいの雌の野良猫。子猫とともに何か放しながら餌を食べる家族、身重の妻に与えるためにもっとくれとせがむ雄猫。雄同士の血まみれの勢力争いなど、さまざまな猫の生態がまるで人間の社会の縮図を見るように鮮やかに描かれている。そして最後に、人間のまいた毒餌で猫たちが死んでいくあたりは、人間の身勝手さを強烈に訴えてくる。猫を中心に、それを暖かく見守る「私」の視線が感動的であった。
○秋月ひろ子「切れた鎖」一人の男が病院で息を引きとった。死んだ男は、集まってきた家族を見ながら自分の人生を回顧する。死んだ男によって語られる彼の生涯はまことに波乱に富んでいる。最初の記憶はようやく物心ついた頃の関東大震災。しっかりものの祖母の死後重しがとれたように飲んだくれになって家計を省みなくなった父。まずしい少年時代。家族のために進学をあきらめて、板前奉公。戦後結婚。ようやく板前としてじりつしたものの娘の発病。貧しさはつづく。若い頃は親兄弟のために働き、その後は子供のために働き、俺の一生は他人のためだけにあるのか。もう嫌だ。そうは言っても女房子供を路頭に迷わせるようなこともできない。そう思いつつ、いつか父親のように飲んだくれていく。いま病を得て死んだ男はようやく肉親とのつながりという鎖を断ち切ることができたが、そのことが言いしれない寂しさにもつながっていた。
○刺賀秀子「八月」終戦から三年経った炭坑の事務所。外地で企業を経営していた父も、きびしい引き上げを体験したあと元気がない。伸子は大学進学をめざして勉強をしていたが、二次試験の前夜に父から進学をあきらめるよう言われる。あまり心にそまない炭坑事務所での勤務。そんなある日急に事務所が慌ただしさにつつまれ、伸子は同僚のさち子とGHQの軍人の接待に行くように言われる。恐れ躊躇いながら接待の席に出た二人は、思いがけなく紳士的な米軍人の前で歌をうたい、いつかほのぼのとした夢のような満足感を覚えて帰ってくる。翌日、別の軍人が会社に来た。今度の軍人はかなりきびしい。実はこの炭坑で働いている青年が、戦争中に捕虜を虐待したのではないかという疑いがかけられていた。青年は坑道から呼ばれるとそのまま釈明の機会もも与えられず、家族に会うことも許されないまま、ジープで連れ去られる。昨日米軍人の前で甘味な夢を見た自分はいま連れ去られていった青年に対して罪を犯したんだと思った。

 

 

( 2002年12月)今回取り上げたのは

「カプリチオ」16号

2003年1月刊
東京都
○宇佐美宏子「ストリッパー」三つの章に分かれている。「橋を渡ると」は第二次大戦最末期の七月。地方都市が片端から空襲を受けた年だが、主人公の瑠璃子という少女は四国徳島を焼け出されて、母とともに橋を渡ったところにある村に疎開する。川を渡ったところとは焼き場のあるところで、いつも人を焼く臭いが漂っている。そこは軍隊に行っている瑠璃子の父の部下の家だ。そこで同い年で焼き場の娘の小夜と友達になる。一度小夜の家に呼ばれていく。小夜は祖父と瑠璃子の前で裸で踊る。驚いてみていた瑠璃子のなかに不思議な気持ちが湧いてくる。自分が習っていた日本舞踊をこの場で裸で踊りたい。「パラダイス」こちらは主人公は「私」になっている。あるいは瑠璃子の成人した姿かもしれない。必ずしも仕合わせともみえない夫婦。ルナを生んだ時、やってきた夫の竜次に名前を付けてと頼むと「おまえが好きにつけたらいいさ、俺には関係ない」といわれる。竜次は流行の雑誌のスター映画の新人オーディションにも受かった男で、私が押し掛けて同棲した男だったが、賭け事にのめり込んで私がその尻ぬぐいをさせられる毎日になっている。銀座のクラブからやがて場末のストリップ小屋へと移っていく。妊娠した後も踊り続け、どうしても生みたくてルナを生んだ。竜次はルナの出生届と婚姻届をもって役場に行ったきり帰ってこない。「刺青心中」は夜が明けようとする時、ベンツに乗って「私」は警察に呼ばれてある男の遺体を確認に行く。その男とは六年間生活を共にし二十数年前に別れてそれっきりの間柄だ。あるいはこの男は「パラダイス」の竜次のようでもある。車ごと海に飛び込んだ男は裸だった。男の足の付け根に緋牡丹の刺青があった。同じ場所に私も同じ刺青をして舞台に立っていたことがあった。きっと男はこれを私に見せるために衣服を脱いで飛び込んだのだと「私」は考える。

 

 

「小説家」111号

2002年12月刊
発行所国分寺市
○印内美和子「泣く子」公営プールで事務員をしているわたしは、三つくらいの男の子に特別関心がある。このくらいの男の子はぽちゃぽちゃと太っている方がいいと考えている。ある日、三つになる男の子が姉と一緒に父親に連れてこられるが、どうしてもプールに入らない。父と姉は男の子を残したままプールに行ってしまう。取り残された男の子はなぜか大泣きをして泣きやまない。父親はいつものことだからと、見にも来ない。わたしにも、かつて男の子がいたが、水の事故で亡くしている。あのときやはり息子は大泣きをした。「子供が異常に泣く時は、何かが起こる、または、起こりつつあるのだ。子供は何かの予兆のように泣く。」この子がその日いつの間にかいなくなる。わたしは自分の子が亡くなったときの情景と重ね合わせて考えている。この部分のひねりがまことに興味深かった。
○漆原暁子「土踏まず」妻のさえ子がこのごろフィットネス・クラブに熱心に通い始めしだいにすっきりした体型に変わっていく。夫の周介は贅肉をそぎおとした今のさえ子より、たっぷりした肉付きをしていた以前のさえ子を限りなく好んでいる。この前半部分の日常の描写は、独特のしゃれた雰囲気をただよわしている。やがてこの夫婦がかつて障害を持って生まれた子を亡くした経験が語られると、急にこの一見気楽な夫婦が背負っている重いものが前面に現れてくる。前半部分での、夫婦がそれぞれ違った好みをもったまま仲良く暮らしているさまは、実は子を亡くした後、苦しみを耐えるそれぞれの姿、それぞれの生き方でもあった。
○鈴木重生「空観先生百華翁」大学を定年で退いた正人は次第に故郷の鈴鹿へと思いが傾いていく。この日正人は、先祖が住んでいたあたりに仕事部屋を探しがてら、かねてから気に掛かっていた四代前の空観という人物をもう少し詳しく調べたいと思って、鈴鹿へ向かう。正人自身は最近の日本の政治的な空気が、気になってならない。それは、彼の少年時代の軍国主義華やかな時代の苦い思い出をよびさましている。その記憶はやがて自分の早くに死んだ父の生き方、さらに明治時代に政界で活躍した祖父へとさかのぼりながら、空観の生き方の探索へとつながっていく。これを読んだ人のなかに、これは四代にわたる正人一族の憂国の記録でもあるといった人がいたが、まさに四代にわたる知識人の時代に対する危機感、それにどう対処したかの記録にもなっている、一方小説的な興味はこの空観が、実は幕末の時代にあって殿様が思いをかけた女性と結ばれ、あやうくお手討ちをまぬがれたものの蟄居を余儀なくされる話。古文書からうかがわれる空観とこの女性との関わり、人間像。それと、もう一つはこの作者がときどき試みる現実と非現実の狭間の描写なども見逃せない。

 

 

 

( 2002年6月)今回取り上げたのは

「全作家」55号

20021年7月刊
発行所全国同人雑誌作家協会・草加市
○桂城和子「狐火」特別な筋があるわけではないが、ちょっと奇妙なところのある小説。主人公保子は知り合ったばかりの友人が、 あるマンションの一室でシャンソンのリサイタルをやるというので行ってみる。 そこにいる人物たちは、保子をはじめとして、みなどこか妙な雰囲気をもっていて、 このマンションのリサイタル会場という舞台とうまく合っている。この小説の見所は、 たぶんこの集まりの中にいる、奇妙な感覚を持った人物保子の細部を玩賞することだろう。 やがて保子の全容がはっきりしてくる。夫の突然の死によって、金と時間を手にした保子。 夫が生きていた頃、死んだ後。それぞれの生活が面白く書きわけられている。夫がいたときは酒。 死んだ後はたばこ。この酒からたばこへの変化は、夫の死で生活ががらりと変わってしまったことの、 比喩とも象徴ともとれる。なにか生活そのものが地につかないまま、漂っているような 保子の姿が「狐火」という題に集約されているようでもある。いつもながら達者な筆遣いである。

「小説家」109号

2002年4月刊
発行所国分寺市
この号は、「富士正晴全国同人雑誌賞」受賞記念号となっており、同人三人の小説と、 この雑誌の主催者であった故辻史郎の代表作の一つといわれる「すばらしき休日」を 本誌11号から再録している。またエッセー欄には受賞に当たっての感想などを 石井利秋、鈴木重生、印内美和子、隈部京子、結城五郎が載せている。
○関谷雄孝の「三つの鎮魂曲」は第二次大戦中の片隅で起こった、まことに不条理な 死をピックアップして見せている。戦後50年あまりになるが、その間世界のどこかで いつも戦闘があった。いまも続いていることをあらためて考えさせられた。
ひとつ目「熱い窪」はじめて敵前上陸に参加した兵士が、古参兵の戦場での知恵で、 猛烈な曲射砲の砲撃を巧みにかいくぐっていく。曲射砲は、必ず多少の誤差があって、 続けて同じ場所には落ちない。それで古参兵はいま曲射砲がえぐったばかりの熱い窪みから 窪みへと兵士を導いていくのだが、最後に古参兵が飛び込んだ熱い窪みから早く来いという手の合図 がある。飛び出そうとした瞬間、落ちるはずのない砲弾が古参兵を直撃し、いま呼んでいた 肘から先だけが、吹き上げる砂の壁の中をゆっくり昇って行くのが見えた。
「折れ曲がった直線」前方の的に向かって、勇敢にうち続ける兵士の尻に的の弾丸が当たる。 後ろから撃たれるとは何事だと、軍医からいわれ、上官からも責められるが兵士は絶対に的に尻を 向けた覚えはない。卑怯者の烙印を押されたまま、治療もそこそこに無理に前線に送られ、傷が悪化した兵士は 一人崩れ果てた孔子廟の中で死んでいく。実は彼が受けた銃弾は、 建物に当たって跳ね返った弾丸だった。
「狙撃兵」ジャングルの孤島に取り残された兵士35名。闘う目的もないまま、兵士たちの士気高揚と体力維持 のために、島の中を徘徊している。的のゴミ捨て場から廃棄されたシャツや下着、乾パン類を手に入れたりしている。 ある日、突然的の機関銃射撃を受けて戦友が死ぬ。ほかの兵たちも隠れる場所がない。 中に狙撃兵が一人いる。彼の狙撃の腕は抜群である。岩場に狙撃の場所をとり、機関銃を操る若い 敵兵に照準を合わせる。彼の狙撃銃には癖があって、照準鏡のなかで標的少しずらさなければならない。 いつものようにずらした照準鏡の中には、澄んだ蒼空になる。いつもそうして撃ってきたのに、 このときに限って、蒼空を見ながら引き金をひくという行動がとれない。敵に対する憎しみはない。 ただ、かれは自分の撃つべき対象を見ないと引き金が引けなくなっている。照準鏡をもどし、それでは当たるはずのない 薄っぺらな敵の顔に向かって引き金を引く。
○刺賀秀子「子供時代」これも三つの話が語られているが、内容は子供時代の体験。 いつもながら、この作者ならではの文章力を感じさせる。
1、は、小学一年生のときのクラスメートの死。鉄道自殺。が語られる。(クラスメートに、「丸木さんていう人、知ってる ?」って訊いたとしても、「そんな人知らないわ」と、おそらくだれもがいうだろう。なぜわたしは、いまでも丸木さんの 死を忘れないのだろう。七歳のほんの一時期しか会わなかった人なのに。それも特に仲良しというわけでも、忘れられない ようなことを一緒にやった覚えもないのにである。)
2,品がよく優美なクラスメートと帰りたいために、遠回りをする。クラスメートと別れた後知らない道ばたで、ロバを見る。 (行きものの哀しみをわたしがかんじはじめたのは、炎天下の路上で見た、荷役のロバがおこりだったのだろうか)
3,日本人離れした背の高い美しい転校生。なぜか担任教師からはつらく当たられる。この少女は資産家の家の離れに 暮らしている。母親はこの家の娘だが、親の許さぬ船乗りと結婚したため苦労しているらしい。どうやらクラスメートの 父親は外国人らしい。母親が海辺に住む乳母を訪ねるというので、ふたりでついていくのだが、母親は乳母の家には行かず、海の中へ入っていく、クラスメートが呼び戻そうとして 叫ぶ。母親はやがて濡れた裾を引きずって戻ってくる。このクラスメートからはいろいろ主人公の知らない 外国の文学書を見せてもらったりするのだが、一年たたずにこのクラスメートは転校してしまう。
○水野肇「影」この主人公は大学受験生の頃、父の営む山中の旅館に女子大生が教授に引率されてゼミの合宿にくる。 女子学生の中に、美和がいる。主人公の高校生は、この美和にひきつけられていくが、この女子大生には特異な 性癖があり、ここで美和の秘密を知ると同時に、美和と忘れられない関係を結ぶが、その夜美和は自殺してしまう。 高校生の方はそれ以来、美和の記憶から自由になれない。

( 2002年2月)今回取り上げたのは

「星座」69号

2002年3月刊
発行所東京都目黒区
○豊田一郎「性と愛」まことに即物的ともいうべき題名。テーマがこの題名に端的に表れ ている。性と愛、この似て非なるふたつは、考えてみれば不思議な関係にある。ここに描かれている のは、まったくタイプの違った三人の女である。会話もなく性に打ち込み、すめばさっさと帰って いく謎の女。絶世の美貌をほこり、男たちから鑚仰されることだけを求める別居中の妻。そして ひかえめに男につくそうとする妻の妹。三人の女を描き分けることで、男と女の不思議、性と愛の 微妙な食い違いをスリリングに提示している。

「じくうちU」13号

2002年1月刊
発行所横浜市
○大久保督子「やわらかな土の匂い」連載三回目、今回でこの長編小説は完結した。 この作品はいわば帰巣の物語というか、故郷回帰の物語というのか。故郷の村に一人で暮らす 老いた母。ちょっとずつ問題を抱えた夫、娘、息子が、やがてそれぞれの問題を解決して、 母の光江、語り手である主婦の麻子のいる田舎の家に集まっていく。ほのぼのとした幸せの予感が 伝わってくる。

「時空」19号

2001年12月刊
発行所横浜市
○草原克芳「チョコレート館」メルヘン風なタッチは、最近のこの作者の 特徴かもしれない。その意味で、この作品は読む楽しさを与えてくれるし、一気に読ませる力を 持っている。描かれている世界は、インターネットのホームページという、世間的にも現代の 流行の先端を行くもので、素人の作るホームページの抱える夢と現実を笑いと風刺とペーソスを こめてたっぷりと見せてくれている。この作品は「同人雑誌の作品」に転載してあります。

( 2001年10月)今回取り上げたのは

「小説家」108号

2001年12月刊
発行所国分寺市
○石井利秋「頭に棲む虫」妻と恋人に去られた小さなレストランの マスター。この頃、店の前を去っていった恋人に似た女がよく通り過ぎる。 その日も、女が通り過ぎるが確認はできない。閉店後一人で夕食をとって いると、女が店にやってくる。結婚して去ったはずの女が、男と別れて戻って きたと知って男は喜ぶが、そのとき分かれた妻から電話がかかってくる。 孤独、意志疎通の困難。
○印内美和子「七代」十以上離れている母方の従姉妹の死。従姉妹の名 は七代。葬儀にいく途中、ふと気づくと主人公の肩に七代の霊がいる。 主人公は幼い頃母を亡くした母を大切に心にしまってあるが、七代もまた 早くに母を亡くして叔母である主人公の母を慕っていた。父方の係累は多いが、 母方の係累はほとんどこの七代だけ。ふつうの勤め人の妻である主人公。 踊りと着物に執着し一見華やかな暮らしをする七代の生涯を、 読者それぞれはどう感じるだろうか。 この作者独特の文体も見るべき物がある。
DIV>○類ちゑ子「瓦礫」家の前の田圃が埋め立てられていく。瓦礫の中に 人形の足が、にょっきりつきだしている。 信には野歩という若い恋人がいる。野歩に、若い男が近付いてくる。 妻のある信は、野歩をあきらめようとするが、あきらめきれない。何も 不足のない妻だが、野歩の前では大きな障害である。 瓦礫の中につきだした人形の足に触発される信の計画が見せ場を作っている。

「小説家」107号

2001年8月刊
発行所国分寺市
○鈴木重生「ごまみそずい」この作家の三部作のうち「神は細部に宿る」 「二人静」に次ぐの3作目。カルチャーセンターの小説教室を舞台に、 講師と受講生たちの間で文学論あり、創作論、芸術論あり、恋愛ありの異色作。 ことに文学論については作者自身の、長年にわたるヌーボーロマンの研究者 らしい見識に注目した。
○佐藤睦子「マイケルの来る日」ホームステイを受け入れたいと考えた 主人公の中年の女性が、その準備のために英語の個人レッスンを受けることにする。 友人が紹介してくれたのが若いマイケル。焼鳥屋のおじさんの世話になりながら 大の日本びいき。逆に主人公の方は、姪の国際結婚に猛反対をした経験の持ち主 だが、次第にマイケルの人柄に惹かれていく。一方、これほどにまで日本を愛し ているマイケルは、日本社会から実はさまざまな差別を受けている。白人からの 差別に敏感な日本人が実は白人を差別している姿が浮かび上がる中で、 主人公のおさえたマイケルに対する思いが、胸に伝わってくる。
○石井利秋「朗読者の感動」は2ページのエッセー。 ベルンハルト・シュリンクの小説を紹介しながら、感想をつづったもの。 「同人雑誌の作品」に収録してあるので、一読してほしい。

( 2001年4月)今回取り上げたのは

「全作家」52号

2001年4月刊
発行所全国同人雑誌作家協会・草加市
○桂城和子「小劇場」サークルで顔見知りの青年から、学生時代に通った小劇場を尋ねたいので、 一緒に付き合って欲しいと言われた主人公は三十に手の届く女性。すっかり変わってしまった 学生街の片隅に、ようやく見つけた小劇場、そしてその近くのいくつかの思い出の場所をめぐるうちに、 その場所が、いつの間にか主人公自身の青春の場所と重なって、苦い記憶を呼び起こしていく。 感覚的な美しい文章でつづった作品世界が、感動を呼ぶ。

「小説図鑑」10号

2001年4月刊
発行所日曜文学館・横浜市
○塚田吉昭「あやかしの十月」見知らぬ女から古い鼓を預かったために起こるてんやわんやの 騒動。相手は手強い妖怪たちだが、結果的には実害はあまりなくて妙に憎めない。最後は主人公が 妖怪の大将をやっつけてしまって、自分が妖怪の大将に祭り上げられてしまう。この作者は、ここ ずっと異界の住人を叙情的に描いて異才を放っているが、今回はうんとくだけた感じの作になっている。
○八木原健次「供述」売れない舞台芸人が、ふと知り合った相棒と組んでスターの座に駆け上がる。 相棒に入れ込む芸人の妻は嫉妬にかられる。自分たち夫婦の仕合わせのじゃまだとして、 ついに相棒にナイフで襲いかかろうとする。そのとき外出から帰ってきた芸人はとっさに妻を止めよう として逆に妻を死なせてしまう。これほどに入れ込む相棒とは何者なのかということは、最後に 明らかになる。なかなか手の込んだ作品である。

「星座」67号

2001年3月刊
発行所東京都
○豊田一郎「幻影の裏側」出版社を定年退職した主人公は妻と別れて、パリにやってくる。 ここにできれば住み着くつもりである。彼は若い頃サルトル、カミユに傾倒しそこに知性の 根元をもとめてきた。しかしいまフランスの持っていた輝かしい知性の集約はすでに終焉を迎えて いる。これがこの主人公のフランス文化論であるが、終焉を迎え文化的にも空疎になったしまった フランスを捨てきれない。この空疎な過去の形骸のようなパリに、しがみつくよりほか生き方を 見いだせない主人公は、ここで二人のフランス女性に巡り会う。この女性たちを通じて、彼は ふかくパリの生活に埋没していくようである。 同じ作者が同誌に「存在としての小説は失われる」というエッセーを発表している。小説はかつてのような 輝きを失い、他のジャンルにその場を次第に奪われていくだろうが「人間を表現するに、 私は、小説という手段しか持っていない」と書くのを読むと、彼にとっての小説と作品の中のパリが 重なって見えてくる。

「小説家」106号

2001年3月刊
発行所国分寺市
○刺賀秀子「助走」自衛隊を除隊した後、それぞれの夢を求めて生きようとする二人。 青春の夢と挫折を、この作者独特の美しい文章でつづった作品。
○水野肇「夜歩く」何者かに絶えず見られている。いったいそれは何者なのか。正体を求めて 夜の町を彷徨する若者。見つけだした相手は……。若々しい文体で現代人に巣くう心の闇に迫る。
○関谷雄孝「あの人の声」戦災、疎開、敗色が強まる中で行われる中学の軍事教練の 理不尽、過酷。そんな生活の中でわずかに見いだした初恋。女学生が動員された軍需工場の空襲。 両足切断というあまりにも無惨な重傷を負った少女。そんな中で八月十五日の放送を聞いた中学生の主人公の心の 中。戦争とは何であったのかを真摯に問いかけた力作。

「小説家」105号

2000年12月刊
発行所国分寺市
○結城五郎「家族会議」少年の祖父が突然倒れる。少年の母は父の 死後六年間舅と一人息子の生活を支えてきた。瀕死の祖父の元に集まった 父のきょうだいたちからいびられる母は、祖父の遺言を楯に生命維持装置の使用を 拒み続ける。安らかに自然死を迎えた後の母は、深夜意外にも「すべてうまくいったわ」と 男に電話をかけている。尊厳死の問題と老人介護の問題をからめて、現代の世相に迫る。
○石井利秋「絵の中の女」働かない父、遊んでばかりいる兄。三奈子は叔母の不用意な 一言で、自分が家にいる父の子ではなく同じ町に住むフランス帰りの画家の子であったこと を知る。三奈子は妊娠したかもしれないのに、恋人に捨てられそうになっている。 出生の秘密、恋の破綻。画家がいつも壁に掛けている絵に描かれている二人の女は母と三奈子の 姿だった。
○類ちゑ子「水道工事の車は去っていったが」簡単な仕事と言われて、簡単に承知した 仕事の本当の中身は、実は主婦売春であった。現代の歪んだ世相を伺わせる。
○印内美和子「「桑の実」のなつかしさと違和感」鈴木三重吉の代表作を分析、批評した 力作。

( 2000年8月)今回取り上げたのは

「小説家」104号

2000年8月刊
発行所国分寺市
○隈部京子「掌の小説十編」五枚前後の掌編小説を集めたもの。もともと愛知県の方で 発行している「あじくりげ」という、PR雑誌の依頼によって書かれたものの中から選び出し、 もう一度推敲してこちらに載せた、と作者のあとがきにある。軽妙な筆致で、巧みに人生の 哀歓を描き出して、楽しませる。
○佐藤睦子「斜めの場所」四年前岩で夫を亡くした晶子が、あのころ看病の疲れを癒しによく 立ち寄っていた喫茶店に入る。当時自分の席のようにしていた片隅の椅子には、男の客が座っている。 この田勢という男もいま同じ病気の妻を病院に入院させていた。夫を亡くした晶子と、可能性の低い手術に 賭けようとする田勢が、この喫茶店で知り合いになる。病気の話し意外にはまだしたことがない。そんな 晶子のところに、地方都市で老舗をまもる母が縁談をもってくる。相手は死んだ姉の夫だ。義兄は姉 が死んだ後も店のために一生懸命働いている。晶子が義兄と結婚すれば、老舗を守る父母にも 好都合だ。家にいた頃、義兄はいつも晶子を可愛がってくれていた。義兄も乗り気だしこんなに、 皆にとって都合のいい話しはないというのだが、晶子は踏み切れない。次に会ったとき、田勢の妻が 死んだことを聞かされる。「独りきりは自分だけではない。田勢がそうだ。いや、どの人も皆、生まれ たときから自分を背負って、独りきりなのだ。」という認識に達する晶子。
○鈴木重生「二人静」これは非常にユニークな作品。もともとこの作者は、まともなリアリズム では書かない人だが、これは文学論小説とでもいうべき作品。小説教室を舞台に、ミステリー作家 でもある講師と、そこに通う三人の受講生。三人がまったくことなる目的、ことなる手法で、 それぞれに作品を書き、これを講師が解説し批評しながら、文学論を展開する。一人の作者が、まったく 異なる三つの文体で登場人物の作品を書いているだけでも、大変なことだが、さらにここで述べら れている文学論も一読の価値がある。不思議な作りの小説である。
○石井利秋「「佐倉真佐子」という本」見開き2ページの短いエッセー。このホームページの、 「同人雑誌の作品」に転載してあるので、ぜひお読みいただきたい。

( 2000年7月)今回取り上げたのは

「じくうち」

2000年4月刊
発行所横浜市
○大久保督子「法師蝉」夫婦そろって退職。人生の第一線を引いて、落ち着いた日々を送る 敦子のもとに、五十年ぶりに突然姿を現した卓哉によって、戦中戦後の生活が甦る。たしかな筆使 いで、あの一時期を描き出していい味わいを出している。父が出征したあと、本家のた だ一人の孫娘として育っている敦子たちのもとへ、叔父の妻とその忘れ形見がやってくる。当然本 家の跡取りは敦子か卓哉かという微妙な問題が、この家族のかに小さな波風を起こしている。この あたりの各人物の心の揺れがうまく書かれている。そして卓哉の出生に関する謎。卓哉の母の素 性。このあたりが、少女の目を通して語られているため、おぼろで謎は謎のままかえって美しくも 見える。結局戸主である祖父に受け入れられずに、母子は謎を残したまま去っていく。それから 五十年目の再会。卓哉は立派に成長し、社会的にも成功者としての人生を得たことが分かり、それ は敦子だけでなく読者としても大いに慰められるものの、謎はそのまま。優秀な叔父と、卓哉の成功ぶり。 やはり叔父の実の子ではなかったか。とすると、田舎での生活には適応で きず、卓哉を受け入れてもらえなかったことに対しておとなしく引き下がった美矢の心境はどうだったろう。 すでに人生をなしとげた二人にとってはどうでもいいことなのかもしれない。そんな枯れた心境を美し く読ませる。
 

「小説図鑑」八号(通巻17号)

2000年4月刊
発行所横浜市
○塚田吉昭「水の夜」田舎の夜道を行く主人公。祖父が危篤、いや死んだかもしれない。 それは火影が明るすぎるからだ、などという部分、この作者東京生まれの東京育ちだが、ずいぶんと、 田舎の暮らしにくわしい。しっとりと落ち着いた描写がつづく。みき子と祖父と三人でかつて蛍を見 に行った回想は美しい。蛍は死んだ人の生まれ変わりだというせりふがでてきて、このときみき子が 笹を手にしていて、これがたくみな伏線になっている。 家についてみると、すでに祖父は死んでいる。通夜にみき子はなぜ来ないのだろうと思いながら、 流れの方に歩いていると、みき子に会う。なぜ通夜に来なかったのかとなじる。みき子の答えは なんとなくちぐはぐだ。生きた人間だと思って読んでいくと、じつはすでにみき子は 死んでいた。この作者がこれまでいろいろ書いてきた幽霊の中ではこれが一番小説の舞台で利いてい ると思いました。みき子の幽霊が出てきたことで、この小説の効果は数段高まっている。 まさに好短編。
○さこう祥二「銀鈴の響きの奥に」差出人に心当たりのない、小さな小包。中から出てきたのは、四十年前に 茶勝の婆に取り上げられた銀の鈴だった。回想の中で、茶勝の婆の因業さと、双子の子どもの思い出が語られる。 双子は男と女。主人公はこの女の子美代に可愛がられ、性的な遊びに引き込まれたりするが、性格のよい少女だ。それに 対して、男の方清一は女性的な性格でありながら、どこか異常な性格をかいま見せる。清一の方は成人してさる呉服屋 に婿入りするが、いまでいうニュー・ハーフの世界にのめり込み、異常な愛欲の世界にのめりこむが、ついに家出 してしまう。ところが半年近くたって、突然舞い戻り、これまでの生活を生産してまじめな呉服屋の主になっている。 主人公は偶然新幹線の中で、茶勝の婆と清一に会う。美代は山中で変死したと、聞いていた。美代のお悔やみを言う。 列車が新大阪に近づき、清一が網棚の荷物を下ろすとき、主人公は清一の腕の奥に大きな黒子を見る。これは美代があの 遊びの時、こっそり見せてくれたものだった。変死を遂げたのは実は清一だったことが、ここで明らかになるわけだが、 この短い枚数の中でうまく小説世界を構築している。

( 2000年5月)今回取り上げたのは

「小説家」102号

2000年4月刊
発行所国分寺市
○関谷雄孝「冬のふたり」昭和二十年三月十日の東京大空襲を真ん中に据え、東京下町で生き、そして多くが死んでいった同年の少年少女たちを振り返りながら、戦争とはなんであったのか、現在に生きている日本人があの戦争の時代をどうとらえるべきかという視点から、作者が腰を据えて取り組んだ作品。
○水野肇「自画像」本誌初登場の作者。受験地獄を親から押しつけられた主人公は、ある日突然、離人症に陥る。病を克服して、とにかく学習塾の教師の職に就き、親がきめた女性とも結婚して、表向きは幸せをつかんだかに見えたが、やがて職場の人間関係に傷つく。自分を愛してくれていると信じていた妻の裏切り、親のきめた結婚は裏取引によってなされていたことも知らされるに及んで、再び彼はすべてを失うことになる。
○刺賀秀子「なにが、あったの」愛する夫を癌で失った主人公が、生前夫が発病してから、入院退院を繰り返し、壮絶なまでの闘病生活を克明にたどりながら、夫婦愛家族愛を美しくも哀切に書き記し、感動をさそう。
 

「カプリチオ」12号

2000年4月刊
東京都及び名古屋市
○石井利秋「灰色の夏」祖母が死にかかっている。継母が取り仕切る家の中はやりきれない重苦しさを漂わせている。高校生の姉は、一番祖母にかわいがられて育った。わがまま娘は今祖母を献身的に看病している。小学生の二人の弟たちは、夏休みの楽しみを奪われ釣りに行くが、楽しめないまま隣の家の少年と喧嘩をしてしまう。町はずれの公園をうろついて帰ってくると、祖母は既に瀕死の床にいる。祖母が最後に苦しい息の下から必死で発した言葉は「お父さんは」だった。祖母の一人息子であり、少年たちの父親を呼ぶ声だった。一番かわいがられていた姉ではなく、父だったことで、母の子に対する愛を見せつけられるが、少年の母は既に亡い。
 
○塚田吉昭「白骨温泉」雪に閉じこめられた白骨温泉に、人妻と泊まりに来た男。大きな古い温泉旅館には、湯治客しかいない。湯治客はいるはずだが、気配のみで、姿を見ることはない。連れの女が湯に行っている間に、若い女の幽霊が現れて、あの女の人とは別れなさい、という。
 
 

( 2000年1月)今回取り上げたのは

「小説家」102号

1999年12月刊
○印内美和子「埋葬」リストラ人事に辣腕を振るった主人公は、自分の手で無理に辞めさせた同僚達へのせめてもの償いを込めて、定年を少し残して会社を辞める。辞めて帰った日に、長年連れ添った妻は家を空けたまま帰らない。体調を崩して寝ているマンションのベランダの下で、傷ついた鳩が死にかけている。
○類ちゑ子「弔い舟」埋葬許可証と火葬場の日報の数が合わないことに対する、調査依頼を受けた調査会社の女性社員は、火葬をしないで遺骸を弔い舟で運び、海に沈めることで、人間を大自然のサイクルの中に組み戻そうとする団体のあることを知る。
○石井利秋「掌のためらい」妻を亡くし、幼い息子と暮らすサラリーマン家庭に、妻の妹が時々やってきて、息子の世話と家事を手伝ってくれる。ためらいながら近づく男と女、無邪気に母の代理を求める息子。妻の妹の背中に触れた男の掌は、まだ亡くなった妻の背中の感触を、色濃く覚えていた。
○結城五郎「忘れえぬ患者」これはエッセーだが、医師でもある著者が、初めて死亡診断書を書いた患者についての思い出を書き、医師にとって医療行為とは、という根元的な問いかけを提示している。

「全作家」48号

1999年12月刊
発行所・・・草加市全国同人雑誌作家協会
○豊田一郎「セーヌの水が涸れる時」パリを訪れた親子ほども年の離れた男女。おたがいの一を維持したまま一緒に暮らす「夫婦」。パリは抜け殻という女。最近ずっとこの作者が試みている、男女の話を絡ませながら文明論を展開する手法。挫折した革命家、モンマルトルの古い店、店の主、パリの娼婦。話の面白さと、やや堅い文明論がうまくマッチして、独特の小説世界を作っている。フランス人は国家がなくなってもフランス人。日本は国家と一体でないと日本人でない。

「日通文学」11月号

1999年11月刊
発行所・・・東京都日通ペンクラブ
○豊田一郎「ボンヌフを渡る男たち」20年以上パリに住む日本人革命家。革命に夢をかけた時代は終わり、今は無為の日々。彼の目から見た「パリ」は混迷とも混沌とも見える。日本にある西欧と現実のパリの隔たり。彼の革命運動を助けるために日本からパリにやってきた女がなぜか彼の目には時代遅れに見える。ドゴール空港と成田空港の比較から、近代日本国家論。西欧文明論を展開する。

「裸人」25号

1999年11月刊
発行所・・・高岡市 ○松田邦彦「連続殺人」東京という大都会の片隅に生きる一人の男。彼はこれまで「自らの存在の確証を持つことなく、今日まで生きて来た。・・・だがそれは私にとって、確かめるべき必要のある何かなのだ。」かれは自分の存在を証明するために連続的に殺人を企てる。重厚な文体で綴られた、一種の思想小説。最終的には600枚を越える予定の長編小説の一章だが、独立した短編としても読み応えがある。

「新日本文学」607号

1999年10月刊
同人雑誌の範疇には属さないかも知れないのだが、 ○来住野彰作「山男夢譚」作者は昨年と一昨年続けて新日本文学賞の佳作に入った。この作者独特の飄逸な書き方で、過疎の山里で昔からの生活を一人続ける山男の元に魅力的な若い女性が現れる。彼の頑固なまでの生活態度とは無関係に、この地域も開発の波に浸されていく。スーパー林道工事。たぶんこれまでの親しんできた自然の姿は跡形もなく消えるだろう。山を守ってきた男の元を訪れたのは実は山の神の化身だった。メルヘン風な書き方の中に、きちんと社会現象への視点を忘れていないのはさすが。

「小説家」101号

1999年8月刊
○鈴木重生「源実朝・その歌その夢」は、80ページを越える力作長編。実朝を調べる作者、実朝の歌についての作者独自の解釈を織りまぜ、現在と鎌倉時代を自由に行き来しながら、実朝の果たせなかった夢を、金塊和歌集、吾妻鏡など豊富な資料を当たりながらたどり、作者独自の実朝像を作り上げている。

( 1999年8月1日)今回取り上げたのは


「カプりチオ」10号
「全作家」46号
「季刊作家」30号
「じくうちU」9号
「南方手帖」58号
「小説家」100号

カプリチオ10号

発行所...東京都と名古屋。
不定期刊、と言いながら、一年に二冊のペースを守って10号を迎えた。
○谷口葉子「月下美人の夜」は、翻訳家の夫と、ブティック経営者の妻。 夫は鎌倉の別荘で死に、そこを訪れた妻は夫の生前の日記とともに、 不思議な植物に出会う。ファタジックな中に微妙な夫婦の心理を浮かびあがらせている。
○木井智草「あなた」はカルチャーで教えを受けた作家の瀕死の病室を訪れる。 かつて嘱望されながら不遇のままに老いと病を得た作家との短くも熱烈な交渉。 その作家自身が語る自分の両親の特異な、思い出話とを絡めて味わい深い作品にしている。
○玉置伸在「彼女のおもいで」新宿に住みついた四十歳のホームレスは、かつて この界隈の風俗店で働いていたこともある。いまは病を得て、瀕死の状態でビルの隙間 で横たわっている彼の脳裏によみがえるのは、果たせなかった夢や、 「わたし生きて手いいのかな」というのが口癖だった風俗店の女。この彼を愛して くれたただ一人の女を裏切って、今こうしている。意識の薄れていく彼が地面に 最後に書いた文字は「勝利」だが、書き終えることができないまま意識はかれから剥がれ おち、この世のどこかにいる筈の彼女のもとへ走り出した。
○この号では他に特集として、堂本正樹、田中美代子の対談「三島由紀夫とアプレゲール の悪童たち」
好みのこ「マルグリッド・デュラス『モデラートカンタタービレ』」など 充実した内容になっている。

全作家46号

発行所...草加市
全国同人雑誌作家協会が発行。会員数107人という大所帯。
○類ちゑ子「波の子」恋人に裏切られて、自殺をはかった紀子は、
一命をとりとめたあと、西伊豆の民宿に、静養に行く。そこでみる風景。海女の生活。
「波の子」と地元で呼んでいる小さな巻き貝を見ながら、次第に心の傷から回復していく。そこに
もう一人心に傷を負ってほとんど対人関係の持てなくなっている青年が、現れる。
さりげないふれあいの中で、心を開き始める青年の素朴な真心が素朴で美しい。

季刊作家30号

 

発行所...名古屋市
この雑誌は、かつて小谷剛による月刊の「作家」が、同氏の死亡により廃刊されたあと 旧同人が季刊として引き継いだもの。早くも三十号に達し、記念号として264ページの雑誌を作りあげた。 小説九篇、詩二篇。他に吉田知子がエッセーを寄せている。

じくうちU9号 発行所...東京都

 

こちらも120ページの雑誌。
○巻頭の大久保督子「花冷え」今も昔も変わらない嫁姑の間にはさまって、 気を使う夫の微妙な人間関係がしっかりと書き込まれている。 嫁の立場にある幹子が心理で反発しつつも、思い切って自分の意見をのべることで、姑との理解ができ、 姑の発病が肉体的にはかなりの負担なのに、心は近づいていく。 村人の暖かい心に触れていっそう心が開いていく、という書き方は後味のよい作品に仕上げている。

南方手帖58号

 
発行所...高知県伊野町
28ページの愛らしい雑誌。詩、短歌、小品、エッセーとバラエティーに富んでいる。
○仁井田明「万華鏡」は、見開き2ページの小品ながら、幻想をまじえた描写で読ませる。

小説家100号

発行所...国分寺市
百号記念ということで、同人九人全員が小説を発表している。
いずれも力のこもった作品になっている。 百号までのこの雑誌の歩みを、コラムをはさんで振り返っているのも、歴史の古いこの雑誌らしい試み。

○佐藤睦子「今、あの羊に会いたい」新婚間際の若い女教師木綿子、女同士なら分かってくれるはずの、 母たちから産休をとるような事態にならないように、と新学期そうそうに集団で釘をさされ、そのため 間もなく身ごもった自分の子をおろし、愛し合っていた夫とも別なければならなかった女教師木綿子の 生き方。題名にある「あの羊」とは……。
○隈部京子「吉行淳之介先生の思い出」若くして吉行文学に心酔した作者が綴る吉行淳之介との交流。 生身の吉行の姿が伝わる、作品は吉行ファンならぜひ読んでおきたい作。
○関谷雄孝「赤く塗られた橋」向上心に燃えた若い外科医が、心ならずもひなびた温泉場にある国立病院 に出張を命ぜられ、そこで出会った初老の外科医に技術とともに、医者の原点、人としての生き方そのものを学ぶ。
○刺賀秀子「闇の原」暗闇の中を両親に手を引かれて、ひたすら歩き続けた記憶。日常の中でほとんど 埋もれながら、ときどきふと記憶の表面に浮かび上がる原風景。父の思い出とともにますます深まる思い。
○鈴木重生「夢狂い」入院中の美代はベッドに寝ていながら、目をつむると走る列車の中に入り込んでし まう。この老女をとりまく日常のあれこれが、夢とも幻覚ともつかない心理状態の中で交錯し、幻覚は ますます深まっていく。
○類ちゑ子「揺曳」性的な欠陥のある男とは知らず、結婚してしまった幾子。表面的には穏やかに暮らして いるうちに、幾子はある日決心をして家を出る。会社ではエリートコースをあるく夫は、いつまでも幾子の 帰りを待つといっている。一人で暮らし始めた幾子の得た自由な生活の中で、得たものは。
○印内美和子「六月のレイ」−透きとおった夕暮れに−敗戦の翌年三十五歳で死んだ 母レイの五十回忌に近親者が集う。語り手の「わたし」は五十回忌の生母をひたすら慕い、父が子連れで婿入りした 先の継母とのきびしい生い立ちを回想する。仲人の校長に「お腹を痛めずにそんな大きな子を二人も授かれるとは ありがたいことでございます」と言った。それを聞いて父も婿入りする気になったのだが、継母の言う大きな子を 授けられるとは、労働力としての子であって、慈しむべき子ではなかった。父も子もその後ずっと、この 強すぎる継母に痛めつけられるのだが、五十回忌の終わり近くなくなって生母のレイが現れて、「わたし」を 慰める。レイは霊でもあるわけだが、子の生母は慈母観音の優しさで「わたし」を慰めてくれる。「わたし」も 継母の立場を理解するようになる。
○石井利秋「黒い犬のいる風景」黒い薄汚れた犬が、二人暮らしの老夫婦の家の周りをうろついている。 その日、夫は老妻の死期の迫っていることを告げられる。混乱におちいった老人は、もう一度医師に相談にの ってもらうために、家を出る。途中の喫茶店では若いウエートレスに親切にしてもらうが、 若い娘は老人の心までは理解できない。冷たい冬の町。途方にくれる老人のまわりをまたあの黒い犬が うろついている。忘れていた水をやるだけで、たちまち元気を取り戻す盆栽は、かつて病を得てからの老人の 生きる支えでもあったが、どなにしても助からない老妻を思うと、植物たちの生命力が耐え難く思えて、 盆栽をすべて叩きふせる。老人はようやく妻の寝室にたどり着くが、そこでくずおれてしまう。 黒い犬が、この家の玄関先でなにごとかを待ち続けているようである。
○結城五郎「人身事故」万年平社員のまま定年退職した六十歳の男。会社でもずっとうだつがあがらず、 家では妻虐げられている。体調の不安を訴えると、妻は男を病院に引っ張っていったのだが、検査結果の出る この日はついてこない。結果は進行性の癌。余命半年。万年平社員、人の金を勘定し、上司にはひたすら頭を下げ続けた 三十八年の銀行員生活が、よみがえり自分の人生は何だったのかとの強烈な思いにとりつかれる。即入院と 言われたが、この際銀行に三十年かけてためた二百万の金で、人生を取り戻す決心をするのだが。