岩 瀬 の 歴 史
岩瀬の歴史は北前船の寄港地で廻船問屋があった港町として栄えたことから、
北前船ぬきに語ることができません。


1 北前船
   北前船は江戸から明治中期にかけて東海道と並び日本の交通動脈の一翼として経済的・文化的役割をはたしました。北前船は幾多もの船主が数代にわたって組織的に船を運航させ、昆布、ニシン、米といった生活物資を流通させるとともに人や文化をも合わせて運びました。北前船の存在は北海道開拓に大きな役割をはたし、小樽のレンガ倉庫、兼六園の灯篭、沖縄の昆布料理など地域文化に影響を与えました。
   北前船の最大の交易品はニシンでした、このニシンが肥料となり綿花、藍などの作物が西日本で盛んになりました。また北海道から大量に昆布が持ち込まれ、各地の食文化にとりいれられました。この昆布は薩摩藩によって中国に密貿易され薩摩藩の財政を立て直し、明治維新の原動力の一因ともなりました。
   岩瀬港も北前船の寄港地で六家ほどの、大きな廻船問屋がありました。現在では大町通りの森家で当時を偲ぶことができます。

2 旧制富山高校
   現在、富山港線蓮町駅の向かいにある馬場記念公園は、現在の富山大学教養部の前身である旧制富山高校の跡地です。大正十二年に廻船問屋、馬場家の馬場はる子による総計百六十万円の寄付により創設されたのがこの旧制富山高校です。旧制富山高校はラッカディオ・ハーン(小泉八雲)の全蔵書を持つ学校で、昭和十年には約二千五百冊の蔵書を専用図書館に納めていました。

3 岩瀬小学校

   明治6年3月1日創校された県下でも歴史ある小学校です。3月1日は現在でも創校記念日として行事が小学校で行われています。明治20年に現在地に移転し、昭和2年県下初の鉄筋コンクリート3階建ての校舎が建築され、住民に親しまれてきました。平成14年から惜しまれつつも新校舎改築が始りました。平成15年に新校舎が完成し、現在に至っています。

4 富山ライトレール
  大正13年に富岩鉄道(富山港線)の(岩瀬浜−富山口)が開通し、昭和3年に富山駅まで延伸し国鉄と連絡します。昭和18年に国鉄に移管され現在の富山港線と名称が変ります。東岩瀬港から富山港へ名称の変更もこの年に行われています。貨物輸送も行われていましたが現在では、乗客輸送のみが行われていて、通勤・通学等の地域の重要な交通手段となっています。平成15年には路面電車化が決まり、将来的には富山駅南の市内電車との連携による利便性の向上が期待されています。平成18年にはJR西日本から富山ライトレールへ移管され、次世代路面電車として2両編成のポートラムの運行が岩瀬浜−富山駅北間で始まりました。
 
5 その他
 明治6年に石川県から富山県が分県します。明治22年に東岩瀬町役場が開庁し、東岩瀬村、西宮村を併合します。大正7年の米騒動は東岩瀬にも及んだとのことです。昭和15年に上新川郡東岩瀬町は富山市に合併されました、いわゆる昭和の大合併にとよばれる時期(昭和28年〜31年)以前のことです。
 
 また平成になってからは岩瀬消防署が富山市高畠町に移転し富山北消防署となり、跡地には北保健福祉センターが設置されました。
 江戸期には東岩瀬は新庄などと加賀藩領であり、新川奉行所の支配下であったそうです。
 
 
   

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