第6章 チャレンジ (1969−1980)
      

      6−1.潜水調査  1969 

       6−1−1 タンク爆発事故
       6−1−2  スガ・マリンメカニック創立
       6−1−3  船酔いの大海原へ (人工魚礁調査) 
          
    6−2.撮影には命を賭けた

       6−2−1 命を賭けるということ
       6−2−2 ナンマタールの遺跡
       6−2−3 地底の湖
       6−2−4  富士丸衝突事件

               第7章 ダイビング安全への道のり
                                       (1871〜1980)

    7−1.  息こらえの事故

       7−1−1  1971  昭和46年  JOTEC(ジョテック)
       7−1−2  ブラックアウト

    7−2.娘・潮美への手紙

       7−2−1  娘がダイビングを始めた
       7−2−2  スキンダイビング はるか鳥島から 
       7−2−3  30mへのスキンダイビング
       7−2−4  空気塞栓について

    7−3. 死亡事故
       7−3−1  娘への手紙 穏やかなダイビング日和に若者はいのちを落とす
       7−3−2  空気塞栓(肺圧外傷)の防止
       7−3−3   心臓麻痺


              第8章 ダイビング安全への道のり 変遷と発展

     8−1  BCDの誕生:ハードの革命
       8−1−1  救命胴衣
       8−1−2  ABLJ
       8−1−3  ABLJからBCへ
       8−1−4  リザーブバルブ

     8−2 BCDによるソフト(ダイビング運用)の変革
       8−2−1 BCDによる潜降と浮上
       8−2−2 中性浮力
       8−2−3 ダイビング習得時間の短縮  スキンダイビング練習は不要になった?
       8−2−4 2006年現在のダイビング
       8−2−5 Cカード
    
     
             第9章  ニュースステーション

     9−1  流氷
       9−1−1 水中レポート
         9−1−2 クリオネ

     9−2 ニュースステーションのカメラを置
       9−2−1 大蛸との闘い


             第10章 ケーブルダイビングシステム

     10−1 脇水輝之の事故
       10−1−1 稚ガニ調査
       10−1−2 パニック
       10−1−3 集中治療室
       10−1−4 事後処理
 
     10−2 ケーブルダイビングシステム
        10−2−1 有線通話
        10−2−2 ケーブルダイビングシステムの商品化
        10−2−3  ケーブルダイビングシステムの結論


           第11章 60歳の100m潜水
 
     11−1  スタート 
        11−1−1 何故潜るのか・再び
        11−1−2  潜る身体
     11ー2  地中海
        11−2−1 モナコ海洋博物館
        11−2−2 アクアラング発祥の地
        11−2−3  宝石珊瑚採り、アランの潜水
     11−3  潜水方式の決定  
         11−3−1 潜水医学実験隊
         11−3−2 ハミルトン博士とテクニカルダイビング
     11−4  メディカルチェックの障壁  
          11−4−1 運動負荷心電図
     11−5 100m潜水
          11−5−1  リハーサル  
          11−5−2  潜降