アメリカのダイバー  日本のダイバー

「ザ・ダイバー」2001年夏に公開されたロバート・デ・ニーロとキューバ・グッディングJR.主演の映画である。原題は「man of honor:名誉ある人」だが、これだけではなにが名誉なのか、何の名誉なのかわからない。ダイバーの映画だから「ザ・ダイバー」との方がわかりやすい。この題名で、南の島でも連想する人、あるいはタイタニックを見に行った人を取り込むこともできるかもしれない。しかし、映画は当たらなかった。

私は、国際線の飛行機の中で見てしまったので、映画館には行かなかった。国際線だから英語版で、スーパーも日本語もない。大体の想像はついたのだが、細かい所がわからない。もう一度見ようと、レンタルビデオが6泊7日になるのを待った。6泊になってから、なかなか空かずに借りるのに苦労した。レンタルが6泊になってから人気がでる、そんな映画なのだろう。ちなみに、マイヨールをモデルにしたグランブルーも一回目の劇場公開ではコケて、ビデオで大当たりをしてから、再び劇場公開をやりなおした。「ザ・ダイバー」の方は、イルカも出てこないから、再度劇場公開されることもないだろう。アメリカ映画らしいサクセスストーリーであるが、なにしろダイバーの映画である。水中シーンにも金がかかっているから見送ってしまうのはもったいない。

アメリカでも日本でも、もちろん世界中どこでも職業ダイバーは誇り高いプロフェッショナルである。あるいはあったと過去形で言わざるを得ないのかもしれない。プロとは、法外な金をとるスポーツマンのことを指すだけの言葉ではない。プロフェストする、自分の一生をその道にささげた人、それが自分の天職だと思っている人を指す言葉である。この映画はプロフェッショナルなダイバーの話だ。遊び半分の、あるいは完全な遊びのダイバーの話ではない。

日本ではプロのダイバーは「潜水夫」時には「潜り」と呼ばれる。このごろでは、潜水夫と呼ばれると見下げられたような気がしてしまう。潜水士という言葉もあるが、「潜水士さん」と呼ばれたことは無い。「私は潜水士です」と名乗ったこともない。「私はダイバーです」と言ったほうがわかりやすい。

ダイバーの世界がヘルメットダイバーの世界だった頃、「潜水夫魂」という言葉があった。これも、ダイバー・スピリッツと言った方が格好がいいかもしれない。減圧症も恐れずに敢然として海に潜る男達の心意気だ。減圧症のことは古くからわかっていた。今のようなすばらしい再圧タンクは無く、釜、再圧タンクのことを釜と呼んだ。釜に入ったら、片端(今では差別用語だろう)になってしまう、それでも男達は、潜らなければならない時には海に潜った。命を粗末にするわけではない。必要があれば命を捨てることを恐れない心意気である。減圧症の事を知らされずに、だまされて不当な潜水労働を強いられて減圧症になる潜水夫も居たが、潜水夫魂とは、知っていても挑む。映画の中でもロバート・デ・ニーロが扮する特務曹長が、「ダイバーはレスキューのプロだ」と度々言う。そして、彼も仲間のダイバーの命を救うために無理な繰り返し潜水をして、二度と潜れない身体になってしまう。プロのダイバーが命を賭けるのは、人の命、仲間の命を救う時、あるいは命を賭けるに足る任務を果たそうとする時だ。

キューバ・グッディングJR.は米国海軍で最初のアフリカ系アメリカ人ダイバーであるカール・ブラシアになる。それまで、米国海軍では、アフリカ系アメリカ人はダイバーになれなかった。海軍では、ダイバーは大事な役割を果たす。戦いで軍艦が喫水線の下にダメージを受けたら、ダイバーが応急処置をしなければ沈没してしまう。沈んだ船からの人命救助もダイバーの役割であった。どちらも命がけの仕事である。だから、プライドも高く尊敬もされた。

日本帝国海軍でも潜水工作兵はスペシャリストである。私の二十代、東亜潜水機に勤務していた時代にヘルメット潜水を教えてくれた清水登さんは、下士官から士官に昇進した人で、日本海軍では伝説的な潜水兵であった。残念なことにそのころの私はスクーバ一筋のダイバーであり、清水さんはヘルメットが命である。反抗ばかりしていた。過ぎた日々を振り返ると後悔することばかりだけれど、もっと清水さんに教えてもらえば良かった。清水さんは私に少しばかりある潜水夫魂を買ってくれていたらしく、私が東亜潜水機を辞めた後も「一度会いたいな」と言ってくれていたのに、私はその死も後から知らせられ、葬式にも行かれなかった。尾道海技学院の三宅玄蔵さんも清水さんの弟子である。三宅さんもすばらしいダイバーであり、弟弟子であることを私は誇りに思っている。

グッディングの演ずるカール・ブラシアは、1967年に40歳だったとスクリーンで説明されていたから、1927年から1928年の産まれだろう。私より8歳年長である。実は、この映画が公開される前に、宣伝のために、日本で同年輩のダイバーと実在の主人公であるカールと対談する話があり、私が打診された。もちろん喜んで受けると言ったが、その後何の連絡も無かった。実現するはずはないと思ってはいたのだが、少しがっかりした。

ストーリーは、ブラシアが、卑屈にならずに差別に耐え抜き、いじめている特務曹長のサンデー(デ・ニーロ)とついには心を通じさせて、事故にも打ち克って行くサクセスストーリーである。

私としては、技術的な面も興味深かった。なにしろ、アメリカ式のヘルメットダイビングの様子がかなり正確に再現されている。この映画には、スクーバもフィンも気持ちの良いくらい全く出てこない。

カールが潜水学校に入ったのは1947年、その時、朝鮮動乱では、アメリカ海軍のフロッグマン(水中破壊部隊)も活躍しており、息堪えと素潜り、そして水泳の得意なカールはそちらに行った方が良かったのではないかと思うのだが、そうはしない。ヘルメット式だけが、米国海軍でも正規の潜水工作兵であり、ダイバーであり、軍艦レスキューとサルベージのプロであり、フィンで泳ぐフロッグマンは別の存在だったのだろう。

さて、私は今、潜水士の受験予備講習の講師をしている。この国家試験のテキストの重要な部分がヘルメット式潜水についての解説で占められている。ところが、受講生の99%はヘルメット式のことを知らない。先日も100人ほどの受講生を前にして、ヘルメット式潜水器を触ったことがある人に挙手を求めたら、一人だけ手を挙げた。あとの人は見たことも無い。せめて、このダイバーという映画のビデオでも見てもらおうと、紹介した。しかし、実際には、映画に出てくるヘルメット式潜水器と潜水士のテキストに出てくるヘルメット式とは、型式が違う。映画に出てくるのは、アメリカ式のヘルメット潜水器であり、日本のヘルメット式潜水器は、イギリス式の系統である。ヘルメット式の始まりは、1819年にイギリスのシーベとゴールマンが開発した。日本には1857年(安政4年)に入って来て、そのまま根付き、イギリス式を元に発展して来たものだ。

イギリス式とアメリカ式の外見的なちがいは、ウエイトの型式である。

それが決定的な運用方法のちがいにつながる。

アメリカ式は、ウエイトを腰の位置にウエイトベルトのように巻いて、肩からベルトで吊るしている。イギリス式(日本式)は、シコロと呼ぶブレストプレート(胸当て)の前後に振り分け荷物のように引っ掛けてロープで留める。

トップの図 参照

日本式は、小さな船(潜水船)から潜水する時に便利である。いや、小さな船から潜水するためには、この方式でなければ潜水できないというべきだろう。

潜水しようとするダイバーは、ウエイトも、ヘルメットも着けず、潜水服を着て9キロの鉛の靴だけは履いて、ヘルメット潜水船の舷側に横向きにつけた梯子に乗る。舷側から上にダイバーの肩から上が出ていて、足を水に漬かっている。助手が29キロのウエイトを梯子に乗っているダイバーに取り付け、ヘルメットもかぶせてやる。ヘルメットを固定して準備を終り、ダイバーはそのまま梯子から飛び込むように降りて水に入って行く。浮上してきた時も梯子を三段登れば、ウエイトもヘルメットも外してもらえる。

アメリカ式の腰に巻いたベルトでは、梯子を降りた状態で上から取り付けることはできない。だから、重いウエイトベルトを着け、ヘルメットもかぶり、全装備を着けた状態になってから、ダイバーは歩いて船端まで行き、梯子で降りて行き、登って来なければならない。ロープで身体を保持してはもらえるが、それでも大変な労働である。とても老人にはできない。現在日本のヘルメットダイバーの大半は60歳以上であるが、これはイギリス式ならではのことだ。

 

日本では、大きなサルベージ船での運用でもダイバーは小型の船から水中への出入りをすることが多い。大型船からのクレーンで吊り下げるステージ昇降は波に弱く、かえって小型船の方が波に強い。映画でも、ウインチで上がって来たダイバーが、波に揺られてステージから水中に落下してしまい、ホースが切断されて、このままでは5分で死んでしまう状況になる。だぶだぶの潜水服の中に残っている空気を吸って2分や3分は生きていられる。そして、その後は何分間息を堪えていられるかが生死を分ける。スクーバでも、タンクの空気が尽きてから何分生きていられるかは生死にかかわる。ブラシアとサンデーは、息堪えの競争をして、4分を越えて息を堪えたブラシアが勝つシーンがある。

とにかく、ステージから海に落ちたヘルメットダイバーは、数分間の命である。サンデー(デ・ニーロ)は、ダイビングから浮上してきたばかりで、繰り返して潜ると減圧症にかかるに決まっているのに、俺が救助に行くと言い張り、責任者の士官の制止も聞かずにマスク式(デスコというマスク)を着けて、水に飛び込む。

安全という見地からは制止する若い士官の意見が正しい。この無理な潜水が原因で、彼は潜水できない身体になってしまい、合理主義者の若い将校である上官との確執が生まれる。

もう一つ、アメリカ式と日本式との差は、日本式の方が中性浮力を作りやすいことである。熟達した日本式のヘルメットダイバーは、完全な中性浮力を作って、水中に浮かぶことができる。私は世界最初で最後の水中シアターが読売ランドに出来、水中バレー団が発足した時に、水中舞台監督になった。水中での出演者の安全確保が役目である。水中シアターにヘルメットダイバーを出演させたいと言う依頼を受けて、千葉県、外房の岩和田からアワビ取り潜りの大野さんを呼んだ。彼は、シアターの深い(水深11.7m)プールの中層に浮いて、バレー団と一緒にダンスを踊った。驚嘆する技術であった。こんなことはアメリカ式ではできない。

しかし、中性浮力をとれることは両刃の刃でもあった。ダイバーたちが名人芸を競うために墜落事故、吹き上げ事故が起こる。元来、重いヘルメット潜水器は、浮くための潜水器ではない。水中を歩く潜水器である。だから、海底への潜降浮上は潜降索(さがり綱)を伝わって行わなければならない。それが、名人たちは索を使わずに潜降浮上をしてしまう。未熟なダイバー、あるいは名人でも一つまちがうと墜落してしまう。墜落の結果は、ヘルメットに頭がめり込んでしまうほどの悲惨なスクィーズを起こす可能性がある。だから、潜水士の規則では、潜降索を必ず使うように定めている。

中性浮力を作りにくいアメリカ式のヘルメットは、そのためにかえって安全性が高いとも言えるのだが、映画の中に、自由降下という字が出てきた。アメリカ式でも潜降索を使わない潜降が許されていたのだろうか。残念ながら、映画ではダイバーの潜降、浮上のシーンはない。

何年か年月が過ぎ、ベテランダイバーになったブラシアが、大西洋で墜落したB−52爆撃機から落下した核弾頭を捜索するシーンで、ソ連の潜水艦が接近してきてホースを引っ掛けられて跳ね上げられるシーンがある。うまく撮影していたが、あんな状態になって、ヘルメットダイバーが吹き上げられないはずがない。ヘルメットダイバーが水平になって浮いていたが、大野名人でも水平にはなれない。足の方に空気が廻って、頭が下になり足が浮いて、逆立ちしたまま水面まで一直線に浮き上がってしまうだろう。これが、「吹き上げ」である。

とにかく、映画では、ソ連の潜水艦に吹き飛ばされたために、ブラシアは核弾頭の位置に墜落して、奇跡的に弾頭を発見する。

その核弾頭を船に引き上げるロープが切断してしまう。ウインチで巻いているロープが切断すると、甲板にいる人をなぎ倒して大きな事故が起こることがある。ほとんどのサルベージ会社が、このタイプの事故で人命を失っている。

ブラシアは潜水を終えて、甲板で作業を見ていたのだが、ロープが切れて飛んでくる位置にいた仲間の危急を察知して、身を挺して仲間を突き飛ばす。仲間は無事だったのだが、身代わりのようにその位置に入れ替わってしまったブラシアは、ロープで足の骨を砕かれてしまう。

砕けた足では潜水は続けられない。彼はあえて足を切断して義足になり、潜水を続けようと決断する。

人事担当の将校は、サンデーが仲間の救助のために繰り返し潜水をしようとするのを止めて、そして、サンデーは重い減圧症にかかり確執を起こしたエリート将校が出世した姿である。冷徹なエリート将校は、安全第一であり、安全のためにはブラシアの現役復帰は認めようとしない。もしも、片足であることが原因でアクシデントが起こった時には、それを救助しようとする仲間が命を危険にさらすことになるからだ。安全第一であるならば、彼が全く正しい。しかし、映画では、心意気が第一であり、安全は第二である。これがダイバースピリッツであり、ネイビースピリッツなのだろう。安全第一では戦争はできない。  ブラシアが現役に復帰するためには一人前以上に動けることを証明しなければならない。

アメリカ映画得意の、ロッキー的なトレーニングが始まる。トレーニングを指導し励ますのは、かつて、イジメた下士官のサンデー(デ・ニーロ)である。海軍ではヘルメットダイバーは、その全装備をつけて、12歩を歩まなければならない規定がある(と映画では言っている)。復帰の聴聞会で、これをやってみせることになる。用意されたのは、普通のヘルメット装備よりもはるかに重い、ヘリウム潜水用の装備である。ヘリウム潜水が最初に実用化されたのは、ヘルメット式である。ヘルメットの後部に炭酸ガス吸収用の装置を付け加えて、半閉鎖で送気したヘリオックスを循環させる方式である。とにかくこのヘルメットは重い。普通のヘルメットの2倍以上の重さである。映画では、全装備で130キロと言っていたが、これはオーバーだろう。それにしても重い。  

切断したあとの義足で重い装備を着けて自力で立ち上がり、12歩をく。この苦労が、この映画の最後の山になる。ついにカートは、脂汗を流して立ち上がり、12歩を歩いて見せ、現役に復帰する。

ヘルメット式の長所の一つは服の中に空気を入れて、自ら浮力をつけて、石を持ち上げて運び、港湾作業の石並べ(石ならし)が容易に出来ることであるが、現在の日本で、ベテランの石ならしダイバーは殆ど60歳以上である。アメリカ式であれば、体力の無い高齢者は、梯子を登れないだろう。

ヘルメット式ダイバーの水中での動きは軽快である。どすん、どすんと歩くのではない。潮に乗って風のように走れる。だから水中での作業は高齢者でもできる。

米国海軍のダイバーには当然停年がある。40歳で片足で現役に復帰したブラシアは、49歳まで、現役ダイバーをつとめて米国海軍のダイバーとしての最高位であるマスターダ−バーに、これもアフリカ系で初めて就任する。

さて、そこまで現役にこだわった彼は現在どう過ごしているのだろうか。どんな風に老いているのだろうか。退役したあとは、スクーバダイビングでも楽しんでいるのだろうか。死ぬまで現役にこだわる私としては、インタビューのチャンスが失われたことが、残念である。

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