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| レイチェル・カーソン (海辺) | |
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レイチェル・カーソンは、海の環境問題に関心のある人ならば、座右においていることが多いと思われる本です。 ダイバー必読の本です。 私の書棚にあるのは、@われらをめぐる海、A潮風の下で、B海辺、C失われた森です。カーソンの本で最も有名なのは農薬のために、虫も鳥も死に絶えてしまい、春になっても小鳥のさえずりも聴こえなくなってしまい、やがては人類もという警鐘をならした「沈黙の春」ですが、なぜか私の書棚からは消えてしまっています。 一番の愛読は「海辺」です。 何度か読み返しました。 |
| 「海辺」に限らず、カーソンの本はすぐに眠くなります。若い頃、最初に読んだときは、眠らなかったのですが、60歳を越え何回か読んでいるうちに睡眠薬として使えるようになりました。眠った耳元では波の音がきこえ、海辺の夢を見られればと願うのですがそんなにうまくは行かないようです。 この本の魅力の一つは挿絵です。細密画のような筆致なのですが、想像力をかきたてられます。 この本の内容や挿絵をテレビ番組にしたい。、あるいはスチル写真の写真集にしたい。なんどか企画を立てました。でもだめです。「潮溜まりにはさまざまな雰囲気に満ちている。夜には星をたたえ、潮溜まりの上空を流れる天の川の光を映す。一方、生きている星は海からやってくる。小さな燐光を発するケイ藻植物のエメラルドの輝き、暗い水面を泳ぐ小さな魚の光る目、クシクラゲのとらえどころのない月の光のようなきらめきが、潮が満ちるにつれてやってくる。」読みながら、眠くなって本を支えきれなくなり、ぱったりと眠ってしまう。こんなことはビデオ映像には望めない。 それにしても、カーソンの海辺のようなスチルを撮りたいのは私の夢ではあります。 館山で撮影したアカウニ(デジタルログに載せました)や、アワビや、マナマコの写真はカーソンの「海辺」の匂いがしないでしょうか。今年はあまり動かない磯の生物を撮影する仕事がありそうです。まず、せいぜい「海辺」に近くなるようがんばります。 |
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| のぞいて見よう海の中 ジャックT モイヤー著 | |
| あまり高価でなくて、(1800円)手軽に読めるフィッシュウオッチングの本として最高だと思います。僕は大学で生態学を学び、ダイビングをやったのに、モイヤーさんのような本は書けなかった。水産業の調査の方に進んでしまいました。こんな本が書けてモイヤーさんは幸せだなと思ったのに、訃報を聞いてしまいました。この本の終わりに書いてあります。まだ話したいことは山ほどあると。 何故とは問いません。歳をとることは、本当に辛いことです。モイヤーは74歳、マイヨールの自殺も74歳でした。人には信じられないような行動であっても、本人にとってはナチュラルなことかもしれません |
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| ダイバ−列伝 | トレヴァー・ノートン著 関口篤訳 青土社 |
この本はこれまでダイビングに係わった重要な人たちのプロフィールを紹介しています。詳しく知りたくて、知ることが出来なかった人が含まれて居ます。 減圧表の基礎となった2:1の理論を導き出したホールデン教授とか、世界で始めて水中撮影をしたブータンとか、これまで年表でだけ知っていた人が紹介されています。それぞれがけっこうハードにファジイな人だったことがわかりました。 それに殆ど全員が「行け行け」の人で、自分の身体で人体実験に近いことをやっています。 考えて見れば、減圧表などは、ダイバーの実体験、つまり人体実験のようなことで訂正され整理されて出来上がって来たようなものですから、まず自分の体で実験するというのも創世記には大事な手段だったのです。 |
列伝この本の著者、トレヴァー・ノートンはかなり物事を斜めに見る人のようで、著者はきっとダイバーだろうと思ったら、やはりダイバーで傍ら海洋生物学の教授だそうです。 訳文もずいぶんがんばっていますが、著者のひねくれぶりについてゆけないところもあります。ひまがあったとしたら、私が訳したかったと思いましたが、私は超訳ですからきっと支離滅裂になって収拾がつかなくなったでしょう。 それも面白いと言えるような本です・ |
| ラスト・ダイブ | バーニー・チョードゥリー著 楡井浩一訳 光文社 2002年 |
| なんとダイバーとは、愚かなのだろう。私も愚かだけれど。 私がダイビングを始めたころのダイビングクラブに類するクラブが、アメリカにはある。フロンティアスピリッツというのだろうか、愚かなスピリッツがそこにはある。主人公の親子は、洞窟に潜ることからダイビングの虜になり、次には沈船に潜る。沈船に潜って、なにか記念になるものを剥がしてこよう、そしてそれを人に誇ろう。ただそれだけのために深く潜る。 激しい窒素酔いにかかり、予備のタンクを見失ってしまい、ひどい減圧症を覚悟するか、それともそこで溺れ死ぬか、迷う。減圧症を覚悟して急浮上する。ダイバーは皆減圧症では死なないとおもっている。しかし、激烈な減圧症は再圧しても助からない。そして、父と子は命を落とす。ラスト・ダイブである。減圧症の描写はダイバーにとっては人事ではない迫力がある。 私も竜泉洞という地底湖にとりつかれて、未だに洞窟の先に進む企画書を書き続けている。 |
沈船にもとりつかれて、これもとり付かれて世界的な沈船ダイバーになった吉村朝之とトラック島の沈船すべてを潜って撮影した。深い潜水にもとりつかれて、未だに次の計画を練っている。何のためと訊ねられても答えられない。危険への知的な好奇心だろうか。私が死ななかったのは、ダイビングとは知的な探検だと心に言い聞かせ続けたからだろう。知的とはダイビングの技術の知識ではなく、生き方なのだと自分に言い聞かせているが。このごろでは、やはりただひたすら愚かだっただけなのではないかと自分を疑い始めている。![]() |
| 海底からの生還 | ピーターマース著 江畑謙介訳 光文社 2001年 |
| 1939年、水深70mに沈んだ、潜水艦「スコーラス」から乗員をレスキューチャンバーを使って救出する、まともなドキュメンタリーだ。ずいぶん古い昔の話なのだが、少しも古く感じないで一気に読んでしまった。潜水艦から泳いで脱出する呼吸装置を開発したスェード・モンセンを主人公としているが、レスキューチャンバーを取り付けるために潜水するダイバーの役割もしっかり書かれている。映画「ダイバー」もヘルメット式ダイバーの物語だが、ここで活躍するダイバーはヘルメットダイバーだ。 海中での仕事は、最終的にはダイバーが潜水して決める。最近、ロシアの原子力潜水艦が沈んで、救助作業が話題になった。結局潜水してチャンバーを取り付けるダイバーが居なかったので紆余曲折があり騒ぎが大きくなった。 今実作業として、ダイバーが行う深海潜水が必須なのは潜水艦救助だ。日本でも、潜水医学実験隊があり、飽和潜水で300mを越しての実権が行われているが、これも潜水艦救難のためだ。 潜水艦に閉じ込められた人たちを救うために命を賭けた潜水作業が行われる。人一人の命が潜水艦と言う命を賭けなければ乗れない船でも大事にされる。ダイバーの命も当然大事である。人の命を救うために別の人の命が賭けられる。矛盾だけれど、それほどに人の命は大切にされる。 趣味的に沈没船に潜ったり、洞窟に潜ったりで簡単に人の命が失われてしまうことが愚かしいと感じたのは、二つの本を続けて読んだからだろうか。 |
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