デジタルLOG
 
 デジタルスチルカメラ( RICOH Caplio RR30)とデジタルビデオカメラ(SONY PDX-10 )のビデオ映像からスチルで取り出した画像で、記録(LOG)を書いています。
 と言ってはじめたのですが、最近では、ポジフィルムからスキャナーで取り出したスチルも使っていて、デジタルスチルはすくなくなりました。
2003年 は79本潜水しました。ただし、プールは除いてです。
2003−12-19 未来に残したい日本の自然100選 
 昨年、2002年夏に撮影した柿田川の水中映像が入っているビデオが発売されました。100選の中の一つ,の中の水中撮影だけを担当しました。それでも、柿田川とは20年を越す付き合いですが、鮎も多く、天気も良く、ベストショットが撮れたと思っていました。編集の都合でベストショットは落とされてしまい少し残念ですが、本当に美しい映像です。
6巻で4万円の中のほんの一部ですからなかなか買っていただけないとは思いますが。
 柿田川を残すための運動に後半生を捧げている漆畑さんから電話があり、今年は鮎が絶滅状態だと言われました。
 この前8月に行ったときにも、鮎が本当に少なくて、心配したのですが、本当に心配です。まあ、鮎は強い魚ですから、また数年後には盛り返すでしょうが、本当に日本の自然を未来に残せるのでしょうか。「未来に残したい」、と願望の形がタイトルになっているのですが、願望ではなくて、もっと強い意志を持たないと日本の自然は残せません。破壊するのは日本人です。自分も日本の自然を破壊している日本人の一人だと考えると悲しいですね。
2003−12-08 日本潜水会 忘年会 
 伊豆海洋公園がオープンしたのは、1964年昭和39年のことでした。そのころ、伊豆高原に東拓という不動産会社が別荘地の分譲を始めました。ここの海岸が溶岩地形で、海水浴はできません。海水浴ができるようにしたい。海洋公園が作られました。その公園をアクアラングセンターにしてくれたのが、益田一さんです。海水浴のためのプールを50mの競技用規格のプールにしたのも、益田さんの先見です。馬鹿な建築デザイナーが抽象画から盗んできたような変形したプールだったら、海洋公園はスクーバトレーニングのメッカにはならなかったはずです。
 夏は、プールは海水浴でイモ洗い状態になりました。冬は閑古鳥も鳴きません。
 1967年、昭和42年、日本で始めてのスポーツダイビングの指導団体として日本潜水会を作った時、東拓のプールを使おうということになりました。せめて、冬のプールを使ってやろう貧者の一灯みたいな考えです。その頃、プールでアクアラングの講習をやるなどという考えは殆ど無かったのです。だからこそ、益田さんの先見がたたえられるのです。
 益田さんが忘年会に来てくれました。楽しい時間を過ごしていただけたと思います。
 益田さんがこのプールを作ってくれたおかげで、1968年に第1回の水中スポーツー大会を開くことができました。全日本スポーツダイビング室内選手権大会のルーツです。
 ちなみに関東学生潜水連盟ができたのが1968年です。
 日本潜水会は、今も続いています。忘年会をやるだけですが、創立のスピリッツがみんなの胸の中に続いているのだと思います。
 
 PADIの代表である宮下さんも今年は来てくれました。かつて、宮下さんも日本潜水会のメンバーだったのです。ということは今でも彼は日本潜水会のメンバーです。今後は「日本潜水会の宮下です」と名乗ってくれるそうです。別に口に出してくれなくても、そう思ってくれていれば、嬉しいです。ヨットで太平洋を一人きりで横断した小林則子さんも潜水はしないのですが、日本潜水会のメンバーです。海が好き、海に生きているからでしょう。

 日本潜水会の誕生 参照
 
2003−11−30 全日本スポーツダイビング室内選手権大会 

 スピードレーサーには、樹脂板のフィンが全盛で、大会新記録が続出しています。しかし、複雑な気持でもあります。と言うのは、ゴムのフィンが一番良いという信念みたいなものを持っていたからです。それに、樹脂のフィンがいくら速くても海での使いやすさはラバーに勝るものは無いし、そんな汎用のフィンを使ってのレースをこれまでコンセプトにして来たからです。しかし、素材の進歩、技術の進歩は率直に認めなければ進歩が止まってしまうし、とても複雑な気持です。

 私の400mのタイムは7分34秒、今年はもう8分を切るのがやっとだろうと思っていましたので、なかなかの好成績で、満足しています。
 泳いでいる時は無我の境地でただ苦しいだけ、この世の憂いもすべて忘れられます。
 

レースで毎年一緒に泳ぎ、来年も400m泳げる健康でいたいと、お互いに願いあう仲間です。左から島村さん、私、粕谷さんです。
2003−11−29 法政大学アクアダイビングクラブ40周年記念パーティに出席

 ご挨拶をさせていただきました。要約です。 

[40年というとずいぶん長い期間です。どのくらい長いかというと、このクラブに参加させていただいている、娘の潮美が生まれてから、いままでぐらいの時間です。
この時間の間、本当に山あり谷ありだったのですし、今でも現役の人たちは重い伝統という荷物を背負って奮闘しているのですが、とにかく続けてきて、本日このような会を開くことができていること、本当にすばらしいことです。
 10周年とそして30周年に呼んでいただいたのですが 
 20周年は、本当は娘の潮美たちが中心になって開くはずだったのだと思いますが、できませんでした。

そして30周年、その時もお話をさせていただき、[近藤玲子おばちゃんは、元気かな、10周年にご一緒したのですが」と言いましたが玲子おばさんが「次郎ちゃん、元気で居るわよ」と席から立ち上がりました。
 そして、40周年です。
 
今の現役の人たち、顔も良く知っているし、よくご一緒させていただいています。樋口君、小泉さん。
 岩倉会長の結婚式にも呼んでいただきましたし、山中さんとも最近お付き合いが始まりました。小松さん、アクアダイビングクラブ創立メンバーの加藤さん、谷内君、お名前を全部挙げることなどとても出来ないほどたくさんの友人がここにいます。全部気持の良いお付き合いで、不愉快な思いをしたことが一度もありません。すばらしい伝統を大事にしてください。
 今後の50周年、60周年、そのくらいまでかな?私の限界は。
 呼んでいただけることをお願いします。


※玲子おばさんには、竜宮城という水中バレー劇場を立ち上げた時に、水中舞台監督として使っていただきました。
 その後、法政アクアクラブを数年間、アルバイトとして
 使った縁で、今でも学生に慕われていて、パーティに出席しています。今の代の学生には縁もゆかりも無い、昔世話になった人を招待する。法政アクアダイビングクラブのこんなところがとても好きです。
2003−11−7〜8 久しぶりで慶良間に行きました。
久しぶりにケラマに行きました。昨年の10月以来ですから、一年ぶりです。昨年はCMの撮影でしたが、今度は気の会った仲間、サンチャンズと言うチームでのツアーです。同時にケラマのサンゴがどうなったか心配で、見てみようと思ったのです。まだまだ造礁サンゴは、健在な場所もあります。でも、人の手でオニヒトデを駆除してやらないと危ない。刺し殺したオニヒトデにたちまちサザナミフグが寄ってきて、食べています。
まだまだケラマの造礁サンゴは健在です。しかし、1998年のサンゴ白化以来、もう沖縄の造礁サンゴはもとの様にはならないと学者は考えているようです。
できるだけ人間が保護して、どうやら現状維持だと言うことです。私も大好きなケラマの海の造礁サンゴを守るために何かしなければと計画を立てています。計画が実現すれば、ケラマに行く機会も多くなるだろう、そして、造礁サンゴも守れる。そんな計画にしたいと思っています。
座間味村の村長さんにも会ってきました。県庁ではサンゴ礁復活プロジェクト担当されていた方だと聞きました。
きっとサンゴ礁は守り通せると思います。
2003−11−15からの 東京湾をちょっと覗こう展示 ビデオのパネル原稿です。

東京港の海底で生き残るには環境の悪いところをうまく避けることが大切です。遠い国から東京港に入港する船の船底とか、船のバラストとして積み込まれている海水の中で旅をしてきた外国生れの外来種は、東京湾で生き残れる場所を上手に探してだして生き残っています。カムフラージュの得意なイッカククモガニ、チチュウカイミドリガニは外来種です。岩肌を覆っている二枚貝、ムラサキイガイ、ミドリイガイも外来種です。

 日本に昔から居る在来種を食害するというので、問題になっているブラックバスのような例もありますが、東京港では悪者であると言われることもなく、なんとなく市民権を得ています。外来種が全部居なくなったら寂しくなります。外来種が居なくなったあとに、イシガニとかガザミ、シャコなどなじみの深い、食べておいしい日本の甲殻類が増えたほうが嬉しいとは思います。

 そう言えば、イシガニが少なくなり、チチュウカイミドリガニが増えたかもしれません。でも、強い外来種も住めないような東京港になったら東京も終わりだと思うのです。


チチュウカイミドリガニが捨てられたポリバケツの陰におさまっています。
食べるとおいしいと聞きましたがまだ食べたことはありません。
2003−10−26 関東学生潜水連盟 SAI シンポジュウム
 関東学生潜水連盟にスチューデントアシスタントインストラクターの制度を確立するためのシンポジュウムを開きました。私の年齢になれば、何時潜水で死んでも仕方が無い。運です。でも若い人は絶対に潜水で死んではいけない。死なせてはいけない。そのためのシンポジュウムです。東京医科歯科大学の真野先生、山見先生、順天堂大学病院の河合先生が強力にバックアップして下さいます。御厚意を無にしないように、安全な態勢をより強くする努力を重ねて行きましょう。
 安全とは、知識と経験の積み重ねです。そして記録を残して継続させることで達成されます。河合先生が教えてくださった言葉です。
2003−10−4 館山西岬 魚礁撮影
毎月撮影している館山の人工魚礁です。毎月見ていたら何かがわかるのではないかと思って通っています。メバルの数が増えています。イサキの若魚も大群を作っています。こんなことを書いていると、ダイビングリゾートが送ってくれる海の中のニュースと同じです。
なにか特別のことがわかってこないと困るのです。
とりあえず、季節の移り変わりを見て行きながら魚介類の変動を見ています。
9月15日に見たメバルよりを、この魚の方が一回り小さかった。15日に居たメバルはどこかに移動し、新しいメバルが入ってきたのでしょうか。
2003−9−16 浦安フリッパークラブ発足 親と子のスノーケリング教室
 子供たちとお母さん、お父さんのスノーケリングクラブ発足しました。およそ40名に私を含めてコーチが三人、海豚倶楽部のボランテイアお母さんが5名ですから、プールが満員になってしまいました。
 6月のコースを受講してくれた子も殆ど来ましたが、夏休みを越して、たくましくなったのに驚きました。スノーケリングも上手です。
 新しいメンバーも1時間強でたちまち追いついて来ます。
 私の目標は、単純なエキササイズの繰り返しです。繰り返すことによって水になれ、上手になります。
 来年の夏、たくましく水になれた、みんなで海に行きたいと計画をたてます。
 これ以上の申し込みが合ったらどうしようと、これからスタッフで相談します。
2003−9−10 トレンディ サスペンスドラマ撮影
 三上博史さんはとても好きな俳優です。回りの誰に聞いても評判の良い人で、嫌いだと言う人は殆ど居ませんでした。しっかりとした演技をする役者さんで、しかも好感が持てて、どんな役でも出来る感じがする。
 その三上さんのドラマ浅野温子、三上博史13年ぶり共演 の多分タイトルバックになるイメージ撮影をプールでやりました。サスペンスドラマで10月15日から日本テレビでオンエアーです。狭いプールですから、真下から見上げるショットで、後ろからライト(太陽)が当たる逆光の撮影です。実際にはありえない光景ですが、とてもかっこよく撮れたと思っています。
カメラのオペレーター(カメラマン)は大西君にやらせました。水中で真上を向いたまま、重いカメラを持ち、構図をぴったり決めて、三時間、しかも、カメラが廻っている時は気泡が出てはいけないので、呼吸を止めていなければならない。こんな撮影をやらせたら、彼の右にでるカメラマンは居ないと思います。もちろん陸上カメラマンが水中に入ってできる撮影ではありません。
 撮影が終了して、スナップを撮らせてもらいました。
2003−9−5 応蘭芳さん
 日本潜水会のメンバーであり、パラシュート連盟の理事長である女優応蘭芳さんの芝居、「アイ・アイの眼」を娘の潮美と一緒に見に行きました。応さんと私と娘の3人で小笠原で合宿生活のような撮影をやり、見事に没になったのは、娘が大学2年生の時でした。そのテープには、伊豆海洋公園の事実上の社長である益田安規子、アプネアで有名になっている松本恵の若い時の姿が写っています。本当にみんな若くて美人で、初々しかったころの貴重な映像です。
 その時の静止画をそのうちにこのホームページで公開します。ご期待下さい。
 肝心の芝居は、ストロボを光らせられないので撮影できません。これは楽屋ですからつまらない。
 応さんの役は日露戦争当時の、マダカスカル、ディエゴスワレスの女郎屋のマダムで、適役と言ったら怒られるかな?面白かったです。写真は終演後、楽屋にて。
 
2003−8−17 お台場観察会
 夏になると、いつもお台場の底、水深4mから6mのヘドロの海底は、バクテリアに覆われます。バクテリアは硫黄細菌で、ふわふわとした綿飴のようなもので、少し気持が悪いのでこれまであまり撮影しませんでした。別に悪さをしているものではないようです。
しかし、バクテリアのある底の方は、カニの類や、ハゼなどがめっきり少なくなっています。
 浅い方、水深70センチから1mでは、6月には生きていたマガキが殆ど死んでしまっています。雨の影響で淡水化して死んだのかもしれません。次に全部のマガキが生きている状態に復帰するのは何時ごろでしょうか。
 お台場でも潮干狩りをしてもよくなりました。砂地の部分にアサリが居て、素手で1回掘ると、6個ぐらいの小さいアサリがとれます。水産試験場の千野さんに聞いたのですが、播いた種苗ではないそうです。(場所がちがう)
2003−8−16 オオタカ根
逗子のオオタカ根に通っています。人工魚礁の撮影をやっているのですが、人工魚礁と同じくらいの規模の天然礁ということでしばらく写真を撮りつづけようと思っています。
14日に海豚倶楽部の黒澤さん、内藤さん、近藤さんと一緒に行きましたが、インストラクターの気持ですから撮影に集中できません。デジタルカメラでホームページを作っている黒沢お姉さんから、ゆっくり撮影ができなかったと文句を言われたましたが、次回からは、同じ場所で彼女は彼女、私は私で撮影しようとも思います。が、撮影に集中しているうちに連れて行った人が見えなくなって事故というパターンをいくつも知っているだけに少し心配です。
そんなことで14日に撮影ができなかったので、16日に再度でかけて行きました。潜降ロープの下あたりで、タカベやマアジを追い掛け回していたカンパチはどこかに行ってしまいました。代わりにマダイを撮影しました。まだ、今一歩、この天然礁での魚の動きがつかめていません。
MMV テストレポート

大瀬崎先端 水深45m サクラダイの群れ

 クリックして下さい。 
2003−8−11  柿田川に漆畑さんを訪ねました。
 柿田川に行きました。
 全長400mの短い、世界で一番きれいな川です。川というよりも流れる泉と言った方が良いかもしれません。
 「柿田川みどりのトラスト」を作って、守っているのが漆畑さんです。もう20年以上の付き合いです。何度も何度も、テレビのロケで協力してもらいました。この人が居なかったら柿田川の姿を保てなかったと思っています。
 とてもうるさい人ですけれど、私は大好きで、親友だと思っています。
 特別天然記念物のミシマバイカモを撮影させてもらいました。誰でも見られるものではないので、紹介します。
 小さな金平糖くらいの大きさの可憐な白い花です。撮影したところは、しばらく前まではクレッソンの畑になっていました。トラストで買い上げて、ミシマバイカモを移植して、ずいぶん育ちました。
 いつもは、8月には、このあたりに鮎がたくさん泳いでいるのですが、今年は鮎が少なくて、殆ど見られません。
 鮎もどんどん減っているのだそうです。来年たくさん見られるといいですね。

 柿田川を守る 漆畑さんです。ハウジングに入ったカメラですので周辺が水滴でボケています。
2003−8−4 船の科学館スノーケリング教室始まる。
 実は7月17日からはじまっていたのです。しかし、寒くて開店休業状態。やっとはじまったのですが8月17日までで終わりです。
 せっかくなのに、どうしてもっとながくやらないの。「だってお盆だから。」そうです。海水浴場はお盆までの勝負なのです。今年は海水浴場は大変です。
 まだ、ここでこんなスノーケリング教室をやっているって誰も知らないのです。来年知られてしまったら、ブレイクでしょう。担当コーチの藤井、奥村の両娘、私としては私の娘の気分ですが、そんなことになったらどうする?「知らない!」そうです。でも、2000人入らないと空いている巨大プールが夕方の5時から夕涼みの気分で、30名でスノーケリングができるのですから、知られたら大変です。
 とにかくスノーケリングは楽しい。参加した人には大好評です。
 ここでも親子、お母さんと子供たちの組み合わせが最高です。
2003−7−13 逗子オオタカ根
逗子ダイビングセンターの三富さんから、オオタカ根にぜひ、と誘われました。本当に良い天然礁でした。
 このオオタカ根が、私が以前撮影したことのある、ヘイコシ根と同じであるかどうか、それは次の機会に調べるとして
とてもよい場所なので、典型的な天然礁の代表として、毎月定点撮影がしたいと思っています。

 デジタルスチルカメラによる接写の方法発見。
 どうしてもうまく行かなかったデジタルスチルカプリオでの接写は海底で暗いので、オートフォーカスではピントが合いません。ターゲットライトを使えば良いのでしょうが。またストロボを光らせるとすぎにオーバーになってしまいます。
 HIDのビデオライトで撮影するとうまく行くことがわかりました。ビデオを撮る手を休めて、ライトで照らしたそのままデジタルスチルで撮れば良いのです。
 でもそれほどまでにして、デジタルで撮影する必要は無いと思います。デジタルカメラで撮影してみて、やはり、スチル写真の王道はフィルムだと痛感しました。
 

オオタカ根、撮影用地図
2003−7-9浦安海豚倶楽部 スノーケリングツアー 金谷
浦安海豚倶楽部のスノーケリングツアーで、房総半島内房の金谷に行きました。金谷で潜るのは、20年ぶりぐらいでしょうか。つい最近この金谷で密漁ダイバーが保安庁に捕まったそうです。バーベキューくらいらば良いと思っているのでしょうか、それとも商売にしているのでしょうか。スノーケリングフィールドとして良いところが無いと、探し回っているのに、残念なことです。
私としては、本格的に?海でスキンダイビングをするのは久しぶり、5mmのスーツでウエイトを8キロ着けて、4m潜るのがやっとです。昔、30m近くを潜っていた自分ですから、年齢にはとても勝てないと情け無い思いでした。
水はこの季節としてはきれいでした。見た生き物は、ムカデミノウミウシこれはたくさんいました。そしてタツノオトシゴです。
 カプリオ・デジタルカメラのオートフォーカスは、一度ピントが合ったように見えて、次の瞬間にぼけて、またピントがあいます。スキンダイビングでは息が続かなくて、ピントがボケる瞬間にシャッターを押すようになってしまいます。
 

金谷の海はこんな海です。魚はチャガラです。

ムカデミノウミウシ

ピントが合わないオートフォーカスで撮影したタツノオトシゴ
2003−6-7第8回お台場 東京ベイクリーンアップ大作戦
 参加は117名でした。ダイバーの参加定員はだいたい100名で、これ以上集まっていただいても、この時期、お台場の水中はほぼ無視界ですから、安全確保が行き届かなくなってしまいます。今年も海上保安庁の特殊救難隊が参加して、ジャックステイ捜索の指導を行ってくれました。大学生クラブの参加がとても心強く、来年は学生クラブに一翼を担ってもらえるかも知れません。
 アマモの植栽を行っている海をつくる会の坂本さんも海辺つくり研究会の木村さんも参加してくださったのですが、木村さんからショッキングなニュースを聞きました。三月に植えつけた横浜野島のアマモが全部枯れてしまい、自然のアマモも多数が枯れてしまったそうです。理由はよくわかりませんが、環境の変化だと考えられます。
 ますます責任が重くなったと、木村さんはめげていませんが東京湾の環境は前途多難です。
 NHKテレビの取材が来ていて、「東京湾の環境は良くなってきているのでしょうか、変わってきているのでしょうか」と質問されました。
「人間は確実に変わって来ています。都市の自然環境は人間が変わらなければ変わらないのです。」と答えました
2003−5-31 アマモ花枝採取 横須賀市伊勢町海岸の潮干狩場周辺

採取した花枝は 発芽・成長させ 来年 平成16年 3月 に野島へ植栽する予定です。
この前植え付けを撮影したので、今度は種子(花枝)の採取です。
子供の頃、東京湾の海水浴場や潮干狩りの干潟に行くと、足にアマモが絡み付いて、歩くのが不便で、厄介な草だと思いました。その感覚がもどるようなアマモ場がここにはありました。ぎっしりと生えています。
 台風の影響で強い雨、ドライスーツにしておけばよかったのにウエットスーツを持って行ったので散々な状態になりました。デジタルスチルカメラは故障で動きません。でも、行って良かったと思います。とにかく自分の眼と身体で見なければ何もわかりません。本で読んだりデータを調べたりでは実際のことはわからないのです。実践している人だけが価値があります。
アマモの花は、とても花とはいえないほどかすかな白い透き通った刺みたいなもので、種子は米粒みたいなものです。

2003−4-8ヴィルジニー・デデュー選手(フランス)の番組宣伝用の撮影
 シンクロナイズスイミングの世界チャンピオンである・ヴィルジニー・デデュー選手(フランス)の番組宣伝用の撮影に行きました。シンクロの水中撮影はあんまり好きではないのです。シンクロは水上から見るもので、水中は滑稽です。水面もあの鼻つまみが滑稽だと思っているのですが、デデュー選手は鼻つまみをつけない美しい顔そのままで演技することで有名です。
 水中撮影のために、特別に水中の姿を見せる演技をやってもらいました。その美しさはすばらしいものでした。
 ずいぶん昔、よみうりランドの水中劇場が出来た時に水中での舞台監督をやらせてもらったことがあります。竜宮城の水中ダンサーは、世界チャンピオンのデデュー選手の水中での美しさには及びません。水中での演技を見せる競技をやったらシンクロよりも感動的で、美しいと思うのですが。そうなってしまうと美しさが当たり前になってしまって感動しないかもしれません。前に日本の背泳女子選手のバサラ潜泳部分を撮影して、人間は美しさでイルカを越えたと思ったのですが、今度はさらにそれを越えました。
 残念ながら、水中のスチル写真はありません。ビデオ撮影の仕事ですからスチルを撮れません。前からのスチルも載せられません。肖像権で訴えられると困ると思い撮影もしなかったのです。後ろ姿だけ拝んでください。オンエアーも何時になるかわかりません。テレビ朝日の世界水中選手権の宣伝番組に注目していてください。

 フィンをはかなくてもフィンを履いたくらいの足の長さです。
手も長いので、水中で横になるFFショットを撮るとと、4・3のビデをサイズでは足が出てしまうのです。16・9で撮りたいとしみじみ思いました。
2003−3−28   リブリーザの体験をしました。  sony pdx10 から取り出した静止画像です。
 リブリーザーの体験をしました。21世紀の潜水器はリブリーザだと言われています。この潜水器を使うのが、今回がはじめてとは、私としては少しおそすぎたかもしれません。実はリブリーザとの付き合いは40年以上になるのです。本が一冊書けるほどです。
しかし、今、私が生きているのは、この潜水器を使わなかったからだと思っています。
体験てみて、ようやく使っても死なない程度まで洗練されてきたのではないかと感じました。まだまだ紆余曲折があるでしょうが、私の最期の潜水はおそらくリブリーザーになるだろうと思います。
2003-3-15  海辺つくり研究会 海をつくる会 アマモの植栽(植え付け)参加
 
アマモの移植、植栽は以前から興味がありました。お台場にアマモを移植できないだろうかと計画をたてたことがあります。お台場の水中をアマモで緑の平原にしよう。そんなことは出来るはずがありませんよね。
でも、真剣に考えました。考えれば考えるほど不可能であることがわかり、着手していません。
 横浜の野島には、昔からアマモ場があります。なくならないようにと心配していました。
 海辺つくり研究会 海をつくる会 それに神奈川県水産総合研究所(旧水産試験場)の工藤孝浩さんが中心になって、2年前から、この野島のアマモの移植に取り組んでいました。
 うかつなことに、私は、こんなにも実績をあげていると知りませんでした。
 昨年、私はアマモの写真を撮影していました。詳しく知っていればもっと早くから撮影出来たのにと残念がっています。
 海をつくる会は、ずいぶん古くからのお付き合いです。
 主催者の坂本さんは、私たちの潜水しているお台場にも来てくれました。海辺つくり研究会の木村さんも前からの知り合いだったのですが、親しいお付き合いはこれからです。
   移植されたアマモの種苗
昨年から、一年かけて種を取り、種を播き苗を育ててきたアマモを、長さを測定し、割り箸に輪ゴムでくくりつけて、割り箸を砂地に差し込むようにして、根の部分を砂に埋めて固定します。
稲の田植えを水中でやっているようなものです。私は撮影だけしていて自分で植え付けはしませんでしたが、みんなのやっている水中植え付けを見ていると楽しそうです。付近には、自然の群落もあるのですが、それと同等に育っている植え付け部分もあるのだそうです。
 植え付けの準備,箸に苗を輪ゴムでくくりつけて、海底に刺しこむ。

根付いているアマモ

デジタルビデオからスチルで抜き出しました。
植え付け中のアマモ、手袋は坂本さんの手です。
2003-2-24 三番瀬 市川・猫実川河口沖調査 風呂田教授の手伝い。
 凍えました。氷雨の中を出港、潜水中に雪になりました。三地点に20分づつ潜水して撮影調査をします。
水は濁っていて、透明度はおよそ30センチ、水温は9度ですがこの日の日中の最低気温は2度ですから、船の上では氷点下でしょう。
 メンバーは東邦大学の風呂田教授を中心にして、ダイバーが5人、サポートが4人です。
 娘の潮美も久しぶりに一緒に潜りました。
私も顔が引きつっていますし、娘の顔も正常ではありません。
 流氷の潜水より寒いね、二人の感想です。風呂田教授は元気でした。すごい人です。私も教授の歳の時にはすごかったけれど

実は私は、半月ほど前から体調が悪く、少し頭痛が続いていて、これで寒い思いをしたらひどい風邪を引くのではないか、どうしよう。ギブアップしようかと思いながら出かけてゆきました。
 潜水は全然つらくないのですが、ドライスーツを着て、胸に6キロ腰に6キロ、足に2キロのウエイトをつけてタンクを背負うのが大変です。
 でも、終わって見たら、頭痛はおさまっていて、腰が少し痛いけれど全体的に元気になりました。 寒さとともに海の生気が体の中にしみとおったのだと思います。

 
2003-2-8
小笠原ダイビングセンター30周年記念パーティ兼古賀さんの還暦記念です。
 古賀さんは泣いています。思えば三十数年前、鬼怒川パシフィックの技術顧問をしていた私のところに、小笠原でダイビングセンターをやりたいのだがと相談に見えられました。おまわりさんだった古賀さんは返還直後に小笠原最初の警察官として赴任し、南の島のとりこになってしまったのです。私は、そんな水商売はあきらめて、固い警察官を続けなさいとお引止めしました。最初の年のお客さんは5人だったそうです。私は次の年に行きました。竹芝桟橋から小さな黒潮丸にのると、到着は明後日だとアナウンスされました。食堂は無いので、ごろ寝している船室にお弁当がとどけられます。ほとんど奴隷船だと思ったものです。小笠原では、中学に赴任されていた英語の先生と一緒に浜辺で遊びました。次の年、一緒に遊んだ先生の奥さんが島の生活に耐えられないと自殺したと知らせられました。 島の人の意地悪で、古賀さんのボートのキングストンが抜かれて沈められたこともありました。
 娘の潮美が大学生の時、女優でダイバーの応蘭芳さんと
三人で小笠原自主撮影ロケをして、作品は見事に没になりました。でも振り返れば私の生涯で、輝いていた日々でした。
 たくさん、いろいろなことがあって、30年です。
 私も深く考えると泣きたくなるので、深く考えないようにして、会場をあとにしました。
01−29〜02−2 フィリッピンのリロアンに行きました。
 イザリウオ
 こういう動かない魚を撮るには良いです。
 ストロボはカメラ本体についている小さいストロボで撮りました。。スレーブで大きいストロボを光らせたら、全部が白くとんでしまいました。絞りの調節ができないのです。どうしたらよいのでしょうか?まだわかりません。
ジョーフィッシュです。
 このカメラは1センチまで寄れるのが売りだけれど、そんなに接近すれば ジョーフィッシュは顔を引っ込めてしまいます。



 カメラを少しあおり気味にして水の色を出そうとしたのですが、デジカメではできません。
 どうしたら、水の青がだせるかこれから研究します。
 ホワイトバランスを人工光にすればよいのかな。
 それにしてもピントがあっていないです。

 こういう記念写真を撮るには良いのですが、でも後ろがもう少し青い方がきれい。
 浦安海豚クラブ最年長の角田さん80歳です。
2003−02−04 浦安海豚倶楽部辰巳国際水泳場での練習会
 辰巳の国際水泳場での浦安海豚倶楽部の練習です。
 ホワイトバランスをオートで撮ったらこんな色になりました。でも、色が気に入らないことがすぐにわかるので助かります。
すぐにホワイトバランスを室内灯の撮影に切り替えました。

撮影して遊んでいると楽しいです。
 でも、きちんとカメラを保持して撮影してもシャッターぶれになるので困ります。
 このカメラは、絞りもシャッタースピードもカメラにお任せ、つまり運任せなのです。