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幻の潜水事故
今年の1月、東京海洋大学、もと水産大学の潜水部は、50周年を迎えて、記念誌を出し、記念パーティを賑々しく行った。50年の歴史で、ニヤミスはいくつもあった。ブラックアウトで、ヘリコプターで搬送された事故もあった。(僕は、記念誌を作るまで、その事故のことを知らなかった。)
数年前のことだが、50周年を迎えるにあたって、深刻な事故、死んでしまったということだが、そんな事故は無かった。と思っていたし、報告も受けていない。
ところが死亡事故があった、と言う。潜水部の女性部員二人から、死亡事故があったと聞いた。この事故については、新入生には話さない。怖がってやめるといけないから、二年か三年になると、教えられて、事故現場である三宅島大久保浜に、花をささげると言う。
本当か?本当ならば大変なことだ。事故報告書があるという。持ってきてもらってコピーした。
タイトルには、1985年7月合宿(期間7月25日ー7月31日)中に発生した事故についての報告書とある。
詳しく紹介しよう。
日時:1985年、火曜日 午後 合宿トレーニング最終日
場所:三宅島大崎海岸(通称 大久保浜旧堤)
海況:西から東に向かって(海に向かって左から右)流れあり。
白波は立っておらず、前日よりは流れはなかった。

三宅島大久保浜

事故者:一年生女子
ウオッチ :三名 (二年生 女子2名 男子1名)
バディ
1・・・一年女子・二年男子
2・・・一年男子・二年女子
以下11組22人のバディシステムですべて一年と二年、もしくは三年の組み合わせである。一年どうしのバディはいない。事故者も二年男子のサポートで潜っている。
大久保浜の略図とバディ番号、および事故者のX地点が示されている。
経過
PM2:45 ダッシュ開始、(浜に並行して20mほど10往復)
3:15 ダッシュ終了
3:32 立ち泳ぎ開始(予定は10分間)
一年生全員、適正ウエイトに加えて、オーバーウエイト5kgを装着(首にかける)して一年生一人に対して、上級生一人ずつのサポートをつけた。サポートはB.Cに空気を入れて膨らませ、(装着せずに横に浮かせていた)一年生の監視にあたった。
(この練習法は、現在関東学生潜水連盟では、この事故がきっかけで禁止されている。)
3:41 部長の「ラスト1分」と知らせる声が聞こえる。
事故者の立ち泳ぎにおける足のかきかたは、特に注意するほど悪いものではなく、当日もいつもと変わらぬ様子であった。
3:41“10
事故者の頭が水面下10cmまで沈んだ。
サポートは、その直後、事故者を片手で引き上げて顔を水面に出させ、浮かせてあったBC.を顔の前に差し出したがまったく反応がなく、マスク越しに事故者の目を見て異常と感じた。
3:41“20
サポートは大声をあげて「おーい」と助けを求めた。
3:41“30
バディ2・3・4の2年男子(図参照)が事故者のところに到着。1・6の2年男子は、SOS.をワッチに送り続け、4の二年男子が9の部長に事故発生を知らせ、立ち泳ぎを終了させた。2・3・4の2年男子が事故者のところに到着する間、サポートの2年男子は、事故者の顔に水がかからないように抱きかかえていた。
以下、水面での救急状況を報告書の左側に記している。
到着した2の二年男子が事故者のマスクを外したが意識不明状態だった。3の二年男子が事故者の後ろに回り、背後から抱きかかえ、その間サポートはウエイトを外した。3の二年男子はその姿勢のまま事故者を浜に向かって運んだ。
ウォッチのAが到着し、海に入り事故者をかかえ、頭に水がかからないように浜に引き上げ、浜の斜面に頭を上にした姿勢で仰向けに横たわらせた。
ウオッチのAがフィンを用いて気道確保をした後、事故者の脈を取ったが感じられず、心臓マッサージを5回ほど行った。部長が到着し、事故者のほほを手でたたき、声をかけるが意識不明、部長がウエットスーツのファスナーを下ろし、胸に耳を当てたが鼓動も聞こえず、部長の指示で三年男子が急速換気とマウストゥーマウスによる人工呼吸を2回行う。吐物なし。
同時進行の形で、陸上での対応を報告書の右側に記している。
ウオッチの二年女子がSOSを発見し、同じくウォッチの二年男子Aに知らせた。
Aは、フィン・マスク・スノーケルを持って引き上げ地点まで走った。
ウォッチの二年女子と三年女子が宿まで行き、(1分程度で到着)宿のおばさんに警察と救急車に電話するようにお願いした。その後車で浜に戻り、事故者の引き当て地点まで戻った。
直後にパトカーが到着し、二年男子数名が誘導した。
PM 3:45−46ごろ
マウストゥーマウスを行っていた三年男子は、レスキューダイバーの資格を有する他大学の甲に人工呼吸を代わってくれるように頼んだ、そして、事故者のウエットスーツを手とナイフで破った。
3:50
私服の警察署員が甲と交代して心臓マッサージを開始した。
3:52−53ごろ
ランドクルーザー到着、ランドクルーザーから降りてきた隊員2名が事故者をもっと南の方向に移動するように指示し、皆で事故者を移動、その際、下に毛布を敷き、頭を西、足を東、つまり海岸線にほぼ平行に寝かせた。この移動の間、前述私服の警官が心臓マッサージを休まず続けた。
4:05
伊豆診療所の医師到着。医師は事故者の同行を見た後、腹部から胸にかけて押し上げた。それから医師は、隊員2名とともにマウストゥーマウス、心臓マッサージ、腹部の圧迫を順序だてて行った。この時、医師の指示で甲と部長がマウストゥーマウスを交代した。警官の指示で、クラブ員全員が交替で事故者の手足を保温のために毛布の上からさする。この際身体が揺れないように注意した。
4:10 以降
救急車到着。隊員が2名降りて、酸素吸入器を持ってきて、酸素吸入器による人工呼吸と心臓マッサージと腹部の押し上を順序だてて行った。
4:30ごろ
4:52−53 医師が部長、副部長を呼び、回復の見込みがないことを告げ、4時51分死亡と診断した。
幻の潜水事故−2
とにかく死亡事故だからたいへんである。僕に知らせてくれた女子学生に、すぐに顧問のY教授に知らせるように指示した。彼女は、今は博士になっているが、当時は大学四年生、おろおろしていたらしい。
Y先生からも連絡があった。知らなかった、たいへんだ。知らないではすませられない。辞職、教授退任まで考えているようなことをおっしゃっている。もう少しで停年である。その前に、辞職などされなくても良いのではないかとお話した。
しかし、報告書をもう少し先までよく読むと、
「事故後の海洋研について」という項目で今後のことが書いてある。海洋大学は、潜水部である。海洋研ではない。東大には海洋研という倶楽部があるが、この練習のスタイルは、関東学生潜水連盟であり、東大ではない。
どうやら、早とちりだったらしい

三宅島 大久保浜
そして、三宅島海洋開発の高田さんに聞いてみた。高田さんは三宅島のダイビング関連のボスであり、僕の親友だ。
「知らねーなー、そんな事故は聞いていない。」
大学生が三宅島で亡くなって、しかも、大久保浜の近くである。
この時点で、この報告書は、嘘だろうと思った。その気で見直してみると、「酸素吸入器による人工呼吸と心臓マッサージと腹部の押し上を順序だてて行った。」とある。異物がのどに詰まった時、抱きかかえて腹部を圧迫するハイムリック法というのがあるが、心臓マッサージとともに、腹部の押し上げというのは聞いたことがない。医師と救急隊員のやる救急蘇生法で、腹部の押し上げと心臓マッサージを組み合わせて同時に行うとは、おかしい。現場で見ていて記録したのではなく、どこかの机の上で作られた事故なのではないか。
それ以上騒ぎを大きくしたくはなかったので、その時点では、追及をやめて、そこまでにした。
参考のために報告書の紹介を続ける。
7月30日のクラブ全体の活動
6:30 起床 ランニング(約15分)
7:30 朝食
8:20 宿出発 体操
8:40 遠泳
9:05 スキンダイビングまたはスクーバダイビング
10:05 スキンダイビングまたはスクーバダイビング
11:20昼食
12:30浜に集合
12:35 スキンダイビングまたはスクーバダイビング
13:35 スキンダイビングまたはスクーバダイビング
14:45 トレーニング開始
ダッシュ10往復
立ち泳ぎ、1年10分 2年15分
15:41 事故発生
当日までの事故者の体調
26日(金) 三宅荘に到着して仮眠のころ、一年女子に「おなかが痛い」ともらす。
27日(土) 4発目に全装備(タンクキャリング、空タンク、ウエイト装備)遊泳を行っている際、バディから遅れ、立ち泳ぎお姿勢で止まった。
それにきづいたバディが近付いてみると「息が苦しくて、うまく息が吸えない。波酔いの気持ち悪さとは違う。」と言ったので、落ち着くのを待って再開した。浜に戻ると「タンクのベルトをきつく締めすぎたみたいです。」と言っていた。
夜、下痢気味と言っている。
28日(日) 遠泳を行った時も、遅れ気味だったため、バディは特に注意したが、その時も「息がうまく吸えない」と答えたが、少し休むと「大丈夫」と再開した。
29日(月)立ち泳ぎの後、一年女子に「おなかが痛くてどうしようもない。どうしてこんなに痛いのだろう。」と言っていた。ただ「でもすぐ治るから心配しないで」というので、特別気にもとめなかった。
30日(火)朝、一年女子に、「昨日の夕方はもう痛いし気持が悪いしで動けないくらいだったけれど今は平気」と答えた。
朝食はいつもよりも食べた。
昼食のチャーハンも一人前食べた。
昼休みにトイレに行く。
3発目、スキューバのサポートから帰ってきてトイレに行く。
4発目 スキンだったが、バディの体調が悪かったので、1時間の予定を20分で切り上げて浜に戻った。
この直後トイレに行っている。
浜に引き上げられ、ウエットスーツが破られると、下腹部が少し膨れていた。死亡が確認される頃には、だれもが気づくほど膨れていた。
死因は急性心不全である。当日事故者や便秘であり、その状態で過度の労作を行ったことが、心臓に負担を掛け事故に至ったのである。
その後半年間の自粛期間を経て、活動を再開し、現在に至っている。
以上が9年前に起きた事故の詳細です。
ダイビングは海という自然を相手にするスポーツです。現実に自然における事故は少なからず起きています。我々は、ほんの少しの間だけ海の中を垣間見るという謙虚な気持ちを忘れず、常に海と接しなければなりません。改めて自分をみつめなおし、これからも安全潜水を心がけてください。
※とすると、85年から9年だから、この報告書が出来たのは、94年になる。
嘘の報告書だとしたら、良くでき過ぎている。
「息が苦しくて、うまく息が吸えない。波酔いの気持ち悪さとは違う。」と言った時、おそらく、心臓になにかが起こったに違いない。「バディが報告しないのが事故の原因になった、」と後で反省材料になるような伏線が張ってある。下痢で何度もトイレに行っているのに、便秘だというのは、おかしい。下痢ではなくて、腹部が膨れて気分が悪くトイレに行ったのだろうか、それでも下痢だとバディに言っているのがおかしいが、下痢ではなかったのか。それにしても、女の子に便秘は普通でおなかが張れば、便秘薬をのむだろうし、下痢とは言わないはずだ。
とにかく、とても嘘偽りとは思えないので、さらに紹介を続ける。僕も、そして、研究者のはしくれだった女子部員も、そして、先生もだまされた。先生は学生課に問い合わせて、その時代に誰も死んでいないことを確認したという。
この報告の事故について、事故現場の三宅島で、大ボスが知らない。そんな事故は起こっていないという。報告内容にも嘘のようなところがある。しかし、どうしても、そのまま偽物だと捨てきれない。もしかしたら、本当にあったことではないだろうか。報告書も良く出来すぎている。
事故が起こったのが、1985年、それから9年後にこの報告書が作られたと書いてある。1994年に作られたわけだ。それから、また15年が経過した。もう一度調べて見ようと思った。
この事故報告書は、もしも、今の学生のクラブで事故が起こったとすれば、この形がまず考えられると示唆している。同じパターンで事故が起こる可能性がある。また、このパターン以外は起こりにくいのではないかとも思える。
この事故報告書がどうして、どこで作られたのか。
まず、この報告書が関東学生潜水連盟のOBの誰かが書いた。このダイビングのスタイルは、彼ら以外は考えられない。毎年、関東学生潜水連盟とは安全管理のシンポジュウムであるSAI(スチューデント、アシスタントインストラクター)をやっている。彼らに調べてもらおう。
この報告が実際に起こった事故ではないとして、瑕疵はいくつかあるが良くできている。かなりの時間をかけて作っている。関東学生潜水連盟の関係者が作ったとすれば、何故、何時、何のために作ったのか、聞けるはずだ。それは後で解明できるとして、ここではまず、何故作ったかを想像してみよう。書いた、多分OB.と話ができたとして、僕の想像とあたっているかどうかも聞ける・
@本当にあった事故だという考えを捨てきれない。しかし、三宅島では知らないと言う。もう一度本当に三宅でこの事故が起こった記録がないかどうか、調べてもらおう。
A三宅島で起こった事故ではないとすれば、本当にあった事故に基づいて、脚色して作られた。
伊豆海洋公園で、法政大学が立ち泳ぎ練習中に、不幸な事故を起こしたのは、昭和57年、1982年のことだ。この事故のとき、私の娘の潮美は、その合宿に出ていた。彼女も含めて、法政大学は、この事故の反省の基に立ち上がり、今でも、関東学生潜水連盟の中心メンバーの一つになっている。創立30周年、40周年に立派な記念誌をだし、OBである娘の潮美は、30周年誌の編集にかかわった。僕もその式典に、光栄なことに招待されている。
その事故のしばらくあとで、同じような立ち泳ぎの事故、これは海での立ち泳ぎ、つまり、事故報告書とほとんど同じ様相で事故が起こったといううわさを聞いたことがある。法政大学の事故については、詳細な報告書を持っているが、その後の海での事故は、なにも報告書をもっていない。おそらく、報告書は作られなかったのではないかと思う。そこで、詳しい報告書の無い、その事故をある程度見聞きして知っている人が、事故そのままでは書けないので、事故に基づいて、場所とか時間について、変更して書いたとも想像できる。
B上記二つの事故に基づいて、まったくの創作、ノンフィクションとして書いた。
よく出来た報告書だから、いずれにしても、ずいぶんと時間をかけて作られたにちがいない。何のために、と言えば、後輩たちにこのような事故を起こさないように、警告するために書いたのだろう。僕は関東学生潜水連盟にずっと継続的にかかわっていたわけではないし、今でも彼らの活動の全てを掌握しているわけではない。この報告書が書かれた、1994年ごろに、彼らの行った安全のためのシンポジュウムの教材として作られたのではないか。これも、記録を調べればすぐにわかる。今月末に現在の部長たちと会う約束をもうしいれているので、調べてもらうように依頼しよう。
Cもしかしたら、純然たる冗談でかいた。
これは、可能性が少ない。この後に「事故後の海洋研について」という項目があり、次に紹介するが、冗談にしてはまじめすぎる。次への提言として、良く出来ている。そのまま、学連のマニュアルの基として通用する。
いずれにせよ、シンポジュウムか、学連の会議で使われた資料が、水産大学(現海洋大学)潜水部に流れ着いた。その報告書をより安全のための効果をあげるためか、後輩たちに、自分たちに起こった事故のように脚色して、大久保浜で、花束をささげたりした。また、病気で亡くなった先輩がいて、その人が三宅島、大久保浜が好きだったので、花束をささげた、という説もあったので、調べてもらったが、該当する人は見つからなかった。
学生の活動での問題点は、その非連続性にある。記録が代替わりで途切れてしまうのだ。今年、中央大学のクラブ40周年にゲストとして招かれ、代々、書き継がれてきた、ノートを見た。ノートの全部を全部員が熟読は出来ないだろうが、その大略をしることができる。このような幻の事故が言い伝えられることはないだろう。
水産大学、海洋大学には、このようなノートはない。また、OB会すらもないのだ。僕は、50周年を期として、OB会の設立を提言したが、果たせなかった。中心となるOBの意向に反してまで、大先輩の僕が主張し続けても、ろくなOB会はできない。ゲストで呼んでもらった、法政、中央のOB会をうらやましく思うだけである。
11月17日
事故は本当にあったできごとだった。
ブログを読んでくださった、G大学の監督からメールをいただいた。
ブログは、ささやかな努力だけれど、他に書くものがあるので、結構つらい。しかし、ブログを書き続け、知人が読んでくださっていると思うと、努力を続けなければいけないと思う。
本当のことだとわかってしまうと、実名が書けなくなってしまうところが、僕も日本人だなと思ってしまうが、容赦してください。
そして、本当のできごとだったら、ブログやホームページにだしてよいものなのだろうか、ともおもってしまう。
しかし、この事故報告書が書かれたのが、事故の9年後で、事故が再発しないために、どこかで発表されたものだと思う。それならば、ここであげてもよいのではないか。もしも、クレームがあったとしても、僕の真意がわかってもらえれば、すむと楽観的に考えることにした。
同じパターンの事故を起こさないためなのだから。
事故は本当のできごとで、場所も大久保浜、時日もすべて本当だろう。
僕は知らなかったのだが、この大久保浜の事故の年に、別の大学の、これはクラブ活動外だったが、二つの大学で、二人が死亡しているとも知らせていただいた。
その1985年ごろ、僕はテレビ番組の水中カメラマンとして、頂点にあり、大げさに言えば世界を股にかけていた。とても、国内の潜水事故には目が向けられなかった。だから、この事故も知らず、幻にしてしまったのだが。
やはり学生の事故がきにかかって、カメラマンとして一段落したあたりから、SAIをはじめた。SAIについては、僕のホームページに資料が載せてある。
さて、事実をわかったのだが、以下の原稿は幻ということで、すでにかいてしまっていた。幻のまま、掲載する。
事故を防ぐためには、過去に起こった事故の詳細の検討が、大きな役割を果たす。DANの事故報告は、統計としてずいぶんと役に立つ。しかし、事故の詳細な検討はできない。僕は個人的に、いくつかの事故の詳細記録を手に入れている。しかし、それは、公式に発表されたものではなく論じることができない。東京大学の研究員の事故は、公文書として発表されていて、論じることができたが、他には、発表された例がない。
幻の事故報告が、幻であるかどうか、まだわからないが、幻であるからこそ、ここで検討する資料として役に立つ。
ここから先は、本当にどこかの大学であったこととして、報告書をもう少し考えてみよう。
「事故後の海洋研について」として、今後の対策を提言している。
◎すべての活動において安全を最優先にして活動している。
※事故後、活動を再開してからのことであろう。
◎安全対策について
@健康診断―吉村せい子クリニック
検査項目、:診察・心電図・負荷心電図、肺換気機能・血液検査・尿検査・レントゲン(胸部)血圧
A耳鼻科献身―関東中央病院 耳鼻科 梅田先生
検査項目:診察・レントゲン(鼻)・血液検査(アレルギー検査)
@Aの健康診断は全部員の義務であり、新入部員の条件にしている。
「当日までの事故者の体調」の項をこれも真実であったとして考察してみよう。
26日(金) 三宅荘に到着して仮眠のころ、一年女子に「おなかが痛い」ともらす。
27日(土) 4発目に全装備(タンクキャリング、空タンク、ウエイト装備)遊泳を行っている際、バディから遅れ、立ち泳ぎお姿勢で止まった。
それにきづいたバディが近付いてみると「息が苦しくて、うまく息が吸えない。波酔いの気持ち悪さとは違う。」と言ったので、落ち着くのを待って再開した。浜に戻ると「タンクのベルトをきつく締めすぎたみたいです。」と言っていた。
夜、下痢気味と言っている。
※まとめの項で、「死因は急性心不全である。当日事故者や便秘であり、その状態で過度の労作を行ったことが、心臓に負担を掛け事故に至ったのである。」とあるが、下痢と便秘が同時に起こるとは考えられない。でも本当だったとしよう。とにかく、腹の調子が悪かった。
「息が苦しくて、うまく息が吸えない。波酔いの気持ち悪さとはちがう。」
おそらく、このときに、心臓に異常があったと想像できる。負荷心電図検査をしていれば、障害が見つかり、息苦しくなったこの時点で、練習を中止するか、あるいは、負荷のかからないダイビングに切り替えることが出来、事故は発生しなかったであろう。
1995年に紹介された米国の基準に寄れば、トレッドミルを使った負荷心電図検査で、14メッツ(安静時の14倍の負荷)をかけなければならないと言う規定がある。僕も60歳の時に行った、100m潜水の前に、14メッツ以上かけた検査を行ったが、オールアウトに近くなり、60歳でそんなことをしてはいけないと言われたが、合宿で、自分の意志では容易に中止できない、中止できるような約束で行っていたとしても、ギブアップできにくい空気の中で行われる学生の合宿やレスキュートレーニングに参加するためには、トレッドミルで14メッツをかけるべきだろう。その判定によって、自分でどのくらいの運動強度にすれば良いのか、判断すれば良い。
事故後の反省では、
「B自己体調管理
朝夕に会の血圧、体温、体調チェック
体調の申告
リタイアの自由
バディごとに精神状態と体調チェック」
が提言されている。
「
28日(日) 遠泳を行った時も、遅れ気味だったため、バディは特に注意したが、その時も「息がうまく吸えない」と答えたが、少し休むと「大丈夫」と再開した。
※少なくともこの時点で、練習を中止するべきであった。 反省では、「バディごとに体調チェック」とある。遅れたり、姿勢制御が出来なくなったりしたら、バディからの申告で、本人がなんと言おうとも、中止にしなければいけない。本人は、どうしてもがんばり続けたいと思うだろうが、絶対に中止させるのが部長の役割である。
29日(月)立ち泳ぎの後、一年女子に「おなかが痛くてどうしようもない。どうしてこんなに痛いのだろう。」と言っていた。ただ「でもすぐ治るから心配しないで」というので、特別気にもとめなかった。
30日(火)朝、一年女子に、「昨日の夕方はもう痛いし気持が悪いしで動けないくらいだったけれど今は平気」と答えた。
※頑張ってしまうのが一番いけない。そして、そのような空気をつくりだしてしまうことが、体育会系のクラブの特色であり、その特色は、ダイビングと言う活動には適していない。自由に、自分で目標の設定をして、日々のトレーニングを続け、監督や、コーチは、健康診断、体調管理の状況に留意して、目標設定が過大にならないように、監視し、アドバイスする。
「事故後の海洋研について」の提言では、
体力強化のトレーニングは行わない。
・負荷をかけた立ち泳ぎ
・遠泳(スキン装備)
・ダッシュ
」
※負荷をかけた立ち泳ぎを禁止することになっているが、禁止することはない。これを禁止すれば、水球、レスキュートレーニングはできなくなる。遠泳を禁止すれば、フィンスイミング、オーシャンスイミング などはすべて練習禁止になる。
※最近、オーシャンスイミングで死者が出た。
※ 「事故後の海洋研について」でも、「スパルタ的な練習は行わない。個人レベルに合わせて練習を行う。」とあるが、個人レベルに合わせて、バランスを考えることが、コーチの役割である。
「
朝食はいつもよりも食べた。
昼食のチャーハンも一人前食べた。
昼休みにトイレに行く。
3発目、スキューバのサポートから帰ってきてトイレに行く。
4発目 スキンだったが、バディの体調が悪かったので、1時間の予定を20分で切り上げて浜に戻った。
この直後トイレに行っている。
浜に引き上げられ、ウエットスーツが破られると、下腹部が少し膨れていた。死亡が確認される頃には、だれもが気づくほど膨れていた。
死因は急性心不全である。当日事故者や便秘であり、その状態で過度の労作を行ったことが、心臓に負担を掛け事故に至ったのである。
※ そんなに簡単に結論を出して良いとも思えない。もしかしたら、後輩のために作られたノンフィクションであろうと思うのは、このためである。もしかしたら、本当という気持ちは捨て難いが。このようなケースでは、絶対に解剖検査を行わなくてはならない。ダイバーはもしも事故死した場合必ず解剖することに決めておく必要がある。特に、このケースでは、下腹部がだれでも気づくほど膨れていたとあるからなおさらである。
「事故後の海洋研について」では、合宿の態勢、充実、救急ワッチ、引き上げの改善とともに、強制をしないことをあげている。それで良いと思う。
何よりも、ダイビング練習では強制はいけない。
11月18日 (水曜日)
幻の事故
順天堂病院の河合先生の診療の日だ。
先日行った、自分のトレッドミルを使った負荷心電図の結果を聞きに行く。データを見せてもらって説明を受けたが、よくわからなかった。
新型インフルエンザのワクチン注射を受けるために、基礎疾患があるという証明をもらおうとお願いしたら、僕はまだ該当しないということだった。基本的に普通の生活のできる人は、ダメみたいだ。僕はダイビングをやっているから、該当しないのだろうと、勝手にきめて無理にはお願いしなかった。
幻の事故について、説明し、御意見をうかがった。僕の解釈では、トレッドミルを使った負荷心電図で14メッツ(かなり厳しい)負荷をかけて検査をすれば、心臓の問題は、わかるのではないか、それでなければ、健康診断の科目に入っているわけはない。
幻の事故でも、負荷心電図検査を受けようということに最終結論、今後の方針に入っている。先生は、それはわからないという。負荷心電図は、心臓の血管などの狭窄状態を予測することができるだけで、心停止は、他の要因もある。
僕の感覚では、トレッドミル検査は、かなりのしごきであり、そのしごきには耐えられるが、トレッドミルから降りて、休んでいると、どってと苦しさが押し寄せてくる。60歳の時の負荷14メッツのときがそうだった。そうか、これが立ち泳ぎ事故の原因の一つなのだな、泳いでいる時は先輩に気合いを入れられているから、苦しさに耐える。いや、さほど苦しくはないのかもしれない。僕の14メッツの時も、トレッドミルの上では苦しくなかった。終了して横になったら苦しくなった。立ち泳ぎもさほど苦しくない。苦しくないからギブアップしないのだ。と解釈した。それもまちがいだったのでろうか。トレッドミルでは、急性心不全の予測はできない、となれば、どうしたらよいのだろうか。
そのような、もろもろのことを、この事故を中心にして、今度のSAI シンポジュウムで話していただけないかとお願いして、快諾をいただいた。
1985年の事故だから、もう24年前のことだ。現在の学連の大学生はまだだれも生まれていない時の事故だ。もう、具体例として、論じてもよいのではないか。それに、あの報告書は、事故の9年後に、後輩たちが、二度とこのような事故を起こさないことを願って作られている。シンポジュウムの題材にしてもよいのではないだろうか。
事故で亡くなった子供たちには、哀惜の気持ちが絶えずある。自分の会社での事故で亡くなった脇水君のことも含めて、東大の山下君も、この事故の女の子も、若い人の事故を思うと目の奥があつくなってくる。が、その事故が、あとの時代の後輩たちの安全のための財産になるものならば、喜んでくれるだろう。
水産大学の言い伝えは、85年の事故を当時の学生は、もちろん知っていて、その事故を悼んで、大久保浜に行くたびに花束をささげていて、それが、何代か続いていて、言い伝えられているうちに、自分たちの先輩、学連の先輩であることにはかわりはないが、同じ潜水部の先輩だと思い込むようになり、あの報告書が出てきて、あまり良く読まない早とちりで、自分たちの部だと思い込んでしまった。その間違いはすぐにわかったのだが、三宅島海洋開発の高田さんが、そんな事故は知らないといったのは、どうしてだろう。25年前のこととは、思いが至らず、このごろのことかと感じて、知らないと言ったのだろうと思う。25年前と言えば、「ああそうそう、そんなこともあったっけが」と言う答えが返ってきたのではないかとおもう。