「マイヨールは、なぜ死んだのでしょうね」方々でたずねられる。私が知るわけも無いが、高齢といわれる年頃に突入していること、がんばって潜りつづけていること。二つの共通項があるから聞かれるのだろう。
「女に冷たくされたからなのだろう。」そんなことを言っているダイビング関係者も少なくないし、意外とそれが真相なのかもしれない。私だって女房に馬鹿にされれば死んでやろうと思う。
しかし、たずねられているうちに、この話題は次第に私の心の中に重くのしかかって来た。私がこれからどう生きて、どんな形で死を迎えるかを考えさせられてしまう。自分の死生観、ダイビングに対する考え方にもつながっているから、「女に冷たくされた」そんな軽くは片付けられない。 2001年11月発行の雑誌「サライ」に、「サライインタビュー・海洋冒険家74歳・ジャック・マイヨール」というタイトルの記事が掲載されている。裸で、フィンとマスクを小脇にかかえて、館山市の平砂浦という砂浜で海をバックにして撮影した写真が巻頭にある。老人の身体だが、老いさらばえてはいない。私が74歳になったらこのような身体になるのだろうな、まあいいだろう、と思わせる写真だ。しかし、私だったら裸での写真は撮らせない。ウエットスーツを着るだろう。
記事の中で、老いについてはどうお考えですか、と言う問いに対して、「それは個人個人の問題だと思うよ、人によっては精神的、肉体的に歳をとるのが早い人もいれば、そうじゃない人もいる。なかには、とくに努力をしなくても肉体的なフレッシュさを維持できる人だっている。その辺は環境だけでは説明しきれるものじゃない。遺伝子の問題かも知れないね。中略 僕自身は肉体の表層なんかじゃなくて、精神を大切にしたい。賢さとか智慧というものをね。 こんな答えをする人がなぜ自殺するのだろう。 しかし、私も精一杯突っ張って生きていて、突っ張ったことを書いて自らを励ましているが、何時自殺するかわからない。「老いとはそういうものなのだ。」だからマイヨールの自殺を私は不思議には思わない。
なぜ自殺したかと言うことに対する答えは簡単だ「老いが彼を自殺させた。」
ただ、何が引き金になったかという問題が残る。答えは無数に想像できる。そして、それは誰にもわからない。もしかしたら、本人もわかっていないのかもしれない。
マイヨールは、記事中で「今、僕は74歳、でも、まだ4分は息を止めて、40mは潜ることができるよ。」と答えている。
彼は通常の人ではないから、多分本当だろう。彼は超人だが、老いによる身体の衰えに打ち勝つためには、更に超人的な努力が要求される。人の筋肉は、90歳までは鍛えれば鍛えられるという。しかし、人の身体能力は筋力だけではない。全身的身体能力である換気能力の低下を止めることは難しい。私は40歳代に3分息を止めることができ、水深29mまでスキンダイビングで潜ることができた。今の私は、ようやく1分間息を止めていられるだけだ。ハイパーベンチレーションを繰り返して息をとめても1分半だろう。私はトレーニングをしていないわけではない。毎日プールで1000mを泳ぐ。1000mのうちの700mをダッシュで泳ぐ。海に行った日、あるいはプールでダイビングを教えている日を除いて、何よりも優先してプールで泳ぐ。体調の悪い時などは辛いけれど、これが自分にとってなによりも大事な仕事なのだと自分に言い聞かせて泳ぐ。
自分が競技委員長をやっている水中スポーツ室内選手権大会で、400mをフィン・マスク・スノーケルをつけて泳ぐレースに毎年出場する。インストラクターの泳力最低基準は、400mを7分以下で泳ぐことだ。7分を切れなくなったら、一流のインストラクターではなくなると思っていた。それが、この前の大会で7分が切れなかった。予想もしていなかった結果だった。心を新たにしてトレーニングに励んでいるが、70歳を越えたら、7分を切るのは無理だろう。400mを全力ダッシュで泳ぎつづけられるかどうかもわからない。やってみるとわかるのだが、400mをクロールでダッシュするよりも、400mをフィンでダッシュする方が比べ物にならないほど負荷がかかる。
私の目標は、なんとか80歳までスクーバをつけて、撮影をし、海と親しくしていたいということだ。この目標を立てたのは、60歳の時だ。一瞬だけの冒険を乗り越えることは、準備さえ万端に整えれば難しくは無い。しかし、20年間を無事に過ごすことは容易ではない。私の生涯で最大の冒険に乗り出した覚悟でいる。66歳で胃癌になり手術した。幸運にも、またダイビングに復帰出来た。癌の進行が遅いタイプだったから助かった。80歳まで泳ぎつづけるには運も必要だ。
今、私がスノーケリングを教えている人たちの中で最高齢は、80歳になる角田精作さん(浦安海豚クラブ)だ。彼を見ていると、私もなんとかやり遂げられるだろうと希望が湧いてくる。
なぜ、潜りつづけることにこだわるかと言えば、海に入らなくなったら、ものを考えることができなくなるのではないかと思うからだ。私はすべてを海に依存している。足で泳ぐことができなくなったら、スクリューをつけてでも海に入る。
スキンダイビングで深く長く潜るとあやしい不整脈がでるので、主治医の河合先生(順天堂大学助教授)にとめられているから、スキンダイビングで潜る深さは10mまでに限定している。
もしも私が、自分の潜水人生をスキンダイビングに限定していたならば、50台の後半で終わってしまっている。 マイヨールは息を堪えて潜ることに徹底的にこだわっている。「僕にとってのダイビングは、科学の進歩によって手に入れた便利さ、容易さに馴れることで失われたものを取り戻す、そのための一つの方法だと思ってもらっていい」と彼はインタビューに答えている。 しかし、詳しい観察も、撮影も、スキンダイビングだけではできない。
マイヨールと海の生物とのつながりは、もしかしたらイルカと泳ぐことだけだったのではないだろうか。そして、野生動物であるイルカととマイヨールのつき合いは、彼の孤独を癒す存在ではありえなかった。彼と海の繋がりも彼の自殺を思いとどまらせるものではなかったのだろうか。息堪え潜水に限定していたマイヨールのダイビングは、もはや終わろうとしていたのだろう。もしかしたら、もう既に終わっていたのかもしれない。 例えばプロのスポーツ選手が引退する時、二つの段階で苦しみがある。一つはプロとして通用しなくなった時、そしてもう一つはそのスポーツが全く出来なくなった時である。プロ選手が引退する時期は大体40歳だろう。40歳ならば、第二の人生を立て直して、さらに別の世界で大成功をおさめる余地が十分にある。ダイビングについては、40歳台が能力のピークだと私は考えている。マイヨールが世界ではじめて100mの壁を破ったのも49歳の時だ。さらに56歳で105mに記録を伸ばした。これはものすごいことで、現在のアプネア最高記録をねらうのペリツアーリやピピンが56歳になって何メートルまで潜れるだろうか。
ダイビングは70歳までは現役でできるだろう。私は67歳でダイビングでお金をもらっている。これはとても嬉しいことだと思っていた。しかし、70歳になって、ダイビングが自分の納得の行く状態で出来なくなった時、70歳からでは第二の人生ははじめる余地が無い。
マイヨールは超人だから、まだまだ、40mは潜れたのだろう。終わってはいない。しかし、40m潜りつづける努力は壮絶に辛いものだったにちがいない。もしも、マイヨールがスクーバを使い、カメラを手にしていたならば自殺することなどなかっただろうと私は思ってしまう。
マイヨールは、海に通じる道として、加齢とともに狭くなり、ついには行き止まりになる道を選んでしまった。そしてそれに固執した。
つい3年前まで、私は、スクーバの基本、というよりもすべてのダイビングの基本はスキンダイビングであるという考え方に拠っていた。今はすべてのダイビングの基本はスノーケリングであると考えている。私は、スノーケリングをフロート・スノーケリングとスキン・スノーケリングに分けることを提唱している。フロート・スノーケリングは絶対に溺れないようにフロートを着ける沈まない水面遊泳、スキン・スノーケリングは、潜る深さを水深3mまでに限定しているスキンダイビングである。3mより深いところへはスクーバを使って潜る。
スクーバダイビングのトレーニングとしては、徹底的に水面を泳ぐ。海には流れもあるから、流れに打ち勝って戻ってくるためには、速く力強く泳ぐことが要求される。そのために先に述べた、速さを競う競技会がある。
深く潜るスキンダイビングは、スクーバのトレーニングとしては、止めた方が良い。深く潜るスキンダイビングはこれからダイビングをはじめようとしている40歳以上の人たちにはとても無理だ。無理の利く若い学生諸君にとっても、潜る深さを競ったり、息を堪える長さをトレーニングで強制したりすれば、命を落とす危険がある。
息を堪えて深く潜るアプネアは、究極の命がけスポーツだ。とても魅力的だ。しかし、生涯続けられるものではない。それに生涯を賭けてしまったマイヨールだから、どこかでピリオドを打たなければならなかったのだろう。なお、アプネアと言う言葉はイタリア語で、彼はフランス人だ。そんなことも彼の孤独感を深めたかもしれない。それにしても、なぜ彼は首吊り自殺などをしたのだろう。あのグランブルーのラストのように海に入って行かなかったのだろう。映画で先にやられてしまったので、それを真似するような死に方は、彼の美意識がゆるさなかったのかもしれない。
私は74歳まで元気でいられるだろうか。その時どんなダイビングをして、どんな考えを持っているのだろうか。人は加齢とともに変わる
マイヨールと私は、何回もすれ違った。何度も会った。しかし、親しく話した事は無い。言葉の壁が最大の原因だ。彼がもしも日本語に堪能だったとして、彼と親友になれただろうか。日本人である私と、フランス人である彼には親しくなれない壁があったかも知れない。友達でもないのに、彼の生き方は決して好きではなかったのに、彼については一冊の本が書けるほどの記憶が残っている。それほどマイヨールの個性は強烈だった。そして、その強烈な個性があの死に方をえらんだのだろうか。
2002年 1月12日
親しい友達がこのHPを見て、卒業論文で扱ったヘミングウエイのことを思い浮かべたと言って来た。ヘミングウエイは連想しなかったのだが、どちらも自分の能力が自分の思うとおりに発揮できなくなっての自殺なのだろうか。
ヘミングウエイは大好きだが、晩年の「海流の中の島々」はもはやボロボロで、読むには読んだけれど、書棚に残してはいない。
自分が思うように生きられなくなった時、自分の思うような能力を発揮できなくなった時、人は死を選ぶのだろう。
私の文章ももはやボロボロに近くなっている。昔は自分の文章を人に直されると腹がたったが、今では直されると素直になるほどと思ってしまう。
人は加齢とともに生きる形を変えて行かなければならない。それを変えまいとして突っ張りつづけたマイヨールの気持ちはわかる。
しかし、人は最後まで自分の果たすべき何かがある。絶望の淵からでも這い上がって、潜りつづけて欲しかった。たとえ、10mまでしか潜れなくても潜り続けて欲しかった。これは、私自身に、自分に言い聞かせている言葉でもあるのだが。
館山に行くと、年老いた外国人のガイドがいて、「昔はすごい人だったんだって」などと言われる生き方ができなかったのだろうか。とても出来ないことだったとよくわかるが、もしも、そんなことになっていたら、私も彼と肩を並べて、海を眺め、不自由な言葉でぽつりぽつりと話したかった。
1月25日 私の67歳の誕生日に補筆
友人が、プレイボーイの最新号(4月号)に、「ジャック・マイヨールは、なぜ自殺したのか?」というドキュメントが出ているよと教えてくれた。
早速読んだが、「グランブルーで世界を魅了した男は、最後までダンディだった。」というサブタイトルが空しく聞こえる。
若い頃から良く知っている親しい友人の添畑薫が撮ったエルバ島にある彼の住いの写真。地中海の海の青さはを前にして、一人で空を見上げて寝転んでいる彼の姿には、もはやどうすることもできない寂寞が漂う。
自殺はキリスト教では罪と言われているので、日本人の親しい友人以外には誰も現れず、葬儀が行われることも無く火葬に付されたという。このドキュメントを読むと、マイヨールの生も死も、全て無意味に思えてくる。もともと人の生も死も全て意味など無いのだろう。イルカの生も死も、何の意味も無いのと同じように。
「しかし、何の意味も無いからこそ、たとえ格好がわるくても、最後まであきらめずに闘うのがダンディな生き方だ。」と自分に言い聞かせる。
2月28日
1月12日に、ホームページに載せてから、考えることが多く、書き加えたり、そして新しく出た雑誌の記事を読んだりしているうちに、支離滅裂になってしまった。「支離滅裂」、私の大好きな言葉であるし、思考というものも支離滅裂なものでもある。読んでいただいた人にも、支離滅裂は面白いかもしれない。
が、とにかく、まとめておこう。
なぜ、首吊りだったのか、ずいぶん考えた。このことについて書くとまた長くなるから止めよう。
要するに、マイヨールの自殺は、死ぬまでアスリートでいたい、死ぬまで潜りつづけたいと願っていたであろうスーパーアスリートが苦しみぬいた挙句選んだ死だと思ってあげたい。これ以外に選択のない死だったのだろう。
命を賭けて、達成した記録というものも晩年の幸福には繋がらず、かえって不幸をまねいてしまうものなのだろうか。人々の賞賛は、それが失われてみれば、そして、その賞賛を若い人たちが受けているのを自分の眼で見るのは辛い。と言って、人と交わらなければ孤独である。
プライドと自我が強い人にとって、苦しんでいる人のカウンセリングをすることはできても、カウンセリングを受けることはできない。
一人で苦しみ、耐えるしかないのだ。
私も死ぬまで潜りたいと願っている。だから、彼の死がわかるような気がして、ついつい書き加えてしまうことになっている。
本当に、自分が潜れなくなったならば、その後でどのようにして過ごして行けば良いのだろうか。答えが見つからない。とにかく歩いて行くしかないのだ。
かつて、一緒にニュースステーションで一緒に歩いた立松和平が言った言葉がある。今となっては、彼が本当にそのように言ったのか、それとも私がそのように解釈してしまったのかわからないのだが、なにしろ小説家はめちゃめちゃにたくさんの言葉を発信するから。
「道があるものならば、道の尽る所まで行くのが旅の心だ。」