はじめに
スクーバダイビングの運用、指導、教育の目的は、安全を追求しつつ、水中に潜る目的を達成することである。
水に潜る目的として、楽しさの追求はレジャーダイビング、あるいはスポーツダイビングであり、楽しさと同時になにか目標の追求を優先させるダイビングをリサーチダイビングと呼ぶことにする。
リサーチダイビングで追求する目標は、映像記録、学術的な研究、水産、環境、などの調査、少し範囲を広げれば、環境保全などに関連するボランティア活動、生涯学習的な活動も含まれる。
これらの活動の指導や管理については、レジャーダイビングに関連するものは、レジャーダイビングに、リサーチダイビングにかかわるものは、リサーチダイビングに含めることにする。
同じ人、同じダイバーが、あるときにはレジャーダイビングをやり、あるときはリサーチダイビングをする。
企画する須賀も、リサーチダイビングで生計を立て、レジャーダイビングの指導を半ばボランティアで行って来た。
全く目的も違い、運用も違うダイビングを同一人が行う。切り替えが適切に行われないと危険が生じる。ここに提案するマニュアルと線引きが必要とされる所以である。
安全と目的の追求の答えは、実際に起こった事故の検討、反省、分析の中にある。そして、その時代のダイビング環境、社会の状況にも大きく影響される。
ここで順を追って述べてゆきたい。
企画で大事なことは、目的と目標である。
まず、目的と目標のちがいについて、定義しよう。
広辞苑といっても、デジタル辞書だが、見てみると。
目的:成し遂げようと目指す事柄、行為の目指すところ。意図している事柄
意志によってその実現が欲求され、行為の目標として、行為を規定し方向づけるもの。
目標:目的を達成するために設けためあて、目じるし。
目標とは、途中経過のめあてと考えられる。
目的とは、なんのためにその行動をするかであろう。
また、目標とは、達成するべき数値を示す必要があると書いてある参考書も読んだ。これはわかりやすい。
例えば、ダイビングの目的は、水に潜ること、人間が水中に入ってゆくことである。安全は最重要だけれど、安全のために潜るわけではない。後述するけれど、ダイビングの目的は安全ではないと思い知らされるような経験をした。
しかし、ダイビングの場合、事故は命を失う可能性が大きい、致死的な行動である。安全と目的は別立てにして、目的と安全を並立させると現実的になる。ダイビングそのものの目的と安全の二本足で立つ。どちらを軸足にするか、バランス感覚が必要だし、難しいが倒れないようにしよう。
なぜ水中に潜るのか、水に潜る目的が、楽しさであれば、それはレジャーダイビング、あるいはスポーツダイビングである。楽しさと同時に何か達成するべき目的があり、目標の追求を優先させるダイビングをリサーチダイビングと呼ぶことにする。
リサーチダイビングで追求する目的は、映像記録、学術的な研究、水産、環境などの調査、少し範囲を広げれば、環境保全などに関連するボランティア活動、生涯学習的な活動も含まれる。
経済的な収益は、目標の第一とも考えられるが、ここでは、二義的なことと考えよう。収益第一で考えたら、何もできなくなってしまう。
スクーバによる活動の指導や管理を行うスタッフ、具体的にはインストラクタやガイドダイバーの活動は、レジャーダイビングの指導、管理については、レジャーダイビングに含め、リサーチダイビングにかかわるものは、リサーチダイビングに含めることにする。
レジャーダイビングの指導は、収益を目的とした仕事であり、潜水士テキストの分類によれば、潜水業務になる。従事するダイバーにとってはレジャーではないが、レジャーダイビングの補助だから、レジャーダイビングに含める。
同じ人、同じダイバーが、あるときにはレジャーダイビングをやり、あるときはリサーチダイビングをする。
須賀も、リサーチダイビングで生計を立て、レジャーダイビングの指導を半ばボランティアで行って来た。
目的も違い、運用も違うダイビングを同一人が行うのだから、切り替えが適切に行われないと危険が生じる。リサーチダイビングのバディのつもりで、レジャーダイビングのお客を扱って、危ない思いをさせた経験が何度かある。
リサーチダイビングでは、残圧が無くなるまで、水中で仕事をすることが多々ある。レジャーダイビングでは、できれば、残圧50、すくなくとも30では、水面に戻らなければいけない。マニュアルと線引きが必要とされる所以である。
1950年代
安全追求の答えは、実際に起こった事故、ニヤミスの検討、反省、分析の中にある。そして、その時代のダイビング環境、社会の状況にも大きく影響される。
もとより、スクーバダイビングは危険である。1953年、アメリカ軍の海洋電波研究所 海洋学主任ロバート・ディーツ博士が千葉県小湊の東京水産大学実習所で日本の若き海洋学者にアクアラングの実技指導を行ったのが、日本への正式なスクーバダイビング紹介であるが、その翌年1954年、同じ小湊の実習場で、学生に対して行われたスクーバダイビング指導で、2名の死亡事故が起こっている。
亡くなった学生は、実習参加者のうちで最も身体能力が高く、水泳も達者であったと言われている。事故の原因は定かではないが、スクーバダイビングは、習得が容易で、運用も易しい潜水器であると思い込んだ油断が、根底にあったための油断が災いしたと思う。。
須賀は、その三年後、1957年、同じ小湊実習場での潜水実習でスクーバの基本を正式に習得した。
そして1958年、人工魚礁調査で水深30mを潜り、アンカーを伝わって潜るという運用の不手際から、人工魚礁をなかなか見つけることが出来ず、タンクの空気がそろそろ尽きるところで、人工魚礁を見つけ出した。浮上しなければいけないのに、どうしても撮影しておきたいという使命感から再度降下し、エア切れを起こした。着ていた潜水服はドライスーツであり、オーバーウエイトであったためにフィンキックで浮上することができず、水中で窒息し、ロープを手繰って九死に一生の経験をした。水深25mまで潜れるという当時としては卓越したスキンダイビング能力を持っていたために死なないですんだ。
この経験から、
@過大な使命感、モチベーションを持つことの危険
A海中の目標物は、十分な探索を行って、その位置の直上に目印ブイを入れて潜降しなければいけない。アンカーロープを使っての潜降は危険である。
Bスキンダイビング能力が自分を助けた。スキンダイビングの練習を欠かしてはいけないC身体能力に自信を持ちすぎると危ない。
と知った。
すなわち、運用のまずさがニヤミスを引き起こし、基本トレーニングの能力の高さが、致命的な事故にならずにニヤミスにとどめた。 事故のほとんどが運用のミスが原因で始まる。それを救うのが個人技である。個人技が優れていても、事故防止にはならない。事故からの脱出に役立つだけである。過信はむしろ事故に繋がる。
スクーバダイビングに必要な能力は
@経験
A知識:経験は書き記さないと知識にならない、知識にならなければ、それは個人のものであり、多くの人が共有することができない。
経験と知識から状況を判断して結果を予測する。
知識は文章化されているが、経験はイメージである。経験による判断は瞬時に行われるが、知識による判断は時間がかかり、現場での変化に対応しにくい。本、テキストを読んでテストに合格しても現場の役には立ちにくい。机の上の学問とよく言われる。机の上の知識は、現場での役に立つ形、マニュアルに仕立てておく必要がある。
右脳と左脳について書かれた本を読んだ。。専門家ではないので明確な知識はないが、机の上では左脳を働かせていて、現場では右脳を働かせると言われると、そうかなと思う。
経験とマニュアルによって行動を決定する。これは、メンタルな能力にかかわる部分である。モチベーションのコントロールもメンタルな部分である。
メンタルな能力とフィジカルな能力は車の両輪であるが、フィジカルな要素は、まず、スキンダイビング能力、息を止めて、どのくらいの活動ができるか、次いで、器材の取り扱い。重い装備を背負って活動できる筋力、が要求される。フィジカルな能力がなければ、立ち上がれない、歩けない、泳げないから、まるでダイビングはできないが、事故の予防、防止は、メンタルな要素に軸足がある。事故を起こした後で助かるためにより強力なフィジカルな能力が必要になる。だから、スクーバダイビングは、メンタルな行動だと言われる。
振り返ると、このエア切れニヤミスの中にすべてがあった。上に述べたような分析は、近年になって考え出したことであり、当時は単純に、素潜り能力が自分を救った。スキンダイビングがスクーバの基本であると、強く考えて、メンタルな部分については、分析的に策を考えることが出来なかった。もしも、現在考えているようなことが、当時考えられ、実行していたら、それ以後に起こったいくつかの事故を防ぐことが出来たに違いない。